2017年10月05日

CassWiki:求める人たちに全てを

CassWiki:求める人たちに全てを
https://thecasswiki.net/index.php?title=All_to_those_who_ask


カシオペア文書によれば、他者への奉仕(STO)とは求める(ask, 尋ねる/依頼する)人たちに全てを与えることだと述べられている。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=77150844
ここで疑問となるのが、「与える」とはどういう意味か、「求める」とはどういう意味か、そして、やり取りを実際に行う当事者は誰々か、ということである。

最も重要なのは、求める(尋ねる/依頼する)ことと、操作との違いである。操作とは、操られる相手をコントロールしようとすることだから、本質的に他者の自由意志を制限することになる。これに対して、求める(尋ねる/依頼する)というのは、対応を相手方に任せる、制約のない依頼である。操作は概して、隠れた意図を暗示するが、求める(尋ねる/依頼する)という場合は一般的にそうではない。だが、この2つを区別するのは難しく、常に明快には分けられない。さらに言えば、人々のグループ一般について考えても、単一の統合体として求める訳でも操作する訳でもない。大抵の場合、人々のグループは、矛盾したプログラムや衝動の寄せ集めであって、自己への奉仕(STS)の傾向を持つ人も居れば、他者への奉仕(STO)の傾向を持つ人も居るのである。

操作に従う結果、概して操る人の自己への奉仕(STS)的性質を増幅することになる。だから、他者への奉仕(STO)は表明されるべきであり、操作は拒絶されねばならない。人々が求める(尋ねる/依頼する)場合、かなり曖昧で矛盾したものとなることがある。例えば、過剰な要求をする人々が居ても、本当は断ってもらうことを求めているかも知れない。正確に識別すれば、人は相手方の、他者に奉仕する(STO)傾向を持つ部分には与え、同じ相手であっても、自己に奉仕する(STS)部分に食い物にされるのは拒むことができる。不正な利益を得たくないと思っている部分が相手方にある場合には、操作を拒絶することがそのような部分のためになっていると見做せる。

例えば、嘘は真実を求める間接的な依頼だと考えることができよう。かくして、全てを与えるというのは、他者への奉仕(STO)の原理を守る度合いに応じて、全てを人々に与えることだと言えよう。質問/依頼/操作の本質を識別することがここでのキーポイントである。

どんな原理もそうであるが、この原理も背景事情を意識せず機械的に適用することはできない。我々の考えでは、与えることの一番の意味合いは人々の間でやり取りが行われることなのだが、この考え方はこれに限られない。大義に命を捧げるというように、原理に全てを投げ出すということもあるだろう。他者への奉仕(STO)を指向する、エソテリックな情報を人々が利用できるようにすることは、この原理に自由意志を捧げることだと言ってよい。標準的な宗教やニューエイジ・ムーブメントに人々はしばしば幻滅するものであるが、今述べた一方的に捧げるという行き方は、一方ではそうした人々に紛れて霊的探究を行っている魂=人への反応であるが、その一方で、ニューエイジ・ムーブメントと見せかけてコントロールシステムが推進する、嘘や半面だけの真理への対応でもあるのだ。

玉石混交のこの世界において、与えようという動機は、それが個人的信条にもとづく自己満足のためであれ、非個人的な原理と連携しようという意志の表出であれ、常に識別可能でもなければ、単独で起こる訳でもない。他者への奉仕(STO)あるいは自己への奉仕(STS)が純粋に表現されることはまれである。

ラーの言葉から引用する:


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(紫上訳433ページ)
質問者:あなたがたはオリオン連合について、それから惑星連合(=宇宙連合)とオリオン連合の間で交わされている戦いについて述べられました。これがどんな戦いであるか、その基本概念(コンセプト)を教えていただけますでしょうか。

ラー:私はラー。よろしければ、あなたの思考、ないし思惟する心(マインド)を想像してみてください。それが、あなたの社会に存在している他の心と完全な統合を成しているところを想像してみてください。そういう状態になったあなたがたは、それをもってひとつの方向を目指すようになります。そして、あなたがたの物質的幻影において貧弱な電荷であったものが、いまや投影された心がそれによって物質化しうるほどに、けた外れにパワフルな装置に変貌します。

