2015年05月21日

ザ・ウェイブ15章: 存在する全ては学び、あるいは、岩なるイエスは我が身を裂け目の中にかくまい給えり

ザ・ウェイブ15章: 存在する全ては学び、あるいは、岩なるイエスは我が身を裂け目の中にかくまい給えり
http://cassiopaea.org/2010/05/12/the-wave-chapter-15-all-there-is-is-lessons-or-he-hideth-my-soul-in-the-cleft-of-the-rock/


いわなるイエスは我が身を みもとに引き上げ
裂け目の中に安けく かくまい給えり
御怒りは過ぎ行くべし 我が身の隠れ家
いわなる主覆い給わん 愛の御手をもて
愛の御手をもて(原注1)


原注1:ファニー・クロスビー
http://homepage3.nifty.com/eternal-life/preachings2005/05.07/07.31.htm
の作になるキリスト教聖歌。これは常に私のお気に入りだった。2000年に亘って広められてきたキリスト教がオリジナルのものではないと知った今でも、それは変わらない。なおも見つかる幾つかの有益なコンセプトは、恰も泥の中に埋もれた宝石という感じだ。
(※賛美「いわなるイエス」 聖歌506番 HE HIDETH MY SOUL
https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=MB4z7pIyR2I#! ※※)


続いて起こることになる事件の背景を説明する本章の執筆は、極めて困難な作業である;だが、本章の内容は欠かすことが出来ない。他のどの自伝の類でも、はっきりとした理由があって、この時期の事を詳細に書くことを私は避けてきた。。。思い出すのが苦痛なのである。

加えて私は、読者が個人的な記録に退屈し、あるいはうんざりするのではないかと常々懸念しており、後に皆で議論していた時に引き合いに出したことのある、目立った経験だけを、しかも可能な限り簡潔に述べるようにしてきた。しかし見聞きして知っているのだが、本章で語る事の多くは、私に限った現象ではないのだ。

前回取り上げたエピソードで私は、人間が脳を持って居るのは、多分そう悪い事じゃないのだろうと判断したものだった。とは言え「信仰の旅」(12-13章)は、まんまと催眠術をかけてプレッツェルのように捻じ曲げ、大胆不敵に活動させて、神学上のナンセンスを正当化するという以外の脳の使い方には難色を示すのだが。

ある友人をオフィスに訪ねた日の事を覚えている。彼女のスクリーンセーバーには、「神はガラクタを造り給わず」と書かれていた。これは何とも面白く感じられた。というのも、私は丁度その頃、人間は脳を使っても神を発見したり理解することはできず、様々な「信仰の旅」の途上に何が待ち構えていようとも、信仰と、そしてもちろんのこと聖書のみを用いてそれを乗り越えるべきである、という催眠術から逃れようと奮闘していたところだったからだ。

頭脳 ― 精神 ― は悪魔の道具となるだけだという趣旨の説教を、私は何度聞いたことだろう?もちろん、「捕食者の心」の話と照らし合わせて思うのは、この説教も半面の真実であるということだ。それでもなお、次のことはかなり明らかに思われた。すなわち、神の心の中に、たとえ何が存在し、神がどんな男/女/物であろうとも、神の心から放射された光である人間の心は、きっと彼/彼女/それを見出す機能を持っているに違いないのである。

スクリーンセーバーの小さな一言は、私がすっかり「信仰の旅」を受け入れてしまったために、自分の頭で考えることさえ恐れるようになっていたという現実を、私に突きつけ、悟らせたのである。私は疑問を抱く自分の傾向に困惑し、論理的に分析する能力に並々ならぬ罪の意識を抱いていたのだ。

修道僧の道におけるスタンダードな催眠暗示の1つは、思考禁止である。考えるから、疑問を抱くのである。不文律となっている第11戒とはこうだ:「汝、疑問を抱くべからず!」

はたと気づいたのだが、私達が脳という驚くべき器官を備えて創造されたのは、明らかに理由があってのことなのだ。(読者はもう確信して居られるに違いないが、私は毎度飲み込みの遅いたちである!) だがいずれにしても、神が、故あって私達に脳を与えたという自明な事実からは、次のような考えが導かれるのである:私達は脳を、神を発見するのに用いるべきではないのか?だのに私達ときたら、神に関する明らかにナンセンスな教義を正当化するばかりではないか?この教義を伝統として伝えてきた人々は、世界の状態を向上させるような事はさして行わなかったこと明らかなのだが、こんにち私たちが生きている社会体制の考案者と称されているのだ。彼らが脳を働かせなかった、この体制のせいで私たちはトラブルに巻き込まれているのではないか?

ほぼ同じ頃、大変奇妙な事が起きたのだが、当時の私は、これがアブダクションだとは思わなかった。今にして思えば、事の真相に関する手掛かりはあるようだ。その反面、他の説明も可能だろう。

既に述べた通り、私達一家は小屋に住んでいた。とても小さな小屋だった。ベッドと収納、小さなギャレータイプのキッチンだけで殆ど目いっぱいだったのである。(私がこの経験から学んだものがあったとしたら、それは完璧なキッチンをデザインする術だろう!)

私達のは普通のダブルベッドだったが、隅に押し込まれて、1方の側は壁にぴったりとくっついていた。このベッドの足元にはごく狭い空間があり、すぐ隣にはベビーベッドが置かれていた。私は内側を向き、壁を背にして寝ていた。私がベッドに出入りするには、背中側に向かって後ずさるか、前夫を起き上がらせておいてベッドの端から起き上がるかのいずれかしかなかった。当時身体障害と呼べる状態だった私には、「這いずる」方の選択肢を実行するのは、不可能ではないにしても困難だった。一旦ベッドに入ってしまうと、前夫を起こした上で私が起きるのを手伝ってもらわない限り、私はほぼ一晩じゅう身動きが取れなくなるのである。

ある夜、私は何かのせいで目覚めたのだが、それが何なのかは分からなかった。低いうなり声という感じだった。だが私はあまりの眠さにボーっとしたまま、目を開けられなかった。しかし、この騒ぎを調べなくてはならないと思った私は、無理やり目を開くと、枕から頭を挙げて周りを見回した。すると。。。それまでの人生で、こんな奇妙なものを見たのは初めてであり、今でも正確に説明できないくらいだ。

私が見たのは光だったが、普通の類の光ではなかった。もっと固体に近い感じだったのだ。それは実際、家の壁じゅうにある裂け目や針の先ほどの穴を貫通していた。もちろん、窓からも入って来ていたのだが、針のようなビームが壁を突き通している様子は実に奇妙だった。それらは殆ど固体で、つららか、あるいは水晶のかけらのようにすら見えた。

これを見た私はもちろん、少し困惑した。壁の裂け目をあらゆる方向から同時に突き抜けるような強力な光の正体など見当もつかない。だいいち、壁に空いている裂け目なんて、どう見ても顕微鏡レベルだろう。太陽の光だってこんなことは出来ない。しかも私は、この小屋の構造上、確かにこのような細かい裂け目があることを知っていた。部屋全体にビーム光線が縦横に張り巡らされた感じだったのである。(原注2)


原注2:上のような描写を書いてから数年後に、この時の光がどのように見えたか、その印象を多少伝えるものを私は観た。ショーン・コネリーとキャサリン・ゼタ・ジョーンズが出た『エントラップメント』という映画があるのだが、この女優がレーザー光線の張り巡らされた空間を進んで行くシーンが出て来るのである。
http://www.criticalcommons.org/Members/ccManager/clips/voyeurism-and-the-male-gaze-in-entrapment/view
このシーンのレーザー光線を目もくらむほどの輝きにしたものだったと言えば、私がどんな光景を見たのか、幾らかお分かりいただけよう。


この実に奇妙な光線について納得するために、私はどんな答えを考えただろうか?私が考え出した理屈は、これは前夫の友人たちのグループがジョークのつもりで、泥レースに出るようなモンスタートラックの隊列で我が家の前に乗り付けて、装備された狩猟用のライトで我が家を一斉に照らし出したのに違いない!というものだった。ということはもちろん、我が家の四方にトラックがこっちを向いて停まっていなくてはならず、上方からも下向きに照らしていなくてはならないことになる。妄想に取り憑かれていたあの頃の私にはこれが、全く説明のつかない出来事に対する合理的な説明のように思えた。

ただ1つ問題だったのは、前夫には、狩猟用のライトを装備した、泥レースに出るモンスタートラックを持って居る友人たちなどいないということだった。だが、そんな些細な事は気にしなかった私は、彼の友達が冗談のつもりでやっているのだと決めてかかり、今は疲れすぎていて笑えないので、彼を起こして友人たちを追い払わせようと決めた!彼らときたらよくもまあこんな真夜中に人をからかったりして、彼は明日も早起きして仕事に行かなきゃならないのよ!もっと大事なのは私の睡眠!何と言っても病人なんだから、眠らなくちゃ!!

そうすることにした私は、布団を頭からかぶって、再び眠りについたのだった!

やがて私は、痛みで目が覚めた。特にどこがという訳ではないのだが、産後の肥立ちが悪く、回復に何カ月もかかっていた私はとてもひ弱で(『アメイジング・グレース』にも書いたように、出産の際に骨盤を損傷したせいで、ほぼ6カ月の間寝たきりだった);身体を動かしたりすると、身体中が痛くなるのである。どうやら痛みの中心は腹部のようで、それが背中へと達していて、まるで陣痛初期のような感じだった。

ということで、私は痛みのせいで目を覚ました。だが、何とも奇妙な事に、目が覚めて気付いたのだが、私は顔を前夫の足に押し付けていたのだ!ベッドの中で私の頭と足の位置がすっかり逆転していたのである。加えて、私の寝間着の膝から下が濡れていた。壁を背にして座れるように身体を動かしつつ、何が問題なのか分かるよう、身体を起こして脚を見ようと、脚を片方ずつ持ち上げてベッドの脚の辺りに下ろすのは大変痛みを伴う作業だったが、なんとかやり終えた。

私は濡れて脚に冷たく貼り付いた寝間着を見て立ち尽くし、どうして寝間着が濡れたのか考えようとした。今でも覚えているが、あの時は確か考えているうちにヒステリーを起こしそうになったので、早々に考えるのを止めなくてはならなかった!乾いたものに着替えようと、私はマッチを擦ってランプに火を点けた。脱ぐ時に気付いたのだが、寝間着には点々と小さな黒い染みが付いていた ― よく見るとそれは、裏庭に生えている、膝の高さのバヒアグラスの種と花粉だった。これはどう考えたらいいのだろうか?すぐさま反射的にヒステリーを起こしそうになったが、今度も抑えることができた。私は、自分にこう言い聞かせた。きっと私は夜中に目をさましてトイレに行ったのだが、その際、夜間にトイレを流すために用意してあるバケツの水に、誤って寝間着を浸けてしまったのだ。(私は手動でも構わないから、水洗設備を取り付けようと主張していた。)しかも、どういう訳か、寝間着を濡らしたことも忘れてしまったのだろう。。。どうやってベッドに逆さまに寝たのかについては、説明を考えようとさえしなかった。

私はこのような説明を考えたのだが、これはどう考えてもおかしかった。というのは、私は人生において後にも先にも、夜中に目を覚ましておきながら、起きたことを忘れたり、その間にしていた事に気付かなかったためしなどなかったからだ。見なくてもいいように、寝間着を丸めて洗濯物籠に入れたのを覚えている。ようやくこれを洗おうと決心した時には、じっと見ないでも済むようにさっさと済ませたのだった。

さてもちろんながら、私の身体のコンディションおよび、どうやってベッドから出たのかということを考えると、この説明はまるでなっていない。だが、そんなことはどうでもよかった。私は説明をでっち上げて、それを受け入れたのだ。説明のつかない部分については「なかった事にして」、考えるのを避けた。そうしなくてはならなかった。他に何が出来ただろう?たとえ合理的な思考でもって、この問題にアプローチしても、私の世界観に適うような合理的な説明はつかず、私は内心パニックに陥り、あるいは、走って来るクルマのヘッドライトに照らされてフリーズしてしまったシカと同じような感情を抱くばかりだったろう。

こんな風に説明を考えなくてはならない、似たような経験をしたことがある人は他にどれぐらい居るのだろうか?

この頃には、心臓の具合が悪くなってきて、心臓弁での血液逆流や心房細動どころでは済まなくなっていた。毎週のように狭心症の発作に襲われ、両腕まで痛くなった。特に左腕がひどかった。そして以前罹った子宮内膜症も再発し、これは殆ど痛みっぱなしだった。(最終的には子宮内膜掻爬術と腹腔鏡検査を受け、重い腺筋症であることが判明した。)

そして頭痛である。あまりに痛むので、息をしただけで響くのだ。何も効かなかった − どんな薬も、セラピーもだ。打つ手がなかった。この痛みの始まり方は奇妙で、頭蓋骨の後部が首の上に載って居る外後頭隆起のところが腫れて来るのである。この腫れは、時にはゴルフボールの大きさぐらいにまでなるのだが、そこから痛みが、放射される波のように広がりつつ、ズキンズキンと脈打ちながら徐々に強くなっていき、ついにはまるで鉄のヘルメットで頭を締め付けられているかのように感じられ、頭が粉々に砕けるまで続くのだろうという気がしてくるのだ。そうでもならない限り、こんな苦しみの発作が止まることがあるのだろうか?だから、痛みから解放されることはすっかり諦めなくてはならない。その上で、これに対処する唯一の方法は、闇の中でじっとして横たわり、身体の動きが最小限になるよう、呼吸もできるだけ浅くすることだった。頭痛は一度始まると1週間は続き、その間睡眠は時折まどろむ程度となるが、やがて、この破壊的な苦しみに直面して正気を保っていることにも疲れ切って、私は深い眠りに落ちる。すると、目が覚める時には、ついにこの痛みから解放されているのだが、それは次の発作がいつ来るかと恐れる日々の始まりでもあった。

これでもまだ十分でないと言わんばかりに、私は耳の感染症にも罹り、これは私をいやというほど苦しめた。これはあまりに重篤だったため、感染した耳の側の頭がむくんで、耳だれ(膿み)が流れ出るのを邪魔するくらいまで、すっかり耳を塞いでしまった。こうして溜まった膿のせいでついに鼓膜が破れた私は、その痛みには何とか耐えたものの、膿は膝まで垂れて来て、何とも哀れな姿になってしまった!

私の耳で起きた、やがて慢性的となる定期的な「爆発」に関して奇妙なのは、何の予兆も無かったことだ。具合が悪くなっているという感覚がゆっくり募ってくるということがなかった ― 顔の片側がむくんだ痛さで目覚めると、みるみるうちにむくみがひどくなり、たった1日のうちに緊急救命室に運び込まれるほど危険な状況になったのである。

今にして思えば笑ってしまうが(とはいえ、経験した者にとっては愉快なテーマではない!)、1人の医師が私のむくんだ耳から垂れて来る膿を試料として採取したいと言ったのだった。彼女は綿棒を持って私の横に来ると、腫れあがった耳の穴から、膿を優しく採取しようとしたのである。彼女がそこに触れた瞬間、爆発的な痛みが即座に私の腕に伝わって、反射的に繰り出した1撃のために、彼女はもう少しで部屋の反対側まで吹っ飛ぶところだった!たちまち彼女は、「とても痛いのよ」と言った私の言葉が全く冗談などではないと悟ったのである!私は泣き言ばかり言うタチだと思った人には言わせてもらうが、私はこの時までに4人の子供を産んでおり、そのうちの1人を産む時は、骨盤分離が必要だった
http://community.babycenter.com/post/a26684381/separated_pelvis_during_delivery
― 物凄く痛い思いをしてきたのだ ― だが、私は遠慮がちにうめくだけで、大声を出したり、叫んだりといったことは一切しなかった。我が家では、痛みは威厳をもって耐えるべきものであり、不平を言ってはいけなかった。ましてや病気の面倒を見てくれる医者に暴力を働いたことなどなかった!

この状況に対する私の解決策は、読書しては絶えずメモを取ると共に、さらに一層瞑想に励むことだった。私はまだあらゆる感情を神の愛へと包み込むことの探究をすっかり諦めてはいなかった;だから、このようにして瞑想するのが日課で − 時としては日に2度以上やることもあった。適度な量であれば瞑想は、「読み取り機能をチューニングしつつ」行う限り、確かに人の進歩を加速させるものだ。

私にとって瞑想とは、二重のプロセスである。後で分かったのだが、瞑想法によっては私のやり方を「シードを用いた瞑想」と呼ぶようである。このプロセスは、沈思黙考する練習や、1つのアイディアないしイメージにフォーカスする練習をするところから始まる。かなりスタンダードなやり方だと思う。

私の瞑想訓練の上達スピードは早かった。このことは、後にこのテーマに関する上級者向けテキストを読んで分かった。もちろんながら当時、私には指南役もいなければ、瞑想法自体の本を読む以外に、方法論の研究などしていなかった。

瞑想には、基本的に2つのやり方がある:シードを用いる場合と用いない場合だ。すなわち、フォーカスする何かを念じるやり方と、心を完全に空っぽにしようとするやり方である。一般に、初めのうちは、シードを用いて瞑想する方が、より生産的である。あなたのタイプ次第で、シードも様々だ。あなたが見えるタイプなら、心の中にビジュアルなイメージを抱くとうまく行く。あなたが聴こえるタイプなら、フレーズを決めて心の中で「聴く」とうまく行く。あなたが動きで感じるタイプなら、その感覚を保ち、あるいはその感覚に達しようとすると一番うまく行く。

やがて雑念を鎮めることができるようになってきたら、シードを変えたり、その組み合わせを変える実験もしてみるといい。視覚的なものと聴覚的なもの、感覚的なものと視覚的なもの、聴覚的なものと感覚的なもの、あるいは全部同時という組み合わせがあるのだ。

私が個人的に好きなのはフレーズを決めておき、その言葉を構成する文字が現れたり消えたりするのを「視覚的にも見る」というやり方だ。こうすると、私は考えるコンテンツと視覚イメージの両方を使えるし、これに感覚や音を加えるのも意のままなのだ。また視覚、音、感覚の要素を捨てて、コンテンツに集中することだって出来る。

呼吸法は数多くの理由からとても大事である。ごくゆっくりとカウントして呼吸をコントロールしながらプロセスを始めると
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=45394497
効果てきめんである。鼻から吸って、口から吐くこと。(規則正しくやるためにカウントしている)呼吸が深く、ゆっくりと、規則正しくなってきたら、フレーズや、ビジュアル・イメージ、あるいは何であれ、あなたが選んだシードを取り入れるとよい。呼吸は予め定めた回数だけ続けるべきだ。

最初のうちは、いくつかのタスクを心に課して、一心にそれにフォーカスし、そのフォーカスした状態をできるだけ長く保つのが目標だ。もしあなたの心が横道にそれ、他の考えが現れて、フォーカスが失われたと気付いたら、すぐにフォーカスした状態に心を戻すこと。集中を失ったからといってイラついてはならない。大抵の人々は1つの事に2、3分以上フォーカスしていられないものだ。だからこそ、最初は呼吸自体と、決まった深さと間隔になるよう呼吸をカウントすることだけに集中するのが有益である。6カウントしながら息を吸い、そのまま3カウントする間息を止め、9カウントしながら息を吐く。これを25セット続けてできるようになれば、第1ステップとしては立派なものだ。

もう1つのとても役に立つテクニックは、呼吸のテンプレート兼コンテンツとして使えるような詩か長めの引用句を見付けることだ。例えば、いわゆる『主の祈り』はこの点、とても役に立つ。
(※主の祈り
---
天にまします我らの父よ。
願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ。
御国(みくに)を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく、
地にもなさせたまえ。
我らの日用(にちよう)の糧(かて)を今日も与えたまえ。
我らに罪を犯すものを我らが赦(ゆる)すごとく、
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試(こころ)みに会わせず、
悪より救いいだしたまえ。
国と力と栄えとは、
限りなく汝(なんじ)の
ものなればなり。
アーメン。
--- ※※)
心の中で「天にまします我らの父よ」と吟唱しながら、息を吸うのだが、この時、「天にまします」と「我らの父よ」で、高次の知性をイメージするようにする。「願わくは御名(みな)をあがめさせたまえ」で息を吐くのだが、あなたも聖なるものの一部であって、あなた自身を通してそれが顕現するように願う。「御国(みくに)を来たらせたまえ。みこころの天になるごとく」で息を吸うが、この時には、あなたとあなたのハイアーセルフ ― 本当のあなた ― との間に結びつきが出来るよう願うのだ。「地にもなさせたまえ」で、息を吐くのだが、この時考えるのは、物理体のあなた(ローアーセルフ)のバランスが取れ、統合されるならば、魂の意志である「天の御国」があなたの人生にもたらされるということだ。

この祈りをまるまる全部やる必要はない;今言った所だけでシードとしては十分である。だが、全体を通してやりたいのであれば、それなりに工夫が必要だ。言葉を視覚化し、意味を考え、それらを感じつつも一方で、これらの言葉が、あなたが呼吸する際のカウンターになるようにしなくてはならない。

ごく簡単なシードでうまくやる人も居れば、ずっと複雑なものでなければダメだという人も居る。繰り返すが大事なのは、フォーカスでき、フォーカスを一心に保てる何かを選ぶことである。これは言ってみれば意志と意図のエクササイズであり、「霊的筋肉」と言うべきものを鍛えるワークなのだ。あなたは、雑念のしつこさと、1点にフォーカスすることへの抵抗感に驚くかも知れない。とはいうものの、このワークの成果たるや素晴らしいものがあり、たった数ヶ月行っただけで、ある時など私は3時間も「意識が朦朧とし」、我に返った時には、全く時間が経っていないように感じたものだ。ただ1つ問題なのは:私が何も持ち帰って来なかったらしいことだ。何が起きて居たのか、私の心がどこに行っていたのか、私の意識が何をしていたのか、何かしていたのかどうかさえ全く分からなかったのである。確かに、やる前より遥かにずっと平和な感じがし、人生の難事にも立ち向かえるように感じたけれども、これだけの活動からもっと具体的な何かが得られないというのは、何とも釈然としなかった。シーズは最近、この「意識が朦朧とする」ことについてコメントした:


090805
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=45203416
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Q: (L) この意識が朦朧とする現象は何なの?

A: 前問の回答 [「上の如く、下もまた然り」というヘルメス主義の格言は、幾つかの事に関しては、双方向的に通用しうるということを、人間は肝に銘じておくべきだ。未来の自分に「出会う」べく運命付けられている人は、このような努力を積むことによって、今やいともたやすくこれを成し遂げている。以前私たちは、「未来のあなた方」は宇宙のプログラムを「書き換える」ことができると言ったが、これは他の人たちにも当てはまる。彼らは今、プログラム言語を勉強しているところだ。] を参照しつつ、これについては、くだらない幻想との関係を断つ能力を無駄にしないで、ハイアーセルフ/高次の教師と一緒の「時間」を過ごしているのだと考えなさい。そして、いいかな、このプロセスに従事することで費やされた「時間の間」じゅう、このような「魂の能力」は本来意図されたかたちで使われている。魂にとって、物理体として具現化する負担は大きい。
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これで思い出されるのは、グルジェフの以下の言葉だ:


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(※ISOTM、浅井訳 229ページ)
客観的意識への唯一の正しい道は、自己意識の開発を経るものである。もし普通の人間が人為的に客観的意識の状態に置かれ、後で普通の状態に連れ戻されたとしても、何も覚えていず、自分はしばらくの間意識を失っていたのだと思うだろう。しかし、自己意識の状態では、人間は客観意識の状態のひらめきを得、しかもそれを思いだすことができるのだ。。。

(※同、306ページ)
もし我々の日常意識を司るセンターと高次思考センターとを意のままに結びつけることができたとしても、現在の一般的状態においては何の役にも立たないだろう。高次思考センターとの偶然の接触が起きるほとんどの場合、人は無意識になる。頭脳は、突然踊りこんで来た思考、感情、イメージ、観念等の洪水を受け入れるのを拒む。生き生きとした思考や感情のかわりに、それどころか全く反対に、完全な空白、つまり無意識の状態が生じるわけだ。洪水が押し寄せてきた最初の瞬間と、洪水が退いて意識が戻ってくる最後の瞬間だけが記憶に残る。しかし、そういった瞬間でさえ異常な陰影と色合いに満ちていて、生の普通の感覚には比較できるものは何もない。高次のセンターとの一時的な結びつきを示す、いわゆる<神秘的>あるいは、<恍惚的>体験から残るのは普通こういうものだけだ。もっと準備のできた精神でも、恍惚の瞬間に感じ、また理解していたものを把握し、かつ記憶することに成功するのは非常にまれだ。しかしそんな場合でも、思考センター、動作センター、感情センターはそれぞれの方法ですべてを記憶し、かつ伝達する。全く新しくかつて一度も体験したことのない感覚を日常感覚の言葉に翻訳し、この世の測定法の限界を完全に超えたものをこの世の三次元の形に変えて伝達するのだ。もちろんそれらは、こういった記憶に残っている異常体験の痕跡を今言ったような形で完全に歪めてしまう。高次のセンターの印象を伝達するときの普通のセンターは、色について話す盲人とか、音楽について話す聾の人に比べることができよう。。。

(※同、304ページ)
我々の内部における高次のセンターの存在は、神秘的なもの、奇蹟的なものの存在を信じる人々がはるかな昔から捜し続けてきた隠された財宝以上の大きな謎である。

あらゆる神秘的、オカルト的な体系は、人間内部の高次の力の存在を認めている。もっともほとんどの場合、可能性としてだけであるが。そしてそれらは、人間の内に隠された力の発達の必要性を述べている。ここで今話している教えは、高次のセンターは人間の内に存在しており、また十分に発達してもいるということを肯定する点で、他の多くの教えと異なっている。

未発達なのは低次のセンターなのだ。我々が高次のセンターの働きを利用するのをはばんでいるのはまさにこの低次のセンターの発達不足、不完全な機能にほかならない。(原注3)
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原注3
3 Ouspensky, The Fourth Way, pp. 149, 201, 202.


実用性の点から、私は普通ベッドに横になって瞑想することにしている。眠ってしまうから無理だという人も居るが、私にとっては問題にならない。私は瞑想して「意識が朦朧となり」、しばらくして「我に返り」、夜であれば、それから眠るということができた。概して私はどんな格好をしても居心地が甚だ悪いので、まず瞑想してからでないと、眠りにつくのが困難なのだ。

状況に対処するのに殊の外骨の折れた1日の終わりの、ある夜のこと(この時、どうしてそんなにも極端に不幸を感じていたのかは思い出せない;おそらくは、絶えず続く痛みと、家計の収支を合わせようという苦心、子どもたちに対する心配、そして結婚生活における完全な孤独感とが重なったのだろう)。。。こんな夜には、不愉快さと不幸感を燃料にして瞑想を行うのが常だった。大いなる困難に直面しながらも、愛と平和の感覚を抱けるようになるのが、試練の一部であり、目的となっていた。

だから私は、ベッドに入って、前夫が寝入るのを待っていた。私の生き方に対する彼の態度は、表面上は忍耐を装っているものの、私が何かしていると気付こうものなら、言動でもって何やかやと私の邪魔をしてくるのが常だった。私が瞑想のために静かにして欲しいと思っているのが分かると、彼は何とか雑音をたてたり、邪魔立てしようと、「これをやっておかなくては」と言い出す。矢鱈と「すまないね」を連発しながらも、何度も何度も繰り返すのだった。

ようやく彼が眠った後、私は呼吸法のエクササイズを始めるのだった。プロセスの一部は、ヒプノセラピー・トレーニングから借用したものである。極めて役に立つものだ。後で知ったのだが、ヒプノセラーの方でも案の定、ある瞑想法からこれを借用していたのだった。(原注4)


原注4:今では、私たちのウェブサイトから、この呼吸法/瞑想法がタダで利用できるようになっている。完全版プログラムは、CD/DVD3枚組でも売出し中だが、私たちのウェブサイトからも視聴可能だ。私達はこれを『アイル・オラス』と名付けたが、これはケルト語で「知識の増大」という意味である。上記サイトへのリンク:
http://eiriu-eolas.org/
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=45217530


最初は何が起こったのか分からなかった。憶えているのは、その時私がエクササイズの瞑想フェーズに入る前に行っている呼吸法フェーズを始めたということだけだ。だがどうやら私は、大きく「飛び級」か何かをしてしまったらしいのである。

次に分かっているのは、ある感じがして、私が飛び退いたということなのだが、これは私の腹部で乱流が巻き起こったのだとしか言いようがない。これは実に強力だったので、最初、何か身体の異常だと感じた ― 臓器の中で何かが沸き立つように混ざり合って、何とかして上の方へと噴き出そうとしているようだったのである。私は、それが高まりつつあり、上の方にせり上がって来るのをはっきり感じ、何かまともでない奇妙な事が身体の中で起こっているのが怖かった。こんな感じがしたことはこれまで全くなかったのだ。「それ」が何かは全く分からなかったのだが、実際に起きる前に、ベッドを飛び出して外に出なくてはならないのは分かった。

私は夢中で喉を押さえた。というのも、水蒸気爆発前の火山のように、次から次へとエネルギーが吹き上がってきて、喉の部分の筋肉が硬直しているのが感じられたからだ。苦労してベッドから這い出した私は、片方の手で壁を掴み、もう片方の手で喉を押さえた。その間私は、こみ上げてくるものが何であれ身体から流れ出して前夫や子供たちを心配させないよう、歯を食いしばっていた。おそらく猛烈に具合が悪くなるのだろう!確かに嘔吐する時に感じが似ていた!

私は急いでポーチのところまで出ると、そこにある芝のソファー
http://moblog.net/view/900362/lawn-sofa-the-turfing
に倒れ込んだ。その時、「流出」が始まった。

もっとうまい言い方が出来たらと思うのだが、この時起こった事の本質と強烈さに迫るようなぴったりの表現が無いので、普通の言葉でご容赦いただきたい。私からほとばしり出たのは、くたくたになるまで延々と続くむせび泣きだった。それは太古の昔に遡り、魂の、言葉では言い表せないくらい奥深い所から出て来るのだった。

泣き声に伴って。。。と言うか、実際にはそれと一体になっていたのだが。。。イメージが、ビジョンが、シーンの一部始終が、その際の感情と背景となる事情の意味合いも込みで、瞬時にもたらされたのである。またしてもこれは、人生が「走馬灯のように通り過ぎる」ものだった。だが今回は、今生のシーンではなかった。生が次から次へと展開されていくのだ。どのシーンに居るのも私であり、私が見ていたシーンは様々な過去生のエピソード集であって、私はこれらの様々な物理体の中で生を経験していたのだということが分かった。

次に涙が溢れてきた!ヒャー!涙がとめどなく溢れて来る。人間の生理は、これほど大量の液体をこうも素早く造りだせるとは思いもよらなかった!この大量の液体はどこから出て来たのだろうか?

さて、これがひとしきり1時間ほど泣き続けた後か何かだったら、多分、PMS(月経前緊張症候群)みたいに「よくあることだ」と言って、過去の事となったのだろう。しかし、今回のこれは際立っていた!スローになることも、止まる事も無く、5時間以上も続いたのである!

私はこれを何ら全くコントロールすることができなかった。私はこれをスローダウンさせ、止め、あるいは別の方向に心を向けようと試みたのだが、すぐに爆発的な内心の感情が優勢となり、身体中の筋肉が引き締まってきて、もはやコントロールできなくなるのだった。私は悲嘆にくれる機械のようにそこに座っているのがやっとで、歴史的な恐ろしい場面の1つ1つを見せられ、文字通り胸も張り裂けんばかりにむせび泣いていた。私はそれらの場面の参加者か、あるいはおそらく目撃者だったのだろう。何人かは知っている人も居たし、誰も登場しないシーンもあった。そうしたものの幾つかは、実に恐ろしいシーンだった。

疫病、ペスト、死、破壊。こうしたシーンが次から次へと出て来るのだ。ある瞬間に愛する人たちが立っていると思うと、次の瞬間には叩き潰されて血だまりの中に横たわっている。強欲さ、ぶんどり、略奪;血と血糊の川;様々な大量殺戮、大虐殺が私の目の前で繰り広げられる;ホロコーストと地獄。憤怒と激怒、流血への欲望と憤慨、殺人と傷害が私の周りじゅうの、見る限り至る所にあった。捻じれたバラバラ死体のように、邪悪の上に邪悪が重なっていた。何世紀も続く悲嘆、何千年も流されていない涙、罪、後悔、懺悔が、私の中に溢れ、流れて行った;それは、茫然自失状態の私の心の外側を蔽う厄介な石の殻を溶かして;涙の海となって痛みを洗い流した。

私の数多くの生で、溜まりに溜まった罪と嘆きの世界の解放が進行するのと同時に、背景には慰め、鎮めようとする声が繰り返し聞こえていた:「あなたの過ちではない。責任はない。あなたの過ちではない。あなたは知らなかったのだ」。そして、私は何か非常に奥深い事を理解するに至った。

私には分かった、「原罪」など無いことが。私には分かった、ここ地球上で人類が経験している恐怖と苦難は、何らかのミスやエラー、あるいは異常の結果ではないということが。これらは罰ではない。これらは、そこから私が救い出されるべきものでもない。というのも、ひどい苦難や胸を引き裂くような残虐なシーンも、無知の結果なのだと私には分かったからだ。

十字軍や異端審問のようなものについて考えれば、このことは理解しやすいだろう。神の愛から始まりながら、「本人のために」他人に対して神の愛を押し付けるというところまでねじまがって行った理性の道を辿ってみられたい。極限まで行くと、真の愛を抱く人の心に、拷問や虐殺を行おうという考えが生まれる結果にもなるのだ!さしあたり、自分たちの儲けと政治工作のために、悪意を持って愛の思想を利用したサイコパスどものことは忘れて欲しい。(原注5) しばし、このような思想に従った人々の誠実さについて考えて欲しいのだ。悪を善とみなして、それに手を染めるのは無知に基づいている。さらに言えば、表面上、利益と立身出世を求めている人々は、無知からそのような営みを行っている ― それによっては、魂の抱く恐怖と飢えは満たされえないのだ。程度の問題はあるが、結局のところ、単に無知なだけなのである。


原注5:アンドリュー・ロバチェフスキーの『政治悪の科学』を参照のこと。同書はレッドピルプレスから2006年に刊行された、この世界の悪に関する最良の分析である。同書はサイコパスによる諸国の支配や、人々がホロコーストのような残虐行為に至った心理プロセスを描いた労作である。彼の本は広範囲に及ぶ人間行動をカバーしている:すなわち、悪の本質、そして、どうして善良な人々までもが悪の影響下に飲み込まれてしまうのかということである。


エネルギーの流れが、イメージと涙が、ついにおさまり始めた時、暖かくて香しく透明な感覚が現れた。それは殆ど空気のように軽く、こんにちでもなお実に甘美なままだ。私は今でも、身に刺さるような、全ての被造物に対する愛の炎の高まりを覚えている。それは忘我、有頂天、歓喜の全てを同時にもたらした。世界のビジョンを見て、私は途方に暮れ、驚き、そして同時に戸惑ったのだった。

シーズも最近、この瞑想法に関してコメントしている:


090620
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=43853727
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Q: (L) 分かったわ。それで何か打つ手はないの?

A: あなたは感情の浄化を行っていたものだが、その際に用いたテクニックをシェアしてくれれば、おそらく問題の2人を含め、多くの人々のためになるだろう。

Q: (L) それってどんなテクニック?

A: 浄化の涙で泣き明かした夜を忘れたのかな?!

Q: (L) ああ、あれは私が開発した瞑想テクニックよ。ある呼吸法を行って、息をする度に心の中であることを繰り返すのよ。それを毎晩やってたわ。そうしたら奇妙な事が起こるようになったのよ。

A: 確かに奇妙だ!あなたが無意識のうちに偶々見つけたのは古代に起源を持つ方法で、効き目においてこれに勝るものはない。だから、シェアしない手はないだろう?

Q: (Joe) 秘密を明かしてよ、ローラ!

(L) あれが何か特別なものだなんて思ったことはなかったわ − 私にだけ効き目があるものだと思ってたのよ!て言うか、あんなの、AoL(アートオブリビング)のクリアメソッド[流行のインド式呼吸プログラム]と比べてどうなのかしら?

A: AoLは初心者とロボット向けだ!

Q: ww
(L) それじゃあ、C某がAoLの教育を提案してきたとき、あなた方どうしてあんなに熱心だったの?だって、彼が私達にAoLを教えるべきかと尋ねて、あなた方がイエスと答えたとき、感嘆符を7つも付けたじゃないの!
(※3/3セッションにあります。)

A: あなた方にあれをやらせて、あなた方の思考を勢いよくスタートさせようとしたんじゃなかったかな?!

Q: (L) それじゃあポイントは、AoLメソッドが「最高」だとか、唯一無二だとか、実に素晴らしいとかいうところには無かったのね。呼吸法や呼吸のコントロール法に私達の注意を惹いて、感情のヒーリングを行わせようとしたのね、そうでしょ?

A: もちろんだとも!×7

Q: ww
(L) 速記法ね。うーん。。。

A: あなたのメソッドでは強力な「シード」を用いていたのを思い出しなさい。

Q: (DD) シードだって?

(L) Yeah, 瞑想するときにシードを使うかどうかということよ。

(Joe) シードってなんだい?

(L) 心の中で唱えるフレーズよ。

(Allen) でも、そのフレーズはあなた特有のものなんじゃないのかい?誰もが自分で考え出す必要があるとか。

(L) 分からないわ。あのフレーズは私にだけ効くものなの?

A: あれは超強力だった!

Q: (C) お祈りみたいなもの?

(L) Yeah, ホント変なヤツよ。だってわたし最初は「主の祈り」から始めたんだから。そのうち、あれでは満足できないと思うようになったのね。だって、十分にオープンじゃないんだもの。あれって特定の宗教の教義に関連したものでしょ。だから私あれを書き換えたのよ。いずれは。。。どんな感じかと言うと。。。

(DD) 主の祈りを雛型にしたんだ?

(L) Yeah.

(Joe) 僕も主の祈りを手直ししたのを唱えてたもんだよ。夜になると呪文みたいに、ただ繰り返してたよ。。。

(L) あなた、呼吸法もそれに合わせてやった?

(Joe) 意識的にはしなかった。

(L) ああ、そうなのね。私はしたのよ。とても入念にコントロールした呼吸法をね。それを数か月間毎晩やったわ。

(DD) どういう呼吸法なんだい?

(L) C某が教えてくれたのにとても似てるわ。いわゆる「勝利の呼吸法」というのにね。

(Joe) それって吸うのも吐くのも鼻からだった?

(L) 鼻から吸って口から吐くのよ。

(Joe) あのコースをやったとき、勝利の呼吸法って変だなあと思ったんだよね。だって、あれって吸うのも吐くのも鼻でだったから。

(A**) Yeah, そこが足りないところだったんだ。

(L) Yeah, 私は鼻で吸って口から吐いてたわ。吸っては数え、息を止めては数え、吐いては数え、とやったのよ。随分とコントロールした呼吸法なの。。。これはいわゆる「ウジャイ呼吸法」ないし「勝利の呼吸法」にとても似てるのよ。何年もやってたもんだから、私はまあ手慣れたもんよ。

(C) で、それをやりながら、唱えたのね、あれを。。。

(L) あのフレーズを繰り返してたのよ。1つ1つのフレーズが吸ったり吐いたりするのとぴったり合うようにね。だから、最初のフレーズで息を吸って、二番目のフレーズで吐いて等々という具合よ。20回やるのを目標にしてたわ。20回できたことはなかったと思うけど。だって、10回から12回目あたりに来ると、私、身体から離れるか何かしちゃうのよ、ボーッとしちゃうのね。それで何回かやってから、この。。。なんて言うか、我に還って、この。。。クンダリニー体験と言えるのかどうかは分からないんだけど。でも、驚異的に浄化された感じがして、それが何時間も何時間も続くの。前にも書いたことがあるわ。何かが起こるのよ。まあいずれにしてもこういうことなのよ。だから私にはこれがとても効くのは分かってるのよ。さて、何を訊いたものかしらね。

(Joe) 今言ったのが、そうなのかい?

A: Yes だけど、もう一つ、他の役に立つ、素晴らしいテクニックもあった。あなたが「パワー呼吸法」と呼ぶものだ。

Q: (L) Oh, パワー呼吸法ね。

(C) 何なの、それ?

(L) 私にとってはエネルギーを与えてくれるものよ。トレッドミル
(◆ベルトに乗って歩いたり走ったりする装置。〔トレーニング用の〕)
の上を早足で歩きながら、特殊な調子とペースで呼吸するのよ。これは頭じゃなくて、身体向きの呼吸法ね。さっきのが知性とハートのセンター向きだとしたら、パワー呼吸法は運動とハートのセンターに効く感じよ。身体を動くに任せて、必要のある所に行く感じ。

A: そのテクニックの効き目がどうだったか憶えているかな?

Q: (L) Oh yeah!

(Joe) どんな効き目?飛んだの?超強力?

(A**) それって過去生に関係あるんじゃないの?

(L) Yeah, ジムで過去生の記憶に入って行ってたわ。

(Joe) どこのジム?こっちで?

(L) No, フロリダでよ。なんてことでしょうね。。。でも、あれをやるときには、誰かが傍に居る必要があるでしょうね。じゃあ、あなた方がさっき言ってた感情の問題へのアプローチとして2つの方法があるということね。実際にはアートオブリビングとは幾分異なるものが。

A: Yes しっかりやれば、おそらくこっちの方が効果大だ。AoLは呼吸テクニック界の『ダイエットコーク』だ。。。たった1カロリーしかない。
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私が『魂の祈り』と呼ぶシードを以下に掲げておこう:


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おお、聖なるコズミックマインドよ

全創造のうちなる聖なる気付きを

心にもたらしたまえ

マインドの支配者

魂の救い手よ

今日も我がうちに住まいたまえ

私が他人に糧を与えるごとく、日用の糧でありたまえ

全創造について、我が知識が増すよう助けたまえ

見るものが見えるように、我が視界を晴らせたまえ

聞くものが聞こえるように、我が耳を澄ませたまえ

知り、愛することができるよう、我が心を清めたまえ

聖なる真存在、聖なるコズミックマインドよ
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先に述べた出来事の結果、私は長期に亘って感情が高揚した状態となった。つまり、平和への愛が長期に亘って続いたのである。この効果は今もなお続いていると言ってもいい。というのも、どんなに邪悪な事を行った人に対してであれ、判定を行うことが二度とできなくなったからである。いわゆる邪悪さというものは、無知の顕われであり、今生ではいかに聖くて、高められた存在を自認していようと、過去生において、他人の血を流して楽しまなかった人などいないと分かったのだ。カインが「わたしは弟の番人でしょうか」(創世記/ 04章 09節)と叫んだ時の、人類最初の犯行否定の責任はだれもが負っている。

だが、もう1つ重要なポイントがある。無知も選択であり、これは理由があって行われる選択だということである − 学び成長するためなのだ。

これに気付くとさらに分かってくるのは、正しい選択を行う術を学ぶには、このレベルのリアリティにおいて、何が無知で、何が無知でないのかを知らなくてはならず、そのためには、何が真で何が善で何が美で何が愛なのか知らなくてはならないということだ。もちろんこれは、イエスの「外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている」(マタイによる福音書/ 23章 27節)という言葉に似ている。だが私が言いたいのは、このようなネガティブさが裁かれるべきだということではない。私にはその人がそれを行った理由も、その人が置かれた境遇も、学びのかたちであることがはっきり分かったのだ。それでも私は、光に属するものが最もよく顕現できるよう、この世界について学べる限りのことを探究しようと深くインスパイアされたのである。

私は、この高揚感によってとてもエキサイトしていたので、教会に取って返して、皆に教えてあげたかった。この頃、私たちがコンタクトしていた人々は、私達が通っていた教会のメンバーだけだったのである。彼らは時たまやって来ては、どうして私たちが、いわば脱落者になったのかと問いただしたので、私は霊的経験という点で新たな活動を行うことにしたと話す機会を得た。ところが彼らはいつでも、サタンにだまされたのだと言って私を戒めた。なんてことだ。私はそんなにうぶではない!

私はこのことについて大いに考えた。本当にそうなのだろうか。ビジョンを見たドラマ全体、羊の皮を被ったオオカミだった牧師の行動は私をだますために仕組まれたドラマだったのだろうか。まさに、あちら立てればこちら立たずの状況だった。もし彼らが正しくて私が騙されていたのだとすれば、おそらく私の魂は危険な目に遭っているのだろう。だが、もし彼らが間違っていて、私が正しいのだとすると、キリスト教の基礎全体をどう解釈すればいいのだろう?こんな基礎的な事で間違っているのだとしたら、こんな基礎的な間違いの上に彼らが築いてきたものの何が正しい訳があるだろう?

このことで私は悩まされた。というのも、私はクリスチャンとしての立場を「調整する」心の準備はできていたけれども、全てを窓から投げ捨てる覚悟は無かったからだ。結局、調査探究を行ってきた全ての年月を通じて、キリスト教がその背景になっていたのである。信仰を捨てるということになれば、そもそも神は存在するのだろうかと問う時の私の立ち位置は、全く変わってしまう。私はその場所から、1つの問いを発し続けていたのである。だが、私達が救われるべき原罪など無いのであれば、救い主も必要なくなり、様相は全く違ってくる。だから、キリスト教は根本的に間違っているのだと判定するのは、選択の問題となった。

これは解決に長い年月を要する問題だった。そういうことにしておこう。重要なのは、このことを経験してからというもの、私は罪というものを、決して以前と同じように見れなくなったのである。殺人や傷害事件について読んでも、自分だって無知から、そういうことを過去生においてやってきたと知っていたからだ。

誰かが私に傷つくような事を何か行っても、私は自分でも過去生でそのような事を行ってきたのを知っていた。私はもはや、誰かが何を行ったからと言って、裁いたり批判したりする気になれなかった。というのも、それはいつかどこかの時点における自分自身を裁くことだと知っていたからだ。それは学びのプロセスだったのであり、私は個々の経験を糧に成長したのである。そうすることで、何をすべきでないか学んだのだ。本当の意味において、これこそ私が、精神的肉体的な痛みと苦痛を味あわされている理由なのだ。これは人が学びの道を進むよう制御する自動誘導システムのようなものである。とはいえ大事なのは、刹那的な肉体的安楽をもたらす道を選んで、大きな心理的霊的苦痛へと向かうのと、当座は肉体的不快をもたらす道を選んで、心の平和へ向かうのとの違いを見極められることである。

ある意味、私は「愛の道」における目標を相当程度達成したのだと言う向きもあろうが、そう単純な事ではない。私は依然として、子どもを持ち、対処すべき出来事に直面しつつ、現実社会で自らの役割を果たそうとしているごく平凡な人間であったけれども、誰しも学びのいずれかの段階に居るのだと理解することと、彼らの学びに巻き込まれるのを避けることとの間で、ある種のバランスを保つことの必要性は悟っていた。これには幾らか時間が掛った。子どもが居なかったら、社会から引退していたかも知れない。思索と研究、エクスタシーを再現する練習に明け暮れて余生を過ごしていただろう。だが私はそうすることが出来なかった。私には責任があった。私は社会の中に居て、それが私の教室だった。

この時期に現実の世界で起きて居た日常の諸問題は、多かれ少なかれ普通と見做し得るような出来事の連続だったが、以前の出来事のトレンドと考え合わせ、私の内心状態や行動と結びつけてみれば、遥かに奇蹟的であることが分かった。私の物の観方におけるシフトを直に反映しているのだと言えるかも知れない。

突然、前夫が彼の性に合った仕事をもちかけられたのだ。本当なのだ。事業の拡大が必要だと気付いた、ある人物が、それは一人では切り盛りできないと感じて、仕事をもちかけてきたのである。この人は本当に前夫が適任だと考えて、彼を探し回り、私達の引っ越し先が分かるとはるばるど田舎までやって来て、オファーを行ったのだ。この時点では、私は外部的な出来事を私の内心におけるシフトに直接に結び付けて考えなかったが、これは確かに有り難かった。という訳で、日々どうやって食いつないで行くかという一番の心配は解決したのである。

そのうち、トラック運送業を始めとする幾つかの事業を営んでいた友人の1人が、新車を買うべき時だと判断した。おそらく経費で落とせるのだろう。(大した走行距離でもなかった)トラックを市価の5分の1以下で売ってくれると言ってきたのだ。

私達は居間が倍の広さになるように小屋を増築し、電気と水道も引いて、基本的に実社会に復帰した。この時までにはもちろん、既にピアノも宝石類も売らねばならなかった。それらは結婚する前、長い間に友人たちや家族から貰ったものだ。でもそうしなければ、食べるものもなく、子供たちのためにクリスマスもできなかっただろう。

私はヒプノセラピーを再開した。信仰の旅の間、やめていたのだ。憑依霊解放テクニックの勉強も始めた。

この頃にはまた、私の母も魔法から目覚め、自分がどんなにひどい仕打ちを行ったのかに気付いた。事業を元に戻したり、彼女の友達の機嫌を損ねないために売り払った土地を買い戻すには遅すぎたが、彼女は私に、私が祖父母から相続した家を譲渡してくれた。私達を立ち退かせ、数年後に祖母を死に追いやった、例の家である。既に彼女はそれを相当な額の抵当に入れていたので、彼女は動機的に全く無私無欲なのではないと思った。というのも、私はそれを競売で売るしかなかったからだ。それでも抵当債務を払って残ったお金を使って、大きくなってきた家族に十分な広さの家を買うことができた。

だが、このような動きがある前から既に、他にも何かが起きていた。私の人生の出来事に対して判定したりコメントしたりせず、傍観者の立場で見守ってきた長年の友人が、4番目の子供が生まれてから約3年経った今こそ、私が日々の雑事から解放されて少し休憩すべき時だと判断したのである。これまで私が子供たちの傍を離れることがあってもせいぜい2,3日 ― 大抵入院だった ― で、それ以上のことはなかったし、そんなことは考えただけで落ち着かなくもあったが、彼女に勧められたバケーションには抗いがたい魅力があった。

友人夫婦はノースカロライナに別荘を持っており、私達はもう長いこと一緒に、『ラマ・シング』と称する霊体にチャネリングしているアル・マイナーの交信録をフォローしてきていた。
http://www.amazon.co.jp/%E9%AB%98%E6%AC%A1%E5%85%83%E5%AD%98%E5%9C%A8%E3%83%A9%E3%83%9E%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AB%E8%81%9E%E3%81%8F-%E6%AD%BB%E5%BE%8C%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%B8%E3%81%AE%E3%82%BD%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%82%A4%E3%83%89%EF%BC%86%E3%83%8A%E3%83%93%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%EF%BC%95%E6%AC%A1%E5%85%83%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC/dp/4199061126
このチャネリングに興味のある多くの人々のミーティングが、アルの近しい友人である物理学者夫妻によって、ノースカロライナ州のマギー・バレーで開催されるというのだ。講演やグループ瞑想、ディナー等々があるのだという。これは単に楽しいというだけではなく、何であるか分からないものの、何かへの道でもある気がして、私は行くことに同意した。

シンポジウムは万事、このような催しで期待されるようにして進行した。人々はオーラが見えると言い張ったり;「素晴らしいエネルギーが臨在しているわ」と賢しげに言いながら、うっとりとした顔をして歩き回り、話題も活気に満ちた面白いものだった。

やがて博士の奥さん ― スポンサーであり主催者でもある夫婦の奥方の方 ― 確かサイコセラピストか、何かの能力のカウンセラーだったと思う − が、講演を行ったのだが、その内容は多くの人々がこの頃、ホロコーストで殺された「記憶を持って転生してきた」ことをカミングアウトしているというものだった。この話に私は尋常ならぬ影響を受けた。涙が止まらなくなってしまったのである。私は部屋を出て、この講演が終わるまでトイレに隠れて居なくてはならなかった。不思議と自制が効かなかったのだ。というのも、公衆の面前でこんなに影響を受けるようなことはこれまでなかったからだ。ちぇっ、人前では内心を吐露しないばかりか、公衆の前でダンスすらしたことがないのに。そんなことはみっともないと思っていたからだ!

だがその後、シンポジウムの最終日に、私は例の頭痛に襲われた。友人がグループ瞑想に出かける時も、私は暗くしたモーテルの部屋に残って、腫れがひくよう冷たいタオルと氷を頭にのせていたのだ。翌朝は全員参加の「さようなら朝食会」が行われる予定になっていたのだが、幸いにもこの時は、うまいこと痛みがおさまったので、私は荷造りその他を普通に行うことができた。

その朝食会で、私達と同じテーブルの、ある女性が私にこう言った。「あなたが昨日の瞑想の時に着てたドレスはホント素敵だったわ」 驚いて彼女を見た私「昨日は具合が悪くて参加できなかったのよ」 私をよくよく見直して彼女 「でもはっきりとあなたの姿が見えたの。間違いないわ!」

私の友人が彼女に、「昨日この人はずっとベッドで寝てたのよ」と請け合ったので、私たち一同は互いに顔を見合わせて気まずさのあまり一瞬黙り込んだ。その後再びおしゃべりが始まったが、バイロケーションを指摘されて、私はかなり困惑してしまった。

シンポジウムでは、2人の女性と知り合いになった。2人とも私より年上なのだが、とても元気で、話していると楽しくなるのだった。このうちの1人は、幾らか催眠術の訓練を積み、高度な瞑想テクニックを持っていたので、友人と私は、2人を別荘に招待しようと話し合った。別荘を後にするのはまだ数日先の予定だったのだ。2人は同意してくれ、私たちは地元の公営鉱山で岩を掘って楽しむことになった。「女子会」というヤツだ。

山々を1日中ドライブした後、私達は人里離れた一軒家に着いたのだが、それは古い伐採道路の行き止まり、ある国有林の端っこにあった。全く平穏で快適、私たちが実験的な瞑想を行うのにうってつけの場所だった。

私達の新しい友達(ジューンと呼ぶ)は、BGM付きの瞑想ガイドテープを持ってきていた。私達めいめいがすわり心地のいい場所に陣取ると、テープの指示が始まった。呼吸法パートの指示に従って、BGMの調べに意識を同調させたのまでは憶えているのだが、その後どうやら、私の内的意識自体のもくろみに従って事は展開したらしい。

身体から抜け出て上の方に持ち上げられるような気がしたかと思うと「シュッ!」 突然私は、ある高い山の岩肌をかすめるようにして空中へと舞い上がったのだ。岩には裂け目があった。こんな狭い裂け目を通り抜けられる人はごく少なく、「それが出来る人」でなければ、それを試みてもぶつかることになるだろうとは分かっていたのだが、私は試してみることにした。通り抜けようと意図して一心に狙ったところ、次に気付いた時、私は美しい渓谷の片側の斜面へと抜け出ていた。

そこは緑の草と野生の花が信じられないくらい生き生きと咲き乱れる草原で、光が溢れていた。草がそよ風に揺られていたが、これは恰もそよ風が草を意識的に撫で、草の方でも愛撫に答えて意識的に波打っているかのように思われた。猫が撫でられて喉を鳴らす様子そっくりだった。

気付くと私はある種の物理体の中に居たので、草原を歩き始めた。草は私の歩みを受け止め、脚全体を撫でたので、私は一歩ごとに草と同化していくような気がした。私が草の間を通っているというよりは、草が私に沿って流れて行くように感じられた。あまり遠くない所に縞模様のテントが見えてきた。竿に取り付けられた旗が意識的にそよ風を撫でるようにはためいている。だが、テントは中くらいの幅の川の向こう岸にあった。このテントが私の目指す場所だということは知っていたが、「行かねばならない」という感覚は無かった。川の中に入って行ったらどんな感じがするか知りたかった。

川の水は澄んでいて、まぶしい日差しを浴びて光っていたが、実際には空に太陽は見当たらなかったと思う。川面で跳ね踊っている光は、この強烈な周囲からの照明と川の水とが意識的に作用しあう結果とでも言えそうだった。

私は水の中に足を踏み入れた。すると気付いたのだが、私は裸足で、白のアンダーローブの上に縞模様のローブを着ており、裾を手でたくし上げていた。水の流れが急なのに、脚が水と同化していくような感じがして驚いた。「気持ちいい」という表現がとてもぴったりだった!

川底の石はキラキラと宝石のように輝いていて、私は魅了された。それらはなめらかで、上を流れて行く川の水の動きによってたえずきらめいていた。川を渡っていて私は、これが何か非常に重要な意味を持つ強烈な経験だと気付いた。向こう岸に着いた時、私はある種のテストに合格できたのが嬉しかったが、この経験が終わってしまったことを後悔もした。

テントに近づいて行くと、ポーチのように両側が開いたアウターテントの下、テント前の草の上に広げられたカーペットに、2人の男性が座っていた。彼らも私と同じ衣装を着ていた。テントにはローブと同じ縞模様が描かれていたが、縞の色は赤、白、黒で、色の変わり目にはいずれも、細い群青色の筋が通っていた。

男性の1人が私に話しかけてきた:「私たちはずっとあなたを待っていたんだ。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=24560747
また会えて嬉しいよ」

どういう訳か、突拍子もない事を言われたという気はしなかった。この会合は「時間的に」遥か昔にアレンジされていたのだという気がした。私はお辞儀をして挨拶に答えた。すると、もう1人の男性が、「彼は中だ」と言った。これまた全く予想外には思われなかった。身をかがめてテントに入ると、そこには虹色に輝く磁器のような若々しい肌をした老人が立っていた。私を見て彼は、幸福で満足そうな表情を浮かべた。彼に強く抱きしめられ、両頬にキスされると、私の目から涙が流れた。「最初は聖餐式だ」と彼は言った。またしても、驚きは感じられず、「最初」とはどういう意味なのか分からなかったのに、私は疑問に思わなかった。

私達はテントの中のカーペットが敷かれた地面の上に、ミディアムサイズのテーブルを囲んで座った。外に居た2人の男性がパンとミルクのボウルを持って中に入ってきた。テーブルの上には、ワインみたいなものが既に注がれた金製のゴブレットがあった。老人はパンの大きな塊を同じ大きさにちぎると、私達に一切れずつ手渡した。私達はそれをミルクに浸して食べた。それから老人はゴブレットを取り上げると、それを手でこすり、息を吹きかけてから中身を飲み、私に手渡した。この時、彼ら全員の視線が私に向けられているのに気付き、これを飲むのが、また1つのテストなんだと分かった。私が杯の中身を飲むと、彼らの顔には明らかに幸福の色が浮かんでいた。

すると老人は立ち上がり、ドアを開けるとテントの奥の方にある部屋へと入って行ったのだが、私は自分もついて行くべきだと分かり、そうした。部屋の中には、大型のパンケースぐらいの大きさはある金の箱があった。彼はそちらに向かって行き、箱を開けて大きなネックレスを取り出した。さて、このネックレスだが、こんな不思議なものを私はそれまで見たことがなかった。並んでいる玉は金だったが、徐々に真珠みたいなものに変わっていき、中ぐらいの大きさの玉はビー玉ぐらいだったが、中央の一番大きいものはピンポン玉ほどもあった。真ん中には大きな石が取り付けられ、ある装飾の施された金色の物体がぶらさがっていた。装飾とは、雄羊の角そっくりの2本のらせん状の角で、石が固定されている平面部の両側に取り付けられていた。平面部は、円いと同時に三角をした奇妙なものだった。そんなことがどうして可能だったのか言葉で言えないのだが、そうだったのである。それが円く見えたのは、半分に割ったピンポン玉みたいに、石が丸い形をしていたせいらしかった。だが、私が魅せられたのは、この石の特徴だった。ダイアモンドとオパールの特徴を併せ持つと言ったら、どんな感じかお分かりいただけるだろうか。オパールのように乳白色だが、水晶のように透明で、遊色効果を示し、それでいてダイヤのように眩くて透明なのだ。この石が生きているのは明らかで、私は畏敬の念すら感じた。

老人は私の方を振り返ると、長いこと注意深く見ていた ― 私の目から何かを読み取ろうとしている。彼はネックレスを両手で掴みあげると、宙で揺れるがままにしていたが、ついにこう言った。「お分かりかな?」 私は「ええ」と答えた。私が即座に「分かった」事とは、もしこの石を受け取れば、それには結果が伴うということだった。この結果とは、私が誤ったリアリティを顕現させると、それは私が操作している装置、すなわち今生における物理体に働きかけ、病気になるということである。それは意図的に行った場合でなくても関係なかった。私に課せられる使命とは、探究を行って真実のみを語ることであり、主観的なウィッシュフルシンキングは許されないのだ。

これはまた、私が莫大な責任とリスクを引き受けるということでもあった。そう思うと酔いもさめ、畏敬の念を感じると共に、また少々恐ろしくもなった。だが、恐怖心はすぐに去った。「受け取るかな?」と老人は尋ねた。「受け取るわ」 私はそう答えると、石を受け取るために首を曲げた。彼は注意深くそれを私の首に掛けると、石が私のみぞおちの上に落ち着くように、肩の辺りを通る位置を調整した。

私はもう1度抱きしめられると、中の部屋から外側の部屋に出て来たが、そこには例の2人が待っていた。私の首に石を見るや、2人の顔は喜びで明るくなり、私が前を通り過ぎる時、両手の指を組み合わせてお辞儀をした。私は2人に両目で合図した。というのも、もはやその領域で私は喋ることができないと知っていたからだった。

次に私が知っているのは、ジューンが私を繰り返し呼ぶ声が、遥か遠くの方から聞こえたことだった。ロケットのように岩の裂け目を通って飛び出して行った私は気付いてみると、抜け殻の死すべき物理体である私が居た家が建っている山の上の方に居たのだが、そこから、真っ暗なトンネルを通って、この世界の光の中に姿を現すようにして、物理体に戻って来たのである。私が目を開くと、友人たちは笑いながら私を見て、「寝ちゃったのね」と言ったのだ!

私は普通でない事が起こったのだと言おうとしたのだが、どう言っていいか分からなかった。この経験について述べようとしても、実に平凡な言い方しかできず、物笑いの種となるばかりだと分かったので、これについては話さず、殆どの事は秘密にしておこうと決めたのだった。彼女たちに訊かれて、石のことを述べようとした時、私の頭にただ1つ浮かんだのは、それが「喋る石」という名前だということだけだった。

私が瞑想を始めた直後から、奇妙な異常体験が始まったと言わねばならないだろう。明らかな原因も無いのに、私の目の前で物が壊れだしたのだ。例えば、コップやランプ(我が家にはしばらく電気が無かったことを思い出されたい)等々である。私はこの現象を例えば、コップに熱湯を注いだ際に起きるような急激な温度変化によって説明しようとしたのだが、コップにお湯など注がない夏場や一日中ランプを点けなかった日についてはうまく説明できないのだった。またしても臭いものには蓋だ。

だが、山岳地帯から帰る道すがら、私が石のことや、前夫との夫婦関係という境遇にどう対処したものかと考えていた丁度その時、友人の新車のリアウィンドウがまるで大砲で撃たれたかのように大きな音を立てて爆発したのだ。あまりに驚いた私たちは、急ブレーキをかけて素早く辺りを見回した。彼女はバックミラー越しに、私は後ろを振り返って、2人で同時にリアウィンドウを見た。すると強化ガラスが「粉々に」割れてすっかり乳白色になっていたのだが、この時折悪しく、雨が降り始めた。私たちは周囲を見回したが、他にクルマは見えなかったし、ミサイルが発射されそうな場所も見当たらなかった。そして実際、リアウィンドウには衝撃を受けたと思しき場所も無かった。窓ガラス全体がまだ1枚につながったままではあるものの、ひびが全体を細かく蔽っているのだ。これでは外が見えない。

なんということだろう!まだ64キロ近くも走らなくてはならないのに。粉々になったリアウィンドウの下の後部座席にはバッグやお土産が山積みなのだ!だが、リアウィンドウは何とか崩れずにもちそうだったので、私たちはゆっくりとだが走り続けることにした。何度か状況を確認したくなったので、路側帯や閉店したガソリンスタンドがあると、私たちはそこに乗り入れた。だが、ある場所で舗装が終わる凹凸を通りかかった瞬間に、窓ガラス全体が粉々になって、座席に降り積もってしまった!

こうなった以上、クルマが停められ、夜の間はカバーをかけておいて、朝になったら出発できるような場所を探す以外に手はなかった。見付かったモーテルの主人は親切にも、自分のガレージに私たちのクルマを入れてくれ、翌朝私たちはクルマのメーカー系列のディーラーがある一番近い町へと出発した。

クルマの修理はできたのだが、整備工はすっかり困惑していた。どうして突然リアウィンドウが粉々になったのか、彼らには全く説明できなかったからだ。

私が帰宅してまもなく、これに類する出来事が起こった。この頃には、私達の小屋は普通の家になっており、新しいベッドが据えつけられていて、122センチ×183センチの大きさの大きな板ガラスで、居間と仕切られていた。我が家は沢山の木々が生えている真ん中にあり、ガラスに囲まれたそれぞれの部屋からはまるで「中庭」があるように見えた。ベッドからはこうしたガラス壁の1つが見えるようになっていて、この部屋に居るのはとても楽しかった。雨の日は特にそうだった。

私がベッドの上で瞑想していると、前夫が家に帰って来たのだが、彼は巻き取り式の網戸がバネで巻き取られて、バシッと大きな音がたたないように網戸を手で押さえるのを忘れていた。網戸がバシッと巻き取られた時、私は自分の心が「ビクッと(jerk)」動くのを感じた。次に何が起きたかというと、数か月前にクルマのリアウィンドウが割れたのと全く同じようにして、ベッドの枕元のガラス窓が吹っ飛んだのである。これまた強化ガラスだったので、最初はパラパラゆっくりと、次の瞬間には一度にどっと粉々になって私の頭の上に降り積もったのである。

ある時期から前夫が私を困らせる(jerk my chain)ような行動には及び腰になったのは言うまでもない。彼は既に以前砕けたコップやランプのように、何十回と物が壊れるのにうんざりしていたのだが、今回の出来事で、彼の疑いは新たな段階に突入した。ちぇっ、あろうことか彼は、私が魔女の類だと考えているらしいのだ!だが、彼が私を怖れた結果、私たちの距離はずっと遠くなった。

私の方でも少々恐ろしく感じることがたまにあったのを認めなくてはならない。私や私の周囲に何が起こりつつあるのか、私には分からなかった。私が知っていたのは、私が何らかの途上にあって、私にはこういう風にしかできないということだけだった。というのも、奇妙なことだが、他のやり方は不可能だったからだ。これは一種「水の上を歩く」(マルコ6章45〜52節/マタイ14章22〜33節)ようなものだと思っていた。私の考えでは、私は大海原の真っ只中に居て、海上には1本の道が私のために通っている。しかし一歩を踏み出す毎に信仰と、そしてまた起こりうる事についての賢明な考慮が必要となるのだ。海水面の下に、助けが隠れているのはよく分かっている。だが、次の一歩を踏み出す前にそれが居るのを確かめることは許されていない。だから今にも、踏み出した足が支えを踏み外して波間に落ちるだろうことも分かっていたのだ。

瞑想中に起きた不思議な経験の話はもう十分だろう。さて、ここで数年飛ばして、『ハイストレンジネス』に記した空飛ぶ黒いブーメラン型UFO
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=31837578&comm_id=2590126
と遭遇した時期 ― もう1つ内心で大きなシフトがあった時期 ― に行くとしよう。読者はどんな経験もそれで終わりにはならないことに気付かれるだろう。全ては何年もかけて徐々に段階を踏んで起こったのだ。ということはもちろん、プロセスは今なお進行中なのである。『アメージング・グレース』で述べた通り、この頃、私の身体はすっかり参ってしまっていた。私の身体は何年も危険な状態で、今やそれが一番の問題だった。

自らを奮い立たせる気力は依然あったが(ファキールの道?)、流れとしては全く下降気味だと感じていたし、何かを変えなければ、このまま死ぬだろうと思った。たえず続く痛みのせいで私の意志も徐々に弱まってきており、これはもうダメだろうと死を覚悟していたのだ。私は数分以上続けて立っていることができなかった。というのも、骨盤と腰の痛みのせいで筋肉が痙攣してしまい、ちっとも身体を支えようとしないために、最後は痙攣性弛緩(spastic release、痙攣の反対が弛緩らしいので意味不明。)になってしまうのだ。このようになる筋肉には、身体を起こす筋肉、座った状態から立ち上がる時に身体を支える筋肉、歩くために脚を持ち上げる筋肉も含まれていた;だから、こうした動き ― 普通に使う身体の動きだ ― が大いに妨げられる結果となる。イスに座ったり立ったりするのも、ベッドで寝起きするのも、トイレに入るのも、浴槽に入ったり出たり等々するのにも介助が必要だった。

しかし、じっと座っていて動こうとしない限りは、私は気分良好なのだった。そして、私の脳は死んでいなかった。だから私は気分転換のための読書と研究を続け、催眠セッションをスケジューリングした。前夫はそんな私に、仮病を使っているのだろうという疑いの眼差しを向けていた。彼は私が、自分のやりたいことはできる、すなわち、読書や他の人々のための催眠セッションはできるのに、彼のためには何もしない、すなわち、彼の身体のニーズに応えないと不平を言った。この言葉に私は深く傷ついた。というのも読書やワークをしてこなかったら、私は自分が全くのダメ人間だと感じただろうし、植物状態になっていただろうからだ。

夫婦の営みをやめたら傷つくような夫なんて居なくなればいいのにと、私はたびたび願った。狭心症による胸の痛みや圧迫感がひっきりなしに襲ってきたので、いっそ斧を持った狂人が家の中に押し入って来て、私の腕を叩き切ってくれれば楽になるのに、などと夢想すらした。医者は私の症状に当惑していたが、とうとうこれは神経の損傷であって、手根管手術も選択肢であり、それをやれば痛みが無くなるかも知れないと言い出した。当然ながら彼には、どうして二の腕と胸が痛むかの原因など説明できなかったのだから、なぜそんなことを言うのか信じられない。だが私は一か八か手術してもらいに行った。

手術が終わって目を覚ました時、左手首だけの筈だったのに、まるでボクシングのグローブのように両手首に包帯が巻かれていた。なんと恐ろしい!両手がこんな風で、一体何ができるというのだ?

痛みはこれまででも最悪のレベルに近かった。陣痛よりもひどかったのだ。頭痛や耳の感染症と同じ部類の痛みだった。覚悟ができていなかったのである。医者はじき止むだろうと言ったが、そうはならなかった。

手術によっても、腕の痛みは何ら和らぐことが無かった。手術前よりも痛みがひどくなる始末。何とも情けないことになった。私の手には、ドアのノブを回したり、瓶のふたを開けたり、じゃがいもの皮をむく力も入らなかった。ストーブから鍋を持ち上げることもできなかったし;ペンや鉛筆も1分以上握っていると、苦しい痙攣が始まり、やがて私の手はホラー映画に出て来るような痙攣に震える鉤爪みたいになってしまうのだ。ピアノもお預けだ。弾ける日は二度と来ないだろう!

これにはかなり落ち込んだ。しかもどういう訳だか、前夫はこんな状況の私を苛めることに倒錯した喜びを感じていた。何かしたくなっても、独力で行う方法を考え出さねばならないと思い知らされることが何度もあった。

ということで、私の内心の変化を反映して、多くの面で状況が改善されてはいたのだが、まだ行動すべきことがあるのは明らかだった。私には何が起こりつつあるのか、はっきりと考えがまとまらなかった。私は、自分の身体が魂の状態を。。。「喋る石」の状態を反映していることに気付いていたが、試してみても、身体を癒すためにまず魂を癒す、その術が見つけられないでいた。これ以上の何か、もっと深遠で、自分には分からないような何かがあるに違いないということしか考えつかなかった。私が無知であるせいなのは分かるのだが、私は何を知らないのだろう?神に誓ってもいいが、私が何をしたというのだろうか?

どうやら私は、全ての人々を。。。無知から日々奮闘を余儀なくされている万人を。。。彼らが辿るあらゆる道を。。。愛し受け入れるという心の状態を達成したようだった。私は(かなり身体が衰弱していたにもかかわらず)頼んでくる人の具合が良くなるようにと、懸命にワークを行っていた。代価の支払いがあろうとなかろうと、依頼を断ったことはなかった。おカネのためにやっているのではなかった。ある意味、悪について「学びなさい」という声が聞こえた時と同じくらいに悪い状況だった。

私はそれを試みていた。その正体を見極める方法を会得しようとしていた。その頃の私が分かっておらず、直後に学ぶことになったのは、光として顕われているものの大方が、本当はそうではなくて、愚か者を欺く見せかけだということだった。これは「愛の教訓」のうちの未だ学んでいない部分だった。私は既に、巨大な宗教組織が破滅への道となりうることについては学んでいた。数千年に亘って、様々なソース、様々な師匠たちが、私達が生きているこのリアリティの裏に潜む勢力の青写真を暴いてきた ― だが、うまくいった例はほとんど無いに等しかった。多年 ― 他の多くの人々と比べても長い方だ ― に亘る観察の結果私は、このリアリティの裏に潜む勢力についての暴露の殆どは乱暴な言い方をすれば、偽りだと考えるに至った。だからと言って、こうした人々に善意がなかったという訳ではない。それに多分、彼らは幾らかの「手掛かり」も掴んでいる。このリアリティにおいて私たちは「窮地に陥って(in the soup)」おり、幾つかの勢力が私達をそのままにしておきたいというのが真相のようだ。という訳で、ミスリードするだけでなく、明らかに人々を眠らせておくよう仕組まれた、リアリティに関する、より難解なバージョンを広めようと連中は協力しあってきたのだ。しかしこの時点の私は、このようなダマシがいかに巧妙で拷問的であるか、そして、それが個人ベースではどのように顕われるか分かっていなかった。

1994年初頭、フランクと話している時、彼は私が今居るような立場に導かれる結果となった、奇妙で、シンクロしていて、奇蹟的ともいえる一連の出来事を列挙した。彼は私の一生に起こった出来事を、私が幼い頃のものから、彼がよく知っているここ数年のものまで次々に挙げて行ったのだが、最近はあまりに奇妙な事やシンクロばかり起こるので、私は精神病院の中に居るような気がしていた。正常だった現実はもはやグラグラと動揺しており、以前は堅固だった私のGPSの基準点は、砕けてしまっていた。彼が挙げる一々の出来事を聞いていた私は、またもや押し寄せた波が自分の足元の砂を洗い流し、全くの狂気という泥(窮地)へと自分が沈んでいくような気がした。

経験したいとも、続いて欲しいとも思わないほど奇妙で、完全に常軌を逸した人生を難なく切り抜けられるような人など居るものだろうか?

私の殆ど全生涯に亘って起きた出来事を検討した後、フランクはずっと最近の出来事を挙げ始め、最初に行ったアブダクション・セッションの際にUFOが出現したのは明らかに普通の現象ではないと指摘した。アブダクティーに催眠術を施したからといって、毎度UFOが飛来するものではない。問題は:UFOの乗員にとって興味があったのは、アブダクティーの方か?それともセラピストだったか?ということだった。

私の身体の状態が悪化したのは、UFOとの遭遇に関係があるのは明らかだと彼は指摘した。私がその2つは無関係だろうと抗議すると、彼はUFOが目の前に現れた後、うちの飼い犬が病気になって忽ち死んでしまった経緯や、UFOが飛来した晩はいつも私の病状が悪化のピークに達することを指摘した。こうした些細な事実を私は説明できただろうか?

私には説明できなかった。

フランクの説によれば、何カ国もの、知りもしない何十人という人々がアブダクトされるという最近繰り広げられているドラマは、私の注意を惹き私を目覚めさせるために仕組まれているのだった。

私はこの会話の向かう方向が気に入らなかった。濡れた寝間着や奇妙なビーム光同様になんとしても闇に葬りたかった。

「どうして私なのよー?」と私は不平を言った。「どうして私がそんな目に遭わなくちゃならないの?!」と考えた、まさにその時、胸が物凄く強く圧された気がした(「喋る石」の仕業?)。

これについては、フランクの説でも説明がつかなかった。「分からない」と彼。「僕は単に明白な事実を指摘しただけだよ。後はキミが自分で考えなくちゃね」

今でもはっきり覚えているのだが、その夜私はベッドに腰掛けて、これらの奇妙なヒントから、私達のリアリティは私が強いられた長年に亘る調査研究で知り得る以上に深い謎を秘めているに違いないと考えたものだ。私は独善的にも神に対して次のように指摘した。「病弱すぎてこれじゃ何も出来ないわ。あなたがダメにしたのよ。これじゃあ、じわじわとなぶり殺しだわ!」 私は宇宙に対して言った。「もし私に何かをやらせたいのなら、私の病気は重過ぎるし、長過ぎよ!分かるでしょう!」 私は心の中で舌を出して、反抗心と怒りをむき出しにした。

この時の私は、人間としては廃人の部類に属していたが、それでもなお機能しているようだった。真に意図されているからこそこうなっているのでは、という圧倒的な感覚が押し寄せてきて、私は即座に子供じみた抵抗を行った自分を後悔した。そこで私は観念し、これを受け入れて、宇宙にこう宣言した。「こうした事がみな、私の注意を惹くために仕立て上げられてるとしたら、確かに効き目は十分よ。だけど、そのワークを始めて続けて行くには、私はあまりにボロボロになりすぎてるわ。もし私が何かすべきだとしたら、治してくれなくちゃ。この状態では、何も出来ないのよ」

それから2週間のうちに ― 実際には10日ほどだったが ― 私は偶然にもレイキ(霊気)に出くわした。あるいは、レイキの方で私に気付いたと言うべきか。そして、グリーンバウム博士にも。

(本章終わり)
posted by たカシー at 15:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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