2017年07月23日

1977年の今日(7月20日)、CIAのマインドコントロール・プロジェクトであるMKウルトラが公知となった

SOTT パペットマスター


1977年の今日(7月20日)、CIAのマインドコントロール・プロジェクトであるMKウルトラが公知となった
https://sott.net/en356926


スプートニク
2017年7月20日

(※脳の絵)
c CC0 / Pixabay

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SOTT編集部コメント:アメリカ政府が自国民に対するマインドコントロールを企て実行していた秘密のプログラムについて、同国民が気付いてから丁度40年が経過したので、この「例外的な国」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E4%BE%8B%E5%A4%96%E4%B8%BB%E7%BE%A9
が自国民に対して一体何をやり遂げたか振り返るのも有益だろう。
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「MKウルトラ計画」とは、マインドコントロールの研究を行っていたアメリカ中央情報局(CIA)が実行した、違法な人体実験プログラムのコードネームである。1975年にチャーチ委員会
https://blogs.yahoo.co.jp/ino_medaka/33995117.html
が行った公聴会によって、本計画の内容は暴かれ、そして、情報公開法に基づく請求の結果、1977年7月20日、隠蔽されていた2万件の関連文書が公になったのだ。

MKウルトラの前身は、統合諜報対象局(1945年設立)によるペーパークリップ作戦である。ペーパークリップ作戦とは、かつてナチスに関与した科学者を秘密裏にアメリカに移住させるというものだった。
https://sputniknews.com/art_living/201704201052817424-psychedelic-drugs-consciousness-study/
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=66977384
マインドコントロールの研究を含む、ナチスが行った非倫理的な人体実験に基づく膨大な文書を武器に、精神操作および行動変容に関係する数多くの軍事プログラムが始まった − チャーター計画、
https://blogs.yahoo.co.jp/ino_medaka/34030001.html
ブルーバード計画、アーティチョーク・プロジェクト(朝鮮アザミ作戦)等である。

元化学者だったシドニー・ゴットリーブ博士
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=82642871
の指揮の下、1953年4月にMKウルトラは始められた − 命じたのは当時のCIA長官アレン・ウェルシュ・ダレスだった。

秘密裏に進められていた内容とは裏腹に、本プログラムの目的についてCIAは公には、朝鮮戦争で捕虜となった国連軍兵士に対して、中国、北朝鮮およびソ連軍がマインドコントロール・テクニックを使った例が見受けられたのに対処するためだと主張した。

CIAの実際の狙いは、尋問の際の利用に適した自白剤を作り、マインドコントロールに使えないか― 外国の指導者をコントロールし暗殺することも視野に −、その可能性を探ることだった。

その後の20年間、CIAは ― 米軍化学部隊特殊作戦大隊と共同で ―、一連の違法行為を行った。

最も論議を呼んだのは、被験者に知らせないまま、精神状態や脳機能を操作するための数多くのテクニックを使ったことだった。すなわち、LSDのような薬物の投与、催眠、感覚遮断、隔離、暴言、性的虐待、そして様々な拷問テクニックである。

1955年に作成された文書によれば、実験に用いられた物質が本プロジェクトのスコープを示しているという。
https://web.archive.org/web/20071128230208/http:/www.arts.rpi.edu/~pellr/lansberry/mkultra.pdf
そのような薬品は;「被験者を、公衆の面前で信用を失うくらい非論理的に思考させ、衝動的に行動させるもので」;犠牲者は老けるのが早くなり;アルコールを飲んだようになり;病気と分かる症状を呈した;すなわち、一時的/恒久的な脳障害や記憶喪失;特定の出来事についての記憶喪失;長時間に及ぶショックと混乱;身体の無力化(例えば、麻痺状態);人格構造の改変;精神的混乱;視覚/聴覚の衰弱/歪みである。

しかし、プログラムの中では、やがてLSDが専ら用いられるようになる。典型的には、インフォームド・コンセント無しに ― ニュルンベルク綱領違反である −
http://www.med.kyushu-u.ac.jp/recnet_fukuoka/houki-rinri/nuremberg.html
精神病患者や囚人、薬物中毒者、売春婦(あるCIA高官は彼らを「抵抗できない人々」と呼んだ)に投与して、反応を研究したのである。
https://history.nih.gov/research/downloads/nuremberg.pdf

LSDはまた、CIAのメンバーや兵士、医師、政府職員にも投与された。

あるケースでは、ケンタッキー州の精神病患者に対して連続174日間、この幻覚剤が投与された。

別のケースでは、CIAはカリフォルニア州サンフランシスコに数件の売春宿を仕掛け、客にLSDを投与して、反応経過をマジックミラー越しに観察し、フィルムに収めた。犠牲者が体験内容について他人と議論しないこと請け合いということで、売春宿が選ばれたのだった。

だが通常、被験者は明るいライトの下で問診され、医師は筆記した。LSDを投与されたCIAの情報部員は「労災」認定されたと言われている。

このような活動の結果、死者も複数出たと報じられている ― 最も悪名高いのが、軍の科学者だった、フランク・オルソンのケースで、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=82642871
知らぬままLSDを投与された彼は、深い抑鬱状態に陥り、ニューヨークのペンシルバニア・ホテルの13階の窓から転落死したのである。

公式には自殺と判定されていたが、1994年に解剖が行われた結果、彼が転落死した当日および数日前の状況から自殺は「全くもって」考えにくいとされたのである。

こうした茶番にもかかわらずゴットリーブ博士はLSDを用いた実験を続け、実際には危険なLSDが、違法な秘密活動での使用に理想的だと周囲を信じさせた。効能が一時的なため、高級官僚に投与することで、重要な会合や演説の成り行きに影響を与えることができるというのが、彼の理論だった。

最終的にMKウルトラの調査チームは、投与結果があまりに予測不可能ということでLSDの使用を断念した ― ある情報部員に内緒で投与したところ、通りかかるクルマが皆怪物に見えたために、彼がワシントンじゅうを走り回ったのが、転換点になったと言われる。

いずれにせよ1962年までにCIAと軍部は、LSDの100倍強力だと言われたBZ
https://ja.wikipedia.org/wiki/3-%E3%82%AD%E3%83%8C%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%83%8B%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88
のような超強力な幻覚剤を開発したのだった。
http://pages.uoregon.edu/munno/OregonCourses/REL253F12/REL253Notes/BZStory.htm

本作戦は1973年まで続けられたが、時のCIA長官リチャード・ヘルムズは、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=70997372
ぶっきらぼうに、全実験の停止と関連する全ファイルの破棄を命じた。

彼の動機はウォーターゲート事件だった ― このスキャンダルに続けて、アメリカが秘密裏に行ってきた他の活動も精査されるのを恐れた彼は、このようなCIAの秘密作戦に対して捜査が行われるのを何としても不可能にしたかったのだ。

続けてヘルムズは、1975年のチャーチ委員会による捜査において、本プログラムの存在を認めた― だが、関連文書は焼却済みだったため、委員会は、作戦参加者の宣誓証言に基づく捜査しかできなかった。

にもかかわらず、1977年に提出された情報公開法に基づく請求の結果、本プロジェクトに関連する2万点の文書が明るみに出た。これらは、誤って財政記録を保管する建物の中にファイルされていたのだ。
https://www.cia.gov/library/readingroom/search/site/mk%20ultra
これらの文書は、その年のうちに、上院聴聞会で完全に取り調べられた。
http://www.druglibrary.org/schaffer/history/e1950/mkultra/index.htm

残された文書には本プログラムの破滅的失敗が広範に記録されていたが、元CIA情報部員で、ポリスのドラマーであるスチュワート・コープランドの父親であるマイルス・コープランド(2世)は、
http://yogakutengoku.blog135.fc2.com/blog-entry-784.html
後に、残された文書は「目くらまし」に過ぎず、そこからは本プロジェクトのスコープが「垣間見える」のみだと語っている。

しかも、彼によれば、このプロジェクトが実際に1973年に終わったかは疑わしいという。もっと人目に付かないかたちで、これは今日でも続けられているかも知れないのだ。
posted by たカシー at 06:32| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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