こうした試みをもって、オリオン・グループは光による武装を行い、惑星連合を非難、攻撃しているのです。その結果はいわゆる互角の状態にありますが、それによって双方のエネルギーがいくぶん底をついてきており、部隊再編成が必要である状態です。ネガティブな側は相手を操作するのに失敗したことで、ポジティブ側は与えられたものを受け入れるのに失敗したことで、それぞれがエネルギーの枯渇に至っています。

質問者:あなたは今、「与えられたものを受け入れることに失敗したこと」とおっしゃいましたが、その意味を詳しく説明していただけませんでしょうか。

ラー:私はラー。くだんの争いは、あなたがたが思考や想念による戦争と呼ぶであろうかたちをとっています。こうした出来事が起きている時間/空間のレベルでは、もっとも快く受け入れられる愛情深いエネルギーというのは、他者を操作しようとする者を、彼らがポジティブなエネルギーに囲まれ包み込まれ、それによって変容するように愛してあげることなのです。

しかし互角な戦いのなか同等の地盤にあって純粋にポジティブな立場を維持するには、自分たちが操られるわけにはいかないことに惑星連合は気づいています。というのも、いわゆる闇の力の抑圧の下にあっては、たとえ純粋であっても惑星連合がその重要性を失ってしまうからです。

そうした理由から、この思考による戦争にたずさわる者は、他者への奉仕(STO)における自分たちの有用性を保持するために、受容よりも自衛の姿勢でいなければならなくなったのです。このように、彼らはオリオン連合が与えようとするもの、つまりオリオン連合への隷属化を完全に受け入れることができません。それでこの衝突が原因でかなりの極性が失われることになり、双方ともいわゆる再編成を余儀なくされているのです。

これはどちらの側にとっても利になることではありません。唯一役に立っている成り行きは、この惑星が入手できるエネルギーのバランスがとられることです。そのため、この空間/時間においてそうしたエネルギーのバランスをとる必要が少なくなっており、地球壊滅の可能性も減ってきているのです。
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ドン・エルキンズ他『ラー文書』紫上はとる訳、セッション25.5以下
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2017年10月04日

CassWiki:第4密度

CassWiki:第4密度
https://thecasswiki.net/index.php?title=Fourth_density


密度の段階のうちの第4密度は、物質的とエーテル的の中間の存在状態である。この状態は錬金術師の偉業達成、アセンション、ザ・ウェイブ到来による卒業の結果であろう ― この基本的概念の呼び名・提示の仕方は数多くある。第4密度はまた、「マトリックスのコントロールシステム」機能の上級幹部が居る密度レベルと思われるので、第4密度が存在する可能性は、我々が住むこの世界の奥深い本質を研究する上で重要なテーマである。


限られた認識可能性

普通のエソテリック文献では、ヒューマンタイプ生命体と、純粋に物理体を持たない存在との中間レベルに相当するような実体について述べられることはない。第4の道の宇宙論は、「生きとし生けるものの図表」(ウスペンスキー『奇蹟を求めて』浅井訳497ページ)で、様々な密度の存在という概念に迫っている。この中で天使/惑星なる存在というカテゴリーは第4密度に相当し、大天使/太陽なる存在というカテゴリーが第6密度に相当するかも知れない。ただし、こうした名前はかなり寓意的である。

この第4密度レベルにおける時空を司る法則を数学的に記述することはできない。このレベルが実在するかどうかさえ、確かな所は分からないのだ。このレベルに典型的な状態を体験し知覚したと称する人々は居るが、このような体験は神秘体験という点で本来的にはっきりしないものである。我々が理解しようとしている概念を完全に、ないしは矛盾なく述べることは不可能だと分かる。

このレベルが実在することを間接的に裏付けるのが、UFOに関わるハイストレンジネス現象である。神話物語の中にも、物質界と霊界の中間に棲むクリーチャーについて語るものがある。ハイストレンジネス現象としては、変則的な時間、固体の通り抜け、外側から見たよりも内側が広い施設
http://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Main/BiggerOnTheInside
等がある。


第4密度への卒業
(詳細については、「第4密度への卒業」の項を参照のこと)

カシオペアンとラーが提示した意識の進化という観方によれば、我々人間が経験している第3密度において可能な進歩を完了した人々は、第4密度へと卒業することになるという。その際の最重要基準は、他者への奉仕(STO)か、自己への奉仕(STS)か、いずれかにしっかりと打ち込む一貫した自己を達成していることである。これには当然ながら、第3密度での学びの過程で育んだ知識と知性が一定レベルに達していることも含まれる。というのも、それはこれら2つの極性を見分け、選択する上で必要不可欠だからだ。


