2015年11月20日

ザ・ウェイブ52章: 未確認地理学における存在

ザ・ウェイブ52章: 未確認地理学における存在
http://cassiopaea.org/2012/01/19/the-wave-chapter-52-the-cryptogeographic-being/


最初にネット版で本シリーズを公表した(※1990年代。本稿は2002年)のに対して、私は数多くのメールを受け取った。ある人達は、第4密度の存在の活動を知覚するという意味で、見えざるものを見るための能力を育む方法を知りたがった。知覚できる記号学的内容を拡げる方法をである。また、ある人達は、内容が理解できないと言っていた。だが、メールをくれた読者の圧倒的多数は、至る箇所で「アハ!体験」をしたと述べていたのだ。

ある読者は、私が前章で述べた、長い間に起きていた数多くの困惑させられる出来事の謎を解くカギとなった、使い古した石鹸という手掛かりについて書いて寄越した。ここでは詳しく述べないが、彼女も私とそっくりの体験をしていたという。彼女のメールで実に面白かったのは、このような符合についての彼女の表現である。宇宙が語りかけてくれるこのような符合はとても些細なものなので、もし私たちがこれに注意しておらず、子ども向け以外にも辞書があるのだと分かっていないならば、私達はそれらをすっかり見逃してしまう − 見て見ぬふりをしてしまうということに、彼女はようやく気付いたと言う。彼女が言うには、宇宙からのダイナミックな働きかけに気付くのは、真に驚くべきことであって、大きなウォーター・スライドを滑り降りるようなものなのだ。彼女は書いている:


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あまりにスーッと、素早く滑り落ち、たちまちプールの底に到着してしまうので、我に帰るまでしばし唖然として、そこに座ったままで居るほどなのだ。滑り降りる際、重力がなくなるせいで、険しい表情になり、歯を食いしばっていても、下りきった時に殆どの人が微笑んでしまうのは、そのためではないか。殆ど自由落下のような強烈な感覚、着地、そして最後は無傷だったと気付く、全く新鮮な感覚。。。決して比喩としてばかりでなく、スライダーの最後には、全く新しいリアリティ/知覚があるのであり、これは多分、避けていた超越知覚を受け入れたということだろう。

もちろん私は、こうして見抜いたダマシも不安だったが、それ以上に、目の前で真相を明らかに出来たことに狂喜した。私の超越知覚はもはや超越的ではなく、普通に満開となったのだ。私が力を操れることに疑いは無かった。

私はこの種の出来事の物語的展開を学んだが、一方、未体験の人々は、異常な事態に目を回し、屈辱感を表すコメントをもらすばかりだ。

私は何か新しい事実が明らかになった訳ではないと知っている。私達は皆、以前にこのような経験をしているのだ。それでも、これについて語るのは重要だと思われる。とはいえ、このような宇宙からの直接的な働きかけの体験は、徐々に大きく、明白になってきてはいないだろうか?多分、この種の物語をシェアする結果、連帯感が生まれ、そうして生まれた連帯のエネルギーは、益々多くの人々がヴェールを剥ぐ助けにもなろう。

考えてみるとおかしなものだが、世界が連帯するエネルギーは、私が人生において切望してきたものだった ― それは家族、個人、世界、宇宙のレベルへと広がって行く。連帯こそは、真に宇宙的な規模で難攻不落の強さを持って居るのだ。
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上で述べたように、「アドベンチャー・シリーズなど終わる筈がない」と不平を述べたり、未知や不可知の存在に立ち向かう術を学ぶ手段として小暴君というテーマを読まされるのは飽き飽きだとか、つまらないと言う人たちも勿論居る。ある読者などは、「苦痛と苦難の長大な物語が延々と続くのは、時間の無駄だ」と言う。その一方で、別の読者はこう述べる。「どうか、困難で強烈なテーマを続けて欲しい。本シリーズも成功で、あなたは素晴らしい洞察を、それも、深い、個人的な題材で如何なく発揮している」

もちろん、批判を頂戴すれば、私は常に立ち止まり、自分のプロセスを再検討し、自分が何をしているのか?なぜ行っているのか?と自問することにしている。そして、いつもながら、私が執筆にいそしんでいると、宇宙は絶えず私の求めに応じて、更なる手掛かり、情報を与え、方向を示してくれるのである。この時点では、本シリーズのテーマとして扱うべき特に重要な事が2つ示されていた:マトリックスのコントロールシステムとしての超次元のリアリティと、それから自由になる方法である。

もたらされた1つ目のものは、最新号のフォーティアン・タイムス誌に載った、かの有名なジョン・キールのモスマン特集であり、2つ目は、それと同じ日にeグループのメンバーの1人がシェアしてくれた、SETI(セティ、セチ、Search for Extraterrestrial Intelligence Institute、地球外知的生命体探査協会)の記事だった。モスマンの記事は超次元のリアリティとしてのマトリックスの正体を暴露するというテーマに使えるタイムリーなものであるし、SETIの記事はマトリックスがどんな作戦で人々をコントロールするかという一例なのだ。これらが奇妙な具合で互いに関係していることも含めて、順番にコメントしていきたい。まずは、SETIの記事からだ。

SETI協会のダグ・ヴァコッホの記事では、こう述べられている。「疎外されている(alienated)人々は、ETが敵対的だと考える傾向がある」。もちろん、これは逆も言えるのであって、ETが敵対的だと考えるような人は「疎外される」!さらに記事はこう述べる。「人が曖昧な情報に直面したとき、彼/彼女が理解したその情報の内容から、時として、その人について多くを知ることができるものだ」。それから彼は、このような結びつきは、ETについて理解が不十分な人々が、「人生とは意味深いものだ」という考え方に対して否定的であることを示していると言う。ここまで来ると問題だろう。これではまるで、「人生とは意味深いものだ」と思える人は、「神は天にいまし、すべて世は事もなし」という考え方を信じていると、勝手に決めるようなものではないか。記事にはこうある:


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我々は仮説を検証した。すなわち、この世界が冷たく残酷だと感じる人たちは比較的に、ETもまた冷たく残酷であると考える傾向があるという仮説だ。かくして我々は、2つの割合を測定する調査を企画した。1つ目は、人々はどの程度「疎外されている」と感じているか?であり、2つ目は、このような人々はどの程度ETが敵対的だと考えているか?である。
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さて、1つ重要な事に注意して欲しい:これらの基準はいずれも、結論として導かれるという世界の意味深さとは無関係なのだ。実際には全く反対で、人生が意味深いと考える人々は、ETなど気にしないだろう。だが、私達が目の当たりにしているのは、リアリティを定義するのに子供向けの辞書を使用する例であり、そしてまた、ありのままの世界は桃のように甘美で素晴らしく、摘みたての苺のように輝いているだけでは無いと考える人々を攻撃するための権威主義的な土台作りなのである。一例として、人が疎外されているかどうかを判定する基準とされるものを見てみよう。このちょっとしたテストと言われるものは、ロバート・トラヴィスが社会指標学会誌に書いたもので、『社会の片隅に疎外されている度合いのものさし』と呼ばれている。


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1. 近頃孤独を感じる。

2. 私の世界は粉々になってしまったように思う。

3. 重要人物になりたい。

4. 近頃、何が正しくて、何が間違っているのか、区別するのが難しい。

5. 社会のルールに従って生きたくはない。

6. しばしば差別的な待遇を受けていると感じる。

7. 私を十分気にかけてくれる良い人はみつかりそうにない。
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何といういかさまテストだろう!文章が如何に巧妙にミックスされているか注意されたい。地球上の、きちんと起き上がって栄養を取っている人の殆どは3番目と5番目、そしておそらくは最後を除いた全てに「イエス」と答えるだろう。しかし、これら2つの文は、このテストが疎外された人とは反社会的な人でもあるという定義を正当化するために置かれているのだ!これらの文にどれだけ強く同意/不同意かによって被験者は、とても疎外されていると感じている人と、全く疎外感を味わっていない人、および、中間の人に分けられる。そして、疎外されているとされる度合いに基づいて、彼らが人生を意味深いと見ているかどうかが判定されるのだ。

