2015年03月21日

ザ・ウェイブ 第12章:存在する全ては学び

ザ・ウェイブ 第12章:存在する全ては学び
http://cassiopaea.org/2010/05/09/the-wave-chapter-12-all-there-is-is-lessons/


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http://takapachi1962.seesaa.net/article/359543574.html
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A: 存在する一切は学びである。これは限りなく大きな学校なのだ。何物もそれ以外には存在する理由を持たない。無生物でさえ、全てが「幻想」だと学ぶのだ。誰もが心の中に、創造の全てを持っている。さあ、しばらく熟考してみなさい。個々の魂は皆強力で、やり方さえわかれば、あらゆる存在を創造することも破壊することもできる。あなた方と私達、そして他の皆も、全存在を互いに所有し合うことによって、相互に繋がっている。あなた方は代替的な宇宙を望み、そこに住むことで、それを創造するだろう。あなた方は皆、あなた方が住んでいる宇宙の複製なんだ。あなた方の心は、全存在を表している。あなた方がそれにどれほどアクセスできるか見るのは「楽しみ」だ。

Q: (L) 私達がどれほどアクセスできるか見るのが、誰の楽しみなのよ?

A: 皆の。チャレンジとは楽しいもの。あなたの心の限界はどこにあると思うかな?

Q: (L) どこなの?

A: 私達が聞いてるんだ。

Q: (L) 限界なんてないと思うわ。

A: 限界が無いんだとしたら、あなたの心と、他の全てとの違いは何かな?

Q: (L) うーん、全てが究極的には1つなんだとしたら、違いなんて無いんだと思うわ。

A: 正しい。2つのものに絶対的な限界が無いのなら、それらは正確には同じものだ。
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カシオペアンによる上の言葉は、古来説かれてきた多くの教えに共通するコアの部分を反映している。それでは、カシオペアンが言っている事と、既に語られてきた事との違いは何だろう?この問いはおそらく、もう1つの問いを発することによって答えることができよう:カシオペアンが語った他の全ての事を知って何の得があるのだろうか?それは実践的にどんな役に立つのだろう?私はとても実際的な人間である。私や夫のアークにとっては、結果こそが重要なのだ。「あなたがたは、その実で彼らを見分ける」という言葉に由来するこれを、「果実による判定策」と呼ぶことができよう。
(※マタイによる福音書/ 07章 15節
「偽預言者を警戒しなさい。彼らは羊の皮を身にまとってあなたがたのところに来るが、その内側は貪欲な狼である。
16:あなたがたは、その実で彼らを見分ける。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか。
17:すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。
18:良い木が悪い実を結ぶことはなく、また、悪い木が良い実を結ぶこともできない。
19:良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。
20:このように、あなたがたはその実で彼らを見分ける。」 ※※)
一切は根本において1つであると認める哲学的世界観を抱くのは大いに結構なことだが、巷に溢れかえっている「自分の望む現実を創造しなさい」派のニューエイジ推進者たちも含め、古来の数多くの導師たちがそう主張してきたにもかかわらず、実用性ということになると、このような世界観はどうしたものかこの世界にはぴったり当てはまらないことが分かる。それにもかかわらず、カシオペアンもこれを言った。だが彼らは他の事も言っている:「やり方さえ分かれば」と。これは明らかに問題だ。私たちはやり方を知らないのである。心的・霊的な道具の育み方を知ることで違いが見えてくるのだろう。平たく言えば:カシオペアンが私たちのリアリティに関して言っていることは、人が目覚め、ワークを行うならば明らかになるという意味合いにおいてなのだ。この問題については、既に幾つかの異なる視点から取り扱ってきたが、もっとうまくできないか、本章では別の方向から取り組んでみたい。「果実による判定策」の他に、私が「チンプンカンプンな要素」と呼ぶものによる見分け方もある。我が家の、高さ6フィート、幅3フィートの本棚2本は、私が冗談めかして「チンプンカンプン・カテゴリー」と呼ぶ本で一杯である。十進分類法によると何番になるのか定かでないが、読んでみれば、特定の書棚行きと見分けることができる類の本なのだ。私はホントに曖昧さが嫌いである。そして、いわゆる高次のソースからもたらされる情報の、殆どとは言わないまでもかなり多くは、実に曖昧に思われる。テリーがかつて行った質問のお蔭で、私はこのことを理解する機会を得たのだった:


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http://takapachi1962.seesaa.net/article/289827226.html
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=30288965
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Q: (T) では、最後の質問。キミたちの言ってることが正しいと、どうやったら分かるんだい?

A:さあね。決めるのはあなた方だ。 だが、よく聞きなさい。これは、「地球異変」に関する、極めてお馴染みの予言について再検証を始める好機だろう。 「なぜか」とあなたが尋ねたからだ。 というのは、いいかな、あなた方は第3密度の存在なんだ。だから、真実に関する予言も、あなた方にわかるような言葉で提示される。すなわち、物質の領域、すなわち、「地球異変」としてだ。 でもこれはシンボルなの「かも知れない」。 直接、第4密度の観方で予言されていたら、このテーマの研究者の殆どは理解できただろうか?

Q: (L)それって、夢のシンボリズムについての、わたしの考えと似てるんじゃないかしら。例えば、わたし遠くで渦を巻いてる雲の夢を見て、これは死人が出そうだから竜巻だと解釈したんだけど、 実際にはそれはスペースシャトル『チャレンジャー』の大惨事の夢だったのね。わたしはそれを竜巻だと理解したんだけど、実際には見たまんま:空中の致死的エネルギー、遠くの渦だったのよ。わたしの夢は第4密度の表現だったんでしょうけど、自分に馴染みのある言葉で解釈しちゃったんだわ。こういうことでしょ?

A: Close. だけど、大抵の人々は、予言を字義どおりに解釈して、行き詰まりがちだ。

Q: (L)このような地球の変化に関しては、エドガー・ケイシーが最近では最も有名な予言者ね。数多い予言が的中しているかと言うと、外れてるみたいだけど。例えば彼は、1969年にアトランティスが浮上してくると予言してたけど、そうはならなかった。ある構造物がビミニ海岸沖で発見され、 アトランティスの遺物だろうと皆考えたけどね。これはおそらく、当時の砂から出てきたんでしょう。

A:シンボリズムの1形態の例だ。

Q: (L)シンボリズムと言えば、もしかして、あなた方がわたしたちの現実について言ってたのがそうなのかしら。あなた方は、第3密度での出来事を第6密度の観点でリーディングして、それを第3密度に送り返したというのよね;観念化は正しかったけど、正確な詳細は第3密度の言葉にすると、私たちの知覚のせいで、わずかに歪んでしまった。これがここでのテーマなのね?

A: 99.9%の人々は、コンセプトを理解しないだろう。ほとんどの人々は常に、データの文字による翻訳を探し求めるもの。たとえて言えば、アートギャラリーに来た人が抽象絵画を見て、「何だかわからない」と言うようなものだ。

Q: (L)文字による解釈をけなさないで。少なくとも、物事を文字にしようと努力してるんだから。わたしは写実的な芸術作品が好きなのよ。写実的なのが好みなの。木は木のように見えて欲しいし、人間は手足2本ずつがいいわ。 だから、予言するときも、文章的な表現の方がいいのよ。

A:多少ならOKだ。だけど気をつけないと、 「カリフォルニアが海に沈む」というのが常に、カリフォルニアが海面下に沈みつつあるという風に解釈されることになる。

Q: (一同どよめく )

(F)ちょっと待ってくれ。質問は何だっけ?

(L)私は、予言するときは文章がいいって言っただけよ。

(F)あー、彼らの言ってることはわかるよ。人々は、カリフォルニアがザブーンと沈むと信じてるんだ!そして、フェニックスが海岸の町になるってね;そこが海抜1,800フィート(1,800×30.48cm=550m)もあるなんて気にせずに、海抜0メートルまで沈下するとか;海面の方がそこまで上がってくるものと信じてる;そのくせ、東部の海抜0メートルのヴァージニア海岸には影響がないなんてね!つまり、1,800フィートも下降するというのに、建物は1つもダメージを受けぬままフェニックスがうまいこと沈下して行くということなんだよ...

(T)ゆっくりと沈んで行くんだ!

(F)ゆっくりとだって?信じられないくらいにか。どれだけゆっくりと沈んで行ったらいいって言うんだ!

(T) 5百万年かかって沈んだものを、これから1年半かそこらでうまいこと沈めなきゃならないのか!

(F)そうだよ!僕が言ってるのはそういうことなんだ!

(T)つまり、スカリオンとかサン・ベアその他の人々が、カリフォルニアが海中に沈むだろうと言うとき、彼らはカリフォルニア州全体がぴったり州境に沿って海中に沈むだろうとは言ってないんだね。 彼らは「カリフォルニア」という言葉を、断層に沿って岩棚が大規模に崩壊して、海に沈むかも知れないことを示そうとして使っているんだ。大きな断層があるからだ。それが字義通りに行かないなんてことは、僕らもわかってるよ。キミたちが言いたいのは、予言には言葉通り以上の意味合いが含まれてるってことなのかい?

A: Yes.

Q: (T)それじゃあ、カリフォルニアが海に沈むだろうというのは、なにも文字通り、州全体が海に沈むという意味じゃないんだね?