チャネリング文書における記述

第4密度という問題を探索する際、手掛かりになる文書はごく僅かであり、このテーマに関する説明の殆どは、チャネリング文書によってもたらされた内容に基づいている。以下に、第4密度の性質の関するものを2つ引用する。

ラーの言葉から:


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(紫上訳310ページ)
質問者:ありがとうございます。短くてけっこうですので第4密度の有り様を説明していただくことは可能ですか。

ラー:私はラー。私がお話ししていくなかでよく考えていただきたいのですが、第4密度を的確に説明している言葉はありません。私たちは第4密度がどんなふうではなくて、どんなものに近いかというような説明しかできません。第4密度より先に関しては、言葉が不要になっていくのにつれて、私たちの能力はどんどん限られてきます。

第4密度がどんなふうではないという説明は以下のとおりです。あえて選択しないかぎりは言葉が必要になる世界ではありません。身体複合体の活動に、化学的で重量のある乗り物が必要となる世界ではありません。自己が内部に不調和を抱えている世界ではありません。いかなるものでも不調和を起こす可能性の範囲内に存在している世界ではありません。

的確に近い描写をすると次のようになります。より稠密で、生命にあふれた、2足動物の乗り物の世界です。その世界では人は他者の自己の思いに気づいています。その世界では人は他者の自己の波動に気づいています。第3密度の悲しみを理解し思いやることのできる世界です。叡智と光に向けて努力する世界です。そこでは個人個人の差異ははっきり存在していますが、それはグループ・レベルの合意によって自然に調和していきます。
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ドン・エルキンズ他『ラー文書』紫上はとる訳、セッション16.50


カシオペアンの言葉から:


951104
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A: そう単純ではない。。。想像してみなさい。ニューメキシコまでドライブしようと「飛ばしていたら」代わりにサンディエゴに着いた。。。あるいは。。。サンタフェの食料品店にクルマで出かけたら、代わりにモスクワに着いてしまった。。。

[…]

000527(※この部分は初めて訳します)
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A: さて、注意して聞きなさい!次のようだったとしたらどうだろうか:第2密度の存在は、対象を類似性によって知覚し、第3密度の存在は、対象を違いによって知覚し、そして、第4密度の存在は対象を、それがそれら全てと合体しているかという観点から知覚するとしたら?

[…]

981114(※この部分は初めて訳します)
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Q: (A) もう1つ質問だ。4月のあるセッションでキミたちは次のようにコメントした:「4次元的、すなわち第4密度だ。分かるかな?」 つまりキミたちは4次元を第4密度に関係付けたんだ。私には密度の数学的表現は分からない。4次元の表現方法なら分かるのだが。キミたちが次元を密度と関連付けたのは、この時が初めてだった。本当に関係あるのだろうか?

A: Yes, 第4密度は4次元のリアリティの中で経験されるからだ。

Q: (A) 今度は4次元のリアリティと言うけど、それはカルツァ=クライン理論に出てくるタイプの4次元のリアリティだろうか?

A: 視覚的スペクトル。

Q: (A) つまり、4次元は、カルツァ=クライン理論の5次元とは関係がないということだろうか?
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=78949184

A: Yes.
(※「その通り」とも「いや、関係ある」とも解釈可能)

Q: (A) 関係あるって?

A: いや、確かに関係ない。この理論には、プリズムに関する欠陥がある。これで何が分かるかな?

Q: (A) プリズムに関してだって?! 視覚的スペクトル?何が分かるのか、分からない。私はプリズムとの関連性を見付けたことはないんだ。だが、この4次元とは何だろうか?これは3つの空間的次元を超えた、追加の次元だろうか?それとも、時間という次元だろうか?

