2017年02月16日

ヒーローらしからぬヒーローの大統領:トランプは政治的公正さ(PC)に厳しいポストモダニズムの矛先をどうやって相手自身に向けたか

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ヒーローらしからぬヒーローの大統領:トランプは政治的公正さ(PC)に厳しいポストモダニズムの矛先をどうやって相手自身に向けたか
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デビッド・アーンスト
ザ・フェデラリスト
2017年1月23日


もし政治というものが、上部にある文化から流れ出るものだとしたら、政治家がその役割を習得するのは単に時間の問題である。あなたがドナルド・トランプを好きだろうと、嫌いだろうと、彼は暗号を解読した。

『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』主人公のトニー・ソプラノ、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%8E%E3%82%BA_%E5%93%80%E6%84%81%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%A2
『ブレイキング・バッド』主人公のウォルター・ホワイト、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%89
『ハウス・オブ・カード 野望の階段』主人公のフランク・アンダーウッドは、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89_%E9%87%8E%E6%9C%9B%E3%81%AE%E9%9A%8E%E6%AE%B5
それぞれのやり方で複雑な悪党になりきった、最近の非常に有名なキャラクターの例だが、いずれも何百万というアメリカ人を魅了している。

ヒーローらしからぬヒーローは、昔から西部劇やギャング映画、犯罪ドラマに欠かせぬ存在である。『スカーフェイス』でアル・パチーノが演じた、マイアミの麻薬王として君臨するトニー・モンタナが適例だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%82%B9_(%E6%98%A0%E7%94%BB)
この映画の主人公トニーは、やがて落ち目になり、マイアミの会員制カントリークラブで妻とひどい喧嘩をする。彼女はゴルフに来ていた、正装をした大勢のワスプ(アングロサクソン系白人新教徒)が口もきけない程驚いている前で、夫が殺人者で、ヤクの売人であり、まともな父親など務まらないと大声で咎めて、彼を公然とさらし者にしたのだ。

もしトニーが古典的なヒーローだったら、これは道徳的審判の始まりであり、彼は後悔に明け暮れたことだろう。だがこれは『スカーフェイス』であり、トニーはヒーローなどではないから、上流社会の犯罪者だと公然と暴露されたのに応えて、聴衆の方に鏡を向けて、彼らを叱りつけるのである:
https://www.youtube.com/watch?v=dW37AGZ0Pj0


---
あんたら、何を見てるんだ?あんたらなんか、忌々しい間抜けどもだ。なぜか分かるか?あんたらには、なりたい者になる勇気がないからだ。あんたらには、俺のような人間が必要なんだ。俺のような人間が必要だからこそ、あんたらは忌々しい指で俺を指して、「あれは悪党だ」と言うんだ。あんたらはどうなんだ?善人だって?善人じゃないさ。隠れて嘘をつく方法を知ってるだけさ。俺には、そんな問題はない。俺はいつだって本当のことを言ってるんだ。嘘をつくときだってな。それじゃあ、悪党におやすみを言いな!さあ。言っておくが、あんたらはこんな悪党に出会うことはもうないだろうよ。
---


犯罪者が切望するのを犯罪者ではない裕福な人々が黙って聞いているというのは、目新しいテーマではない。とは言うものの、オリバー・ストーンが脚本を書いていることを考えると、トニーの大言壮語は、競争が激しく、資本主義的な、レーガン時代の、いわゆる「上品な」アメリカ人たちの偽善を評したものだろう。彼らは実質的にトニーと変わらないのだ。これらの裕福なマイアミ人タイプは、トニーのような人間と関わりになっているのを見られたくないのだが、そのくせ彼らは、自分達がコカイン・ビジネスで裕福になったのであり、自分達の多くが彼のコカインをおそらく濫用していることを十分知っているのだ。

それではトニーの目から見た場合、まともであるとはどういう意味だろうか?「まともさ」のモデルと思われる人々にはまるでそれが備わってないのだから。この人々にとって、道徳的な悔恨の表れとは、道徳的な悔恨ゆえの、ゆがんだ見せ掛けだけのごまかしなのだろうか?そうなることはトニーにとってさえ堕落ではないのだろうか?