A:万が一そうなるとしても、沈むのにどのくらいの時間がかかるだろうか?

Q: (LM) 3分かも知れないし、300年かかるのかも。

(T)そうだ。そこが「未定」なんだと、キミたちは言うんだね。

A: Yes. だけど、あなた方の予言のほとんどは、そこが未定ではないと考える。

Q: (T) Okay. そう、彼らはある瞬間までカリフォルニアはそこにあるけど、 1分半後には無くなると考えてるんだ。そういうことをキミたちは言ってるんだろ?

A: そのようなことだ。

Q: (T)それじゃあ、僕らが「カリフォルニアが海に沈むだろう」と言うとき、それは単なる例えであって、本当の意味合いとしては断層に沿っていくつか地震が起こる可能性があるということなのか。だけど、誰も本当に、どの程度の震災なのかは知らない...

A:あるいは、全てが何か他の事のシンボルなのかも知れない。

Q: (L)例えば?何のシンボル?

A:それを調べて学ぶかどうかは、あなた方次第だ。

Q: (L) ちょっと待ってよ! それじゃあまるで、辞書も与えずに本を1冊ラテン語に訳してみろというようなもんじゃないの。

A:そうではない。再検討してみなさいと言ってるんだ。

Q: (L)あなたたち、私達の太陽系と相互に何かをやり取りしてる彗星群があって、それが3600年ごとに、天の横道面に入ってくると言ってたわね?

A: Yes. だけど、今回それは第4密度への領域境界の波に乗っている。 第4密度では、全ての現実の様相が違っている。

Q: (L) Okay, 彗星群が領域境界の波に乗ってるのね。 それってつまり、それが太陽系に入ってくるとき、それによる太陽系あるいは、太陽系内の惑星への影響が。。。

(J) あるいは、私達へのね。

(L)。。。第4密度への移行のお蔭で、緩和されるかも知れないとか、緩和されないとかいうことなの?それは緩和要因なの?

A:緩和されるだろう。

Q: (L)つまり、この彗星群が走り回り、飛びまわって到着しては、あっちに行って、こんなことやあんなことになるだろうというのはみんな...

A:それは完全に第3密度レベルでの考え方だ。

Q: (L)これでは第3密度レベルの考え方であって、 地球の変化に関する予言の多くがシンボルなんだとしたら、 それらはエネルギーにおける動きか変化のシンボルなんでしょうね。

A: Yes.

Q: (L)もし、そのようなエネルギーの変化が起こるなら、この星の人々は 多分、グループか、特別なグループの集まりとなって、 大変動という事件についての予言を変えて行くエネルギーとして役割定義されてるのかしら?これって、個人ベースあるいは集団ベースで、魂が大変動するようなものなの?

A: Close.

Q: (L)エネルギーが第4密度へと変化する時。。。前にあなたたち、言ってたけど、 移行が起こる時に第4密度へ移動する人々は、 何らかの若返りのプロセスを経て移行するのよね? 新しい歯が生えてくるとか。 で、第4密度に移動しない人々には何が起こるの? そんなことには全く気付いてない人々には? 彼らは このことに気付いて、既に振動数が変化してきている人たちによって、言ってみればおんぶされて、ウェイブに連れて行かれるのかしら? それとも、どこか他所で何か別の事をするの?

A:一問ずつ。

Q: (T) つまり、僕らが目の当たりにしている現実、今回やって来てるウェイブは 人類を第4密度へと移動させるんだよね?

A:地球と、あなた方の時空セクター全体も。

Q: (T)全体計画がそういうことなら、 言わせてもらえば、ここに居る僕ら全員がそうなのかな?僕らは、振動数(周波数)を固定するために、人間の姿でここにやって来たのかも知れない。固定すべきものというのが、そのウェイブで;だからこそ、それが到来するとき、十分な数の僕らの仲間達の準備ができていて、周波数は固定される、 計画通りに地球の変化は起こるということだね?

A: Yes.

Q: (T) Okay, 人々が地球の変化について語るとき、 文字通りの意味で、生き残るとか、生き残れない人が居るとか、破滅云々について論じてるけど、第3、第4、第5とリアリティにはレベルがあって、僕らは第4レベルの物理的な観点で地球が破滅し、あるいは、第4レベルで人々が死ぬから人口の90%が失われると言っている訳ではなく、それは第4レベルに移るからなんだね?

A: おっと!「正しく」なってきた。

Q: (T) Okay. それじゃあ、僕らがこれを固定するんだ。だから、予言者たちが人口の90%は生き残れないと言うとき、それは人々が死んでしまうということではなくて、皆が変化していくとうことなんだ。僕らは、1レベル上ろうとしてるんだよ。これが光の家族の使命についての全貌だね?

A:あるいはもう一つの可能性としては、物質的な大変動は存続する第3レベル密度の地球に「残される」人々にとってのみ起こることになるかも知れない。

Q: (T) オーケー、それじゃあキミたちが言いたいのはつまり、僕らは周波数を固定しようとしていて、ウェイブがやってくるとき、僕らはできるだけ多くの人数で連れだって第4レベルへと移る。そうして、地球に居る「黒Tシャツども」の支配を脱するので(※白Tシャツ=光の家族については『地球30万年の夜明け』170ページ)後に残された「黒Tシャツ連中」では、最早この星をどうにかしようなどと思い悩むエネルギーが不十分となる。連中の支配も弱まって地球もリフレッシュすることができるようになり、連中も邪魔されずに自分達の学びを続けられるということだね?

A: Close.

Q: (L) 単刀直入に聞くわよ。今この次元移行のときに、わたしたちが行っていることこそ周波数の固定であり、わたしたちが作って行くのは、一種のネットワークであって、これこそ文字通り第4密度にもう1つの地球を創り出すことなんでしょ?新しい地球は第4密度に存在する。古い第3密度の地球は − 丁度、単細胞生物が分裂するみたいに、分裂した片方だけがもう一つの次元へと移行し、エネルギーを与えられ、固定された周波数によって文字通り創造される。古い方はと言えば、第3密度に留まり、そこでの経験を続けるって訳ね?

A: 少しづつ聞きなさい。

Q: (L) 私たちは、片割れを創造するために、周波数を固定するの?

A: 1つの発達途上の経路。

Q: (L) 私達が、経路を発達させるの?

A: Yes. 1つだ。

Q: (J) 経路は何本必要になるの?

A: Open.

Q: (T) その経路があると、 残された人々も準備ができれば、第4密度への移動が簡単になるのかい?

A: No.

Q: (T) 何のための経路なんだい?

A: あなた方およびあなた方に続く人々のため。

Q: (L) その経路というのは、地球全体がその中を通って移行するものなの?

A: あなた方が1つ。他にもある。

Q: (J) それじゃあ、現時点で私達は、経路を育んでるところなのね?

A: Yes.

Q: (T) 地球上の他のグループも、自分達の経路を育ててるんだ?

A: Yes. 知識が経路を育むカギだ。

Q: (T) ここに居る僕らは皆、光の家族(※『地球30万年の夜明け』参照)の一員だと考えていいんだね?

A: Yes.

Q: (T) で、僕らが親しくなったのも、この経路を僕らの今居るところから、築いていくためなんだね?

A: Yes.

Q: (T) この地域に、他にもメンバーが居るのかい?

A: Yes.

Q: (T) 彼らは僕らの仲間に加わることになってるのかい?それとも、彼らは自分達でやっていくのかな?

A: Open.

Q: (T) オーケー、じゃあ、僕らが彼らに加わるか、彼らがこっちに加わってくるか、互いに別々にやるのかは、未定なんだね。僕らは第3密度から第4密度へと移るための経路を築いている。一旦、その経路を通って移ったら、 僕らのここに来た使命は終わりで、周波数を固定したことになるのかい?

A: 部分的には。

Q: (T) その経路って、僕らにとっての非常口みたいなものかな?

A: Close.

Q: (L) 単刀直入に聞くわよ。私達がその経路を通って移行するとき、他の人々は...

A: あなた方は、第3密度の地球とは違う第4密度の地球に移るだろう。

Q: (L) 今私が知りたいのは、繰り返すけど、昔から実際的な性分である私ローラは、ここでも実践的な手がかりが欲しいのよ。つまり、第4密度の地球と第3密度の地球とが、隣り合わせで共存することになるの?

A: 隣同士ではない。全く違った領域だ。

Q: (L) 2つの領域は、互いに浸透し合ってるけど、違う次元にあって...

A: Close.

Q: (L) それじゃあつまり、例えば第6密度の存在からは 地球という星が見えて宇宙を回ってるけど、他の次元にある地球もいくつか見えてて、だけど存在してる時点/場所は同じ。つまり、同時に存在してる訳ね。

(J) 彼らからは見下ろせるけど、私たちからは見上げられない。

A: Yes.

Q: (L) それじゃあつまり、この大変動が第3密度の地球上で起きてるとき、辛うじてわたしたちは第4密度の地球に移って、そんな大異変はそっちでは起こってなくて、私たちから第3密度の人々の姿は見えず、彼らからも私達は見えない。というのは、私達は別の密度に行ってるからで、つまりは「共鳴」してないからなのね?

