2017年10月08日

CassWiki:人類の落下

CassWiki:人類の落下
https://thecasswiki.net/index.php?title=Fall_of_man


かつて人類に何らかの大惨事 ― すなわち、より良い存在状態/状況からの落下 ― が起きたという考えは、世界じゅうのほぼ全ての神話や宗教に見ることができる。本項では、このテーマの様々な演出を比較して、現在も下されたままのエソテリックな判定に関する結論を導き出してみたい。

比較的決まったテーマが一緒に組み合わせで起こるという意味で、「落下症候群」というものを語ることができよう。落下の元型/症候群は、様々なレベルと規模で見られる。共通する要素としては、何らかのミスか世間知らずの結果、人間が理想的な存在状態を失うということだ。これは一方で落下後の生を厳しいものにするのであるが、その一方で学びの機会を提供するものである。

エドガー・ケイシーは、霊は感覚に病みつきになるせいで、徐々に物理体に捕われて行くと言う。これは人間に限ったことではなく、第2密度に属する種の集合魂にも言えることだと、ケイシーは見る。

ルドルフ・シュタイナーは人類の長きに亘るエソテリックな歴史を提示している。シュタイナーによれば、人類は基本的に時代を経るに従って神々の世界との断絶が進み、受肉する物理体の物質性が高まったのだという。たとえば、アトランティス時代には、人間の意識と潜在意識との間に障壁は無く、死後=転生前の状態にある人々と、転生受肉した状態の人々とが自由にコミュニケートできたのであって、人間の身体はまだ固まっていなかった。ある意味でシュタイナーの宇宙進化論の殆どを占めるのが、物質への落下というテーマなのだ。これは必要なことであった。というのも、純粋に霊的な状態のままでは学びの十分な機会が得られなかったろうからである。しかし、物質性という学校は果てしなく続くものではなく、人間のような物質的存在から既に卒業済みのグループも確かに存在しているのである。

聖書にいわゆるルシファーの天上からの落下や、グノーシス主義における慈悲深い神とデミウルゴスの峻別もまた、この一般的なパターンに当てはまる。

神話やエソテリックな文献において落下症候群が起きる他の例では、これは学びのために霊が物質性を経験するという一般的な考え方とは全く別の、特殊かつ突然の出来事として描かれている。たしかにこれらは共通するテーマを述べているのだが、我々が扱っているのはおそらく、2つの異なるプロセスなのだろう。まず、物理体の出現(=受肉)があって、そのずっと後に、人間だけが経験する(=学び)、何らかのエデンの園=楽園喪失が起こるのである。

エデンの園からの落下についての聖書の説明が、最もよく知られている例だが、これは、もっと大昔からあった概念に「コントロールシステム」がかけた政治的なスピンを反映したものに違いない。

落下に関するカシオペアンの観方では、
http://takapachi1962.seesaa.net/article/370601549.html
最初に「一者と合一」していた集合魂があったのだが、これがより速い学びのために、集合的に物質性=受肉を経験することに決めたのである。そして、一部の者たちは人間の物理体の形で、第4密度の他者に奉仕する(STO)存在たちとコンタクトして暮らすことにした。この後者のグループが、第4密度の自己に奉仕する(STS)実体から、第3密度における自己への奉仕(STS)を経験しないかと誘惑されたのである。我々がここで語っているのは、おそらく別々の2つの出来事だろう。3D STSへの落下が起きたのは、前回ザ・ウェイブが通過した、およそ30万9千年前のことであり、この時には、彗星が衝突するという天変地異が同時に起こった。この影響で幾つかのことが起きたのだが、そうしたものとしては、DNAの大部分の不活性化と暗号化、霊能力の徹底的な喪失、基本的に捕食的でコントロールを指向したマインドセットの獲得、より強烈な肉体的感覚の体験が挙げられる。セックス性もまた、両性を大いに区別した生活中心になるという意味で、おそらくはこれに関係がある。