トニーはヒーローでも悪党でもない:彼はヒーローらしからぬヒーローなのだ。あなたはおそらく、彼を応援しているなどとは認めないだろうが、取り澄ました偽善者(と思われる人)たちに対して、彼がひどい仕打ちをするのを、あなたが楽しんで観たのだとすると、あなたは応援していたのだろう。確かに彼は、彼の妻が言う通りの人間だが、正直にそうだと認める根性が、彼にはあるのだ。


ドナルド・トランプ。政界のヒーローらしからぬヒーロー

1月20日の就任演説でトランプは、このシーンを再現した。「既存の勢力」の「勝利は皆さんの勝利ではありませんでした」と述べて、支配階級に宣戦布告したのだ。
http://thefederalist.com/2017/01/20/heres-the-full-transcript-of-donald-trumps-inauguration-speech/
http://thefederalist.com/2017/01/20/trumps-inauguration-speech-declaration-war-ruling-class/
「彼らが首都で祝っている一方で、闘っている国中の家族たちを祝うことはほとんどありませんでした」
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170121/k10010847631000.html

彼は、大統領選の数日前に開かれた「アル・スミス記念財団晩餐会」で、これとそっくりなビックリ仰天のパフォーマンスを演じていた。
https://www.youtube.com/watch?v=NnRVAzFa6Og
ヒラリー・クリントンをだしにしたジョークにブーイングが起こると、彼は会場の人々に対してあからさまに中指を突き立てた。冒頭の挨拶での彼の言葉をよく見てもらいたい:


---
そして、この場にいる皆さんにご挨拶申し上げます。とても長い間、私と知り合いで、私のことを愛してくれています。本当です。政治家の皆さん、自宅に招待してくれましたね。子供たちに私を紹介してくれました。たいていは友達になれました。子供たちは私のサポートを求めていたのです。そしていつもお金を欲しがりました。親しげに私を呼びました。「やぁ、元気?」ってな具合でね。ですが、私が共和党から大統領選に出馬すると、突然「ダメ人間」「腐ってる」「嫌気がする」「ろくでなし」となったのです。彼らは私のことなどまったく覚えていません。
---
邦訳出所:http://www.huffingtonpost.jp/2016/10/23/trump-speech_n_12614300.html


言い換えればこうだ:「たとえ私が、ダメ人間で、腐ってる、嫌気がする、ろくでなしだったとして、それがあなたたちにどう関係するというんだ?少なくとも私は上品なフリはしない;ところが、あなたたちときたら、厚かましくも、私よりずっとまともだというフリをしている。初めから私が、あなたたちにとって標準的な上品さレベルで振る舞おうと悩んでいたら、あなたたちは私に軽蔑的な扱いをしなかったなどという、架空の話は抜きにしよう。そんなことは上品さ自体とは何の関係もなく、全ては権力次第だと認めようじゃないか。あなたたちは自分たちが道徳的に優れているとずうずうしくも思っているが、それは自分勝手な、真っ赤な嘘だ。あなたたちがほらばかり吹いていると指摘し続ければ、私は大統領になれるだろう」

多くの人々が、トランプ大統領は、彼が連発した「政治的公正さ(PC)」
http://izumiyayoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2016/11/political-corre.html
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2016/01/pc.php
というまくら言葉の産物だと論じている。これは部分的には正しい。だがむしろ、PCと、トランプのそれに対する反応の両方共が、我々の文化において長きに亘って称揚されてきたポストモダニズムの産物である、というべきだろう:ポストモダニズムは、全ての真実は相対的であり、道徳性とは主観的なものであるという、ニヒリスティックな仮定を持つ。それゆえ、我々の人生に意味を与える、個々人のお気に入りの「物語」はいずれも等しく正しいのであり、検証に値することになる。トニーは聴衆に向かって「俺はいつだって本当のことを言ってるんだ。嘘をつくときだってな」と演説していた。彼というキャラクターは時代を先取りしていたのだ。


ポストモダニズム:善行を試みるのは時間の無駄だ

ポストモダニズムは、我々の文化が真正さに重点を置き、いんちきを軽蔑することの思想的源泉である。結局、この世で唯一正しいと言えるのが、「全ての真理と道徳性とは相対的なものである」ということならば、そうでないと主張する者は、バカか詐欺師なのだ。だから当代においては、ヒーローらしからぬヒーローが人気で、正統派のヒーローは姿を消した。