A: コンセプトは理解できたようだ。さて次は、それが本当かどうか、あなた方が判定しなくてはならない。
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私は実際的な観点から質問を試みたのだ!いいところまで行ったのだが、彼らは私に曖昧な答えしか寄越さなかったのである!だが大事なのは、カシオペアンが「リアリティというシンボル」について分からせようとしていたことだ。彼らは私たちのリアリティがシンボリックなものであるという考えを提示しているのである。だが、最初の引用を思い出されたい:


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個々の魂は皆強力で、やり方さえわかれば、あらゆる存在を創造することも破壊することもできる。あなた方と私達、そして他の皆も、全存在を互いに所有し合うことによって、相互に繋がっている。あなた方は、代替的な宇宙を望み、そこに住むことで、それを創造するだろう。あなた方は皆、あなた方が住んでいる宇宙の複製なんだ。あなた方の心は、全存在を表している。あなた方がそれにどれほどアクセスできるか見るのは「楽しみ」だ。
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リアリティの持つシンボリックまがいの性質については既に述べた;私たちの世界とはおそらく、プラトンの『洞窟の比喩』で、洞窟内にできる影が外の現実世界のシンボルとされるのと同様、より大きなリアリティの制限されたバージョンなのである;だが、私たちが超次元空間や第4密度について述べるのだって、物質的な意味合いでそうしているのだ。『テセラクト』を思い出されたい。(原注1)
http://takapachi1962.seesaa.net/article/303663532.html
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=25448585
さて、ここからは別の意味でシンボリックなものについて述べていくことにする:厳密に非物質的な意味における概念やエネルギーのシンボルである。(本巻および以降のウェイブ・シリーズの)叙述を進めて行く中で、このような第3および第4密度というシンボルに隠された、存在すると思しきリアリティについて、そしてとても重要な、そのようなリアリティがありのままでは知覚困難であることの理由について取り上げて行くとしよう。読者諸賢にはこれが、高次領域からの情報が曖昧であることと直接関係があるのを理解いただけるだろう。マイケル・トッパーは、このような曖昧さ、すなわち「チンプンカンプンな要素」について、以下のように述べている:


原注1:テセラクトとは、4次元立方体ないしハイパーキューブのことである。3次元の立方体が2次元の面6つから成るように、ハイパーキューブも8つの立方体から成る。4次元空間は最初理解が難しいので、読者は『第1巻 ウェイブに乗って』(※第1章から第9章。テセラクトが出て来るのは第5章)における議論および、巻末の推薦図書(※Web版には無いが、最新の「推薦図書」は http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=77046169 )を参照されたい。


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我々がチャネラーに対して未来について尋ねるのはなぜかというと、基本的に我々が、時折訪れる生の裂け目に張り渡した心理的なワイヤーに、心配そうにへばりついている個々の人格という風情で、ごく日常的な概念として心配を抱えているからである。。。戸惑いながら現在の決定に迫られる我々にとって、予め未来の事が分かり、代替的なタイムラインそれぞれの成り行きを知ることができるのだから、常に役に立つものだ。我々としては可能ならば、金銭的なコミットメントのみならず、心理的なコミットメントについても、裏付けを得;日常的に起きる不測の事態に対する保証を前もって得たいのである。そしてチャネラーは、より見込みの高い可能性を示してくれる。。。近年我々が耳にした無数のチャネリング情報は、実に雪崩の如く、予知や道義的見地からのアドバイスをもたらしたが、とりわけ、リアリティの諸次元/状態/レベルについての情報は大量で、これらの目的が何で、帰結はどうなるのかという重要かつ究極の疑問を招いた。チャネリング・ソースによる無数の貢献によって、我々はある意味、これは従来を超える成功をおさめたものと、すっかり評価を改めざるを得なかったし、達成されるべき究極的目標の水準は、言うなれば、高められた;より大局的で、重大、誠に神聖なフォーカスを見通せるまでに視野が引き上げられたのだ。この「プラス」面だが、チャネリング現象がもたらす言葉による確証(confirmation)のコーラスは集合的には、明確な魂の配慮によって、我々の発する日常的な問いと関心事を、世俗さを打ち消された背景の中に配するものだ。我々の未来、選択、そしてその結果に関する、ごく世俗的な問いに対する「答え」に、意味の全く追加的な面が備わってきたのだ。最も呑気な「チャネラー」ですら、このような意味合いを少なくとも暗黙的には感じざるを得ない。毎度お決まりの個人的選択に関する問答も、魂の成長という、より大きな運命に関する意味合いを帯びてきたのだから。このような断固たる告知が、基本的に瞑想を促すような言葉の流れの中に、言葉のトンネルをくり抜くようにぶっきらぼうに割り込んでくるようなやり方でもたらされたとしても、さしあたり気にするには及ばない。かつてそれらはどうやら、とてもスピリチャルで高いサイキック・モードの人々に固有の、個人的で(媒介がない)直接的な知覚に向かって行われたものだが、今や叙述と言う近似法によって提供されている。この現象全体が、ある観点からすると、ここ「物質的次元」の緩慢な人格発達という特性に長らく待たされた高次の知性の焦りを表しているようではあるが、気にするには及ばない。確かに彼らは幾らか瞑想的な平穏がようやく僅かに達成されたというところに、必要不可欠な情報パケットを割り込ませてくるのだ。とは言うものの、「チャネリング」という状況のお蔭で、心身統合という次元/状態/現象/段階への直接的なアクセスを達成したチャネラーの中には、他の腹話術的口述によって語るチャネラーとは違って、実際に個人的な進歩を遂げたと思しき者もいる。(『セス文書』参照。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=28812439
後にジェーン・ロバーツは折に触れて、「内方次元界」に対する彼女の理解が進んだと述べている。)
https://books.google.co.jp/books?id=CVtQdA1aiN0C&pg=PA46&lpg=PA46&dq=Jane+Roberts+inner+plane&source=bl&ots=IBefJADk_v&sig=houbfmv59rqxJo27JnC1-yO5U4k&hl=ja&sa=X&ei=ndAAVeeGDuOmmAX9joHACA&ved=0CCUQ6AEwAQ#v=onepage&q=Jane%20Roberts%20inner%20plane&f=false
しかし、ライアーソン(原注2)のような態度が概ね主流である。要するにチャネラーの人格と、彼らが高次存在とコミュニケートし代理として述べている内容とが奇妙に解離しているのだ。容易に想起できるように、チャネリング現象のマイナス面とは結局、(さまざまなソースが雪崩の如くもたらす)言葉がスムーズに流れ出して来るものではなくて、不調和を来しているということだ。(目をくらまされたチャネラーの時空の枠組みによって限定されていない)「高次の」意識レベルで、リアリティに関する説明に論争すなわち不一致がなお存在しているようなのだ;壮大でかつ遥かに大局的と言われる「知の領域」においてもなお、知覚され、知られている内容が分裂しているらしい。このようなソースの言葉が印刷されたものをいくつか精査し、あるいは、参加した「実演」セッションのメモと比べれば誰でも(わずかであれ)気付くのだが、高次元の存在は、物理体を持つ者とは異なる段階の知識を持ち、行動をとるものであるという一般的な了解とは裏腹に、些細な多様さから紛れもない矛盾へと多岐にわたる大小の相違がないまぜになっているのである。そのようなソースの1例を挙げて説明しよう。ヴァージニア・エッセン
http://books.google.co.jp/books/about/%E3%83%8F%E3%83%88%E3%83%9B%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%9B%B8.html?id=K2-FZwEACAAJ&redir_esc=y
とアン・バレンティンによって「チャネリング」された『宇宙の黙示』は、
http://www.amazon.com/Cosmic-Revelation-Ann-Essene-Valentin/dp/0937147028
我々がおずおずと通過しつつある移行という重大な出来事によってもたらされた「改良版教育プログラム」の一環としての情報パターンの変化を広めようという、高次元の緊急かつ未曾有の必要から生じた、不可避的な混乱状態として理解できよう。このソースによれば、このような混乱は、内方次元界の存在が属する霊的ヒエラルキーに沿って伝達する必要性から生じるもので、最高レベルで作られたこのような「情報」は、そうやって伝達されねばならない。他のソース/チャネルから集められる情報も出所相応で、知性の各位階がデータの流れを「下方へと」伝達するレベルは様々であり、それぞれの次元が持つ理解に従って、情報のパターンを作り出す。ソースの資質によって既に風合いを帯びているそれぞれの情報は、チャネラーのレベルで顕著に歪められるのだが、「繋がり」の多様さに応じて、チャネラーの個人的な記憶の記録、概念マトリックス、ボキャブラリーに対する信頼度は上下する。結果的に生み出される言葉の産物は、いずれにしても、発生当初の直観から、数次元引き離されている。その上、このような知識は全て、基本的に言葉を用いず、抽象的な霊的観点で知の全プロセスを行う創造的知性のレベルでこそ最高の形で放射され、物質にフォーカスした枠組みに適した概念には直接翻訳できないことを認識するならば、どうしてセスとヒラリオン
http://japonese.despertando.me/%E3%83%92%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%81%AE%E9%80%B1%E9%96%93%E3%83%A1%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%80%80%EF%BC%92%EF%BC%90%EF%BC%91%EF%BC%95%E5%B9%B4%EF%BC%91%E6%9C%88%EF%BC%92/
の意見が合わず、どうしてラムザ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=30528522
http://www.genpaku.org/skepticj/channel.html
とニューエイジの「キリスト」文書が書棚で喧嘩しているかについても容易に説明がつくだろう。
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原注2:ここでトッパーが言及しているのは、ライアーソンの私生活と振る舞いがスピリチャルな求道者にそぐわないものであり、彼が普段から猥褻でスカトロなことばかり言っているということだ。以下、パトリック・オライリー著『チャネリング:懐疑的な観方』から引用する。
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ケビン・ライアーソンは名声と富を手に入れた「トランスチャネル」である。
http://www.genpaku.org/skepticj/channeling.html
彼はシャーリー・マクレーンの著書『アウト・オン・ア・リム』で世間の注目を集めた。
http://plaza.rakuten.co.jp/cyousenrekishi/diary/201201230000/
ライアーソンの伝えるところによれば、我々はみな神聖な存在であるといい、彼が作り上げた宇宙論には様々なものが出て来るが、中でも際立っているのがチャクラ、直観、そしてエコロジーだ。ライアーソンはしばしばテレビのトークショーに登場し、チャネリングで得たメッセージを一般向けの本に書き、彼専門に顕われる霊的実体に対するチャネリングを実演するワークショップを開催している。彼によると、我々の社会には癒しのサイキックなイメージが欠けているので、我々はあえてテクノロジーに身を委ねているのだという。我々はこの世界から抜け出し、聖なる曼荼羅に入って行かねばならないのだ。ケビン・ライアーソンは一時、「1セッションで250ドルとっていたが、サンフランシスコにあるオフィスにあまりに申し込みが殺到したため、現在、商売は他のチャネラーに任せている」
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確かにこれで問題の説明がつくようだ:ソースごとに違うことを言っているのは、高次領域からの浸透プロセスのせいなのだ。もちろん、それがチャネラーに届くときに、チャネラー固有の知識、ボキャブラリー、仮定によるツイストが最大限に加わるのである。だから、明らかな解決策は、最もノイズの少ない、できるだけ高次のソースからの情報を探すことなのだ。実はこの問題があったから、私は自分がやってきたようなチャネリング方法によってアプローチすることになったのである。私は「亡者」で満足するつもりはなかった。亡者は一般的に、私たち自身が第3密度の幻想状態で持ち得るよりも限られた情報や洞察しか持っていないのだ。実際、数多くのヒプノシス・セラピー被験者や亡者との会話から私が学んだ経験からして、この段階にある存在はしばしば底抜けレベルに無知なのだ!私は亡者とのやり取りで時間を無駄にすることは何としても避けたかった。というのも、その結果は故意の精神錯乱、無垢なディスインフォメーション、無益な推測へと至ること確実だからだ。ケイシーが言っているように、「長老派信者は死んでも長老派」なのだ。結局のところ:亡者たちの殆どは、未だなお牢獄に囚われたままなのである!だが、話をカシオペアンが上で言っていた、「リアリティというシンボル」に戻すとしよう:


