2015年07月21日

ザ・ウェイブ38章: 女ヴァンパイア

ザ・ウェイブ38章: 女ヴァンパイア
http://cassiopaea.org/2011/11/20/the-wave-chapter-38-the-feminine-vampire/


「放蕩息子」が帰って来た後の私の気分を言い表すのは難しい。フランクの身体と魂に危険が迫っていると知って、私の中の慈善家プログラムが見事に全部起動して強力に働き出したのである。私の持っている救助プログラム、母親プログラム、「迷い人を救い、怪我人を癒せ」プログラムが、全てフランク1人を対象に猛烈に動き始めたのだ。次の言葉は、彼が置かれている窮状を雄弁に物語っていた:「彼らが言いたいのは、キミたちが僕のようにチャネリングできるようになると。。。僕は殆ど始終チャネリングしてるから分かるんだけど。。。これには良い面と悪い面があるってことなんだ。今やキミたちも良い面は分かるだろう。だけど、悪い面をキミたちは知らない。悪い面とは、それをやりながら生きていくのがとても大変だということだ。自分の気持ちを言葉で言い表すことすらできないんだ」

この時私は、乳幼児の頃に行われた事のせいでフランクは、チャネラーになるようブログラミングされたのだが、それは「彼」の本質を殆どすっかり空にしてしまう意味を持っていたのだと分かった。殆ど井戸掘り機で掘られたかのように彼は芯をくり抜かれ、コンフィグし直されたのである。彼が「チャネル」であるというのは、地下のパイプが水や油を引くための導管であるのと同じ意味なのだと私には分かってきたのだ。このパイプラインを何が通るかは、完全に彼の接続先次第だということも分かった。

彼はある意味、生まれたばかりの赤ん坊のように、欲求と無力感の板挟みになっているために、自分ではどうすることもできないのだと私は感じていた。

この頃私が考えていたのはかなり単純なことだった:明らかにフランクはカシオペアンをチャネリング情報の泉にしようとして、遮二無二私につながろうとしていたが、それはこのつながりが保たれ、さらに発展することが、彼が育ち、生き残る上で重要だったからなのだ。パイプが、中を通る液体で濡れるように、彼がカシオペアンにチャネリングすればするほど、益々彼にはSTOのメッセージが染み込み、益々彼の魂の治癒が起こる見込みが高まるのだと私は思った。彼はあまりに自由意思を侵害され、台無しにされていたため、それをビルドし直し、回復させる=いわば彼の魂を復元する唯一の方法とは、できるだけ定期的かつ頻繁に私にチャネリングすることなのだ。子育てのために母親が赤ん坊に授乳するように、私はフランクがきっと大人物に育つものと思いつつ、彼に「糧を与える」ことにコミットしていた。彼が、生まれてくることに同意したためにどうすることもできなくなった高度な霊性を持つ存在であり、その後闇の勢力によって攻撃され操作されたために、このような状況に置かれているのだろうが、そうではなかろうがどうでもよかった。私は改めて彼を「助ける」ことにコミットした。それは全身全霊をかけたコミットメントだった。

一方でフランクは、あれだけ繰り返し主張していたにもかかわらず、高度な霊性を持つ存在でないことが明らかになっていた ― そんな主張を裏切る行動をし、実はダークなキャラであることを証明してしまった − のであり、彼自身もまたアイデンティティの見直しを迫られていた。

さて、私が悪意ある詐欺師の犠牲になったのだという風にみなしてしまうのはむしろ簡単だろうし、いつでもそれは可能である。だが、実際にはどうやら、人間の動学におけるドラマの各出演者は自分の観方・感じ方が正しいのだとある程度固く信じているらしい。それを試す方法とはもちろん、その人の観方が事実に関するデータや観察可能な証拠と一致するか見極めることだ。

既に見たように、脳内における化学反応が知覚において果たす役割は大きい。私達の人生に対する観方は、魂がショックを受けることにより、一瞬で変わり得るのである。そして殆どの場合、ショックが消えた後、プログラミングされあるいは受け入れている観方が、徐々に明瞭な意識に取って代わられ、私達はリアリティという幻想・自己愛的構造物の中の眠りに戻るのである。だからこそカシオペアンは私達に、事実と証拠を懸命に探し出すよう繰り返し活を入れるのである。意見に耳を貸してはいけない;事実をチェックするのだ。

私達は、人の心の成り立ちが、その人が何を行いどう振る舞うかを決める真の理由となり得ることについて、ある程度明らかにしてきた。だが、それ以上に私達がカシオペアンから学びつつあったのは、この、いわゆる心の動学が超次元のリアリティにおいて善悪両勢力が戦う上での道具に過ぎないということだった。この点の重要性はいくら強調しても、強調しすぎるということはない。というのも、自分の思考、感情、知覚は外からの力 ― それには、脳内化学物質の変質も含まれ得る ― でもって嵩上げされ得、この結果、いかにドラスチックに感覚が変わり得るかということを完全に理解するまでは、本当に自由意思で行動する能力を発達させられる可能性はないからだ。