A: アインシュタインについて言えば、「時間」ではなかった。それは追加的な空間について言われた。「次元」という語は、3つの次元との関係では、一般的な言い方として使われる。追加の「次元」を視野に入れる結果、人は外面からと内面から、同時に視覚化できるようになる。

Q: (A) キミたちが4次元と言うとき、現在理解されている物理学において、その言葉に相当する、最も近い概念とは何だろうか?私には、何が対応するのか分からない。相対性理論にも、アインシュタインにも、カルツァ=クライン理論にもそれに当たるものは無い。。。

A: その通りだ。仮説として取り上げられたことがなかったからだ。
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さらなる手掛かりとして、読者に勧めたいのは、カシオペア文書およびラー文書を研究することである。(下の「詳細文献」を参照のこと。)

どちらも、至る所で密度を論じている。本項の割当に従えば、根本的に違う世界に向き合うのだとしか言えない。カシオペアンに言わせれば、「鏡の国のアリス」である。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=36131955

第3密度の存在が、第4密度を訪れるような状況としては、エイリアン・アブダクション(この「エイリアン」とは第4密度の自己に奉仕する(STS)存在である)および、第4密度ブリードスルーの最中を例として挙げられるだろう。しかし、このような状況に置かれたからといって、その人が第4密度の存在となる訳ではない。人が本拠とする密度は、意識の発達次第で決まるのである。


詳細文献

・ザ・ウェイブ・シリーズ
http://takapachi1962.seesaa.net/article/414985821.html
・カシオペア・セッション交信録(交信録自体に当たる前に、カシオペアンとのセッション交信文の多くを、そこで述べられている出来事の背景的事情と合せて解釈紹介している『ザ・ウェイブ・シリーズ』全巻をまずは通読することをお勧めする。)
・ラー文書
http://mixi.jp/view_community.pl?id=3609063
posted by たカシー at 18:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

CassWiki:メンタル・ブロッキング

CassWiki:メンタル・ブロッキング
https://thecasswiki.net/index.php?title=Mental_blocking


この言葉はカシオペア文書の中で、霊的に自分の立場を固守する、あるいは攻撃に抵抗する、という意味で出てくる。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=83567726

これは第4密度の原理だと述べられており(950211)、状況次第で行われるため、第3密度の人間の行動ないし態度で、これと常に置き換え可能なものはない。

この概念については、数多くの異なった角度から見ることができる:

ラーの言葉から引用する:


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(紫上訳433ページ)
質問者:あなたがたはオリオン連合について、それから惑星連合(=宇宙連合)とオリオン連合の間で交わされている戦いについて述べられました。これがどんな戦いであるか、その基本概念(コンセプト)を教えていただけますでしょうか。

ラー:私はラー。よろしければ、あなたの思考、ないし思惟する心(マインド)を想像してみてください。それが、あなたの社会に存在している他の心と完全な統合を成しているところを想像してみてください。そういう状態になったあなたがたは、それをもってひとつの方向を目指すようになります。そして、あなたがたの物質的幻影において貧弱な電荷であったものが、いまや投影された心がそれによって物質化しうるほどに、けた外れにパワフルな装置に変貌します。

こうした試みをもって、オリオン・グループは光による武装を行い、惑星連合を非難、攻撃しているのです。その結果はいわゆる互角の状態にありますが、それによって双方のエネルギーがいくぶん底をついてきており、部隊再編成が必要である状態です。ネガティブな側は相手を操作するのに失敗したことで、ポジティブ側は与えられたものを受け入れるのに失敗したことで、それぞれがエネルギーの枯渇に至っています。

質問者:あなたは今、「与えられたものを受け入れることに失敗したこと」とおっしゃいましたが、その意味を詳しく説明していただけませんでしょうか。

ラー:私はラー。くだんの争いは、あなたがたが思考や想念による戦争と呼ぶであろうかたちをとっています。こうした出来事が起きている時間/空間のレベルでは、もっとも快く受け入れられる愛情深いエネルギーというのは、他者を操作しようとする者を、彼らがポジティブなエネルギーに囲まれ包み込まれ、それによって変容するように愛してあげることなのです。

しかし互角な戦いのなか同等の地盤にあって純粋にポジティブな立場を維持するには、自分たちが操られるわけにはいかないことに惑星連合は気づいています。というのも、いわゆる闇の力の抑圧の下にあっては、たとえ純粋であっても惑星連合がその重要性を失ってしまうからです。

そうした理由から、この思考による戦争にたずさわる者は、他者への奉仕(STO)における自分たちの有用性を保持するために、受容よりも自衛の姿勢でいなければならなくなったのです。このように、彼らはオリオン連合が与えようとするもの、つまりオリオン連合への隷属化を完全に受け入れることができません。それでこの衝突が原因でかなりの極性が失われることになり、双方ともいわゆる再編成を余儀なくされているのです。

[…]