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Q: (T)それじゃあ、僕らが「カリフォルニアが海に沈むだろう」と言うとき、それは単なる例えであって、本当の意味合いとしては断層に沿っていくつか地震が起こる可能性があるということなのか。だけど、誰も本当に、どの程度の震災なのかは知らない...

A:あるいは、全てが何か他の事のシンボルなのかも知れない。

Q: (L)例えば?何のシンボル?

A:それを調べて学ぶかどうかは、あなた方次第だ。
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これは何とも責任重大だ。だが当時の私はまだ、高度の真理はタダで簡単に得られるべきである、という教え
(※お金で買えないものをキリストは無償で私たちに与えてくださいます。キリストは言われました。「私が道であり、真理であり、命である」と。 ※※)
https://www.facebook.com/kakogawa.church/info?tab=overview
に影響されていたので、この問題には、はらわたが煮えくり返りそうだった。どうして何事についても率直な答えが得られないのだろうか?これでは完全に公平とは言えない。カシオペアンは私たちに、検証可能なもの、不可能なものを含め、数多くの率直な回答を与えてくれた。だが、特定のテーマについては、ことわざに言うところの「ダモクレスの剣」のように、曖昧さという危険がぶら下がったままだったのである。これはどうやら私が自分で解明すべきことのようだった。前に書いたように、私は80年代半ばにウスペンスキーの『奇蹟を求めて』を読んだのだが、そこには全く頭にくるぐらい意味不明の事があまりに沢山書かれていたので、この本を文字通り、投げ出したのだ。当時私は寝たきりで、考える他には大してする事がなかったのである。それで私は、この本を部屋の向こう側の壁にバシッと投げつけたのだった。グルジェフの言葉に怒り心頭だったのである − カルロス・カスタネダがドン・ファン・マトゥスの言葉として紹介している多くのものと全く同じだ。だがやがて冷静さを取り戻すと、私の心の中で、感情的に激さないで問題を考えてみなさいという囁きが聞こえてきたのだった。さらに時間をかけてよくよく考え、頭の中で自分の人生における多くの経験を検討してみてすぐさま気付いたのは、グルジェフの言っていることは、事の全貌を明らかにしてはいなくても、確かに正しい方向で述べられているということだった。それで私は人を呼んで本を拾ってきてもらい、腰を落ち着けてもう数ページ読んでみたところ ― もちろん、繰り返し何べんもだ ― 怒りがこみ上げ冒涜されたような感じがし。。。やがて本は飛んで行った!その時の本が、今、目の前にあるのだが、ちぎれた扉を粘着テープで張り合わせてある。グルジェフの言葉のどんなところが、私をそれほどまでに怒らせたのだったか?


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(57ページ)
G − 君は自分自身の状況を認識していない。君は牢獄にいるのだ。もし君が分別ある人間なら、君が望むことはそこから脱出することだけなはずだ。しかしどのようにして?塀の下にトンネルを掘る必要があるが1人ではできない。しかし、10人か20人いるとしよう。もし彼らが交替で働き、互いに支えあうならば、彼らはトンネルを完成させ、脱出することができる。そのうえ、以前に脱出したことがある人々の助けがなければ、誰一人牢獄から抜けだすことはできない。どうすれば脱出できるかを教えたり、道具やその他必要なものを送ったりできるのは彼らだけなのだ。しかし囚人1人では、このような人々を見つけたり、連絡をとったりすることはできない。

(60ページ)
。。。人間の存在は、もしそれが死後も存在するとすれば、生前も死後も、非常に質の違ったものでありうるということを理解する必要がある。すべてが外的影響に依存し、すべてが偶発的に起こり、今あるものであるかと思うと、次の瞬間には他のものに、また次の瞬間にはまた別のものになるといったような<人間機械>には、いかなる未来もない。埋葬されて、それで終わりだ。塵は塵に還る。これは人間にこそあてはまる。来世がいかなるものにせよ、それについて語りうるためには、ある種の結晶化、人間の内的資質の融合、外的影響からの確固たる独立が必要だ。もし人間の中に、外的影響に抵抗できるものがあるとすれば、まさにそれ自身が、肉体の死にも抵抗できるかもしれない。。。

(61ページ)
融合すなわち内的調和は、<あつれき>を通して、つまり人間の中における<イエス>と<ノー>の葛藤を通して得られる。もし人間が内的葛藤なしに生きるなら、もしすべてが彼の内で何の障害もなく起こるならば、もし彼が誘われるままに、風に吹かれるままにどこへでも行くなら、彼は今の状態から1歩も踏みでることはできない。しかし、もし彼の内で葛藤が始まれば、そして特に、この闘いに確かな方向があるならば、不変なる特性がひとりでに形成されはじめ、彼は<結晶化>を始める。しかし結晶化は、正邪を問わずどんな土台の上でも起こりうる。<あつれき>、<イエス>と<ノー>の間の葛藤は、誤った土台の上でもたやすく起こりうるのだ。たとえばある思想への狂信的な信奉、あるいは<罪の怖れ>なども、<イエス>と<ノー>の間に著しい葛藤をよびおこすことができ、人はこれらの基盤の上で結晶化することもある。このような人間にはそれ以上生長する可能性はない。そこから先へ生長するためには、彼はもう一度溶解しなければならないのだが、それは、すさまじい苦痛を通じてしか達成しえないのだ。結晶化はどのような基盤の上ででも可能だ。山賊を、実に有能な本ものの山賊を例にとってみよう。コーカサスで私はそんな山賊を知っていた。彼は道ばたの岩の後ろで、ライフル銃をもって身動きもせずに8時間立ち続けるのだ。君にこんなことができるかね?その間中 − ここに注意してほしいのだが − 彼の内部で闘争が行われているのだ。のどが渇き、暑く、ハエに咬まれるが、彼は動かずに立っている。別の例は僧侶だ。彼は悪魔を怖れ、一晩中額を床に打ちつけて祈る。そうして結晶化が達成される。このような方法で、自分の内部に巨大な力を生みだす。苦痛に耐えることができ、望むものを手に入れることができる。これは、そのとき彼の内部に、純粋で不変の何かができたことを意味している。このような人々は不死となることができる。しかしそんなものが何になるだろう?この種の人々は、時にはある程度の意識を保持している場合もあるけれども、結局は<不死なる物>になるのだ。しかし、それでさえ非常にまれにしか起こらないのだということを肝に銘じておきなさい。。。