ヒーローは、伝統的に良いことの象徴であるが、「良い」とされるものが長きに亘って貶められてきた世界においては、ヒーローは『ダドリーの大冒険』
https://www.youtube.com/watch?v=sgUDShPYos8
のダサい主人公のように、あまりにも愚かな人物として描かれる。これとは対照的に、ヒーローらしからぬヒーローは、どんなワルだろうと、持ち前の肝の座ったリアリズムと率直さで、聴衆に好印象を与える。フランク・アンダーウッドは観客との間の第4の壁を突破し、悪だくみを語り掛ける;ウォルター・ホワイトにとっての贖罪の瞬間は、ついに覚せい剤の密売について、妻に打ち明けた時だった。というのも、彼はそうしたかったし、家族には模範人的な態度を取りたくなかったからだ。トニー・ソプラノは、彼が本当は「ゴミ処理コンサルタント」ではないといち早く娘に認めた時、彼女との絆を深めた。ポストモダンの世界では、真正さに勝る美徳はないし、いんちき以上の悪徳はない。

ポストモダニズムはまた、深夜ドラマのコメディアンたちの口達者な冗談の裏に潜む前提の源でもある。彼らは愛国主義や宗教に対して軽蔑的で偏見に満ちた態度を示すものの、いかなる偏見でも感知すれば厳しい意見を言う。これは、『となりのサインフェルド』や、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=81725085
『フィラデルフィアは今日も晴れ』、そして、『アーチャー』のようなおかしなテレビ番組に出てくる、目的を持たない、自己中心的な登場人物たちの殆どの会話のベースラインである。それは偏見に対抗する超偏見であり、コメディアンのエバン・セイットに言わせれば「無差別というカルト」なのだ。

人間の状態を良くするための努力というものを識別してきた数多くの宗教や倫理的思考体系、その他の古代からの伝統とは対照的に、ポストモダニズムは、このような努力こそが人類の失敗の原因だと仮定する。かくしてポストモダニズムは、ただ1つの道徳規範に従う:他の人々が善を意味すると仮定する全てを貶めるべきなのだ。というのも、あるものが、他のものより優れていると信じる結果必然的に、偏見や人間間の反目、不平等が生まれるからだ。

かくして、ミロのビーナスは尿瓶一杯の小便の中に立つ十字架より芸術的ではなくなる;ベートーベンの交響曲は最新のトップ40ヒット曲より深遠ではない;全ての宗教は根本的には同じであり、それら宗教の「穏健な」ポストモダン的追随者の教義は、「共存せよ」というバンパーのステッカーに居心地良く象徴されるのだ。ある意味、これは文化などではなく、他の人々が評価するものを解体する程度でもって成功を測る反文化なのである。


ポストモダニズムは単に偽善的理想主義を隠しているだけだ

ポストモダニズムの信奉者が何も信じず、何にも価値を認めないのだとすれば、この人たちは何も気にかけないのだと結論しても不合理ではあるまい。しかし、このような人々を知っている人ならば、何ごとも真実からかけ離れてはあり得ないことも知っている。むしろ、「無差別というカルト」は、世界をより良い場所にしようという純真な理想主義で満たされており、それが根拠のない偏見に挑む場合には、世界をより良い場所にするのである。他のユートピア的なビジョン同様、ポストモダニズムも人間をその本性とは異質な何かに作り変えようとするのだが、妥協ができないので、偽善や狂信と結び付くのである。

このような偽善は、PC軽視への怒りが選択的に適用されるとき明らかとなる。数多い「攻撃」の不誠実さを示すおそらくベストな例はMSNBCだろう。この局は、アメリカ人の生活の中にある全ての偏見のガードマンをもって自ら任じながら、この局が他人のために設定した基準に従って行動することに繰り返し失敗しているのだ。
http://www.hollywoodreporter.com/live-feed/msnbc-fires-employee-responsible-cheerios-675794
(※MSNBC公式ツイートが下に掲げる「人種差別的な」シリアルのCMを称賛するツイートを行ったため、ツイートを行った従業員がクビになった由

http://mybigappleny.com/2013/06/07/cheerioscontroversialcm/
https://www.youtube.com/watch?v=Z01qH-jqGBY

※筆者の上掲のリンク先記事によれば、ミット・ロムニーの孫(養子)の1人が黒人であることをけなしたということで、MSNBCのキャスターであるメリッサ・ハリス・ペリー
http://jp.vice.com/lifestyle/broadly-meets-melissa-harris-perry
が謝罪したとされています。 ※※)

