2015年06月23日

ザ・ウェイブ33章: 第5〜7巻に対する序文

ザ・ウェイブ33章: 第5〜7巻に対する序文
https://cassiopaea.org/2011/11/15/the-wave-chapter-33-introduction/


見ることの練習

本シリーズもここに至って、再び方向転換する必要性がありそうだ。第5〜7巻(第33〜63章)は、2000年春に始まった元々の『ザ・ウェイブ』のネット連載時にはなかった。何が起こったかというと、『ザ・ウェイブ』を執筆公開した結果どうやら、ある方面で波風が立ったらしく、あまりに沢山のエソテリックなテーマについて、真相をあえて明かしたということで、私を破滅させようという計画が動きだしたらしい。だが、私はこれもネタにしようという訳だ。まずは、全体の背景について幾らかコメントしておく。

『ザ・ウェイブ』をここまで読んでこられた読者なら、私が言いたいのは、「何事も見かけ通りではないし、これまでも決してそうではなかった」ということなのだろう、という結論に達しておられよう。数多くの宗教然り、古来宣伝されてきた「アセンションの方法」然りである。

しかしこれらには「救済(探求者自身がどう呼ぼうとも)」の手掛かりを求める際の手引きとなるような、明確に規定された方法が欠けていた。私は本シリーズにおいて、自らの体験および、相当に調査研究を行った中から収集してきた成果をシェアすることで、この「方法」の提示に取り組んできた。それでも読者の中には、私達がこのリアリティにおいて直面する嘘やダマシなどばかり扱っている読み物にはうんざりで、何か希望に溢れた(uplifting)ものが読みたいという人もいる。窮地にはまり込んで抜け出せぬままでいるような人々の場合、「気分が高揚する(uplifted)」ような事など起こるとは思われない。真相はどうやら、私達の住んでいるここは、嘘に満ちた ― 嘘と盗みが支配する ― 世界なのであり、他にどうすることもできないが故に、人間も嘘をつくということである。「方法」が得られない人々の話であるが。

自力で探求し答えを求め、また、様々なソースとの交信を試し、得られた内容を繰り返し吟味した結果、何をしてはいけないかについては少しづつわかってきた。だが、何をなすべきかについては、多くの成果があったという訳ではなかった。

カシオペアンは、一定の筋道を示してくれたが、それをいかに適用すべきかについての知識と学びを得ることに関しては、いつも大体私達自身で努力することが求められた。まあ、それも理由あっての事なのは、読者もお分かりだろう。

それで私は『ザ・ウェイブ』を書き始めたのだが、これを書くという行為自体がこれほどまでに重要な学びをもたらしてくれるとは思っていなかった;この学びのお蔭で私には、全人類が直面している最重要問題が見えて来、詳細に述べることが可能になったのである。

このプロセスによって私が学んだ主な事の1つは、エソテリックな事の研究を行おうとする者は、未知の領域へとさまよい出る前、心を清め、それが完全に機能するように − とりわけ健康に − しておかなくてはならない、ということである。結局のところ、あなたの精神が日々の生活上の出来事にも効果的に対処出来ないような状態では、ガイドとなる確固たる目印やフィードバックメカニズムが殆どないような領域で研究を行う際、どうしてあなたの精神があなたを誤った道に導かないなどと信頼できようか?

エソテリックなワークのいずれにおいても、精神的な健康が最優先の仕事とされているのには驚いた。グルジェフの「自己想起」(ISOTM、浅井訳、465・476ページ)。ムラヴィエフの「内省」、カスタネダの「反復」はいずれもこれに関するものだ。

(※『「呪術師たちはこう信じている。」ドン・ファンがつづけた。「自分の人生を反復すると、ちりあくたが残らず表面へ浮かび上がって来るとな。

それによってわれわれは、自分が矛盾していることや、同じことばかり繰り返していることを悟る。しかしわれわれの中にある何かが反復に対して強い抵抗を示す。

呪術師に言わせると道を自由に通れるようになるのは、とてつもない大変動を経た後なのだそうだ。それにはまず、記憶の画面に恐ろしいまでに鮮明な細部でもってわれわれの根底をゆるがすような出来事が現れなければならない。それを生きた現実の瞬間へわれわれを引っ張っていくような出来事だ。

呪術師たちはその出来事を先導者と呼ぶ。なぜならその後でわれわれが触れるあらゆる出来事は、単に思い出されるのではなく、追体験されるからだ。」』(無限の本質/カルロス・カスタネダ/二見書房P187-188から引用) ※※)

確かに、カスタネダの本には、「呪術」や「エネルギーの反復」、あるいは「魂の結晶化」等々のような漠然とした話が出て来る。だが、自分の「機械」を知り、掃除して調整するという重要なワークを成し遂げるためのこれらの方法は、まことに実用的・科学的な現代の用語法でもって、具体的な例とテクニックと共に語られ得るものであり、この結果、機械はきちんと動くようになって、人はより興味深いエソテリックなワークに備えることができるのである。

カスタネダが定式化した「反復」は、グルジェフの「自己想起」のパクリだと思う。だが、グルジェフによる「自己想起」という概念も幾分漠然としている。ボリス・ムラヴィエフの記述の方が随分と実際的である:


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ホモサピエンスは、自分たちの素性について、また、自分たちの向かう方向性について忘れてしまうところまで、日々の暮らしに没頭している;だが、実感は無いながらも、死が一切を打ち切るのだと頭では知っている。

素晴らしい発見を成し遂げる知性を持つ科学者や、それらの発見を活用した技術者たちが、私達の人生の終りに関する探究を放置している事実をどう説明したらいいのだろうか?全てを試み、主張する科学が、それにもかかわらず、死について問うことで明らかになる謎には無関心である事実をどう説明したらいいだろうか?科学が、姉貴分の宗教と一致団結して、生という問題 ― これは死の問題でもある ― を解こうとせず、姉妹が実際には反目し合っている事実をどう説明したらいいだろうか?

ベッドの上で死のうが、惑星航路宇宙船の中で死のうが、人間の置かれる状況は少しも変わらないのだ。

幸福になっただろうって?だが、我々は幸福が続くのは幻想が続く限りにおいてだと教わらなかっただろうか。。。では、この幻想とは何だろうか?誰も知らないのだ。それでも我々は幻想に耽っている。

幻想の正体がわかりさえすれば、その対極にあるもの ― 真実 ― について知ることができよう。この真実こそが、我々を奴隷状態から自由にするのだ。

心理学上の現象同様に、幻想もまた、科学の最新の発見に基づいて、批判的に分析されてきたであろうか?そのようには思われない。だからと言って、人間が怠惰で探究を行ってこなかったと言うことはできない。情熱はあるのだ。。。だが、本質的な事を見失っている;探究の際に迂回してしまっているのだ。

その理由としてまず最初に思いつくのは、人間がモラルの進歩と技術の進歩とを混同しているために、科学の発達が危険な孤立状態のままであるということだ。

技術がもたらした輝かしい進歩も、人間の状況における本質的なものを変えては来なかったし、今後も変えることはないだろう。というのも、それは日常的な出来事の場でしか機能しないからである。それゆえ、技術は人間の精神生活には皮相的にしか触れない。だが、太古の昔から、本質的なものは人間の内面に見つかるのであって、外部にではないということが知られていた。。。

エソテリックな哲学はありのままの人間に関するものである:探究者は自らの研究対象なのだ。人間とは未知のものであるという声明が初めにあって、目標は自分たち自身を知ること ― ありのままの自分について、そして、自分が特定の状況下でどうなるかについて知ることなのである。
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ムラヴィエフ『グノーシス』第1巻


グルジェフは自分の方法論を持っていたが、既に述べたように、ムラヴィエフはこのような方法論について若干異なった書き方をしている。

ボリス・ムラヴィエフについて調べているとき偶然にも、ウィリアム・パトリック・パターソンの書いた『グルジェフを求めて <第四の道>をめぐる狂騒』(古川順弘訳、コスモス・ライブラリー)
http://homepage1.nifty.com/pdo/lefthandreview.htm
http://homepage1.nifty.com/pdo/TakingWiththeLeftHand3.htm
の中で、ムラヴィエフが徹底的にこき下ろされているのを見つけた。パターソンは、ムラヴィエフがグルジェフのアイディアを盗んだと非難している。パターソンは霊的発達に関して、高く賞賛されている4冊の著書を著わしている他、グルジェフが自らのワークをアメリカに普及させる活動の指導者として選んだジョン・ペントランドに長年師事していた。

グルジェフに馴染みの無い読者も居られようから、若干背景を説明しておこう。 1912年にモスクワと聖ペテルスブルクで初めて講演して以来、ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジェフはオカルティストや多くの西洋人貴族の注目を集めていた。彼の教説(しばしば「グルジェフのワーク」ないし「第4の道」と呼ばれる)は、彼の教え子だった有名なロシア人数学者/ジャーナリストのピョートル・デミアノヴィッチ・ウスペンスキーの著作や講演によって広く知られるようになったし、その後普及を行った弟子たちとして、以下を挙げることが出来る。すなわち、アルフレッド・オレイジ、ジョン・G・ベネット、ロドニー・コリン、モーリス・ニコル博士である。

グルジェフ自ら、広範なグループから「窃用した」教えを利用していることを認めていた。彼は世界旅行の結果これら(ヤズィーディー、ロシア正教、ヒンドゥークシ山脈やパミール高原地域のスーフィー教「ベクタシュ教団」・「ナクシュバンディー教団」が含まれる)に出会ったのだった。グルジェフのワークを深く研究するならば、彼がこれらの異なる教えから細々とした断片を拾い集めて、私達1人1人の身に染み付いた認知上の欠陥を克服して正気を取り戻し、ハイヤーセルフの「客観的意識」に目覚められるような体系を創り出そうと模索していたことは明らかであろう。

ある時期になって、グルジェフは自分が行っているのは到底不可能な仕事であることに気付いたようである。というのも、彼の弟子たちのほぼ全員が、自分が聞きたいと思う教えしか「聞いて」いなかったからである。彼は学院を閉鎖し、自分の考えを、『ベルゼバブが孫に語った物語』(1950年)中の寓話としてまとめることに専念するようになる。同書には彼自身が編み出したエソテリックなテーマも含まれていた。

グルジェフの信奉者の中には有名かつ裕福な者が幾人か居て、彼の教えを上流階級に広める手立てがあったため、彼の考えはこんにちの私達の文化に対して深い影響を及ぼしている。1949年にグルジェフが亡くなると、彼の遺産は多くの人々の間に散らばり、ワークの多くは沢山のグループによって断片的に継承された後、世俗的宗派の類の手に渡って行った。グルジェフのワーク ― 人類を救おうという真剣な試みだったろう ― に起こった最大の問題の1つは、個人崇拝としか言えないようなものがはびこり、彼の説から離れ、彼の考えだと見分けることが困難なものが生まれてくるに連れて、さらに分かりにくくなっていたことである。グルジェフ自身も死の間際にはこの問題を察知していたようだ。

グルジェフの教えの流れを汲むグループは、メンバーに対する再プログラミングを行う際に、あらゆる種類の事を利用することで知られてきた。この中には、隔離、グループシンク、権威主義的権力構造、その他、個人の自我を暴き、あるいは破壊することを狙った心理学的手法も含まれる。だがグルジェフの場合、弟子グループの1つとして、マスターの遺産の全貌を把握していると主張できないように思われる。というのは、グルジェフは奇妙にも、各グループ毎に語る内容を選んでいて、彼に最も近しかった人々でさえも、彼が伝えようとしていたことを、どう見ても誤解しているからである。それは晩年の彼が語っているところから証明される。

実のところ、人類を覚醒させようと試みた時点で、グルジェフは大変な困難に逢着したのだった。上に述べたように、それは土台無理な話(「ミッションインポッシブル)だったのだ。しかし、彼と信奉者達は嘘とディスインフォメーションのジャングルの中を掻き分けて進んだのだった。彼の信奉者達が、そんな小道が全てであって、あと他には何も無い、などと主張するのは妥当ではない。むしろ、道を広げて、道の終りにある扉を暴き、これを通り抜け、向こう側には何が在るのか発見することこそ理に適っているのだ。

ムラヴィエフには確かに問題があり、グルジェフとであれば、グルジェフの方を私は信頼するのだが、ムラヴィエフは古代のエソテリックな伝承を伝えることに貢献している。伝承について書いている限りは、ムラヴィエフは役に立つ。だが、彼自身の考えや解釈を加えだすと、無知を露呈し、自分で伝えた文書を理解し損なうのである。

カスタネダはこのような思想を借用して、独自のスピンをかけた上で、北米大陸南西部のシャーマニズムを背景に再構成したのであろうか。それとも本当に同地にシャーマニズムの痕跡を発見したのだろうか。作品が発表された時期、および、彼を個人的に知っている人と行った真相に迫る議論から、私は前者だろうと思う。

シーズに導かれた私たちのアプローチは、厳密にグルジェフとムラヴィエフの線に沿いつつ、アクセントとしてカスタネダを少々加味したものだ。グルジェフ、ムラヴィエフ、カスタネダはいずれも、人間は彼自身を、彼の「機械」を知り、それを観察し、内省、反復等々する必要があると語った。私達はここから論理的に一歩を進め、現代心理学の用語を活用した。これらの思想を検証するうち、人間心理の様々な側面に関して行われた研究がこれらの古代からの伝承をはっきり裏付けることが分かったのである。

グルジェフは<緩衝器(buffers)>および、その生成について語っている。カスタネダの反復が、緩衝器への対処手段なのは明らかだが、カスタネダの表現は、ここでもまたひどく不明瞭である。彼は何事も神秘めかすきらいがある。残念なことだ。この神秘さのゆえに、カスタネダのとりこになる人は多い。実にエソテリックな感じがいのだろうが、このような人々は単に、最優先で行わねばならない仕事とは、ごく基本的かつ実際的なやり方で自分の心理と向き合うことだという事実を受け入れたくないだけなのである。

グルジェフによる緩衝器の話を読んでみて欲しい。注意していただきたいが、彼が言っているのは、私たちが経験や家族的/社会的プログラミングによって子供のころから繰り返し叩き込まれた、数多くのプログラムや思考ループのことだ。これらのプログラムや思考ループは、カスタネダが「捕食者の心」と呼ぶものと同じである。


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(ISOTM、浅井訳、249ページ)
君たちはよく、非常に単純な考え方をする。自分はもう為すことができると思っているのだ。この確信をとり除くのは、人間にとっては何にもまして困難なことだ。君たちは自分の機械の複雑さをすべて理解しているわけではないし、またあらゆる努力は、望ましい結果だけでなく − もしそれが得られたとしても − 多くの予期しない、しかも多くの場合望ましくない結果をもたらす。君たちが忘れている最大のことは、君たちは真新しい機械を使って最初から始めているのではないということだ。君たちの背後には多年にわたる誤った愚かしい生活が横たわっているのだ。あらゆる弱さを大目に見、自分の過ちに目をつむり、あらゆる不快な真実を必死で避けようとし、自分自身に対し絶えずうそをつき、自己正当化し、他人を非難する等々。これらはみな機械に悪影響を与えずにはおかない。機械はよごれ、あちこちさびつき、ところによっては人工的な装置さえ形成されている。その装置は機械の誤った働き方が必然的に生みだしたものなのだ。

これらの人工的な装置は、いまや君たちのあらゆる善き意図の大きな妨げになっている。

それらは<緩衝器>と呼ばれている。

この言葉には特別な説明がいるだろう。列車の緩衝器がどんなものか知っているね。客車や貨車がぶつかりあうときのショックを小さくする装置だ。もし緩衝器がなかったら、1つの車両が別の車両へ与えるショックは非常に不快で危険なものになるだろう。緩衝器はこのショックを和らげ、気にならない、知覚できないくらいのものにする。