(63ページ)
「どのようにして人は、自分の中で<イエス>と<ノー>の間の葛藤をよびおこすことができるのですか」と誰かが聞いた。
G − 犠牲が必要だ。何も犠牲にしなければ、何も得ることはできない。しかもその時点で貴重なものを犠牲にすること、長期にわたって多大の犠牲を払うことが必要なのだ。とはいえ、永久にではない。これをしっかり理解しなさい。ほとんどの場合、理解されていないのだから。犠牲は結晶化の過程の間だけ必要なのだ。結晶化が達成されれば、自制、欠乏、犠牲はもはや必要ではない。(原注3)
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原注3:P・D・ウスペンスキー『奇蹟を求めて』(浅井訳。)


「リアリティというシンボル」ということの意味について考え始めると、私は上の一節を思い出す。何かしら繋がりがあるように感じるのだ。この一節の言わんとしていることは、今どきの多くの教えとは真逆で、第3密度の人間としての私たちは、世界宗教やその支流の殆どが信じなさいと私たちに教えてきたような、特別な、選ばれた、素晴らしい存在などではない、ということのようである。グルジェフのコメントは標準的なニューエイジの教説と真っ向から食い違っている。それらは大抵こんな風だからだ。
「困った過ちを幾つか犯したとしても、私たちは『特別な存在』です。大丈夫ですよ。転生を2、3回も繰り返すうちに全て正され、私たちは完璧に正しくなります。良い事だけを考えなさい。そうすれば、良い現実を創造できるでしょう。というのも、私たちがフォーカスするものを私たちは『創造』するからです。なので、悪い事、ネガティブな事はすっかり忘れなくてはなりません。『愛こそはすべて』なのです。
http://fuji-san.txt-nifty.com/osusume/2008/11/post-60df.html
♪ラーブ、ラーブ、ラブ!」
ところが、グルジェフによれば、私たちは牢獄の中に居るのであって、ある知識、すなわち、自分たちが牢獄の中に居るのだということをまず認識しなくては、脱出は無理だという。その上、脱出には誰かの助けが必要で集団で努力する必要があり、役に立つ方法は一種の「結晶化」、すなわち努力なくしては得ることも、利用することもできない。さらに彼はこうも言っているようだ。すなわち、魂は統合された一定不変のものであるという考えは少々自分勝手で、おそらくは事実無根だとも!何と怖ろしい事を言うのだろう!ある時、カルロス・カスタネダは師のドン・ファンからこう言われている:


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(272ページ)
「われわれには捕食者がいる。そいつは宇宙の深奥からやってきて、われわれの生活の支配権を乗っ取った。人間はそいつの囚人だ。その捕食者は、われわれの主人であり支配者なのだ。われわれ人間を飼い馴らし、従順で無力な生き物にした。たとえわれわれが抗議しようとしても、そいつが抑圧してしまう。われわれが独立して行動したいと思っても、そいつがそうするなと要求する」

。。。

「おまえは自分の努力のみで、古代メキシコのシャーマンたちが『主題の中の主題』と呼んだものに到達した」 ドン・ファンは言った。「これまでわしはずっと遠回しの言い方でおまえにほのめかしてきた。何かがわしらを捕虜(※囚人)にしているとな。実際、わしらは捕虜になっているのだ!これは、古代メキシコの呪術者たちにとってエネルギー上の事実だった。「なんでこの捕食者は、あんたが言うようなやり方で乗っ取ってしまったんだい、ドン・ファン?」私は訊いた。「論理的な説明がなければならないよ」 「説明ならあるさ」ドン・ファンが答える。「単純このうえない説明がな。やつらが乗っ取ったのは、わしらがやつらにとって餌だったからだ。わしらが栄養物だからといって、やつらは無慈悲に搾り取る。われわれ人間が鶏舎で鶏を飼育するように、捕食者どもは人舎でわれわれを飼育する。そうしておけばいつでも食い物が手に入るってわけだ」 私は自分の頭が左右に激しく揺れるのを感じた。底知れぬ困惑と不満とを口で言い表わすことはできなかったけれど、体の動きがそれらを表面に浮びあがらせた。そうしようと思わないのに、私は頭のてっぺんからつま先までぶるぶる震えた。「ちがう、ちがう、ちがう」自分がそう言っているのが聞こえた。「そんなのばかげてるよ、ドン・ファン。あんたの話はまったくもってむちゃくちゃだ。本当であるはずがない、呪術師にとっても、普通の人々にとっても、あるいはどんな人間にとってもね」 「どうしてだ?」ドン・ファンが静かに問い返した。「どうして本当でないんだ?おまえを憤慨させるからか?」 「ああ、そうだよ、そんな話を聞いて憤慨せずにいられるもんか」私は反駁した。「あんたの主張は途方もなさすぎる!」

[…]

「わしはおまえの分析的思考に長けた頭に訴えようと思う」とドン・ファンが言った。「しばらく考えてから、事を巧みに処理する人間の知性と、その人間の信念体系の愚かしさ、もしくは人間の一貫性を欠く行為の愚かしさとの矛盾を、どのように説明したらいいか話してみろ。呪術師たちは、捕食者がわれわれに信念体系や善悪の観念や社会的慣行を与えたのだと信じている。成功や失敗へのわれわれの希望と期待と夢とを仕組んだのは、やつらなのだ。やつらがわれわれに強欲と貪婪さと臆病とを与えたのだ。われわれを自己満足におちいらせ、型にはまった行動をとらせ、極端に自己中心的な存在にさせているのが、やつら捕食者どもなのだ」 「だけど、どうしてやつらにそんなことができるのさ、ドン・ファン?」私は彼の言葉にますます怒りをおぼえて尋ねた。「われわれが眠っているあいだに、やつらがそういうことを全部耳のなかへささやくのかい?」 「いいや、そんなやり方はせん。そんなのはくだらんにもほどがある!」ドン・ファンは微笑えんで言った。「やつらはそれよりはるかに有能で組織的だ。われわれを弱く従順で意気地なしにさせておくために、捕食者どもは素晴らしい策略を用いる。素晴らしいってのは、もちろん、喧嘩好きの策士の観点からしてだぞ。受ける側からすれば、恐ろしい策略だ。やつらは自分の心をわれわれに与えるのだ!おい、聞いているのか? 捕食者どもは自分の心をわれわれに与える。そしてそれがわれわれの心になる。捕食者どもの心は粗野で矛盾だらけで陰気だ。そして、今にも発見されてしまうのでないかという恐怖に満ちている。(原注4)
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原注4:『無限の本質』(結城山訳。)


ドン・ファンは続けて言う:


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「おそらくおまえは飢えを経験したことがないのではないかな。にもかかわらず、食料への不安を抱いているだろう。それは捕食者の心にほかならない。捕食者はいつなんどき自分の策略が見破られて食料を得られなくなるかと心配でならんのだ。そこで心を通して、それはつまるところやつらの心なのだが、捕食者どもは人間の生活のなかへ自分たちに都合のいいものを注入する。そうやってある程度の安全を確保し、恐怖にたいする緩衝物とするのだ」。。。(原注5)
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原注5:前掲書。


一番注意すべきなのは、ドン・ファンの言葉の以下の部分である:


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捕食者がわれわれに信念体系や善悪の観念や社会的慣行を与えたのだ。成功や失敗へのわれわれの希望と期待と夢とを仕組んだのは、やつらなのだ。やつらがわれわれに強欲と貪婪さと臆病とを与えたのだ。われわれを自己満足におちいらせ、型にはまった行動をとらせ、極端に自己中心的な存在にさせているのが、やつら捕食者どもなのだ」
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ここで言われているのは本質的に、「物事は今見えている通りではないし、これまでもそうであったためしがない!」ということだ。このリアリティのどこに注目しようとも、「信念体系や善悪の観念や社会的慣行」のレンズ越しに読み取ろうとする限り、信じるに足るものなど殆ど全く存在しない。私たちがグルジェフ、ドン・ファン、カシオペアンから得た情報によれば、私たちに信念体系を与え、成功や失敗への希望と期待と夢とを仕組んだのは、私たちの看守なのであり ― 注意すべきことに ― 私たちの信念体系や希望や夢、そして善悪の観念といったものは全て、何千年にも亘って、基本的にはチャネリング・ソースによってもたらされてきたのである。私たちは司祭や巫女、牧師、聖書、コーラン、ヴェーダ、そして今日では止めどなく出て来るチャネリング本に答えを求める。というのも、トッパー氏が言うように私たちは、「ごく日常的な概念として心配を抱えているからである。。。予め未来の事が分かり、[行う選択]それぞれの成り行きを知ることができるのだから、(チャネリング情報とは)常に役に立つものだ。。。」 そして、私たちが答えを求めようとして尋ねる沢山のソースは実際、「答え」を与えてくれる。マイケルは続けてこう言っていた:


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近年我々が耳にした無数のチャネリング情報は、実に雪崩の如く、予知や道義的見地からのアドバイスをもたらしたが、とりわけ、リアリティの諸次元/状態/レベルについての情報は大量で、これらの目的が何で、帰結はどうなるのかという重要かつ究極の疑問を招いた。
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では、既存のチャネリング情報のどこが問題なのだろうか?物質的な観方ではない何らかの観点から、このリアリティについて考えるよう導かれるのは良い事ではないのだろうか?私たちの生が、個人に留まらず、もっと大きな宇宙的な枠組みの中で意味を持っていると気付くのは、一般的に良い事ではないのだろうか?私たちに提示されているスピリチャルな原理に従うならばアセンションできるであろう高次レベルのリアリティに関する手掛かりや記述を手にするのは良い事ではないのだろうか?それらのチャネリング情報は基本的にいずれも一致しているのではないのか?いずれかの教団に加入するかどうかが、どう問題なのか?既存のチャネリング情報の殆どが「山頂への道はたくさんある」と言っていないだろうか?既存のチャネリング情報は私たちに、「自分の望む現実を創造」するとか、「救われる」とか、そういったことの様々なバージョンを示して奨励していないだろうか?それなのにグルジェフやドン・ファン、カシオペアンは、他の圧倒的多数の教えを向こうに回して、私たちは囚人だと言うのである。カシオペアンはかつてこう言ったことがある:


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http://takapachi1962.seesaa.net/article/341874150.html
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=50834260
---
Q: (L)[政府がUFOやアブダクション、キャトルミューティレーションをでっち上げたのは、]自分たちがエイリアンとやり取りしていることを公衆に察知されるのを防ぐためだったの?

A:彼らがそれを行ったのは、もし発覚すれば社会の怒りが爆発するような事実を公衆が察知するのを防ぐためだった。

Q: (L)政府が社会、あるいは公衆に知られるのを防いでた事って何なの?どんな活動?

A:人間が家畜を食べるように、エイリアンがあなた方を食べていること。

[…]

Q: (T) キミたちが言うには、僕らのアメリカ政府は、何らかの種類の宇宙船36機を、何らかの方法で手に入れて持っているということだった。他国の政府は何機持ってるんだろう?

A: 皆1つだ。

Q: (L) ワンワールド・ガバメントが既に存在していると言ってるのよ。

(T) そうだとも。連中は何らかの形で公になるのを待ってるだけなんだ。

A: あなた方の測る「時間」で随分前からそれはあった。

Q: (L) 「共同体」が保持している「究極の秘密」って何?

A: あなた方をコントロールしているのはあなた方自身ではなく、あなた方は実験台だということ。
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Q: (L) テンプル騎士団かカタリ派か何かが「埋めた財宝」の正体、アレキサンドリアの大図書館にあった写本に書かれていたこととは、人間の本当の起源と本性だったの?

A: もしそうだとしたら多分それらは、あなた方が生きている世界の構造について説明していただろう。

Q: (L) 私たちはどんな構造の中に生きてるの?

A: 強いられた選択。
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これでは確かに、とても心地よい情報とは感じられないだろう!だが考えねばならない事はまだある。『ラー文書』
http://mixi.jp/view_community.pl?from=related_member&id=3609063
は、私の知る限り、チャネリング・ソースを通じて密度の概念を暴露した最初のものだった。しかし、7つのレベルとして経験される「オクターヴを成す(=8個一組の)リアリティ」という概念は、既にグルジェフの教えにもあったし、後世の彼の教団の支流にも存在しているのだが、これは古代スーフィーの教えの中で確かに示されていたものだ。一般に知られている限り、グルジェフは小アジアにあった秘密のスーフィーの修道場のいくつかで教えを受けた。彼はしばしば人間を「月の食料」にたとえたし、彼の言わんとすることは殆ど、第3密度は牢獄であり、脱出する唯一の方法は第4密度へと卒業することだと言うのに等しい。彼はもう1つ奇妙な事を言っていて、ひと頃私はこれについて随分と考えさせられたものだ。(原注6) 理解しやすいよう、グルジェフはこれらを異なる世界のこととして述べているが、彼が暗示しているのが「密度」であるのは明らかである。


原注6:ここで紹介する事の背景を十分理解するためにも、読者にはウスペンスキーの『奇蹟を求めて』の購入をお勧めする。以下では彼の思索を凝縮して述べる:


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1) 絶対
2) 全宇宙
3) 全太陽(恒星)
4) 太陽
5) 全惑星
6) 地球
7) 月
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(※浅井訳223ページ、図18参照)


これらがどのように密度に関係しているかは、『奇蹟を求めて』を読まれれば理解いただけようが、私がショックを受けた部分というのは、ウスペンスキーとグルジェフの以下のやり取りに出て来るものだ。ウスペンスキーは書いている:


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(50ページ)
Gは小さな図を描いて、彼が<さまざまな世界内の力の相互関係>と呼んでいるものを説明した。
G − これは前の、人類に働きかける影響力の話と関連していた。おおざっぱに言えば次のようになる − 人類、より正確には地上の有機生命体は、種々の源泉や世界から生じる影響。。。を同時に受けている。これらの影響はすべて同時に働きかけるが、時に応じて、ある影響が優勢になったりまた別のものが強力になったりする。つまり、ある影響から脱して別の影響のもとに入る可能性があるのである。。。
G − 別の影響を受けずにある影響から自由になることはできない。問題の核心、すなわち自己修練とは、受けたいと思う影響を選び、そして実際その影響のもとに入ることにほかならない。そのためには、どの影響が有益であるか知っておかなくてはならない。。。
「地球の知性は、太陽の知性に対してどんな関係にあるのですか」と私は聞いた。
G − 太陽の知性は神秘的なものだ。しかし地球も同じようになることができる。ただし、もちろん保証されているわけではなく、何も達成しないまま死滅するかもしれない。
「それは何にかかっているのですか」 Gの答えはひどく曖昧だった。
G − あることが為されるには、あるはっきりした期間が定められている。もし、ある時までに為されるべきことが為されないなら、地球は達成しうることもしないまま死滅してしまうだろう。
「その期間はわかっているのですか」
G − それはわかっている。しかし人々は、それを知っても益はないだろう。いや、むしろ悪くなるかもしれない。信じる者もいれば信じない者もおり、説明を要求する者もいるだろう。そしてそのうちに、互いの頭をたたき割りはじめるだろう。大衆とはいつもそんなものだ。(原注7)
---
原注7:前掲書。


私見では、グルジェフは「ウェイブ」や地球が第4密度に移行する可能性、それに何人かの人々が第4密度状態に卒業ないし「ハーヴェスト(収穫)」されることを示唆しているのだろう。既に述べたように、宇宙の分岐点のどれをとってみても、起こりうる未来は数多くある。宇宙が単一性を選び取る瞬間、すなわち分岐点に近づいて行くに連れて、そのような選択肢も狭まって行くということらしい。そしてまたどうやら、地球が向かっている方向は、私たちの環境内で見られる兆候から判断する限り、私たちにとって実現して欲しくない未来のようだ。こんなことになったのも、宗教や信念体系、そして、言ってみれば、この危険の多い分岐点に私たちを連れて来て、なおも背中を押し続けている、昨今のチャネラーの発するメッセージの仕業である、というのが本当のところではないだろうか。私が言いたいのはこういうことだ:カシオペアンの教えが、私個人のリアリティに対して、かくもドラマチックな変化を生みだし、そしてまた、この「リアリティの青写真」を用い始めた他の人々の人生にも同様の効果を与えてきた、ちょうどそのように、私たちは気付きを得ることによって、違った未来を選択する可能性を持っているのである。これもまた、グルジェフの牢獄の話の意味するところではないだろうか。どうやって牢獄から抜け出そうかと考え始めるためには、まずは自分が牢獄に居ることに気付かなくてはならないのだ。私たちが第3密度に入ってきた時の選択が牢獄行きだったのだというのは、ある程度はその通りだろう。だが、第3密度に入ることによって、私たちは自らの本性を忘れ、これが学びのためのリアリティであることを忘れると承諾してしまったのだ。「宇宙のワンネス」だとか、「わたしたちは本来全能の存在です」などと言ったところで何の役にも立たない。というのも、私たちは自らの選択で、そのようなリアリティにアクセスしてこなかったからだ。一連の状況、一連の選択はどうやら、アクセスの論理的な段階を経て行われねばならないということのようだ。私たちは進歩を加速することはできるかも知れないが、「飛び級」を試みるのはどうやら良しとされないらしい。「宇宙のワンネス」について瞑想してw。。。第7密度にひとっ飛び、一切の混乱を終わりにするなどまず無理なのだ。実際のところ、そのようなことは深いレベルでは望まれてもいないらしい。私はかつてカシオペアンにこう尋ねたものだ:


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Q: (L) 自分のDNAを超伝導体にするよう刺激するにはどんなことをすればいいのかしら?

A: 必要ない。あなたは一番下の娘さんの成長を早める刺激法を見付けたいと思うだろうか?

Q: (L) もちろん思わないわ!彼女はまだ赤ちゃんなのよ!彼女は楽しむ必要があるわ!あ、分かった!
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本章の冒頭に掲げたカシオペアンの言葉を思い出されたい:「あなた方が全存在にどれほどアクセスできるか見るのは『楽しみ』だ」。だから、第7密度への近道を探すのが重要だとは思えない。重要なのは「黄色い煉瓦道をたどって行く」ことであり、
http://sky.geocities.jp/kmien3/Yellowbrick.htm
今現在直面している冒険、任務に打ち込むことであって、私たちが居るのは牢獄の中であり、脱出する方法を発見できるかは私たち次第であるということのようなのである。しかし、学びのためには、「自分で創造するという過ちを犯しさえしなければ牢獄は存在しなくなる」と考えたのでは役に立たない。それは明らかに、私たちがまだアクセスできないレベルのリアリティから築かれているため(これまた、今より高次のレベルで私たちがこのドラマを選んだ結果である)、「牢獄について考えたり、それにフォーカスしたりしなければ、それは存在しなくなる」と言ったところで無益なのだ。問題をもっと大きな視点でとらえれば、その無意味さが明らかになる。私たちは牢獄に居る。だが、私たちは現レベルでそのことを考えたり、フォーカスしたりしているせいで牢獄の中に居るのではない。実際、それについて考えたり、フォーカスしたり、それに関するあらゆる事や抜け出す方法/手段を学んだりしなくても、私たちはデフォルトで獄舎の壁の中に住み続けることを選ぶのだ!私たちがもし、牢獄という現在の制限された状況を直視して、抜け出す努力をするならば、現在のレッスンから学びを得る望みも出て来よう。私たちがもし、牢獄に座って、現在の制限された状況 ― そうであることは自明である ― に居ることに決めながらも、それを牢獄であると見做さないことで「苦痛を紛らす」ならば、それは単に壁の色を塗り替えるか何かしたに過ぎない。牢獄の外観を公園か高級ホテルに変えただけのことだ。だがそれでは、広大な宇宙の中に入って行くような事は何もしていない。そして、私たちに対して、「あなたは素敵な事だけ考え、フォーカスすることができるのです」とか、「あなたは全てにアクセス可能です」とか、「あなた方全員が『1つ』なのです」とか何とか説くソースは、私たちをミスリードしていると思う。そうすることはまさに、映画『マトリックス』に出て来る「青いピルを飲む」ことであり、目覚めるのを拒むこと、私たちを目隠しして囚人のままで居るよう機能しているシステムに、さらにもっとエネルギーを供給し続けることなのだ。確かにもし、あなたが素敵な事だけ考え、「愛と光に取り囲まれ」るならば、天国の幻想を生みだせるかも知れない。だが、このような幻想はあなたを意地悪くも堕落させることになる。とは言え、このような幻想を見続ける人々の抱く、幻想に継ぎを当てようとする欲望はどこまでもきりがなく、何度悲惨な目に遭ってもまたそれを築き上げるものだと言っている訳ではない;そしておそらく、このような事を経験する数多くの生を繰り返した後に彼らは、究極の幻滅を味わうところまで行って、その結果彼らは、そうあってほしいと願うものでなく、ありのままのリアリティの本質を探し求めるようになり、やがて自分が牢獄の中に居ることに気付き始めるだろう。殆どの教義や信念体系は、このような幻想を永続させるように仕組まれている。それらの体系は、ほぼ例外なく「信念(信仰)」の上に築かれているのだ。そこが問題であり、「あなたは考えたりフォーカスしたりすることで、あなた自身の現実を創造するのです」と説かれる真の理由なのである。それは宇宙の本質を秘密にしておくための防御策なのだ!このような教えにおいては、システムに挑戦するような事は一切許されていない。その理由は:それが何としても守られねばならない壊れやすい世界だからだ。もしこれが倒れるのを許したら、残りの嘘や幻想もすぐにドミノ倒しのように崩れ出すのだ。このようなシステム(体系)には、生活上の全ての事に関して、規範とすべき教義が存在している。すなわち、「邪悪なものなど本当は存在しないのであって、一見悪と見えるものがあっても、それは単にあなたがそれについて考えることによって、そう見えることを許したから」なのだ。この点に関しては些かの曖昧さも許容され得ない。謎は非合法であり、疑いは駆逐される。異教徒は全員が脅威であり、件の信者としては、そのような教えに感染することのないよう警戒していなくてはならない。もちろん、そうした異教徒については、愛と光でもって爆撃するのがベストだ。信仰は、一般的に理解されているように、無秩序の中に秩序を探し求める;それは、カオスと不合理のただ中にも、住むに適した世界を築く。だが、謎を怖れながらも疑いに面と向き合う生を選ぶ方が、幻想を信じ込むよりもいい。疑いは信仰のライバルではない。それらは姉妹である。「信仰(信念)」の対義語は「独りよがり」だ。信仰の上に築かれたこのような体系を観察すると、何が分かるだろうか?分かるのは、このような体系が実に奇妙な事を行っていることだ:教会側は結局、自らが必要とし望むものの全てを首尾よく生みだすことの出来ない信者たち ― 誰しも時にはそうだし、殆どの人はほぼ常にそうだろう ― に、強い罪の念を抱かせるのだ。そうしておいてから、教会側は免罪符を売りつけるのである。それらは、さらなる教義、上級ワークショップ、アドバンスドセミナー、上級者向け図書、さらには問題解決セミナーと、様々な形をとる。要するに教会側はシンドロームを作り出しておいて、それを「癒す」のである。こんな些細な事にも誰一人として気付かないらしい。溺れる魂にとって、このような教義は当初のうち、ライフジャケットにも感じられる。だが最後は拘束衣となるのだ。このことを考えて欲しい:スタンダードな宗教の教えをまとうものであれ、「あなた自身の現実を創造するのです」というニューエイジ・バージョンであれ(どちらも結局同じことになるのだが)、「信仰の旅」を唱導する多くの人々は、通常の人生に起きる数多くの失望/悲嘆すべき出来事に出くわす。その場合の反応は一般的に、何らかの目的があって、神/セルフはこの経験をもたらしたのだろう、という敬虔な推定をふまえたものとなる。何かポジティブな事が起こり/顕現したときには、神/セルフは祈り/アファーメーションに答えたと思うのである。これで唯一問題なのは:失望と成功の数を数えてみると、信仰にもかかわらず両者が五分五分であるということだ。もうお分かりだろう。これら宗教界の舞台裏では何か他の事が進行中なのであり、失望や成功は、他の何かのシンボルなのである。そう、人間の失敗や未熟さによって、どんな出来事も十分説明がつくのであって、そこがポイントなのだ:人間の失敗や未熟さが、そしてそれらの起源と原因が、ドン・ファンの述べている牢獄なのだと知るべきである:


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「しばらく考えてから、事を巧みに処理する人間の知性と、その人間の信念体系の愚かしさ、もしくは人間の一貫性を欠く行為の愚かしさとの矛盾を、どのように説明したらいいか話してみろ。呪術師たちは、捕食者がわれわれに信念体系や善悪の観念や社会的慣行を与えたのだと信じている。成功や失敗へのわれわれの希望と期待と夢とを仕組んだのは、やつらなのだ。やつらがわれわれに強欲と貪婪さと臆病とを与えたのだ。われわれを自己満足におちいらせ、型にはまった行動をとらせ、極端に自己中心的な存在にさせているのが、やつら捕食者どもなのだ」
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このようなことを考え、第3密度と、「(第4密度から及ぼされる)力」に当たる存在による支配ということについて考え始めると、ここが学びのために選ばれた牢獄ないし迷路であることが分かってくるだろう。あるメル友は、こう書いて寄越した:


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私は自分がごく簡略化して「リジーのカルト」と呼ぶもの、すなわち、リジーに対する抗しがたい専心や心酔に注目するようになってきた。そのため、あれこれの事の原因と結果について、際限なく反芻し、際限なく前提を変えながら分析し、際限なく思索を巡らし、これらが日々の思考の大半を占めるところまできているのだ。私たちが意識を持って生まれてきた、この物質的な世界に対して、時折不満を募らせる人がいるが、私たちはその一部なのであり、しかもまだ然るべき時ではないので、世界の本質に関する法則から分離独立することはできない。これは至極単純なことであって、誰にとっても明らかだろう。私に関する限り、「くたばれリジー」なのであり、また、シーズをその代りのグルや神、あるいは全知なる知恵のソースとして祀り上げることもしない。個人的には、彼らの言うことに大いに興味を持っていて、以前に比べると目を大きく見開いて周りを見始めたのだが、彼らから教わった事に留意しつつも、自分で決定を行い続け、自らの良心と、人生、愛、そして幸福追求に関する個人的な直観に従い続けることだろう。漂いながら、やがて私はどこかに行きつくだろうか、それとも置いて行かれるのだろうか。
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メル友の主張のうちで正しいのは:リジーを成功率の低さの根拠、その説明に用いるのは危険だということである。というのも、私たちはリアリティに関して十分信ずるに足る説明をまだ持っていないと言うべきだからだ。だが、「くたばれリジー」と言うのもまた危険である。というのも、それでは私たちが獄舎に繋がれていることの意味を十分には考慮していないからだ。牢獄の正体および看守の癖やパワーについて知るまでは、私たちが脱出できる望みはない。そして、ある人々にとっては、確かにまだ然るべき時ではない。このような人々には、自由になるために必要な程に、深く/詳細に状況を見たり、検討したりする気は毛頭ないのである。だが、状況を検討すれば、その結果、何かがもたらされるに違いない。あるいは、それでも無駄に終わるのか。これこそが問題の核心である:「果実による判定策」だ。このような事について、ウスペンスキーの『第4の道』では興味深い議論が述べられている。そこで明らかに含意されている内容から明らかに推察できるのは、グルジェフがある程度はリジーについて知っていたものの、それは彼が取り組んでいた象徴体系ではなかったかも知れないということだ。グルジェフはウスペンスキーの師だったのであり、研究の結果およびグルジェフ自身の言葉から、彼が遥か古代から伝承された教えに対して独自に多少のスピンをきかせていることは明らかである。以下に同書中のやり取りを引用するが、これはウスペンスキーが亡くなる1947年から遡って10年以内に行われた、あるミーティングの模様で、ウスペンスキーは聴衆からの質問に答えている:


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Q: 私たちが影響を受けている多くの法則のせいで、私たちの内部に様々な「私」が生まれるのでしょうか?

A: そうです。しかも非常に沢山です。力が体内に入り込むと、人はこれを自分が欲望、共感、誘惑を感じているのだと思います。しかし、それは単にあらゆる方向から力が入り込んでいるだけなのです。

Q: あなたは私たちが「偶然の法則」のもとにあると言いました。この法則はどの影響に源を発しているのでしょう?私たちはこの法則から逃れることができるのでしょうか?

A: 偶然の顕われ方は実に様々です。最も簡単な形のそれは、私たちがさらに覚醒することで、すぐに消えて行きます。しかし、これは文字通りに受け取ってはいけません:この法則は非常に大きくかつ、多面的です。程度の問題なのです。物事が絶対的なのは絶対の中においてのみです。私たちにとっては長い階段を昇って行くようなもので、法則から逃れるのは1段ごとなのです。たとえ階段の天辺に立ったとしても、この法則の影響から逃れることはできず、何が起こるか予告することなどできません。こう言えるだけです。「偶然の法則から逃れるためにワークを始めたら、私の人生は幾らかカオスでなくなるだろうか?」と。確かにあなたには偶然から逃れるという永遠の目的があります。

Q: 悪い影響から逃れるにはどうしたらいいのでしょうか?

A: 「為す」ことについて考える前に、私たちはこのような影響の正体について理解しようとしなくてはなりません。自分は「為す」ことができると考えるのは、絶えず誰もが犯す過ちです。私たちに「為す」ことなどできません。しかし、そのことを知っていれば、私たちは何かを変えることはできるのです。そして、知ることができるようになるのは、私たちが高次の力を受け入れる時です。。。高次の力、すなわち高次の影響とは通常宇宙からのものです;しかし、私たちはこれを受け入れることもできれば、これを遮断して引きこもることもできるのです。私たちが眠っていれば、さらにこれに対して引きこもることになります。そして、眠りが深ければ深いほど、益々これに対して引きこもるのです。私たちは目覚めることで、高次の影響を受け入れられるのです。

Q: 高次のセンターが未成長の時点では、私たちはどうやって高次の世界からもたらされる影響を受けるのでしょうか?

A: 私たちの普段の状態とは割合的なものです;高次の影響を受けることが出来るのは、私たちがベストの状態にある瞬間なのです。このような影響は私たちのセンターを通って届けられます。しかし私たちは永久不変に高次のセンターとつながっている訳ではありません;高次の影響を受けるのは、これらのセンターが深く埋もれていないときであり、そんなときには幾分かの影響がこれらのセンターを通ってもたらされるのです。

Q: 人間が存在している目的とは何でしょうか?

A: 人間は他から切り離されて単独で存在するものではなく、全有機的生命の一部なのです。地球には有機的生命 − 人間、動物、植物 − の全てが必要です。創造の光は育ちゆく枝であり、有機的生命が仕えている地球と惑星との間のコミュニケーションは、この枝がさらに育っていくために欠かせません。全てがつながっていて切り離されたものは無く、小さな存在と見えるものももっと大きな目的に仕えているのです。。。有機的生命は宇宙固有のユニットであり、人間はこの有機的生命という大きな塊の1ユニットなのです。彼にはさらに進化する可能性がありますが、それは人間が努力し理解を深められるかにかかっています。ある数の人間が、宇宙の目的である進化を遂げるでしょうが、全員ではありません。それでは宇宙のもう1つの目的に反することになるからです。人類が地球上に存在して人生を送り、苦難に遭うべきであることは疑いありません。しかし、逃れられる人間の数は限られています;この脱出は宇宙の目的に取り組むことでもあるのです。。。

Q: 私たちの人間のうちの何人かが進化するのが宇宙の意図だということですか?

A: 私たちの視点からすれば、それは例えば交通事故と同じ法則に支配されています。どの大都市でも、毎日ある程度の数の人が交通事故で死亡していることは周知の事実です。誰が死ぬかは決まっておらず、必ずしも誰だれと特定されている必要はありませんが、ある位の人数が死ぬのです。同じように、一定数の人々には抜け出すチャンスがあるかも知れません。しかし、この件に関しては絶対ということはありません。そこが大数の法則のもとにある交通事故との違いです。

Q: 私たちには可能性があるのでしょうか?それとも私たちは環境的なプレッシャーの中で可能性を切り拓かねばならないのですか?

A: 可能性はあります。普通の人にもその可能性はあるのです。後は私たち次第です。

Q: 人間は幾つの法則のもとで生きているのでしょうか?

A: 分かりません。。。これはリストアップすべき問題ではなくて、ことの意味合いを理解すべき問題なのです。人間は1種類の法則のもとで生きているのではなく、数多くの様々な種類の法則に支配されています。まず第一に、人間をはじめとする地球上の全ての生き物は、物理法則の支配下にあります。つまり、彼はある気温の範囲内でしか生きられないのです。そして、人間が呼吸するには、一定量の湿気が空気中になくてはならず、それ以外に、空気の化学的組成もある特別な配合でなくてはなりません。人間が消化できる食べ物も限られています。これらはいずれも人間にとっての法則です。次に挙げることができる極めて簡単な法則は、例えば私たちが無知であるということです。私たちが自分について知らないということ − これが法則なのです。もし、無知について理解できてきたら、私たちは1つの法則から逃れられるのです。全ての人間が同一性の法則(※同一律。例、「自分は自分であると同時に、自分ではないという事はない」)のもとで生きていることも、私たちは知っています。。。自分の本来の素性を思い出し始めた人は、同一性の法則から逃れ始めます。ですから、諸法則の支配を脱するには、まずは自分を解放してくれる法則を1つ見付けてそれから自由になることが不可欠です。こうして1つの法則から自由になったら、次の法則を見付けます。そして、これからも解放され、以下同様に続けていきます。これが法則について学ぶ上での実践的なやり方です。。。何かにつけて私たちの邪魔をし、主観性に捕われたままにしておこうとする法則は様々です。。。

Q: 私たちはここから逃れられるでしょうか?

A: 可能ですが、条件があります。ここで登場するのが「道」です。4つの道は無用な法則から逃れる手段です。あなたに道筋を示すことはできます。。。しかし、あなたは自分でワークしなくてはなりません。私たちが従わねばならない法則の殆どは、私たちが眠り、無意識で居ることの結果です。より意識をはっきりさせようと1歩を踏み出すごとに、私たちはさらに自由になるのです。機械的な生活に満足している人を想像してみて下さい;彼は目覚める方法を教えてくれる筈の高次の影響から自分を切り離し、自分の好みを始めとする、低次レベルからの影響ばかりを受け入れるのです。間違いなくこの人は、高次世界からの影響を受け入れる人よりも劣位に立つでしょう。機械的に受け入れ可能な影響は数多いですが、他の多くの影響を受け入れるには努力が必要なのです。。。(原注8)
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原注8:P.D.ウスペンスキー『第4の道』。
(※邦訳本なし。ただし http://www.eleutheria.com/vquest/fw/fw1.html )


上記引用の中でも特に以下の部分に注意されたい:


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[偶然の法則による]最も簡単な形の[事故や攻撃]は、私たちがさらに覚醒することで、すぐに消えて行きます。。。しかし、[自分には為すことができないという]ことを知っていれば、私たちは何かを変えることはできるのです。より意識をはっきりさせようと1歩を踏み出すごとに、私たちはさらに自由になるのです。

ですから、諸法則の支配を脱するには、まずは自分を解放してくれる法則を1つ見付けてそれから自由になることが不可欠です。こうして1つの法則から自由になったら、次の法則を見付けます。そして、これからも解放され、以下同様に続けていきます。これが法則について学ぶ上での実践的(実際的)なやり方です。
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かくして、力/法則、すなわちリジーについて、創造という大いなる宇宙のドラマにおける私たちの敵役について知る事は、自由になる上で命運を分ける一歩なのである。そして私たちはそのような事例の幾つかを、実践的観点から見て行こうと思う。読者諸賢は、私が自分は実際的な人間だと言ったのを覚えておられるだろう。私は、役に立つ成果をもたらさない、チンプンカンプンで漠然とした、何とでも解釈できるような言い方は嫌いなのだ。だから私としては、私たちが実際に目覚めてきた道のりにおいて学んだ幾つかの事を、本シリーズでシェアしたいと思っている。

(本章終わり)
posted by たカシー at 14:51| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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