著しく対照的なのが、ミット・ロムニーの家族が黒人の赤ん坊を養子にしたことを嘲笑しておきながら、直後に涙ながらに謝罪した、コメンテーターのメリッサ・ハリス・ペリーの態度である。恥じるような素振りながら、深く悔いているようでもない:彼女と同僚たちは、ロムニーをからかった時、深く考えもせずに、本当の感情を表してしまったのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=DfCy1nOVK9k
https://www.youtube.com/watch?v=5OpvMvj4beA
でなければ、スターウォーズのダース・ベイダーのキャラクター設定のような些細な事に潜む人種差別主義を暴くようなメリッサ・ハリス・ペリーが、どうしてこんなミスを犯すだろうか?
https://www.youtube.com/watch?v=VDFnrNtqAjo
これから分かるのは、他人のこうした行動に対して示される義憤とは、見せかけだということだ:他の目的のために無理に装われるパフォーマンスなのである。

PC軽視への怒りが選択的なものであることは、2015年の末に、アメリカの大学で沸き起こった最初の抗議行動の1つにおいて鮮明に示された。クレアモント・マッケンナ大学の学部長が、白人でない学生はこの大学にふさわしくないという意味のメールを個人的に送っていたことに抗議するデモの最中に、集まっていた学生たちは、アメリカで人種的偏見に遭った体験について公然と議論していた。
http://www.slate.com/blogs/the_slatest/2015/11/13/claremont_mckenna_dean_resigns_for_don_t_fit_our_mold_email.html
すると、1人の中国人学生が拡声器を手にして、黒人グループから差別を受けた体験を語り始めたのだが、抗議者たちはうんざりした顔で彼女を追い払ってしまったのだ。
https://www.youtube.com/watch?v=A8UTj8lQJhY

彼女が自分の言いたい点をはっきりさせようとしたところ、1人の抗議者が、彼女に拡声器を向けた:「キミは脱線してるよ。いいかい。キミはこの運動の趣旨を見失っている!」 彼女自身の体験にまで議論を拡張してはデモの目標から逸れてしまうということを、この中国人学生は明らかに知らなかったのだ:それはすなわち、大学当局を威圧して、抗議者たちの望むことを行わせることだった。だから彼女は強制的に黙らされてしまったのだ。


ポストモダンに残された唯一のものは権力である

PCの虚偽性にひけを取らないのがその狂信性であり、それは近年、かなり激しさを増している。モジラのCEOに就任したブレンダン・アイク氏がカリフォルニア州の同性婚を禁止する法案(Prop 8)の支持に1000ドル寄付していたことを問題視されて辞職したり、幾つかの大学の学生たちのハロウィーンのコスチュームが不快だといって抗議が爆発したり、本人の性的同一性よりも、生物学的特徴に従ってトイレを使うのを禁じた、幾つかの州法をめぐって論争が起きたりしているのだが、こうした全てが示しているのは、ポストモダンの「無差別というカルト」が成功するほど、死に物狂いになって行く様子である。どうなっているのだろうか?

ポストモダンの人々は、彼らに残された唯一のもの、すなわち権力に最終的な満足を見出す、というのが答えだ。道徳的な優秀性は他人に対する権力の否定できない源泉であり、ポストモダニズムの道徳規範は、この前提を受け入れる誰に対しても、これを手軽に提供する。相手が偏見を持っていると単に仄めかすだけで他人を黙らせられる、このパワーは実に微妙なものであるが、その効き目はいくら強調してもし過ぎということはない。

従って、アメリカ社会がより多様になり、協調的になって行くほど、それにもかかわらず、より多くの人々が至る所で無分別な差別を見かけるようになる。だが、彼らが解体すべき伝統や制度、習慣がネタ切れになって行くと、彼らの怒りに根差したパワーは希薄になって行く。それで、より些細な事に対する道徳的ヒステリーが大きくなるのだ。

2014年頃まで、多くの人々にとってPCは、人々をより敏感にし、礼儀正しくさせる無害な努力だった。チャールズC.W.クックに言わせれば、それは、教会で淑女が行う「舌打ち」のようなものだったのだ。
http://www.nationalreview.com/article/397613/left-realizes-too-late-political-correctness-virus-charles-c-w-cooke
モジラのエピソードや大学の騒動を見て多くの人々はすぐに気付かれるだろう。プライベートでの言動に対する、根拠のないPC軽視への怒りが嵩じる結果、クビにされたり、望むキャリアを断念したり、若者の要求に注意を払い損なった権威ある人物が高慢な鼻を折られたりするのだ。