(紫上訳455ページ)
。。。オリオンの存在によるもっとも典型的なアプローチでは、あなたがたが優柔不断でどっちつかずな人と呼ぶであろう存在が選ばれています。そういう人たちの間であれば、オリオン哲学が期待以上に広がる可能性があるからです。

なかには少数ですが、あなたがたの空間/時間結合体に暮らすもっとも高度なネガティブな極性をもつ存在から要請を受けたオリオンの存在もいます。そうした場合には、まさに今私たちがやっているような情報の分かち合いが行われます。しかし、これはオリオンの存在にとってリスクにもなりえます。なぜなら収穫に値するネガティブな地球存在が、地上でのネガティブな接触や交渉においてとまったく同じ波動でもって、オリオンとの交渉においても指図や命令をしようとするからです。

その結果起きてくる主導権争いに、万一オリオン・グループが負けた場合、それは彼らの極性にとって大きなダメージになります。

同様に、オリオン・グループが高度にポジティブな極性をもつ存在にあやまってコンタクトしてしまったときも、そうした撲滅運動化たちが見当違いで接触してしまった人間の極性を失わせることのできる場合をのぞいて、オリオンの一団は大混乱に陥る可能性があります。しかし極性をなくすことのできた例というのはまだ聞いたことがないので、オリオン・グループは優柔不断な人間との物理的なコンタクトだけを選んでいるようです。
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ドン・エルキンズ他『ラー文書』紫上はとる訳、セッション25.5以下、53.16
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=69280969


カシオペアンの言葉から:


950723
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=78579524
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Q: (L) OK, 私が身体の痺れを感じた経験で、痺れの原因は何だったの?

A: Yes. 気付きの分離だ。これは人の気付きが完全に1つの思考セクターにフォーカスしてしまう過程と定義される。その結果、他の全てのレベルの気付きが一時的に薄れ、その人の心のリアリティにも、身体のリアリティにも気付くことができなくなるのだ。それで麻痺と呼ばれる印象を受ける。分かったかな?

Q: (L) Yes. どんな刺激を受ける結果、このように全ての気付きが1つにフォーカスするの?

A: 心の働きを一時的に横道に逸らす出来事。

Q: (L) 心の働きをここまで横道に逸らすなんて、どんな出来事?

A: いくらでもある。

Q: (L) 本件の場合は何だったの?

A: 思考センターの戦いによって起こったエネルギーの消失。

Q: (L) どんなエネルギーが消失したの?

A: 2つの対立するリアリティのユニットが交差する時にはいつでも、摩擦と呼びうるものが起きる。これは、あなた方が呼ぶ時間で測りきれないぐらいの間だ。もちろんこれは無であり、生みだされるものも無、すなわち、全ての機能の動きの停止である。これが戦いとして知られるものだ。この間、すなわち、対立する実体が交差する間は常に、時間も無ければ、動きも、転移も、やり取りも見出すことができない。このことを考えてみなさい。注意深く考えなさい。

Q: (L) ということは、私は本質的に無の状態だったの?

A: 無というのは、必ずしも適切な言い方ではない。非流動的存在と言った方がより適切だろう。分かったかな?
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カシオペア文書の他の多くの箇所にも、攻撃や、攻撃に対するブロッキングの議論が出てくる。

メンタル・ブロッキングという概念の核心は、自分の立場および本性を断固として主張するということである。これは多くの形を取るだろう。これは霊的な概念であって、直接的に言い表したり、知覚できるように説明するのは無理なので、日々の対決を例にとって検討したい。

メンタル・ブロッキングという概念の1つの側面は、好奇心や、世界/攻撃者を変えたいという願望、あるいは感情の鉤(かぎ=フック)、自尊心等によって攻撃者の「世界」に引き込まれないようにする、ということである。

もう1つの側面は、心から確信して思い迷わないでいること、である。対決の場面において、攻撃する側は概して、反撃であれ、後退であれ、何らかの反応を期待するものである。こうした状況におけるメンタル・ブロッキングは、無反応あるいは、全く予期されない反応という形を取ることがある。敵の作戦に乗らないで、期待された反応パターンを出し抜くのが狙いだ。

