2016年06月11日

重大ニュースの裏側を読む:イエスは実在しなかったのか?ローラ・ナイト=ヤズィックへのインタビュー

重大ニュースの裏側を読む:イエスは実在しなかったのか?ローラ・ナイト=ヤズィックへのインタビュー
https://sott.net/en314412


ソット・ドットネット
2015年12月20日

キリスト教徒が、「イエス・キリスト」 ― 約2000年に亘って、西洋文明の上にのしかかってきた謎の人物である ― の誕生日を祝うことで、今年も同時にやって来る冬至を祝賀する、この機会に、文筆家で歴史家であるローラ・ナイト=ヤズィックに対して、再び最新の研究成果につきインタビューを行いたいと思う。

既に多くの学術研究によって、「イエス」が歴史上本当に実在したかを疑問視する観方に対する有力な根拠が提供されているにもかかわらず、この人物が実在したという少なくとも何らかの歴史的根拠があるだろうというのが、大方の観方だ。この問題に取り組む基本的な姿勢として求められるのは、ローマ時代の歴史的データをイエスの物語の主な要素と照らし合わせてみることである。

ローラ・ナイト=ヤズィックは、「イエス」が実在しなかったこと、そして、我々がこの名前で知っている人物の伝記が、新しい宗教を興すために、様々な人々に関する物語から織り上げられ組み合わされたものであることの、説得力ある証拠を発見したと信じている。だが、「イエス」が実在しないのだとすると、彼に基礎を置く(ないしは、依存している)こんにちの3大宗教は、どんな理由でどんな風にして存在し得るのだろうか?

未だかつて本になって売り出されたことのない偉大な物語に対する答えをお送りする。放送日時は2015年12月20日。。。

番組放送時間。。。

放送済みの番組をダウンロード。。。

ソット・ラジオ・ネットワークのこれからのショーをライブで聴き、チャットし、電話で参加しよう!

以下は、本ショー番組の音声から起こしたものである:

ニオール:ハロー、『重大ニュースの裏側を読む』の今回のエピソードへようこそ。僕はニオール・ブラッドレー、一緒にお送りするのはいつも通り、ジョー・クインです。

ジョー:こんにちは。

Niall: 今回の『重大ニュースの裏側を読む』は、クリスマス臨時特集番組だよ。だって、ローラへのインタビューだからね。お帰り、ローラ!

ローラ:ハーイ。

Joe: ジングルベルはどこだい?バックにそりの鈴の音が要るんじゃないのか?ちぇっ!ルドルフ、さあ、かけてくれよ。

Niall: 今日が何日か、言うのを忘れてたね。ちなみに、今日は2015年12月20日日曜日だ。ローラ、あなたが出演するのは、ロバート・プライスの説について話した時以来だから、5カ月ぶりだね。ロバートはイエス神話を解体した優れた研究者の1人だけど、福音書に出て来るにもかかわらず、「イエス」は実在しなかったという彼の説明は、数多くの疑問に答えないままだ。少なくとも、一体どうやって3大宗教が1つの神話をもとに勃興したのだろうか?あなたは本を書き終えたんだよね。新しい本のタイトルは選んだの?

Laura: まだ仮のタイトルだし、これに決まるかどうか分からないわ。『ヨセフス、ピラト、パウロ;時代考証の見直し』というのよ。

Joe and Niall: (歌う)時間の問題だー。
https://www.youtube.com/watch?v=SNKrBQCzQOI

Laura: Yeah, そこでランディ・トラヴィスがかかるのよ。

Niall: 手元にサブタイトルがあるんだけど、「パウロ伝中の出来事の発生時期について検討・推測し、『イエスとは誰か』の謎を解決する」

Laura: Yeah, 殆どそのまんまだけど。

Joe: 長いサブタイトルだ。

Laura: Yeah, 確かにね。だから、このタイトルで行くかどうか分からないと言ったのよ。本は書き終えたわ。今は原稿整理編集者が、索引を付け、参考文献をまとめ、脚注の書き方を統一しているところよ。だから基本的には完成したの。私の手を離れたのよ。

Niall: 書き終えたんだ。

Laura: 書き終えたわ。

Niall: それじゃあ、新年には買えるようになるかな?

Laura: No, ずっと早く仕上がるかも知れないわ。

Niall: Okay. リスナーには今後も最新情報をお伝えします。

Laura: みんな、ちょっと御免なさい。技術の人たちに訊きたいんだけど、どうして私のヘッドホンは具合が良くないのかしら?これじゃあ。。。

Joe: 良くなった?

Laura: ずっと良くなったわ。

Joe: そいつはよかった。僕らが解決したんだ。

Laura: あらまあ。

Niall: これで何冊本を書いたんだい、ローラ?

Laura: 16か17冊でしょうね。

Niall: 今回の本のための調査にはどれぐらいかかったの?

Laura: 5年ぐらいよ。実際は、これまでの全人生が調査期間なんだけど、集中して行ったのはこの5年間で、手掛かりを辿って行って、調査範囲を絞り込んだのよ。最初のうち私は、ある具体的なアイディアを念頭に置いて、ありとあらゆる方向を調べていたわ。だって、具体的なアイディアが無いようでは、何を探し求めているのか、自分でも分かってなどいないのよ。まだ何を探し求めているのかまで分かっているとは言えなくても、アイディアがあれば、何を見ているかは分かるわ。

私のアイディアは、あなたが今さっき発した、「一体どんな風にして、実在しなかった人物から世界宗教が誕生したのか?」という問いで始まったの。というのも、その時点で私はイエスが金輪際実在しなかったと信じていたのでね。イエス神話説
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E8%AA%AC
論者は、殆どやり残しのないところまで仕事をしていて、私は彼らの業績の全てを読んで、イエスは居なかったのだとかなり確信が持てたし、居たとしても、多分巡回説教師か何かだったんだろうと思ったのよ。でも、それでは全く無意味よね。

Niall: Okay. あなたが今回の本で暴露しようとしたのはそのことかな?その巡回説教師とは誰だったんだろう?

Laura: そういうことではないのよ。それは出発点であって、私が歴史文献で発見したと思ったのは。。。要するに、私はその話題から逸れて、ローマ帝国の崩壊と滅亡という問題に移って行ったの。私が数多くの文献を読んでいて気付いたのは、ペイガンの多くが、キリスト教徒こそが帝国滅亡の原因だと糾弾していることだったのよ。彼らはこう言ってたの。「帝国がキリスト教に改宗するとすぐに、万事がたちまち堕落してしまった。お前たちこそが、我々に起こった、あらゆる苦難の原因だ。もし我々が昔ながらの神々を見限ったりしなければ、こんなひどい目には遭わなかっただろう」ってね。

もちろん彼らは、かなり深刻な事を書いてるわ。5世紀と6世紀の年代記を読めば、地震やツナミ、疫病、ペストといったかなり恐ろしい事が書いてあるわよ。さらに考古学の調査報告書を見れば、ローマ帝国の人口や活動が約90%もレベル低下したことが分かるわ!だから、少なくとも西ローマ帝国に関しては、かなりドラスチックに状況が変化していたの。東ローマ帝国も、その後かなり急速に衰えるけどね。でも、こんな災難が降って来たもんだから、ペイガンはキリスト教徒を、ローマ帝国の衰退/滅亡の原因だと言って咎めたのよ。恐ろしい出来事が相次いで起こって、人口の90%までが死んだんだもの。

だから私はこれを年代順に述べようとしたのよ。これらの間に何らかの関係があるんだろうかと考えたの。まともな考え方じゃないわよね。ローマ帝国が国民にキリスト教を押し付けた、すなわち、国教に採用した結果、帝国が全滅する羽目になった、なんてね。何かがあったのかしら?それで私は、情報を集め始めたの。あらゆる年代記を読んで、全ての出来事を一つに並べ始めたのよ。かなり熱中したわよ。私の本を読んだ事がある人なら分かる通り、細かい所まで正確に調べ上げようと、私は取り憑かれたようになるのでね。それで私はデータベースを作り始めたの。つまり、表を作って年代を書きこんで、様々な出来事を、列を分けて並べたのよ。でもかなりお粗末なものにしかならなかったわ。エクセルのスプレッドシートみたいにお粗末なデータベースにね。

でも、これを眺めているうちに、何やら興味深い発見があったの。相当込み入ってるので、ここでは立ち入らないけどね。だけど要するに、政治的な出来事といわゆる天変地異との間に対応関係があるのに気付いたのよ。だって、当時は奇妙な事が随分沢山起こってたんだもの。年表をまとめて行くうち、共和制の終焉から元首政の始まりへと差し掛かって、カエサルの時代から、さらなる内戦の激化、続いてアウグストゥスの支配へと続けて行ったわ。カエサルについては、大体2、3の段落に亘って述べたのよ。

Joe: どんな風にだい!?!

Laura: カエサルについて、あれこれ考えた事をよ。そうして行くうちに、すぐさま ― こうしたこと全てを書いて行きながら、データを一まとめにしていたんだけど ― すぐさま、ミトラス教の問題に目が留まったわ。それで私は筆を止めて、ミトラス教について書かれた本を6冊と、論文を50は読んだの。好感が持てたのでね。ミトラス教について、最良で最も妥当な要約情報を書きたかったのよ。軌跡を辿り始めてみて、おかしいと思ったのは、長きに亘って大層盛んだったミトラス教が、事実上消滅したようになって、するとキリスト教が大々的にクローズアップされて来たことよ。これはディオクレティアヌス帝の治世とコンスタンティヌス帝の治世の間に起きたの。というのも、ディオクレティアヌス帝と彼の共同統治者だったマクシミアヌス帝は、コンスタンティヌスの帝位継承問題を収拾するために引退から復帰したんだけど、この時、彼らを含む東西の正副皇帝4人が、皆でどこかに出向いて、ミスラを祀る祭壇を立てたということがあったのに、その後、コンスタンティヌス帝はキリスト教に向かったんだもの。

このディオクレティアヌスというのは、かなりの善帝だったと分かるわ。彼はローマ帝国を延命させたのよ。だって、帝国は崩壊し始めていたのであり、延命策を講じるべき状況において。。。必ずしもそうする必要があったかは兎も角。。。全ての事を考慮に入れれば、彼は事態を収拾できたんだから。だから私はここで立ち止まって、「ミトラス教のルーツを見つけなくては」と思ったのよ。みんな、どういうことになるか知りたいでしょ。

Joe: やがて分かるんだね。

Laura: ここは辛抱してね。私は更に深く調べ始め、可能な限り数多くの一次資料を読んで行ったのよ。すると分かったのが、ミトラス教についての最も古い記述は、ユリウス・カエサルの時代に地中海に居た海賊と関係があるというものだと分かったの。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%A9%E6%95%99#cite_note-Pl_Pom_24-1
実際、一時は彼の義理の息子だった「偉大なる」ポンペイウスは、これらの海賊を掃討する特別な任務を与えられていたわ。カエサル自身も、若い頃、ロードス島に向かう途中で、海賊に捕まったと言われているのよ。

彼も海賊に捕まったというんだから、可笑しな話ね。海賊はカエサルを要塞に連れて行ったんだけど、大体想像できる通り、カエサルは海賊に対して尊大な態度で臨み、「お前たちのバカ騒ぎのせいで、こっちは安眠も研究も出来ない」とか何とか言ったので、海賊たちはカエサルを散々笑いものにしたのよ。
カエサル「今のうちにせいぜい笑っておくことだ。私はここを出たら、再び戻ってきて、お前たち全員をはりつけにしてやる」
そこでまた海賊たちは笑ったわ。

やがてどうやら、カエサルの友人たちが身代金を払ったので、カエサルはそこを脱することができたの。そこを出るや彼は、人手を集め、船に乗り込むと、海賊たちの元にとって返して彼らを磔刑にしたのよ。この話で面白いのは、海賊たちが「身代金として20タレントを要求してやる」と言ったところ、カエサルが「Oh no, no, no, no, 20では安すぎる、50タレントを要求しろ」と言ったというのよね。そして、海賊はその通りに要求して、その額を手に入れた。とはいうものの、もちろんながらカエサルは戻って来て、海賊たちを磔刑にすると、お金を全部取り返したの。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=76657371

という訳で、カエサルと海賊という可笑しな話があるんだけど、プルタルコスにも、海賊たちは銀のオールに、金か紫の帆を張っていた等々というのが出て来るし、それから、アントニウスとクレオパトラにも、殆ど同じ言い回しが出て来るので、これはおそらく常套句だったんでしょうね。でカエサルに戻るんだけど、私、こう思ったのよ。「カエサルはミトラス教とどんな関係があったのかしら?」ってね。カエサルがミトラス教をつくったのかしら?彼の軍紀が、ある意味この宗教の始まりだったのかしら?というのも彼は、兵士たちに崇敬されていたし、兵士たちは彼のためなら死を厭わなかったじゃない?どこだろうと彼が導く先に、兵たちは付き従ったの。絶対忠誠だったのよ。

Niall: 彼は戦役では常勝だったしね。

Laura: 常にという訳ではないわ。

Niall: Oh.

Laura: 常勝という訳ではないんだけど、ほぼそれに近いわね。それに、彼は戦いに負けても、敗戦という結果を有益なものに変えてしまうことができたのよ。まあいずれにしても私には、カエサルがローマ帝国を救おうとした計画の一端は、ディオクレティアヌス帝が行った事に似ているんじゃないかと思えてきたの ― 2人はある意味、とても似た人たちだったという風にね。カエサルは、兵のためのカルト的な何かを作り上げて、多分それをローマ帝国全体に広げて単一の宗教の下にみんなを一つにまとめようと考えていたんじゃないか、という風に思ったのよ。

それで私は、カエサルがミトラス教の開祖なのかどうか見極めようとして、彼に関する全てを読まなくては、と決心したの。ここから始めたのよ。ミスラを最初に崇拝していたと言われる海賊たちと関わりのあったのがカエサルだから、カエサルとミトラス教との間には何らかの繋がりがあるんじゃないか?ってね。その時点ではこればかり考えてたのよ。

それで私はカエサルに関して入手できる限りの資料を読み始めたの。いつ、誰が書いたものだろうと、彼の行動や、通した法律、残したコメントに、彼が新しい宗教を興そうとしていたことを示す手掛かりがないかってね。それがスタートだったのよ。ここから全ては妙な方向に向かって行ったの。カエサルについて書かれた全てを読むというのは少々骨だったのでね;それでも汗牛充棟、私はどんどんと本を読み続けたわ。何百という学者の論文も、手に入る限りの世に知られていない本、ケンブリッジ・コンパニオンシリーズに、オックスフォード・コンパニオンシリーズ、最新の学術研究その他諸々をね。

実におかしな事が起こったのは、ステファン・ウェインストックの『神君ユリウス』を読んだ時だったわ。これはカエサルの生涯をテーマ別アプローチで分析した本なの。この本の各章が、カエサルの有名な側面を扱っているのよ。例えば、将軍としてだとか、立法者として、あるいは民衆の擁護者、慈悲心の持ち主といった具合に、彼に帰されている、神のごとき様々な特質ごとにね。一話紹介してはウェインストックが分析を加えるんだけど、彼はこう言うのよ。「これは真実かも知れないし、真実でないかも知れない。だが、入手できるベストな情報である」ってね。学者が普通言うことだけど。

一話ずつ読むうちに、私がおかしいと思ったのは、それらが福音書のイエス伝みたいな感じがしたからなのよ。ある時カエサルは、何か儀式を行おうとしてアルバン丘に向かったの。その儀式の一部として彼はそこからローマに向かって歩いて来たんだけど、その時彼は、神か高僧のような赤いブーツを履いてたのよ。もちろん彼は、最高神祇官、ローマのすべての神官の長だったわ。で、彼はローマに向かって歩いて行ったんだけど、道に沿って市民たちが集まって来て、皆がカエサルを大声で称賛しながらヤシの枝を振り、彼が歩いて行く先の地面にヤシの葉を敷いたの。ヤシの木は、もちろんローマでは勝利のシンボルだったわ。それはユダヤ人にとっては必ずしも重要なシンボルじゃなかった。ローマでのことなの。

だから、イエスがエルサエムに入城した時に、人々がヤシの枝を振ってホサナと叫んだという物語が一体何に由来するのか、私には不思議だったのよ。この、カエサルがローマへと入城し、市民が集まってカエサルを称賛しながら、ヤシの枝を地面に投げたという出来事がモデルとなったのは明らかだわ。
https://www.lds.org/scriptures/gs/hosanna?lang=jpn
他にも類似が幾つかあるのよ。それで私、「これは奇妙だわ。だって、カエサルの伝記中の様々な物語は、どうも福音書に出て来るイエスの物語のモデルのようなんだもの」と思い始めたの。

そこへ持ってきて、カエサルもまた、とても目を掛けていた人間に裏切られ殺されたんだもの。でももちろん、この時点ではそれくらいしか気づいていなかったのよ。これ以上の事があるとは思わなかったの。でも、すっかり悩んじゃって、ある日朝食の場に降りて行った時、こう言ったわ。「あなたたち、私がおかしくなったと思うでしょうね。だってユリウス・カエサルが。。。彼について、私、あんまり詳しく調べた事がなかったんだけど。。。彼の生涯って、まるでイエスの生涯のモデルみたいなのよ!」で、特筆すべき類似点を持つ出来事について、話したの。

ということで、私は自分でもおかしくなったと思ってたんだけど、じきに旅行に出かける機会があって、道すがら、道連れの人たちにも、この話をしていたの。すると、旅どころではなくなって、私、戻って来ちゃったのよ。だって、旅の間中も私はこのことを考えていたのでね。そうして家に帰って来た時、義理の姉が、イエスの生涯とカエサルの生涯との間に何か類似点があるというような事を、これまで誰か考えつかなかったのかどうかネットで調べようと言い出して、実際に彼女が調べて見つけたのが、フランチェスコ・カロッタという人物だったのよ。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=75504828
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=76660790
彼は自力で、この考えに辿り着いていたの。あなたたち、彼がどこからこのアイディアを得たか憶えてる?キリスト受難の演劇からだった筈よ。

Niall: イエスとカエサルの葬儀だね。

Laura: Yeah, カロッタは、カエサルの葬儀がイエスの受難と著しく似ているという全体構想を得たので、この研究を始めたの。私はそこまでは考えつかなかったわ!私は単にカエサルの生涯や行動、慈悲深い宣告のことしか考えてなかったのよ。だって、ウェインストックが著書の中でまるまる1章を割いて、カエサルの慈悲や寛大さ、そして、社会的/政治的やり取り等々において革新的な方法を始めようとした事を述べていたのでね。

いずれにしても、私はカロッタの本に注目して、かなり面白いと思ったのよ。すると2人ばかりの歴史家も、こうした類似点を瞥見するような記述を残していることに気付いたの。さらに、もう1人、イタリア人の著者が居たわ。すぐには名前を思い出せないんだけど、彼もカエサルはイエスに似ているということをまるまる1章割いて書いてたのよ。そこからはっきりとした結論は導き出していないんだけどね。彼は、カエサルがイエスみたいな偉大な人物であることに注目したのよ。ということで、再び疑問に思うのは。。。もし、カエサルがイエスのモデルなんだとしたら。。。多分巡回説教師である誰かの生涯に重ね合わせた神話は別として、私はイエスなど実在しなかったと思うのよ。そこまでは何とか推測できたんだけど。。。どうやってそれがユダヤ教に変貌を遂げたのかしら?一体どうしてこんな事が起こったのかしら?

ここに至って、私は聖書の研究を始めたのよ。これまでだってある程度は、聖書の研究を何年もの間、断続的には行ってきたわよ。だけど、今回は「カエサルの生涯が下敷きであること」、そして、「世界宗教を創造すること」、という2つの面から相当深い理解に達しなくてはならないという目標を掲げて行ったの。という訳で、聖書の研究が始まったわ。そのうち4本目だったか5本目の本棚が必要になったんだけどw、これは数百の論文の分は勘定してなくて、本の分だけでよ。で、私が達した結論は、これは使徒パウロによって行われたということだったのよ。パウロがその人だった。パウロがキリスト教の開祖みたいなもの。パウロがやったのよ。パウロこそが、ユダヤ人イエスを作り出したほぼ張本人なの。少なくとも私にはそう思われたわ。ということで、パウロの生涯について、真剣に調べなくてはならなくなったの。私はローマ史やローマ帝国史について、歴史的な観点から書かれたもので入手できるものは全て、オリジナルのテキストに加えて、オリジナルのテキストについて書かれたテキストや、オリジナルのテキストについて書かれたテキストについて書かれた本等々まで、既に何トン分も読んでいたんだけどね。

こうしてパウロの研究が始まり、片っ端から本を読んで行ったんだけど、そのうち、パウロは確かに改竄に手を染めていたことに気付いたのよ。でも、彼が故意にそうしたのか?それとも偶々だったのか?は疑問だったわ。それとも、彼が企んでのことだったのか?私は彼が何を考えていたのか知らなくてはならないと思い、そのために、パウロの書簡と、手に入る限りの、それの分析研究を読み始めたの。誰か有益な見解を述べていないかとね。すると、驚くなかれ、あったのよ。

イエスはこんな人だったかも知れない/こんな人ではなかったろうというような説は猫も杓子も唱えてるわ。イエスは魔術師だった、なんてのまであるのよ。過越の祭りの脚本とかね。ジョセフ・エトヴィラ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=75505498
も1冊書いてるわ。

Niall: この『ユダ、お前もか?』という本かい?
http://thecasswiki.net/index.php?title=Et_tu,_Judas%3F_Then_Fall_Jesus!

Laura: No, no, no. ジョセフ・エトヴィラの『皇帝のメシア』よ;エトヴィラが『皇帝のメシア』で述べているのは要するに、福音書と使徒行伝とヨセフスには類似した点が多く、それは明らかに、ヨセフスと関わりのあった誰かのせいに違いなく、この人物が物語をでっち上げたと言うのよ。ヨセフスやティトゥスを始めとする、陽気ないたずら者たちのグループが、皆に悪ふざけするために書いたのが福音書であり、福音書の中の物語と、使徒行伝やヨセフスの中の初期キリスト教徒の歴史が似通っているのが証拠だってね。

という訳で、私はヨセフスおよび、手に入る限りのヨセフス分析を読んで、使徒行伝その他諸々で何が起こっていたのか見極めなくてはならなくなったのよ。それから、イエス問題の分析者として、ハイアン・マッコービーが居るんだけど、彼によれば、イエスを創造したのは使徒パウロなの。というのも、イエスは明らかにパリサイ人なんだけど、パウロは違うので、パウロはペテン師だと言うのよ。それから『ナザレ人イエス』という面白い本を書いたイレーヌ・ヒルゼンラート。彼女が福音書を分析して出した結論は、イエスはガリラヤのユダ
http://www.burat.jp/members/blog/entry_disp.201206072336-5000000.201206221351-3000135.201207112201-3000009
の息子だというものよ。

そして、このクレバーな人、『ガリラヤ人ユダ』を書いたダニエル・アンダーブリンクが居るわ。ユダが基本的にイエスのモデルだというものよ。ユダがイエスであるということの他にも、もちろん何だって書いてるわ;パウロが悪い、パウロが嘘つきだってね。それからこのロバート・アイゼンマンの考えでも、死海文書に出て来る「悪の祭司」とはパウロのことだというのよ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E6%B5%B7%E6%96%87%E6%9B%B8#cite_note-27
もちろん彼は、死海文書その他について、かなり詳しく分析してるわ。

という訳で私は、様々な視点に立つ、様々な説を検討していたんだけど、ある時からは、一方にタキトゥスを、もう一方にヨセフスを置いて、それぞれで述べられている史実を読み比べるということを何度も繰り返してみたのよ。というのも、これを解決する唯一の方法は、厳密に歴史的観点から検討することだと思ったのでね。これは信仰か何かの類では解決できないの。何か歴史的な手掛かりを見つけなくてはならないのよ。この神話/伝説の一致を説明できるような歴史上の出来事はあるのだろうか?ってね。いやしくも歴史家なら、文明史の進展に連れて、幾つかの宗教が発生して、人々がそれを信じ始める様子について、他国の文化も研究しながら、歴史というものを眺めるわね。お伽噺に出くわしたら、こう言うでしょう。「ここには、ある実在の人物に関する出来事の種が存在しているのかも知れない。だが、この物語は、通常のおとぎ話の構成の仕方で構成されている」ってね。現実の出来事が如何にすばやく神話化されるのかについては、社会学の研究があって、それについては拙著『世界秘史』その他に書いたんだけど、現実の出来事は神話化され、人物の名前から何から全てが完全に失われて、登場人物は新しい名前になり、新しい役割を帯びて、あらゆる事を行うのよ。

例えば、ブッダについて考えているとするわよ;このブッダというのは、神聖な名前、すなわち、ある人物が演じた役割のことだとされているわ。ブッダは2人以上居たのかも知れないけど、私たちに馴染みのケースでは、それはゴータマ王子だとされているわ。みんな、誰がゴータマ王子だったのかは知ってるけど、彼の生涯や、彼がどうやってブッダになったかについては、あまり知らないのよ。同じことは孔子にも言えるわ;こちらは宗教じゃなくて、哲学だけどね。それにヒンズー教。聖典のベーダを研究することができるわ。だけど、これらのことについて、文化の外側から、歴史家として研究するというのは、何らかの信仰を持って研究するということではないのよ。これに歴史的基礎があると言うことも、無いと言うこともできるし、単なるでっち上げだと言ってもいいの。拙著『モーセのホーン』で既に述べたように、殆どの宗教的神話は、宇宙での出来事、天空で起こった事、彗星や雷撃、惑星の動き等々の物語に起源を持っているのであり、それらに関係があるの。

という訳で、外側から歴史を眺めて研究し、その不思議さに気付けば、仕組まれたツイストは別にして、実際にイエスの人生を送ったのがカエサルである事は火を見るより明らかなのよ。すなわち、福音書で述べられているような大事件を実際に生き、人々のために尽くし、慈悲深い、あれやこれやの事を行った末に、裏切られ、殺され、葬儀の際に十字架のようなものにかけて持ち上げられ、その他諸々の事を行い、それが他の文献でも重ねて述べられ、ユダヤ教の巡回説教師のこととされたのは、カエサルだったの。

Niall: 長髪で髭を蓄えた姿でね。

Laura: そうよ。一体どんな風にしてこれは起こったと思う?全く基地外じみてるわ。

Niall: 100年くらいの間にかい?

Laura: 確かに100年ね。それで私はこれを調べようと取り掛かったのよ。さっきも言ったように、タキトゥスとヨセフスを目の前に並べて、何度も行ったり来たり、歴史的な手掛かりがひと言でも見つからないかと調べたの。もちろん、2000年の間、原稿を筆写して保存してきたのはキリスト教会だから、多数の変更が行われ、多くの事が破棄され、削除され、オミットされたに違いないわ。
「1章書き写すのを忘れちゃった」w
「ああ、忘れちゃうんだよね」

そうするうちに、私、ちょっとした事を発見したのよ。私の本でもフォーカスしていて、確か、証拠を引用しておいたんだけど、ポンティオ・ピラトは、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%A9%E3%83%88
一般に言われているAD26/27年から36/37年の間、ユダヤ属州には居なかったのよ。彼がそこに居たのは、14/15年から19年までのわずか4、5年だったの。証拠は、タキトゥスを比較対象/基準として読んでいけば、ヨセフスの『ユダヤ戦記』と『ユダヤ古代誌』の中にかなり見付かるわ。状況証拠が山のように積み重なるので、確信できるの。もちろん、決定的証拠は無いのでね。操作され、訂正され、あるいは、何かが付け加えられ、手を加えられたテキストについて、「おお、これがオリジナルだ」と言って議論する人たちもいるけど、信者たちはテキスト全体が誤りだと主張し、信者でない人たちは、明らかに書き加えられていると主張するでしょうね。

だけどいずれにしても、真に存在したという証拠が全く存在しないイエスなる人物を処刑したとされるポンティオ・ピラトがこの時期から外れる結果、キリスト神話全体は基本的に根底から崩れるわ。だけど、これに関して面白いのは、この結果、他の説の方がずっと辻褄が合って来ることなのよ。だって、アンダーブリンクが正しいんだもの。イエスのユダヤ人のモデルがガリラヤ人ユダだったというのは彼の言う通りよ。あと、パウロがこれに関して何か違った説を延々と述べているというのもね。だけど、彼がパウロは悪党だと言い、アイゼンマンがパウロは嘘つきだというのは間違いだわ。

パウロは急進的改革グループから殆ど警戒されて居なかったのよ。というのも、いわゆる初期のエルサレム・キリスト教会=発生期のキリスト教徒たち=イエスの信奉者たちというのは、イエスが復活したという教義に驚き、屈服した人たちであり、彼らは何千人もの人々を改宗させたんだけど、彼らが聖霊降臨祭を行っていると、激しい風が吹いて来て、炎が現れて、皆が聖霊に取り憑かれて語り出した、云々というのは、全部たわ言よ。
(※使徒言行録/ 02章 01-04節
五旬祭<=聖霊降臨祭>の日が来て、一同が一つになって集まっていると、
突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。
そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。
すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。)
それらは全てでっち上げで、他の地域に存在していた他の物語に基づいたものなの。問題は、ルカによる福音書を書いた人物が ― 殆どの学者も同意見だけど ― 使徒行伝を書いたのとおそらく同一人物であることだわ。これらの福音書と使徒行伝がヨセフスの作品にとてもよく似ている理由は、エトヴィラが抜け目なく気付いた通り、それらの著者たちが、ヨセフスを見ながら書いたからなの。

福音書の著者たちはまた、教義を作るのにもパウロの書簡を利用したのよ。人々はこう言ってるわ。「一体どうしてパウロはあれこれと、イエスが言いもしなかった事を言うのだろう。パウロは主が言ったことだと言っている。それについて、どうしてパウロはイエスの言葉を引用しないんだろう。だって、彼がイエスの物語を熟知しているのなら、印象付けようとするときにはイエスを引用してもよさそうなものなのに、パウロは決してそうしないんだ」。これに反してパウロの書簡には、イエスの言葉が再現されてるわ。でも、パウロはイエスの功績を十分に認めないの。

それには理由があるわ。それは福音書が後から書かれたからなの。イエスの言葉の多くはパウロによるものよ。そして、これまた興味深い事に、イエスのものとされる言葉の幾つかはカエサルのものだわ。イエスの生涯の物語の殆どはカエサルの物語であり、「受難」はカエサルが被ったもので、パウロによる創作も幾らか含まれてるのよ。デニス・R・マクドナルドが福音書に関して証明してみせたように、ホメロスから採られているエピソードも幾つかあるの。
http://ci.nii.ac.jp/naid/40006764247
そして、多くの部分はエリヤ/エリシャの物語を下敷きにして書かれているわ。福音書の著者たちは基本的に、執筆当時の修辞法に精通していたの。彼らは特定の文学に馴染んでいて、間違いなくヨセフスを研究していたのよ。ヨセフスに出て来るタイプの場面や人物像がいくつもあるわ。だから、エトヴィラは全く正しいのよ。ヨセフスの書いたものが福音書に含まれてるの。ヨセフスの書いたものが使徒行伝になってるの。他のテキストも多く含まれてるけどね。

そこでもちろん問題なのは、どうやってこの移行が起こったのか、ということね。私は自分の説を持っていて、原稿を仕上げたばかりの本の中に書いておいたわ。本の中身について、全部話す気はないわよ!私が全部話すだろうと思った?本を読まなきゃダメよ。

Joe: Yeah.

Laura: この本の中には、あなたたちが読まなくてはならないことが幾つか書いてあるのよ。でも、ピラトの出番がなかったことは、かなりうまく立証できたと思うわ。もちろん、これがどういう意味を持つかと言えば、ちょっと考えれば分かる通り、1500年の間、人々は毎週日曜日に教会で起立して、使徒信条
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%BF%E5%BE%92%E4%BF%A1%E6%9D%A1
を唱和してきた訳よ。。。

Joe: 僕もやってたよ。

Laura: Yeah. あれを覚えてる?

Joe: 「天地の創造主、全能の父である神を信じます。
父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、
ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け。。。」

Laura: 「ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け」

Joe: 「。。。十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り」、イエスの地獄降りその他云々だね。

Laura: Yeah. という訳で、使徒信条のこの部分は嘘なのよ。

Joe: 歴史から証明可能な嘘だね。

Laura: Yeah.

Joe: 信頼できるデータからしてね。

Laura: Yeah.

Joe: 公式記録を読まされて信頼させられている存在としては、ピラト以外にも相当数居るんだろうね。。。

Laura: ないしは、実在すると推測させられている存在がね。。。

Joe: 推測か。。。

Laura: そうよ。ということで、私の新著がどんな本なのか、かなり話したわね。これが、言ってみれば結論に至る筋道のショート・バージョンよ。途中には解決すべき問題が沢山あるの。この本は技術的な性格を帯びてるの。もう少し序文を書き足して、初心者でもすぐに入り込んで、私が示した証拠を簡単に見られるようにするつもりよ。誰でも、私がひとまとめにしたものを読んで自分で結論を引き出せると思う。あなたがたった今暗唱した使徒信条を絶対的に信じ込んでいない限りはね。そうでない人なら大丈夫よ。

Niall: こういう疑問が出ないかな。「ポンティオ・ピラトが実際にエルサレムに居たのが20年早かったというのが、どれくらい重要なんだろう?」ってね。

Laura: それは本当に重要なのよ。だって、イエス伝の全ての年代は、ポンティオ・ピラトがAD29年から30年の間にイエスを磔刑に処したということに依存してるんだもの。というのも、イエス伝の全ての年代は全てイエスの磔刑の時期次第で、この時に磔刑になったのでないといけないの。なぜかというと、幾つかの出来事の時期は。。。

Niall: 動かせないんだ。

Laura: 。。。というのも、パウロが語っている、あるエピソードがあるんだけど、この経験は、パウロが語った事の中で、歴史上の人物と結び付けることができる、おそらく唯一のものなのよ。彼は「ダマスコでアレタス王の代官が、私を捕えるためにダマスコ人の町を監視していたが、その時わたしは窓から町の城壁づたいに、かごでつり降ろされて、彼の手からのがれた」(コリント信徒への手紙2・11:32-33)と言ってるの。パウロの書簡にナバテア国王アレタスという歴史上の人物が出てくるのよ。
http://www.geocities.jp/todo_1091/new-night-tale/015.htm

さて、このアレタス4世は40年に死んでるの;だから、パウロはアレタスが死ぬ前に、これを行ったに違いないし、それ以外にも、ある数年間のことも彼は述べてるのよ。それでは、アレタスがダマスカスの王だったのは何時だったのかしら?というのはもちろん、こうした全ての事がピタリと納まらなくてはならないからよ。パウロは教会を迫害していたんだけど、やがて改宗したの。それから彼はアラビアで3年過ごして、それから初めてエルサレムに行ったのよ。その後また時間が過ぎてから、彼は2度目にエルサレムに行ったんだけど、おそらく3回目も計画していたの。これらはいずれも空間的距離の移動を意味するけど、手掛かりとなる人物で唯一歴史に名を残しているのが、このアレタス王なの。

面白いことに、ここにちょっとした問題があるの。というのは、ヨセフスによると、洗礼者ヨハネがAD36年に処刑されてるのよ。

Niall: それはイエスの死の前に起こっていなくてはならないんだ。

Laura: もしイエスの死が30年で、洗礼者ヨハネの死が36年だとすると、解決不能な矛盾に陥ってしまうのよ。というのは、福音書によればおそらく、洗礼者ヨハネが処刑されたのは、イエスが生きている間でしょうからね。という訳で、これは少々問題なのよ。いずれにしても、パウロの活躍した年代もここに当てはめなくてはならないの。パウロ年代史にも取り組まなくてはならないのよ。でもほら、私はここで2つの事が起きたと思ってるの。まずは何と言っても、パウロはイエスを発明したわ。彼がカエサルというイエスを考案したのよ。パウロはイエスという名でカエサルについて説いたんだと思うの。

Niall: パウロはイエスという名前を出さなかったんだよね?

Laura: 2、3カ所でイエスという名前が出て来るけど、後から付け加えられた感じね。

Niall: Okay.

Laura: だって、パウロは常に、キリストが磔刑になった、キリストが十字架にはりつけになったという言い方をしてるもの。どうやらパウロにとっては何かかなり重大な事が起こったようなんだけど、私の推測では、その日を持ち出す理由は。。。初期キリスト教の文献を見れば分かるんだけど、彼らは福音が広められ始めた時期には遡って言及するのに、磔刑の時期には言及しないのよ。実際、初期キリスト教の文献は、地上に居た、実在の人物、既知の人間としてのイエスについては全く言及していないの。福音書の始まりには遡るんだけどね。

私の考えが正しければ、これはどういうことかというと、パウロが改宗したのがAD29年か30年で、どういう訳か、これが取り違えられてるのよ。聖書の著者たちは、この頃に磔刑を行うのにふさわしい、悪いユダヤ属州総督を探したところ、ポンティオ・ピラトという総督が、ユダヤ人にとってとても重要な人物を処刑していたのを読んだので、ポンティオ・ピラトがイエスを磔刑にしたことにしたのよ。まず間違いないわ。ただ1つ問題なのは、ポンティオ・ピラトがガリラヤ人ユダを処刑したのがAD19年で、使徒パウロが福音を説き始めたのがAD30年だってこと。この2つの事が1つに融合されたのよ。これは大問題だわ。

Joe: パウロがある種の霊的体験をしたというのは、あり得るのかな?

Laura: もちろんよ!私は、アイゼンマンみたいな、パウロが死海文書に出て来る嘘つきだという説には与しないし、パウロが架空の人物で、パウロ自身が創作された人物だとも思わないわ。ロバート・プライスは『驚くべき偉大な使徒』で、パウロという人物が創作だという方向で論を進めてるけど、賛成できないわ。私はパウロが大好きなのよ。私はパウロをとてもリスペクトしてるわ。だとしたら、信者だってことになるかしら?そんなことはないわ。だって、長い事私、パウロはどうしようもない精神分裂症だと思ってたんだもの!彼のように考え、彼のように行動するなんて、誰に出来るかしら?

いずれにしても、私はそのことも本の中に書いたわ。パウロは本当は何を説いていたのかしら?パウロの考えていた事のベストな分析は、ジョージ・ウェルズのキリスト教についての5(だったか6だったか、あるいは7)部作シリーズだと思う。彼はドイツ文学の教授だった筈よ。だからもちろんのこと、全体を見通した彼のベスト・アイディアは完全に無視されたわ。だって、彼は聖書学者だったんだもの。聖書学者が問題なのは、彼らの殆どが、聖書学園か聖書研究プログラムのある大手大学に進んだという理由で聖書学者になることだわ。

Niall: 信じるから、その道に進むんだ。

Joe: 本当の信者なんだ。

Laura: 彼らは信じるからこそその道に進むんであり、普通、彼らの教育費用は聖書学園が払うのよ。だから彼らは信者であり続けることによって莫大な投資を受けるの。信者でなくなった場合には、かなり大きな代償を払うことになるわ。ゲルト・リューデマンもそうした1人よ。彼はベストな1人だし、あとトーマス・ブローディもそうだわ。彼らは実に素晴らしい学者で、2人ともイエスは実在しなかったという結論に達してるのよ。

Joe: でもパウロに関して言えば、パウロはある種の霊的体験をしてるんだ。それはもしかすると。。。

Laura: 彼はカエサルの受難劇を見かけたんでしょうね。だって、当時はカエサルのカルトが存在していたんだもの。そして、これと符合するかのようなもう1つの謎は:どうしてカエサルのカルトは、イエス伝説の出現と同時に完全に姿を消したのか?ということよ。そして、パウロが説教していたのはどんな聴衆に対してだったのか?ディアスポラのユダヤ人はどうなのか?

Niall: この教会とは。。。(聴取不能)

Joe: 僕らは、お決まりの理由で妨害されてるんだよ。でも、今は話を戻そう。ローラ、さっきの続きを頼むよ。あなたはパウロの話をしていたんだ。

Niall: パウロは受難劇を目撃したかも知れないんだ。

Laura: 話が逸れたので、整理しましょうね。ここでは、直接私の本を見ながら紹介するわよ。要するに、パウロは明らかにエルサレム・エクレシア
http://d.hatena.ne.jp/Quartodecimani/20130801/1375327969
のメシアを知っていたのよ。私がエクレシアと呼んだものは、殆どの聖書では教会と訳されているけど、当時のエクレシアというのは、半ば政治コミュニティのような宗教組織のことだったの。人々の集まりがエクレシアだったのよ。

だけどいずれにしても、パウロは明らかにエルサレム・エクレシアに居たメシアを知っていながら、そのメシアからは明らかに大して感銘を受けなかったの。これはショッキングなことかも知れないけど本当なのよ。彼はコリント書で、彼らがどうやら、「わたしたちが宣べ伝えたのとは異なったイエス」(コリントの信徒への手紙二/ 11章 04節)をた易く受け入れたと語り、続けて間髪を入れずに、あの「大使徒たち」(同5節)という皮肉たっぷりの言い方をしているわ。彼はさらにこう非難を続けるのよ。「こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。
だが、驚くには当たりません。サタンでさえ光の天使を装うのです。
だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう」(同13-15節)

彼は、エルサレムの使徒たちのことを言ってるのよ。彼はペテロのことを言ってるの。ヤコブやヨハネのことを言ってるのよ。だって、パウロが名前を知ってるのはこの人たちだけだったんだから。パウロの時代には、イエスの12使徒は居なかったの。まだ存在しなかった。まだ、創作されていなかったのよ。だけど、ここで彼はこう言ってるわ。「サタンでさえ光の天使を装うのです。だから、サタンに仕える者たちが、義に仕える者を装うことなど、大したことではありません。彼らは、自分たちの業に応じた最期を遂げるでしょう」

ここで言っておくけど、このエルサレムのエクレシアというのは、改革派組織だったの;死海文書に出て来るようなタイプね。彼らは急進主義者だったのよ。彼らは急進派であるガリラヤ人ユダを信奉していたの。ユダはローマに猛烈に反抗していたわ。彼は焼き討ちや、略奪、皆殺しが大好きで、自分の革命のために騒ぎ立てていたのよ。Okay?

パウロのイエスは、このような革命的なタイプの人物じゃなかったわ。もちろん、ガリラヤ人ユダはAD19年に処刑されたのよ。

Joe: ピラトによってね。

Laura: そうね。そして重要なのは、このエルサレムのエクレシアがこういう情報を流していたことよ。すなわち、彼らの2人だか3人だか4人だかそれ以上かの革命指導者たちは復活することになっているか、あるいは、復活済みで姿を見せていて、今すぐにでも、神と共にやって来て、ローマ人を滅ぼすだろうと約束していたのよ。

こうしたこともあって、ユダヤの大反乱の際に、ユダヤ人側は大層自信があったもんだから、ローマに抵抗したのよ。というのも、彼らは彼らの神が彼らのメシアと共にあると固く信じていたからなのよ。。。そして、彼らのメシアは神ではなかったの。彼らのメシアは死んだ後で神が復活させた人間であり、神と一緒に戻って来て、ローマ人を叩きのめすだろうと言われてたのよ。

彼らはそう信じていたの。

でも、パウロはこれを信じてなかったわ。パウロは全く異なる説を持っていて、彼には全く異なるメシアが居たの。『コリントの信徒への手紙二』の先の方で、彼はこう言ってるわ。「彼らはヘブライ人なのか。わたしもそうです。イスラエル人なのか。わたしもそうです。アブラハムの子孫なのか。わたしもそうです」(11章 22節)ってね。だから、彼が誰のことを言ってるのかは、かなりはっきりしてるわ。結局どういうことかと言えば、パウロにとっての神の子とは、ガリラヤ人ユダや、その他のユダヤ人ではなかったのよ。後代の編集者たちが、それらは同じ人物であることを明らかにしようとしたにも拘わらずね。

ガラテヤ書で、彼は自らこう名乗ってるわ。「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」(ガラテヤの信徒への手紙/ 01章 01節)ってね。 それから、この手紙を送った相手の人々を咎めるの。「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。
ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているにすぎないのです。
しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい」(ガラテヤの信徒への手紙/ 01章 06-08節)
さらにこう続けるの。「兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。
わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです」(ガラテヤの信徒への手紙/ 01章 11-12節)

その後、2度目にエルサレムに上京した時のこととして、パウロはエルサレムのエクレシアを引き合いに出して、次のようにコメントしたの。「おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした(※私のメッセージには何も付け加えませんでした)」(ガラテヤの信徒への手紙/ 02章 06節)。「彼らは私のメッセージには何も付け加えませんでした」。彼のメッセージは、エルサレム・エクレシアで行われていたものとは、完全に全く違ってたのよ。『使徒行伝』に何て書いてあろうと、この2派が合流することはなかったのよ。

パウロに反対する者たちと対峙した時、彼はこう言ったわ。「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。
なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです」(ガラテヤの信徒への手紙/ 02章 11-12節)。私がヤコブ一味と呼ぶ、このグループが、パウロに対してスパイをし、しつこく追いかけ、彼や彼のグループの活動を妨害したやり方や、それに対してパウロが書簡で答えた内容から見て、パウロが説いている福音は、エルサレム・グループと同じキリストによるものでないのは明らかだわ。それで、エルサレム・グループは益々敵対的になって行くの。

こうした議論から、どうやら明らかなのは、パウロがガリラヤ人ユダや、その第4哲学
http://blogs.yahoo.co.jp/praise_logos/56666096.html
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/4157/410201.pdf
について知らなかったかも知れないということ、あるいは、ガリラヤ人ユダその他の、反乱で死んだ指導者たちが、エルサレム・エクレシアが説いていたメシアに間違いないらしいということで、それ故、彼らがパウロをインスパイアしたメシアでないのは明らかなの。ユダヤ人のイエスが大まかにモデルにしていた真のキャラクターについて、パウロは何の関心も無かったのよ。これ自体、驚くべき事だけど、これに気付いた結果、私たちはパウロを駆り立てていたものが一体何なのか、自由に見付けられることになるの。だって、彼が神話をでっち上げペテンを行っていないのは明らかだもの。彼は自分のミッションに、身も心も全て捧げたのよ。そして、究極的にはパウロが、主なキリスト教神学およびキリスト論の生みの親であるからこそ、私たちとしては、彼が何を考えていたのか、とても知りたいんだわ。

Joe: 電話での質問を受けるかい?

Laura: いいわ。

Joe: Okay. タンパ湾のスティーブンだ。

Laura: Hi Steven.

Steven: Yes, hello. Thank you. あなたは実に興味をそそるテーゼを生み出し本に書いたものだ。みんなが手に取るよう断然勧めたいね。だって、あなたが提示した推測みたいに異端的な考えに触れることは、僕らの文化においてはそうないからだ。あなたは善良な精神の持ち主のようだから、歓迎するよ。つまりこれは、人々全般に対する施しであり、親切で提示されているのだと思う。でも、僕が言っておきたいのは、もう5日もすればクリスマスだってことだ。あなたは僕のクリスマスを完全に台無しにしてしまったw

Laura: すぐに返してあげるわ。待ってて。

Steven: Okay.

Laura: 返すからね。

Steven: 少なくともサンタについては信じていてもいいのかな?

Joe: Yeah. 大事な事だ。

Steven: でも、全般的なコメントをしておこう。あなたが当時を振り返り、歴史文献をおさらいして政治と宗教がいかに混じり合っていたか示したのは興味深い。この2つは別々ではないんだ。宗教はこんにちの僕らの社会においても、大きな機能を営んでいる。僕はクリスチャンだと称してるけど、その一方で、ホントに信じてはいないんだ。馬鹿な事を言ってるのは分かるよ。24歳頃まで、僕は地獄に落ちると信じていたもんだけど、さらに探究したら、僕の信念が変わり、僕は地獄に落ちることはないと分かったんだ。

でも、一度誰かが、イエスという歴史上の人物は、実際にはその時代の様々な人物像の寄せ集めだと言っていたのは、実に興味深かった。それらが口承されていくうちに1つに織り合わされて、キリスト教はローマ帝国と一体化して行ったんだ。これをコメントしておきたかったんだ。でも僕個人としては、これまでの歴史は、僕らが考えているのが100%正しくなどないと思ってるんだ。僕らの抱いている時間の概念はとても歪められていて、過去、現在、未来は同時に共存しているのであって、歴史は決定事項ではないと思うんだ。それは修正できるんだよ。

Joe: 修正されるべきだね。

Steven: これが異常な考えだというのは分かるよ。でも僕はそれが理解できるし、どんな物語だって「100%正しい」とは思わない。そして、アースを取るために信仰が必要だとは思う。でないと、僕らは社会として集まって存在できないだろう。電話を切る前に最後に一言コメントしたいんだけど、これらの史実とされてきたことが100%正しくないと人々が理解し始める、実に面白い時代に僕らは居るんだ。それでも、社会には結合が必要だから、僕らは信仰を手放さない。でもこうして暴露が続けば信仰は希薄になって行くと思う。これまでは停滞した状況だったんだ。いずれにしても、この本を出してくれることに感謝するよ。

Joe: スティーブン、コメントをありがとう。言っておくけど、原始キリスト教についてチェックするといいよ。

Steven: 何だって?もう1度言ってくれよ。

Joe: 原始キリスト教だ。

Steven: Oh, 原始キリスト教か。Okay.

Joe: ウェブで検索してみなよ。

Steven: Yeah, そうするよ。あと、メリークリスマス![ローラ、笑う]

Joe: Alright, キミもね。

Steven: それじゃあBye-bye.

Joe: Bye.

Niall: またね、Steven.

Joe: 続けてニューヨークのジミーからだ。もう12分待ってもらってるんだ。Hi Jimmy.

Jimmy: Hi. 機嫌はどうだい?

Joe: まあまあだ。キミは?

Jimmy: I'm okay. ニューヨークには試練が訪れているけど、僕らはOKだよ。

Joe: 想像できるよ。

Jimmy: 僕はニューヨークに居るので、ドラマが多く起きてきているんだ。

Joe: さらに悪化してるね。

Jimmy: Yeah. ショーは楽しいよ。言っておきたいんだけど、根本的に、神(god)という言葉自体、あるペイガン・グループによってもたらされたもので、ゴッドとは元々は、グーダン(ghudan)と言ったんだ。それはゲルマン基語に由来している。あと、これも言っておきたいんだけど、古代のヘブライ人、ギリシャ人、アラム人、エジプト人のいずれの信仰にもイエスは居なかったのであり、いわゆるイエスと呼ばれるようになったメシアという考え方は、実際には翻訳と転写とが混じった結果生まれたんだ。歴史上、古代の神話が、ある文化を乗っ取った他の文化によって吸収されるということが起こった。乗っ取った側が言語を使って、自分達が作り出していないものについて語るということが典型的に起こる。神話学と宇宙論から多く学ぶのは、僕らが持って居るような進んだツールを持って居なかった古代文化が、しばしば誤解によって、それらを生み出したということなんだ。

という訳で、僕は宗教的な人間でもスピリチュアルな方でもないけど、人々の信じる権利はリスペクトする。人々には、いわゆる説教師やモスク等々に居る聖人について、深く調べてできるだけ多く質問して欲しいものだ。だって、僕らには脳があり、質問する権利があるからだ。このラジオショーを聴けてありがたいと思うよ。僕は議論が大好きだ。語り、ある点には同意し、ある点には同意せずに立ち去っても、軍の介入がなく、打ち首にならずに居られるようなのがねw

Joe: Yeah, 確かにね。

Niall: その通りだね、Jimmy. 電話ありがとう。

Jimmy: Thank you. みんな、良い1日を。

Niall: キミもだ。Thank you.

Joe: Bye.

Laura: さて、パウロが何を考えていたか知りたいという話だったわね。そしたら、信じられない事だけど、彼の書簡の中にそれを解明できるだけの十分な手掛かりがあったのよ。もちろんそのためには、背景で何が進行していて、当時の文化にどんな思想があって、他の人々が何を書き、何と言っていたのかについて相当知らなくてはならないんだけど、死海文書がかなり助けになるのよ。ナグ・ハマディ文書はキリスト教の経典と比較できるテキストの宝庫だったの。これらの書物から、数多くの結論が推測できるのよ。

当時は黙示信仰が隆盛だったわ。これは主としてユダヤ人が唱えていたのよ。例えばグノーシス主義は元々ユダヤ教に不満を抱き、もはやそれを信じていなかったユダヤ人が興したものなの。だからその事自体も興味深いんだけど、彼らが取り組んだのは、中期プラトン主義
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%BA%E3%83%A0#.E4.B8.AD.E6.9C.9F.E3.83.97.E3.83.A9.E3.83.88.E3.83.8B.E3.82.BA.E3.83.A0
と同様に、私たちと神とに間にあるものについてだったのよ。宇宙はどのレベルにあるのか?ってね。というのも彼らの考えでは、神は至高/至聖/至って純粋なので、人間とはおそらくコンタクトできず、直接的な繋がりが持てないだろうというのよ。そんなことしたら、神の方が汚れてしまうのでね。

そんな訳で彼らは層やレベルが存在するという宇宙論を発展させたの。宇宙にはあらゆる種類の存在が住んで居るという、天使論みたいなものをね。彼らはとても発達した天使論を持っていたの。その多くはユダヤ人が、ユダヤ語文献で発達させたのよ。さっきパウロが「わたしもユダヤ人です。ヘブライ人です」と言うのを読んだけど、彼はこのような環境で育ったのよ。このような高度に発達した天使論や多階層宇宙の考え方に接しながらね。これらの殆どは、ユダヤ人がギリシャ哲学者たちの思索から借用してきたものだったんだけど、そんなことはどうでもよかったの。これが当時の知的環境の一部だったのよ。

という訳で、パウロもこれに基づいて書簡を書いてるので、彼は恐ろしい勢力との戦いに従事していたのであり、ある1個の存在が、神よりも低位の一連の世界に敵対し、擁護者/贖い主として行動しているというのが彼のビジョンだったのよ。パウロはおそらく、『イザヤの昇天』という作品から主として影響を受けたんだと思うわ。
(※ブリタニカ国際大百科事典:イザヤの殉教と昇天
イザヤの殉教,イザヤの幻,イザヤの昇天の3部から成る初期キリスト教の書。第1部は前1世紀初めヘブライ語またはアラム語で書かれ,第2,3部は紀元 100年頃キリスト教徒の手でギリシア語で書かれたが,原文はない※※)
イザヤの昇天は、死海文書のお蔭で読むことができるようになったの。パウロはイザヤの昇天で明かされているのと、とてもよく似た啓示を受けたのよ。『コリントの信徒への手紙一』でパウロは、神が彼に対して驚くべき事を啓示したので、彼はそれを敷衍して述べているのであり、これは私たちを救済するための、神から私たちへの賜物だと言っているの。この「賜物」の冥界降りと再昇天の目的は、コロサイ書の一節で示されているわ。「(神は御子の)十字架の血によって平和を打ち立て、地にあるものであれ、天にあるものであれ、万物をただ御子によって、御自分と和解させられました。
あなたがたは、以前は神から離れ、悪い行い(=天使礼拝)によって心の中で神に敵対していました。
しかし今や、神は御子の肉の体において、その死によってあなたがたと和解し、御自身の前に聖なる者、きずのない者、とがめるところのない者としてくださいました」(コロサイの信徒への手紙/ 01章 20-22節)。さらにパウロはこう宣言しているわ。「人間の言い伝えにすぎない哲学、つまり、むなしいだまし事によって人のとりこにされないように気をつけなさい。それは、世を支配する霊に従っており、キリストに従うものではありません。
キリストの内には、満ちあふれる神性が、余すところなく、見える形をとって宿っており、
あなたがたは、キリストにおいて満たされているのです。キリストはすべての支配や権威の頭です」(コロサイの信徒への手紙/ 02章 08-10節)

ここで言われているのは、サタンと手下の天使のことよ。だから、コリントの信徒への手紙一でパウロは、こう言ってるの。「この(悪者)たちはだれ一人、この知恵を理解しませんでした。もし理解していたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう」(コリントの信徒への手紙一/ 02章 08節)

だからパウロは、コロサイの信徒への手紙で、「神は。。。もろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストの勝利の列に従えて、公然とさらしものになさいました」(コロサイの信徒への手紙/ 02章 13-15節)と言ってるのよ。

ここで、「勝利の列」というのは、まさにローマの儀式よ。

それで、パウロを駆り立てたのは、イザヤの昇天ではなくて、正典のイザヤ書であることが分かるの。知ってる人も多いでしょうけど、メシアというのは単に、聖油で清められた者という意味で、司祭にも、王にも、預言者にも当てはまるのであり、イザヤ書には旧約聖書の中でただ1人、ユダヤ人以外でメシア、すなわち、ヤハウェにより聖油で清められた者が出てくるんだけど、それはキュロス王なのよ。パウロは自分が使徒として召された時の様子を次のように述べてるわ。「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、
御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、
また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした」(ガラテヤの信徒への手紙/ 01章 15節)

この文章の言葉の並び方と明らかに似てるのが、イザヤ書49章の一節よ。「島々よ、わたしに聞け/遠い国々よ、耳を傾けよ。主は母の胎にあるわたしを呼び/母の腹にあるわたしの名を呼ばれた」(イザヤ書/ 49章 01節)。数多くの箇所でパウロは神命を帯びたイザヤのような神の僕になりきり、上の文章に基づいて、彼のミッションを計画していたようよ。ヨセフスを読むと分かるんだけど、パウロが啓示を受けた地域というのは、エッセネ・グループが住んで居た場所なの。パウロの旅程は、イザヤ書66章によって決められたのよ。曰く、「わたしは彼らの業と彼らの謀のゆえに、すべての国、すべての言葉の民を集めるために臨む。彼らは来て、わたしの栄光を見る。
わたしは、彼らの間に一つのしるしをおき、彼らの中から生き残った者を諸国に遣わす。すなわち、タルシシュに、弓を巧みに引くプル(※リビヤ)とルド(※リディア)に、トバルとヤワン(※ギリシャ)に、更にわたしの名声を聞いたことも、わたしの栄光を見たこともない、遠い島々に遣わす。彼らはわたしの栄光を国々に伝える」(イザヤ書/ 66章 18-19節)

ということで、どうやらパウロは、自分は異邦人を父なるユダヤの神の下に導くために生まれ、生きているものの、これを成就させる聖油で清められた方とは、十字架にかかったキリスト、すなわち、些細な理由で殺されたカエサル
http://tango.mage8.com/trivial
だと信じ込んでいたようね。いずれにしても、本の方では幾らか詳しく検討してあるので、パウロがどんな風にして、イザヤの具体的な計画に従ったか読めば分かるわ。パウロは、イザヤがキュロスについて語った以下の通りのことを言ってるのよ。「主が油を注がれた人キュロスについて/主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り/国々を彼に従わせ、王たちの武装を解かせる。。。
災いだ、土の器のかけらにすぎないのに/自分の造り主と争う者は。粘土が陶工に言うだろうか/「何をしているのか/あなたの作ったものに取っ手がない」などと」(イザヤ書/ 45章 01、09節)。これがロマ書で繰り返されてるの。「人よ、神に口答えするとは、あなたは何者か。造られた物が造った者に、「どうしてわたしをこのように造ったのか」と言えるでしょうか。
焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか」(ローマの信徒への手紙/ 09章 20-21節)ってね。

ということで、お分かりのように、パウロがカエサルをイエスとして説いていたと考える十分な理由があるのよ。そして、電話してきた人も言っていた通り、「J」は居なかったの。本当はイエズス(Yesus)だったんであり、ジュリアス・シーザーにも本当は「J」は使わないの。ユリウスなのよ。シーザーという風にも発音しなかったわ。カエサルと発音したのよ。ユリウス・カエサル(Iulius Kaiser)ってね。

Joe: パウロが実際には救世主であるユリウス・カエサルの教説を、その名前で呼んで実践していたってことかい?

Laura: Yes!

Joe: ベールで隠すやり方じゃなかったんだ。。。

Laura: あるテキストでは、彼が世に遣わされた時、彼は最も高貴な名であるイエス、すなわち、ヨシュア、実際はイエシュアと呼ばれたというわ。イエシュアとは救い主という意味なの。だから、パウロはユリウス・カエサルを、イエシュア・クリストス(Yeshua Christos)、つまり、聖油で清められた救い主という名前に変えたのよ。

Joe: パウロがある人々を離反させないように努力した、あるいは、この宗教のアピールを広げようとしたということはあり得るかな?

Laura: Yes, だって、パウロが、ある事は外へと宣教し、他の事はグループ内の内輪に留めようとしたという証拠もかなりあるもの。彼は書簡の中の明らかに数多くの箇所で、自分の行っていることを語っているわ。そしてガラテア書のある箇所では、「目の前に、イエス・キリストが十字架につけられた姿ではっきり示されたではないか」(ガラテヤの信徒への手紙/ 03章 01節)とも言ってるの。つまり、彼は神秘的な劇を上演していたのよ。彼が受難の劇を上演していたのは疑いないわ。

Joe: パウロの教えには確かにスピリチュアルな側面があるね。

Laura: もちろんよ!

Joe: でも、彼はそうした要素を、例えばユリウス・カエサルの生涯から取って来たんじゃないよね。ユリウス・カエサルは慈悲深く、善い行いなんかをしたけども、それらはとても世俗的なことだった。カエサル自身は、いかなる抽象的でスピリチュアルな考え方も、推し進めたり、提示したりしなかったんだよ。

Laura: Okay. ちょうどいい逸話があるわ。本の原稿から探して読んでみるわね。アンティオキアの聖イグナティオスはある説教の中で当時一般に信じられていたに違いない、興味深い詳細な教義に触れているの。イグナティオスはおそらく、地上に実在した人間イエスの物語のでっち上げに関与していたと思われるけど、それは全く別の話よ。彼曰く、「そしてマリアの処女性と彼女の出産、同様に主の死とは、この世の宰(悪魔)に気づかれなかったのです。これら3つは(今は世界中に語られる)叫びの秘儀ですが、(当時は)神の静けさの中で遂行されたのでした」(『使徒教父文書』講談社文芸文庫 荒井 献/編 所収、「イグナティオスの手紙 − エペソのキリスト者へ」八木誠一訳、167ページ)

さて、ここの所で彼は、これらは全て私的な秘め事だと言ってるの。これについては誰も知らなかったのよ。というのはもちろん、彼が展開しているのが、ユダヤ人イエス論だからね。「では彼はどのようにして世にあらわれたのでしょうか。ひとつの星(マタイ2.1以下)がどんな星より明るく天に輝き、その光は言いあらわし難く、その新しさは異様の感を起こしたのでした。他の星はすべて、太陽や月と一緒に、その星のまわりの合唱団となりました(創世37.9)。その星自身は輝きにおいてすべてに勝っていたのです。比較を絶したこの新しさはいったいどこから来たのかという困惑が生じたほどでした。このゆえに一切の魔術と悪の束縛は失せたのです。無知が取り去られ、旧い王国が破壊されたのは、神が人として、永生の新しさ(ローマ6.4)のために現れたからなのです」(同上)。

これは、イエスの誕生と死とは、世界中にも悪魔にも知られていた、という福音書の説明と相容れないのよ。「イグナティオスの叙述は、マタイ伝やルカ伝に描かれているイエスの誕生やベツレヘム、東方に現れた星、賢者、羊飼いたち等々が出て来る物語とは全く異質なものである。イグナティオスは、目を見張るような天空での出来事を、イエスが闇の勢力を打ち破って、死後に復活したことと関連付けている。イグナティオスはこう言いたかったのだろう。『こうしてイエスはこの世に現れた;ガリラヤの説教師としてではなく、天上に輝くまばゆい光としてである』」
(※ローラの近刊からの引用でしょう)

明らかにそれが当時の人々の理解だったのよ。イグナティオスやポリュカルポスその他が、地上に実在した人間イエスをでっち上げようと腐心しているところだったとしてもね。そうではなくて、当時、死後に星が出現して救世主だと理解された人物、死後、葬礼競技の際に、大彗星が出現した人物とは誰かしら?

Joe: カエサルだ。

Laura: ユリウス・カエサル、その人ね。

Joe: あなたが番組の一番最初の方で言っていたミトラス教に話を戻したいんだ。ミスラの秘儀が、AD1から4世紀にかけて行われていたんだよね。

Laura: 言っておくけど、私、ミトラス教には興味を失ったのよ。でも、どういう結論に至ったかは言っておくわ。

Joe: Yeah.

Laura: それはフリーメーソンのようなものだと思うのよ。

Joe: あなたは、それがカエサルと関係があるだろうと推測してたよね。ユリウス・カエサルは生きている間に、ミトラス教を後押ししていたのかな?

Laura: それはなかったでしょうね。彼はそれと何の関係もなかったと思うのよ。こうした事は、死後に彼の名前に結び付けられたんだと思う。というのも、ミトラス教はフリーメーソンみたいなものだから。

Niall: どちらかと言うとクラブに近いのか。

Joe: でも時期的には大体同じなんだよね。

Laura: Oh, yes!

Joe: だって、ミトラス教はゾロアスター教とつながりがあるからね。それが、おそらく霊的信仰の出所なんだろう。

Laura: 待って。そうじゃないわ。

Joe: そうじゃないって?

Laura: そうじゃないの。それはミトラス教に関する初期の解釈で、フランツ・キュモンはじめ多くの人々が、そう唱えていたのよ。ゾロアスター教あるいは、ペルシャ戦争ないし、ペルシャ人ミスラという観点からの解釈ね。より最近の解釈では、ミトリダテス戦争に着目して、この頃、付近で数多くの反乱が起きたもんだから、反乱を鎮める対抗手段としてミトラス教が作られたとされてるわ。いずれ、これについても詳しく論じなくてはね。

Joe: ゾロアスター教は興味深いと思うんだ。だって大まかに言えば、善と悪の軍勢があって、人は良い人生を送らねばならないと説くんだからね。どちらも、殆どグノーシス主義の信仰と同じじゃないかな?

Laura: ミトラス教をゾロアスター教と同一視してはいけないわ。同じじゃないのよ。

Joe: Right.(=そうか。)でも、公式にはおそらく、両者は結び付いてるとされてるんだよね?

Laura: Well no. それはかつての見解よ。

Joe: 古い観方なのか。

Laura: そう、古い観方なのよ。

Joe: だけど、きっとあなたは。。。電話をくれたスティーブンも言っていたように、宗教はこんにちでも様々な結び付きを持っているし、いつの時代にも、政治や政治的状況と常に多くの結び付きを持っていたんだろう。イスラム教に正面から取り組まなくては、こんにちの世界的な政治情勢を本格的に論じることはできないよ。混沌と危機の時代を何らかの方法で煽ってきたのは宗教だと言えるだろう;背景にあったのはね。だから多分、これは2000年前にも当てはまるんじゃないかな。そして、あなたが研究した通り、パウロが布教をして回っていたのは、様々なタイプの沢山の宗教、あるいは、あまり宗教的ではない、政治的/社会的な信念が世に溢れていたからで、パウロはミッションを帯びつつ、当時の様々な信仰を折伏しようとしていたんだ。。。

Laura: 彼がそれを意識してやっていたかは分からないわ。彼にはビジョンがあったと思うのよ。彼はおそらくユリウス・カエサルの受難劇を観たんでしょう。彼は天使論や黙示文学にかなり精通していたし、妄想も抱いていたの。彼の気質は書簡から伝わって来るわ。

Joe: 彼はどこでそんな黙示文学を手にしたんだい?

Laura: 至る所にあったのよ。ユダヤ人は至る所でそれを書いていたの。

Joe: Right.

Laura: そういうものが溢れかえっていたのよ;うわさになってたの。これら、いわゆる初期のキリスト教徒=初期のエルサレム・エクレシア=死海文書を残した人々は、真剣な終末論者で、真剣にローマ人を滅ぼそうとし、ローマ帝国に反抗しようとしていたの。だから殆どこんにちのイスラム原理主義者みたいなものだと言えるでしょうね。

Joe: Right.

Laura: だから彼らは、自分達と同じ信仰を持たない人々なら半殺し/皆殺しにしようと思っていたの。

Joe: 終末論思想ということで1つにまとまった特定の宗教はなかったんだね。

Laura: それがユダヤ教のバリエーションの1つだったのよ。でも、ユダヤ教には数多くのバリエーションがあるわ。許容されていたの。サドカイ派やパリサイ派があったわ。

Niall: こんにちのイスラム教みたいだね。

Laura: Yeah. イスラム教にもスンニ派、シーア派、ワハビ主義等々があるわね。ここで1つ紹介したいものがあるのよ。本の内容を全部ばらすつもりはないんだけど、ウェルギリウスの作品を見つけたの。彼はカエサルの暗殺に続いて起こった異常な出来事の数々について述べていて、さっきの星のイメージの話にもつながってるのよ。彼曰く:


---
誰があえて太陽を嘘つきだと言う者があろうか?
彼はまた、しばしば、暴動がひそかに迫っていること、陰謀と、隠された戦争が勃発しようとしていることを人間に教える。
のみならず、カエサルが殺害された時には、その光り輝く面を暗い錆色でおおいかくし、ローマに憐れみの色さえ見せた。そのため、神なき時代も、暗夜が永遠に続くことを怖れたのだ。
そのときは、大地も大海も、不気味な犬どもも不吉な鳥どもも禍いの来るのを知らせた。
われわれはいくたび見たことか、エトナ山がその大釜を打ち破り、流れ出した溶岩が、キュクローペスの野にわき立ち、焔の塊と溶けた岩とが転げまわるのを!
ゲルマーニアは剣戟の音が空中に満つるを聞き、アルプスは稀有の震動に戦慄した。
多くの人々が、森の無言(しじま)の中で、はっきりと1つの声を聞いた − 恐ろしい声を。日が暮れると、蒼白い幽霊が現われ、家畜は人間のように話した。
何という恐ろしいことだ!川の流れは止まり、大地は裂け、神殿の中では象牙の像が悲しみの涙を流し、青銅の像は汗をかいた。
川の王エーリダヌス(※邦訳書の注:パドゥス川のギリシア名。現ポー川。イタリア最大の川で、前43年に大洪水を起こした)
は、荒れ狂う渦をもって森を洗い流し、家畜の群れを小屋もろともに、すべての野を越えて運び去った。
同じ頃、犠牲獣の内臓は不吉な前兆を示して止まず、井戸からは血が流れつづけ、高く聳えたつ町々には、夜通し狼の吠え声が響き渡った。
青天からかくもしばしば霹靂が走ったことはなく、不吉な彗星がこれほど頻々と燃えたこともない。
---
『牧歌・農耕詩』ウェルギリウス/著 河津 千代/訳 未來社 所収「農耕詩」218-220ページ。


Joe: まるで、過去数年に地球で起こった出来事がいっぺんに起きたような感じだね。エトナ山は2週間前に噴火したばかりだよ。

(※AFP:伊シチリア島のエトナ山噴火
2015年12月05日 10:06 発信地:ローマ/イタリア

伊シチリア島のエトナ山噴火
×イタリア・シチリア島の町、タオルミーナ上空に上がったエトナ山の噴煙(2015年12月4日撮影)。
(c)AFP/GIOVANNI ISOLINO

【12月5日 AFP】イタリア・シチリア(Sicily)島で4日、エトナ山(Mount Etna)が噴火し、火山灰を上空に噴き上げた。欧州で最も活発な活火山とされるエトナ山の噴火としては、この20年間で最も大規模なもの一つとなった。

 イタリア国立地球物理学火山学研究所(INGV)によれば、同火山の中央にあるボラジネ(Voragine)火口から2年ぶりに溶岩が流れ出し、噴煙が上空約7000メートルの高さにまで上がったという。(c)AFP ※※)

Laura: Yeah. 明らかにこれが書かれたのは福音書が出来上がるよりずっと前で、それらがどこに取材したのか、よくわかるでしょ。。。

Niall: 黙示文学からだ。

Joe: 終末論からだ。

Laura: そして、イエスが死んだ時に起きた事に関する思想からだわ。もちろん、カエサルの葬礼競技の際に、彗星が出現したことはよく知られているし、私が最近読んだある研究によれば、カエサルが死んだ時に、大気中の火山性物質を示すグリーンランドの氷床コア量のグラフが山形を示しているというわ。という訳で、カエサルが死んだ時にこれが起こった事が科学的に確認されている一方で、イエスが死んだとされるAD29年ないし30年には、そのような証拠は全く何も無いのよ。実際、大プリニウスとセネカは2人とも自然史に関する本を書いて、全ての彗星と地震を記録してるんだけど、当時彼らが入手できた文献にも、イエスが死んだと言われるAD29年か30年に、世界のどこかで彗星や地震があったとは言われていないの。でも、そうした文献のいずれもが、カエサルが死んだ時に、ひどい災害があったとコメントしてるのよ。

Joe: 黙示文学や終末論の出所については分かったけど、救い主の思想はどこに由来するんだろう?ユリウス・カエサルに関して、彼が救世主について説いていたという話は聞かないね。

Laura: その思想が、グノーシス派や死海文書タイプの文献の中で展開されてるのは興味深いわ。だって、ナグ・ハマディ文書を読んでから、死海文書を読んでみれば、確かに一致してるのが分かるもの。もちろん、両者を混ぜ合わせずに単体で純粋に研究すべきだと反論する人たちも居るわ。でも、幾つかの一致点があるのはかなり明らかよ。で、両者の違いなんだけど、死海文書を書いた人々は、黙示文学の線に沿って思索を巡らしながらも、旧約聖書の記憶を保っていて、旧約の神こそが至高の存在だと思っているのよ。

他方、グノーシス派の方は、全てを逆転させてるわ。彼らは不満を抱いてたの。彼らはユダヤ教の神は悪魔のようになり、やがて闇の支配者になったか、あるいは彼がデミウルゴスだったのに、イエスをでっち上げた人間は自分のやっている事がわかっていない、という風に思索を巡らしていたの。ということで、これら2つのグループは、別々の軌跡を辿った訳だけど、同じ基本思想からスタートしてるの。さっき言ったように、どちらも宇宙や被造物にはレベルがあるという中期プラトン主義に基礎を置いて思索を巡らせてるのよ。

というのが、天使や被造物等々に関する思想の状況なんだけど、こうしたことを考えると、パウロはそれほどイカレていないし、だからこそ興味深いと思うのよ。もし、彼が語っていたのがこういうことで、ユリウス・カエサルこそが、人類と邪悪な闇の支配者や堕天使等々との間に立ちはだかっているのだと彼が確信していたとすれば、多分彼はイカレてなどいなかったのよ!

Joe: 人々に対して、救われるための生き方ではなく、かなりシンプルで基礎的な生き方の掟を説いていたんだね。

Laura: 彼が抱いていたのは、救い主とは単に聖油で清められた者だという考え方で、誰かが救い主であるというのは、元々ユダヤ教的な考え方というよりは、実際にはローマ的なものなのよ。だって、ユダヤ教は「主につき従いなさい。あなたたちには契約がある。無垢でありなさい。そうすれば、主はあなたたちを支えてくださる」というのが中心にあるでしょ。でも、彼らももちろん、これが役に立たないと分かったの。それで、ユダヤのグノーシス主義が興ったのよ。ユダヤ教に対する不満からね。

ところが、私的な庇護関係(パトロキニウム)の考え方は、実にローマ的なものだったわ。パトロンには朝、挨拶に行く。パトロンの方では面倒をみてくれる。古代世界におけるマフィアみたいなものね。奉仕という絆を手にしていたのよ。ある意味、初期の封建主義と言えるでしょうね。

Joe: 地球が変化するようなタイプの事が進行して、極度のストレスと危険を感じていた時期、人々はようやく救われる必要があるという考えを討議したのだろう。だから、もし人々が救世主か過去の誰か偉大な人物の出現/再来について討議したのなら、あなたが言ったように、多分、それはカエサルの人生についてであり、それがある人々にとって持っていた意味合いについてだったんだろう。

Laura: 彼は実に抜きん出た人間だったもの。これまで読んだ、過去の人間の中で、彼はおそらく最も偉大でしょうね。時には彼を批判する人々の本も読んでみなくてはいけないわ。彼の行っていたことが理解できない人でも、データや情報を与えてくれるし、カエサルは嫌いだ、理解できない、という人が、それでも彼を良く言うような点を知れば、全体像がつかめるのよ。だから、私はかなり自信を持って言えるんだけど、彼はこれまでの中でおそらく最も偉大な人間だわ。彼が私たちの時代に生まれていたら、もっと偉大だったでしょうね。分からないけど。

要するに古代においては、救われた人達だけが天国に行けると考えられていたのであり、天国とは、すなわち、星に上って神々と共に暮らせるのは、偉業を成し遂げた英雄だけであって、一般の、普通の人間が、死後の生命を得るただ1つの方法は、何としても英雄にすがりつくこと、カルトにお布施を払って英雄に覚えてもらうことだったのよ。だから、これは基本的に、ごく初期の宗教思想の類だったのよ。だって、一般の人は。。。英雄じゃない限り。。。そんなに英雄が居る訳じゃないので、死後の生命を得る見込みはなかったのよ。

埋葬された人々の副葬品であるパピルスや金に記された数多くの銘に、カルトの目的が記されているわ:「どうか私を忘れないでください;わたしはあれもやったし、これもやりました。皆さんの仲間です。儀式もしました;あれもしたし、これもしました。だから、どうか私を忘れないで、死後も生きたいという望みをかなえて下さい」という具合にね。

そんな風にして、普通の人が死後の生を得られるか、どうすればいいのか、ということに関する思想が徐々に育まれたのよ。というのも、死者は地中の暗い場所にうんと長い間居なくてはならないんだから、人々にとっては、死んでも幽霊になってうろつき回らないようにするのが肝心なことだったの。だから、家族を持たなくてはならなかったのよ。死んだ後も、世話をしてくれ、年に1度と言わず食べ物を持ってきてくれ、地面にお神酒を注ぎ等々してくれる家族を持っていなくてはならなかったの。

カエサルがそうだったようなパトロン、英雄、自分を擁護し、自分のために戦ってくれる人が必要だという考え方ね。そして、カエサルは当時、報われて当然の人を見捨てないことで有名だったわ。彼は寛大さや、人々を助け、常に公約を果たすことで有名だったの。これは当時、一般に知られていたことなのよ。こうした事の全てがパウロの頭の中にはあったの。こうした空気を彼は吸っていたのよ;ユダヤ的な黙示信仰をね。彼は明らかにディアスポラの目に遭ったユダヤ人だわ。彼はエルサレムで生まれていないし、エルサレムに住んでもいなかったの。彼はエルサレムに2回しか行ったことがなくて、1回目は2週間、2回目は数日しか居なかったのよ。だから、彼はエルサレムのユダヤ人じゃなかった。彼はディアスポラのユダヤ人だったの。彼はユダヤ人と居るよりも、他所の国を本拠にして居たことの方が多かったのよ。だからこそ私は、アイゼンマンが、パウロは死海文書で言われている嘘つきだと言うのは疑わしいと思うの。だって、パウロは彼らに警戒されてすら居なかったのよ。この本で私は、死海文書の民が言うような嘘つきが居たとしたら、それはヨセフスだと書いたの。

Joe: あなたは、スティーブンにクリスマスを返すと約束したよね。みんなも聞いていた。どうしたら僕たちはクリスマスのご馳走を取り戻せるんだろう?こんな話を聞いた後で、一体どんなクリスマスのご馳走があるというんだい?

Laura: 古代ローマのサトゥルナリアという、農神サトゥルヌスの祭りは知ってるでしょ。これの行われたのがユリウス暦の12月17日だったんだけど、その後、23日まで続くように、この祭りは拡大されたのよ。この祭りは、フォロ・ロマーノ(◆パラティヌスの丘とカピトリウムの丘の間にある、古代ローマの中心地の呼び名で、ローマ市内に遺跡として残されている)
にあるサトゥルヌス神殿に犠牲のお供えをし、公に饗宴が催されお祝いを行った後、個人的に贈物を交換したり、パーティーを続けたりして、カーニバルの雰囲気の中、社会のあらゆるルールが逆転したの。ギャンブルが許され、主人が奴隷に仕えたのよ。共和政期の抒情詩人カトゥルスは、このお祭りこそ最良の日々だと言ってるわ。これはローマの祝日の中でも最もよく知られていて、みんなこれが大好きで、待ち焦がれていたのよ。この祭りの発生はBC5世紀に遡るんだけど、何が目出度かったかと言うと、サトゥルヌス神の治世が黄金時代であり、黄金時代には、みなが平等だったからなのよ。みんな自分の欲しい物、必要な物を持っていて、皆が幸せで、皆が皆を正当に扱ったの。だから、サトゥルナリア祭の間は、そのように振る舞うべきだとされたのよ。楽しく過ごして、贈り物をしなくてはならなかったの。

Joe: あたかも黄金時代のように。

Laura: 黄金時代に生きているかのようにね。一時の間、黄金時代が復活したのよ。これが冬至の前に始まったのは、太陽を呼び戻すパーティー、光のフェスティバルとして始まったからだと言われてるの。英語版Wikipediaにもこう書いてあるわ。「おそらくローマの祝日の中で最もよく知られていたものではあるが、サトゥルナリア全体を始めから終わりまで何か1つの古代ソースでもって説明できるものではない。こんにちの理解は、様々に説明される側面をひとつにまとめたものとならざるを得ないのである」(※『家庭版ギリシャ・ローマ世界への手引き』の中のファニー・ドランスキーによる「サトゥルナリア祭:宗教儀式とローマ人の家庭生活」からの引用)
https://en.wikipedia.org/wiki/Saturnalia#cite_note-4
Wikipediaには、小セネカの書簡からの引用も載ってるけど、彼は幾分ためらいながらも、この祝日を楽しみにしていたようね。彼、曰く:


---
今は12月で、市の大半は大騒ぎだ。手綱を緩めることで大いに浪費がなされる。サートゥルヌスに捧げられた日々が普段の仕事の日々と本当の違いがあるとでもいうように、あちこちから大掛かりな準備の音が聞こえるかもしれない……。あなたがここにいたらならば、私は喜んで我々の計画について議論しただろう。普通にしているのが奇妙なら、トガを脱ぎ捨てて夕食を共にすればよい。なぜなら、トガを脱ぎ捨てるのもサトゥルナリア祭の一部だからだ。
---
邦訳出所:Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%A5%AD#.E6.96.87.E7.8C.AE


Joe: 裸で走り回るってことかな?w

Laura: 確かなところは分からないわ。

Joe: Yeah well 何かは着てなきゃいけないだろう。何を着てたんだろう?

Laura: おそらく白いチュニックよ。多少文明化した後、ローマ人の殆どは、ギリシャ風のチュニックをトーガの下に着ていたもの。小カトが、トーガの他に何も身に着けず、裸足で歩き回っていたのは知ってるわよ。自らの高潔さを証明しようとしてね。

Joe: その代りに、彼はどうも人々を怖れていたようだね。

Laura: 小プリニウスは、隠居所として使っていたヴィッラの離れの部屋について記しているわ。「特にサートゥルナーリア祭の間、祝日と祝祭の気ままさでこの家の他の部分は騒がしい。それでも、私は家族の遊びを妨げはしないし、家族も私の仕事や研究を妨げない」(邦訳出所:Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%AB%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%A5%AD#.E6.96.87.E7.8C.AE
だから、彼はホントに興ざめなことを言う人なのよ。

Joe: 彼はペテン師だった。

Laura: Yeah.

Niall: なんだかクリスマスみたいな感じだね。

Laura: そう。だから、ローマ人はクリスマスカードを発明したようなものなのよ。だって、小さな贈り物に詩も添えたんだもの。彼らは大抵、ちょっとした贈り物を贈ったのよ。大切に考えてる人に対する贈り物ほど、小さかったわ。大きくて高価な物を買ったのは、誰かに自分を印象付けようとする人だったの。そして、贈り物をする場合には、手書きの詩を添えなくてはならなかったもんだから、クリスマスカードの初期型みたいなものだったのよ。

いずれにしても、ここに何か他に書いてないか見てみましょう。「共和政後期には、身内での祭りだったサトゥルナリアは7日間と長くなり、12月17日が初日だった」
(※英語版Wikipediaに引用されているマクロビウス)
https://en.wikipedia.org/wiki/Saturnalia#cite_note-49
という訳で、キリスト教の教父たちが、自分達の目的のためにサトゥルナリアを取り込もうとして、この祭りにイエスの誕生を関連付けたのは、ようやく4世紀になってキリスト教が国教に採用されてからだったのよ。

Joe: 4世紀か。

Laura: そうよ。

Joe: それじゃあ、イエスが生まれたとされる時からほぼ400年後だ。

Laura: 300年後よ。

Joe: 300年後か。

Laura: Yeah. いずれにしても、ミシュナ(◆ユダヤ教のタルムード(Talmud)の中核となる部分で、紀元200年ころにJudah HaNasiがユダヤ教の律法や道徳などの口伝を集大成した)
には、冬至の8日前に始まる、サトゥルナというペイガンの祭りについて述べられてるわ。それに続いて。。。これはおそらく、ディアスポラのユダヤ人、すなわち、ローマの祭り全てを観たことがあるけど、どうやらサトゥルナリアがとても気に入ったユダヤ人が始めて発達させたんでしょうけど。。。それに続いて、冬至の8日後には、1月の朔日(Calends)に最高潮に達する、カレンダという名前の祭りがあるの。タルムードによれば、この祭りの起源はアダムに始まるというわ。

Joe: アダムか。

Laura: Yeah. 日が短くなるのを見て、それは自分の罪のせいだと考えた男が、世界はカオスと空虚に戻って行くのだろうかと怖れたために、座り込んで8日間断食するのよ。どう思う?これがタルムードよ。彼らはパーティーのやり方を知らないの。そのうち、また日が長くなってきたのを見て、これが世界の自然なサイクルだと気付いた彼は、8日間これを祝福したのよ。タルムードは、この祭りが後にペイガンの祭りに変わったと述べてるわ。だから基本的に彼らは、これはでっち上げられたものだと主張してるの。コメントは控えるわ。

古代の文献によれば、
http://penelope.uchicago.edu/~grout/encyclopaedia_romana/calendar/saturnalia.html
「12月の初めには、農夫は秋の種まきを終えていなくてはならず、冬のサトゥルナスが近づいて来た今、種と播種の神を祭礼で讃えるのだ。キケロの時代には、これは7日間続いた」。アウグストゥスはこれを3日に制限したのよ。だって彼は本当の。。。

Joe: スクルージだった。

Laura: 彼はスクルージだったの。それについては疑問の余地がないわ。クラウディウス帝が元に戻したのよ。ということで、このローマの1年のうちで最も有名な祝日には、幸せになる理由が沢山あるのよ。さっき言ったように、カトゥルスはこのお祭りこそ最良の日々だと言ってるわ。他に何か書かなかったかしら?ゲストへの贈り物があったわ。制限が緩められ、社会秩序が逆転したの。全てが楽しかったのよ。自由の季節を象徴してフェルトの帽子を被ったの。少し先が尖ったサンタクロースの帽子は、これに由来するに違いないわ。だって、彼らが被ったフェルトの帽子は、自由を象徴するミスラの尖がり帽なんだもの。奴隷たちが平等に扱われたのよ。もちろん、一時的な平等だったけどね。

あらまあ、醜悪な話にさしかかってきたわ。これについて話す気はないわwここで何ページか飛ばして、私が集めた違う話を見てみましょう。こんなのはもう十分だわ。もう分かったでしょう。サトゥルナリアは、カエサルや彼の人生の出来事をクリスマスに結び付けるベストな方法なのよ。彼の導入した新暦と、12月に2日ほど日を追加した以外ではね。彼は、サトゥルナリアの初日を17日に動かしたの。だから、17、18、19、20、21、22ということで;基本的に冬至までを祝うのよ。冬至の後も祝ってよかったんでしょうね。

Joe: 古代の人々はこの祭礼を作り上げることができたんだから、きっとこんにちの僕らもそうできるし、ある程度は伝統を継承することもできるだろう。僕らは、これを拡大できるんだ。

Laura: それは素晴らしいわね。だって、サトゥルナリアにカラオケをしたり、多分少々シャンパンを飲んで、ご馳走を食べればいいのよ。だって、私は饗宴のことばかり考えてるんだもの。これで肝心なのは、饗宴を行わないのなら、人々は不幸だってことよ。七面鳥やハムやガチョウやアヒルか何かに、ドレッシングかグレイビーソースをかけた料理、それとケーキやパイがなくちゃね。だって、大々的な饗宴こそ、ローマ人が専らしていたことなんだから。彼らはパーティーをして、贈り物を贈り合い、互いに詩を書き贈って、走り回り、陽気に振る舞ったのよ。だから、私たちもそうすべきだと思うの。だけど、それがイエスか誰かの誕生日だという思い違いをすべきじゃないわ。カエサルの誕生日でもないのよ。彼の誕生日は7月だわ。だから、7月中旬にちょっとしたお祝いをしない理由は無いと思うのよ。

Joe: まあ、そんなわけなんですよ、皆さん。僕らは片手にはイエスの真実を手にし。。。

Niall: 取り戻したね。

Joe: 。。。もう一方のお祭りも取り戻し、救い主である赤ん坊の誕生日を繰り返し祝い続けるだけよりは、おそらくずっと発展性のあるオープンなやり方で、状況を説明した訳だ。

Laura: これを行えるただ1人の人がカエサルなのよ。

Joe: Right. カエサルがカンバックしなくてはならないんだろうけど、それが起こる見込みはあまり大きくなさそうだ。今週はそういうことにしておきましょう。

Laura: 私はこう言うわ。エオー、サトゥルナリア!
http://ameblo.jp/happy-runes/entry-11445582588.html

Joe: エオー、サトゥルナリアだって?どういう意味だい?

Laura: どういう意味かというと。。。

Niall: メリー・サトゥルナリアかな?

Laura: 大体そんなところよ。

Niall: Oh! エオー、サトゥルナリア!

Joe: それで行こう。ラディカルなメリークリスマスからの脱却だけど、いいじゃないか。結局言葉の問題だよ。

Laura: それから、パーティー、パーティーの人たちよ!

Joe: 大いに楽しもう。楽しもうじゃないか。大地の恵みを祝うことができるんだ。さあ、あなたはどうする?毎日、粗服を着て、自分を責めても意味ないよ。いいかい、大事なのは、コミュニティであり、志を同じくする人々と考えをシェアすることであり、互いに愛し合って、一緒に楽しむことじゃないかな。結局のところ他に何があるだろう?学び、成長し、シェアし、互いに仲良くすること、そして、この世界のPTBが事実上手出しできないようにする以外に、この人生でやるべきことがあるだろうか?というのが、クリスマスのメッセージだ。

Niall: その通りだね、Joe.

Joe: これは、この世界の権力に対する抵抗にもなるんだ。連中がはっきり説明しない事全てを説明するのはね。連中が説明することなんて分かりきってるよ。だから、頑張るんだ!

Laura: アベカエサル!

Joe: アベ、エオー、サトゥルナリアalright みんな。ローラ、出演していろいろ説明してくれてありがとう。ではまた来週。

Niall: 来年だよ、ジョー。

Joe: 次は来年なのか?失礼。ニオールはクリスマス休暇が欲しいそうだ。どうするかミーティングしよう。

Niall: 今から、2016年が始まるまでの間に、ショーがあるかもね。

Joe: 何が起こるか次第だよ。でも、何も無ければ、皆さん良い。。。

Niall: サトゥルナリアを。

Joe: サトゥルナリアでも冬至でも、好きなように呼べばいいさ。新年にまたお会いしましょう。電話をくれた皆さん、チャットしてくれた皆さん、他の皆さんもありがとう。みんな楽しんでもらえたかな。また来週か来年に。

Niall: どちらでも先に何か起きた方に。

(終わり)
posted by たカシー at 16:10| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ここで紹介されている本(論稿)は以下で無償頒布されているようです。

https://www.academia.edu/25105062/Josephus_Pilate_and_Paul_Its_Just_a_Matter_of_Time
Posted by たカシー at 2016年06月23日 06:52
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