前に言った通り:「PMS(月経前)」症候群に罹ったことがある女性なら分かるように、脳内における化学反応があまりにすっかり知覚も考え方も変えてしまうので、考えるのも恐ろしいことながら、これこそが私たちが生き続けている状態なのだろう:溢れ出るホルモンと脳内反応のせいで、私たちは食料としてマトリックスに繋がれ続けているのだ。

もちろん、私は自分が救助者、慈善家、あらゆる怪我人の癒し手、全ての迷子の母親であるという自己愛的なイメージに浸りきっていた;『グレイス』の読者はご存知のように、これは子供の頃から私が熱心に言い聞かされてきたイメージだった。それが、このような心理的基質が育まれた真の理由である。神学的理由はもちろん、このようなプログラムを道具として活用する結果、私はエネルギー的食料に仕立てられてきたのに他ならない。

どうして私は、このような一見ポジティブと思われる自己イメージを自己愛的だと言うのか疑問に思われるだろうか?他人を救助し、善をなし、母親のように癒すのは、STOの道の追求ではないのだろうか?

それは確かにそうなのだ。違うのは:そのように働くのが、真に求められたからなのか、それともウィッシュフルシンキングからなのか、ということだ。この学びの第1段階を経験するだけでも、さらにもう1年かかったけれども、これこそ最終的に私が学ぼうとしていた違いだった。これは進行中のプロジェクトなのだ!

このリアリティの中に居る私達はみな、程度の差こそあれ、捕食者か餌かのいずれかである。家庭の夫は職を失うことになるので、雇い主にエネルギーを吸い取られるのを拒むことができない。だから彼は家に帰ると、妻からエネルギーを吸い取る。妻は夫に出て行かれると自分では食べていけないし、子供の面倒も見なければいけないので、怖くて拒めない。だが彼女もエネルギーが足りなくなりどこかから得なくてはならない。それで、恣に子どもたちを操作して自分を称賛させ愛させることによって、彼らからエネルギーを吸い取る。彼女はまた、子供たちを虐待して、苦難に陥った彼らから心のエネルギーを吸い取るかも知れない。彼女は自分が子供たちのエネルギーを吸い取っているのが分からない;彼女はマトリックスのプログラムに従って機械的に行動しているのだ。このプログラムが機械複合体全体を動かして、コンスタントにエネルギーを吸い上げてフィーダー線に流し続けているのだ ― 誰に向けてだろうか?

多分、超次元=第4密度のSTS、われらがマトリックスのコントローラーではないだろうか?

神学的リアリティが極めて重要になるのは、この文脈においてである。心理的基質や戦いの道具について考えたり語ったりするのはさておき、私達は両勢力の明らかな区別を見ておく必要がある。上の如く、下もまた然りなのだ。

STSのヒエラルキーでは、今しがた述べたように、究極の飼い主、すなわち、エネルギーの受取人がいて、エネルギーは集められて、私たちのリアリティの隙間 ― 私達の家族、友人、知人を結ぶ意識の糸 − を通って伝えられる。STSのヒエラルキーの場合、これは不存在の思考センターであり、そこでは意識が最終的に物質化されてきた。というのも、不存在という概念からひき出された意識は、実際には何ものになることも、死ぬこともできず、久遠の眠りにつくことしかできないからだ。つまり、STSのヒエラルキーに取り込まれた意識は、最終的には始原物質になるのである。

幾つかの哲学においては ― 少なくともその中の数派においては ―、特定の道が物質化に至るという、この真理が公然と教えられている。このような「永遠の眠りと一体となること(ワンネス)」が究極の目標なのである。この永遠の至福を認められるために、超人的な苦行が積まれるのだ。しかし、問題なのは、この道の高僧たちも知悉している通り、彼らの願う、このワンネスを達成するためには、他の一切が停止しなければならない ― 外側への拡大と創造のサイクルが終わらねばならないということだ。神は殺され、あるいは少なくとも、正式に眠りに戻されねばならない。

これが意味するのは「有」が消滅しなくてはならないという思想である。自分という存在を終わらせるために、自分の尻尾を呑み込もうとするヘビのように、STSの道は創造の一切を呑み込んで、無の眠りに就かせようとするのだ。

私達が目覚めた時に気付くのは、私達が自分よりも下位の生き物を食べており、代わりに「上位」の生き物に食べられているということだ。当然、私達としては、他の選択肢はないのか?と訊きたくなる。これに対してカシオペアンが示した選択肢がSTOだった。私達のリアリティでは想像しにくいのだが、それは与え合い、支え合う共生的なサークルで、そこでは自由意思の侵害は全く起こらず、エネルギーの流れが全員のために整えられ増幅されるのである。STSの場合、狭くなって行く一方通行をピラミッドの頂点に向かううち、エネルギーが消滅するのとは反対なのだ。