人々との議論や際限ないやり取りに巻き込まれることによっても、人は消耗することがあり、私(=本稿執筆者)が見る限り、影響されないでいることは非常に難しく、少なくとも暗黙のうちに、ゲームのルールを受け入れてしまうのが問題なのである。様々な影響ゲームをプレーする結果、人はFRVないし現実に関する、自己の基本モデルに影響を受けがちなのだ。だから、例えば敵意ある議論に引きずり込むことも攻撃となり得る。これに対するブロッキングとしては、議論への参加を断るという手もあるだろう。

相手側から当方の個人/グループの中に以前から存在していた疑念や分裂につけ込むという攻撃に出られて、ダメージを受けることがしばしばある。このことを認識し、曖昧な態度を取らず、揺さぶりに乗らないのが重要である。「そんなことは知りたくない」というのではメンタル・ブロッキングにならない。攻撃の性質や内容も含めて全てを知ることが、世界を客観的に見る上で大事なのだ。だがそれらを知った上で、同じ議論に再び参加するのを断り、既に理解し対処済みだとして、この話題を一まとめに拒絶するというのはありだろう。

対決を拒否することが常に妥当な戦略であるとは限らない。例えば、真実を隠しても(不当な言いがかりから)守ることはできない。ではどうしたらいいだろうか?あらゆる状況に当てはまるような決まったルールを示すのは不可能だが、このような疑問についての回答を試みれば、妥当な行動が分かるかどうかは、関連する、より深いダイナミズムを理解できるか次第である、ということは言えるだろう。そもそも誰も関心を持って居ないのに、真実を守ろうとしても単なる時間の無駄だが、これに対して、受け入れられる可能性があるのなら、(不当な言いがかりから)真実を擁護しようと反論することは、議論の参加者に対する奉仕となり得るのである。

特別な種類の知識は、それ自体が守りの1形態であるようだ。この戦いは人の「魂」ないしFRVに関わるものであるがゆえに、地面に円を描いて、その場を断固として譲らないことが先制攻撃たりうるかも知れない。人間の知識は、決して絶対でもなければ完全でもない。だが、それを適用した上で行った選択を通じて得た知識は、違った質のものになるだろう。情報はコミットメントのプロセスによって、存在に変換される。メンタル・ブロッキングは、「信仰」の問題というよりはむしろ、選択を断固として主張するという問題だが、これもまた攻撃に直面しての策なのだ。攻撃する側は攻撃的な反応(=反撃)を予測するだろうが、これは一般的に攻撃的なスタンスではない。

グループで行動することが、プロセスにとって重要だろう。個人の場合、立場を守り続ける結果疲弊するだろうし、またグループならば、個人の場合よりずっと効率的に「高次のエネルギー」にフォーカスできるだろう。これは烏合の衆の心理には当てはまらないが、目的を持って結合した強いグループには当てはまる。孤立した個人が行う思考/知覚の態様は、攻撃側に合わせて容易にシフトしがちであり、この結果攻撃される側のSTOとの連携は損なわれてしまう。

ここで言っているのは、敵対する双方が思考および反応において、似た性質/態様をしている物理的ないし3D的な意味での戦いのことではない。3Dの戦争では、戦術の詳細がどうだろうと、また戦況が不均衡だろうと、戦いの両陣営は互いに似たようなゲームをプレイしているだろう。

メンタル・ブロッキングの場合、重要なのは当方自身の性質を維持することであって、攻撃側のそれを採用することではない。これは物質的な3Dにおける戦いには必ずしも当てはまらない。上位密度が関与する状況においては、人のFRV、すなわちSTO/STS軸という意味合いでの極性は、その人の強さおよび、その人が占める領域を決定すると考えていいだろう。その人が選んだ極性から逸れるのは負けを意味する。双方が異なった特性によって自然に離れたままなら、時として戦いは「にらみ合い」となるかも知れないし、全く起こらないかも知れない。

修道院の伝承を伝える神秘主義的著作には、修道士に対して霊が攻撃してきた場合に取られる、メンタル・ブロッキングに似た方法が述べられている。悪魔は混乱させようとして、媚びへつらったり、絶望させようとしたりを交互に行う。この際に行われる防御は、説得したり、交戦したりするものではなく、むしろ、誘惑や気遣いの言葉には耳を貸さず、それらの言葉を悪魔が吐くのと同じタイミングで、自分は弱いと認めつつ、それでも断固として譲らずに神に感謝し、神を讃えるというものである。霊に対して話しかけてはいけないという一般的なアドバイスは、これと関係がある。
posted by たカシー at 12:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする