2017年09月10日

CassWiki:良心

CassWiki:良心
https://thecasswiki.net/index.php?title=Conscience


手元にある辞書から「良心」の定義を引いてみる:
http://www.thefreedictionary.com/on+conscience


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自分の行動の道徳的ないし倫理的側面に対する気付き。また、悪よりも善を選好したいという衝動に駆られること:(例)「良心に従いなさい」
http://gifted.hatenadiary.com/entry/2017/06/28/193019
http://tower.jp/article/feature/2009/05/07/100036633/100036634/100036635

道徳的ないし倫理的判断あるいは宣言の元:(例)国家の良心の役割を果たす文書

自分が正しい行いをしているという感覚に従うこと:(例)不断に良心に従う人物

精神分析学においては、自己の行動および思考の倫理性について判断し、その結果を自我に伝えて考慮を促す超自我の一部。
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『奇蹟を求めて』の中で、P.D.ウスペンスキーは良心について、以下のように述べている:


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(浅井訳252ページ)
通常の生活では<良心>という概念は簡単に考えられすぎている。まるで我々が良心をもっているかのように。実際は、感情の領域における<良心>の概念は、知性の領域における<意識>の概念と等価なのだ。そして我々は意識をもっていないのと同様良心ももっていないのだ。

意識とは、自分が普段知っているすべてのことの全体を同時に知る状態、また自分の知っていることがいかに少ないか、いかに多くの矛盾がその中にあるかを見ることのできる状態である。

良心とは、自分が普段感じること、あるいは感じうるすべてのことの全体を同時に感じる状態である。ところが、誰もが自分の内に多様な、何千という矛盾した感情 − 自分は無であるという深く隠された認識やあらゆる種類の恐怖から、最もばかげた種類の自己欺瞞、自信、自己満足、自己讃美に至る感情をもっているために、これらすべてを一緒に感じることは苦痛なだけでなく、文字通り耐えがたいのだ。

もし、その内的世界全体が矛盾から成り立っている人が、突然これらの全矛盾を自己の内部で同時に感じるとしたら、またもし、自分の憎んでいるものすべてを愛しており、愛しているものすべてを憎んでいると急に感じるとしたら、あるいは真実を話しているときにうそをついているとか、うそをついているときに真実を話しているとか感じるとしたら、またもし、このことすべてから生じる恥ずかしさと恐ろしさを感じることができたら、これこそが<良心>と呼ばれる状態なのだ。人はこんな状態で生きることはできない。彼は矛盾を破壊するか、もしくは良心を破壊するかしなければならない。良心は破壊することはできないが、眠りこませることはできる。つまり、自己に対する1つの感情を突き破れない障壁によって他の感情から切り離し、決してそれらを一緒には見ないように、あるいはそれらが両立しがたいことを、すなわち1つの感情がもう1つの感情と一緒に存在することの不条理さを感じないようにすることはできるのだ。
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殆ど全ての論客は、人間が1個の完成された実体であるかのように語る。だが、そんなことは滅多に無いというのが、第4の道の認識である。TSエリオットは、『四つの四重奏曲』の中で、「人間はあまりに多くの現実には向き合うことができない」と述べている(※邦訳書未参照)。これもまた、良心のゆえである。例え全ての<緩衝器>を即座に雲散霧消させることが可能だとしても、それだけで人間が完全に機能する全一となることはないだろう。そうなったと納得できるようになるにはまず、真の<私>が強化され打ち建てられねばならないのだ。このようなプロセスは徐々に進行するのであり、それと並行して人は全一となって行くのである。

『ベルゼバブの孫への話』の中の様々な個所で、ゲオルギイ・グルジェフは良心について論じている。以下に引用するのは、国際連盟に言及しつつ、人類は戦争を止めようと試みつつも必ず失敗に終わるというテーマを扱った箇所である。


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(浅井訳652ページ)
最後の滞在の時に観察してみた結果、客観理性をもった人間たちがこういった協会に加わらないのは次のような理由からだということが判明した。要するに、どんな協会でも、それに加わるには必ず重要人物でなくてはならず、またそういう人間だけが、これも例によって異常な生存状態のために、多額の金をもっているか、あるいは他の人間たちの間でいわゆる<有名>になっている。

特に近年では、あの聖なる機能、つまり<良心>というものが完全に欠如している者たちだけが有名になり重要人物になる。そして、人間の中のこの聖なる機能は、一般的にいって常に、客観理性をあらわすものすべて、および客観理性そのものと関連しており、それゆえ当然、この客観理性をもった3脳生物は常に良心(を)もっており、その結果、良心をもった人間は決して<重要>人物にはならないのだ。

そういうわけで、純粋理性をもった人間には、重要人物や権力者たちが作った協会に加わる可能性は全くないし、これからも絶対にないだろう。
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posted by たカシー at 11:43| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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