その信奉者が誰か/何かに自分の行く道の邪魔をさせないことも明らかだろう。PCという怒りのマシンが、あなたの考えの何かが間違っていると判断するや否や、それはあなたの考えや理由づけには何の興味も抱かなくなる:あなたは屈服するか、黙っていなくてはならないのだ。エール大学で抗議する学生が権力を手にしたと気付いたらしい後、彼女と妥協点を見出そうとする苦労を想像してみて欲しい。

https://www.youtube.com/watch?v=7QqgNcktbSA


トランプはポストモダニズムの矛先を相手自身に向けた

こうした状況の全てを見てくると、PCのアジェンダは我慢がならないと思い、自分で考える自由を尊重する人々の頭には、厄介な疑問が湧くことだろう。あなたがどういう理由で何を考えようが、あなたが偏屈だといって懸命に中傷してくる人間に、あなたはどう対応すればいいのだろうか?わざと言葉の意味を変え、真理とは全くもって相対的なものだと主張して、殆ど誰のことも当然のように重大な道徳的誤りを犯していると咎める人間との議論に、どうしたら勝てるというのか?

右翼でポストモダンの、ヒーローらしからぬヒーローを投入するのだ。他のどんな共和党からの大統領候補とも異なり、トランプは直感的にポストモダン文化を理解し、それを利用して、圧倒的な影響をもたらす。

我々が何を言い、何を考えようとも、反対派は我々が悪意に満ち、偏屈だと言って咎めるだろう。彼らに対して、わざわざ別の言い方をして説得を試みたところで何の役に立つだろうか?彼ら自身の相対主義と主観性というルールでプレーし、彼らの根拠のない非難を退け、彼らの一番の泣きどころ ― 偽善者ぶり ― を容赦なく痛打してやるとしよう。何と言っても、真正さに勝る美徳はないし、いんちき以上の悪徳はないのだろうから、わざとらしいPC軽視への怒りを広める人々は極めてひ弱なのだ。

左翼的な立場から非難に抗議して、自分は人種差別主義者でも性差別主義者等でも無いと思った通りを口にするのは、失敗の元である。女性の機会均等について質問を受けたロムニーが、他の言い方で必死に自分の業績を誇示しようとして「女性が一杯つまったバインダー」と発言してどうなったか、思い出されたい。
https://www.washingtonpost.com/blogs/she-the-people/wp/2012/10/17/mitt-romneys-binders-full-of-women/?utm_term=.2f5f4e866e48
トランプは代替案を提示した:事実に基づく、理性的な議論を行うのではなく、前提を否定することで非難を中和していまい、結果、告発者が判定を言い渡す権威を最初から否定するのだ。

トランプが選挙期間中に、「メキシコは強姦魔をアメリカに送っている」という有名なツイートを行い、ショックを受けた人々からの批判が噴出したのに対して、彼は直後に「ラテン系の人たちはトランプが大好きだし、私も彼らが大好きだ」と応えたのである。
http://www.realclearpolitics.com/video/2015/06/23/trump_latinos_love_trump_and_i_love_them.html
同様に、米テレビ番組「アクセス・ハリウッド」での悪名高いテープが出現した後も、クスクス笑いが聴こえる中、大胆にもトランプは、「私ほど女性を尊敬している人はいない」と主張したのだ。
http://theweek.com/speedreads/656364/donald-trump-says-that-nobody-more-respect-women-audience-snickers

トランプの反論を本気にする人が居るだろうか?そんな人は明らかに居ないだろう。それでも彼の非常識な返答は、人種差別主義者であるとか、性差別主義者であると彼を非難しても何の効き目もなく、我々のポストモダンな文化においては、ポストモダニズムだけが重要であることを示した。


詐欺師の一番の泣きどころに反撃

中でも最も重要なのは、ポストモダンのアメリカ人が、独りよがりの詐欺にすぎないものをひどく嫌う点を、トランプが理解していることだ。だから、息もつかせぬ「攻撃」的表現に直面したときの彼の「反撃」には定評がある。「性差別主義的傾向」があるというクリントンの言葉に対して、彼女の夫が女性を性的に虐待した過去を持ち出したトランプの応答からも、これは明らかだ。
http://thehill.com/blogs/ballot-box/presidential-races/264086-hillary-trump-has-a-penchant-for-sexism
http://thehill.com/blogs/ballot-box/presidential-races/264271-trump-fires-back-hitting-bill-clintons-penchant-for
予想されるような、謝罪してから話題を変えるという王道ではなく、トランプは告発者に対して、彼らの道徳的な怒りの表明は権力争いでしかないという、まことに確かな事実を呼び掛けることを選んだのだ。

実際トランプがPC軽視への怒りを挑発するのは、まさにこのせいだ。トニー・モンタナが、ぽかんと口を開けたカントリークラブの聴衆に対して鏡を向けるのと同じように、トランプは快い、息を飲むような妙技を1つ、また1つとやってのけたのである。

挑発しておいて勝つというトランプの戦略の最たる例はおそらく、移民問題に対する彼のアプローチだろう。移民を制限しようという提案は、いかに緩やかなものであろうと、常に移民排斥主義的であり、人種差別主義的であるという非難に遭うものだ。それなら、なぜあえて戦うのか?トランプは、何千万もの人々を国外追放するという、ホントにゾッとするような提案を最初に行うことで、困難を乗り切る道を選んだ。予期に違わず、怒りのマシンが猛烈に動き出した時、彼は予想されたような応急の収拾策(ダメージコントロール)を取らなかった。そうする代わりに彼は、非難をはねつけて、成り行きに任せたのだ。

トランプは人種差別主義者、ファシスト、その他諸々だと、批判者が過熱して騒ぎ立てるのを彼が無視すると、こうした怒りは徐々に衰えて行った。というのも、批判には期待した通りの効果がなかったからだ。さて、様々な問題に対するトランプによる釈明の全てが検討されてきたわけだが、それらは割に筋が通っていて、その後それらに向けられたPC軽視への怒りの噴出はうつろに響くように思われる。このようにして、トランプは繰り返し、怒りのマシンを大人しくさせ、抑え込んできた:イスラム教徒の入国禁止、テロリストの家族殺害、ベトナム戦争で捕虜になったというジョン・マケイン議員への侮辱 − これら全てが、彼を共和党の指名争いに勝利させる結果となったのだ。


こうして我々はトランプを大統領に選んだ

民主党は、共和党予備選挙でのトランプ勝利を嬉々として歓迎した。下品なおどけ者であると散々見下し、ヒトラーの再来だと嘲笑できるだろうと期待してのことだ。もっといいことには、トランプ支持者の驚くべき急増は、国民の半分が民主党サイドの長年の予測に違わぬ人々であることを裏付けるものであり、今や民主党サイドは、大声でこう言うのも自由だと思ったのだ:すなわち、共和党サイドは確かに救いようのない人種差別主義者であり、性差別主義者、ホモ嫌いの嘆かわしい人々である、と。主流派の共和党員たちは、こんな気味の悪い人たちと関わり合うくらいなら、きっと急進派の列車に飛び乗ることだろう。

もちろん、そうはならなかった。だが、どうしてだろうか?それは、トランプが勝ち続けているのが彼のイカレた発言のせいではなく、それが惹き起こした、まやかしの怒りと気取って見下す態度のせいだということを、彼の政敵たちが理解できなかったからなのだ。多くの人々が、トランプがわざと自ら浴びた軽蔑の言葉に持ちこたえる彼に共感した。トランプはヒーローらしからぬヒーローの役を演じ続け、クリントンは真珠を手に入れるペテン師の役を演じ続けたのだ。

そう、所得税を払わないから、私は悪党でしょうか?多分そうでしょう。ですがそうすることで私は、あなたの選挙運動を支援している、他の全ての億万長者同様、賢くなるのです。そう、私は性差別主義者です。だって、スーパースターというステータスのお蔭で、私は女性のお○○こをつかむことができるんだと自慢してるビデオを見たでしょう?多分、そうでしょう。ですが、この公の場で4人の女性を紹介させてください。彼女たちは、あなたの夫に公然猥褻からレイプに至るあらゆる事をされたと、あなたの夫を告発した人たちです。そう、請負業者への代金支払いをしぶる、私は強欲な実業家でしょうか?結構ですとも。あなたは、国益に反する行為で私腹を肥やす堕落した政治家じゃないですか。

私に関して彼らが言っていることはおそらく全て本当でしょう。でも、私は少なくとも偽りませんし、少なくとも正直です:それにひきかえ、あなたは血なまぐさくて、嫌気がする偽善者です。

それじゃあ、悪党におやすみを言いな!だって、この悪党こそが、我々の新大統領なのだから。


---
SOTT編集部コメント:ポストモダニズムは病的で、分裂病的な思想である。それはまた、基本的に自己破滅的だ。というのも、それは基本的に間違っており、反人間的だからだ。いやが応でも、好むと好まざるとにかかわらず、私たちの西洋文明のように、それに汚染された社会で勝利する唯一の方法は、それのルールと弱みでもってそれに対抗することなのだ。しかし、体制内にカオスを取り込む結果、「ニュー・ノーマル」がどの方向に向かうかに関しては、不確実性が生まれることになる。
posted by たカシー at 12:25| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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