言い換えればこうだ:もしあなたが、私達のリアリティに具合の悪い事があると気付いたのであれば、それは、あなたが周りの世界を冷たく、残酷で敵対的だと観ていることを意味し、あなたは客観的な観方ができないということなのだ!あなたは私達が住んでいる、この素晴らしい世界を正当に評価していないのだ!あなたは戦争や疫病、災厄、そして人類の同胞に対する非人間的行為を十分適切に理解していないのである!あなたは、宇宙的カタストロフや、軍隊の猛襲、社会的不正義、個人や家族の不運、その他、数え上げたらきりがない程数多くの攻撃に対してきちんとスピンを加えていないのだ。

つまり、もしあなたが、コントロールシステムがあなたに個人的な神話として抱かせたいと望む居心地の良い幻想の中に住んでおらず、あるいは、少なくともそのフリをしていないならば、あなたは明らかに不完全であり、人生の意味を理解できないのである。というのも、前掲の研究の中の最も重要な仮定に注意されたい:疎外されているかどうかは、人生の意味深さについて抱いている感覚によって判定されるからだ。つまり、「どれほど意味深いか」という定量的判断でもって、「人生の意味は何か」という定性的判断を置き換えているのである。

偉大な宗教史家であるミルチャ・エリアーデは、歴史研究の様々な分野はいずれも、人類が歴史に殆ど耐えられないという見方を提示していると指摘した。先史時代の闇の中、飢えた諸部族が侵略し、征服し、破壊しながら強欲に移動;中世の文明世界に、野蛮人が侵入;カトリック・ヨーロッパの十字軍が、中東の異教徒を大虐殺; 殉教者の血で、彼を火あぶりにしている炎も消える、忍び寄る異端審問の「白昼の恐怖」; 現代の大虐殺であるむごたらしいホロコースト;戦争、飢饉、悪疫;いずれも、ミルチャ・エリアーデが「歴史の恐怖」と呼んだ、耐えがたい防御不可能さを感じさせるものである。

どこかにも書いたが、人間がありのままの歴史について熟考するときに悟らざるを得ないのは、私達が、私達の痛みや苦難など全く気に掛けない存在にしっかり押さえられているということだ。同じ苦難が、数千年以上もの間に、何百万回も繰り返し人類の上に降りかかってきた。人類が味わってきた苦難の総量たるやひどいものだ。7つの海に一杯のインクで、全ての森の木を使って作った紙に、世界の終りまでかかって書き続けても、人類が置かれた悲惨な生存状況を完全に伝えることは不可能だろう。

気紛れな災難という野獣は常に私達と共に居た。人間の心臓が、あまりにか弱い身体じゅうに熱い血を送り、言葉では表せない人生の甘美さや良く、正しく、愛すべき全てのものに対する思慕に頬をほてらせる限り、薄ら笑いを浮かべ、つきまとい、よだれをたらす、現実生活という狡猾な野獣は、恐怖と苦難の次のご馳走を期待して舌なめずりをしてきた。開闢以来、人間の生に苦難がつきまとうという謎=このカインの呪いはずっと存在してきた。古代から、「私に課せられた罰は耐え切れないくらい重い!」と叫び続けられてきた。だが、ふと気づくとそう叫んでいることに気付いたあなたは、「疎外され」、反社会的で、人生の意味を見出すことができないのだ。前掲のSETIの研究によれば、あなたは規則に従っていないのである。

SETIを提案した権威者の1人が、SETIの父と呼ばれる天文学者のフランク・ドレイクである。ドレイクは、ETとの交信ができたならば、そんなETは悪意に満ちておらず、利他的である可能性が高いと論じた。というのも、もしETが他星人に対して敵対的だったら、そのような文明は長続きせず、私達とコンタクトするのは無理だろうからである。長続きする安定な社会を築いたETだけが、私達のSETIプログラムで探知できるぐらい長く存在していられるだろうと。

残念な事にドレイクの観方は、優れた文化が、劣ったものに遭遇したとき、実際には何が起こるのかについて、あるいは、優れた文化はどうして、版図を拡大し、征服して支配すべき新天地を求めるのかについてすら、歴史学/人類学書で読んだことのない天文学者のものだった。ドレイクはおそらく、ヒトラーが『我が闘争』の中で「生存圏」の考えに言及したこと、そしてまた、古代の「トロイの木馬」の元型的物語を忘れてしまったのだろう。つまり、ドレイクの仮説は全くの見当違いだったのである。

そのことを考慮に入れつつ、ET文明からの信号を受信した際にはどう返信すべきかというアンケートに対して、SETIの研究に参加した学者たちが挙げた問題点を見てみよう。
http://www.exopoliticsspain.es/pdf/Reactions_receipt_message_ETs.pdf


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ETはおそらく、彼らが乗っ取ることができる惑星を探している。

我々はETからのメッセージに返信すべきではない。というのも彼らは敵対的だろうからだ。

ETはおそらく、我々のような人間を動物園に居る動物と変わらないと見るだろう。

人間にはおそらく、ETからのメッセージが理解できないだろう。というのも、人間とETはあまりに違っているからだ。

もし我々がETからのメッセージに回答したら、彼らは地球にやって来て、我々の世界を乗っ取ってしまうかも知れない。

我々はメッセージで言われていることを信じてはいけない。というのも、ETは嘘をついているかも知れないからだ。

ETはおそらく、人間を自分たちの奴隷にしたいのだろう。

ETからのメッセージには、人間にとって有害な隠れたメッセージが含まれているかも知れない。
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上の言明の殆ど全てが重複していることは措くとしても、これらの多くはETが嘘つきかも知れないという疑念に基づいていて、読みながら何とも奇妙な感じがした。これではまるで、本当に吟味されている問題は、個人のだまされやすさではないか。とは言え、ありのままの歴史について長い間一生懸命考え、客観的事実に基づいて何らかの評価を行っている人ならば、そのような事実を、コンタクトして来るET文明の考察に当てはめるかも知れない。そうして彼が導き出す客観的な推測による結論も、征服すべき新世界を探しに出かけるET文明というものがあるなら、心底相手のためを思ったりしないということになろう!

SETIの研究論文はこう述べる。「明確なパターンが見られる:疎外されていると感じる人々はETが悪意を抱いていると懸念する傾向が強いのである」。全くだ!

だがSETIの研究はこのような客観的な評価が病的であると立証しようとしたのである。SETIの人々は、疎外感と、ETが友好的でないかも知れないという認識との間には、いずれも、個人的な偏見を持っている証拠だという共通点があると言う。そのような人々は、世界を客観的に認識していないのである。この研究は、疎外感が個人的なバイアスであって、現実と調和していないことを示唆する。逆の見方をすれば、彼らは私達の世界が申し分なく素晴らしいと言うのだ;戦争と飢餓の20世紀に20億の人々が死んだのは、このリアリティでビジネスを行う上で必要なコストなのである。

種としての私達が抱く問題の殆どは、自分たちの出した結論に同意できないせいであり、概して、人生における基本的な事件の誤解に基づいている。こういう訳で、私達は常に、シンボリズムや定義をめぐって争っている。これらこそまさに、私達が互いに理解し合う手助けとなるべきものだ。何ら幻想を抱かずにリアリティを見る能力は、非常に獲得するのがむずかしいと思う。このような能力は、基本的な事件の理解を困難にする拒絶ということを行わない観方=社会が押し付ける幻想的な価値とは対立する観方から成り立って居る。