全く同様の装置が人間の内部にある。それは自然によってではなく、無意識的にとはいえ人間自身によってつくりだされたものだ。それができた原因は、人間内部の多くの矛盾 − 意見、感情、共感、言葉、動作などの矛盾にある。もし彼が生涯にわたって自己の内部のあらゆる矛盾を感じるとしたら、今そうしているように平静に生き、行動することはできないだろう。彼は絶え間ない摩擦と不安をもつことだろう。我々は、自分の人格の中の異なった<私>がいかに矛盾し敵対しあっているかを見逃している。もしこれらの矛盾をすべて感じたら、彼は自分が本当は何者であるかを感じることだろう。彼は自分が気が狂っていると感じるにちがいない。誰しも自分が気違いだと感じるのは気持ちのよいことではない。それ以上に、このような考えは人から自信を奪い、彼のエネルギーを弱め、<自尊心>を奪いとる。彼は何とかしてこの考えを消してしまわなければならない。矛盾をうち壊すか、矛盾を無視し、感じないようにしなければならないのだ。人間は矛盾を破壊することはできない。しかし、もし<緩衝器>が彼の内部につくられたら、矛盾を感じるのをやめることができ、相反した見解、矛盾した感情、言葉の衝突からくる衝撃などを感じないでもすむようになる。

<緩衝器>はゆっくりと、徐々につくりあげられる。<緩衝器>の多くは<教育>を通じて人工的につくられる。別の<緩衝器>はまわりの環境からの催眠的な影響のもとでつくられる。人は<緩衝器>を使って生き、話し、考え、感じる人々にとり囲まれているのだ。彼らの意見、動作、言葉をまねることによって、人は無意識のうちによく似た<緩衝器>を自分の内につくりあげる。<緩衝器>は人の生活を安楽にする。<緩衝器>なしで生きるのはとても辛いのだ。しかし<緩衝器>は人の内的発展を妨げる。なぜなら、それはショックを和らげるようにつくられているが、人を今生きている状態から連れ出す、つまり覚醒させうるのはショックだけだからだ。<緩衝器>は人をなだめて寝つかせ、何の問題も矛盾も存在しないから安心して眠ってもよいという快いやすらぎを与える。<緩衝器>とは、それを使えば常に自分は正しいと感じることのできるような装置なのだ。<緩衝器>は良心を感じないですむ手助けをするのだ。
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研究の結果、私達の世界では、ナルシズムとサイコパスの問題に対処することが、人々の中にある緩衝器すなわち、捕食者の心に対処する、最も明瞭かつ直接的な道であることが分かってきた。世界の人間の殆どはナルシストであり、私たちの殆どはナルシストによって育てられる。そして、この世界そのもの ― 社会、文化、科学、宗教 ― はサイコパスの影響を著しく被っており、こうした影響を受けるからこそ、潜在的には健康な人々がナルシストになるのだ。。。防御のための緩衝器なのである。

私達が育てられる世界がサイコパス/ナルシストの運営するものであるが故に、私達もまた緩衝器を育むことになる。この緩衝器が真の自己から私達を切り離し、私達の機械の負荷を高めて、稼働し続けるだけでも大量の魂エネルギーを使い果たすよう強いるのだ。

私達はこの問題に対して、実用的かつ実際的にアプローチするとしよう。人は精神的に健康になるまでは、何事も無し得ない。精神的に健康であるというのは、緩衝器を除去し、心を用いて、注意深く徹底的に機械を点検し、それを掃除し、配線し直し、そして何と言っても、再配線に役立つような新たな経験をすることを意味する。

もちろん、次には、どうして世界がこんな醜悪なものでなくてはならないかを理解する必要があり、その一環で行われるのが、サイコパスについての研究である。サイコパスの研究が有益であるのには、もう1つ立派な理由がある:サイコパスが人類史に残した大きな爪痕についてはっきりと理解するならば、あなた自身の心の構造の中にその影響の痕跡を見分ける上でサイコパスが役に立つのである。サイコパスとは風刺画のようなものであり、そのはっきり目立った特徴は、あなたの心の中にある何かにあなたが気付く上で役に立つ。あなたの心の暗部を誇張して描いた風刺画、それがサイコパスなのだ。

解析されねばならない、最も破滅的な、それ故、最も重要な関係とはおそらく、私達の社会に居る心理的に倒錯した変態との交流であろう。『ザ・ウェイブ』の執筆がトリガーとなった、過去数年間における経験(それを私は、第5〜7巻で述べようとしている)の結果、私達はこのテーマに関して大いに調査を行い、ロバート・D. ヘア 『診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち』(2000 早川書房)、マーサ スタウト 『良心をもたない人たち―25人に1人という恐怖』(2006 草思社、木村 博江訳)、ハーヴェイ・クレックレー 『正気の仮面』(※邦訳なし)、アンドリュー・ロバチェフスキー 『政治悪の科学』(※邦訳なし)等々の、不可欠な文献を見付けたのである。さらに調査するうち分かったのは、どれだけ多くの人々が、同じく人間種に属するとされる捕食者たちによって影響を受けているかということだった。この問題は蔓延しきっており、ロバート・ヘアやアンドリュー・ロバチェフスキーのような研究者たちが示したように、サイコパスが通常の良心ある人々に影響を及ぼす結果、悲劇は避けられないのである。人々の道徳的/論理的推論能力は麻痺し、歪められる。彼らは本質的に、自分たちを奴隷にしている当の連中になるのだ。このような動学を厳密に分析することによってのみ、私達は身を守れるのである。

「知識が守る」という考え方に不可欠と思われるコンセプトの1つが、エネルギーをセーブすることによってこそ、私たちはより高次レベルの意識を育み、それに目覚めることが可能になる、ということである。このような気付きを育むことこそが、私達を結び付け、ウェイブすなわち、大宇宙が変容する結果起こる卒業の資格を与えることになるのだ。

カシオペアンによれば、私達の第3密度の世界は、私達が第3密度のパラメーター内で知り得るものから成り立っているという。これが第3密度の気付きであり、これによって私たちは第3密度世界に縛りつけられているのだ。この気付きが成長するとき、私たちは高次レベルのリアリティと結びつくことができるのである。ドン・ファンは、私達人間が知り、言葉で述べ得る全てのものは、真に存在するもののほんの一部だと言う。そんな小島の上で、私たちは全人生を過ごすのである。

その向こうには何があるのだろうか?

カシオペアンによれば、それは超次元的存在の状態であり、部分的に物質的、部分的にエーテル的で、これらの要素のバランスが、第3密度(物質優位の世界)よりも遥かによく保たれているという。このような物質的な面は、ドン・ファンに言わせれば、捕食者によってコントロールされているのであり、物質的な存在である私達自身、捕食者の心によってコントロールされているのである。捕食者が連中の心を私達に与えるプロセスは、その後、『政治悪の科学』の中で科学的に「邪悪化」として述べられた(ponerization)。捕食者が、見た目は人間であるサイコパスというインターフェースを通じて、通常の人間に及ぼす影響のことである。

ドン・ファンの観方では、第3密度の境界の向こうにあるのは、言葉では理解できないが、十分なエネルギーを持つ者には見、経験することが可能な不可思議な神秘であるとされる。既知なるものと未知なるものとを統合することによって、自己の統合は成し遂げられる。人が統合のプロセスを始めるとき、彼らは世界のリアリティとは単なる知覚の問題なのだと気付き始めるのだ。そして、彼らがこれに気付き始めるときに生じる結果の1つこそ、知覚の変化なのである。

カシオペアンが明言したところによれば、私達は高次レベルに居る自己に奉仕する(STS)存在たちにとっての「食物」であり、連中は大抵の場合は、私たちのエネルギーを食べているのだが、時として、実際に私たちの肉体を食べるのである。ドン・ファンの指摘によれば、連中は思考をコントロールすることによって、私たちをこの鳥小屋の中に住まわせ続けるのだ。シーズも本質的に同じ事を言っている。グルジェフはこれについて、人間が機械であって「月の食べ物」であると言い、映画『マトリックス』も似たような考えを示して、マトリックスの基礎は「ルール」だと述べている。

私達の身体は、他のエネルギー場から絶えず影響を受けているエネルギー場である。他のエネルギー場とは、他の惑星や、私たちが日々の生活の中で接する他の人間のことで、あるものは物質的に目の前に存在し、あるものはエーテル的なエネルギーの心理的な糸によって繋がっているだけである。このような場の全ては私達に影響を与えており、私と他の人々との関係や交流について、私は数多くの質問をシーズに対して行ってきたが、このような相互に関連した場は、交流の性格次第で、私たちがエネルギーを「食べられる」手段にも、増加させる手段にもなるというのが彼らの答えだった。

ドン・ファンはカルロスに、私達が人生において出会う者たちと長年に亘ってやり取りする結果、この人々からもたらされるエネルギーのせいで、私たちのエネルギー場が消耗するのだと教える。同様にして、私達が他人のエネルギー場を歪めることもあり得るのだ。ドン・ファンは、このような歪んだエネルギーのせいで私たちは、闇の術中に陥ると言う。私達の日々の生活は、エネルギーを吸い尽くされることによって妨げられるからだ。カスタネダが言おうとしているのは容易に見て取れるように、このような歪みが、マトリックスすなわち捕食者が私たちのエネルギーを絶えず吸い取る、エネルギーのリンクを生み出すということだ。このような考えは、文学の世界で繰り返しテーマに取り上げられてきた。

「あたし達の生涯は、父なる神の電気の芝居の中の奇妙な幕間狂言に過ぎないのです」(岩波文庫版の井上・石田訳。なお、 http://becom-net.com/wise/yu-jin.oni-ru.shtml ※※)
と劇作家ユージン・オニールは書いた。発表当時、『奇妙な幕間狂言』はアメリカの他の演劇には及びもつかない程の成功をおさめた。出版された脚本はアメリカ全土でベストセラーとなり ― 演劇の脚本としては初 ―、オニールは本作品で自身3度目のピューリッツァー賞を受賞した。

1928年当時の評論家たちは、劇のヒロインであるニーナのセリフから採ったタイトルに沿った主張を表現しようとして心理学理論を用いた本書の試みを、素朴と評した。だが大衆にとってこれは、明らかに心の琴線に触れる作品であり、人間の心の底まで貫いてリアリティを把握しようとした本作品における実験的な試みは熱狂をもって迎えられた。

『奇妙な幕間狂言』は、人間の本性の様々な面を真剣に取り扱おうとしつつも、完全には掘り下げきれなかった作品と言えよう。これは、人間の欲動や動機を理解する新たな手法の下地を作ろうという試みだった。オニールはこの前の作品である『偉大なる神ブラウン』では仮面(マスク)を使用していた。『仮面覚書』
http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0006463708
の中で、彼は仮面の使用について、以下のように述べている。「ある形式の劇、特に新しい現代劇、今のところ幾つかの手探りの作品の中で微かに暗示されているだけではあるが、将来必ず書かれるに違いない劇にとって仮面は必要である。というのも、仮面の使用が、現代劇作家が抱える問題の最も自由な解決策になることが最終的に判明するだろうという確信を私が益々明確に抱いているからである。心理学の探究が我々に暴き続ける心の奥底に隠された葛藤を、最も可能な演劇上の明瞭さと手段の経済性を充しながら、いかに劇作家が表現出来るかという問題である。。。包括的な表現が今要求されている。説得力ある表現、男達や女達の動作や反応を引き起こす内なる力についての新鮮な洞察から浮かび上がって来た新しい形式のドラマ(言葉を換えれば、新しく、より真にせまった描写)、魂のドラマ、「自由意志」の冒険が要求されている。そしてそれは「自由意志」を支配しその運命をなす仮面によって可能になるのだ。というのも、仮面の研究、仮面の取外しの実行を除いて、何が本当に人間の原因と結果への新しい心理学的洞察と言えるのか。。。」(※玉井訳)

第5〜7巻で私が明かそうとしている事実関係、すなわち、チャネリングの実行とその上で欠かせぬ人間関係の動学に関する、水面下の一連の景色の中には、オニールが十分に描き出せなかった『奇妙な幕間狂言』のアイディアがこだましている。この3巻シリーズ(※元々のシリーズ名は『カシオペアンとの冒険』)
http://www.cassiopaea.com/cassiopaea/adventureindex.htm
で読者は、純粋に心理的なものと、神秘的かつ抽象的なものとの間に存在する緊張が描かれていることに気付かれよう。鋭い読者なら、神学的な傾きのある魂のドラマだと感じられよう。この意味では、人が被っている仮面とは、高次レベルの存在によるドラマのほんの上っ面であり、心理的なレイヤーも単に当座だけ、その下にあるものだということが分かる。願わくば読者が、首尾よく、さらに深い部分を見抜かれ、カシオペアンが私達に対して/私達を通して伝えようとしてきた、私達の生きているマトリックス的リアリティの本質を発見されんことを。

実は、映画『マトリックス』は、オニールの『奇妙な幕間狂言』の到達点を超えた次の段階にある。それはまた、私たちが生きてきたドラマ、今生きているドラマの優れた比喩でもある。そして、他の人々もこのドラマを生きているのだが、往々にして彼らはこれに気付いていない。私達がここで述べる予定の体験、すなわち、リアリティという物質的シンボルの仮面を超えて、心理的な基板へだけでなく、より深い魂の神学的ドラマまで見通すという意味での「見えざるものを見ること」の学びが、私達の生きているマトリックス的リアリティを皆さんが航海する上で役に立つよう願う。

読者に海図を提供するのに加えて、私は読者に反復の実践についてもまた明かすことになろう。ドン・ファンによると、反復とは、他人の自我(エゴ)、寄生体やそれらが押し付けてきた思い込み・観念のパターンを思い出し、復習し、解放した後、このような魂のドラマの光景の中に、自分が置き忘れてきてしまったエネルギーを、吸う息を通して回収していくエクササイズである。それは、人から、思い込みや先入観をとり除く。それは固定されたエネルギーを解き放ち、バランスを取り戻させる。この反復に関して、いわゆるトルテック族の教えでははっきり述べられていない重要な点があるように思われる。すなわち、知識を向上させることで気付きを高めれば、人は違った行動を選ぶよう意志を働かせることができるようになる、ということである;私達と、エネルギーを吸い取る連中とのつながりを断つことができるのだ。

人生とは学びである。極めて簡単な事だ。私達は私達の人間関係における隠された動学を見るよう学ぶことで、授業に「合格」できる。このような動学が理解できれば、破滅的で感情を枯渇させるような人間関係に終止符を打つ術が学べる。もしカシオペアンがウェイブに関して言ったことが正しければ、このような簡単なカルマについての理解を学びさえすれば、第3学年の学びを修了できるのだ。それ故、反復のプロセスとは、非常に重要なものである。過去の過ちについて理解することで、私達は現在にその教訓を活かすことができ、将来に向けて自らを守ることができるのだ。私たちは真の意味でグルジェフの言う「自己想起」を行うことができ、どんな目的を立てようと、その達成のために「今この時」を活かせるのである。

カルロス・カスタネダによる、「戦士」と「呪術師」についての教えの説くところによれば、人が真に自由になるための唯一の選択肢は、全ての繋がりを断ち、自らを心理的に孤立させ、場合によっては物質的にも自給自足するということのようである。だが、彼はもう1つの選択肢に気付いていなかったようだ。一方シーズは、もう1つの道があると言う:STO陣営に与するようなネットワーキングである。

シーズ、ドン・ファン、グルジェフの教えに隠されたカギは、人間の本性は確かに遺伝子によって規定されているかも知れないが、それは学びによって、ある程度は変えられるということである。私たちは、おそらくちょっと立ち止まって、どうしてそんなことが可能なのか考えてみるべきだろう。

ナマコはかなり簡単な造りの生き物である。彼らは住む場所を移動したり、コミュニケートしたり、飛んだり、考えたりすることができない。彼/彼女は食べてセックスするだけの人生を送る。まあそんなところなのだ。だが、速い水流がえらに当たると、彼らはえらを引っ込めるのである。もし水流が繰り返しえらに当たると、彼らは徐々に引っ込めるのをやめる。ナマコは今や間違った警報と認められるものに対する反応を止めるのである。慣れるのだ。これは学びである。多分代数と言える程のものではないかも知れないが、それでも学びには違いない。

ナマコのえらに水を吹きかける前に電気ショックを与えると、彼は普通よりも早くえらを引っ込めるのを学ぶ。敏感になるのだ。水を優しく吹きかけるだけでえらを引っ込めるように条件づけることも可能である。電気ショックを同時に与えるのだ。そうすると、優しく水を吹きかけるだけで、行動が刺激される。連想的学習というものだ。

要するに:ナマコは脳を使わないのである。変化は腹部の神経節で起こっている。ナマコはかなり大きくてシンプルなニューロンコンプレックスを持っているため研究し易く、科学者は、彼らの学習プロセスで起こっていることを特定することが可能である。電気的な神経信号がシナプスに届くと、それは化学的な信号に置き換えられねばならない。恰も、列車の乗客が、海峡の向こうにある別の列車に乗り換えるには、まずフェリーに乗らねばならないようなものだ。学習の結果どうやら、シナプスの属性に変化が起こるらしい。シナプスは弱められることも、強化されることもあるのだが、分子単位で処理を行う、このセンターは「cAMP(cyclic AMP, 環状アデノシン一リン酸)」と呼ばれる。

一連の化学反応が起こって、CREB1(cAMP responsive element binding protein)と呼ばれるタンパク質が活性化する。CREB1の活性化がみられない動物は、学習することはできるが、記憶することはできない。これはなぜかと言うと、CREB1は活性化すると遺伝子を発現させ始めるからである。発現する遺伝子はCRE遺伝子と呼ばれ、遺伝子の発現は、CREB1と「標的配列CRE(cAMP responsive element)」との結合によって起こる。ヒトCREB1遺伝子は第2染色体上に位置するが、重要な遺伝子が第16染色体上にも1つ見つかっている。今ではさらに第21染色体にも関係する遺伝子があるらしいことが分かっている。

ショウジョウバエの場合、このcAMP系は脳の「キノコ体」と呼ばれる部分で特に活性化するようだ。それはキノコ形をした神経細胞(ニューロン)の突起である。脳にキノコ体を持たないハエは一般的に学習ができない。CREB1とcAMPは、キノコ体の中で機能するのである。(さて、古代人がキノコのイメージを残していることを考えてみたまえ!ミケーネとはキノコの生える地という意味だ。もちろん、オカルティストなら、古代人が煎じて飲んでいたのはベニテングダケだと言うだろうが、本当にそうなのだろうか?)

脳の底部深くには海馬(タツノオトシゴを意味するギリシャ語!)という構造体があり、その一部は、エジプトの太陽神「アモン神の角」あるいは「羊の角」と呼ばれる。アモン神の角の中には、膨大な数の錐体ニューロンがあって、それが他の感覚ニューロンからのインプットを集めている。錐体ニューロンは発火しにくいのだが、同時に別々のインプットが届いたときには、複合効果によって発火する。一度発火すると、ずっと発火しやすくなるのだが、それは、元々このニューロンを発火させた2つのインプットのいずれかによってのみであり、別のインプットではそうはいかない。だから例えば、ピラミッドの光景とエジプトという言葉が合わさると、錐体ニューロンの細胞が発火して連想記憶が造られる。つまり時間的に同時に起きた事については、連想的学習が「可能」なのだ。

海馬とその周辺には長期記憶を生み出すメカニズムがある。その周辺の細胞は新たに形成された長期記憶を新皮質内に移すのだ。海馬が小さい人でも、手続記憶は持てる。すなわち、読み書きや、文章を図解すること、英語や英文学を教えること、儀式を行ったり、あらゆる種類のデータを集めること、さらには、目の肥えていない観察者が簡単に騙される程度に学者をまねることだってできるのだ。だがもし、脳のこの部位に障害や遺伝子異常があると、そのような人は真に創造的あるいは新規の事を思いつく能力を持たないことになろう。

つまり、そのような人は、純粋な思惟の領域で原理を抽出し、他の状況に適用することが必要とされるような場合、経験から学ぶことはできないし、しないということだ。グルジェフが述べたように、偉大な文学作品も全く機械的に書かれ得るのである。

こうなるともちろん疑問なのは、STSの問題の一部は海馬に関係があるのだろうかということだ。というのも、このような人々に応対する際に気付く重要な手掛かりの1つが語義失語だと思われ、サイコパスはどのような行動が長期的に自滅的となるのか、経験から学ぶのが著しく不得手だからだ。だが、これは先走り過ぎたようだ。

反復の話に戻ろう。どうやらこれは、正しく行うならば、「ハンマーで叩いて考え」、連想を行うプロセスのようである。反復は気付きを高める道具となりうるのだ。ドン・ファンによれば、反復は自らの経験を振り返って、追体験することだという。可能な限り、些細なあらゆる細部まで思い出そうとしなくてはならないのだ。これをグループで行えば、本質的にはパウロの言う「罪を告白し合う」ことになるし、グルジェフが第4の道は「キリスト密教」だと言ったことに留意すべきである。
(※ヤコブの手紙/ 05章 16節
だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。※※)
シーズは、「ネットワーキング」し、「感情を言葉で吐き出しなさい」と言っている。この結果どうやら、反復は気付きを高め、私達は、実際的なやり方で現在の気付きを適用できるようになり、よって、自らのエネルギーを再生し、日々の生活の中で出会う人々や状況とのやり取りにおいて、誰/何とつながり、結び付きを持つかの選択をより良く行えるようになるようなのだ。

反復の効用は、私たちが原理を発見することらしい。私達は現実世界の出来事を見つめ、心理的な、その「真の」理由を考えて、それを神学的な理由に結びつけるのである。つまり、私たちは1つの問題に取り組んで同時に沢山のインプットを行うことで、海馬の中の錐体ニューロン細胞を発火させているのだ。その結果、この情報は新皮質へと送られるのだが、新皮質にはもっと多くのシナプスがあって、より思考能力が高いから、正のフィードバックループが出来上がるのである。

ドン・ファンによれば、ある出来事を反復するにはまず、心の中で、反復しようとするものに関する全情報を整理するところから始めるのである。整理するというのはつまり、出来事を少しずつ再構成することであり、まずは周囲の物理的状況に関する詳細な情報を思い出し、それから、やり取りをした相手を思い出して、その後、自己の抱いた感情の検討へと進むのである。これは非常に重要であり、読者はグルジェフの自己想起に似ていると思われるだろうし、海馬に複数のインプットを行う際の連想的特性をも看取されよう。

ドン・ファンの教えでは、反復を行う際には、深呼吸を行って、ゆっくり頭を前後に動かすようにとのことだが、私達がここで行う反復のフォームにはネットワークすることが含まれるので、私達はネットワークを作り、プロセスを解明しながら進めて行きたい。

概して、私たちのリアリティは反復を阻むものだ。社会が教えるのは、「そんなことは水に流し」て、「愛想よく振る舞い」、厳密に第3密度の観点で考えろ、ということだ。これはプログラムであり、私達の殆どが何年もの間、苦難に遭うのはこういう訳なのだ:素敵でもないのに、私たちは「愛想よく振る舞おう」とするのである。

見るのを止めるように、考えるのを止めるように、調べるのを止めるように、そして、このようにして得た知覚に基づいての選択などは絶対にしないようにと、私達は何とた易く説得されてしまうことか。「私ってゴシップ好き?」と考えさせて、人間関係について事後分析しないよう私達がプログラミングされていることは既に述べた。現在進行中の交流について語り、手掛かりを見出すのは、「良くない」ことであり、「裏の顔を持つ」ことになるからやめるよう言われる。何百通りもの方法で、私達は他人との交流を検討しないよう、特に相対立する考え方を同時に抱かないようプログラミングされているのだ。

不断に自分の経験を理解しようとする人は、自分の意見を変えやすいと言って非難される。誰だって、当てにならないとか気紛れだとか言って非難されたくは絶対ない。こうして、「道徳的とみせかけた不道徳」が武器に使われて、私たちは食い物にされ続けるのである。

これは最も重要なことだが、マトリックス、捕食者すなわち、第4密度STSのコントローラーどもは、私達が反復を行って悟った内容によって、私達に人生の差配を行わせたくないのである。連中は、私たちに「プログラミングを見分け」させたくないし、その実行を拒ませたくない。私達がエネルギーを吸い取られている些細な手掛かりを見つけて、エネルギーの吸い取り口である、連中の意のままに動く人々と付き合うのを止められては困るのだ。連中にはそれが必要なのである。

誰かの本性が、実際には当人が考えているのと違うと分かっても、本当は構わないのである。経験から、あるいは反復の結果からして、生き方を変える可能性がまずなく、そんなこと考えるだけ無駄だと分かる人とは付き合いを続けるべきではないと決心しても、本当は構わないのである。自分たちは限られた情報に基づいて評価し、選択を行っていたのであり、今や、より深くより正確な情報がそれに取って代わったのだと認めても、本当は構わないのである。自分たちは、本当は望んでいないような選択を、1つまた1つと行うようにゆっくりと操作されていたと気付き、これからはもうこれ以上操作されたくないと決心しても、本当は構わないのである。

私達は、心が変わる頻度に応じて考え直しても、本当は構わないのである。私達がオープンな心を持ち、宇宙の無限の可能性に同調していれば、これはかなり頻繁に起こりうるのだ。

私がこの『アドベンチャーシリーズ』で述べようとしている一連の事件が続いている最中、私は1人のメル友からメールを受け取った。メールで彼は、ある人物の醜悪さを述べ、この人物こそが彼の人生におけるサイキックバンパイア(PV)であることに最近気付いたと言っていた。彼は、彼とPV、加えてあと2人の人物が会したミーティングについて述べている。2人のうち1人は、作家兼映画プロデューサーであり、「聖なる幾何学」および神秘主義全般のエキスパートだった。メル友は、この有名な人物が、10分かそこら議論しただけで中座する様子を述べている。数日後、この作家はメル友に電話してきて、「あの〇〇(=VPのこと)は何とも実におかしなヤツだ。〇〇とのやり取りが仕事の一部である限り、キミ(=メル友)と一緒には働きたくない」と言ったのである。

メル友が言うには、メル友がこの警告を無視した理由はただ1つである。すなわち、「私は約束を守る男だ。私は約束したんだ」ということだ。その後彼は、何年もの間操作され、エネルギーを吸い取られ、カネをまきあげられ、評判を失い、ついにはこのPVに裏切られる羽目になった。実は、私達に取り憑いたのも、すぐ後で述べることになる同じPVなのだ。

つまり、彼は警告を受けていたのだ。彼の本能も警告していた。というのも、このPVとのコラボは心が休まらなかったと彼は白状しているからだ。だがそれ以外にも、この作家は彼にはっきりこう言っていたという。「彼と付き合っている限り、キミとは付き合えない」と。そして、こう言った作家が、人間のエネルギーについて、そしてそれがどうやって吸い取られるか、また、そんなPVをどうやって見分け、交流を拒んだらいいか、その術を知っていたのは明らかである。これこそ私達が死に物狂いで学ぶ必要がある極意だ。

メル友は何と言っていただろうか?「私は約束を守る男だ。私は約束したんだ」 これは何だろうか?これが「道徳的とみせかけた不道徳」のプログラミングなのである。メル友に施されたプログラミングは、「道徳的」と考えることが実はそうではないというものである。騙されて結ばされた約束を守らねばならないなどと、どうして考えるのだろうか?A氏がB氏(あなた)に「BはAを文無し呼ばわりしたら、金を払うこと」という約束をさせたとする。その後Bは、Aが百万長者の守銭奴であることを知る。それでもあなたBは、Aに金を払うだろうか?ここで細かいながら、ある事に気付くのだ。イエスが一切誓いを立ててはならないと言った本当の理由はこれなのではないだろうか。というのも、いつだって新情報が出てきて、私達の観方、リアリティ、人生は変わるものだからだ。
(※マタイによる福音書5章33〜37節
「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。天にかけて誓ってはならない。そこは神の玉座である。地にかけて誓ってはならない。そこは神の足台である。エルサレムにかけて誓ってはならない。そこは大王の都である。また、あなたの頭にかけて誓ってはならない。髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くもできないからである。あなたがたは、「然り、然り」「否、否」と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである」※※)
私達は常々、いつだって自由に方向を変えるべきである。船長が、風や潮流のような様々な外的影響に基づいて、進行方向を絶えず修正するのと同じである。

人生は浪あり、風あり、そして幾らかカオス的である。進行方向の状況を調べて、常に注意していなければ、ついには遠くコースを外れて、決して目的地にたどり着けないだろう。

本書(5・6合巻)は、殆どが反復の記述で占められている。反復とは力を働かせる成果である。だが、それは私だけの反復ではない;ずっと大きなグループと魂の動学による反復である。これは、他のリアリティへの扉を開くワークだった。というのも、これを進めるうち、私は自分がどうしてあんなことをしたのか、どう感じていたのか、他の人たちの振る舞いや反応はどうだったかについてできるだけ正確に思い出そうとして、交信録の中を探るようになったのだが ― 交信録は私の私生活や思索を綴った、殆ど日記みたいなものだからだ ―、以前は完全には辻褄が合わないように思われたシーズ文書の多くについて、今や驚くほど意味が通るようになってきたことに気付いたからである。

また私には他の事も見えてきた:どのケースでも私は何かを言うのをためらっていた。それはまさに上に述べた理由からだった。それは、ルールに従うため、あるいは、好意から、あるいは、「疑わしきは罰せず」、あるいは、「反対の頬をも向ける」、あるいは、愛想よく振る舞うためだった。シーズがかつて指摘したように、プログラムの正体に気付きながら、それがいずれ別のものにならないかと期待するのは、ウィッシュフルシンキングである。そして、ウィッシュフルシンキングこそが、自己への奉仕の本質なのだ。

これから明かすことになる攻撃の多くが行われていた時、私達はそれについては書かず、シェアせず、内密にしておこうとした。それは彼らに、私達と仲直りできる他の何かを行うチャンスを沢山与えるためだった。私達としては、彼らが目覚めてくれないか期待していた。私達が彼らに敵対している訳ではなく、彼らの生活に干渉したくない、彼らとは何ら関わり合いたくないという選択肢も含めた選択権を私達が持って居ることを理解してくれないかと、いつだって期待していたのである。私達の方ではお互いのエネルギーが明らかに同調していないと分かっていた。だから、「別々の道を行きましょう」と言いたかったのだ。それを彼らに理解して欲しかったのである。プロセスの段階毎に、私達は彼らがこのことに気付いてくれるのを待ち、そうなるよう願った。だがどうやら、そのような事は、プライドの高い彼らには決して起こらないようだ。このような人たちはプライドを傷付けられると激怒するのである。彼らは義憤に駆られながら「僕と関わり合いになりたくないなんて敢えて言うヤツが居るもんか」と独り言をいうのだ;「リアルであれバーチャルであれ、僕の居るスペースで権利を敢えて主張するヤツは居ないさ」;「僕に恥をかかせるようなことを敢えてするヤツなんて居ないんだ」

だがやがて彼らは舞台から退出してしまい、恥をさらすのである。

こうして辿り着いた、これは重要な問題である:私達のエネルギー場が、ある人のそれとは合わず、エネルギーを吸い取られていることが分かった場合、私達には、別離を選ぶ権利があるのだ。権利があるというだけではない。もし本当に高次の知識を求めるのなら、そうすることが不可欠なのである。

先にドン・ファンの言葉から引用したように、反復とは、他人の自我(エゴ)、寄生体やそれらが押し付けてきた思い込み・観念のパターンを思い出し、復習し、解放した後、このような魂のドラマの光景の中に、自分が置き忘れてきてしまったエネルギーを、吸う息を通して回収していくエクササイズである。という訳で、私達がこれから述べようとしているのは、私たちと、ドン・ファンが「小暴君」と呼ぶ者たちとの一連の出会いである。だがその前に、カスタネダの『内からの炎(意識への回帰)』に述べられている、ドン・ファンと、彼が出会った小暴君との物語を紹介したいと思う。これは気付きとエネルギーの保全に関する、深くて重要な原理についての、愉快で滑稽な説明であり、読者には、同書のこの章を通読されることをお勧めする。これを読むたび私は、私達がここで論じているまさにその状況が実にユーモラスに描かれていて、小暴君が気も狂わんばかりにカルロスたちをいらだたせる様子に、はしゃいで笑ってしまうのだ。ドン・ファンは、「小暴君にめぐり会う戦士は幸運だ。。。自分の道を歩いていて出会えなければ、こっちから探しに行かねばならんのだからな」と言う。その目的はもちろん、もし、「小暴君と向かい合ったときに自分というものを守ることができれば、未知のものにも無事に向き合えるし、不可知の存在にも耐えることができる」からだ。つまり、人生で出会った小暴君たちには大感謝なのだ。彼らのお蔭で得られた克己心を育む反復のプロセスこそが、他者への奉仕の実際的な達成目標なのだろうと大いに希望が持てるからである。

カスタネダの小暴君に関する章(真崎訳23〜42ページ)は、ドン・ファンがカルロス・カスタネダに向かって、「腰かけて話す」ために「散歩に行こう」と言うところから始まる。これまたドン・ファンの弟子であるラ・ゴルダが、ドン・ファンとカルロスが2人だけで話したいと言っているのを小耳に挟み、彼らが彼女の陰口を言うのだろうと邪推する。ドン・ファンは「そのとおりだ」と答え、カルロスと話すために歩きだす。

2人だけになると、ドン・ファンはカルロスに言う。「ああ答えたのは、とほうもない自尊心をかきたてるためだ。うまくいったな。わしらをひどく怒っていたから。わしが思っているとおりのラ・ゴルダなら、いまごろは自信を取り戻して、断られて恥をかかされたことをひどく怒ってるだろうよ。いまここへ押しかけてきても、わしは驚かんね」 彼は詳しく説明した。「自尊心は、わしらの最大の敵なんだ。そこのところを考えろ − わしらを弱くするのは、仲間のやることや悪事に侮辱されたと感じることだ。自尊心というやつは、わしらが人生の大半を誰かに侮辱されてすごすことを要求してくる」

カルロスが、「自尊心を消すようにという教えは原罪の邪悪さについてのカソリックの教えを思わせる」と言うと、ドン・ファンはこう答えた。「戦士が自尊心と闘うのは、原則の問題としてではなく戦略の問題としてなんだ。おまえはわしの話をモラルの問題として理解するというまちがいを犯しているんだよ。。。おまえはわしのモラルが高いと言うが、それはわしの完璧さを見ているだけだ。わしが完璧だというのは、エネルギーの使い方が適切であるという以外の何ものでもない。戦士の変更すべき項目一覧表に含まれているのは、戦士の生存と幸福にとって本質的なものとはいえない行動のパターンだけなのだ。戦士の戦略の一覧表の中で、自尊心は大量のエネルギーを消費するものなので、戦士はなくそうと努力するんだ。戦士がまず最初に気にかけることのひとつは、未知のものに向かい合うためにそのエネルギーを解き放つことだ」

エネルギーの流れる道を切り開きなおす行動は、他と影響しあう6つの要素から成っていて、そのうちの5つは「戦士としての特質」と呼ばれている − 管理(コントロール)、訓練、忍耐、タイミング、意志である。これらは自尊心をなくそうとする戦士の内心における闘いに関連しているが、第6の要素は外の世界に関連するもので、小暴君と呼ばれる。「小暴君とは他の戦士を苦しめる者さ。他の戦士に対する生死の力をもっているか、他の戦士を気も狂わんばかりにいらだたせる、そういう者だ」。「新しい見る者たち」が小暴君を分類するに当たって、それの重大さにそぐわないユーモアを発揮したのは、やっかいな分類をする人間の意識に対抗できるのが、ユーモアだけだからだとコメントした上で、ドン・ファンはカルロスに言った:


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(邦訳書29ページ)
新しい見る者たちは、その実践のとおり、自分たちの分類に宇宙で唯一の支配者たる根源的なエネルギー源を冠し、暴君と呼んだ。そして、そのカテゴリーの下に、さまざまな専制君主が配される。あらゆるものの根源と比較して、もっとも恐ろしく暴君的な者は道化である。したがって、彼らは小暴君と分類される。

ドン・ファンによると、その下に2つの小区分がある。ひとつは、他を苦しめ、不幸を与えはするが死にいたらしめることはない小暴君で、小さな小暴君と呼ばれる。もうひとつは、終始他をいらだたせるだけの小暴君で、ザコ小暴君、あるいはケシツブ小暴君と呼ばれる。。。

彼は、小さな小暴君はさらに4つのカテゴリーに分けられる、といい加えた。第1は、乱暴と暴力で痛めつける者。第2は、まわりくどいやり方で耐えられないような不安をつくりだして痛めつける者。第3は、悲しみで重圧感を与える者。第4は、戦士を激怒させて痛めつける者。。。

「わしの師はいつも、小暴君にめぐり会う戦士は幸運だといっていたよ。自分の道を歩いていて出会えなければ、こっちから探しに行かねばならんのだからな」

征服された見る者たちがなしえたことでもっとも偉大なもののひとつに、ドン・ファンいうところの3段階進行の確立がある、彼はこう説明した。人間の本性を理解することによって、彼らは議論の余地のない結論に達することができた。それは、小暴君と向かい合ったときに自分というものを守ることができれば、未知のものにも無事に向き合えるし、不可知の存在にも耐えることができるのだ。

「ふつうの人間は、それは順序が逆だと思うだろう」彼は説明をつづけた。「つまり、未知のものに向き合ったときに自分が守れる見る者が、小暴君にも向かい合えると考えるだろうということだ。だがそうじゃないんだ。古代の優秀な見る者を破滅させたのは、この逆の考え方なんだ。いまのわしらにはよくわかっている。力をもった並外れた人間を相手にする難行くらい、戦士の精神を強くするものはないということがな。そういう状態でこそ、戦士は不可知のものの重圧に耐えるだけの平静さと落ち着きが得られるんだ。
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スペイン人の征服者たちを相手にした見る者には、以後、立ち向かえないものなどなにもなかった。その後はせいぜいザコ小暴君の時代が続いたが、幸いにもドン・ファンは「大きなやつ」を見つけたのだった。だが、そのころのドン・ファンには、自分が幸運だなどとは思えなかった。そしてドン・ファンはカルロスに、自分の出会った小暴君の話を始めた。20歳そこそこだったドン・ファンは、実質的には奴隷として売られたようなものだったが、金持ち一家の土地で稼ぎのいい仕事にありつけたと思っていた。彼が働くことになった農場の親方は、彼が家族の居ない、「その日暮らしの無学なインディアン」だと聞いて、これは完璧な奉公人だと思った!農場に着いた直後に、ドン・ファンは「すぐに逃げ出さねば」と悟ったのだが、レヴォルヴァを身体に押し付けられて脅されたため、最初に試みた逃亡は諦めねばならなかった。彼は3週間の間重労働にこき使われ、そのあいだ親方はずっといばりちらし、様々な武器でドン・ファンを脅した。

親方と、ドン・ファンが前に働いていた砂糖工場の工場長がグルになっていて、工場で働くインンディアンたちを騙して死ぬまで働かせるのだと気付いたドン・ファンは、怒りが頂点に達し、大声をあげて台所を抜け、玄関のドアから外へ逃げ出した。しかし、親方の足は速く、ドン・ファンは通りで追いつかれて胸を撃たれてしまった。親方は、そのまま家へ戻って行った。幸いにもドン・ファンの師が通りかかって彼を見つけ、元気になるまで世話をやいてくれたのだ。この時の事を、ドン・ファンはカスタネダにこう語った。「ことのしだいを話すと、師匠は興奮を隠しきれないようすだったよ。『その男は、貴重な存在なんだぞ』というんだ。『その男は大切にしなければいかん。いずれ、おまえはその家へ戻らなければならん』とな。そして、大声で、百万人にひとりいるかいないかという無限の力をもった小暴君に出会う幸運に恵まれたんだ、とわめいていたよ。わしは、この老人は気狂いだ、と思った。師のいうことをちゃんと理解するまでには、何年もかかったんだ」 ドン・ファンはカルロスに、その家には3年後に戻ったと語った。「師が、管理、訓練、忍耐、タイミングという、戦士の4つの特質を使って戦略を練ってくれたんだよ」

ドン・ファンの師は、鬼のような人間との出会いから何を得なければならないかを教え、新しい見る者たちが知の道の4つの段階をどうとらえていたかを話した。第1段階は、弟子になる決心だ。弟子になって自分自身や世界に対する見方が変わると、第2段階へ進んで戦士になる。これはすなわち、最高度の鍛練と自分自身の管理ができるということだ。忍耐とタイミングを身につけたあとの第3段階は、知者になることだ。知者が見ることを学ぶと第4段階へ進み、見る者になる。

小暴君の重要性を説きつつ、ドン・ファンはカルロスにこう言った。「小暴君を利用するのは、戦士の精神を完璧にするためだけじゃなくて、楽しみと幸せのためでもあるんだよ」 実際、ドン・ファンの親方など、征服されていた時代に新しい見る者たちが立ち向かったほんものの怪物にくらべたら、なんてことはなかった。

ドン・ファンは説明を続け、普通の人が小暴君に立ち向かう時に犯す過ちは、そのための戦略を持って居ないことだ、と言った。いちばんまずいのは、普通の人々が自分というものを深刻に考えすぎていることなのだ。彼らは自分の行動と感情が一番大事だと考える。それは小暴君も同じだ。それにひきかえ、戦士は考え抜いた戦略を身につけているだけでなく、自尊心からも解放されている。彼らが自尊心を抑えているのは、現実というものは私達が行う解釈だということを理解していたからなのだ。この認識は、愚かなスペイン人に対する新しい見る者たちの決定的な優位性となった。

肉体も強化した後、ドン・ファンは同じ砂糖工場で職を得た。以前彼がそこで働いていたことを覚えている者はひとりもいなかった。

成り行きは同じだった。しかし、新しい職を斡旋してもらっても、工場長への支払いは拒否することになっていた。男は驚きもあきらめもしなかった。クビにするぞ、とドン・ファンを脅したのだ。しかし、ドン・ファンは、あの女性のところへ行って話をする、と脅し返した。工場の持ち主の妻であるその女性が2人の男のしていることを知らないことは、ドン・ファンにも分かっていたのだ、「近くの砂糖きび畑で働いていたから、彼女の家がどこかは知っている」とドン・ファンは言った。「喋らないからカネを寄越せ」とドン・ファンは要求した。工場長はあきらめ、ドン・ファンにいくらかカネを渡した。しかしドン・ファンには、これが彼をあの家へ送り込むための手だということがわかっていた。。。

「家へ着くとすぐ、わしは家の中へ入ってあの女性を探した。見つけると膝をついて彼女の手にお礼のキスをしたんだ。例の2人の男は青ざめていたよ。

「家の方のボスは、前とまるで同じ事をした。だが、わしには奴を扱う道具があった。管理と、訓練と、忍耐と、タイミングだ。結果は師の計画どおりになった。管理のおかげで、男の愚劣な要求を満たすこともできたしな。普通、そういう状況では、自尊心からくるいらだちや涙ですっかり参っちまうんだがな。少しでも自尊心を持っていると、自分にはなんの価値もないと感じさせられたときに、ずたずたになっちまうものなんだ」。。。

以前のように自分を哀れむのではなく、自分を踏みつけにする者がいても、ドン・ファンは管理によって、精神を調和させる一方、相手の男の強み、弱み、気紛れな行動を、すぐに観察したのだ。ボスの強みは激しい気性と大胆不敵さであり、彼の弱みは、自分の仕事が気に入っていて失いたくないと思っていることだった。どんなことがあっても、彼は白昼、作業場でドン・ファンを撃とうとはしなかった。もう1つの弱みは、家庭を大事にする男だということだった。家の近くの小屋に、妻と子どもたちが住んでいたのだ。

忍耐というのは、あせらず、懸念ももたず、ただ待つこと、出して当然のものを単純にひっこめておくことだった。無学な労働者の役を演じきるため、ドン・ファンは毎日はいつくばっていたという。

ドン・ファンの師の戦略には、「身分の高い者」を使って男の攻撃をかわすことも要求されていた。被征服時代に、新しい見る者たちがカソリック教会を利用して身を守っていたのと同じだ。ドン・ファンは例の女性に会うたびにひざまずき、彼女の守護聖人のメダルが欲しいと頼んだ。彼女がメダルを渡したので、ボスは仰天したという。夜、ドン・ファンが召使たちに祈りを捧げさせると、彼は心臓発作さえ起こしかねないほどだった。

「毎日あの男は、馬にわしを蹴り殺させようと、馬小屋へ押し込むんだ。だが、わしは厚い板を持って小屋の隅に行って、身を守っていたよ。奴は、わしがそうしているのに気付かなかった。それというのも、奴は馬が大嫌いだったのさ − 後で分かるように、これが奴の決定的な弱みだった」

ドン・ファンによると、タイミングというのは、抑えていたものすべてを解き放つものだという。管理、訓練、忍耐は、あらゆるものをせきとめておくダムのようなもので、タイミングは、ダムにつくられた水門なのだ。

ドン・ファンは、ボスの暴力を無力なものにする完璧なタイミングを見つけた。ある日、他の労働者たちとあの女性のいる前で、彼を侮辱したのである。社長の奥さんを死ぬほどこわがっている臆病者だ、といったのだ。「奴は狂ったように怒ったが、わしはもう彼女の前にひざまずいていたよ」

彼女が家へ戻ると、男とその手下たちは仕事があるから裏へこいといった。男の顔は怒りに青ざめていた。彼の声音から、ドン・ファンは彼が本当は何をするつもりでいるのかを悟った。ドン・ファンは言われたとおりにするふりをしたが、裏へではなく馬小屋へ走った。彼は、馬が大騒ぎをして、持ち主がなにごとかと見にくるのをあてにしていた。そうなれば、男も撃ったりはできない。仕事をなくすようなことをするはずがないのだ。それに、馬のいるところへは近づくまいということもわかっていた − よほどのことが無い限りは。

「いちばん気の荒い馬のいる小屋へ飛び込んだよ。そうしたら、怒り狂ってわけがわからなくなった小暴君もナイフを片手に飛び込んできた。わしはすぐに厚い板に隠れたんだが、奴は馬に一蹴りされてそれで終わりだった。

「わしの師はとても興味深い説明をしてくれたよ。忍耐の意味は、当然表に出すべきだということを戦士が知っているものを、抑えて隠すことなんだ。だからといって、他人をからかったり、昔の恨みを晴らすために策略を練るということじゃない。忍耐というのは独立したものなんだ。戦士が管理と、訓練と、タイミングを身に着けて居る限り、忍耐は与えるべきものを与えるにふさわしい者に与えることを保証するんだよ」

小暴君が戦士を打ち負かすこともあるという。カルロスはドン・ファンに「敗北をどうやって判定するんだい?」と訊いた。「小暴君の側に加わる者は、みんな打ち負かされているんだ。管理と、訓練と、忍耐を身に付けずに怒りのままに行動するのは、やがて打ち負かされる運命にあるということだ」

このテーマで重要なのは、小暴君の動学が基本的な第3密度の食餌メカニズムだということであり、食餌行為であるというのが、真の理由、すなわちそれが心理的な戦いである理由で、小暴君の動学が神学的ドラマと私たちの人生に起きる出来事との接触面を成しているということだ。ドン・ファンが語った物語は、私達が連想によって主な特徴を見分けられるよう、やり取りをパロディー化したものである。

小暴君の分類についておさらいしておくと、ドン・ファンが言うには、宇宙で唯一の支配者たる根源的なエネルギー源が「暴君」である。これはグルジェフがスーフィズムから学んだ、私たちの世界の王は「邪悪な魔術師」であるという話を彷彿させる。これはまたグノーシス派のデミウルゴス(◆キリスト教の異端であるグノーシス派(主義)などの世界の創造主で、最高神に仕える神。プラトンの著作の中で造物主として描かれたことから)や、シーズが示した、第4密度から私たちの世界を支配するSTSヒエラルキーの話とも一致する。このマトリックスのコントロールシステム、「暴君」に比べれば、私達の現実世界で最悪の専制君主や独裁者だって、「小暴君」に過ぎない。この「小暴君」というのは、アドルフ・ヒトラー、ヨシフ・スターリン、トマス・デ・トルケマダ、その他、他人に対して生殺与奪の権を振るうような連中のことだ。その下に居る者たちには、2つの小区分がある。カスタネダの言い方によれば、「他を苦しめ、不幸を与えはするが死にいたらしめることはない小さな小暴君」と「終始他をいらだたせるだけのザコ小暴君」である。

ドン・ファンは、「小さな小暴君」はさらに4つのカテゴリーに分けられる、と言っていた。「第1は、乱暴と暴力で痛めつける者。第2は、まわりくどいやり方で耐えられないような不安をつくりだして痛めつける者。第3は、悲しみで重圧感を与える者。第4は、戦士を激怒させて痛めつける者」。そしてまた私たちは、同じ小暴君が、別の時には、別のモードで稼働可能であることに気付くであろう。

私達の生活の中に小暴君が居ることの目的は、私達に「超然とすること」について教えることである。それは耐えられないような人々と向き合う挑戦なのだが、そうすることで私たちは、冷静さと平穏を手に入れるのである。つまり、「光も戦火からもたらされる」のである。

ドン・ファンは幾つかの段階を経て小暴君を活用することで、拡張した意識状態を達成できると述べた。第1段階は、意識的に真実を求めると決心することである。グルジェフが述べているように、それは「喫緊の課題」でなくてはならない。『ザ・マトリックス』のネオは、「心に茨」を持っていたし、シーズは、「学びのサイクルのその部分にさしかかっている」結果だと言っていた。

次の段階は、自分自身および世界についての見方を変えることだ。つまり、もはやマトリックスの政権党の公式見解を受け入れず、表面下を掘り下げるワークを始めるのである。このプロセスによって探究者は、私達のリアリティを包蔵する超次元のリアリティの証拠が至る所にあることを知る。このことを知った人間は、そのリアリティにアクセスしたいのか、それとも今のままで満足なのか決めなくてはならない。映画『マトリックス』ではこれを、レッドピルを飲むか、それともブルーピルを飲むかの選択として描いている。

これは本質的には、戦士になるという選択だ。神話的な意味の戦士とは、自己を鍛錬し、コントロールできる人のことである。というのも、知識を身に着けるという次の段階に進む上ではこれが不可欠だからだ。この知識へのアクセスは、高次の心が第3密度のリアリティに統合するならば可能となる。この結果、からし種1粒ほどだった自己が第4密度へと成長していき、ついには、知識に直接アクセスできるようになるのだ。不幸な事に、このような理解は数多くのニューエイジの教えによってひどく歪められてきた。それらによれば、「心の知性」の意味は完全に歪められ、感情や無差別の「愛」だとされるのだ。

グルジェフはこのプロセスを「融合」(ISOTM邦訳60ページ)と呼んでいる。彼は、「融合すなわち内的調和は、<あつれき>を通して、つまり人間の中における<イエス>と<ノー>の葛藤を通して得られる」と述べる。ここに、小暴君の有用性を見出すことができる。小暴君は、私たちの生活の中に<あつれき>を生み出す。彼らは鬱陶しく、癪に障り、腹立たしい存在である。彼らは彼らにとっての必要が生じると、私達に時間を取らせ注意を惹かせて、憐憫や操作というフックを使って、私たちのエネルギーを吸い取ることができるのだ。彼らは嘘をつき、自分たちが抱いている妄想のせいで怒っておきながら、それを義憤と見せかけ、私達のプライバシーや自由意思を侵害し、厄介ごとばかりもたらす。だが、大事なのは、彼らが、私達に忍耐とタイミングを教えてくれるスパーリングパートナーのような存在であるということだ。もちろん、これは彼らが意図して行っているのではない。しかし、むく犬の姿に化けてファウストの前に立ったメフィストフェレスよろしく、「いったいきみは何者だ」と質問すると、彼奴は「つねに悪を欲して、つねに善をなす力の一部です」と答えるのだ。

この世界におけるSTSの企みもそれに似ている:マトリックス、捕食者、邪悪な魔術師、第4密度STSのコントロールシステム、エントロピー;何と呼ぼうが、これは私たちのエネルギーを吸い取り、私達を食べ物に利用し、さらに未知の目的のために操作するのである;しかもそれは、エージェント(代理人)、指示の媒介者、セイレーン:サイコパスの小暴君を通じて行われるのだ。

小暴君による修練で成功したら、第4段階へと向かうことができる:見る者になるのだ。見る者といっても、水晶玉を覗き込むサイキックのことではない;何が真実かを見極める人という意味だ。

だからこそ、私達が生活の中で小暴君を発見した時には、彼らを私達との論戦に導き、システマチックな嫌がらせを行うように仕向けて、それらに従事させるだけでなく、それらを手立てにして、彼らの正体が他の人々にも明らかにできるような戦略が欠かせないのである。このように、彼らは私達がスキルを磨く上で役に立つだけでなく、彼らは他の人々に対して暴虐をふるうことができなくなるのである。もちろんながら、これには大衆の前で反復を行うというもう1つの目的がある。

記憶に留めるべきカギとなる事実とは:最も深い意味において、私達が論戦している相手は1人の人間ではなく;それはプログラム、「マトリックスのエージェント」であり、世界という「マシンの仕掛け」であるということだ。すなわち、舞台裏では第4密度のコントローラーどもが、ボタンを押したり、レバーを引いたりしているのである。使徒パウロがこう書いている通りだ:「わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」(エフェソの信徒への手紙/ 06章 12節)

カスタネダによる小暴君への対処法の説明の動学の中に、どんな風に「知識が守る」のか、私達はその様子を見出す。嘘に対して、それが求めるもの:すなわち真実を与えるのである。


私達自身が出会った小暴君

さてそれでは、『ザ・ウェイブ』を書いたことで波風が立ったという物語にとりかかるとしよう。

インターネット上にあげたシーズ文書に関する数多くの質問や、もっと情報が欲しいというリクエストに応えるため、2000年春に、私は『ザ・ウェイブ・シリーズ』
https://web.archive.org/web/20000915191643/http://www.cassiopaea.org/cass/wave.htm
を書き始めた。これは多くの人々の注目を集めた。その殆どはポジティブな人々だったが、極めてダークな勢力に属する何人かの興味をも惹いたのだった。

このことをきちんと説明するには、1999年の春へと遡る必要がある。この頃私は、ヴィンセント・ブリッジスという名前の男性とコンタクトし始めた。すぐさま彼は、レンヌ=ル=シャトー現象に関する私の考えに興味を示したので、私達はこのテーマについて、かなりの数のメールをやり取りした。それらは全て、私たちのサイトで見ることができる。
http://www.cassiopaea.com/archive/mostletters1.htm
メールをやり取りしている間、ブリッジスは自らを調査ジャーナリストと称し、ニューエイジ/オカルト的なもののエキスパートであり、あらゆる名士たちとのコネがあると言っていた。彼は錬金術とフルカネリをテーマにした本を書いているところだと言い、分析に役立てるための情報を出来るだけ沢山欲しがっていた。残念な事に、私はたちまち巧言を真に受けてしまった。何しろ彼は本物の、れっきとしたジャーナリスト/エキスパートであり、これだけ知られているテーマに関して、私の説に興味があると言うのだ。私は一介の無名人だった!とうとう、同じ方面の研究者と出会えて私はとても幸せだった。しかも彼ときたら、実に魅力的で博識なのだ!それが全部演技だったとは、当時の私にはまるで分からなかった。

1999年の秋に、彼が著書をついに上梓した時(きっと錬金術とフルカネリについて書かれた中でも最高の分析であること間違いないと確信しつつ、私はハラハラしながら待っていた)、それは控えめに言っても拍子抜けの出来だった。彼が1冊送って寄越したので読んだのだが、失望感が募るばかりだった。鋭さに欠け、浅はかなだけでなく、私が送ったネタを大量に利用していながら、何か訳の分からない目的のために、原型をとどめぬほど捻じ曲げているのだ。私達は本当に同じ言葉を話しているのかとさえ思えてきた。その後数カ月は散発的なやり取りしか行わなかった。私は彼が誠実な人間だと信じていたし、私自身も、彼が調査なしにはシーズ ― あるいはチャネリング全般 ― を信頼しないのは正しいことだとさえ思っていた。しかし、彼が信頼を寄せる古代の知識を、彼がどこでどうやって手に入れたかという問題は、依然として未解決のままだった。

この時点で私は、私の考え、体験、関連文書の全てを説明するベストな方法とは、自分で文章に書いてサイトに上げることなのだ、そうしようと決めた。それで、「聖杯」をテーマにした連載ものを始めたのである。

私は出来る限り、ブリッジスの役に立ちたかった。幾つかの問題で意見が一致しなかったものの、深刻な事とは思わなかったからである。彼が、私の集めたデータの全てを読めば、多くの点で同意してくれると思っていたのだ。そのために、私は彼の本の中から納得できる、ごく一部を、私がウェブに連載していた『聖杯シリーズ』中に引用して、彼の本を出所として示しておいた。

こんな風にして数か月が過ぎて行ったが、そのうち私には、大してメールをやり取りする意味がなくなってきた。私は執筆とガーデニングで忙しかったし、ウェブ連載にみんなが質問を寄せてきた結果出来たディスカッショングループも始まった。物事はすっかり安定してきたと言ってよかった。私はレンヌ=ル=シャトーに関する、私自身の暴露を公開した。すると、全く奇怪なメールが1通送られてきて、私はマジで少々ビビッてしまった。このことがあって、私はヴィンセントとのやり取りを再開しなくては、という気になった。というのも、彼ならきっと、メールに使われていたオカルト言語に関して幾らか知識があると思ったからだ。もちろん当時の私には、彼自身が送り主だとは思いもつかなかった。彼があのメールを寄越したのには、はっきりした目的があったのだ。

2000年の秋、長い事私たちのメンバーだった「フランク・スコット(仮名)」が、グル−プを去って行った。同じ頃、ヴィンセント・ブリッジスと私は議論を始めたのだが、その際彼は、自分は目下、良い執筆者を必要として奮闘中の出版界の新参者であると言い、彼の会社であるエーテリア・ブックスから本を出さないかと私にオファーしてきたのだった。

ディスカッショングループの議論について行き、質問に答え、交信文を編集し、手掛かりを求めて文献を調査し、サイトの記事を書くという圧倒的な量のワークをこなす上で、ヴィンセントの存在はまさに天の恵みに思われた!メールのやり取りを始めてかれこれ2年になっていたが、全ての点で意見が一致する訳ではないものの、彼は信頼できると感じていた。しかも、編集を手伝ってくれるというので、未発表原稿や極秘交信文を彼に渡しつつ、自分のライフワークを確かな人に預けることができたと思った私は、腰を落ち着けて、著書を仕上げることに集中した。

私たちがこの出版プロジェクトに取り掛かったのが2001年初頭で、その後間もなく、私はブリッジスをディスカッショングループに招待した。だから2001年の春と夏の間は、定期的かつ活発なやり取りがあった。

2001年の夏。。。911が世界を変えてしまう前の、この最後の数週間に戻れたら、と思う人は圧倒的な数居るに違いない。

いずれにせよ、これまた2001年の夏、カシオペアンは、今にして思えば大胆な計画を開始し、私がヴィンセント・ブリッジスに直接会うよう仕掛けた。
http://cassiopaea.org/forum/index.php/topic,18633.msg176185.html#msg176185
実際に会って、私はその姿に唖然とした。彼があまりに印象的で、説得力のある顔をしているので、私は自分の見ているものが本当だとはとても信じられなかった。
http://beforeitsnews.com/alternative/2013/01/vincent-bridges-and-jay-weidner-the-deviant-duo-2542786.html
http://www.cassiopaea.com/archive/most.htm
結局彼は、何らかの理由で嫌いになれるような相手ではなかった。実際、私はフランク・スコットが大好きだったし、同じようにヴィンセント・ブリッジスもとても気に入ったのだ。彼らに関する限り、何時間でも楽しく一緒に話して居られた。全く新しいレベルで物事が見えるようになり、私は何度も何度も自分の目を疑った。こうした知性に対する上で欠かせない対応をじっくり頭で考えるのは、実際苦痛だった。もし、知識が ― それを適用できる限り ―  本当に守ってくれるのなら、アークと私は自分たちの知識を適用しなくてはならなかったのだ。

私達は何週間も、交信内容に関して、確かに信頼できるデータ ― 証拠 ― を探して議論した。確かにデータが無い訳ではなかった。だが、常に証拠不十分と見て、微妙な手掛かりを見過ごすことが可能だったのだ。仮説を立て、一連の検証法を考える度に、またもやカシオペアンは正しかったと証明されるのだが、もう1ひねりあるのだ。この経験は、普通の人間が得られる限りで最も進んだ達人への道の訓練の1つへと扉を開くものだった。これは明らかにまた、1種のテストだった。

このときの状況とは以下の通りである:

ブリッジス夫妻が、私の本『ノア・シンドローム』の出版準備をしていると言っていた頃、彼は2001年9月にカンファレンスを行おうと言い出した。当時の私達のポリシーでは、カンファレンスは行わないことになっていた。ブリッジスもこのことを知っていたのだが、私達は彼が出版準備中の私たちの本の宣伝のためということで、一肌脱ぐことにしたのだ(後で分かったのだが、出版準備がカンファレンスに間に合っていなかったばかりか、ブリッジスが社長だという出版社は実在すらしていなかった!)しかし、カンファレンス予定日(9月21〜23日の予定だった)までの間に(もちろん、911事件もこの頃起きた。そうだと分かっていたら。。。)、奇妙な幾つかの事が私達に集中的に起き、シーズからはブリッジスに関する情報を受け取ったのだった。

なんといっても、読者から沢山のメールを受け取った。みんな、私達が公式に、ヴィンセントのいわゆる『第5の道のミステリー・スクール』と関わり合いになることを懸念していたのだ。私がヴィンセントの本で読んだことがあったのは、聖杯伝説、レンヌ=ル=シャトーの謎、フルカネリのようなテーマだけだった。ヴィンセントも調査ジャーナリストだと称していたし、シーズに関する疑念も繰り返し表明していた。だからてっきり彼は合理的な人間であって、奇妙な事にハマるようなことはないのだとばかり思っていた。だが、私は間違っていた。読者からのメールを読んだ私は、サイトに行って自分の目で見た。

ネットでそれを見た時、かつて議論したテーマのことを考えて、私は少し動揺した。ヴィンセントは「エノク魔術」およびそれにつきもののいわゆるワークや儀式をテーマにした数多くの記事を書いていたのだ。一例を挙げよう:


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16世紀に、エノクあるいは天使の星間コミュニケーション装置によって伝えられて以来、おそらく初めて、この黙示が完成した。この構造体には、近づきつつある銀河の配列を調和させるのに欠かせない基本的な形が含まれている。。。天使の知性が告げたところでは、あと1年と少し経った春分の日に、天球に対して生命の樹が投影され、それが10年続くが、これはグレート・クロスが起こすエネルギーシフトと同調する最も簡単な方法である。。。私に手掛かりを与えたのは、確かに天使の知性だった。
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2001年の夏にはもう1つ事件が起こった。私達がナチスの黒魔術カルトだと非難され、しかも驚いたことに、ヴィンセントのサイト上に偶然にも、そのようにた易く解釈できるようなページがあったのである。実際今にして思えば、仕組まれたのは間違いないだろう。私達としては、決して黒魔術やナチス、その他の訳の分からない宗教儀式と関わりになどなりたくなかった。加えて、これらのグループは反ユダヤ主義と結びついているらしかった。アークの職場の同僚の多くがユダヤ人だったということも言っておくべきだろう。

私達が直面していた問題の捉え方としては、どうやら2つあるようだった。1つ目は、これまで読者に対して言ってきたような生き方を、私たちは実践する責任があるということであり、2つ目は、ヴィンセント・ブリッジスの側には悪意のある事を示す明らかな証拠がないにも拘わらず、見えてきた裏事情を信じるかどうかということだった。

もはや、ヴィンセント・ブリッジスはプロモーションを行っているのだと考え続けるのが無理なのは分かっていた;少なくともこのような状況下でも私たちにやれることをやらなくてはならない。そこで私たちは、7月の後半、私達のウェブサイト上に、私達がカンファレンスに参加したからといって、プロモーターや他の出席者の思想を唱導するものではない、という免責文をアップしたのだった。アークが数多くの科学カンファレンスに参加したり、それらを主催した経験からして、これで十分だと私たちは考えたのだ。

私達はまた、ヴィンセントに対して、彼自身の立場をはっきりさせるチャンスも与えることにした。私達は彼に対して、私達の評判やワーク、さらには身の安全を守るためにも(ナチスの黒魔術や反ユダヤ主義との関わりを非難する攻撃はこの時点で熾烈さを極めていて、殺すぞと脅されるほどだった)、彼のサイトから「黒魔術」文書を削除し、このような思想とは無関係であることを公に宣言して、一緒にワークを続けようと頼んだ。だが、彼は拒絶した。

という次第なので、ヴィンセントが黒魔術との関わりを解消するのを拒んだ時点で、私達は彼との関係を断つことに決め、こうなってはカンファレンスにも参加できないので出席をキャンセルすることに決めた。本の出版契約もキャンセルした。この点に関して私達は、弁護士のアドバイスも受けた。というのも、この時になってもまだ私たちは、実際には存在しない会社と出版契約を結んだとは知らなかったからだ!

カンファレンスの世界では、いかなる理由からであれ、招待された講演者が出演をキャンセルした場合には、必要な限り、妥当な代わりの講演者を手配するのが主催者の責任である。この時分かったのは、本カンファレンスの参加者は、殆どが私たちの読者とディスカッション・グループのメンバーばかりだということだった。つまり、私たちこそがカンファレンスの要であり、出し物であり、金の卵を産むガチョウだったのである。私達がキャンセルすると、参加者のほぼ全員がキャンセルして手付や代金の返還を求めた。だがここで注意しておく必要があるのは、カンファレンスまでは、まだ6週間以上あったということだ。(※8月10日頃か?) この時こそ、私達にとっての911であり、ヴィンセントはツインタワーに突っ込むジャンボジェットさながら、私達目がけて攻撃の火ぶたを切った:罵倒、中傷、誹謗の数々を浴びせ始めたのである。これには参った。こうもエソテリックな知識に溢れ、霊的にも進歩していて、人情味豊かで、理解があると称する人物が、どうしてごろつきの浮浪者のように振る舞い、汚らしい、胸の悪くなる、中傷的な記事が書けるのか、私達には理解できなかった。そんな私達に関する記事を、彼と仲間たちがウェブじゅうに広め始めたのだ。私達は参りもしたが、この点に注目した。というのも、明らかに彼は事実や真実がどうだろうと何ら気兼ねしていなかったからで、こうして縁を切る以前に彼が語った事の全てについても私たちは疑問を抱き始めた。だから、8月から11月までの間、黙って苦しみに耐えた後、ついに私たちは、真相を解明することに決めた。

実際面では、ペルセウス・ファウンデーション・リサーチ・グループがブリッジスに関する調査を行って、2001年秋にプロの私立探偵による報告書が出た時、本件に関する私の疑問は解消した。残念なことに、ブリッジスは普通のペテン師と大差ないことが明らかになった。彼が出版・公表していた経歴が全くの詐欺だっただけでなく、他人の作品やカネを盗み取ろうとストーキングして、成功に便乗する前科があったのである。

詐欺の前科があったにも拘わらず、アークと私はブリッジスに関する報告書を公表するのを躊躇った。しかし、ついに、単にブリッジスと縁を切るだけにしようとした私たちの試みに対する一般の反応に応えて、彼が私達に対して加えた数々の攻撃を明らかにしなくてはならなくなったのである。彼とのやり取りには、確かに非常に邪悪な何かがあったのは明らかだったが、動学の全体が重要な学びだと気付いたのは、ずっと後になってからだった。

結局、個人的なやり取りを通じてヴィンセント・ブリッジスについて知った結果、疑問が生じ、答えが必要になったのだ。そしてその答えを探し求めた結果、カシオペアンのワークを次の段階へと進める上で欠かせないツールと洞察を育むことになった ― クォンタム・フューチャー・スクールが生まれたのである。

予想通り、ブリッジス氏は、報告書に示されたデータについて反撃してきた:彼は私達に、何としてもそれらをウェブから削除させようとし、削除を法的に強制できないがゆえに(真実を公表しても名誉棄損や誹謗中傷にはならない)、脅迫・強要によって、無理やり削除させようという手段に出たのである。

ヴィンセントが私達を利用してカンファレンスを開き、本のプロモーションまでさせて一儲けしようとした(自分の会社から刊行しようとしていた)のが分かっただけでなく、税務署やノースカロライナ州務長官事務所の話から、彼は法的に登記された会社を持って居ないので、出版社社長という彼の肩書は詐欺であり誤解を招くためのものだったことも分かった。彼との共著者であるジェイ・ウェイドナーは後にエーテリア・ブックスという会社を登記したのだが、この会社が法的に存在するようになったのはこの時からであった。

しばらくすると、ウェイドナー氏は自分がどういう具合にヴィンセントに騙されたかを詳細に語った。ブリッジスは、ペンギン・グループのDAWブックスに小説を書いたことがあるとか、ローリング・ストーン誌・クリーム誌・ニューズウィーク誌に記事を書いたことがあると経歴を詐称したという。ヴィンセントはこのように主張することで、資格を証明し、自分がまともなライターで、安心できる共著者だと思わせたかったのだろうというのがウェイドナーの見方だった。ヴィンセントはネット上に、私達がジェイを脅してこのような手紙を書かせたのだという、おびただしい数の投稿を行った。

その後もウェイドナー氏は何度か、彼がヴィンセントに騙された顛末について詳述し、また、共著書の初版を出すために、彼が必要な費用を支払ったとも述べた。実はその本がエーテリア・ブックスのロゴ入りで出版されたとも指摘した。さらに、彼の指摘によれば、彼は2人が行った調査旅行の費用も返してもらっていないばかりか、ヴィンセントがエーテリア・ブックスの名前で販売した本の売り上げも全く受け取っていないとのことだった。

次にウェイドナー氏は、自分の業績が、「ヴィンセント・ブリッジスの不誠実な行いや経歴詐称のせいで損なわれる」のを怖れていると書いた。さらに彼は、「ヴィンセントと妻のダーリーンは、私だけでなく、他の複数の作家志望者に対しても詐欺を働いた」のであり、ヴィンセントとダーリーンに対して「経歴詐称」による損害賠償請求訴訟を準備中であると宣言した。

盗作、虚偽記載、詐欺の前科が判明し、ネットに巣食う、ただならぬ捕食者だと分かって来た男の暴露を続ける中で、私達は複数の手紙を、ジェイ・ウェイドナーのため、彼の求めに応じて公表した。

残念な事に、ヴィンセント・ブリッジスは嘘と真実との区別を理解できないようなのだ。ヴィンセントはペルセウス・ファウンデーション・レポートについて、何から何まで嘘だと非難し、明らかに嘘をつく理由のない多くの人々を、嘘つきだと糾弾した。彼の話は真実が明らかになるたびに何度も変わり、彼が元々言っていた経歴と信用証明が全て嘘だったという事実については一言も述べようとしなかった。

その後も彼は繰り返し ― 6年以上に亘って、それ専用に開設したウェブサイト上、および、彼を信じるカモが見付かればその人のサイト上で ―、私達が「名誉棄損、誹謗中傷、人格攻撃、サイバーストーキング」等々を行ったと糾弾し続けている。これこそまさに、自分がした事を、人からやられたと言って非難するサイコパスのやり口に他ならない。彼が以前の共著者であるジェイ・ウェイドナーを脅したと言って私達を糾弾し始めた時、彼は実際には次の作戦に出ると宣言していたのだと、私たちは気付くべきだった。

ある時、ブリッジス氏はネット上の複数箇所で、「カシオペア・カルト問題を公にし、本当の、未編集バージョンの物語を述べる」つもりだと宣言した。さらに彼は、私達が著作権を持つ交信文を、欲しい人にはタダで配ると宣言した。それと共に彼は、彼にしか分からないような途方もない嘘をつき、その上、私達は「最初から」騙そうとしてテキストを「改変している」のだと主張した。彼はテープも記録ノートも持っていないのだから、どんな「事実」に基づいて彼がこんな事を言うのか不思議だった。

加えて他にも投稿があったのだが、際限ない嘘とナンセンスで読者を飽き飽きさせるだけなのでやめておく。結論としてはこうである:ヴィンセント・ブリッジスは全く編集していない交信文を公開したのである。私達はセッション参加者の多くから、いずれ公開する時には、自分たちの名前や身元は隠して欲しいと頼まれていたのだが、そうしたプライベートな情報に何ら配慮しないで、全部を公開してしまったのである。

私達のサイトの交信文掲載ページで述べているように、交信文を公表するに当たっては、他人の実名は削除しているし、適切な配慮と注意を払う義務がある、公にしにくい事柄も予め削除済みであり、原稿も正確を期するために、オリジナルの記録ノートおよびテープと照合することにしている。これは、当時も今も大変な仕事である。「フランク」等の仮名化のために、何度か全ファイルを一斉に書き換え、一部ファイルが部分的に読めなくなったこともあるが、決して意図的に不明瞭にした訳ではない。私達は少しずつ交信文内の誤記を訂正してきたのだが、これには時間が掛かるのだ。文書のオーナーである私達には、プライベートな部分を公開しない権利もある。

ということで、私達が交信文を元々無償で公開している以上、文書の配布方法が問題な訳ではなく、むしろ問題なのは、個人的な問題を私たちに委ねた人々のプライバシーへの配慮であり、また、交信文を正確に保ち、確信が持てない時には、適切な注ないしコメントを付けるという、私たちの法的権利の侵害なのだった。

ヴィンセント・ブリッジスに対して、他人のプライバシーに配慮するよう訴えても無駄だと分かっていたので、私達はブリッジスが交信文の海賊版を置いているサーバーの持ち主に対して直接、メールとファックスで呼びかけたのだった。

私達がブリッジス氏のサーバー・オーナーに対して交信文を削除するよう求めたのを受けて、彼は「フランク・スコット」からのメールを転送する形で、以下のメールを寄越した。


---
送信日時:2002年1月10日 木曜日 13:06
件名:FW:利用許諾済(Granted)!
差出人:ヴィンセント・ブリッジス

汚らしい物語の全てを公表されたくなかったら、俺の名前を削除しろ。
ヴィンセント
−−−-
受信日時:2002年1月7日 月曜日
受取人:。。。
件名:利用許諾済(Granted)!

やあ、ヴィンセント:私は貴君のため、以下を述べる:私の名前は、フランク・グラント(Grant)・スコットである。私はヴィンセント・ブリッジスに対して、カシオペア交信文の全部ないし一部を、いかなる方法・目的であれ公開することを全面的に許諾する。私は1994年7月から2000年11月の間に行われた全セッションに参加している。チャネリング・セッションへの参加という点では、私は誰にも負けていない。
敬具
フランク・グラント(Grant)・スコット
---


「チャネリング・セッションへの参加という点では、私は誰にも負けていない」というフランクの主張が全くの嘘である点は措くとしても(実際、彼が参加しなかったセッションもあった)、法的事実として、1994年に、私が最初にテープから起こして交信文集を刊行した時に、交信文の著作権は私に帰属することになったのである。これは法的事実なのだ。

数多くの証言および確かな証拠から、フランクによる「公表の許諾」が持つ有効性はネコのガーフィールドによる許諾と変わらない。彼はこれまでも、これからも著作権を持つことはないのである。全ての実験は、私の家で、私の機材を使って、私が個人的に、私の声で録音した。テープも私のものだし、テープ起こしも殆ど全部私がやり、ヴィンセント・ブリッジスが略奪したCDを焼いたのも私であって、私達の関係が終わり、CDの返還請求を行っている今となっては、もはやフランクが著作権を持つことはない。

つまり、セッションの場に居たということがスコット氏の唯一の貢献であり、その場に居たということならば、色々な機会に、他の多くの人々もその場に居たのである。我が家のゲストだったからといって、そこで作られたもののオーナーになる訳ではないのだ!フランクの基準だと、他のゲストの誰でも、公表することを許諾する権利を持つことになってしまう。実際、フランクとの付き合いは始めから終わりまで、厄介としか言いようがなかった。『アメージング・グレイス』を読まれた方ならご存知の通りである。

だが蓋を開けてみると、もっと深刻な問題があって、上のメールでヴィンセント・ブリッジスは私達を脅迫/ゆすり/強要しようとしたのだ。脅迫は2つの要件から成る:


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a) 脅し、特に「公衆に暴露するぞ」、あるいは「告訴するぞ」と言って強要/強制すること
b) 脅しによる金銭支払い要求

実際の判例から:SSはM.デュボースの秘密を洗いざらいトラヴィス・キャロル&ジャスティン・ショー商会にばらすぞと脅された。これがばらされると、デュボースのキャリアに傷がつく上に、SSが将来的に職を失うだろうことも確かだった。黙っていて欲しければ、SSはジャスティン・ショーがオファーを受けられるよう、M.デュボースにオファーの1つを断らせること。そうすれば、SSの職も保証されるだろうというのだった。
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強制と、暴露の脅しがあり、口止め料が要求されるのである。ヴィンセント・ブリッジスは書いた:「汚らしい物語の全てを公表されたくなかったら、俺の名前を削除しろ」 彼は個人名とプライベートな顛末の編集をしていない交信文を公表すると脅しているのであり、そうしない見返りとして私達に、彼の偽の経歴とまやかしの身分証明、心理的テロについて書いた記事を削除するよう求めたのだ。

ブリッジス氏の狙いが私達に対する脅迫であることは明らかだと分かったけれど、私達は自分たちの身元と個人情報を削除して欲しいという、罪のない人々のことだけが心配だった。それに、「汚らしい物語の全て」という言葉は、交信文だけのことを言っているとは思えなかった;何とも意味不明なので、私たちは要求を拒絶した。

果たして、宇宙は警戒態勢に入った。その日の夜、もう1通のメールがジェイ・ウェイドナーから届いたのだ。


---
差出人:ジェイ
送信日時:1月10日 木曜日 22:24
件名:Re:VBが再び
受取人:ローラ・ナイト=ヤズィック

ヴィンセントと私は、2通ばかし苦々しいメールのやり取りをした。法的に存在していないので、私は彼の出版社を訴えることができなかった。私は彼をソシオパス呼ばわりしたが、これが彼の反応なのだ。私はもう彼にメールしないつもりなので、多分本件は沙汰やみになるだろう。

ところで彼は、あなたが殺人未遂を犯した「証拠」を持っていると言っていたよ。。。
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おや、おや、おや。ゾッとするくらいに万事クリアになってきた。先に掲げたフランクの手紙は、やはり本物だったこと (当初、私は偽造じゃないかと疑っていた。というのも、フランクはそんな馬鹿なことをするほど法律に暗くないと確信していたからだ)と、彼がそうした理由を私はたちまち理解した。

『アメイジング・グレイス』を読まれた読者はきっと、フランクが元の雇い主の金を何年も着服していた件について書いた章を思い出されたことだろう。そこには書いてないが、最終的には彼の父親が自殺する羽目になったのだ。まだ読んでおられない皆さんのために章の名前を述べれば、『それがハリウッドだ!』である。

それに続く諸章で私は、どうやって私自身、フランクの不誠実さと折り合いをつけたか、どう納得したかについて述べ、フランクは重要な教訓を学んでいるところであり、彼が信用できる人間になるためには、まずは誰かに信じてもらう必要があるのだという風に、殆ど無条件で彼を信じようとしたことについて述べている。結局、私たちは人を信じるように教わってきたのではないか?だから、私は彼を信頼した。そして私は彼に、数多くの事を打ち明けた。これから述べようとしている物語もその中に含まれていた。

ブリッジス氏が「世間に知られたくない内輪の大きな恥」を発見したつもりでも、これこそまさに、『エクソシスト・イン・ラブ』を書く時にトム・フレンチが正式に調査しておきながら、本筋にとって重要でないからと書かないことに決めたネタだったのである。女性が恐ろしいほど規則正しく性的暴行を受けているという事実は、現状ではあまりに注目されていないのだから、フレンチはこれを扱うべきだったと考える向きもあろう。だが私も彼の決定は正しかったと思う。というのは、このようなことについて、あの物語の中で取り上げる結果、本質的に別の問題に焦点を当てることになるからだ。

とはいえ、トムにインタビューされた際、辛い体験なので気が進まないながらも、私は全てを語ったのである。同様の経験をしたことのある女性なら同意してくれると思うが、それは実に不愉快な話であって、私は30年以上もこれを忘れようとしてきた。そしてトムも、これは済んだ事だからそっとしておくべきだという私たちの意見に同意してくれたのだ。というのも、結局のところこれはブリッジス氏が今やろうとしているのとそっくりなことが分かるからだ:脅迫と強要である。まさに、ある読者が言う通り、「この事件でもってあなたを脅迫しようとする人は、その暴行を行った当人と同類なのである。このような人々は他人を餌とみなす。この連中は、餌食にしたい人たちを弱者とみなし、丹念にウィークポイントを探して、攻撃してくるのだ」 時として彼らは、何年もかけてこれを行う。「フランク・スコット」のケースで分かった通りである。

私がヴィンセントのかつての友人であり共著者であるジェイから、ヴィンセントが「あなたが殺人未遂を犯した『証拠』を持っていると言っていたよ」とメールで聞かされ、同時にヴィンセントが、「汚らしい物語の全て」をばらすぞと脅してきた時、私はこの裏には、不誠実極まりないフランクが居るのだと気付いた ― 彼は、元の雇い主の金を着服したのと殆ど同じような犯罪行為にまたしても加担したのである ― というのも、この情報をヴィンセントに教えられるのはフランクぐらいしか居ないからだ。さらに言えば、フランクはヴィンセントによって、「シーズの権威」であると宣伝され、私達が最初から交信文を「改変してきた」と誹謗中傷したのである。フランクはカシオペアンが言った事など意に介していないという事に私たちは気付いていたから、これは何とも妙な気がした。彼らのメッセージとは真逆の事ばかり言う彼と、私たちは何時間も議論したものだった。ある時私は、彼がじっくり読めるようにと、交信文を起こしたコピーを渡したものだが、この結果明らかになったのは、彼がこれを読んでいないか、あるいは読んでも理解できないのだろうということだった。というのも彼は多くのテーマについて、「承知の上で」真逆の事を言い続けたからだ。カシオペアンからのコミュニケーションがフランクによってもたらされているのでないのは明らかだった。

言いたいことはいろいろあるが、実に怪しいのは、フランクが自分こそ唯一のチャネルであって、繰り返し、実験の方式をボードチャネリングから、彼を唯一のソースとするトランスチャネリングに変えたいと主張していたことである。何度かダイレクトチャネリングを試したけれども、気付いたのは、コンタクティーの人格と感覚が際だって異なる ― 実際、いけすかない感じ ― だということであり、これが暗示するのは、このワークを完全に乗っ取ろうとSTS勢が企んでいるということだった。

元の雇い主に対してやったのと全く同様で、なるべく働かないで、実際の稼ぎよりもっと多い額の給与小切手を毎週切ってもらう資格があると、フランクは考えていたのだ。シーズの交信文を売ることで、フランクは誰かの口座からもう1枚小切手を受け取ろうとしたのである。

彼が今や、他人の法的権利をあえて無視したり、私達を脅迫したり、ゆすったり、強要したりする道を選んだという証拠と事実を考慮すれば、今後フランク・スコットが行う陳述は、ヴィンセントと同じソースから発せられると考えるべきなのだ。ヴィンセントは真実や他人が自由意思を持つ権利を全く無視してみせ、読者は怠惰さのゆえに、読者自身に関する情報などチェックしていないと思っている事を証明した。彼の哲学が「つく嘘は大きければ大きいほど、そしてより頻繁に繰り返すほど、公衆がそれを信じる見込みは高まる」ということであるのも明らかだった。つまり、彼らは他の人間を見下しているとしか言いようがない。

いつの日かフランクが、「腐敗の権威」となってヴィンセントの後ろ盾となり、「真相を知っている証人」として宣伝されるようになったら、私達にはせいぜい、「読者よ、注意されたい」というぐらいしかアドバイスできない。

このような認識を持ちつつ、数年来シーズがフランクに関して行ってきた奇妙な言明の全てを考え合わせれば、とても不思議なパズルのピースがついにピタリと嵌ったことに気付く。私達は臨時のセッションを行って、何が起こっているのか、正確に見極めることにした。こうして得られたのが、下のチャネリングであり、テープ起こしの済んでない未公表のセッションは何十とあったのだが、それらは後回しにして、これをまず公表することにしたのだった。

その晩にカシオペアンが私達に語ったところからすれば、今や全てが意味を成し始める − 病的ではあるものの、意味が通るのである。どうしてシーズが、私とフランクだけでボードに着いている時にはフランクの秘密に関する質問をはぐらかし、特定の質問に答えようとしないのか、以前は全くわからなかった。どうやら、フランクが居る前では得られない情報は多かったらしく、それらについて、私は随分と自分で説を考えなくてはならなかったが、それもフランクから私の身を守るためだったとは、思いもよらなかった!

こうした詮索はさておき、全体の状況に関してシーズが言うことを読まれたい:


020110
---
Q: (L) Hello.

A: Hello.

Q: 今夜のお相手は?

A: フィアアジ。

Q: どこから交信してるの?

A: カシオペア。

Q: 知っての通り、私達は今晩、フランクがダークサイドに寝返ったと知って驚いてるところよ。この見方は正しいかしら?

A: 大体そんなところだ。

Q: かなり前に、フランクが闇の勢力と戦ってて、問題は彼が連中の支配に抵抗できるかどうかだって、あなたたち何度か言ってたわね。彼が失敗するって分かってたの?

A: 彼は失敗していない。

Q: どういう意味?

A: STSの観方だと、彼は成功した。

Q: どうして私たちは、STSとSTOという究極の選択で境界線上に居たフランクが一緒だったのに、STO的な知識内容にチャネリングできたの?

A: 彼は、あなたが生まれる前に、現在の物理体内に暗号化された秘密を「ダウンロードする」という特殊な目的のプログラミングを施されていた。彼はあなたを堕落させられなかったので失敗した。彼は現在、ヴィンセント・ブリッジスと協力して、あなたが持っているミッション遂行能力を破壊するというミッションを帯びている。

Q: つまり、フランクが参加していた交信は損なわれている可能性が大いにあるのね。だからあの頃のセッションは正しさが72%だと言ったのね?

A: Yes.

Q: つまりフランクが居たせいで30%正確さが損なわれたの?

A: Yes.

Q: 不正確なのはどういう部分?見分けられるの?

A: 予言とテロ戦術。

Q: この時点ではどういう行動計画を取るべきかしら?今やっていることは中断してでも、フランクとヴィンセントのとった行動の結果起きた問題に、時間をかけて対処した方がいいの?

A: それに可及的速やかに対処するのがいい。

Q: 法的手段も採るべきかしら?

A: Yes, 著作権に関しては。

Q: ストーキング、ハラスメント、名誉棄損、脅迫についてはどう?

A: 適切な時期に自分たちで対処しなさい。その時期になれば分かる。

Q: (A) どうして完全無視では解決にならないんだ?

A: 無視しても彼らには影響がないからだ。あなた方のリアリティでは、何千年にも亘って、嘘や嘘つきのせいで自由意思の侵害が蔓延している。彼らはこの状態を永続化させるような、例えば、「反対の頬をも向ける」とか、「無視しているうちに、そんなものはどこかに行ってしまう」というプログラムで、それを実に効果的に行っている。嘘には必要とされるもの ― 真実 ― を与えなさい。

Q: (L) バランスを回復させるのね。嘘の前では、バランスは真実によってのみ回復されるわ。それじゃあ訊くけど:テリーがボードに就くと、ポジティブなエネルギーに貢献するの?

A: 殆どの場合は。

Q: だからあなたたち、テリーとジャンに出席を勧めてたの?フランクのネガティブなエネルギーを相殺するため?

A: Yes. でなければ、フランクはもっと早く、STS側へとエネルギーを吸い取って、あなたを殺していただろう。

Q: 私(や他のみんな)がセッションを幾つかやった後はいつもあんなに疲れて、フランクの方は元気になってたのはそのせいだったのね?

A: Yes.

Q: 彼は文字通り、私からエネルギーを吸い取ってたのね?

A: Yes.

Q: あの頃、あれほど沢山私が健康上の問題を抱えていたのはそのせいね?

A: Yes.

Q: 確かに兆候は全部あったのね。問題は、解釈できなかったことだわ。もちろん、私は嘘を信じてしまったし、フランクはとてもそれがうまかったわ。彼は完璧な嘘つきだったのよ。私既に、NEその他の人々と彼との間の、着服を含むやり取りを観察していて、彼が有能な詐欺師である兆候は読み取っていたわ。でも、無視する方を選んじゃったの。彼を助けられると思ったのよ。このプロジェクトが私の助けになるのと同様、プロジェクトでのお互いの利益が彼の助けになると思ったのよ。あなたたち、最初にシンクロばかり起きて、全体が仕組まれてたのは、私にチャネリング実験をさせるためだって言ってたじゃない。72%正確なチャネリングで私を続けさせる気にして、フランクは何らかの意識レベルで私から他の情報を吸い出して、私を殺すつもりだったのね?

A: ほぼその通り。

Q: 気が滅入るわね。あの人たちはどうしてアークをあれほど憎んでるの?

A: アークは、彼らがあなたを極悪な目的の行為の対象にするのを許さないから。

Q: つまり、ヴィンセントが入って来るのに合わせて、フランクは落伍していったみたいね。ヴィンセントが新しい「エージェント」だったのよ。彼はフランクが手に入れ損ねたのと同じ情報を引き出せるよう、時間をかけて接近してきたんだけど、この計画の新しいところは催眠術を使おうとした点だけね。そういう計画だったんでしょ?

A: Yes.

Q: 裏で全体の糸を引いてるのは誰?

A: 具体的には知らない方がベター。だが手掛かりとしては:STS共同体だ。

Q: 私、こんな状況でも守ってくれる知識が欲しいわ。どんな行動を取るべきかの内部情報で、私たちの助けになるような事が知りたいわ。あの人たちには動揺させられっぱなしよ。これからもこういう状況が続くの?

A: 心配無用だ。増派隊が向かっているところだ。

Q: 今こそ何としても現れて欲しいもんだわ!騎兵隊が居たらねえ。つまり、私たちの幌馬車隊は円陣を組んで、無法者たちに囲まれてるのよ。残されたのは魔法の解決策(silver bullet)だけ;あんたたちが、「心配ない。増派隊がそっちに向かっている」等々と言い続けるので、私達はここにしがみついて、ひたすらワークに励むけど、何も姿を現さないわ。家を売り払って引退すべきかしら。

A: まだだ!

Q: (A) 私は散歩がとても重要だという説を持っているんだけど、これについて訊きたいんだ。人は歩きながら考えると、じっとしている時には狙いを付けられ強化されるマインドコントロール信号から逃れられるんだ。どうだろう?

A: Close.

Q: (L) 私の耳の感染症の原因は?

A: ストレス。

Q: フランクが落ちそうになっている穴を見せるために、彼に情報を与え続けるべきかしら?彼が気の毒で仕方ないのよ。

A: 彼はどっちみち穴に落ちるだろう。どうして苦痛を長引かせるのかな?

Q: どういう穴なの?

A: 自殺しようという考え;彼は目論み抜きで他人を助けようというSTO的動機を持っていない。STO派の人々が大いなるトラブルを生き残る持久力はそうした動機によってもたらされる。

Q: だったら、そんなトラブルに巻き込まれないようにすればいいじゃないの。

A: 彼には無理だ。

Q: どうして?

A: 原動力。

Q: どんな原動力?

A: 両親による虐待と無視によるプログラミング。

Q: 今、フランクに何か言ってあげることは無いの?

A: No.

Q: だけど私は、チャネルがグルーヴするのを手伝ってくれたフランクに恩を感じるべきじゃないの?

A: それは彼の活動テーマではなかった。

Q: (A) ヴィンセント・ブリッジスと行った「ミラー・セッション」をテープ起こしして、知るべき真実の一部として公表すべきだろうか?

A: Yes! 全ての真実は有益であり、嘘で支配され動いている世界のバランスをとる。

Q: (L) 確かに、誰かが嘘で支配され動いている世界で真実を述べ始めると、嘘つきたちは夢中になって、その人を滅ぼそうとするわ!それが私たちの直面している明白かつ厳然たる事実よ。嘘の皮を次々と、全部剥ぎ取ってしまえるとは思えない。どうしてあんな風に嘘がつけるのか想像がつかない;全く仰天だわ。

A: Yes. それもあなたのミッションの1つだ。

Q: (A) こんな風に攻撃を撃退するのが正しいSTO的アプローチなんだろうか?例えば、私は彼がサイトにアクセスするのをブロックした。ゲストブックへの投稿を削除した。eグループから除名した。嘘を広めるという彼のミッション遂行を難しくした。でも、確信できないんだ。これがSTOのアプローチなんだろうか?

A: そうだ。

Q: (L) 彼、嘘が求められている場所では、つきたいだけ嘘をつく完全な権利を持ってるでしょ。彼が持ってないのは、私たちのスペースに侵入して嘘をつく権利よ。だって、私たちは嘘を求めてないし、真実を発見しようとする自由意思を侵害する嘘なんて欲しくないわ。彼はマトリョーシカみたいに次々に、嘘を聞きたがってる人々が出て来るリストを持ってるのよ。彼らはどっちにしても真実を見分ける努力はしないし、アークが真実を彼らのリストに載せたら、動揺するに違いないわ。自由意思が侵害されたときにはどんな気がするか、少々試すことになるのでね。彼は嘘が望まれてる場所で、あらゆる嘘をつくことができるのよ。他に何か忠告はある?

A: やり通して辛抱しなさい。

Q: 手助けを早く受けるために何かできないの?

A: それはそっちに向かっている。

Q: ww 第6密度には時間なんてないくせに。それにしても、あの狂人たちに対処してたこの数カ月は、6年にも、6千年にも感じられたわ。愚痴だけどね。

A: いずれにせよ、それはやって来る。「眠りにつく前に何マイルもの道のりがある」
http://thetruedeceiver.seesaa.net/article/250797829.html
進み続けなさい。目的地にはいずれ到着できる。

Q: 訊かなかったことで、知っておくべきことは他に無いの?

A: 今のところは。
Goodnight.

[End of Session]
---


さて、以下に再現するのは、ヴィンセント・ブリッジスとフランク・スコットが私達を脅迫するネタに使おうとした事件の説明である。この説明文は、アークと初めて会う時に書いたものだ。私に関して全てを知る資格があったトム・フレンチにこれを語ったのと同様、アークには最初から話したのである。不幸にも、何かの折に、フランク・スコットにも私はこれを話して居た。

本件の調査を始めた時、トム・フレンチは私に、本件に関する公的な記録はあまりにも古くて、事件がどう決着したかすら書かれていないと言った。私の情報をもとにトム・フレンチは、弁護士を捜し出し、この弁護士と、その相棒である私立探偵にインタビューして詳細を聞き出さねばならなかった。

この物語の背後にある「真実」を読者にお伝えするために、私は、確かトムからのメールがあった筈だと探してみたのだが、後で思い出した。探偵のアロイおよび、弁護士のブライアン・ヘイズにインタビューした後、トムは私にメールではなく、電話して来て、「いやー、嬉しい事に、全てあなたの話してた通りだったよ」と言い、私の人生における、真のSTO天使である2人の紳士が、「あなたが無事と知ってハッピーであり、幸運を祈るとのことだ」と付け加えたのだった。

ということで、文書による記録がなく、そのような記録を探すのがいかに困難かつ高くつくか知っているので、私はブライアン・ヘイズに電話して、あの時の状況を訊くことにした。いずれにしても、ブライアンとジョーは、事件に関する手紙を提供できて嬉しいと言ってくれた。

さっさと本題に入るとしよう。これは花も恥じらう18歳と2か月の乙女ローラ・ナイトが、ヴィンセント・ブリッジスに言わせれば「殺人未遂を犯した」という恐ろしい物語である。

私の母は簿記が出来たので、地元の数社と契約して帳簿をつけていた。そんな1社のオーナーは地元の政治家でもあった。彼は州議会議員に立候補して当選したので、州都タラハシーで過ごす時間も長かった。母は彼の会社の経営を任されていた。

彼は地元の大物の類で、郡に屋敷を、タラハシーにアパートを持っていた。本宅に居る時、彼は家にやって来て、母と仕事のことで議論し、帳簿や小切手、預金等々の受け渡しを行っていた。

この頃、私は毎日何時間もかけてピアノの練習をしていた。母たちが部屋のテーブルの上に書類を広げている間も、私は別の部屋で練習していた。

ある日、母が言うには、この人は私に関心をもってくれており、「タラハシーに出てくれば面倒を見て、学校にも通わせてあげよう」と言っているとのことだった。彼女はこれが素晴らしいビッグチャンスだと思ったのだ!

この計画が実行に移されることで、皆の意見が一致したのだが、私はまず、学校を終わらせねばならなかった。それで私は、1969年の9月から同年12月まで地元の学校へ通った。この時点の計画では、私はタラハシーに行って上級クラス(◆能力別に行われる進度の速い授業)で高校を卒業し、その後大学へと進むことになっていた。そこで1月になると、私はタラハシーに移った。

何かと議員の仕事をする時に彼が滞在するビルにあるアパートに、私の部屋が用意された。全て準備が整っていた。それで私は学校に行き、新しい仲間たちと出会った。4月までの数か月は素晴らしかった。アパートには素敵なプールがあって、私はプール脇での勉強を楽しんだ。。。少なくとも、リーダーは楽しかった。私は1人で淋しかった。それで、この議員を知っている別の女性が自分の娘のためにもなると考えて、娘を私と同居させることになった。

ある晩、彼は私の部屋にやって来て、「私の家に降りておいで。2人きりで話したいことがあるんだ。何しろ特別な事で、キミもビックリするだろう」と言う。

そこで、1時間で宿題を済ませた私は、戸外の通路を降りて行って、彼の家のドアをノックした。ドアを開けた彼は、ローブをまとい、葉巻をくわえて、手には酒のグラスを持っていた。手短に言えば、彼が援助の見返りを求めているのが明らかとなったのだ。バカな私は、彼が本物のナイスガイで本当に私に対して、慈父のような関心を抱いていると思ったのだ。だが、そうではなかった。

私が「イヤよ」と言うと、彼は乱暴してきた。彼が乱暴したので、私は反撃した。私が反撃したので、彼は激怒して私の首を絞めてきた。そこはたまたま台所だったので、私はカウンターに押し付けられ、意識が遠くなってきた。そこで私は倒れ込まないようカウンターにつかまった。すると私の手に、取っ手のある、何か重い物体が触れた。私はそれを掴んで、それで彼を殴った。彼は一瞬、手をゆるめたが、また首を絞めてきたので、私もまた殴った。ただし、一息つけたので、今回は少し強く殴った。次は頭を殴ったのだが、激怒する彼の姿は悪夢を見ているようで、私は彼が手を放すまではあくまで殴り続けようと決めた。

この時、彼の血が私にかかったが、それでも放そうとしないので、私はもう1度殴った。もう4、5回殴れば、頭をかばうために彼は手を放すに違いないと思っていたので、彼がそうした時には、私は死に物狂いで走り出した。きっと彼が追いかけて来ると思ったので、アパートの部屋にたどり着くと、ルームメイトに中に入れてもらえるよう、私は乱暴にドアを叩いた。私を招じ入れた時、彼女はすっかり震え上がっていた。私はヒステリー状態だった。

全身血だらけの私を見て、彼女もヒステリーを起こした。2人ともどうしていいか分からなかった。。。とりあえず彼女は私に服を脱がせ、シャワーを浴びさせた。。。私はシャワーを浴びながらも、あの男がアパートに無理やり押し入って来るかも知れないと考えると震えが止まらなかった。すると彼女が、「外の駐車場にパトカーと救急車が停まってるわ」と言った。どうやら男はバルコニーに出て「レイプだ」とか何か無意味な事を叫び、それを聞いた誰かが、警察を呼んだらしい。部屋をノックされた時、私は服を着て烈しく震えていた。彼は救急隊員に、「あの女は私をベッドに誘って来た後、理由もなく攻撃してきたんだ」と言っていた!!

私は彼らに、実際に何が起きたか話した。彼らは納得していたが、「もっと調べがつくまで、しばらくはどこにも行かないように」と言った。

どうやら一件落着したようだった。だが3日後、英語の授業中に呼び出されると、もう少し話を訊きたいという警察からの伝言を伝えられた。それで放課後、私はバスに乗って警察本部に行った。尋問に答えるのだろうと思って、私が入って行くと、いきなり手錠をかけられ、私は「凶器を使った暴行による殺人未遂」で逮捕された。あの男は、自分が気狂いティーンエイジャーの「罪のない」犠牲者であるという夢物語をでっち上げたのである。

私は連行され、独房に入れられた。

何でこういうことになるのか、説明が思い当たらなかった。まるで。あえて法を犯すようなワルならば、こういう結果になると思い当たる所もあろう。だが、私は何も悪い事はしておらず、愚鈍で世間知らずなだけだった。それなのに、信頼していた人に裏切られ、強姦されそうになった上に、サイコパスの言い分が通って、殺人未遂の罪を着せられ、本当は私が犠牲者だとは誰も分かってくれないのだ!こんな目に遭った女性なら、これはいくら何でも酷すぎると分かってくれるだろう。これでは祖父でも母でも、誰もどうすることも出来ない。この罪は「死刑が相当」であるため、保釈不可能なのである。。。想像してみて欲しい。

1週間後、私は手錠をかけられて、法廷に連行された。私が治安判事の前に立つと、彼は起訴状を読み上げた。私は若干18歳にして、手錠をかけられ2人の警察官によって、公道を連行されねばならなかったのだ。

判事は私に「弁護士は居ますか?」と尋ねた。私は泣きだしながら「いいえ」と言った。だが、弁護人席に座っていた1人の男性が突然立ち上がって、進み出ると言った:「はい、彼女には弁護士が居ます、判事殿。私が相勤めます」 男性:「弁護士は私でいいですか?」 私:「はい」。これで解決した。弁護士がついてくれたのだ。彼の名はブライアン・T・ヘイズ。彼には優秀な助手の私立探偵ジョセフ・アロイが居て、彼らこそ文字通り、「鎧きららかな騎士たち」だった。

彼らが私の「保護者」について調べた結果、ショッキングな事が分かった。どうやら私は醜悪な営みに徐々に引きずり込もうとする裏の世界のやり手の餌食となったらしい(ヴィンセント・ブリッジスとの状況にそっくりではないか?)。本能的に断ったお蔭で助かったのだ。確かに、抵抗したために、幾分深刻な問題に巻き込まれはしたが、私の人生はこれの繰り返しだった。闇の権力は、コントロールしようとし、計画に引き込もうとするとき、抵抗されるのが好きではない。それは今もあの時も変わらない。

マイナーな州政府の議員だった私の保護者は、ちょっとした副業を持っていた:彼は脅迫のためのホームビデオを撮っていたのだ。どうやら、彼は私を陥れる計画だったようだ。彼はエアコンの通気口に仕掛けた秘密のカメラで、私との行為を隠し撮りして、映画を撮ろうとしていたのだ。このような映画は、やがてゆすりや享楽、おそらくは独特な種類のロビイングにも使われることになる。

ちょっとした「副業」の証拠の全ては、この男が入院して、窮地を抜け出そうと死に物狂いで嘘をつき通そうとしている間に発覚したのである。彼は告訴内容を、私が何の理由もなく暴行してきたという風に変更しようとさえした。詳しく調べられるのを何としても避けたかったのである。だが、そうはいかなかった。一旦州が起訴の決定を行った以上、犠牲者が心変わりしても裁判に影響はない。州の権力は絶対なのだ。裁判が始まった。

法廷は「血の海」で、事件の時よりひどいぐらいだった。彼は本物のサイコパスらしく、彼の不誠実な意図と行動を示す、自筆の動かぬ証拠を突きつけられても、嘘をつき通そうとしたが、結局、「正当防衛により無罪」という判決となった。彼は起訴を免れたのだが、悔悛の情ありとして情状酌量されたのが唯一の理由であり、州政府内にまだ僅かながら彼を庇う声があったからでもあった(おそらく、彼がゆすったのだろう)。

つまり、私は全く無罪放免されたのだが、名誉と評判は別で、何度も嫌な思いをさせられた。

そして現在、殆ど同じ状況に私は置かれているのだ。若い頃に私が保護者によって、心理的に犯されたのと同じくらい烈しく、ヴィンセント・ブリッジスは私の拒絶に対して反撃してきたのである。彼は同じような嘘をつき、同じような策略を試みた。実際、全体のシナリオはちょっとした繰り返しなのである。

この男たちだって学ぶだろうと思われるだろうか。

闇の勢力は真実が好きではない。連中は、コントロールと操作に抵抗する人々を嫌う。どんな事をしても、誰を利用しても、どんな嘘をついても、どれほど小規模でも、人々にコントロールを強いようとする。

ヴィンセント・ブリッジスに対して、この事件を歪めて伝えることで、どうやらフランク・スコットは、向こう側につくとはっきり決めたようだ。

2002年1月、フランク・スコットは、カシオペアン実験の信用を落とし、カシオペア・ディスカッションリストのメンバーにカルトのレッテルを貼るべく、ヴィンセント・ブリッジスと手を組んで、明らかに実験自体を終わらせようという協調的な努力を始めた。

フランクが公然と攻撃を始める直前まで、私は彼がグループに戻れるようチャンスを与え続けた。正体が明らかになるまでは、ヴィンセントにだって、私はそうした。にもかかわらず私は、大好きであり、一緒に居て楽しく感じ、共同実験とは何と素晴らしいのだろうと感じさせてくれた2人が、エゴを捨て、操作/コントロール/嘘を止めるのではなく、別の道を選んだことを認めねばならなかった。

私はがっかりした。私の健康は急速に劣え、2002年の1月、私は生死をさまよう病気に罹った。机に向かえる位に回復した後、私は学んだ事に対してできると知っている唯一のことをした:私は調査によって分かった動学を日々理解しようとし、本巻を執筆することで、事件と動学をみんなにシェアした。

来る日も来る日も、私は生活の中の出来事に意味を見つけようと必死だった。後に分かったのだが、私が苦難をシェアしようとする結果、私達のリアリティの本質に関して意味深い暴露が起こるのだ。ヴィンセント・ブリッジス、フランク・スコット、その他攻撃に関与した人々がダマシを行う際に見せる、不可解な知覚と能力を理解しようと、私はインターネットという日々演じられている公のステージを調査し、探り、検証した。答えを探し求めた結果、暴露することになったのがサイコパスであり、それがオーガニック・ポータルについて理解するチャンスを生んだ。このような理解がなければ、世界というステージ上の出来事、とりわけジョージ・ブッシュ一味の行動を理解するのはまず不可能だったろう。

私がヴィンセントの魔手を逃れ、本交信に関して私と提携しようとする計画を挫くと(後で分かったのだが、これは典型的なコインテルプロの戦術だった)、次のレベルのコインテルプロが始動した:誹謗中傷、ニセメール、何でもありだった。

ヴィンセントの吐いた大言壮語の1つは、私たちの本に関するものだった。最初、彼はそれを刊行したいと言った。私達の本で一儲けするために、私たちの本を制御不能にしようと企むうちは、それをいくら褒めても褒め足りなかった。それをコントロールしようとしていくら時間をかけても、墓穴を掘るばかりだと分かると、彼は180度方向転換し、「くだらない本で一儲けしようだなんて。。。」と大言し始めたのだ。

ブリッジス一味のもう1つの暴言は、「カルトだ!」と言って非難する典型的なコインテルプロだった。これは、実はかなりの実を結んだ。というのも、カルト的思考から自由になるのが、クォンタム・フューチャー・スクール設立の主目的の1つだったし、まさにそこから、ヴィンセントは追い出されたのだから:彼は自分のカルト的思考と操作を手放すことができなかったのだ。つまり、カルトを創ることこそ、まさにヴィンセントがやりたかったことに他ならず、とりわけ彼はグルのトップになることにより、クォンタム・フューチャー・スクールでカルトをやりたかったのだ。

そしてまた、彼は、カルトを行うために、『第5の道のミステリー・スクール』を作っていた。そうして、私達の非公開のディスカッショングループが、まさにこれはカルト攻撃スクールだと気付くずっと前から、機会をうかがっていたことにも注意すべきである。ブリッジスが抱えていた問題は、彼が1人の支持者も得られず、私たちの読者を自分の利益のために取り込もうとしたことだった。彼がグループから除名された時、彼が専ら吐いた大言は、私達が「言論の自由を弾圧」しようとしている、というものだった。

時が経つに連れて、状況は益々悪化して行った。死の脅威が増えた。うちの犬(UFOを目撃した後、急死した犬の孫)が毒殺され、一番上の娘は、交通渋滞のせいでおかしくなった基地外らしき者によって、3度も幅寄せされ脱輪した。3度目は、ひどい事故になって、彼女のクルマはぺしゃんこになった。2番目の娘は、子供たちの集会で毒を盛られ、3日間生命維持装置の世話になった ― 皆一度はあきらめたのだが、彼女は奇跡的に一命を取り留めた。私達の住所・氏名が、ある名誉毀損防止同盟(Anti-Defamation League、略称ADL)(ブリッジスとその仲間たちは、このADLが反ユダヤ主義的だと、あちこちで宣伝している)のサイトに投稿され、私達はこの地域の誰かによって「始末されるべきだ」云々と言われた。子どもたちを虐待しているという虚偽の捜査報告がでっち上げられた(有り難い事に、うちの街の警察署長が私たちのことを知っていて、こんなことがあったのだと警告してくれた)等々。

ブリッジスはトム・フレンチにも電話して、自分の汚い考えを繰り返し話した。トムはそのことをメールで教えてくれた。私達はFBIやフロリダ州法執行局(FDLE)に苦情を言った。FDLEの特殊エージェントは電話で、「我々には手が出せないんだ。州外から行われているので、管轄外なんだ」と言っていた。さらには、「ブリッジスからされていることが気に入らないのなら、彼に対して行っていることを止めるんだな。それが彼を怒らせているのだから」とまで言われたのだ!!!つまり、ブリッジスは虚偽の捜査報告のでっち上げ、ストーキング、ハラスメント、名誉棄損、強要その他、何でも好きな事ができたのだ。当局の答えは「彼に降参するんだな」だった。

ということで、次章は、元カス・グループのメンバーであるフランク・スコットがコインテルプロのサイコパスであるヴィンセント・ブリッジスと闇の同盟を結んだのを私が発見した日から始まる。

(本章終わり)
posted by たカシー at 04:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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