STSピラミッドのヒエラルキーにエネルギーを供給させるよう操作するため、私たちの元型的イメージが歪められているという知識を得てこそ、私たちはそのような操作から自由になるチャンスも手にでき、エネルギーを整えシェアし合い、創造を楽しむSTOのサークルに参加できるのである。

つまり、私達が基本的にSTSの性質を持つ動学の中に閉じ込められている限りは、エネルギーを均等にシェアし合うことは出来ないのだ。捕食者である参加者とエネルギーの食料である参加者が居て、両者のエネルギーがまさしくこの目的のために状況を操作している高次の存在へと流れて行くのである。神学的リアリティに十分目覚め、ごく僅かなサインを読み取る術を学んでいないと、これを見分けるのは必ずしもた易くないだろう。マトリックスは巧妙に姿を隠すようにできているのだが、全ての機械仕掛けのシステム同様、完ぺきではない。十分注意し、目覚めて居れば、幕の陰に居る男が見える筈だ。

つまり、私のポジティブな自己イメージが、自己愛の働きで起動する結果、私は真に求めている他人のためにあらゆるいい事をしているつもりでいる。だが真相はと言えば、この他人は求めてなどいないのである;私は助けたり、母のように振る舞おうとしたり、癒したり、善行を行ったりすることで、自分のエネルギーをSTSの動学に与えるよう操作されているのである。そして、STSの方では、このような心のコンフィグを持っている人々のエネルギーを吸い取ることによって、究極的にはこの人々を殺そうとしているのだ。私は騙され、既に見出した真実に対して目を開き続けようとせず、STSの企みによる気の毒な出来事の展開に目を奪われ、幻想プログラムを起動させるのである。

フランクだって、きっとショックだったろうと私は思った。あくまで想像だが、私は彼が自らの行動によって闇が暴露されたと感じただろうと思っていた。ただし、この地球上で生きるには善良すぎるという、凝り固まった自己愛的イメージのせいで、あのような露呈事件にも拘わらず、彼の幻想の殻がまだ破れていない可能性もじゅうぶんあった。グループメンバーや、おそらくは社会全体(全体ではなくとも、真実や名誉、勇気、礼儀を重んじるメンバー)が、フランクがちょっとした理性喪失を起こしたのを手掛かりに、隠れた彼の闇人格を垣間見たことに、少なくとも彼が気付いていたのは確かだ。彼が打ち出す彼のイメージに深刻なひびが入り、目立って行っていた追求をほぼすっかりやめてしまったのだ。

彼の追求とは何だったのか?フランクは何がしたかったのだろうか?

交信文のあちこちに散らばっている数多くの手掛かりや、他の参加者・証人の観察結果からして明らかなように、彼は名声と富を求めるタイプだった。だが、それには奇妙なツイストがかかっていた:彼は自分にはその資格があり、それらを備えるべきだとも感じていたのだが、自ら励もうという気はなかったのである。彼は本質的に他人の威光を借りる性質だった。だが、シーズはもう1つの理由を明かした。「彼は、あなたが生まれる前、あなたの現在の物理体内に暗号化された秘密を『ダウンロードする』という特殊な目的のプログラミングを施されていた。彼はあなたを堕落させられなかったので失敗した。彼は現在、ヴィンセント・ブリッジスと協力して、あなたが持っているミッション遂行能力を破壊するというミッションを帯びている」(※020110)

だから、これが、真の理由の陰にある神学的理由ということになる。

だが、既に述べた通り、もう1つの動学が働いているのをシーズは見抜いていた:


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Q: あなたたちがテリーとジャンにセッションに出るよう勧めたのはそのせいだったの?フランクのネガティブなエネルギーと釣り合いを取るため?

A: Yes. そうしなかったら、フランクはたちまちのうちに、STSの流儀でエネルギーを吸い取って、あなたを殺していただろう。
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こうして私達は問題の核心にたどり着いた:私は神学的リアリティに対する気付きを欠いて居たために、ユング派心理学にいわゆる「女ヴァンパイア」の餌食になったのである。この術語は女が男を食い物にするという風に、性的役割の固定化を意図するものではない。この元型は、見たところ全く無力と思われる人が、パワー、力、エネルギーに溢れる人を犠牲にし、あるいは食い物にするというものである。ユング派心理学者バーバラ E ホルトの『いっしょにいると疲れる人 「くされ縁」の人間関係の研究』から引用させていただくが、彼女が述べているのは真の理由であって、その陰に神学的理由があることに留意されたい。彼女は騎士が苦境に陥った、苦難に遭う乙女を救うという観点で述べているが、私達の世界では、反対に女性が母性本能から男性を救う場合も少なくないのであり、これも全く同じ元型に属する。


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(邦訳書163ページ)
かよわい存在が、たくましく屈強な人物を犠牲にすることなど、ありそうにないと思われるかもしれない。しかし、それは実は案外しばしば起こっている。そもそも、何か困っている人物に救いの手を差し伸べること以上に魅惑的なことはない。とくに、救いを待つ相手が魅力的で、いつも感謝の念を忘れず、そしてあなたを崇める存在だったときには、どうしてそれにあらがうことができよう。

たくましい男性のあなたはそのとききらめく剣を振りかざす騎士、英雄の役回りを演じる。かよわい乙女はそのとき、潤んだ瞳であなたを見つめる。あなたは喜びの絶頂に立つがしかし、長くはつづかない。彼女はまたすぐに困った状況をあなたに訴え始める。あなたは、そこでまた力を振うことになる。

英雄と一見かよわい乙女のふたりの病んだダンスは、こうして永久に続くのだ。餌食となった男性は経済的に、肉体的に、そして精神的にしゃぶりつくされる。しかし、哀れな男性は自分がだまされているとも知らず、大喜びで生命エネルギーを差し出してしまうのである。なぜだまされてしまうのか?

男は屈強であればあるほど、敵も屈強だと思い込む傾向がある。まさか敵がかよわい(あるいはそう装った)女性だとは想像もしないのだ。また、男性の心のなかで「英雄」の元型が活性化すると、弱々しい女性を見過ごすことができなくなってしまう。かよわさの陰に牙が隠されていたとしてもだ。男性のプライドを利用して食い物にする − まったく狡猾な手口だ。これが男性を餌食とする女性のヴァンパイアの常套手段なのである。



(181ページ)
英雄的な男性と悲劇的な女性がいた。男性は女性を救うことに幸せを感じている。そして、女性は男性に救われたいと思っている。こうして、男性による女性の救出作業は延々とつづくのである。女性は救出されるたびに感謝の言葉を述べるが、それは男性に次なる救出を促しているのだ。。。

(188ページ)
大蜘蛛 − それは運命の紡ぎ手、あるいは死をもたらす存在としての「テリブル・マザー(恐るべき母)」の有力な象徴である。。。

(189ページ)
。。。J・E・サーロットは『シンボル辞典』(1971年)において、網(蜘蛛の巣)の中央にいる蜘蛛のイメージは「(この世界という)悪は変容の車輪の縁辺にあるのみならず、その中心にあって変容の根源をなしている」というグノーシス派の見解を象徴している、と述べている。。。サーロットによれば、象徴としての大蜘蛛は、古代の迷宮にひそむ女性の怪物と同列のものであるという。ここでいう女性の怪物とはメドゥサのことだ。メドゥサはゴルゴンという怪物三姉妹のひとり[である]。。。

(190ページ)
なぜ女性のヴァンパイアを退治するのは難しいのだろうか?その理由として考えられるのは、「強者である男性は弱者である女性を守らなければならない」という男性中心社会独特の道徳である。

(191ページ)
多くの場合、女性のヴァンパイアの犠牲者は人生を台無しにしてしまう。女性を救うために、自分にとっては完全に無意味な行動を嬉々として繰り返すことになるためだ。途中でだまされていることに気づいたとしても、もはや手遅れである。かわいそうな女性を見捨てるという罪悪感に、あなたは耐え切ることができるだろうか?このように女性のヴァンパイアの策略は実に狡猾であり、その被害はあまりにも大きい。心の健康を維持するためには、女性のヴァンパイアの退治方法を知ることがきわめて重要なのである。

(198ページ)
メドゥサが女性のヴァンパイアであることはいうまでもない。。。彼女は爬虫類のような冷血動物となり、女性の武器を駆使しては男性をだまし、男性を破滅させた。。。

(200ページ)
。。。メドゥサ型のヴァンパイアは、無防備な獲物に背後からシュルシュルと忍び寄り、冷たい視線で獲物を凍りつかせ、あたかもヘビに睨まれたカエルのように石と化した獲物にキバを突き立て、憤怒の毒液を送りこむのだ。冷たい骸と化した犠牲者の前で彼女はトグロを巻き、次なる獲物を求めて風のにおいを嗅ぐのである。。。メドゥサ型のヴァンパイアは狡猾な知力で獲物を陥れる。。。

(200ページ)
[真の英雄たるもの]女性のヴァンパイアを「感じとる」ことができなければどうしようもない。ここで「感じとる」という言葉を使ったのには意味がある。メドゥサの神話にも示されているように、女性のヴァンパイアを「見る」のは危険なのだ。ヘビに睨まれたカエルが動けなくなってしまうように、女性のヴァンパイアを見た人は石のように硬直してしまうのである。

女性のヴァンパイアを退治する場合、ペルセウスのとった手段が参考になる。つまり、女性の姿を「心の鏡」に映し、次のように自問自答するのである。彼女に同情を強要され、与えうる以上に与えてしまったことはないか? [大きな問題を抱えているように見える彼女を捨てようと考えて罪悪感に責め苛まれたことはないか?彼女が『私なんてつまらない女だわ』と言ったせいで罪悪感をあおられ、『つまらないだなんてとんでもない。単に恵まれない境遇に居て、救いが必要なだけだよ』と請け合ったことはないか?] 以上の質問について、ひとつでも「イエス」があれば、彼女はヴァンパイアである可能性が高いのである。[女ヴァンパイア・メドゥサはあなたをゆっくりと石に変えるだろう。]

[もし彼女があなたの同情心を掻き立てるなら、メドゥサの物語も哀れを誘うものだったことを思い出されたい。しかし気の毒だからといって、彼女が危険でなくなる訳ではないのだ。女ヴァンパイアに対する憐憫の情にほだされ、むず痒くなってきたら、賢明にも背中を向けながらゆっくりとゴルゴンに近づいて行ったペルセウスの姿を思い浮かべるといい。。。ペルセウスのイメージをしっかりと心に焼き付け、アテナ女神の忠告を忘れてはならない。もし女神から授かった盾『イージス』を落としたり、うっかり注意を怠ったり、あるいはふと罪悪感や同情心に駆られて、ちらりとでも後ろを振り返ったら、あなたはメドゥサの島に並ぶ石の動物や人間の1つに姿を変えられてしまうのだ。

女ヴァンパイアを退治する上で、彼女の本性に気付くことは重要だが、それだけでは十分ではない。ペルセウスとオイディプスの物語を比べれば分かる通り、有徳な偉業を成し遂げよという要請がないと、たとえ英雄であれ、女ヴァンパイアの奸計に屈しないでいるのは無理なのである。]
(Hort 1996, 113–114, 134, 136–137, 143–144, 146–147)
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※鏡訳。ただし、[ ]内はローラの補足または僕の補訳です。


フランクに関する限り、彼に我が家への出入りを認めたのは、好意と同情からだった。彼はひどく孤独で、しかも「他人と異なって」おり、助け、交友、支持、そして真の自尊心を必要としていた。彼は自分が他人に共感/共鳴しようと懸命に努力する人間だと私に信じ込ませるために、思いのままあれこれと言い立てた。彼は私および私の人生にとても関心を抱いてくれ、それは彼が共鳴できる相手を求めているからだと私は受け取った。

最初、私や私の経験に関して彼があれこれ質問して来るのは、心底私に興味を持っているからだと思い、私はそれらに答え、彼の情報的なニーズを満たしていた。確かに最初のうちは不安と疑念が募った。往々にして彼の質問はあまりにも個人的で、厳密にすぎ、プライベートな情報に飢えていた。しかし私は努めて丁寧に礼儀正しく対応し、疑念は捨てるようにした。

フランクは私の考えている事や、健康、人生、現状について根掘り葉掘り訊いてきた。まるで重要人物に対して、突っ込んだインタビューでもしているようだった。それまでの人生において、私の考えている事に本当に興味を持ってくれたり、私の人生が重要だと感じさせてくれる人は居なかったので、私は考えていることを答え、じき他の質問にも答えるようになっていた。

情報とはパワーであるゆえに、無邪気に問い詰めるスキルは女ヴァンパイアの重要なツールである;ある人に関する情報を握れば、その人から搾り取る手段を手に入れることになる。結局これこそがヴァンパイアの一番の目的なのだ。

フランクの問いに答えることが、彼に運転資金を与えることになると私は気付いていなかった − 後から操作に使おうとして彼は情報を貯め込んでいたのだ。

殆ど絶交状態になった時点でようやく、質問攻めに続いてフランクが、殆ど私自身の時間を持てないぐらい長々と、耳にタコができるくらいしつこく、彼が遭った災難や好みの話を私に聞かせたがっていたことに気付いた。フランクがあれほど私の健康を気遣い、注意深く細かい事まで尋ねていたのに、どうして彼の話を聞くのを拒むような失礼な事ができようか?時間とエネルギーを惜しまずに、彼のニーズを満たす他なかったのだ。

もちろん、その結果は泣きっ面に蜂だった。私はフランクにエネルギーを食い物にされたばかりか、さらには搾り取り、私をコントロールするための情報を彼に与えてしまったのだ。

一度噛まれて伝染されなければヴァンパイアにならないというのは、もちろん正しい。ユング派の心理学者に言わせれば、これは親から子へと感染して行くのであり、両親が幼児期に子供を虐待する結果なのだ。親が子供にプログラミングを施すのが吸血癖を伝染す手段の一つだというのは、確かに正しいのだろう。だが、そこにはもっと狡猾な力も働いているように思われる:超次元の存在、まさしく古代ヴァンパイアの元型の仕業である。

エイリアンの手によってアブダクトされ、拷問されたというフランクの記憶や、彼が抵抗しなかったという事実はいずれも手掛かりである。だが2年も経つうちには、もっとずっと多くの手掛かりがあった。

どんな人だって、もちろん、魂の名残りのようなものは持っている。成長して行って、未来のある時点 ― おそらくは別の生 ― で、物質的な環境の中での霊化プロセスが始まるのが魂だろう。他方、衰えて行く、物質化・圧縮化のプロセスにある、すなわち、STSのヒエラルキーに意識が包摂されるのも魂だろう。見分けるのは実に難しい。これは私の単なる推測だが、人類史の今の時点で転生して来ている魂は、タイプ的に極めて重要な選択 ― ウィッシュフルシンキングの、最後は物質化するSTSの道か、霊化して行く物質であるSTOの道かの選択 − を行うような未熟な段階にはないのだろう。

STSを選ぶのが、この密度では基本的にデフォルトなのであり、マトリックスのコントローラーどもによって自然なものとして示されている選択が、一般的に最も簡単なのだ。それは最も楽な道であり、とりわけ感情、ないし昨今宣伝されている「心の知性」に浸る道である。これはしばしば明白な選択、賢明な選択であり、当然の選択ですらある。「明白」「賢明」「当然」というのはもちろん、私達のリアリティを支配するマトリックスのルールからしてのことだ。

他方、STOという選択は、遥かに理解が難しく、ゆえに、行うのも従うのも、ずっと取り組み甲斐があるのだ。私達は、キリスト教とは元々どんな教えだったか少々検討し、また、カスタネダが詳説した「システマチックな嫌がらせ」の深い意味を理解する能力を欠いた人が多いという事実を確認した際に、既にこの事の例を見た。かくしてどうやら、一貫してSTSの選択を行う人々には語義失語の兆候が見られるようである。どうも彼らは、単語や概念の持つ、特定の、限定的な、文字通りの意味は理解できるものの、それ以上のことは思いつかないらしい。ある人々の場合、確かにこれを行う知的能力はあるようなのだが、そんな事をする気が無いように見受けられる。これはSTSの心が食い物にされるに連れて、このような人が物事の深い意味合い=錬金術師フルカネリがカバラ、すなわち「小鳥たちの言葉」に関する解説の中で例証した、隠れたリアリティを益々理解できなくなった結果である。一方、STOの選択を行っている人々は、このような純粋な思考という高次の領域に、益々達しうるようになって行く。

私にはどうも、これはただ1度だけ行えばいい選択ではなくて、日々、時々刻々と行う選択であって、人がSTSのリアリティの機械性とデフォルトの選択に対する小規模な戦いに勝って、ちょっとの間でもSTO領域に入ることで能力が強化されるものの、それは徐々にであって、次に行うべきSTOの選択が待っているように思われる。大体において、このような選択は、本質を見極めることだけでなく、それに対する反応の仕方 − 創造的かそれとも破壊的か、真実によってかそれともウィッシュフルシンキングと自己愛的な個人的意見によってか − を選ぶこととも関係がある。

かくしてカスタネダの言う「システマチックな嫌がらせ」という言葉を、その陰にある神学的リアリティに対するより深い知覚や、カスタネダが挙げた例とは反対の、物質主義的意味合いで理解することを選ぶような人は、STS的理性のデフォルトモードすなわち、マトリックス・リアリティの言語構造規則に則り、「明白」「賢明」「当然」なものを選択した人なのである。このような知覚を繰り返し選択する結果、カテゴリー的硬化、すなわち、物質化が起こるのだ。重要なのは、生きている限り、望みはあるということであり、出来事の表面を見ていると、フランクとの付き合いの中で、私が意識的にサイコパスの犠牲になっているようでも、出会う人には一定の限度で、疑わしきは罰せず、大目に見るべきだと考える傾向があるということなのだ。確かに彼には真剣に問いかける一面が見受けられたのであり、私は操作的でありつつも、そのような面を持つ彼に賭けていたのだ。

実は、サイキック・ヴァンパイア、すなわち、STSの食餌マシンは犯罪心理学の視点からきちんと説明できる。犯罪者の性格の主要な特質は弱さ、未成熟、自己欺瞞であり、これらと他人を騙したいという強い欲求とが混じり合っているのだ。弱さは重要な要因である。というのも、それがマトリックスのリアリティを超えて「高いレベルで考える」ことができない根本にあるようだからだ。このような思考には、ある種の努力が大いに必要であり、そんなことはしたくないという人は多い。そんなことは面倒でやりたくないのだ。身体を使う膨大な量の仕事が平気な人でも、どんなワークが真に貴重か理解できないようである。何日も、何週間も、何か月でも延々と辞書を引き続けられるのに、魂の強さがもたらす、深いリアリティに入り込む能力は持っていないのだ。

犯罪者は、自分のやった事についての自己弁護や理由づけが驚くほどうまい。彼らはまた、他人の同情心や感情のトリガーに訴えることの名人でもある。彼らはまた、見たくなかったり認めたくないことを締め出す能力に間違いなく長けている。彼らは概して臆病だが、そこには一ひねりある:彼らが最も恐れるのは、自分が弱虫と見做されることなのだ。それで彼らは、あり得ないような誇大な強さとパワーを持った人格をでっち上げるのだ。

犯罪者はまた、自分が何と言われたかに過敏で、けなされたと受け取るや、それとは不釣り合いなほど怒り出すのだが、自分が残酷な事を言った相手に対しては全く無神経である。もちろん、誰かを利用できる時には、苦痛に耐えながら同情するふりをする。

ある犯罪学者によると、犯罪者の心は、多重的なブロック・メカニズム障害に罹っているという。つまり、シーズがSTSのリアリティに関して用いる言葉で言えば:ウィッシュフルシンキングである。犯罪者が彼ら自身や世界に対して抱いている観方と矛盾するようなものは、彼らには見えず聞こえない。文字通り、物事が違って見えるのだ。

さて、私たちが皆、程度の差こそあれ、このような状態にあるのは明らかである。そして、他ならぬこのウィッシュフルシンキングのせいで、私達はマトリックスの中に留まっているのだ。奇妙に思われるかも知れないが、犯罪者の心理を学ぶことは、エベネーザ・スクルージにクリスマスの亡霊たちがもたらしたのと同様の効果を、私たちにもたらす ― 私達が無視しているリアリティについての気付きが増すのである。

発達途上のヴァンパイアは、善行を積むことで、自らの内に育ちつつあるヴァンパイアの種を必死で隠そうとする。でもいいだろうか、これは意識的に行うのではない。この点、自己愛的な観方は実に強力で、鏡を覗き込んでも、魂の空虚さを見ることはできないのだ。そんなことになっては、全人格構造がメルトダウンしてしまうので、潜在意識の防衛メカニズムがそんなことはさせないのである。

発達途上のヴァンパイアは、真の問題に向き合い対処する、すなわち、内なる闇を自認することはない。間違いや嘘や他人を操作していることも認めない。心から済まなく思い、そのような人々のために遮二無二助けを求めなどしない。それよりはむしろ、他人が潜在意識の中で抱いている、彼らに関する疑念を出来る限りの手を使って消そうとするのである。その際の主な手段は、ヴァンパイアの魂の中の闇を他の誰かに投影しつつ、善行をすることだ。(※ホルト第4章の『ドリアン・グレイ』の場合、主人公であるヴァンパイア=DGを描いた自画像の中のDGの姿が、DGの心の闇を映し出した − DGが善行をすると、自画像は偽善者の顔になった。)

もちろん、それは単なる心理的な真の理由であって、神学的理由ではない。元型の力は目的を達成するために、このような振る舞いを利用する ― このような考え方を刺激する ― のだ。ヴァンパイアは心の中で、善行を積むことで心を悩ませる恐ろしい陰(シャドウ)を少しずつではあるが消すことができると自分に言い聞かせる。もちろんのこと、闇は「外側」にある。しかし、やがてこれは、「食生ピラミッド」の頂点に居るヴァンパイアの頭目が食餌の可能性を高めるため、および、現状に対するいかなる脅威も打破するための両方に使う道具となる。

ヴァンパイア伝説によれば、ヴァンパイアに対して無造作に鏡を突きつけてはならない。(※ホルト邦訳書、243ページ) 心理学からしても、ヴァンパイアの元型が活性化している人に対して鏡を突きつけるのは、良くて問題含みである。このような時に、この人には次の3つの選択肢が与えられる:
・悪行を否定し、さらには良心の呵責を否定して、さらに極悪非道なヴァンパイアになる
・悪行について深く反省し、人間的な成長を遂げる
・絶望に逃避する
犯罪心理学の見地からすると、このような人々が行う選択は3つのうちのどれかである:
・犯罪行為を続け、最終的にはかなりの確率で破滅する
・急激に変化する
・自殺してけりをつける
変化や成長を選択せず、魂の空虚さを認めることも選択しない人は、完全なヴァンパイアになることを正式に選択するのである。このような人には、真に人間的な慈悲を感じる能力がないのだが、ヴァンパイアとして生き残る上での脅威を除去するという目的を追求して、際限なしに行動を変えて行く。

このような人が、自分の本当の姿を面と向かって暴露されたからといって、殆どの場合、実体のない完璧さやセレブなステータスを諦めきれるものではない。彼らは偽の経歴や資格証明の中にでっち上げた、ナルシスチックな自己というプログラミングされた幻想や妄想から自分を解き放つことができない。彼らは自分が偽の自己であると信じなければならない。というのも、潜在意識の最も深い部分で、彼らは自分が全くの虚無であると感じているからだ。神学的リアリティにおいて、彼らが実現するのはまさしくそれである。この心理的プログラムにコントロールされる結果、彼らは自分のエネルギーを使って、この元型を顕現させるのだ。

マトリックスはこのような行動を助ける。このような人が生きている、幻想に満ちた、ウィッシュフルシンキング的リアリティは、実は彼らが光の戦士 ― 高次の霊的存在 ― であって、鏡に写って見える、彼らが嘘つきで不完全であるという恐ろしい真実 ― 証拠や証人によって裏付けられた真実 ― を破壊しなくてはならないという確信からできている。彼らは全エネルギーをふるって攻撃と破壊を行う;「奉仕」を約束してくれる永遠の光の中に彼らが住めるよう、闇を消すためだ。

自分の姿と空虚さを垣間見てしまい、この空虚さを他人に投影した、悪徳ヴァンパイアは生き残り、最終的に彼の存在を脅かすものを滅ぼすためには、「別の姿」を利用する必要があることを本能的に知っている。このような別の姿をする結果、当初は彼らの行動が変化したかのように見えるかも知れない。これもまたこのような人が心中に抱いている、善行によって「外なる」ヴァンパイアに勝てるという信念の顕われなのだ。彼は償いとなる善行の結果、救いが得られると信じて、他人に良くするのである。だが内心において彼は、自分が傷つけた人に恩恵を施していることを意識している。実際彼は、自分が人を傷つけた悪行を悔いたり、罪を認めることすらしないままに、その相手に良い事をするのは、単なる善行よりも遥かに良いと信じているのだ。

悪徳ヴァンパイアは、本当は軽蔑している慈善団体/運動に時間とエネルギーを費やすようになる。生き残れるチャンスが確実になると考えるからこそ彼は、密かに軽蔑している人々のために尽くし、なおさら愛想よくそうするのだ。このような深く本性を隠したヴァンパイアは、実際は密かに食い物にしている人々の庇護者らしく振る舞う。そして彼は、密かに冒涜している信念に自分は従っていると決まって宣言するが、最終的には彼が内心でこの考えを唱導などしていないことを行動でもって証明する。

ある人の闇が、1人で耐えるには大きすぎるようなケースでは、彼/彼女はそれをある1つの集団に対して投影する。やがて彼らは、自分たちが荷を下ろしたいと思う、似たような闇を持つ隣人や友人のグループを探しに行き、無法や不正の数々を、どんな集団に投影したいかについて合意する。(※「闇を投影される集団とは、貧しい人、同性愛者、難民など、いわゆる社会的弱者だ」ホルト邦訳書245ページ) この結果、彼らは闇を隠す必要が無い。というのも彼らは、一団となって投影という騒ぎを公然と行うからだ。彼らは自分たちが集合的に闇を投影した人々を破滅させることができ、その結果自分たちが集合的に清められ、共に新しく完璧になると信じている。唯一問題なのは:このような動学においては、個人的/集合的な闇はヴァンパイア的騒ぎの毒気の中で大きくなるだけであり、それが大きくなるに従って、彼らは自らを清めるために、さらに沢山投影を行わねばならなくなるということだ。彼らが気付いていないのは、この結果、彼らは自分の魂を徐々に殺しているということだ。というのも、自らの内なるヴァンパイアに食料を与える結果、ヴァンパイアの元型は一層強力に成長していくのだが、これは、超次元のヴァンパイアが犠牲者の魂を食べる様子の顕われであり、もって、神学的リアリティを表しているのだ。

既に述べた通り、これは漸進的なプロセスである。

詐欺師が恣に誰かを騙すとき、彼は自分の人間感情を切り離しておく − 区分するのだ。彼は本質的には、2人の人間なのかも知れない:妻や家族、友人にとっての人間が1人、犠牲者にとっての犯罪人が1人だ。あらゆる心理学研究から、もし彼がこの道を長く辿り続けるならば、ついには誰に対しても人間的でなくなることが分かっている。ジキル博士とハイド氏のように、STSの行動やウィッシュフルシンキングに耽るたび=それに抵抗せず、克服しないたびに、それは益々強力になって行く。その究極の目的は、必死になって他人を破滅させ、それによって自らを救おうとしているこうした人間を犠牲にし破滅させることなのだ。

これは、最も世俗的な意味でマナーを弁えず、品が無く、魂の高貴さを持たず、それを認識することも、それを持ち合わせていないと理解することもできないような人々として、私たちの現実世界に姿を現す。やがて彼らは魂には何の価値も無いのだから、魂を持たなくても人としての価値が低くなる訳ではないというウィッシュフルシンキングを公言することによって、魂を持たない事実を埋め合わせようとする。その上、自分が魂を持たないものだから、魂実在論を攻撃し、魂を持つ人々を攻撃せずには気が済まないのだ。

目先の問題に戻れば、フランクは善行を積むことで、より正確には、自殺するぞと始終大言を吐くことを始めとする、かつて彼が行っていた、他人のエネルギーを吸い取るような行動を抑えることで、内なる闇をとり除こうとした。彼は、少なくとも私に対しては、役立つような事を言ったり、寛大な言葉を使うようになった。でも彼は、グループの誰かに対して、身体を使って何かするほど長い間無気力を克服してはいなかった − できなかったのだろう。

だが、この時期で重要なのは、フランクが間違いなく投影のプロセスを始めたことだった。そして闇を投影される対象は様々だったが、実際には、グループのために/グループと共に、沢山のワークを行っていたテリー&ジャンとS**が特に狙われた。

私はどうかって?私は聡明ながらも無力な我が子に対して子煩悩すぎる母親同様、操作されやすかった。だが幸いにも、すぐに見るように、シーズはた易く操作できる相手ではなかったのだ。

(本章終わり)
posted by たカシー at 18:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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