前述した、社会指標学会誌所収のロバート・トラヴィスによる『社会の片隅に疎外されている度合いのものさし』という論文からうすうす分かるように、社会は疎外ということをとても不快に思っている。しかし実際には、疎外が起こる場合、その人の体制に対する抵抗と体制からの反応との間には、フィードバックループが存在している。概してこのような抵抗は、体制にとって非常に高くつくものだ。これの良い例は、大義のためのスケープゴートとして選ばれた、比較的無害な人々を追い詰めるために起こされる迫害が様々に存在していることだ。いずれかのグループが「疎外されている」と呼ばれるときはいつも、他の活動のための煙幕だと思って間違いない。そして、煙が立っているときには、普通、戦争がある;戦争があるということは、誰かが兵器を大量生産し、さらには、医療や、ニュースや、恐怖に対する新種の保険が生み出されているのだ。

「疎外された人とはどういうものか?」という疑問と、「疎外の哲学的重要性とは何か?」という疑問は、全く次元が別であり、この点を認識し損なうと、混乱することになる。SETIが疎外と呼ぶ、これは何だろうか?それはどうやって起きるのか?その成り立ち、起源、歴史はどういうものか?疎外の重要性とは何か?

まず初めに、本当に病的な疎外(精神異常)は除くとしよう。すなわち、私達の文化の持つ欠点に対抗して企てられる破壊的な行動として現れるようなものだ。このような破壊的な行動には、重罪となるものもあれば、ドラッグやアルコール、あるいは呪術思考への逃避等々のような自己破壊プロセスも含まれる。ここで私達が関心を向けるのは、私達が環境を定義するために用いる、リアリティの辞書を子供向けのものから拡大するプロセスである。私達はリアリティを、登場人物全員があらゆる類の恐ろしい体験に苦しむが、次のコマでは、彼らが視界からも記憶からも忽然と消えてしまうようなマンガの世界として見るだろうか?それとも、登場人物の上に巨大な岩石が落ちて来ると、それは彼を直撃し、次のコマでは無傷では済まないような、人生の現実に対して、もっと精神的に成熟した大人の知覚を得てきたのだろうか?私達はマンガの登場人物として人生を生きてきたのか?それとも、もっと幅広いリアリティを知覚し反応できる人間としてだろうか?

最初の、「疎外された人とはどういうものか?」という疑問に対する答えは、経験によって判定することになる。人がどうやって疎外されるかというのは、単なる個人の経歴の問題となり得るのだ。私達はそうした人の人生に関する事実を知ることができ、彼が言ったり書いたりしたものから、その人がどういう人か知ることができる。こうした情報に基づいて、私達は、彼がトラウマを負ったために疎外されたのだと判定できるだろう。

2つ目の、「どんな哲学的重要性があるか?」に対する答えは、価値命題である;つまり、霊的判定なのだ。この意味での疎外が究極的に持つ意味は、運命的な危機と格闘した魂が内的に経験した記録という観点から推定し得るのみである。

ましてや、他人に推定できるものではないのだ!SETI学者の論の進め方は、これと違った観方によるもので、前掲論文の通り、彼らは全く恣に要素を足し合わせている。もっとはっきり言えば、エイリアンに遭遇していながら、疎外されていると判定されない人も多いのだ。エイリアンの存在に対しポジティブな観方をし、エイリアンは人類を助けるためにここに居るのだと考える人々は、当然ながら、SETIのテストでも非常に高得点となるのである。

拙著『ハイ・ストレンジネス』にも書いたように、ケネス・リングはエイリアンとの「ポジティブな」接触を報告している人々と解離性人格障害(多重人格)との間には直接の因果関係があるらしいことを発見している。エイリアンの存在に懐疑的な人々は、「超常現象の体験」が単なるファンタジーであり白日夢であると見抜くのにこの発見を利用しているが、ここまでで論じてきたような意味では疎外されていない人々(リングの研究での被験者のような)がリアリティを解離的な状態 ― 客観的な世界から解離した状態 ― で見たということは大いにあり得るだろう。彼らがエイリアンの実相をポジティブな体験、すなわち、SETI的な意味でのリアリティとする観方を推し進めているのであれ、観察可能な広範な事実を考慮に入れずに、他の何らかのリアリティと観るのであれ、このような人々は解離という病的な状態で操作されていたかも知れない。その意味では、「神は天にいまし、すべて世は事もなし」(※エイリアンが私達を守ってくれる)という考え方は、人類は意志を持たない進化の産物であるというドーキンス一派の考え方と同じぐらいファンタジックなのである。

このことを理解する上で簡単な方法は、一般にストックホルム症候群と呼ばれる観方に立って考えることである。
(※Wikipedia:ストックホルム症候群(ストックホルムしょうこうぐん、Stockholm syndrome)は、精神医学用語の一つで、誘拐事件や監禁事件などの犯罪被害者が、犯人と長時間過ごすことで、犯人に対して過度の同情や好意等を抱くことをいう。 ※※)
猛り狂う世界=操作と恐怖戦術に基づいて営まれていること明らかな、この体制から疎外されていないような人は、解離しており、迫害者と同一視される;彼/彼女は生き残るために自分を売ったのだ。ストックホルム症候群の動学は、SETIの研究で「望ましい」と述べられていた見地から人生を意味深いと観る人々が抱えている問題を説明する。犯罪の被害者たちは生き残ることに集中せねばならず、社会規範が是認するか/否定するかに高度に順応し、犯人から破滅をもたらすような扱いを受けても、直接的で正直な反応を避けることが必要になるのだ。

だが、疎外されている人は、体制=テロリスト=マトリックスに屈しない。SETIの研究で疎外されたと判定されることは、ストックホルム症候群に罹っていないということなのだ。これはもちろん、幾つかの問題を提起する。

疎外された人々が、積極的に疎外という「光」を追い求めるとき、彼らが並外れた存在となり、エキセントリックにすらなることは疑いがない。大抵の人々は、他人によって作られ、伝統的に伝えられ、イミテーションによって形作られ、習慣の力によって続いているルールに従う。だが、疎外された人々はこの種の事をしない。疎外された人々が世界を知覚するやり方は、コントロールシステムのルールに従わない。確かにこのような人々には、神経質な不安定さともとれる、際立って熱狂的な何かがある。彼らは概して天才的で、しばしば称賛される ― 死後に、と付け加えるべきだろう ― のだが、概して世間と調和しない人生を送り、キャリア中のある時期に十中八九、憂鬱を味わうものだ。疎外された人々は − 殆どの場合客観的に − 外部からのコントロールを敵対的だと評価し、内なる光に駆られて体制と戦う結果、しばしば、様々な方法で大きな苦難を味わう。滅ぼされこそしないものの、彼らの内に募る苦難は、自分を売り渡した人々からは、妄想とも固定観念とも見られるものである。この苦難の結果、彼らの生理には化学変化が起こるかも知れず;彼らはトランス状態に陥ったり、声が聞こえ、ビジョンが見え、一般は精神異常に分類されるような、あらゆる異常を呈することもあろう。

私達は、このような、いわゆる病的側面を無視することはできない。私達はこれらについて記述し、これらに命名しなくてはならない。このような現象が生じる原因を暴くのは気の進まないものだが、熱意をもって、彼らの特質を考えてみなくてはならない。しかし、他の何事とも同様に、ここには命名プロセスが含まれ、命名というものは、私達が使っている辞書に関係があるのだ。

子供向けの辞書を使って、次のように言うのはあまりにた易い。すなわち、ヴィニーは感情的になり過ぎるせいで、魔術を信じている;ネリーは生来の緊張症のせいで妄想と脅迫観念に取り付かれ、潔癖症になっている;バーサは肝機能障害のせいで憂鬱症になっている;ジョジョはヒステリー性人格のせいで宗教団体に惹かれている;ジェフはもっと頻繁にジム通いをすれば、魂の心配をすることもなくなるだろう、等々という具合だ。

私は、ET仮説とは本質的に心の感染症であり、1つのミーム、「ミレニアム病」だと証明しようと幾らか試みた。だが、それに失敗した後、心の感染症という現象の真相は、そのようなプロセスの重要な一部ではあるものの、「専門家」が言うのとは正反対なのだと分かった。私が気付いたのは、この心の感染症が、問題点を曖昧にしようとする文脈の中で意味ありげに持ち出されているということだった。上掲のSETIレポートのような、コアな「権威者」は、真実起きて居ることに関して誤った考え方を広めているようであり、そのような考え方はどうやら、疎外された人々自身に関して、また、彼らの経験の本質に関して、それらが超次元的であるが故に曖昧なのかも知れないという疑念を植え付けることによって、彼らの態度や知覚的コントロール、個人的体験の再解釈を作り出そうと仕組まれたものらしい。つまり、このようなミームこそが、社会的なストックホルム症候群の本質なのである!

疎外された人々がバイオ記号学戦争さながらに、生成され、ばら撒かれたミームに挑みつつ、ありのままの世界を見始めるのと同様、私達は同じタイプの子ども向けの表現が、UFO現象が真実だと言う人々の数を減らし、あるいは懐柔するために用いられていることに気付く。それらは、偉大な聖人やあらゆる神秘家を含む、上位のリアリティを知覚していた人々に対して歴史上典型的に用いられてきたのである。こうして、しばしば出される結論が、肉体的/性的生活と宗教的感情との間にはつながりがあるというものだ;回心は「思春期に訪れる危機」なのである。聖パウロはダマスカスへの道で、癲癇の発作に襲われ、聖テレサはヒステリーであり、クエーカー教の創始者ジョージ・フォックスは結腸障害を病んでいて、カーライルは潰瘍持ちだったとされる。疎外について原因を徹底的に調べてみると、あらゆる類の腺異常が見付かって、ほら出来上がり!一切の霊的な真実は成功裏に始末されて、あとは懐疑主義と『盲目の時計職人』が君臨するのだ!今や、サイキックな世界に非線形的なシフトを生み出すべく、精神異常者呼ばわりする戦術はすっかりお馴染みだ。

このような還元主義的説明の問題点はこうだ:たとえ聖パウロが癲癇持ちであり、それがダマスカスへの道で彼が見たビジョンを経験主義的に説明するとしても、だからと言ってそのことが、本件の霊的重要性を否定するものだろうか?というのも、実際問題、ポジティブであれ、ネガティブであれ、1つ1つのスピリチャルな状況にはおそらくそれを定義するような生理学的表現があるだろうからだ。

また注意したいのは、徹底的な懐疑主義もまた同様に疑わしいということだ。というのも、キリスト教徒に生まれ変わった人が肝臓を病んでいたと言うのは、潰瘍のせいで信仰を求めるように駆り立てられたが故に回心したと言うようなものだからだ。邪悪な魔術師の結腸は汚く、サイキックバンパイアは入歯かも知れない。つまり、ラプチャーも大言壮語も等しく、臓器のコンディションで表現されるのである。もしこのような図式化を正しいとみなすなら、私達の考え、思考、感情、科学学説、信念、あるいは不信には何の価値もないことになる。もしこのような考え方が、私達のリアリティを評価すべき理論ならば、どんな考えも、提唱者の身体の状態から生ずるのだという風に理論化しなくてはなるまい。一方に当てはまることは他方にも当てはまるのだ。

その一方で私達は、このような経験主義的な手掛かりについて、「大人向けの辞書」を引き、高次の知識への足掛かりとしてそれらを役立てることができるだろう!これらはヒントシステムの一部とみなすことができる。より広い記号学的内容平面の一部として理解可能なのだ。

もちろんながら、科学/心理学理論には、密かに他のものよりも優れていると考えられ、他よりも多くの真理を明らかにする、お気に入りの心理状態というものがある。だが、残念なことに、歩き回る膵臓や、冷静な肝臓、静かな胃、あるいは温厚な生殖器のようなものをお気に入りとする生理学理論は存在しない。

ある科学者がノーベル賞を受賞したのは彼が非常に神経過敏だったからだと言われるのを、私達は何度耳にしたことだろうか?あるいは、あるエノク魔術師が成功したのは、初めて出来たカノジョに、あそこが小さいと笑われた結果、性欲を昇華したからだと?上掲のSETIの記事の著者がストックホルム症候群を病んでいるのは言うまでもあるまい。それはもちろん、彼が生涯、乾癬のために失恋したのを気に病んでいるせいなのだ!

要するに:科学者の唱える説の価値も、疎外されている人の考えの価値も、思想としての妥当性や、道徳的有用性、そして直に感じられる聡明さによってのみ評価可能なのだ。聖パウロはオリンピックに出ていたら、トライアスロンで優勝していたかも知れないが、彼の思想が取るに足りないものであったなら、それも無意味だっただろう。

結局、真理に関する如何なる考えも、原理原則に照らして評価されねばなないのであり、原理原則はできるだけ客観的な思考と、できるだけ多くのデータを収集することによってのみ判定可能なのだという事実を、私達はまたしても突きつけられることになるのだ。私達は誰しも、真実か否かの評価において過ちを犯すことを防ぎたい。私達は誰しも、そのような過ちを犯した場合には、直ちにそうと気付けるような、守りのための幾つかの基礎的な基準を持ちたい。私達は思想の起源を知って、それを受け入れたり、捨て去ったりできるようでありたい。というのも、私達はその起源が直観や、ローマ教皇の権威、超自然的な啓示、霊感による直接的なコミュニケーションであると判定したり、あるいは、真のソースであると様々な方法で決定してきたからだ。この意味で、このような現象を病的状態に還元しようとする物質主義者は、起源を破壊の基準として用いることによって、彼らの見解の説得力を弱めているのだ。


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何の権利があって我々は、自然が完全な心という手段のみによって、彼女の仕事をしなくてはならないと信じるのだろうか?彼女は不完全な心が、特別な目的のためには、より適した道具であると分かっているだろう。為された仕事と、仕事をした働き手の資質。それだけが重要なのだ。
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(Maudsley, 1886, pp. 256-257)
ウィリアム・ジェイムズ『宗教的経験の諸相』にも引かれているヘンリー・モーズレイ (精神科医、H. Maudsley : Natural Causes and Supernatural Seemings)の1節。


つまり、「あなたがたは、その実で彼らを見分ける」(マタイによる福音書/ 07章 20節)のだ。人の徳の起源は私達にはアクセスできないのである。

疎外された人は非常に感受性が高い。彼は考えを直ちに行動に移しがちであり、新しいアイディアが浮かんだ時、それを口に出したり、やってのけるのに戸惑いが無い。普通の人なら、「これについてはどう考えようか?」と問うところを、疎外された人は、「これについてどうしなくてはならないのだろう?」と自問するのだ。このような人々は批評家やコメンテーターであることは無い;自らの考えのとりことなって、彼らは何かをするのである。

疎外された人の内に見られる情動性は、道徳的認識における「あれなければこれなし」という条件関係である;烈しく強調する傾向が見られるが、これが道徳的活力と美点の本質である;さらには神秘主義/思想への愛も見られるが、これは、五感による普通の世界の表層から、このような人を引き上げる。つまり、疎外された人の気質は、高次の存在状態に対する感受性を備える上の主要な条件を提供するのである。


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カシオペアン:制限的な感情は進歩する上での障害であるが、第3密度で進歩するには、感情もまた必要である。それは自然なことだ。あなたが、無限の可能性を開くような、感情的な仮定に基づいて、制限的な感情を切り離し始めるとき、それはあなたが次の密度のための準備を行っていることを意味する。
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チャールズ・フォートはエキセントリックで疎外されたパーソナリティーだった。42歳の時、おじの遺産を相続し、生計を立てるために働かなくてもよくなった彼は、ある考えに生涯を捧げた:彼はロンドンに移り、大英博物館の図書館へ熱心に通ったのだが、そこで彼は「呪われたデータ」を探して、当時の様々な科学学会誌を通読したのだった。

呪われたデータとは、空から奇妙な物体が降ってきたり、空を奇妙な物体が飛んだり、奇妙な失踪に関する報告のような、奇妙な現象や体験のことである。フォートは科学が私達のリアリティを説明しようとした成果を単に批判するにとどまらず、徹底的に軽蔑した。彼は天文学者や、気象学者などの科学者が、異常な出来事を否定したり、言葉巧みに言い抜けようとするのを、さも愉快そうに悪鬼のごとく嘲笑した。彼は自分たちには理解することも説明することもできなかった事を、科学者が大袈裟に否定しようと試みるのをあざ笑った。彼のノートは『呪われた者の書』
http://dreamheal-craft.asia/ohyamaroom/?p=1559
として刊行された。

フォートの疎外された状況は、彼が繰り返し述べた、「体制は教条主義的・権威主義的になるほど、より一層悪化しがちである」という言葉に表現されている。おまけに、数年に亘るデータ収集の末に彼が練ったアイディアは、カシオペアンが述べる密度の概念、特に私達の現実世界は、それら密度の中でも中間的で「二律背反的な」、物質的且つエーテル的な存在の領域の投影であるという考え方をまさしく表しているのだ。



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私は1つの、内側で連続している繋がりを想像する。その中では、目に見える全てのものが違った現れ方をしているものの、その中の全てのものは、離脱し、真の物になり、実体、あるいはポジティブな違い、あるいは最終的な境界、あるいは限定されない自立 ― あるいは人間の現象において呼ばれているパーソナリティや魂 ― を作ろうと試みつつ局在しているのだ。

私達が一般に非常識にも「存在」と呼ぶ状態は、ネガティブさからポジティブさへと向かう流れ(あるいはその試み)であり、両者の中間にある。ここでポジティブとは、調和、均衡、秩序、規則性、安定性、一貫性、統合、現実、系、政府、機関、自由、自立、魂、自己、パーソナリティー、実体、個体性、真理、美、正義、完全さ、明確さである。

発達、進歩、進化と呼ばれるものの全ては、ある方向に向かって行き、ないしは、それを試みており、この状態、ないし、相には沢山の名前があるのだが、全てを合わせると、1つの言葉「ポジティブさ」となる。。。

私は1つの、内側で連続している繋がりを想像する。それは天文学的現象に、あるいは、化学、生物学、心理学、社会学的現象に現れている:それは至る所で、ポジティブさを局在化しようともがいている:様々な現象の分野 ― 見かけ上様々であるに過ぎない ― における試みを、我々は様々な名前で呼ぶ。我々は惑星の「系」について語るが、「政府」については語らない:だけど、例えば、店、および、その経営について考える際、言葉が置き換え可能であるのが分かる。かねてから化学的均衡という言い方はされてきたが、社会的均衡とは言わなかった:でも、このような誤った区分化は取り払われた。これらの言葉全てが同じ状態を意味するのが分かるだろう。日常生活における利便性、すなわち、共通的な幻想からすれば、もちろん、これらは同義語ではない。。。

よって:我々の中間的な状態、ないし見かけ上の状態における、あらゆる現象は、組織化し、安定化し、調和し、個別化し − あるいは、ポジティブにし、真実になろうという、この1つの試みを表している:目に見えるだけのものは失敗あるいは最終的な失敗/成功への中間段階を表している;全ての試み ― 観察可能なもの ― は、継続性、あるいは、外部の勢力 ― あるいは、包含されたものと連続している排除されたものによって打ち負かされる。我々の全「存在」は相対的なものが絶対的になろうとし、あるいは、局所的なものが普遍的になろうとする試みである。

本書における私の関心は、現代科学の中に現れた、この試みにある。すなわち科学は、真実で、正しく、最終的、完全、絶対であるよう試みてきた:ここ、我々の見かけ上の状態において、存在すると見えるものがもし、常に誤って、故意に排除され、もし、含まれるものと排除されるものが恒久的に固定化されているとしたら、現代科学における見かけ上の系あるいは実体は、同様に誤りの、恣意的なプロセスによってもたらされた、見せかけの系、見せかけの実体に過ぎなく、それに先行するのはポジティブでない系(システム)か、幻想をもたらす神学的システムなのだ。

本書で私が集めたのは、誤って、あるいは、故意に排除されたと私が考えるデータである。

呪われた者のデータだ。

私は超立派な科学や哲学の報告書や会報という、外なる闇を調べたが、それらは無関心という埃をかぶっていた。私は報道記事の中に分け入った。そこから、私は失われたデータと見做せるものを持ち帰った。。。

我々は信念を容認でもって代用する。

胚細胞は時代が変わると違った見え方をする。

しっかり定着するほど、観方を変えるのは難しくなる。

社会有機体は胚細胞のようなものだ。

頑なに信じることは発達の妨げとなる。

一時的に受け入れるだけなら、役にも立とうが。

しかし:信念を容認でもって代用するのを除けば、我々の方法は伝統的な手法である;全ての信念が定式化され、支持されてきた方法:すなわち、我々の方法は神学者や野蛮人、科学者、そして子供たちの方法である。というのも、もし全ての現象が継続的ならば、積極的に違った方法が生み出される筈はないからだ。方法が要領を得ないものとなること必定である枢機卿や易者、進化論者の手段/方法を用いつつ、データが局地的(ローカル)であろうが、ローカルなものが含まれていなかろうが、この本は書かれるだろう。

もしこの時代を表していれば、本書は流布するだろう。。。

我々はあらゆる「事物」を徐々にその場を占めつつあるもの、すなわち、ポジティブとネガティブ、リアルから非リアルへと連続する諸段階として思い描く。目に見えるものの幾つかは、他のものよりも、ずっと一定していて、美しく、統合されていて、調和し、安定してはいるのだが。

我々は現実主義者ではない。我々は理想主義者ではない。私達は中間主義者だ。何ものも現実的ではなく、何ものも非現実的ではない:あらゆる現象は、おおよそ現実と非現実との間にある。

よって:この世界にある全ての見せかけの存在は、ポジティブとネガティブ、ないし、現実と非現実との中間段階にあるのだ。

これは煉獄(浄罪界)のようなものだろう。

だが、ごく大まかに要約すれば、現実性とはポジティブな状態の1面である。

現実性とは、他の何かに溶け込んでしまわないもので、他の何かの一部ではなく:他の何かへの反応やイミテーションでないものである。真のヒーローとは、臆病さが微塵もなく、行動も臆病な動機によらない人のことだ。だが連続性の中では、全てのものは現実性、すなわち、全てが融合した、全宇宙に融合するのだ。。。

よって、一般的な、形而上学的観点から表現すれば、まるで煉獄のように、一般に「存在」と呼ばれ、我々が中間段階と呼ぶものは、現実的でも非現実的でもない見かけの存在であって、真実在になろうとする表れ、真の存在を生みだし、募ろうとする表れなのだ。

科学は普通、厳密なものであって、専門用語を用い、古代の骨や虫や不快なガラクタについて詮索するものと考えられているが、我々の理解によれば、あらゆる中間段階に生気を与える1つの心による表現である:もし科学が、ここにあるデータ、すなわち、ここにある疑似組織体が収集したデータ以外を全て排除できたなら、それはポジティブにはっきりした輪郭を持つ真の体系となろう。

首尾一貫性、安定性、系としてのポジティブさ/真実さは両立し得ない、受け入れられないものを呪うことによって維持されるのだ。

呪われたものが呪われている限りは、

万事は良好、

天上のごとくに感じられよう。
---
(Fort, 1974)
フォート『呪われた者の書』より


もし「疎外された人々」がストックホルム症候群のプログラムとうまくやって行くことができ、ETが心底私達のためを思っていると考えるのを止められれば、万事良好となるだろう!

さて、この数日の間にふと現れた情報の2つ目に取り掛かるとしよう。現在、新作映画『プロフェシー(The Mothman Prophecies)』が上映中であり、様々な神秘主義/超常主義研究サークルによって沢山の論評がなされている。フォーティアン・タイムスとフェイトマガジンもモスマンの特集を組んでいるのだが、モスマン事件の元々の調査者であるジョン・キールは、フェイトマガジンの2002年1-2月号に、こう書いている:


---
1966年から68年にかけて、アメリカ合衆国ウェストバージニア州ポイント・プレザント一帯の住民100人以上が、巨大な有翼のクリーチャーを目撃したと報告した。目撃者によると、このクリッターは普通、人間の大男よりも背が高く、燃えるような赤い目をしているが、翼長は3mほどしかないとされる。それでも、高速で走るクルマより速く飛べるのだ。

ところが、このクリーチャーは、足跡や糞、その他の物的証拠を残さなかった。2年の間にたて続けに目撃された後、永久に消えてしまったようなのだ。怪奇現象(fortean events)を扱う場合、目撃証言では殆ど価値が無いことがまたしても証明されるかたちとなった。延べ1000人の人々が皆、同時期に同じものを見ても、この物体/実体が実在し、肉体を持つ、我々の次元の有形の住人であるという証拠とはならないのだ。
---
(Fate Magazine, pg 8)


今出ている記事の中で、最も興味をそそられるのは、ジャーナリストのリック・モランが1978年にモスマン現象を調査した際の逸話だ。モラン氏は記事の中で、「ライター」の作法は、一般的に「ジャーナリスト」と同じでないと指摘する。彼は自説をこう述べる。「未解明事件の実地調査を行う者は、調査報道の原則に従うべきである;すなわち、(未解明な)ありのままの事実と人間物語を併せて一緒に見るのだ。この方法は、論理的データと素朴な疑問を用いる科学者のやり方や、以前からの信念を手掛かりに証拠を探す、いわゆる超常現象研究者のやり方よりも、奇妙な事件を理解する上で、ずっと役に立つだろう」

私達もこの見解には大賛成である。シーズはモスマン事件を、より広い現象ベースに結び付けてコメントしたが、すぐ見るように、このことは側面から裏付けられた。


950609
---
Q: (L) 『ジェヴォーダンの獣』というのを本で読んだんだけど、最初に現れたのが1764年で、おそらく1767年には仕留められたと言われてるわ。この獣の正体は何かしら?

A: 他次元の「ウィンドゥからの落下者」

Q: (L) 他の次元から私達の次元に、次元のウィンドゥを通って落ちてきたってこと?

A: Yes.

Q: (L) あーなるほど、それならいろいろと説明がつくわね。過去にイギリスを恐怖に陥れたという、「バネ足ジャック」というクリーチャーはどうかしら?

A: 同じ。

Q: (L) ウェストバージニア州のモスマンはどう?

A: 同じ。

Q: (L) じゃあ、他次元へのウィンドゥで、数多くの奇妙な出来事も説明できるのね?

A: Yes.
---


このやり取りから、一連の質問が想起される。


941119
---
Q: (L) アン・ヘイウッドのケースは、悪魔による憑依ないしは妄想なんでしょうけど、この女性と家族を苦しめている存在とは何者かしら?

A: 第3密度セクション「B」のエネルギー異常で、「ポルターガイスト」と同じ。

Q: (L) 『ホーンテッド』という本で述べられているスマール家のケースでは、ビッグフット・タイプのクリーチャーの目撃も含めた、かなりの数の現象が載ってるけど、この現象を起こしたのは何?

A: 同じ。

Q: (L) それじゃあ、どちらのケースも、「エイリアン」には関係無いのね?

A: その通り。

Q: (L) 上の2つのケースと、カーラ・ターナーの『エイリアン 戦慄の人間誘拐―衝撃の告白!8人の“体験者たち”が語った恐るべき真相』で述べられてるケースをはじめとするエイリアン・アブダクション事件とは、どうしてこんなによく似てるの?

A: 似ているといっても様々な解釈が可能だ。ターナー家は、グレイ他とやり取りしていたために、多くのタイプの現象が起こるのを受け容れていた。

Q: (L) グレイと交流すると、そんなこともしばしば起こるの?

A: この種の事をやり過ぎると、チャネルないし「ウィンドウ」を開いておくことになり、あらゆるものがそこを通ってやって来れるようになる。
---


映画の原作であるジョン・キールの『モスマンの黙示』を読んだ後、モランは、キールが従っていたのは流行本の作者の作法であって、より説得力のあるジャーナリストの流儀ではなかったと思ったのだ。すると、モランの方が、キールを他のライターと比較すべきではないと注意されたという。なぜなら、キールは優れた研究者であって、自分のテーマを派手に宣伝したりしないからだと。

リック・モランはこれをテストすることに決めた。モスマン事件から10年後、彼はウェストバージニアへと赴き、ジョン・キールの踏んだステップをできるだけ忠実に振り返ったのである。彼はこう述べる:


---
私はキールが著書で報告していた証言に尾ひれを付けたり、取り消したりするような目撃者が見付かるのを期待していた。深く尋ねて行くうち、目撃者たちは確かに何かを見たか、やり取りしたという確信が深まった。私が話した殆ど全員が、「UFOの年」を覚えていて、その人なりの持論を持って居た。殆どの人が、この現象に直接関わった誰かを知っており、その証言の信ぴょう性を保証してくれた。その期間、町はずれで住人の殆どが、空中の奇妙な光であれ、「異常な」動きであれ、何かを見ていた。他のテーマでは、ほらを吹かないような人ですら、さらにアッと言わせるような主張をした。
---
フォーティアン・タイムス、2002年4月、156号


モラン氏が感銘を受けたのは、警察や地元の新聞社の人までもが、この現象を体験した人々が誠実であり、話が信用できると請け合ったことだった。報告の多くは、公文書や警察の報告書の一部であり、それがあまりに頻繁に出て同じ記事ばかりになるので、新聞はそれを報道するのを止めたほどだった。「コミュニティ全体がこの現象に対して鈍感になっていて、夜ごとUFOを目撃したとか、クリーチャーの最新ニュースについて、当然のように語っていたのだ」
(Moran, FT 156).

やがてメン・イン・ブラック(MIB)が現れた。彼らは政府の捜査官になりすましているのだが、彼らとの出会いに関する物語が、キールの本でも最も奇妙な部分である。MIBに関して、モラン氏はかなり面白い観方を述べている:


---
モスマンとは異なり、MIBたちの方はコンタクトされた人々に衝撃的な恐怖を与えた。脅迫的なオーラを発する一方で彼らは、かなりありふれた物体にも興味を抱き、笑止千万な振る舞いをした。彼らはありふれた食料品について尋問し、話しぶりもどこか変で支離滅裂だった。目撃者が気付いた最も重要な点は、MIBたちには耳が無く、話すときも唇を動かさない事だった。これだけはっきりした警戒すべき兆候を見たのだから、目撃者たちはさぞ恐ろしかっただろうと思うのだが、町は奇妙な静けさに包まれていたのであり、訪問者たちがいかに奇妙で、恐ろしくすらあったかに目撃者たちが気付いたのは、彼らが立ち去ってからだった。

我々チームは、インタビューを行って、キールの物語に事実とずれている点が無いか探し、その後町を出た。目撃者の1人は、我々の立ち去り際に、こう打ち明けた。「MIBたちによる無言の脅しは真に迫っていて、この現象を真剣に考えない人たちは危険な状況に置かれたわ」
---
(Moran, FT 156)


MIBの陰険さに関する上の発言は、シーズの言っていたことに照らした場合、実に意味深長である。


941106
Frank and Laura
---
Q: (L) ガルフブリーズで目撃されてるUFOは皆、エイリアンか政府の実験なの?

A: そういうのもあるし、投影されているのもある。

Q: (L) 誰がやってるの?

A: 複数のソース。

Q: (L) ポジティブ?それとも、ネガティブ?

A: 両方だ。
---

941119
Frank, Laura, V__, Terry and Jan
---
Q: (L) 「メン・イン・ブラック」と呼ばれてる人々って誰なの?

A: トカゲの投影。

Q: (T) つまり、単に存在してるようなイメージが投影されてるだけってこと?

A: Yes.

Q: (T) それじゃあMIBは、僕らのような肉体を持って実在してるわけじゃないんだ?

A: 部分的には正しい。あなた方には、このテクノロジーは分からないだろうが、お望みなら説明しようか?

Q: (L) 聞きたいわ。説明をお願い。

A: Okay. 準備はいいかな。まずは、タイム「トラベル」をもっと詳しく説明しなくてはならない。というのも、2つのコンセプトは密接に関連しているからだ。最初のステップは、人工的に電磁場を誘発させることだ。これにより、リアリティの次元間のドアが開く。次に、リアリティを結び付けているチャンネルにアクセスするため、参加者によって思考がチャネリングされねばならない。それから、彼らはエネルギーを適切な次元ブリッジに集中させねばならない。電子が適切な周波数に調整されねばならず、それが出来たら、全ての密度で知覚のバランスをとるため、優先順位に従って領域「カーテン」を通すようにしなくてはならない。

Q: (L) プログラムが正しく走るには、投影する出来事における情報のバランスが取れるようにし、あるいは、重要性に関して考慮しなくてはならないのね。という、「優先順位」という言葉の解釈は、合ってるかしら?

A: ある意味では。優先順位は以下の通り:1. 物質、2. エネルギー、3. リアリティの知覚。以上だ、皆さん。

[…]

Q: (L) 大きな空飛ぶ直方体の箱を見たという話を何度か聞いたんだけど、誰のものなの?

A: トカゲの投影。

Q: (L) どうして連中は、こんなに沢山違ったタイプの機体を持ってるの?

A: 必ずしも全部が彼らのものではない。

[…]

Q: (L) 南米のエイリアンについて読んだのよ。灰色をしていて、唇が厚く、原始人のような容貌で、灰色のユニフォームを着ている、南米で「マロス」と呼ばれてるのは誰?

A: トカゲの投影。

Q: (L) ベティ・アンドレアソン
http://giga.world.coocan.jp/ufo/history/andreasson.html
が見た粘土で出来た生き物もそれなの?青いスーツを着ていて、彼女にしか見えなかったということなんだけど。

A: Yes.

Q: (L) ベティ・アンドレアソンがアブダクトされてフェニックスを見ていた時、彼女はどこに連れて行かれてたの?

A: リアリティの別の次元。

Q: (L) ベティ・アンドレアソンは、彼女の体験はポジティブなもので、神の近くに行ったと信じてるけど、正しいの?

A: No.

Q: (L) ベティ・アンドレアソンは騙されたの?

A: No. 彼女は犠牲者だ。
---

950111
Frank and Laura Barry and Susy Konicov, publishers of a popular New Age magazine, via telephone
バリーは人気あるニューエイジ雑誌の発行者で、電話での参加。
---
Q: (B) トカゲに会うための正しい手順は何だろう?

A: あなた次第!

Q: (F) あれはもう繰り返し話す気はないよ、バリー。

(L) 彼ったら、「Fで始まる言葉」(汚い言葉、罵りの言葉、罵詈雑言◆fuckの婉曲語。)
を使ったの?

(F) No, 解剖学の話をしたんだ。

(B) トカゲはシェイプシフトするのかな?

A: 第4密度に居る全ての存在はその能力を持って居る。

Q: (B) 彼らには本当の姿を隠す能力があるんだろうか?

A: Yes.

Q: (B) 彼らは今も、我々の間を歩き回ってるのかな?

A: 稀に。彼らは第3レベルで仕事を行う際には大抵「エージェント」を使う。

Q: (B) そのエージェントが、MIB?あるいはグレイなのかな?

A: その両方およびその他。MIBはしばしば、ヒューマンタイプの物理体を身にまとったトカゲで、短波動サイクルと呼ばれる限られた時間だけ、第3密度レベルに留まっていられる。MIBは政府の人間だと称するが、これは選んだ人間に直接にコンタクトするための口実だ。

Q: (B) MIBは人を殺したことがあるんだろうか?

A: No.

Q: (F) 脅すだけかな?

A: Yes.

Q: (B) トカゲは人間を殺したことがあるんだろうか?

A: Oh yes!!!
---

950121
---
Q: (L) OK, 結構だわ。
(※元アメリカ空軍大佐ウェンデル・スティーブンズ
http://giga.world.coocan.jp/ufo/kanren/billy_meier.html
の話が真実ではないという回答に対して。)
アメリカ全土で目撃されている、ヘリコプターや白いバンを配置している東洋人らしき人々は誰なの?

A: MIB. および、政府が放った模倣版。調査を逃れるためにコピーしている。もし明らかになると爆発的な騒ぎが起きるので、彼らは公衆が知ることのないようにしている。

[…]

Q: (L) OK, 最近、この種の話題で当たりを出してないので、訊きたいのよ。ビリー・マイヤーと関わりがあるウェンデル・スティーブンズ、それとジェネシスIIだかIIIというグループが、ビリー・マイヤーのUFO目撃本を出版してるんだけど。。。

A: その幾つかも投影だ。この現象には、多くの面がある。
---

950723
---
Q: (L) 暗い色の、蜘蛛みたいな姿をしたものが、ベッドの脇に並んでるのにも気づいたのよ。これは印象を正確に述べてるかしら。

A: それは特定の思考センターが投影されたものと言えるだろう。
---

981003
---
Q: (L) キールはまた、顔の上にホログラフによるイメージを重ね合わせたヘビ人間が、私達の社会の中に混じっているとも言ってるわ。これは本当なの?

A: 多分。

Q: (L) 例えばMIBのように?

A: 多分。
---

981121
---
Q: (M) 彼(※ヘンリー・リンカーンでしょうか?)曰く:「私は3度エイリアンとの遭遇を体験した事がある。彼らは親切にも私に、シリコン製のビーズか何かをくれた」。これは物理体アブダクションだったのかな?それとも単なる投影?

A: その一方から他方も生じる。投影には次元間原子再分子化プロセスが含まれる。
---


調査の最後にモランのチームは証拠について議論を行ったが、その結論の中で彼らは、全体的な状況に対して十分広範な理論的基盤を提供できる唯一の説明が、ジョン・キール、ジャック・ヴァレー他が推し進める「超地球的生命体としてのUFO仮説」であることをしぶしぶながら認めた。モスマン実在説の弱点を見つけることに失敗したというのが彼らの結論だった。つまり、彼らは調査報道ならではの、公表すべき暴露ネタをつかめなかったのである。リック・モランがニューヨークに戻った直後、彼の私生活に起こり始めた、ギョッとするような、一連の妨害的な出来事が無かったとしたら、本件は調査中のままとなる筈だった。これらの出来事のせいで、彼は多かれ少なかれ態度を決めることになったのである。

読者はこの記事を読むために、FT誌のバックナンバーを買うべきだろう。そこで述べられているのは、こうした問題を徹底的に掘り下げて調べたときに、実に多くの人々が味わってきた、まさにその類の奇異な事態である。もちろん、私達やディスカッショングループのメンバーの多くも例外ではない。問題はもちろん、それをどう観るかである:ストックホルム症候群的な観方か?それとも「疎外された」人の観方か?

その翌週、実に奇妙な脅迫電話が掛かってきて、電話会社に電話の主を調べてもらったところ、驚くべき結果が判明し、このジャーナリストは神経がたかぶるばかりだったのだが、この時、モラン氏はロングアイランドにあるラジオ局WBABの『ジョエル・マーチン・トークショー』にゲスト出演するスケジュールになっていた。テーマはUFO等の奇妙なものとは全く関係が無かった;枯葉剤のベトナムでの使用についてだった。モランが局に着いた時、ロビーで彼と会ったDJは明らかに震えていた。彼もまた、1人のMIBの訪問を受けていて、UFOのテーマでショーを行わないよう警告されていたのだ。ちょっとした「作戦会議」を行った後、モラン氏とDJの2人は、次のように合意した。すなわち、ジャーナリストが脅迫されたと感じたとき、ベストな反応とは、自分の知っていることを洗いざらい公衆に公開してしまうことである。というのも、それが公知となってしまえば、もはやソースには何ら脅迫される理由が無いからだ。彼は正しかった。彼もDJも、二度と脅迫されることはなかった。

実に興味深いのは、次のようなモラン氏の指摘である。すなわち、犯罪者やマフィア、その他、私達の社会のいかがわしい分子についてレポートしてきた彼のキャリアを通して、彼も彼の家族も、決して脅迫されたことなどなかったのであり、モスマンの世界に方向転換して初めてそういう目に遭ったというのである。ここで疑問が浮かぶ:このような超次元の出来事の調査の何が、抑圧し、ツイストをかけ、差し止めようとし、さもなければ、一切をうやむやにしようとストックホルム症候群を利用しようとするような反応を招くのだろうか?モランは、今にして思えば、モスマン現象の全体が、実験の趣を持って居たと言う。

さて、ここで紹介するのが、全てを互いに結びつけるような考え方である。コリン・ベネットは私たちの注意を心と景色との間にある、古代の魔術的な結びつきに向けさせるのだが、それは、不毛な物質主義的なリアリティの観方の対極にある。もちろん、1つ疑問なのは、誰の心か?ということだ。ベネットは書いている:


---
フォスターのマラバー洞窟、
http://blogs.yahoo.co.jp/pana0202/34173213.html
ハムレットのエルシノア城、
http://ameblo.jp/eiichi-k/entry-11130074602.html
トマス・ハーディのエグドンの荒野。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000471545
これらはいずれも、未確認地理学上のパーソナリティー達が持つ諸相である;彼らは巨大で活き活きした形態として生きることに力を注ぎ、ツタが壁を這いながら古い家に絡みつくようにして、人々の気付きの中に入り込むのだ。このような超人態は完全な意識を持ち、目覚めていて、活動的である。ウェストバージニアでキールは、地元の「システム・アニマル」が独自のアジェンダを持っていることを発見する。それは彫像や天候、雰囲気、地質、偶然の一致、そして夢を通して「語っていた」。キリスト教や科学が登場する以前、キールが述べているような超人態は、「心」を聖域や風景、概念、進化する文化に結びつける、統合された世界のイメージの一部として完全に理解されていたのだ。我々は真実が全く信じられない程スキャンダラスであり、神々が有徳でもなければ、分別も持って居なかった、古代ギリシャ人の観方に立ち返るべきだろう。

フォート派的意味において、科学的客観性は、同胞である人間以外には、意識ある生命の存在を認めることを禁じてきた。シェイクスピアは、人間的状況の陰に居る名前のない登場人物を描き、人間は万物の霊長ではなく、「固いもの」から殆ど無なるものへと進化する生物たちの鎖の一部であることを示した。この鎖は、動物、植物、鉱物の領域から成っているのだが、いずれもがダイナミックな擬人的要素を持っていることを、我々は危険を承知で無視しているのだ。シェイクスピアの『テンペスト』のように、『モスマンの黙示』は人間を、動物の王国と神々の領域との間でバランスを取る存在として描いている。ギリシャの悲劇作家たちは、環境と社会的性格、動機と超人のアジェンダとの間に存在している、このような結びつきを完全に理解していた。他方、堕落した現代人は、機械の歯で歯ぎしりをして、どうして1963年のダラスでの事件や、ダイアナ妃暗殺、幼いジョン・ベネット殺しを自分達は説明できないのだろうと不思議に思うのである。

中世フランスにおける伝説上の空中大陸であるマゴニアの魔術的な風景から帰ってきた多くの人々同様、傷を負ったイニシエートであるキールは病み、消耗していた。オカルトのイニシエーションとは、常に臨死体験なのである。
---
(Bennett, FT 156, my emphases)


本章の冒頭で引用した、私のメル友が「歯をくいしばる」という言葉を使っていたのを、読者は覚えていてくれただろうか。ベネット氏からの引用の最後にあった、「機械の歯で歯ぎしりをする、堕落した現代人」という言葉、同氏のダイアナ妃の死への言及、プリンセスの死が第4密度の、タイムループのヒントシステムの一部であるという私の知覚、フランクの歯の問題に関して私が前章で書いたコメントを考え合わせれば、私達は指数関数的に拡大している記号学的内容平面の完璧かつ生きた手本を持って居るのだ。

これまた分かってくるのは、冒頭で引用したSETIの研究の場合を含む、いわゆる「科学的客観性」とは、実は彼らが考えている以上にずっと主観的かも知れないということであり、そして、「疎外された」人々が実際に人生に付与する意味は少なくなどないということだ。というのも彼らは、真の意味でより客観的で、多くの意味を付与しているからである;そして、この多くの意味というのは、客観的に見て、ETは心底私達のためを思ってなどいないという事を指しているのだ。

より広い記号学的内容平面、私達の「生きている風景」とのつながり、未確認地理学上のパーソナリティー達の行動、人間の意識の中に入り込む、巨大で活き活きした形態、完全な意識を持ち、目覚めていて、活動的な超人態を明らかにする、このささやかなエピソードを終えるに当たり、私達はリアルタイムの第4密度マトリックスコントロールシステムに、一層鋭く気付かせられる。そしてそれが私達に姿を現し、私達に触れるのは、驚嘆すべき瞬間である。私のメル友が書いている通りだ:


---
あまりにスーッと、素早く滑り落ち、たちまちプールの底に到着してしまうので、我に帰るまでしばし唖然として、そこに座ったままで居るほどなのだ。滑り降りる際、重力がなくなるせいで、険しい表情になり、歯を食いしばっていても、下りきった時に殆どの人が微笑んでしまうのは、そのためではないか。殆ど自由落下のような強烈な感覚、着地、そして最後は無傷だったと気付く、全く新鮮な感覚。。。決して比喩としてばかりでなく、スライダーの最後には、全く新しいリアリティ/知覚があるのであり、これは多分、避けていた超越知覚を受け入れたということだろう。。。

私は何か新しい事実が明らかになった訳ではないと知っている。私達は皆、以前にこのような経験をしているのだ。それでも、これについて語るのは重要だと思われる。とはいえ、このような宇宙からの直接的な働きかけの体験は、徐々に大きく、明白になってきてはいないだろうか?多分、この種の物語をシェアする結果、連帯感が生まれ、そうして生まれた連帯のエネルギーは、益々多くの人々がヴェールを剥ぐ助けになるのではあるまいか?
---

「疎外された人々」は自由のネットワークを築き始めているのだろうか?

呪われたものが呪われている限りは、

万事は良好、

天上のごとくに感じられよう。

(本章終わり)
posted by たカシー at 14:13| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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