カシオペアンによれば、知識の樹の実が表しているのは、何にも勝る権威として、ただ1つの知識源を受け入れる考え方だという。

ゲオルギイ・グルジェフによる物語は幾分違っていて、過ちがおこったのは人類のためではなく、生命・宇宙の設計者のためだという。月が地球から分離してしまい、この状況を正すには、人類が新しいタイプの振動を生み出すことが必要となったのである。ここに至って、ある特殊な「クンダバファー」という器官が人間の体内に埋め込まれ、その影響で人間は宇宙を主観的に見るようになり、何事も快楽と感じるようになったのである。宇宙にとって必要なこの仕事を、自分達の運命を悟った人間が拒絶して振動が減少することのないように、人間の感覚と理性を麻痺させる必要があったのだ。

カルロス・カスタネダもまた、遥か大昔に大いなる喪失があったのだと書いている。宇宙の深奥からやって来た捕食者が地球を乗っ取った上で、人間をうまく支配できるよう、捕食者の心を人間に与えて、霊的食料を得るための家畜のように利用しているのだという。

ボリス・ムラヴィエフは落下について、キリスト教の用語を多用しつつ語っているが、彼の説明は創世記の記述よりも遥かに具体的である。落下に関係があるのは、いわゆるアダム的人間だけだという。人類には2種類があり、生物学的にも心理学的にも見分けがつかない。アダム以前の人間は、生物学的進化の結果生まれた種族であり、動物王国に属する種に少々似ていて、集合魂を持っている。これとは対照的に、アダム的人間はいわゆるアダムの園の状態を知っている。これはカシオペアンが論じる、落下以前の状態に匹敵するものだろう。落下の結果、アダム的人間は高次のセンターとの繋がりを剥ぎとられ、心や身体から切り離された、個別化した魂が彼らには残された。そこで、彼らにとってのワークの狙いは、これらと再び繋がり、それによって落下前の状態を取り戻すこととなった。

シュメールの神話では、人間は異界のマスターのための奴隷種族として創造されたとされる。落下自体も無ければ、人類による意思決定もなく、創造されたという出来事だけがある。

北欧(ノルディック)他の神話には、天上で使われている挽き臼の例え話が出てくるようである。この臼が臼杭、すなわち北極星を軸に回転する。歳差のせいで北極星の位置は徐々にシフトする。伝説によると、最初のうち臼は盛んに回り、多くの穀物を挽いていたのだが、やがて塩が、次には石や砂が挽かれるようになり、やがて蝶番が外れて海中に落ちてしまう。これは、地球の自転軸が、もはや軌道面=黄道とは垂直でないことを言っているのだと解釈できよう。ちなみに、カシオペアンによると、かつて黄道と直交していた自転軸は、(徐々にシフトしているが)将来的には元の状態に戻るという。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=29383456

ヒンドゥー教に出てくる4つのユガもまた、宇宙の悪化を表わすものである。ヒンドゥー教の黄金時代であるカリ・ユガには、人間は双子として創造され、各ペアが人生の終わりを迎えると、同じ双子のペアを産んだという。人間のニーズは自然に満たされ、善行と意志の不一致は無かった。

以上の概略から、幾つかのテーマを抽出することができる:

・太古の状態についての説明は、宇宙の周期的モデルを示している。旧約聖書の創世記は、この考え方から逸脱する典型的なものである。

・自然の天変地異が落下のテーマに関連して起きている。地球の自転軸が傾いて行くことも述べられるが、解釈は実に様々である。

・性と生殖に関する変化もしばしば落下に関連付けられる。創世記が述べる産みの苦しみや、ヒンドゥー教の黄金時代における単為生殖、ムラヴィエフが述べた生殖義務への束縛、カシオペアンがほのめかした、落下以前の生殖は違っていたという事実。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=27863170
(※なお、「落下前の、両性具有」)
http://takapachi1962.seesaa.net/article/357330338.html
これらはいずれも、この方向を指し示している。女性が堕落したという非難は後から付け加えられたもののようであり、唯一の支配的な男神という概念や、リニアな時間と最後の審判という教義の押し付けもまた同様のツイストだった。

・プラトンによる、人間はもともと背中合わせの一体だったが男と女に切り離された、という考え方(『饗宴』)、ヒンドゥー教の双子の概念、ムラヴィエフのポーラー・オポジッツの概念、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=59256344
聖書のアダムとイブが元は1つの肉体だったこと。これらはいずれも、両性が元は1つだったのにその状態が失われたことを反映している。

落下の元型は宇宙から惑星、国家から個人に至る、多くの規模で顕現している。それでも、伝承や、もっと最近のエソテリックなソースはいずれも、人類特有の里程標的出来事を指し示しているのだ。
posted by たカシー at 11:03| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月07日

CassWiki:第5密度

CassWiki:第5密度
https://thecasswiki.net/index.php?title=Fifth_density


密度の諸段階のうちの第5密度は非物質的存在の状態であり、そこには生と生の間の時期にあって転生をひかえた、第1から第4密度の実体が存在している。第5密度はまた、「リサイクリング・ゾーン」(960622他)とも呼ばれる。

ラーは第5密度について、最初の非物質的密度あるいは「叡智の密度」(『ラー文書』紫上訳437ページ)であって、この密度において初めて、思考が物質的な制約を受けずに現実を創造するのだと述べる。

カシオペアンとの交信録を読んでみると同じ第5密度に居る存在でも、「生と生の間の」段階にある存在と、第5密度(ネイティブ)の魂を区別する必要があるように思われる。後者に該当するのは、第4密度からも卒業済みで、もはやそこに転生して戻る必要のない(第6密度に行く前の)魂である(960622)。
http://takapachi1962.seesaa.net/article/304222353.html

本項のテーマは、我々が直接に知り得る手段を超えている。だが、(シーズ情報を)転生や死後の世界に関する他の文献と比較することで、幾らか概括的な推論を行うことができよう。

ある魂が概ね達成できた発達レベルに相応の密度に転生することは、更なる進歩を成し遂げるための必要手段である。転生という方法によってしか、必要不可欠な所定の学びを教わることはできないらしい。この考え方は、カシオペアンからルドルフ・シュタイナーに至る文献におしなべて例外なく見られる。

ラーが説明するところによると、転生を繰り返す魂の経験は「空間/時間(space/time)」と「時間/空間(time/space)」という対等な部分から成っている。
(※セッション41.19参照)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=3609063&id=65096395
http://www.treeman9621.com/RaN_2016/RaN301/RaN301.html
「空間/時間」は、受肉している生に相当し、空間中で運動を行うが、時間の流れをコントロールすることはできない。「時間/空間」は生と生の間の熟慮期間に相当し、時間の流れを自由に移動できるが、少なくとも第3密度の魂にとっては、空間に影響を与える手段は無いという。

シュタイナーの説明によると、<死から次の再生>までの、自我がアストラル界で過ごす期間は、物質界での生が物質に基礎を置くのと同様に、思考に基礎を置くという。受肉した存在にとって、時間は未来へと流れるが、死の直後は時間の流れが逆になるのである。これはシュタイナー思想の全般的な観方なのだが、霊とは未来から過去に物質の進化を知らせに来ているガイドであり、他方、物質も過去から未来に会いに来ている。各瞬間における人の意識とは、反対方向に向かう2つの流れが出会う交差点のようなものであるという。シュタイナーはアストラル界において、前生での経験がまるで鏡に映ったように、逆の順序で起きて行く様子を詳述している。「<地上の>人生を、<地上から離れた>ところから見ることによって、初めてその意味が、全体として、理解される。。。というのである」(『シュタイナー入門』講談社現代新書1458、西平 直/著、132ページ)。

カシオペアンは第5密度が時間を超越した世界である、と述べる。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=48628863
ということは、各生の間の状態は、いずれも同時に起こっているのだろう。この熟慮期間があっという間か、それとも永遠かというのは、おそらく観方次第である。第5密度は可能な生が全て揃ったショールームみたいなものなのかも知れないが、それは、教化の可能性は学びに適切な密度から得られるということに気付いた人にとってだけだろう。

各存在同士ないし存在の経験相互の距離だが、事は純粋な思考の問題だろうから、類似性がものさしとなろう。このため、人格が分裂し、あるいは矛盾に満ちた存在、すなわち、自分に似ていない存在を見ても、それが同じ自分だと認識できないかも知れない。と言う訳で、「生と生の間の状態」相互の類似性を測定することで、転生のタイムラインというものを語ることができよう。この結果、一連の生が繋がっているようなこともあれば、魂が大いに変化して別々のタイムラインとみなされることもあるだろう。

臨死体験 − こうした体験の多くにおいては、脳機能が停止している − として報告される内容を比べてみるとそれぞれが幾分の独自性を帯びていて、そうした報告毎に述べられている生と生の間の状態の特徴を比較することができる。その結果共通の特徴と思われるのは、臨死体験の内容が、死にかけた人の信念体系/信仰に一致するということである。例えば、多くの人はイエスに会ってきたと説明する。光に向かって行ったとか、トンネルを通過したというのも、幾分共通的な特徴である。

こうした人々の心はおそらく、親しみ馴染んだ概念を中心に体験内容を築き上げるのであろう。そしてまたおそらく、これはシュタイナーが「知覚したものを思考し概念化する作業を繰り返し行うことによって、よりそのものの本質に近づくことができる」
http://higuchi08.exblog.jp/5190493/
と述べている状態なのだろう。すなわち、距離的に近いと情報は似てくるのである。だからこそ、(先立たれた)近親者と臨死体験中に出会ったという報告が数多く寄せられるのだろうし、同じ仲間同士が繰り返し転生して来るという、しばしば述べられる考え方もこれで説明できよう。

第5密度に来た人が、魂のそれまでの遍歴のまとまり度合いを振り返った結果は、彼がそこでどれぐらいワークし、学び、あるいは計画を練るかに影響するだろう。次の生が、カルマの法則に全く機械的に従ったものとなるか、それとも大体は意図した人生設計通りとなるかは、第5密度での過ごし方次第なのだ。
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2017年10月05日

CassWiki:第4密度のブリードスルー

CassWiki:第4密度のブリードスルー
https://thecasswiki.net/index.php?title=Fourth_density_bleedthrough&stable=1


カシオペアン文書で言われる「第4密度のブリードスルー(=滲んで染み透る)」とは、様々な変則的知覚/作用のことである。これは、ある時、ある場所で、第3密度と第4密度の境界が薄くなり、自然の知覚や法則が幾分流動的になるという概念である。

このような変則的な身体の感覚の例としては、体温計の数字としては表示されない熱や、同時に全ての角度から物が見える体験、フェードインしたりフェードアウトしたりする複数のリアリティが見えること、等々がある。第3密度の特定の場所で、第4密度の存在による活動が繰り返される結果、ブリードスルーは嵩じるようである。カシオペアンによれば、ブリードスルーは時として、ニューメキシコ州にあるような、第4密度の存在が詰めている地下基地で起こるという。
(※951104
---
A: ニュー・メキシコ一帯は永久に第4密度に移行しようとしている!

Q: (L) OK...

A: 基地があるせいだ。

Q: (L) それじゃあつまり、歪んだ経路を幾つか通って、他の密度をくぐり抜けて基地が移動しているという噂は本質的に幾分正しかったんだわ。。。

(J) 連中も第3密度に基地を持つ必要があるからよ!

(LAURA ) 連中は基地をパリやワシントン、ブエノスアイレスに移しているだけではなく、第4密度にも移してるのね。

A: 近い。だが、基地は既にそれらの場所に存在している。基地を抱えた地域に同情しなさい。そうした場所ではどうしてUFOの活動が頻繁に目撃されるのだろうか!

Q: (L) 地域全体が第4密度に移るときにはどう見ても、3Dから姿を消すだろうってこと?

A: No.

Q: (T) OK, それじゃあ、キミたちがさっき訊いた質問の答えを頼むよ。どうしてUFOの活動が多く見られるんだろう?

A: ブリードスルーだ。
--- ※※)

ブリードスルーはまた、チャネリングや第4密度の自己に奉仕する(STS)存在によるアブダクション、その他の事の副作用としても起こるようである。

P.D.ウスペンスキーが述べているように、「法則をつくりだした意志そのものによる法則の侵犯という意味で奇蹟を考えることは。。。(宇宙/自然の)意志という概念。。。に反する。。。<奇蹟>は、この世界における他の世界の法則の顕現なのだ」(『奇蹟を求めて』浅井訳141ページ)。もし神が平気で自然法則を無効にするならば、そのような法則を作ること自体、最初からあまり意味が無いことになるだろう。しかしだからといって、上位世界の法則が我々の世界に顕現するケースがあり得ないという訳ではない。
posted by たカシー at 14:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする