2016年03月25日

ザ・ウェイブ62章: プリンストンでの秘密のゲーム

ザ・ウェイブ62章: プリンストンでの秘密のゲーム
http://cassiopaea.org/2012/02/12/the-wave-chapter-62-secret-games-at-princeton/


さて、ゲーム理論について語るとしよう。私は自分が専門家であると公言するつもりはないし、「専門用語」の扱いには困難を感じると認めねばならないが、このテーマに関する文献を苦労しながら数多く読んだ結果、この考え方が、私たち1人1人に対して、世界的なレベルでどのように用いられているか、私は十分に理解できた。

読者の中には、どうして私が長々といつまでもサイコパスのテーマを論じているのか、不思議に思われる向きもあるだろう。それには理由があるのであり、それも個人的なものではない。ご存知の通り、カシオペアンに導かれながら、連中とのやり取りを重ねるうちに、一歩ずつではあるが、私はサイコパスというものが幾らか理解できるようになってきたのだ。全体のダイナミクスが明らかになるに連れて、ここには深い学びが存在していることが、私にははっきり分かるようになったのである。もちろん、全てがいちどきに理解できたわけではない。この学びがSTSのリアリティという小宇宙の全体を眺めることなのだとようやく理解できたのは、ジョン・ナッシュというピースをパスルにはめ込んだときだった。

サイコパスの基本モードとは、ナッシュがゲーム理論に対して貢献した際のものであり、ゲーム理論が人類にワナを仕掛ける手段として用いられたのだと分かった時のショックは大きかった。もし本当にこのサイコパスというものが分かり、本当に理解できれば、他の多くのレベルでのゲームの本質を見抜くのにも、その知識が使えるだろうと思い至ったのも、この時だった。そして、ゲーム理論を理解することによって、私たちは戦略を学び、ワナに捕われるのを避ける術も学べると思ったのである。

サイコパスが関係を結んでくる究極の目的である痛みと苦悩を避けたいという実際的な理由だけでなく、もっと深い理由もある:「移行」のためのエネルギーの保存である。付録Bに引用したカシオペアンとの交信文を読まれれば、この目的は明らかになるだろう。
(※オンライン版には付録は付いてませんが、初版
http://www.cassiopaea.com/cassiopaea/adventures301.htm
では以下のセッションが本文中に引用されています。)
引用開始------

950311
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Q: (L) 時間とはエデンの園での「落下」の時点から存在するようになった幻覚である、ということだったと思うけど、その時から始まった幻覚は、他にもありそうね...

A: 時間は、DNAが改変された状態に置かれたあなた方にとって効き目のある幻覚に過ぎない。

Q: (L) オーケー、他にどんな幻覚があるのかしら?

A: 一神教、すなわち、1つの、独立した、万能の存在に対する信仰。

Q: (T) 「独立した」というのが、一神教のキーワードなのかい?

A: Yes

Q: (L) もう1つの幻想は何かしら?

A: 物質的な拡大の必要性。

Q: (L) 他にはどんな幻想があるの?

A: 直線的なものの見方。

Q: (L) 他には、今回教えてくれないのかしら?

A: 一次元性。

Q: [...]
(L) これらの幻覚は、私たちのDNAによって、遺伝的にプログラミングされてるのね?

A: Close.

Q: (L) [...]
これらの幻覚が、私たちにどんな風に作用するのか、私たちにはどんな風に知覚されるのか、もうちょっと詳しく教えて頂戴?

A: ドアを開けると金のつぼがあるとする。そのつぼに手を伸ばす前に、あなたはドアの陰の見えないところに、毒ヘビが潜んでないかと心配するかな?

Q: (L) 金は何を表わしているの?

A: 制限への誘惑。

Q: (L) ドアが表わしているのは?

A: 制限の始まり。ヘビとは何だろうか?。。。

Q: (L) ヘビとは誰だったの?

A: 注意を払わず誘惑に乗った場合の結果。すなわち、見もせずに飛び出すこと。

Q: [...]
(L) それじゃあ、エデンの園での誘惑の話というのは、人類が誘惑に乗った結果、このリアリティに導かれたことを表わしてるんだわ。それじゃあ、善悪の知識の木の実を食べることとは、すなわち...

A: 誘惑に負けることだ。。。強制されたのでない限り、自由意思が制限される(abridged)ことはありえない。

Q: (T) 「落下」前、僕らは、何だったのかな?

A: 第3密度STO。

Q: [...]
(T) このときの出来事のせいで、僕らは現在STSだと言うんだね?

A: Yes.

Q: (T) 僕らはその時点では、第3密度のSTOだった。。。これは戦いが起こった後なのかな?つまり、第3密度の種族としての僕らは、自ら選んでこの時点から、以前とは全く正反対の性格を帯びたと?

A: 戦いだった。

Q: (L) 私たちの中での戦い?

A: あなた方を通しての。

Q: [...]
(T) Okay, 僕らはその時点ではSTOだったんだ。以前君達は、この密度で僕らは、STSであるかSTOであるか、選択するんだと言ったね。

A: おお、テリー、戦いは常に、あなたがその選択を行う「都度」存在している!

Q: (T) これは、トカゲや他のエイリアンが人々に対し、アブダクションその他を行うには事前に同意を求めた、と言っている理由と関係があるに違いない。僕らはもともとSTOだったのが、STSになったというんだから。。。

A: Yes, 続けて。

Q: (T) アナロジーで考えてたんだったね。お宝は幻想だった。そう感じただけで、本当は金はなかったんだ。それは、第3密度のSTOの存在だった僕らに対する誘惑だったんだ。ドアを開いたのはトカゲだ。

A: 誘惑ではなく、それは常にそこにある。『オズの魔法使い』のドロシーとルビーのスリッパの話を覚えているかな?


Q: (T)[...] それは常にそこにある。。。

(J) 今もあるのね。。。

A: Yes, そのルビーのスリッパについて考えなさい。グレンダはドロシーに何と言ったかな???

Q: (J) あなたはいつだってお家に帰れるのよ。

(L) あなたはずっとお家に帰るパワーを持っていた...

A: Yes.

Q: (L) それじゃあ私達も、いつでもSTOの存在に戻れるパワーを持ってるの?第3密度に居ても?

A: Yes. [...] あなた方が金を取りに行こうとした「時」、あなた方はトカゲに向かって「ハロー」とかその類の事全てを言った。

Q: (T) ドアは常にそこにあり、いつだって開いている。このアナロジーで考えてみようとしてたんだ。で、どういう事かと言うと、STOの存在としての僕らは、金を取りに行くかどうかを選べた。金を取りに行ったために、僕らはSTSの存在となった。というのも、金を取りに行くのがSTSだからだ。

A: Yes.

Q: (T) そして、そうすることで、僕らは第4密度トカゲ生命体と手を結ぶ羽目になった。。。

A: Yes.

Q: (T) なぜなら、連中は第4密度の存在であり、第3密度に居る僕らよりもずっと多くの能力を持って居るからだ。。。

A: あなた方はかつて、第4密度STOと手を結んでいた。

Q: (T) 僕らは第3密度STOだったんだ。だが、金を取りに行ったために、第4密度STSと手を結んでしまった。

A: Yes.
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990828
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Q: (L) ここに持ってるのはマーシャ・シェーファーという女性の書いた『銀河宇宙人類学者の懺悔』よ。彼女の言ってる中に 「ヘビは知恵の印や高次の学びに関係があり、秘教サークルでもしばしば、重要視されている」というのがあるわ。彼女はガラガラヘビと話をして、共感を感じたことがあり、リジーとのやり取りでも共感してるの。この「知恵の印や高次の学び」に関連付けたヘビの観方にコメントが欲しいのよ。そういうものを本当にヘビは象徴してるの?

A: ヘビは、観察者の視点からも報告されているし/されていた。多分、そのような観察者は、体験に「魂消て」しまっただろう。。。もし、あなたが、あなた方の時間で7,000年ぐらい前に、砂漠かジャングルに住んでいたとして、レプトイドの「奴ら」が銀色の飛行物体で天から舞い降りて来て、数千年後の未来技術による驚異的なデモを見せられた上、計算法やら幾何学やら、宇宙物理学の手ほどきを受けたら、感動しないかな?

Q: (L) 実際にそんなことが起こったの?

A: Yup.

Q: (L) 私の理解では、と言うか文献で理解しようとしてるんだけど、「エデンでの落下」の前、人類は第4密度に住んでたのよね?

A: 半ば/ある種の。時空連続体等々のような領域としては別の第4密度に。

Q: オーケー。それでその領域がサイクルの一環で変わったのよね;様々な選択が行われた;人類は、言ってみれば「お宝」を追いかけてドアの中に入って行って、言ってみれば、「女性的なエネルギー」を悪の側に併合され、リジーの仲間になった。あなた方はそう言ったわ。この結果、数々の影響が起こった:DNAの破壊、DNAの最初の結合の10個が焼き切られ、大脳両半球が分断され...

A: それもただ1つの理由のためだった。すなわち、泥んこの中で遊ぶため。あなた方は泥まみれになって汚れていく。

[...]

Q: 物質性が増大した結果、セトにハメラれ棺桶に入れられた、オズことオシリスみたいなことになるんじゃないかと分からなかった、気づかなかったのかしら?連中にすぐさまフタを閉められ釘で封じ込まれるんじゃないかってね?

A: 明らかに、そのような理解が欠けていた。

Q: 随分とウブな衆って感じだこと!この理解力の欠如は、知識の欠如を反映してたのね?

A: もちろん。だけどそれより、欲に目が眩んでいた...これらの出来事は、あなた方の時間で309,000年前に起きた。これは、「現生人類」と呼ばれるものの最初のプロトタイプが創造されたときにあたる。コントローラー達は、肉体を既に用意済みだった。彼らは、単に「飛び込む」ことに同意してくれる、この肉体に相応しい魂の基質だけが必要だった。

Q: それじゃあ、このときよりも前、エデン前の状態では...

A: もっと第4密度的だった。

Q: それって、幾分かは物質的だったということね。こんにちの人間に似た身体を持っていたという意味で、物質性が存在していたの?

A: 完全にそうだという訳ではない。あなた方には複雑すぎて理解できないので、答えられない。

Q: それじゃあ...私達が第4密度の存在となったあかつきに入るであろう身体は、第4密度に行けたとしてだけど、それもまた難しすぎて私達には理解できないのかしら?この「第4密度的な」落下前状態の物理体は、難しくて理解できないと言うのね。第4密度に戻ることが、第4密度からやって来るのと同じようなものなら、私達が戻って行くのだって、難しすぎて理解できないということになるじゃないの?これがあなた達が言っていた、物質性の可変性なの?

A: Yes.
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Q: さて、手元にあるのは『北極の神秘主義』という本よ。著者のジョスリン・ゴドウィンはあなた方が前に言ってた言葉そのままみたいなことを書いてるのよ。曰く:「瞠目すべきことに、未開の啓蒙は北方からもたらされたようであり、これとは反対に、地球は南方から北方に向かって人口が広がるに連れて開化されてきたという観方が広く行われているが、偏見であろう。スキタイ人は最古の国家の1つであり、中国人は彼らの子孫である。アトランティス人も、その末裔であるエジプト人よりもっと古い」(※邦訳書未参照)あなた方も、文化の影響は北方から南方に向かったと言ってたもの。もちろん、標準的なテキストは皆、文化は南方から北方へと、メソポタミアを起点にしてもたらされたと主張してるわ。さあ、始め....

A: オーケー、ちょっと待ちなさい。メソポタミアから検討を始めるなんて、12章から始めるようなものだ。

Q: そんなこと分かってるわ!問題は人工物を見つけることなのよ。私だって、あちこち調べ返してみたけど、見つかったのはごくわずかなのよ。困ったわね!何にも残ってやしない..

A: 人工物の寿命は限られている!標本が残るのは全くの幸運だ。[...]

Q: ネアンデルタール人が地球上に居たとき、現生人類と共存してたのかしら?

A: Yes. ただ、その頃の現生人類は今と違っていた。

Q: どんな風に?

A: DNAおよび霊的/電気的振動数。

Q: つまり、私達の考えてるような現生人類とは、身体の外見が違ってたということ?

A: 輝き。

Q: 「輝き」ってどういう意味?

A: 自分で解明しなさい!

Q: あら、面白そうね。えーと、北方の人々は血管から「光」を放っていたという伝説があるわ。随分と古くに信じられてたものだけど。これって、あなた方の言ってるものかしら?

A: 多分。
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Q: (L) それじゃあ、事実上、私たちは、絶滅を目前にひかえた、新ネアンデルタール人なんだわ。あなた方、物理体のまま第4密度に移行する人々は、ある種の若返りプロセス、ないしは、身体の再生か何かを経るだろうって言ってたわね。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30288965&comm_id=2590126
それって、現在の「ネアンデルタール」種、つまり、私たちが今入ってる身体が、もっと新しいモデルに沿うように変形するってことなのかしら?そのために、遺伝子的にそのように書き替わるの?

A: そのようなことだ。

Q: (L) だから連中は、ある血統を代々に亘って追いかけてるのね; 連中はDNAをいじって、爆発しようと待ち構えてる遺伝子の時限爆弾を仕掛けてるんだわ。

(A) 興味深いのは、連中がアブダクトのために、どうやってそのような人々を捕捉しているのか、どうやって見分けるのか?ってことだ。連中は、どうやって情報を得るんだろう?血統を辿るか、遠方からでも探知できるモニターの類でもあるのか − でもって、連中は気付くんだろうか、「こいつは興味深い」とか、「こいつは危険だ」とか、「こいつをアブダクトしよう」とかなんとかね。連中はどうやって選ぶんだろう?家系図でも調べるのか、あるいは一種のリモートセンシングだろうか?

A: 個々人の細胞組織上の原子的「シグニチャー」が関係しているから面白いんだ、アルカジス。それと協働するのが、エーテル体リーディングと周波数共鳴振動だ。これら全てを互いに関連させつつ、リモートビューイングの技術/方法を使って、遠くから読み取ることができる。

Q: (L) サイキックな手段を用いなくても、純粋にメカニカルな方法で可能なの?

A: 別レベルの理解では、その2つは1つに融合している。

Q: (T) コンピュータ化されたサイキック・リモートビューイングなんだろうね、多分。人工知能みたいな。多分、心がコンピュータにつながってるんじゃないのか?

A: それは近い。
yes.
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000722
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Q: (L) ヴィンセント・ブリッジズから電話があって、『ザ・ウェイブ・シリーズ』は大層物議を醸してると知らせて来たわ。曰く、彼はグリーンバウム講演で有名なハモンド博士にコネがあり、アンドリア・プハリッチとも相当やり取りしてたみたい。さらに、UFO現象やエイリアン・アブダクション現象、その他私達が語り、研究し、議論している多種多様な事は、プハリッチとテスラの技術を用いた、超先進的な、人間がコントロールしているマインドプログラミング・プロジェクトの産物である、というのが彼の主張よ。確かに、この技術は非常に先進的で、彼らは人の心を読むだけでなく、コントロールすることもできるようなんだけど、結局は人間が操作するプログラミングだわ。彼の主張は、部分的にでも正しいの?

A: 人間による、第3密度STSエンジニアリングに関係あるかも知れない現象の要素はあるが、全体的に見れば、それには当てはまらない。

Q: (L) 彼の説によると、マインドプログラミングによる陰謀という張りめぐらされたクモの巣の中心はテキサス州タイラーだと言うんだけど、正しいの?

A: 何だって?!?

Q: (L) 陰謀的プログラミングにおける人間サイドの活動の中心地だというのよ。どうなの?

A: ヴィンセントは少しバッテリーを充電し直す必要があるのではないかな。

Q: (L) 彼は、私達が住んでいる地域が、ナチス/黒魔術カルト主義者たちか何かによる、あるプログラミング実験が行われた中心地だとも言ってるわ。

A: あまり興奮し過ぎない方がいい。いいかな。第4密度から、第3密度STSの家来たちに向けてもたらされる、全ての「ネガティブな」エネルギーの出所は本質的に同じだ。。。この事をもっと良く理解できるよう、ナチスドイツでの状況に関する交信文をおさらいすることを勧める。。。ナチスが提唱した「マスター・レース」のコンセプトは、第4密度STSの魂が第3密度で場を占める上で適切な周波数共鳴振動(FRV)を持った物理体という乗り物を創造しようという第4密度STSの努力に過ぎない。それはまた、あなた方の知覚だと未来に計画されている出来事にとっての「トライアルラン」だった。

Q: (L) 強力なSTSの周波数を持つ人々は、言ってみれば、トカゲの第3密度での「乗り物」になるってこと?

A: その通り。周波数共鳴振動!とても大事だ。

Q: (L) そういう訳で、連中はプログラミングと実験に精を出してるの?「プログラミングされている」と思われる人々を連れまわしてる連中は、本当にネガティブな第4密度STSどもの棲家になるに十分なくらいにまで意地悪さのレベルを上昇させてるみたいだけど、善玉じゃない方のウォークインみたいなものなの?

A: 今はまだ、あなたの周りにうようよ居合わせているというほどではないが、それはかつて第4密度STS種族の計画だったし、今でもそうだ。
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000805
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Q: Okay, 前回のセッションであなたたち、周波数共鳴振動というテーマを持ちだしたわね。あなたたちが言うには、あるSTS勢力が振動数を上昇させた物理体を開発あるいは創造あるいは管理してようとしてるんだけど、それは連中が回線でつながった身体を手に入れて、第3密度にダイレクトに出現するためなのよ。というのも、私達が第3密度に居て連中が第4密度に居るのが連中にとっては本当に障害で、そのせいで第4密度から全面的に侵略して来れないからみたいね。で、思うんだけど、同じことはSTOの人々にも当てはまるんじゃないかしら。未来からこの時期へと転生のサイクルを通じて戻ってきている多くの人々は、自由意思を侵害しないように特定のDNAを持っている物理体を慎重に選んでいて、そんな人々がこれらを少しずつ活性化させているようなんだけど、これも第4密度かそれ以上の自己がこのリアリティに出現するためなんじゃないのかしら。そのようなエネルギーが、そのような物理体内に出現する結果、この人に気付きを与え、あるいは第3密度で感覚を持つということが可能なの?

A: STOはこのプロセスを自然な物事の流れの中で行う傾向がある。STSは創造のプロセスを彼らの目的に合うように変えようとする。
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961221
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Q: (A) 人間のどの部分が第4密度に延びているんだろう?

A: 脳下垂体によって影響される部分。

Q: (L) それは何?

A: サイキック。

Q: (A) 密度間の送信を容易にする何らかの決まったDNA配列があるんだろうか?

A: DNAストランドの追加。

Q: (L) どうやって追加のストランドを手に入れるの?

A: 手に入れるのではない;受け取る。

Q: (L) それはどこから受け取るの?

A: 近付きつつあるウェイブとのやり取り。振動が同調していればだが。

Q: (L) それが起こっているとどうやって分かるの?

A: 精神的・心理的変化が現れる。
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970503
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Q: セッション960523(※現在の公式交信録では960504)を読み返してみたのよ。それはトムも居た回なんだけど、彼がオブライエンに住んでいるという問題が扱われていて、あなたたちは、「誰があなたにそこに住むよう懇願したのだろうか?」と彼に尋ね、それから、EMベクターに関する発言があったのよ。私の理解だと、人間もEMベクターになり得るということなんだけど、それはあり得るの?

A: ベクターとは方向を合わせる者という意味だ。

Q: 単に居合わせるだけでEM波を誘導できるような人間が居るってこと?あと気付いたんだけど、私たちの何人かは、人を混乱させたり、無力化させたり、その他の方法で私たちの学びを歪めるばかりか、私たちのエネルギーを抜き取ろうとしてるらしい人々や人間関係に巻き込まれてるわ。基本的には、常に私達にストレスを感じさせて、私達に潜在能力を発揮できないようにさせてるのよ。このような観方は重要なの?

A: 基本だよ、ナイト君!

Q: 1つ分かったのは、このような人たちは、どうやらある種の霊的フックによって取り付いて、私達が憐れみの反応をするのに付けこんで来るらしいということよ。この憐れみの本質についてコメントを頂戴?

A: 憐れむ者こそ憐れだ。

Q: でも、憐れと思われてる人達=憐れみの情を催させる人たちは、自分達以外、誰のことも憐れまないのよ。

A: Yes...?

Q: それじゃあ、息子の言う通りなのかしら。闇に魅せられた人々/不平を言い、自分では努力しないで「救われたい」と願う人々を憐れみ/愛と光を送るのは、虐待され操作されているようなもので、本質的には更なる崩壊/身勝手な収縮に力を与えることになるの?STSへの転落に力を与えてるの?

A: その通りだ!

Q: Yes. 私はそういうのを繰り返し見てきたわ。私達が人生で出会う、この人達は、憐れみを催させる極めて巧妙な能力のせいで選ばれたの?それとも、憐れさに反応するよう私達がプログラミングされていて、そのせいで、他の人々には明らかな何かに対して盲目になってるの?

A: どちらでもない。あなた方が、催眠的反応を惹き起こす人々と交流するよう選ばれたために、ついにはエネルギーを吸い取られる結果となった。

Q: (L) こうしてエネルギーを抜き取ることの目的は何なの?

A: あなたはどう思うかな?

Q: (T) 集中したり、何かを行うことができないようにだろう。何の目的も達成できないんだ。

A: あるいは、(全部でなくとも、)少なくとも重要な事は(達成できない)。

Q: (T) [...] これは場所の問題だろうか?それとも相手だろうか?

A: 両方だ。どちらも、もう一方の真相を包み隠している。

Q: (L) どうして、このような状況に逆らって行動して、相手を傷つけるのを避けるのが大事だと思うのかしら?この結婚生活をこうも長く続けてきたのは、主にそのせいなのよ。これ以上あそこに留まるのは子供たちを傷つけることになると分かって初めて、私は抜け出すことができたの。。。傷つけられていながら、どうして私達はそんな相手の感情を傷つけるのが怖いのかしら?

A: 正しい概念化でない。あなたは「相手や状況に逆らって行動する」必要はない。あなたは自分の運命を選ぶように行動する必要がある。

Q: でもそれを行うと、そうした相手が私達をとても惨めな気持ちにさせるので、別れる以外に選択はなくなるみたいね。

A: Yes, だが、これは「逆らって行動する」ことではない。全く逆だ。実際のところ、いいかな。タンゴを踊るには2人必要だ。2人でタンゴを踊っていて、ダンスホールが炎上したら、どちらもやけどすることになる!!!

Q: 私達がそんな「タンゴ」から抜け出そうとするとき、彼らが私達を人間だと思っていないのは明らかなのに、どうして私達は自由になることに激しい抵抗を感じるのかしら?

A: それは「彼ら」ではない。攻撃の導管だと言ってるんだ。
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980718
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Q: (T) それじゃあ、地球上には、完全なUFT(統一場理論)を知っている誰かが居るんだ?

A: Yes.

Q: (T) だが連中は、それを使わせてはくれない。。。

A: 使わせてはくれない。だって、そんなことしたら、あなた方は皆自由になってしまう。。。
(※ヨハネによる福音書 / 8章 32節 「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」 )
UFTがあれば、あなた方は超空間の真実にアクセスできるかも知れない。

Q: (A) それについて私がもっとよく知り、取り組むべき、今は好機だろうか?私が自分で発見できるように、アドバイスをもらえないか?

A: キミが1969年に居た場所へ遡ってみなさい。

Q: (A) 私はリヒネロヴィッツがUFTについて書いた本を読んでいた。。。

A: Yes. ノートをチェックしなさい。

Q: (L) ノートや論文の類に関しては本当にひどい目にあったのよ。それらを詰めて送ったバッグが消えちゃったんだもの!

A: おや、どうしてだろう?!?。。。ノートなんて無くても、不揃いな街灯柱の灯るコンクリート歩道を、孤独なアーク青年は歩いていた筈。真実を、本当の真実を見つめながらね。キミは最初の段階=交差路に居て、「ここからどっちに向かえばいいんだ?」「なぜ、こんな難問が自分に課せられるんだ?」と途方に暮れて居た。あの頃に帰るんだ、アルカディ。キミは自分が本当は本質的に「ロシア人」なんだと知っている。

Q: (A) 質問だが、そのような活動、ないし、そのような事を知ることで、他の密度に至るのだろうか?それは単なる満足のためか、それとも、この方向についてもっと知ることには、本当の価値があるのか?

A: 統一場理論は、上位密度への扉を完全に開くものだ。

Q: (T) UFTにはHAARP以上のものがあるさ。UFTは大きな一歩だ。。。

A: グリッドだ。。。地球は、EMグリッドを覆い隠されてきた。

Q: (T) レイライン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
のことかい?

A: No.

Q: (L) 人工的に造られたの?

A: 起伏がある。

Q: (L) 人工的な起伏ね。覆われた結果どうなってるの?

A: 第3/第4共同体が利用できるように操作されている。

Q: (A) どんな種類のEMグリッドだろう?

(L) 自然のEMグリッドは起伏があって。。。

A: 優しく波打つ地形的「毛布」みたいだ。

Q: (T) それは地表面にあるのかな、それとも、地球の中を通ってるか、あるいはどこだろう?

A: 上方。

Q: (J) 携帯基地局の電磁波塔はこれに関係あり?

A: 同じ第一[人者?]によって、間接的に発見された。

Q: (T) 重力波が存在するかどうかは論争があるが、それでも、それはUFTの一部だし、誰かは既にそれがどう働くかを知っている。だから、論争はその答えを知らない人々の間だけで行われていて、知っている人たちにとっては論争は存在しないんだ。彼らはそれが何で、どうすれば測定できて、どうしたら利用できるか知ってるんだ。

A: もちろん。

Q: (A) このグリッドを維持するために何らかの力が用いられている。それは何だろう?

A: 地上と空中に置かれた発生器。

Q: (T) 何のために使うんだい?

A: 複数の目的がある。。。あなた方は第3密度のダンスホールで踊ってるんだ。クリスタル宮の「不思議の国のアリス」よろしくね。アトランティスからの転生組の急増のせいで、過去に行ったことを繰り返そうという衝動が高まっている。

Q: (T) 転生して来たアトランティス人は、前にクリスタルを使ってやったのと同じ事をやる気満々なんだね。それじゃあ、アトランティス・タイプの事が今行われてるんだろうか?道具は違っても、同じ様な事が?

A: 偉大な良きことへの移行を成し遂げるためには、あらゆることを学ばねばならない。。。

Q: (A) さて、どうやってUFTから、このグリッドを導き出せばいいんだろう?

A: グリッドの構築は。。。が利用されていることを表わす。

Q: (L) 何とか、太陽の重力増加→UFT→グリッドと来れたわね。。。

A: UFTで、太陽の重力「増加」は説明できる。だが、UFTの中には、増/減するようなものは無いのでは???

Q: (A) UFTで増減は説明できない。。。だが、それはアインシュタインの理論が正しくないからだということだった。。。 彼らによれば、重力とEM波との間には何らかの相互作用があって、それを論じたのがUFTということだった。。。UFTで存在するとされる他次元に、カルツァ=クライン理論を加味すれば、質量の概念そのものが、不確かな可変的なものになって行く。。。

A: Yes, 物質性の可変性だ。

Q: (T) 第4密度だ。

(A) UFTは、他密度への扉を開くとさっき言われていた。

A: Yes.

Q: (A) 他密度の概念を含まないような、EMと重力を統合するUFTはあり得ないのだろうか?つまり、重力とEMについてありったけ教科書に詰め込んでも、これで学んだ学生は密度についてまるで分からないのか?

A: 分からない。他の密度について明らかになるのは。。。

Q: (A) つまり、アインシュタインとフォン=ノイマンは、このような他の密度について知ってたんだろう?

A: Yes, oh yes!!!

Q: (T) ほんの思い付きなんだけど:UFTが分かって、その中に出てくる様々な場を操作できると、色々な効果を生み出すことができるんだろうね。僕らの理解だと現状の科学では、空間に重力を発生させるには何かを回転させなくてはならないと考えて疑わない。だがUFTがあれば、ほんの派生的なことだろうけど、何かを回転させなくても本当の重力を発生させられるんだ。じゃあ、無重力状態の問題は本当は解決済みなんだな。。。

A: 基本だよ、テリー君。

Q: (T) じゃあ、宇宙ステーションで遊泳していた飛行士が地上に帰ってきたとき、重力に再適応するのが難しいなんて話は、全部誰かの企みによるものなんだ。。。

A: 「うっかり秘密を漏らそう」ものなら、「国」じゅう猫だらけになって(=秘密がばれて)しまう。

引用終わり------


これらの引用の中には、特に衝撃的な内容が2つあった。1つ目は、ダンスに関する2つの言葉だ。比較してみよう:
「実際のところ、いいかな。タンゴを踊るには2人必要だ。2人でタンゴを踊っていて、ダンスホールが炎上したら、どちらもやけどすることになる!!!」
と、
「あなた方は第3密度のダンスホールで踊ってるんだ。クリスタル宮の『不思議の国のアリス』よろしくね。アトランティスからの転生組の急増のせいで、過去に行ったことを繰り返そうという衝動が高まっている」
である。

最初の方の発言がなされたのは、サイコパスすなわち、第4密度STSからの「攻撃の導管」との個人的なやり取り/関係について述べられた中でだった。2つ目の発言は、地球規模のコントロール・グリッドへの言及の中でであり、この時の話は、私たちの現在の状態は、アトランティス滅亡時に存在していた状況の鏡像だというものだった。どちらのケースでも、このダイナミクスの正体を見損ない、撤退し損なうのが、STSのダイナミクスにとってのデファクトの選択であるという事が言われた。カシオペアンがこう言った通りである:泥んこの中で遊ぶとき、あなた方は泥まみれになって汚れていく。

他の幾つかのセッションでカシオペンは、「秘密の活動」 ― すなわち、現在「第3の選択」の考え方が宣伝されている事 − は、アトランティス時代のクリスタル原理の導入 ― すなわち、第57章『それが経済というものだ』および第58章『エイリアン・リアクション・マシン』で述べた人類に対する完全な支配 − に関係があると述べている。「ゲームをプレイする」ためには、特定の「自動機械」すなわち「サイコパス」を、人類の中にちりばめておく事が欠かせない、というのが論理的帰結だというのだ。


960504
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Q: (L)以前あなた達、HAARPは「境界移動」に使うためのものだって言ったわね。つまり、時間や空間や密度を操作するということなのかしら?

A: Yes.

Q: (L)もしかして連中は、アトランティス時代のクリスタル
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27166959&comm_id=2590126
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27174663&comm_id=2590126
を地中や海底から引き揚げて利用するのに、これを使おうと計画してるの?

A:「引き揚げて」利用する程のものではない。
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960609
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Q: (L) あなた達以前、HAARPを組み立てているのはモントーク・プロジェクトの続きで、それは「境界移動」のために用いられるんだって言ってたわ。これって、スペース/タイムトラベルのことでしょ?

A: Yes. それと、アトランティス時代のクリスタル原理の復活。

Q: (L) 彼らは本当に、アトランティス時代のクリスタルを持ち出そうという計画なの?

A: No.

Q: (L) それをマインドコントロールに使う計画?

A: および他の用途に。
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カシオペアンと行った一番初めのセッション940716において、私たちの置かれている状況の深刻さが述べられ、私たちはゾッとしてしまった。他のソースであれだけ沢山「愛と光」のメッセージがもたらされた後で、私たちは実際には苦境に陥っていると言われたので、控えめに言っても当惑してしまったのだ。恐ろしくなった私は、こう尋ねた:


940716
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Q: (L) どうしてそれが地球で起こるの?

A: カルマ。

Q: (L) どんなカルマを負うとこんな目に?

A: アトランティス。。。

Q: (L) 何が私たちを守ってくれるの?

A: 知識。

Q: (L) その知識はどうやって手に入れたらいいの?

A: あなたは今このソースから手に入れている。

Q: (L) どんな知識のことを言ってるの?

A: あなたが既に持っているもの。。。

Q: (L) その知識を、どうやって手に入れるの?

A: 潜在意識深くにある。

Q: (L) いつ私たちはそれを手に入れたの?

A: 生まれる前。

Q: (L) 他に守りを得る手だてはないの?

A: 学び、瞑想し、読書しなさい。

Q: (L) 現在のところは、私たち必要なことをやってる?

A: これまでのところは。目覚める必要がある。
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アトランティスのカルマが私たちのタイムループがリプレイされる原動力であるという事については、既にある程度論じてきた。多くの人々が気づいて居ないのは、アメリカこそが、アトランティスの「再来」だという事だ。エドガー・ケイシーによれば、アトランティスは「3つの段階」を経て滅びた。カシオペアンは、ナチスのアジェンダを何らかの未来の出来事に結び付けていたし、私たちが考えても、第1次大戦と第2次大戦は、アトランティスの滅亡のはじめの2「段階」のダイナミックなリプレイだと言えよう。私たちは今や第3段階にさしかかりつつあるのであって、サイコパスこそが、このドラマの主役なのである。


980725
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Q: (L) テンプル大学歴史学教授デービッド・ジェイコブズ博士
http://conspiracy.exblog.jp/2352484/
の新刊書『脅威』を読んだんだけど、これって彼の エイリアンによるアブダクション現象に対する徹底的な調査をまとめたものなのよ。[ジェイコブズ博士は、UFO史に関する論文で博士になった人物である] ジェイコブズ博士が言うには、年来調査研究を重ねて来た結果、エイリアンがやって来てる理由がわかった、アブダクション現象の主な目的は、子孫をつくることだ、と言うんだけど、ホントにそうなのかしら?

A: 部分的にはそうだが、「全てが」そうではない。

Q: (L) 主な理由が別にあるの?

A: 置き換える。

Q: (L) 何を置き換えるの?

A: あなた方。

Q: (L) どういう意味なの?新人種を造って、人類と置き換えるの?それとも、特定の人をアブダクトして、クローンかなんかと入れ替えるの?

A: 主として前者。新しい人種を作ろうとしたら、大量交雑なんかより、大量転生の方がベターだろう。現生種が、かくも永遠に無知で、コントロールされてて、人間中心的な場合には特にそうだ。完全に破壊して征服し置き換えたら、どれだけ素晴らしい環境が得られるだろうか...分かるかな?

Q: (L) それは、本件に関する私の別の質問に対する答えにもなったわ。著書の中でジェイコブズ博士は、特定の家系を通して進行中のアブダクションが存在する、と言ってるのよ。引用すると:「胎児を保護するということ以上に、アブダクションを秘密にしておくことには、他にも理由がある。全ての証拠が明らかに示す通り、もしアブダクションが世代を越えた現象であって、アブダクティーの子供たちもまたアブダクトされる習わしだとすれば、エイリアンの目的の一つは、より多くのアブダクティーを生み出すことである。アブダクティーの子供たちは全員が、本現象の対象に取り込まれるのであろうか?証拠の示すところでは、答えはイエスである。もし、アブダクティーが、非アブダクティーとの間に子供を設けたなら、恐らく彼らの子孫は全員アブダクトされることだろう。ということは、通常の人口増加、離婚、再婚等々によって、アブダクティーの人口は、世代を経るにつれて、たちまち殖えて行くだろう。そのような子供たちが成長して結婚し、自らも子=初代からすれば孫を設けるときには、その孫たちはアブダクティーと結婚しようと、非アブダクティーと結婚しようと、アブダクティーとなるだろう。この繁殖[育種]計画[プログラム]が超世代的に遂行できるようにするため、これはアブダクティーから秘密にしておかねばならない。彼等が子供を産み続けるようにである。仮にもアブダクティーが、このプログラムは世代を超えたものだと知ったら、彼らは、子を持たないことに決めてしまうかも知れず、そうなれば、プログラムは停止の危機に瀕することともなろうが、それはエイリアンも避けたいのだ。繁殖[育種]計画[プログラム]を秘密にしておく、最後の理由は、(世代間を垂直とすれば)これを世代内=水平的にも広めるためであり、エイリアンとしては、アブダクティーに非アブダクティーと番ってもらって、彼らの=アブダクティーの子を残させねばならないのだ」

A: 前にあなた方に言ったように:ナチスの経験は、「試運転」だったのであり、もうそろそろ類似性が分かったのではないかな? 。。。あと、こうも言った筈だ。「ネイティブのアメリカ人」がヨーロッパ人と対峙した経験も、小規模な前触れだったかもしれないと。それに、第3密度の地球人が、第2密度のテラの生物たち(=動植物)に対してしていることも、「考える材料」を提供するだろう。つまり、「汝らの観方に拘わらず、汝らはそう特別ではない」のだ。また、こうも警告した筈だ。地球人類が第4密度への転換を果たした後も、第4密度オリオン人とその同盟軍は、「そこでも」あなた方をコントロールすることを望んでいるのだ。さて、こうした事全てと、あなた方が既に気付いている事を考え併せてみなさい?少なくとも、もうそろそろ、物理体ではなく、魂こそが大事なんだと知るべきだ。他の存在たちは、遺伝子的、霊的、精神的な操作/工作でもって、あなた方が肉体中心的な観方をするように仕向けてきた。興味深いことに、第4から第6密度STOのあらゆる努力にも拘わらず、この「ヴェイルは剥ぎ取られぬままに」なっている。
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だが、上掲の引用の中で私の注意を惹いた部分の話に戻ろう:個人的および世界規模でのつながりという観点からなされたダンスに関するコメントは、STSの導管として活動している人々との「契約(婚約)」が私たちのエネルギーを枯渇させることを企図していることを示唆している。カシオペアンは私の兄に対して、このような人々とのやり取りはエネルギーを枯渇させ、重要な事の達成を妨げるものだと明言している。

私の注意を惹いた、もう1つの部分とはもちろん、周波数共鳴振動(FRV)に関する部分である。カシオペアンはこう言っている:「周波数共鳴振動!とても大事だ」 これと、私がSTOの「アセンション」に関して訊いた質問とを結び付けつつ、カシオペアンはこう言ったのである。「STOはこのプロセスを自然な物事の流れの中で行う傾向がある。STSは創造のプロセスを彼らの目的に合うように変えようとする」 これらを、例の極めて重要な手掛かりと考え合わせれば。。。


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Q: (A) 密度間の送信を容易にする何らかの決まったDNA配列があるんだろうか?

A: DNAストランドの追加。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=79453740

Q: (L) どうやって追加のストランドを手に入れるの?

A: 手に入れるのではない;受け取る。

Q: (L) それはどこから受け取るの?

A: 近付きつつあるウェイブとのやり取り。振動が同調していればだが。
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。。。分かるのが、サイコパスや、他の攻撃の導管を見分けて、それらとの関係を断つことが、私たちの周波数共鳴振動にとって重要であるということだ。ドン・ファンが指摘したように、私たちは気付きを「増大させ」なくてはならないのだが、これはた易いことではない。自分自身および他人の中にある捕食者の心を見分けて、それの食料になるのを拒絶することが、自己に対する極めて重要な修練なのである。実はこれが悟りに至る道なのである。これが達成できなければ、私たちは旅の次の一歩を見通し得るのに十分な気付きを達成できないのだ。ここで思い出されるのが、以下の奇妙な一連の言明である:


970816
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Q: 私、パズルのピースの海で迷ってしまって、組み立てようとし始めてすらいないわ!

A: 一歩ずつ進みなさい。

Q: 不死鳥、鶴、鷺、鳩、大鴉はいずれも、何らかのかたちで話すことや書くことに関係してるわ。どうしてこれらの鳥が全部こんな風に関係してるの?

A: 試練を乗り越えなさい(※あるいは、「テストに合格しなさい」)。

Q: 「試練を乗り越えなさい」とはどういう意味?

A: 見つけなさい。

Q: 書くことは、切ることや刻み込むこと、刈ることを表す言葉や鮫とも関係してるわ。あなたたち、エトルリア人を「悔悟する鳥の神」だとか、「テンプル騎士団員の担い手」とも呼んだわね。これは鳥のイメージに関係あるの?それと、話すことや書くこと、刈ることと関係ある?

A: 試練を乗り越えなさい。

Q: それじゃあ、書くことの結果、試練を乗り越えれば(=テストに合格すれば)、不死鳥だとか、鳩とかになれるの?

A: 見つけなさい。
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錬金術の文献に慣れ親しんだ方なら、上で言われているのが、ファリードゥッディーン・アッタール 『鳥の言葉 - ペルシア神秘主義比喩物語詩』(黒柳恒男訳、平凡社〈東洋文庫 821〉)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89
のことだと即座に理解されたことだろう。(※ローラの読んだ英訳では『鳥たちの集会』) これを訊かれた時、私はこの作品については知らなかったが、以前にカシオペアンが判定を行った「テスト」はよく知っていた。だが、私はまだその意味するところについて十分には分かっていなかったのだ。実際にそれは、既に前の方の巻で述べたように、フランクが初めて自ら「本性を暴いた」SVのとった行動を通してだった。これに関する質問をしようとした時、フランク当人に関する大きな手掛かりが私の頭をよぎった:


960323
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A: SVは極めて重要な情報の宝庫で、あなた方にとっての手掛かりは、その名前にあるのだが、あなた方は気付けないでいる!。。。そういう風だから、あなたは不満が募るのだ;価値あるものはタダでは得られない!!

Q: (L) 1つ。SVは私達に嘘をついてたわ。2つ。あなたたち、ロボット人間は、多くの時間を一人で過ごすと言ってたけど、私達が彼女には感情というものが深刻に欠けてると議論してたら、彼女、感情を見せ始めたのよ。。。

A: 代償は、続けることなんだ。。。

Q: (V) 関係を続けることなのかしら?

A: 「ノルディック人の契約」とは二重性だった。
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「代償は、続けることなんだ」という言葉には何とも当惑させられた。というのも、私はSVとの付き合いは全て終わりにしようと殆ど決心しかけていたからだ。カシオペアンは次のように言って、私を急停止させた:


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A: 多分。だが、あなたは重要な点を見落としている!ノルディックの伝統を継ぐ人々は皆、秘密のパワーセンターを持っており、それは闇のものであることも、光のものであることもあり得る。。。SVはこのようなスーパーパワーソースに直結している、トゥーレ協会その他のようなチュートン族の血統を引いており、彼女は自分のパワーとミッションに気付いている。それはポジティブ志向のものだ。しかし、あなたは第4から第6密度の勢力によって、続けるだけの強さと賢さを持っているかどうか判定すべく試されているところだ!。。。

Q: (L) SVがかつてアウトロー・モーターサイクルギャングと共に暮らしていたことや、この同盟のメンバーであることは重要なの?

A: Yes, そのことが第4密度STSと直接関連する「アウトロー」グループに破滅をもたらしてきたし、今もそうだ。

Q: (V) 彼女が参加したせいで、それらが崩壊することになるんですって?それはいいことね。そういうことが言いたいの?それとも、彼女が参加することで、彼らの気持ちが昂揚するの?

(L) 昂揚させるんじゃなくて、破滅させるのよ;彼らはみんな牢獄行きなのよ!

A: Yes それは「エージェントSV」が醸成した環境のせいだ。だから、全体的な状況と結びつけると、感覚が欠如しているように感じられるのだ。ビターレはあなたがこれまで知っている中で最も勇敢な人間だ!それと反対の証拠はいずれもヴェールだ;テストするプロセスの一部なのだ。

Q: (L) 私達がテストされてるんだったら、どうしてあなた達そのことを私達に教えるの?

(V) あなたが失敗しないようにかしら?

A: あなたが失敗しないのが肝心(Vital)だ。

Q: (V) 明確な理解に通じる扉をこじ開けるような重要な言葉があるのかしら?

A: 見付けなさい。
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上のケースでの「テスト」とは、私がカシオペアンによる言葉を「見抜き」、それと分かることができるかを試すものだった。自由意志を確保するため、私自身でデータを検討し、それが持つ意味合いに関して出した結論に基づいて、完全に私1人で選択しなくてはならなかったのだ。彼らは私に直接話すことができなかったので、私の気付きを試すべく、真っ向から矛盾した言いかたを選んだのである。例えば、カシオペアンはSVをトゥーレ協会に結びつけたのだが、トゥーレ協会について、彼らは以前それがSTS共同体の一部をなすものだと位置付けていたのだ。それなのに、その末裔としての活動が「ポジティブな」ミッションだと断言したのであるから、これはとても矛盾していて、私はこれらの全体を非常に注意深く考えるという難題を課せられていたのである。カシオペアンが、何か奥深い重要な事を暗号で私に伝えようとしているのだと私は悟った:


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Q: (L) Well, OK, 私、あんたたちを信用するわ。大勢に従って、あんたたちが正しいと思い、これが最善なのだと思って、条件反射的に動くのは止め、この事を心配するのは止めるわ。

A: よく考えて行動するよう勧める。結果を受け入れるか、拒絶するかの判断を急ぐ人は皆、間違えることになる。何事も見かけ通りではない。。。いいかな、あなたのグループや、あなたの影響圏に入って来る人たちは、あなたが考えているのとは違うかも知れない。。。

Q: (L) あなたたち、私達がテストされてるって言ったわね。何のテスト?

A: 継続性。

Q: (L) 何の継続性?

A: 全て。

Q: (L) 全ての継続性ですって。OK, で、私たちはSVを通してテストされてるの?

A: 目下のところは。

Q: (L) つまり、私達が攻撃だと考えてきたのはテストだってこと?

A: ビターレに関係した攻撃がだ。確かに、この名前の人が全てこのような志向の持ち主だという訳ではないが、この手掛かりは、あなた方のために導入された。
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もちろん、「ビターレに関係した」大掛かりな攻撃とは、前の方の巻で述べたような、フランクの本性が明らかになった事件のことなのだが、私は「反対の頬をも向けなさい」というプログラミングに従うことを選んで、それについては「見て見ぬふりをした」のだった。私が「理解」すべき事に完全に気付いたのは、セッション終了後だった。私は一瞬のうちに、カシオペアンが言っていたことは「暗号」だったのだと理解し、SVの本性が「ポジティブ」では無いのだと受け入れることにし、「テストに合格する」にはフランクを観察して、彼が本性を詳しく知るべき人間だと考えるよう迫られてすら居るのだと悟った。このような覚悟を決めた私はカシオペアンに、戻って来て私が「内心抱いた」疑問と結論にコメントしてくれるよう頼んだのだが、声に出して言いたくなかったので、心の中で念じたのだった。


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Q: Hello. もしもし、あなたたち、まだ居る?私、SVについてのこの情報には満足してないの。私が気付いたり感じてる事と、全部矛盾してるように思うのよ。

A: カシオペアのヒクルだ。これ以上心配しないことだ!不安を感じても必ずしも危険とは限らないし、それは成長と学びを示すものだ。だから、前向きに祝いなさい!!
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ということで、どうやら私はテストに合格したらしかった。だが、カシオペアンは、「目下」私はSVを通じて「テストされている」と言っていた。つまり、当然ながら更なる「テスト」があるという意味だ。実際、その通りだったのであるが、これはまさしく、私たちを究極のゴールである『鳥たちの集会』へと導くタイプの「テスト」なのである。

『鳥たちの集会』は、12世紀の、あるペルシャ詩人にしてスーフィーの神秘主義者であった人物が書いた、哲学/宗教詩である。「世界中の鳥たちが、目に見える者も/見えない者もすべてが集合し」(黒柳訳15ページ)、王を探し求めようと話し合うところから物語は始まる。ヤツガシラが、集まった鳥たちに向かって演説を行い、創造主であるスィーモルグを探しに出発しようと皆を説得する。その旅は数多くの試練/テストの連続だった。旅が始まった当初は数千羽いた鳥たちのうち、最後まで辿り着いたのはたった30羽だけだった。

この素晴らしい小品を読んだ後、ようやく私は、カシオペアンの言っていたテストの本質を理解することが出来た。私が「共鳴する」人々に伝え、シェアし、読んで貰いたいのは、これである。

このようなテーマは「啓蒙」をもたらさないと不満のメールを寄越した人たちは、再考して欲しい。もし理由が無かったら、こうした学びの経験はだらだら続く苦痛に満ちたものだったのだ。私はカシオペアンが、そうした経験を通して、こうも微妙に導いてくれるとは殆ど考えて居なかった。私がそれから恩恵を被ったのなら ― 請け合うが、このような理解に至ることで得られた解放感は並外れたものだ ―、読者がこうした相手に出会い、まだ、解放されるに至ってない場合、カシオペアンの言うようにプロセスを「よりスムーズに」するような知識でもって予め武装できる程度に、おそらくこれをシェアすることもできるだろう。そして、私と同じように自由になることに成功した経験をメールしてくれた皆さんにも感謝する!あなた方の物語には励まされたし、このテーマが重要であるという私たちの考えが誇張ではないと安心させられたものだ!

さて、ゲーム理論に話を戻そう。ゲームの理論は、2つの定理に立脚している:1928年にフォン・ノイマンが発表した「ミニマックス定理」と、1950年にナッシュが発表した「均衡定理」である。フォン・ノイマンの理論は純粋な対立関係を扱った基礎的ゲームに関するもので、数学用語を使って「2人零和(ゼロサム)ゲーム」と呼ばれている。だがあいにく、2人ゲームは現実世界にはまず当てはまらない。ナッシュが登場して初めて、協力ゲームと非協力ゲームの区別が導入されたのだ。

協力ゲームとは、プレイヤーが他のプレイヤーと強制力のある合意を結ぶゲームである。つまり、プレイヤーのグループが特定の戦略にコミットするのだ。非協力ゲームにおいては、集合的なコミットは不可能と仮定されている。強制力ある合意は存在しない。ゲームの中に協力と競争が含まれるように理論を拡大することで、ナッシュはゲーム理論が経済学、政治科学、社会学、さらには進化論生物学にまで適用される可能性を開いた。既に述べたように、モース・ペッカムは、「社会史家」としての役割を果たす上で、ゲーム理論の考え方に大きく影響されていたに違いない。

一般的にゲームのプレイヤーが得る結果は、他の全プレイヤーがどんな手を選ぶか次第であり、その逆もまた然りである。つまり、このようなゲームは「相互依存的」なのである。三目並べやハングマン、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)
そしてチェスのようなゲームは、一種の相互依存性を持っている。というのも、各プレイヤーが交互に手を指し、他のプレイヤーの手を見て自分が指す前に分析する機会があるからだ。このようなケースで各プレイヤーは、相手の差しそうな手と、それによる影響を見越し、他のプレイヤーがどの手を指しそうか評価を試みて、そこから「遡って」自分の現在の状況を推定し、こうした分析に従って指し手を選ぶのである。このようなゲームでは、各プレイヤーは他のプレイヤーの戦略だけでなく、自分の指す手に対して他のプレイヤーがどう反応するか、その次はどうか、またその次は等々と予測しなくてはならないのである。プレイヤーにとってベストな戦略は、起こりうるあらゆる結果を見越すことで決まる。チェスの場合、このような予測があまりに複雑なので、プレイヤーが一度に見越すのはほんの数手で、他のプレイヤーとの対戦経験から常に戦略を見直すのである。

他方、ポーカーのようなゲームの場合には、各プレイヤーは、他のプレイヤーの現在の状態や出しそうな手を知らずに同時に手を出す。彼らは「相手がこう来ると僕が考えるだろうと相手は考えると僕は考え。。。」云々という具合に考えることを余儀なくされるのである。それぞれが、他のプレイヤーの立場になって考え、自分の手も含めた結果を予想してみなくてはならないのだ。

情報を欠いている、このようなゲームは、推論の堂々巡りとなってしまうのだが、これに対処するのがナッシュの均衡の概念である。そこでは各プレイヤーは、他のプレイヤーも「最適な手」を選ぶ、すなわち、プレイすべき「最適な局面」にあるという考えに基づいて、自分も最適な手を選ぶのである。

問題は:専門用語のせいで、この定理の記述が非常に分かりにくいことである。「均衡という状態について、ナッシュはどのプレイヤーも、他の可能な戦略を選択しても自分の立場を改善できない状況と定義している。これは、各個人にとっての最善の選択が、社会的に最適の結果をもたらすとはかぎらない、という意味である」。(シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』塩川訳138ページ) だが、ナッシュの述べる均衡とは、要するにこういうことだ:各プレイヤーは、他のプレイヤーが自分をひどく不利な立場に置こうと躍起になっていて、おそらくそうすることができるので、自分も最適な戦略を用いるべきだと想定するのである。すなわち、自分には良い打ち手がなく、他のプレイヤーが自分をやっつけようとすると分かっているからと、完全に降参するくらいならば、自分はこの手でいけば大丈夫、他のプレイヤーを負かせられると考えるのである。

こんにち、戦略ゲームにおけるナッシュ均衡の概念は社会科学や生物学における基本的なパラダイムの1つとなっている。この概念の考案によって、彼はノーベル賞をとった。

「(プリンストンで)ナッシュ、シャプレー、シュービック、マッカーシーは、メル・ハウスナーというもうひとりの学生とともに、たがいに組んだり裏切ったりするゲームを考え出した。ナッシュはこのゲームを『仲間をファックしろ』と呼んだが、これはのちに『さよならカモさん』という名で公表された」。ナッシュたちが考えたこのボードゲームは、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC#.E3.83.88.E3.83.AA.E3.83.93.E3.82.A2
「異なった色のポーカーのチップを積み重ねていって、たがいに有利に進むためには、協力しなければならないように複雑なルールが定められているが、勝つためには結局は裏切り合うようになってしまうゲームだ。ポイントは相手を心理的に攪乱することで、そうした手口がたびたび用いられた」。シルヴィア・ナサーによれば、「マッカーシーは、最終回の1回前にナッシュにグウの音も出ないほど叩きのめされて、すっかり頭にきてしまったことがある。マッカーシーがそれほど感情的になったことに、ナッシュはひどく驚き、『もう、これでおしまいだよ。おしまいだ』と何度も言い続けたという」。(塩川訳146ページ)

このゲームを覚えておいて欲しい。というのも、これがナッシュのアイディアのエッセンスだからだ:すなわち、たがいに有利に進むためには、協力しなければならないのだが、その後協力相手をまんまと裏切った方が勝者となるのである。

まるで、目下熱狂的な人気のテレビ番組『サバイバー』みたいではないか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)
もちろん、これで不思議に思うのは、このようなものが人間の行動のモデルに設定しているのはどんな類の「プログラミング」ないしは「例」なのかということだ。さらに重要なのは:なぜか?ということである。

ナッシュのゲーム理論は、彼が契約してやって来る前から、RAND社ではすっかり評判になっていた。ナッシュの説が出る前からRAND社は、フォン・ノイマンが定義した、2人プレイヤーによる全面対決ゲームの研究に打ち込んでいたのだ。というのも、それが2大超大国間での核戦争の問題にピッタリ当てはまるからである。しかし、兵器の破壊力が増して行くに連れて、総力戦とはプレイヤーの双方が共通の利害を持つような状況だと見做されるようになった。双方とも完全に滅び去るような戦争に至り得るのなら、敵国を爆撃して石器時代に戻すというのはもはや意味をなさなくなったのである。

フォン・ノイマンは長い間、RANDが「協力ゲーム」にフォーカスすべきだと信じてきた。つまり、「逐次的に」プレイされるべきゲームである。このようなゲームの「指し手」は、チェスや三目並べのように、情報に基づいてなされるものだ。プレイヤーはコミュニケートして、状況を論じ合い、理性的な共同行動に合意すべきなのである。このようなゲームには、協力とコラボレーションが存在し、審判が臨席して合意を強制するのだ。

しかし、経済学者たちはフォン・ノイマンの考えが気に入らなかった。それでは、危険で無駄な軍拡競争を避ける唯一の望みは一斉軍縮を強制する力を持つ世界政府の樹立にあると言うようなものだ。折しも、国家をメンバーとする「ワンワールド・ガバメント」の考え方が、数学者や科学者の間では大いに支持されていた。

だが、社会科学者たち ― 経済学者たち ― は、諸国、ましてロシアがそんな組織体に主権を譲渡するという考えに懐疑的だった。つまり、協力ゲームの理論のように、一方が他方に協力するよう強制することなど誰に出来るのか?と考えたのだ。

しかし、そこにナッシュが登場して、問題を解決した。彼は非協力ゲームにも安定的な解がありうることを実証したのである。つまり、「たがいに有利に進むためには、協力しなければならないのだが、勝つためには結局は互いに裏切り合うような」戦略が「プレイヤー」にはあり得るのだ。

実際的に言えば:主役であるプレイヤーがワンワールド・ガバメントを唱導し、推進し、お膳立てして、他の全てのプレイヤーがそのルールに従うということがあるかも知れない。でも、その主役であるプレイヤーが自らワンワールド・ガバメントとなって、すんでのところで他のプレイヤーを武力で屈服させようとするのは明らかなのだ。

さて、こんにち世界のどの政府が、ナッシュの戦略をプレイしていると思われるだろうか?急ぐことはないので、ゆっくり考えてみて欲しい。

ナッシュの理論にインスパイアされて生まれたのが、あらゆる社会科学者の考案した戦略ゲームの中でも最も有名な「囚人のジレンマ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9E
と呼ばれるもので、以下のような内容である:警察が2人の容疑者を逮捕して、それぞれを別の部屋で尋問しているところを想像して欲しい。2人のどちらにも、自白するか、裏切って相手に罪をなすりつけるか、黙秘するかの選択が与えられている。

他方の容疑者がどう出ようと、どちらの容疑者も ― 個々に見ると ―、自白した方が罪が軽くなる。一方の容疑者が自白した場合には他方もそうすべきであり、そうすることで黙秘すると受けることになる厳罰を避けられる。一方の容疑者が黙秘している場合、もう一方の容疑者は自白して、相棒に不利な証言をする司法取引ができるが、こちらも黙秘を選べば、罰を免れない。自白する − 「協調(協力)」はしない − のが、「支配戦略」である。どちらも相手が自白したがっていると気付いているのだから、両者共に自白するのが「合理的」なのである。

こうして今や私たちは、サイコパスの持つパワーと、ゲーム理論が私たちに対してどのように「使われて」いるかを理解した。ご承知の通り、サイコパスには良心がないので、非協力の結果を「感じる」ようには「想像」することができない。想像力を働かせて結果を感じることができないため、連中は怖いもの知らず同然であり、それ故連中はどんなものであれ、現実や体験の記憶、他人の体験についての想像等々を顧みずに、自分で思い描いた結果に従って、自分の行動を導くことができるのである。つまり、サイコパスにとっての合理性とは、最大限に利己的な考えによって決まるのだ。「合理性」とは他の誰もが自分本位であり、他人などどうなっても構わないという仮定なのである。

かくして、決して自白しないというのが、サイコパスの「支配戦略」となる。

おそらく読者は、サイコパス的人格と「通常の人間」との人間関係のダイナミクスがどうなるか、即座に理解されるだろう。良心を持たないサイコパスは常に支配戦略をプレイするのであるが、それは、想像力によって現出させた感情に影響されない、全く「合理的」なものなのだ。連中は、感情や、他人の感情ないしモチベーションに対する配慮に従って行動や選択を変えることはない。連中は囚人のジレンマに陥っている通常人を裏切って相手に罪をなすりつけ、自分の罪を自白するのを拒む。というのも、連中には単に、他人を傷つけるのが道徳的に咎められるべきことだと知覚する能力がないからだ。これがサイコパスの「支配戦略」である。連中は、このような状況になっても、決して協調しようと考えたりしないのだ。

それにひきかえ、良心も感情もある通常人は、感情によって補強された想像力に基づいて選択を行う。囚人のジレンマの状況に置かれた彼らは、相手がサイコパスであるとはこれっぽっちも気付かぬまま、相棒に対する忠誠心から自白を拒むことがままある。サイコパスの方では、自分の罪だと自白するのを拒むだけでなく、相手を裏切って罪をなすりつけ、自分に有利な司法取引を行っているのにだ。中には、サイコパスに操作されているとも気付かずに、サイコパスである相棒が苦痛を感じないよう「救う」ために、自白する人さえ居る。その間、サイコパスの方はと言えば、「そうだ。あいつがやったんだ!俺は無実だ!」と言い続ける。真相は全く反対なのにだ。

サイコパスと幅広い感情を持った通常人との間でのいかなるやり取りでも、サイコパスが常に「勝つ」ことになるのは見やすい道理である。

RANDの2人の科学者は、「モルモット」役を引き受けた科学者ペアを使った実験を企画した。本物の人間がゲームをプレイしたら、不思議にも「均衡戦略」に取り込まれるという結果となるだろうかと調べたのだ。彼らは実験を100回行った。ナッシュの理論によれば、たとえ2人のプレイヤーが「協調的」戦略に従ってプレイした方が2人とも良い状態になると言われても、両プレイヤー共に「利己的な」戦略に従ってプレイする筈だった。ところが蓋を開けてみると実験結果は、ナッシュ理論の通りではなかったのである。なぜか?それは、プレイヤーである2人の科学者が、裏切りよりも協調する方をより多く選ぶ傾向があったからだ。賞品を最大化するには、プレイヤー同士が協調しなくてはならないことに一旦気付くと、彼らはその戦略を選んだのである。

実験結果を聞いたナッシュはこう書いている:「均衡的理論の検証として考えた場合、今回の実験は、プレイヤーにさまざまな手を打たせる、ひとつの大規模ゲームに仕立ててしまった点に欠陥がある。これでは。。。人間は、相手をもっと合理的な存在と考えるはずである」(塩川訳173ページ) つまり、プレイヤーたちは良心を持っていたので、それが作戦の選択要因となったのだ。

RANDでナッシュは、利害が一致もしていなければ、対立してもいない2当事者間における交渉のモデルを考案した。これは、こんにち私たちの世界で起こっているのを見かけるものの典型的な例である:(※交渉の4段階。塩川訳173ページ)

第1.各プレイヤーは、ひとつの脅し戦略を選択する。これは、相互の要求が折り合わず、取引が成立しないときに用いる。

第2.各プレイヤーは、たがいの脅しの内容を相手に伝える。

第3.各プレイヤーは、自分にとって一定の価値を持つ、ひとつの要求を選択する。交渉しても、それだけの価値が保証されないなら取引には応じない。

第4.各プレイヤーは、たがいの要求を満たす取引があることがわかると、自分の要求するものを得る。それができない場合は、脅し戦略を実行に移す。つまり、実行できない事で脅してはならず、脅した事は常に実行に移すのだ。

各プレイヤーは、相手プレイヤーがいかなる戦略を選択しようとも、取引を確実にする「最適な」脅し戦略を持っていることを、ナッシュは明らかにしたのだ。くりかえすが、このスタイルのプレイが、こんにち実行されているのを、私たちは目の当たりにしていないだろうか?政治的にか、あるいは、政府と国民との関係において。

さて、サイコパスの話に戻るが:連中が、進歩を手伝うためと称して、他の人々に協力するよう働きかけ操作しておきながら、最終的に「彼らが必要でなくなる」と、勝つために裏切るというのは、かなり見やすい道理である。結果的に連中は、計画的な心理的攪乱を起こすのである。

つまり、究極的に人類を全面的な強制支配に服させるのに不可欠なコンディションを作り出すためには、壮大かつ複雑な事業計画を持つ政府がマインドコントロール・プログラムを運営することさえ必要ないのである。単に、人類の中に戦略的にサイコパスを配置し、選び抜いた面々を表面的には「普通の手段」と見えるようなやり方でもって、訓練し影響を与え、連中が常に利己的な支配戦略を遂行すると予測するだけでいいのだ。

世界を服従させるために、どのようにゲーム理論が利用されるかに関して、読者はこの種の全ての事を結び付けて考えてみていただきたいものだ。

1994年12月、アル・ゴア副大統領は「史上最大のオークション」の開催を公表した。オークションが行われたのは、「何も含まれていない空気」だった。無線コミュニケーションのために使われる送信用電波の免許が数10億ドルで競りにかけられたのだ。(ベル電話会社および同社とモース・ペッカム、アイラ・アインホーン、ユリ・ゲラー他とのつながりを想起されたい。)「翌年3月、オークションがようやく閉会したとき、売上総額は70億ドル以上に達したのだが、これは公共資産の販売ではアメリカ史上最大」(塩川訳562ページ)だった。「95年の春が終わるころまでに、米国政府は、周波数のオークションで100億ドル以上の資金を調達した。新聞も政治家も有頂天となり」、巨大企業は「略奪行為じみた競りから身を守」ることができた。「まさしくそれは。。。『ゲーム理論の勝利』であった」(塩川訳568ページ) オーストラリアからアルゼンチンに至る各国政府がゲーム理論を適用して、希少な公共財の販売をやり直し、ベストなオークションを開発することができたのである。

エンロン。

さて、アイラ・アインホーンの話に戻るとしよう。前章で述べたように、アインホーンには特有の事情があった:日記をつけるサイコパスだったのである。そして、前にも引用した通り、以下の事情がある(これは本当に理解するまで繰り返し読むに値する):「1世紀以上にわたる臨床研究や考察、それに数十年にわたる科学的調査にもかかわらず、サイコパスの謎はいまだに解明されていない。最近の研究の進歩によってこの人格障害には新たな光があたってきたし、その境界はさらにはっきりはしてきた。しかし、ほかのおもな障害とくらべて、サイコパスに関しては体系的な研究がいままではほとんどなされてこなかった。たとえそれがほかのどんな精神医学的障害よりも社会不安や崩壊を引き起こしているとしてもだ」(Hare, 1999)(※ロバート・D・ヘア/著 小林 宏明/訳 『診断名サイコパス 身近にひそむ異常人格者たち』)

このテーマに関してメールをくれた皆さんが繰り返し認めるのは、サイコパスの毒牙にかかったと気付いたときには、ほぼ手遅れであるということだ!1万ドル「ふんだくられた」ことがあるという人が、サイコパスを研究しても「啓発」されないと不平を書いて寄越したのだが、彼は「いつまでもくよくよしないで前へ進んだ」のだという。当然ながら、彼はこれが正しいアプローチだと判断したのだ。経験から学ぼうとなどしなくてよい;他人が将来ワナにかかるのを避けられるようシェアしようとなどしなくていい;ただ「乗り越えるのだ!」

だが、サイコパスが単に大枚1万ドルをふんだくる1人の男ではなくて、世界を乗っ取ろうとしている超次元の存在の一味だとしたらどうだろうか?あなたが「乗り越え」ねばならない「結果(payoff)」(=ゲーム理論の用語。プレーヤー(意思決定の主体)・戦略(プレーヤーの取りうる行動)に対し,ゲームをプレーすることから得られる結果をいう)
が、魂を失うことだったり、このリアリティの制約やコントロールを越えて成長する機会だったとしたら?

分析を行い、追跡の助けになるような手掛かりを見つけることによってサイコパスを見分ける術を学ぶことが、開明のために必要不可欠なツールであるのは間違いない。『鳥たちの集会』でヤツガシラが次のように描かれている通りである:「その胸には神秘主義道を示す衣をまとい/頭には真理を示す冠をかぶっていた/彼は鋭い知覚を有し、神秘主義道に入り/善悪についてよく精通していた」(黒柳訳15ページ)

さらに重要なのは、魂の究極的な探究を成し遂げるための有名な一連の手掛かりを綴ったこの神秘主義者が、ヤツガシラに開口一番語らせた言葉である:「私は疑いなく/陛下の急使(※英訳では「聖なる戦いに参加」)でもあり、不可視界の使者でもある」(同上)

これは詰まるところ、本書の基本原則である。私たちは「聖なる戦い」を実際的な観点で語っている。私たちは不可視界について語っているのだ。つまり、私たちは善悪についてよく精通していなくてはならないのだ。世界の状態から言って、後者、すなわち悪についての知識不足が深刻になっている。「いつまでもくよくよしないで前へ進め」シンドロームが蔓延した結果、私たちのリアリティでは、サイコパスが気付かれぬまま活動を続けることが可能なのである。私たちには何としても決定的な識別子=警告の役割を果たすような、見えざる領域においても「見えるマーク」が必要なのである。わたしたちは次のことを思い出す必要がある。すなわち、「(サイコパス)というのはひとつの人格障害であり、いくつかの特定の行為や人格特性によって定義されるが、その大半は社会から悪いものと見なされている。したがって、ある個人を軽々しくサイコパスと診断することは許されることではない。ほかの精神障害と同じように、診断は、すくなくともその障害を決定づける最低限の基準を満たしているという証拠の積み重ねに基づかなければならない」(小林訳11ページ) さらに重要なのは、一たび何らかの手掛かり、ないし警告を手にしたら、私たちはサイコパスの戦略を理解しなくてはならず、私たちの運命のために行動する力を自分の中に見出さねばならないということだ。その際に十分理解しなくてはならないのは、サイコパスとは、妄想を他人に無理強いしようとする連中であり、「道徳的に気が咎められる」ようなこととは「無縁」、そんな差し手だろうとお構いなしに選択し、本に書いてあるような策略の全てを使って、コントロールを回復しようとするものだということである。

私たちは、サイコパスの心理に関して科学が教えてくれる唯一の事とは、連中の「いくつかの特定の行為」から推測されるものであると知っている。本当に出来の良いサイコパスの心の中 ― 連中が自分の周りの世界をどう見ているか ― をしっかり覗き込むことなどまずあり得ないと分かっているのだ。

ところが、アイラ・アインホーンの場合には、まさにそれが提供されている。賜物である。サイコパスの心の中を覗き込む窓なのだ。

「きみはぼくの方法を知っているだろう。どれも細かい観察に基いているんだよ(直訳:それは些細な事の観察に基礎を置いている)」と、コナン・ドイル作『ボスコム谷の惨劇』の中でシャーロック・ホームズは言っている。(角川文庫版、コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』石田訳、144ページ)

アイラ・アインホーンについて書いていると気分が悪くなり、私は体調を崩しそうになってしまった。政治/経済の舞台におけるダイナミクスを観察し、どんな作戦が始動していて、その究極の目的が何か完全に理解するというところにはまだ至っていないのだが、これはもっと具合が悪くなりそうだ。ゲームの理論は、全世界に対する支配をうまく推進できるようなドミノ倒しの列を仕掛けるための計画を数式で明かすものなのである。

ジョン・ナッシュ、アイラ・アインホーン他のようなサイコパスがこの計画内部の仕組みに関して与えてくれる洞察無しには、私たちは身を守ることも、異なる結果となるよう碇を降ろして踏ん張ることすら − おそらくは − できないだろう。つまり、サイコパスの行動とは、STS(自己への奉仕)のリアリティと計画という大宇宙を縮約した小宇宙なのである。

既に述べたように、「第3の選択」というディスインフォメーション・キャンペーンの中には、次のような考え方が含まれていた。「一般人には到底知りえないような、秘密の米ソ合同宇宙プログラムが存在する。1962年に宇宙飛行士が火星に着陸している。宇宙には我々人間以外の知的生命体が存在することが分かっている。地球は死にかけている。我々人類による汚染は修復可能な域を超えてしまっている。進行する「地球温暖化」の影響で、南/北極の氷冠や氷河が溶け出し、洪水となって陸地に押し寄せるだろう」云々。

こうした考えの全てが ― それらの殆どは、1960年代の諸々のムーブメントやスピリチュアリストであるアンドリア・プハリッチおよびスタンフォード研究所(SRI)の関心から生まれたものである −  アイラ・アインホーンの「業績」の中で、1つにまとめあげられていた。こうした考えが、アインホーンのサイコパス的な作戦で使用するため「採用」されてきたのであり、当然ながら、「僕はホリーを殺していない」という大言壮語の要石となったのだ。これらこそがまさに、怖れを知らない自己防衛というサイコパス的「支配戦略」で活用されるように、彼のリアリティの中に意図的に「仕掛けられた」考え方でないかと疑わねばならない。これに比べると明らかだとは言えないのだが、彼がついには殺人を犯すことになると、誰か − あるいは何か − が気付いていたのだろうか?

テキサス州タイラーでの問題が、先に進む上で実に興味深いものとなる。既に述べた通り、ヴィンセント・ブリッジスは自らをアイラ・アインホーンに重ね合わせていたのであり、アイラがテキサス州タイラーに世間の注目を向けさせようとした主張を、さらに推し進めようとするヴィンセントの試みが示唆していたのは、当然ながら、ホリーを殺してないというアイラの大言壮語をヴィンセントは信じることにしたということだった(付録C参照となっていますが、初版では以下の部分が、注として組み込まれていました)。
http://www.cassiopaea.com/cassiopaea/adventures305.htm#tyler

それでもやはり、アインホーンは殺人を犯したのであり、この行動はある意味、「挫折」と見做し得るものなのだが、彼がこうしてカモフラージュし損なったのは、彼の人格構造の当然の結果なのである。繰り返すが、このことは何れかのレベルで分かっていたのだろうか?これは意図的操作の一部だったのか?

アイラ・アインホーンは、カオスを糧にする「センセーション中毒」だった。彼は古いあり方/やり方を破壊することによって「すっかり指導者の地位に就いた」。支配者層(エスタブリッシュメント)の伝統(確かにそれらは恣意的かつ抑圧的なものだ)が崩壊するに連れて、彼は優勢になり、時流に乗ったのである。1964年の夏、彼はバークリーとパロアルトを行ったり来たりしていた。これらの場所でカウンターカルチャーが始まろうとする動きを見せていると、彼は即座に気付いたのだ。ケン・キージー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC
が開いたパーティーで、アイラはLSDをやったのだが、このように書いている:「とてもハイで、あまりに奇妙な体験だ。もっと距離を置かなくては」

何か理由があって、このトリップのせいで彼が少々ナーバスになったのは明らかである。彼は後に主張しているのだが、最初にLSDをやったのが1959年のことで、その後の2年間は、月に2回くらい「トリップ」していたという。彼はLSDこそ自己分析のカギだと考えていたのだ。なお付言しておくと、彼がLSDをやっていたのは、リタ・シエガルを襲う2年前だった。つながりがあるのだろうか?

1964年の秋アイラは、おそらくはモース・ペッカムのツテで、テンプル大学で文学コースを教える職に就いた。彼は皺だらけの服に、半分に切ったネクタイという出で立ちでクラスに現れた。彼は授業時間の全てをかけて、エロチシズムとセクシャリティーの違いについて論じようとした。モース・ペッカムの手法を用いて、詩を論じたのである ― 1行目を完全に理解するまで、2行目について議論してはならなかった。彼は、自分のライフスタイルが破天荒で、人と異なり、自由であると、クラスの学生たちに明言した。彼のアパートには、ベッドと本以外何も無いのだという噂が流れた。1964年当時の若者たちにとって、これは憧れる生き方だった。

ある時アイラはインタビューでジャーナリストにこう語っている。「僕は学生たちのような服装をしている。彼らから、マリファナやLSDについて尋ねられれば、率直にその喜びと危険について答える。学界に対する軽蔑も隠したりしない。僕は若者たちにとても人気があるんだ。体制寄りのことは言わないからね」

彼は始終作家になるのだと言っては、小説を書き上げた;だが実際は、物を書くのがあまりうまくなかった。彼がその方面で努力をしても、失敗の繰り返しだった。フィラデルフィア・マガジンのバーニー・マコーミックは、アイラについて、「ひどい作家だった。アイラはそれでフラストレーションを感じていた」と述べている。

しかし、読み手に関する無知という、真にサイコパス的流儀でもって、文明の生んだ最も優秀な人々の著作から盗作することで、彼は自分が文学的に熟達しているという幻想を産み出すことができた。(※またもやAppendix C参照となってます。Amazonの「なか見!検索」で見れるようです。)
彼の持つカリスマ的な力に人びとは魅了され、彼はカウンターカルチャーにおける名声と栄光の座に登りつめた。「愛」という言葉が、アイラの論戦の道具となった。

彼は「革命を予見する人々」から成る小さなネットワークを築き始め、「切迫した黙示」および霊的変容のビジョンを研ぎ澄ました。彼は自分の「人格的パワー」に接触し、個人的なカリスマに基づいた公的人格を作り上げた。

ヒトラーと同様にアイラは、殆ど全ての活動分野において、自分こそ何が良くて何が悪いかに関する至高の判定者だと信じていた。そしてヒトラー同様、彼は若者たちが人知れず抱く望みの代弁者としての役割を果たした。すなわち、およそ許容されない本能、苦悩に対する恨み、責任ある行動をとるようにというプレッシャーに対する個人的反感、働いても悲惨な状態であるという厳しい現実に対する怒り、両親に反抗し要求しようと思いつつも抑え込まれている若者たちの影の部分の「増幅器」となって、それを声に出し、それらの存在を許すだけでなく正当化した。

ドイツにおいてヒトラー登場の「機が熟した」のと同じように、アメリカの若者たちにはアイラ・アインホーンによって士気を鼓舞される準備ができていた。ベトナム戦争によって生み出された社会的、経済的、政治的状況は、起爆を待つ爆弾のように一触即発で、アイラは爆発を起こそうとしたのだ。全てのサイコパスと同様にアイラは、人びとが彼から与えて欲しいもの ― 自分達の存在理由 ― を感じとる能力を持っていたのであり、彼に対する畏敬の念をかきたてるように操作することができた。彼は若者たちのご機嫌を取り、丸めこみ、問題の本質と関係ない論点について批判を行い、聴衆の大部分が内心考えながらも言葉にできなかった事を常に語ることができた ― というのもそれらは、暗くて暴力的な受け入れられない考え=彼らの両親が第2次大戦で負った心のトラウマという混乱状態の中で生まれ育まれた思考であり感情だったからである。

もちろんアイラは、自分の考えを提示する際には常に、「あえて真実を語り、権力や人類進化の迫害者、人間の魂の迫害者たちに刃向う!」風を装った。アイラによるカオスへの誘導は、人々が持つ、最も原始的で基底的な本能や性向にアピールし、それらを高貴さや崇高な理想のイメージで包み隠した。かくして彼は ― それがいかに反抗的で反社会的なものであれ − 全ての行動を、「崇高な理想という目標」を達成する手段として正当化することができたのである。彼を知る人々は彼が、「その目標の故に手段が正当化される」類の人物だと語った。

注意しなければならないのは、そもそも圧迫や不平等という状況が存在しない社会においては、サイコパスは成功しないだろうということである。この意味で私たちは、自分たちが取り組んでいるのはおそらく、ソーシャル・プログラミングに応用されたゲーム理論なのだろうということを銘記すべきである:すなわち、嘆かわしい状況を作り上げ、その責任を負うべき「敵」を仕立てておいて、「救世主」が登場するというマキャベリ的策略だ。

私たち自身のサイコパスとのやり取りよりもずっと重要なのは(とはいえそれも痛みを伴う学びなのだが)、サイコパスがもっと大きな舞台で行っている事である ― すなわち、私たちの注意を惹き付け掴み、印象を植え付け、概して私たちの気付きを、実際に起こっている事とは殆ど関係がない何かの型にはめるような、社会的、精神的、政治的活動という余興だ。もちろんこれらがとても深刻な霊的影響を及ぼすものであることについては、いずれ述べようと思う。だが今のところは、このダイナミクスを十分理解するのが重要である。というのも実際:まず、私たちを眠ったままにしているものが何であり、それがどんなやり口なのかに気付かないことには、目覚める可能性は無いからだ。そしてもちろんながら、私たちはサイコパスに関して得られた断片的な情報から、連中について言える最重要事項の1つが、連中の猿真似し、模倣し、本性をカモフラージュする能力だと知っているので、連中を見分けるのに役立つような手掛かりを発見するのが大事なのだ。

アイラ・アインホーンは、実際、宝の山である。私たちの目の前に居るのは、数多くの賢い人々を操作してきた、正真正銘のニューエイジのグルなのだ。アイラ・アインホーンは、10年以上もの間、非暴力の象徴だった。彼がホリーを乱暴に扱うのに少々困惑した人々でさえ、彼の些細な「異常」を大目に見た。アイラが注意深く育て上げた公的人格のせいで、他の人々が些細な手掛かりを理性的に評価するのはまず無理だった。彼の支持者たちは、彼が「類まれな人間であり、犯していない罪で告発されスキャンダルになっている」と感じていた。というのも、彼らの印象が、注意深く育まれた公のイメージによって、完全に「作り上げられた」ものだったからである。さらに重要なのは、彼が注意深く作り上げたイメージが、彼の親友たちの間にさえ広まっていたということだ。彼のダークサイドを垣間見たことのある彼らにさえ、サイコパスだとばれないのだから、サイコパスの正体を見破るのが如何に難しいか分ろうというものだ。そのためには、ドン・ファンが「システマチックな嫌がらせ」と呼んだものを行うように仕向けつつ、その人が見せる「些細な」反応を綿密且つ注意深く観察することが必要となる。連中の正体をた易く暴けるなどとは一瞬たりとも考えてはならない!ということで、私たちは実際、ハンディを負っているのであり、「出来の悪い、失敗した」サイコパスから学ぶしかないのである。だが、それでも何も無いよりましなのだ。

サイコパスの動作の仕方が通常の人々と比べてどの程度違うのかを正しく評価するのは実に難しい。レストランから出て行くよう言われて、ウェイターを殺したジャック・アボット
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/abbott.html
は、良心の呵責など感じていないと否定した。というのも、彼は「何も悪い事はしていない」からであり;「それは何の痛みも感じない、スパッと切れた傷口だった」し、犠牲者には「何の価値も無い」からだった (Hare, 1999, 42-3). ジョン・ウェイン・ゲイシー
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/gacy.html
は33人の少年を殺したが、自分は犠牲者だと述べた。「少年時代を奪われた」からだという。ケネス・テイラーは妻をメッタ打ちにして殺しておきながら、妻を失うという悲運に見舞われた彼に対して誰も同情しないのがなぜか理解できなかった!ある女のサイコパスは、自分が疲れてセックスできないときには、ボーイフレンドが彼女の5歳の娘をレイプするのを許しておきながら、社会福祉関係者が娘を連れ去ろうとすると激怒した!ダイアナ・ダウンズ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text3/downs_diane.html
は、(※1983年に)自分の3人の子供たちを撃ち、その後、見知らぬ男に攻撃された「証拠」をでっち上げるために、自分自身をも撃った;オプラ・ウィンフリー・ショー(1988年9月26日)で、子供たちを失ったことについてどう感じるかと訊かれたダウンズは、こう答えている。「私、2か月間は自分の身の周りの事もちゃんとできなかった。。。傷跡は永久に残るでしょうね。。。子供たちは幸せだったと思うわ」 (Hare, 1999). ヘアは述べている:


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我々がリサーチした別のサイコパスはこう語った。「自分以外の他の連中が言う『恐怖』というのがどういう意味かはわからねえよ。だけど、俺が銀行に押し入った時、窓口係が震えていて、口が利けなくなってるのに気付いたんだ。1人なんかカネの上に吐きやがった。彼女は内心かなり混乱していたに違いないが、俺にはどうしてなのかわからない。誰かに銃をつきつけられたら、俺だって怖いだろうけど、吐いたりはしないね」 そんな状況になったら、どんな感じがするだろうかと我々が尋ねると、彼は身体の感覚については答えなかった。彼はこんな事を言った。「カネを渡すだろうな」;「どうしたら先に撃てるか考えるだろう」;「さっさと抜け出そうとするね」。どんな事を考えたり、したりするかではなく、どう感じるかだと尋ねると、彼は当惑したようだった。そこで、心臓がドキドキしたり、胃がムカムカしたことがないか尋ねると、彼は答えた。「もちろん、あるとも!俺はロボットじゃないんだ。セックスしたり、喧嘩するときは、興奮するよ」
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(Hare, 1999, 53-4)


サイコパスに関して、本当に恐ろしい事の1つは、連中にサイコセラピーを施しても、実際にはどうやら殆どの場合、連中はもっと大掛かりに他人の権利を侵害するようになるらしいという事だ。なぜかといえば、サイコパスはサイコセラピーを利用して、連中の心理的操作の腕を磨くかららしい。サイコパスがセラピーを受けて、人々を騙すのに利用することはあっても、このようなセラピーがサイコパスを救ったと確認されたケースはない。というのも、サイコパスは連中の「立派な」人格を変える必要など感じることはないからだ。

研究者のリンダ・ミーリー(ら)は、「詐欺師」という観点からサイコパスを論じている。これが私たちに示唆するのは、「トランプの名人」という視点で考える結果、サイコパス研究に進展がもたらされるかも知れないということだ。


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詐欺師は、彼/彼女の仲間たちが日常的に道具として利用している人々の方面から探知されないように。。。終生移動していなければならない。1人の詐欺師が同じ被害者たちと長く付き合うほど、被害者たちに詐欺の戦略を悟られてしまうことになるので、彼/彼女との付き合いを断られてしまう可能性が高くなる。移動にはコストがつきものだ。というのも、移動を行う詐欺師は、移動後の新しい社会環境について学ばねばならないし、それに熟達する必要があるからだ。予測できる3点目は、詐欺師が言葉や言語、対人的共感を操る能力に長けているだろうということだ。。。男女の詐欺師は、哺乳類の生殖における絶対的な戦略的/潜在能力的二形性を反映して、男女で非常に異なった詐欺のパターンを働かねばならない。男の詐欺師は女性を性交するよう口説くことに特に堪能でなくてはならない。カネや時間のコントロールや将来的に子孫を残す見込みに関してもうまく女性を騙せる必要がある。これに対して女の詐欺師は、相手の男性を騙して自分が父親だと信じ込ませるために、性交にはあまり興味がない風を装わねばならない。彼女たちはまた、相手の男性がなるべく多くのカネ・時間・支援を提供するよう仕向けるため、自分が無力であって、それらを必要とすることを誇張しなくてはならない。最後に、女の詐欺師は、子孫が生き残る可能性が、ある臨界値を超えたと感じたら、できるだけ速やかにその子たちを捨てなくてはならない。
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(Harpending and Sobus, 1987) ※Sociopathy as an adaptation. Ethol. Sociobiol.8Supp. 1, 63–72
ハーペンディング&ソブス『適応としてのソシオパス』


ミーリーは、「生まれつきの詐欺師」である先天性ないし一次的ソシオパスと、「性交相手を獲得する」可能性を高めるため詐欺師になる、二次的サイコパスを区別した。彼女のモデルによれば、一次的サイコパスは幼いうちに ― よちよち歩きのうちに ― 識別可能であり、二次的サイコパスが本性を表すのは、幾らか後 ― おそらくは思春期ごろ ― である。一次的サイコパスは、裕福で栄養状態が良く、育児に手を掛ける階級に、より多く蔓延しており、二次的サイコパスは生い立ち的に恵まれない階級から現れる傾向がある。

私は、この意味で、サイコパスとソシオパスという言葉は、上の2つを区別するのに役立つと思う。ミーリーの言う「二次的サイコパス」をソシオパスと呼ぶことにしたいのだが、この人達は概して社会経済的地位が低く;知能が低く、社交べたであり;両親による育児放棄、虐待、首尾一貫しない躾け、罰を経験しており;彼らの反社会的行動は社会的圧力に対する反応である。

ミーリーによれば、一次的サイコパスとは、「社会的策略のオペレーションを成功させるためにデザインされた。。。操作的で捕食的な社会的交流という人生戦略を追求させようとする進化圧の産物である」 (Mealey, 1995). ※The sociobiology of sociopathy: an integrated evolutionary model. Behav. Brain Sci. 18, 523–599 ミーリー『ソシオパスの社会生物学:1つの統合的進化モデル』
つまり、この連中は、私たちのリアリティにおける、ゲーム理論のベクター(方向を合わせる者)としてデザインされているのである。

甘やかされた子供の全てがサイコパスとなる訳ではない。しかしながら、疑わざるを得ないのは、「特別なインディゴ・チルドレン」とするための「処方箋」である、寛大で温室的な育児アプローチは、まさしくそうなることを企図したものでないだろうか、ということだ。

スティーブン・レヴィーのインタビューを受けた数多くの人々は、アイラには、彼が言った事なら何でも信じたくなるというところまで、批判力が麻痺するように感情を操作する能力があるということについて、大方同意した。彼は自分が、「エスタブリッシュメント」というゴリアテに立ち向かう、カウンターカルチャー界の高貴なダビデであると信じるよう、彼らを操作することができたのである。彼の話を聞く者は、彼が言う事なら何でも信じる心の準備が出来ていた。というのも彼らは、たとえ事実が正反対であることを示していても、そうしたかったからだ。彼が聴衆の中に築いた感情的な絆は、簡単にほどけるものではなく、人びとから批判的思考の機能を奪うのが、その重要な効果だった。彼らは事実によって混乱させられるのを望まず、考えねばならなくなるのを望まず、ただ自分たちの怒りや抵抗の感情をアイラに、言葉に出してもらうことだけを望んだのだ。

アイラは極めて高い知能を持っていたので、人びとがどんな話題を持ち出そうと、絶対誤りが無いという印象を受けるような事実や数字を引っ張り出してくることができた。彼は耳にしたアイディアや洞察が彼自身のものであるかのように繰り返し述べてみせる能力を持っていたので、聞き手は彼が非常に聡明で ― 天才だとすら ― 信じ込まされた。彼は途方もない「目立ちたがり屋」だった。彼が著作においては、真に創造的なものを「生みだせなかった」のは、彼の「パワー」が、感情的な反応を引き出すことにターゲットを絞った微妙な操作を聴衆とのやり取りの中で行うことに厳密に限られていた証拠だった。


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アイラ・アインホーンは、どの部屋に居ても、注目を集めたという。決まって彼は、彼と付き合いがある有力者/有名人のことや、彼がアクセスした内部情報、あるいは、物事に関して彼が到達していた高尚な意味合いの理解といった内容を、目がくらむような一斉射撃よろしく述べ立てるのだ。彼の終末論的ビジョンは、奇妙な具合にツイストがかかっており、世界の住人について1人称複数で語るのだが、彼個人はどういう訳か、その中には含まれていないのだった。あまりに早い展開に、人々はアイラが弁じたてる状況にどう対処していいか分からなかったが、アイラ・アインホーン自身は、彼の周りの混乱した複雑な世界を難なく理解しているというのが、皆の暗黙の了解だった。

このような優位性の称賛が暗黙的だった事自体が、腹立たししさを増してもいた。というのも、どこがおかしいとはっきり指摘できなかったからだ。彼は、意見や態度において優位な立場を独り占めすることができたが、それは単にそれらがアイラのものだったからであり、それはその基準において正かった。彼に頼まれて、あなたが掃除機を貸したとしよう。貸した期限が過ぎて何か月か経ち、あなたは彼に尋ねる。「そろそろ掃除機を返してもらえないだろうか」 彼は無頓着に答える。「ああ、あの掃除機は壊れたんだ」。そして話題を変えるのだ。あなたが粘って、無くなった掃除機について、少なくとも何かはっきりしたコメントを聞き出そうとすると、彼は失望の色を浮かべて、あなたを見詰めるのだ。「本当に掃除機が気になるのか?」 物質の所有などということに縛られていると指摘されたあなたは、少しひるんでしまい、存在の大いなる曼荼羅の中では、掃除機などもちろんただの塵に過ぎないと考えるのである。掃除機を失ったことに腹が立っても、あなたはそれを自分の胸にしまっておくのだ。

アイラ・アインホーンは、公式に拒絶されることがあっても、ほぼ似たような姿勢で巧みに振る舞った。それが彼の落ち度となることは滅多になく、拒絶者の不適切な人柄が、そのような問題の原因なのだった。一度、著作家ウィリアム・アーウィン・トンプソンが、リンディスファーン島で開いたニューエイジ座談会にアインホーンが参加するのを拒んだことがある。事実、「私は、この大ぼら吹きめ、と彼に言ったんだ」とトンプソンは回想している。アインホーンはどうしただろうか?「横柄になったりへりくだったりというのが彼のやり方だった」トンプソンは振り返る。「私が神経に問題のある、善悪の区別がつかない人間で、優れた才能の持ち主であるとはいえ、障害を抱えているので大したことはないと言うんだ。というのも、彼も人類進化の勢いを削ぐ、そうした奇妙な閉塞状況にあるから分かるんだそうで、私は救いようがないと言うんだ」

「アイラは常に、自分にはルールが適用されないかのようにして暮らしていて、うまく難を逃れた回数は半端でない」と、アイラの友人のマイク・ホフマンは言う。「彼は、自分が非常に特別な資質を持っていると人々に信じ込ませたので、ルールが適用されなかった。彼が、読書や思索、あちらの世界に行こうという意欲に注ぎ込む情熱は、他の思索家の誰よりも強烈だった」。。。「アイラは本当に自分が宇宙の中心だと思っていたんだ」と語るのは、彼の友人であり、ペンシルバニアのキリスト協会を運営していたラルフ・ムーアである。「彼は『目的が手段を正当化する』的な態度をとって、『僕のアジェンダはここでは理に適っている』と言うんだ」

「アイラには、心理学で言う超自我(=精神分析の用語。パーソナリティを構成する3つの精神機能の一つ。快楽追求的なイド (エス) と対立して道徳的禁止的役割をになうもの)
が無いんだ」と語るのは、スチュアート・サミュエルズだ。「人々が彼の身体が臭いと有り体に言おうが、彼がそのままにしている理由だが、1つには、そんなことはどうでもいいからだ。だって、彼に言わせれば、彼はこの世界よりも大きいんだから。だから、彼が臭かろうが、どうでもいいんだ。アイラは完全に自己中心的なので、何を言っても、彼の知識、彼の視点には勝てない。彼は常に独自の視点から物を言うんだ」

「私がアイラを見ていていつも目についたのは、どこにいようと彼が場を支配してしまうことだった」と言うのは、アイラの友人の1人、ジェフ・バーナーだ。「どんな社会的場面も支配し、使っているどの部屋も、どの環境も支配し、どの空間もすっかり彼のものになってしまうんだ。彼は、私が自分の家でそんなことをするのを許した、数少ない人間の1人だった。でも、私は気にならなかったんだ。だって、彼が出て行くときには、私はさらに豊かになっていたからね」 このように友人や仲間たちは、アイラのエゴを素晴らしく愉快で、知的刺激があり、正しいモチベーションからのものであると考えて、結局受け入れていたのである。何と言っても、アイラの振る舞いについて冗談を言うと、真っ先に笑うのがアイラだった。。。アイラが30分もマクロビオティックを罵っていると、友人の1人は、ついに彼を遮ってこう言う。「素晴らしいね、アイラ。さあ、ハンバーガーを食べに行こう」 するとアイラは少しもひるまず、「いいとも」と言うのである。
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(Levy, 1988)


アインホーンは若者たちに対して、熱心にドラッグの使用を、またしばしば乱交をも奨励した。彼は「公開討論会」の開催を呼びかけ、「自分の話を聞くよう求めたが、その代わりドラッグは見て見ぬふりをした」 アイラは、DMT(ジメチルトリプタミン)と大麻を学生や友人に配り、「LSDの疑似体験」というタイトルのクラスを教えた。これは彼自身について物議を醸そうとする策略だった。こっそりとなら皆、LSDについて議論していたが、LSDの「長所」を公の場で賛美までしたのは、フィラデルフィアでもアイラが最初だった。彼は「出会いがしらのセックス」(別名:乱交)を奨励し、自分も参加したので、「精力絶倫」だと評判になり、伝説ともなったが、既に述べたように、これは些か語弊がある。アイラは数はこなしたが、中身は今一つだったようだ。

彼が公然と「トリップ(ascent)」をし始めたのが、1964年から66年頃だったことを覚えておいて欲しい。

アイラがカウンターカルチャーのヒーローとしての社会的な役割を演じて、ドラッグとセックスによる霊的トリップに無制限に酔いしれることを許したくないエスタブリッシュメントによる抑圧から人類を解放していた、その一方で、彼はペンシルバニアのジュディー・ルイスという名の学生と出会い、夢中になった。ジュディーはアイラより7歳年下で、彼女自身の言うところでは、彼女は感情的なストレスを味わっているところだった。アイラの友人であるマイケル・ホフマンはこう言っている:「アイラはとても鋭い人間なので、彼と関わり合いになると、彼は頭の中を覗き込んでくる。そんな関係になるのだ。女性が相手だと特にそうだった。支配する必要があったからだ。ジュディーとは平穏な関係ではなく、明らかに情熱的なものだったので、私はある時点で、彼女が縁を切りたがるだろうと思った。というのも、他の多くの人々同様、彼女もついにはこの男に自由自在に操られていると感じるだろうと思ったからだ」

ジュディーの友人で、この関係のもう1人の観察者はこう語った:「彼女、彼にとても興味を持ったのよ。基本的には彼の考え方のせいでね。それで、彼は益々独占欲が強くなっていったの。。。彼女は彼と一緒でなくては何をすることも許されなくなったんだけど、彼女はそんな風に依存するタイプの女性じゃなかった筈なので、これは元々彼がそうだったか、彼の方で彼女を必要としたんだと思ったわ。彼女がよく言ってたのを覚えてるんだけど、彼は一晩中語り明かそうと言い張ったそうよ。眠りたいと思うのは不実だってね。彼女は彼が気性的に激しくて、暴力的な感情を持っていると気付き始めたの。彼が貪欲でしつこい基地外だってね」

またしてもアイラは空想を拵え上げて、1人の女性に投影したのだった。彼は、関係が長引くほど、相手の興味が続かなくなるという事実を完全に無視した。アイラはジュディーの美貌、奥深さ、彼に全てを与えるのを拒む身勝手さについて延々と記した:「ジュディーが、僕たちの間に流れる魔法を受け入れることさえ学んでくれたら、喜びは爆発するだろう」

こうして問題の核心に迫ってきた。アイラは日記に、「僕の言葉に従って、彼女の方から進んで僕に対して、僕の母親との強力な関係が僕の魂に焼き付けた、絶対的な信頼を与えてくれたら」と綴っている。「僕は、母親がしてくれたように、彼女が面倒をみてくれるぐらいのところまですっかり1人の女性を征服したいのだろうか?」

こう書いていてアイラは、耐え難いほどの頭痛(おそらくは、ドーパミン欠乏症の症状)を感じていたという。間違いなく何かが起こっていた。アイラは書いている:「妙に頭が軽くなった気がして、怖くなってきた。ついに僕は永久に精神がおかしくなった可能性が高いように思う」

リタ・シエガルがそうだったように、ジュディーもアイラが怖くなってきた。リタと同様、彼女もまた、アイラの元を去るのは簡単でないと分かった。アイラからただ立ち去るということは出来ないのだ。ジュディーが彼との関係を終わらせたがっているとアイラがようやく「理解する」まで、数か月かかった。彼は彼女の言葉を無視して、空想をふくらませた。空想の中では、彼女が彼に会いたくないと願うのは単に彼女が「動揺している」からに過ぎなかった。彼の描いたシナリオでは、彼女が願望を抱いているのは、関係を続けて深めたいと彼女が思っている証拠だった。彼はまた、もし、これが本当でないと分かったら何が起こるかについてもシナリオを描いていた。1965年11月、アイラは日記に次のように記した:


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今夜、僕の存在を貫き流れた暴力は。。。さらに暗い存在になって、僕が深く愛していると思っている人を殺す結果になるのを待ち受けている。抑圧された感情は、ある形に戻りつつある。殆どコントロールできないものにだ。。。明日は、ジュディーを殺そうとしてみる良いチャンスだ ― この事実に理性的に気付いてみると、全くの恐怖を感じるのだが、先に向かいたいなら、正視しなくてはならない − 僕は自己認識から目を逸らしてはならない。それは今正体を明かしつつあるのだ!
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(Levy, 1988)


翌日アイラは暴力を振るわなかったが、その1週間後、ジュディーは再びアイラから自由の身になろうとした。アイラは自分が「性的倒錯者」であると知ったようだ。彼は日記の中で、自分の行動が子供じみているかと母親に問いかけつつ、こう記した:「僕の性的倒錯を、やり場のない、完成しない怒りによって説明しようだなんて、もう沢山だ」

その一方で、もちろんアイラは公然と、ドラッグと、セックスで拡張した意識、そして霊的優越性の恩恵によってもたらされた、名声と栄光の座に向かって進んでいた。彼は1966年3月の日記にこう記した:


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まるで、もっと僕そのものになれるようなワークを行うことが可能な環境がついに整おうとしているかのように感じられる。さもなければ、この部分的な狂気のせいで僕は、僕の世界を崩壊させてしまうだろう。
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彼が明らかに理解していたものに対して理性的に対処しようとする戦いは、彼の有利にはならない「ゲームの戦略」に従うもので、何らかの真の感情が含まれていることを意味しなかった。アイラにとって、それは単なるゲームの「指し手」に過ぎなかった。彼は本質的に、自らの基本的な捕食者的性質を、頭脳による戦略的合理性に帰そうとしていた。3月14日に彼はこう記した:


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ジュディーを殺そうとは、何と馬鹿げた考えだろう。だが、ほんの4時間前まで、僕はそう思っていたのだ ― このような人間の能力は恐ろしくもあり喜びでもある。僕がジュディーを破滅させようと手を伸ばすと、暴力が僕の身体を這いあがって来た。この地獄のワナにかかった助かる望みのない生贄は、僕ら両方の命の血を流すのだろう。。。僕らの欲望における馬鹿げた愛憎併存はなおも、即座の、すなわち無謀な行動によって、破滅させ、あるいは破滅させられると脅かすような危険なバランスを保ちつつ、理性の回復できる範囲を越えて、疑いの域にまで僕らを放り投げる ― 僕たちは一緒になるか、あるいは死ぬべきなのだ。
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言わせてもらえば:「僕たち」とはどういう意味だろうか?

いずれにしても、その3日後、アイラの捕食者的本性が彼の「理性的」思考を圧倒し、ある「事件」が起こった。これについては、13年後にジュディーが、探偵のマイケル・チットウッドに対して詳細を述べている。彼女の述べたところでは、アイラが会おうと主張した際のことだったようである。彼女は、ただ一緒にコーヒーを飲むだけで、他に何もしないならと同意した。アイラはもちろん、どうして関係を続けるべきなのか、考えと言葉でジュディーを魅惑する自信満々でやって来たのだった。ジュディーがコーヒーに入れるミルクとドーナツを取りにちょっとの間席を立った時、議論が中断した。アイラは自らこの事件について、『暴力的な行い』という題の詩に記録している。この詩によると、ジュディーはミルクなどを持って戻り、コーヒーを注いだ;彼女がそうした時、アイラは意を決して、何か言いようのない事をしようとした。彼はその考えを捨てたのだが、立ち去ろうとして上着を着た時、「それは突然起こった」と書いている。

ジュディーが背を向けた時、アイラはコークの瓶を持って彼女の方に向かって行った。「手に持った瓶で僕は/頭を小突いた。。。」

しかし瓶は割れ、ジュディーは血を流した。アイラは彼女を床に組み伏せ、彼女の首を掴んだ。倒れた時に彼女はテーブルに頭をぶつけていた。アイラは彼女の首を絞めていた。以前のリタ・シエガルの時同様、彼女はだらんとなって意識を失った。アイラは記している:「このような暴力の中に、自由があるかも知れない」

ジュディーの話では、隣人たちが騒ぎを聞いて、部屋に入って来た。彼女は彼らに大学警察を呼んでくれるよう頼んだ。この時までにはもちろん、アイラは姿を消していた。彼は家に戻って日記にこう記した:


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僕はついにどこまで来たのか。ジュディーの頭をコークの瓶で殴り、上着やズボンに血を浴び。。。それから、彼女を窒息させようとしたが果たさなかった。彼女は生きたいと思い、それは確かなものとなった。。。もし彼女が僕を逮捕させなければ、僕は通常の生活に戻れるだろう。暴力は常に関係の終わりを意味する。それは最後の障壁であり、それを越えてのコミュニケーションは不可能となる。
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リタ・シエガル、そして、このような暴力をふるわれたことをただ忘れようとする、他の多くの女性の場合と同じく、ジュディーはアイラを告訴しなかった。だが、アイラは、もし暴行を繰り返せば厳罰に処されるだろうと通告を受けた。

アイラは自分の行動が「馬鹿げている」と認めていた。しかし、一瞬でも自責の念を感じるどころか、彼はどうやら自分の行動を、彼の性的倒錯の願いをかなえることに同意しない「とても身勝手な」女に向けた「解放的な反応」だと考えたようである。彼は自分の暴力を、自分に成長をもたらす何か=彼の元を去りたいというジュディーの願望に対する憂鬱や落ち込みから自分を解放してくれる何かだとみなしていた。現実に、単に彼と関わり合いたくないと願っただけの女性をまたしても殺しかけたのだから、アイラにはその意味が事実上全く分かっていなかったのだ。

アイラの友人であるマイケル・ホフマンはまたしても秘密を明かされた。しかし、今回はホフマンもゾッとして、事件について長々と問いただし、友人の行動に関して何らかの理解を得ようとした。


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これらの事を話した時、彼は自らを解放したようだった。彼は責任を取らなかった。彼は誰でも感じるような罪の意識を感じることがなく、「まったく、どうして僕はあんなひどい事ができたんだろう?」と言うこともなかった。彼は、その行動が、2人の関係の性質からどのようにして生じたか語ろうとした。男と女が持つ必要のある、満ち足りた、豊かな、わかち合うような関係を持つことが、どうしてできないのか。それは何らかの形で説明に出て来るものだろう。彼はおそらく、これまで私が見たことのないような、最も複雑な自己防衛構造をしているのだ。彼はあのような事をした後で、本当に詳細に立ち入って、それが行われた理由について、精神分析の見地や、社会学的見地から、歴史的位置づけについて議論しようとするのだ。。。彼が、言ってみればとても複雑な精神構造をしているのはすぐに分かった。
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(Levy, 1988)


ご覧のように、アイラは助けが必要だとは考えなかったのだ。彼は暴力を振るった事を、彼がロマンチックなヒーローの類であることの証拠だと考えた。彼は自分が「性的倒錯者」だと知っていたのだが、それがありのままの自分であって、自分は正しいと思っていたのである。彼は数か月後にカリフォルニアからホフマン宛にこう書き送っている:「リタとジュディーは事実上、ペッカムにはそれ以上行けない境界を破壊した!僕は、自分の中に居る怪物を外部の存在の中に詰め込んで、それと対決しなくてはならない ― 会って、僕に憑依しているものが何か見るんだ ― それが消えないよう、毎日それと対峙して戦わなくてはならない。。。僕は、いつでも、噴火して新星となるような火山のふちに、静かに穏やかに生きていて、本当に楽しいんだが。。。そんなことが起きたら、気を付けることだ!」

アイラは望むままに暴力と傷みを受け入れつつ、自分の欲望を満たしてくれる女性を探すのをあきらめた。彼は書いている:


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徐々にではあるが、僕は問題の大きさが分かってきた。僕の発達は女性との関係でなされるのだ。リタとの関係は、それがいかに難しいかの例だ。あの歳で、あれほど素晴らしいパートナーだったのに、最終的な結び付きが達成できたら、どれほど素晴らしかっただろうか。ジュディーは目を見張るような美貌の中に、常にさまよい歩く投影のリポジトリを提供していて、僕らの死の戦いの強さは、僕の探究がいかに不可能かを分かりやすく示していた。僕は不可避な事を受け入れるのを拒絶する ― 僕は女性(母親)なしでは生きられない。これを受け入れるまでは、夢中になるものが数えきれないほどありながら、散発的であるように、僕の生産性は強烈だろう。僕が直面している地獄は、悲しみよりも深い喜びを不断に生みだすことのできる、僕の信じられないエネルギーによって幾分かしのぎやすくなっている。
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(Levy, 1988)


上の日記で、アイラは一体何を言いたかったのだろうか?どんな「地獄」に彼は住んで居るというのか?彼の衝動を否定する「地獄」。こうした衝動に耽ることで「生みだす」のを彼が望んでいるのは、どんな類の喜びだろうか?「悲しみよりも深い」喜びだって?リタに、そして彼女が「最終的な結び付き」を完成できなかった事に言及されているのは注意すべきだ。以前アイラは、リタおよび、彼の願望である、この「結び付き」について、こう書いていた:


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サディズム ― いい響きだ ― 口に出して言ってみるんだ ― 他人の苦痛を喜んで眺めるんだ。極度の満足感に息を吐き出しながら。内心の闇のビジョンを外に表すんだ。内心抱いている意味の巣窟を隠してはならない。自分の堕落をさらけ出すんだ。動物は何時でもそこに居ると知れ。。。美と純潔は汚されねばならない。というのも、それらは自分のものにならないのだから。他人の聖なる謎は保たれねばならない ― 死だけがそれを為し得るのだ。僕の夢は実現可能であり、誰かの恐怖によって断たれることはない ― 僕にも、自分の人生を生き、それに専念する権利はあるんだ。彼女には信頼や、他人をリスペクトする能力が欠けている:こうした特質を持たない以上、他の点がどれだけ素晴らしくても、彼女は居ないも同然だ。9月になれば、全ては終わりだ。欠片は拾い集められ、全てが新たに始まる。僕の魂の進歩は、身勝手な若い女の短所によって芽を摘まれてはならない。

僕らは魂の闇を、とても注意深く周りに居る全ての人々から(自分からも)隠しているので、僕らの行動の多くを無意識のうちにコントロールしている力への衝動をた易く忘れてしまう!『毛皮を着たヴィーナス』のような本は、僕らに自分たちの正体 ― 闇と光 ― を思い出させてくれる。女を殴る ― 何たる喜び ―、胸や尻を噛む ― 何と楽しい ― 誰しも敏感な部分に向かって、彼女に仕返しをしてやるんだ。人生をいかに送るべきだろうか?これこそ、この本が無意識のうちに問うていることだ。僕らは征服すべきか、それとも、されるべきか。僕らの心の闇を理解するか、少なくともそれに気付くのだ。僕はリタを愛することができるだろうか、それとも、抵抗する意志をくじくべきだろうか。彼女は僕が欲しいものを僕に与えているか。大抵、そうではないだろう。探るんだ ― 深く突っ込んで ― あらゆる可能性を調査することだ。お前は、稀な自由人なのだから、そうではない者に鞍を付けられ、乗りこなされてはならない。全力で生きるには、自由に生きねばならない。手に入れられるものを得ようとする行く手を、何者にも邪魔させまい ― たとえそれが愛の幻影であろうとも。お前はそれがとてもはかないものだと知っている。
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(Levy, 1988)


アイラのコメントの中で彼が、自分の母親に言及していることに、注目されたい。既に述べたように、これが問題の核心なのであり、サイコパスという企みによって、私たちのリアリティを乗っ取り、支配しようとしているネガティブな大宇宙の存在をより詳しく検討するうち、最終的に注目することになるだろう。そして興味深いことに、どうやらジョン・ナッシュが「神経衰弱」に見舞われたことにも、これは関係あるようなのだが、それについては次章で述べるとしよう。

(本章終わり)
posted by たカシー at 11:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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