2015年02月05日

SOTTフォーカス:神秘家対ヒトラー、あるいはフリッツ・ゲーリッヒのスペクタクル

神秘家対ヒトラー、あるいはフリッツ・ゲーリッヒのスペクタクル
http://www.sott.net/article/291331-The-Mystic-vs-Hitler-or-Fritz-Gerlichs-Spectacles

spectacle
【名】
1.壮観、見世物、光景
2.眼鏡◆通例spectaclesまたはa pair of spectacles。glassesの方が一般的。


ローラ・ナイト=ヤズィック
Sott.net
Wed, 14 Jan 2015 12:00 CET

(写真)
コピーライトマーク KJJ Visual


ヒトラーの時代、ドイツで実際に何が起こっていたか理解しようと、しばしば私は彼が政権を握る前および直後のドイツの新聞を手に入れたいと思ったものだ。現在の私たちの時代に通じるような何らかの教訓を引き出せないかと思ったのである。私は沢山の人々に、どこかで再現された、そのような記事を何か見なかったか、あるいは、そういう話を聞かなかったか尋ねてきたのだが、いつも収穫がなかった。私たちの時代に何か、ヒトラーの第3帝国時代との類似点があるとするなら、何と言っても、比較のベースとなるような、リアルタイムで当時書かれた、何か形のある資料があればいいのだが。すると偶然にも、ロン・ローゼンバウムという人物も、本件に興味を抱いていたことが分かった。だが彼の場合は別の理由からだった。彼があるホロコーストの生存者にインタビューしたところ、その男性が当時の記事を憶えていると述べたので、ローゼンバウムはそれを探しに行ったのだ。収穫は彼の期待以上だった。彼はフリッツ・ゲーリッヒとミュンヘン・ポスト紙を見付けたのである。ローゼンバウムはフリッツとその仲間たちのことを、「最初の説明者たち」と呼ぶ。


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ミュンヘンで活躍した、この英雄的な反ヒトラーのジャーナリストは、1920年から1933年までの間(沢山の人々が投獄され殺された時期である)、勇敢にもヒトラーという奇妙な人物について世界に伝えようと日々取り組んだのだった。当時ヒトラーはミュンヘンの街で身を起こして、1つのムーブメントの指導者となっており、そのムーブメントが政権を握って、悪の歴史に新たな1章を残すことになるのだから。私はヒトラーおよび「ヒトラー党」(目ざとくもゲーリッヒらはこう呼んでいた)の、政治/私生活や犯罪行為、スキャンダルを最初に調べ上げた、この殆ど忘れ去られた記者たちに魅惑された。その気持ちは、戦後の歴史家による研究書の脚注の中に、彼らがヒトラーと戦った残響と軌跡を初めて見つけたときから、膨らんで行ったのである。。。

彼らに魅かれる気持ちは、ミュンヘンのモナケンシア図書館資料庫の地下室で、朽ちてボロボロになり黄色く変色した、70年前のミュンヘン・ポスト・反ヒトラー特集バックナンバーのほぼ完全なコレクションに出会った時、さらに募った。これらの記事は、その後マイクロフィルム化されていたが、ヒトラー党が「毒入り料理の台所」と呼んだこの新聞の、ボロボロになった実際の紙面には、何かしら心が通うものを感じた。この号では、生身の人間としてヒトラーがページ内を闊歩しており、これを見た私はミュンヘン・ポストのジャーナリストたちが抱いたに違いない、ギリシャ叙事詩のカッサンドラーのような気も狂わんばかりの耐え難いフラストレーションを、即座に痛いほど感じ取ることができたのである。
(※ウィキペディア『カッサンドラー』:概要
プリアモス王とヘカベーとの間に生まれた。長兄にイーリオスの英雄ヘクトール、兄に「パリスの審判」で知られイーリオスに戦乱(ひいては滅亡)をもたらしたパリスを持つ。同じく予言能力を持つヘレノスとは双子だという。
アポローンに愛され、アポローンの恋人になる代わりに予言能力を授かった。しかし予言の力を授かった瞬間、アポローンの愛が冷めて自分を捨て去ってゆく未来が見えてしまったため、アポローンの愛を拒絶してしまう。憤慨したアポローンは、「カッサンドラーの予言を誰も信じないように」という呪いをかけてしまった。カッサンドラーは、パリスがヘレネーをさらってきたときも、トロイアの木馬をイリオス市民が市内に運び込もうとしたときも、これらが破滅につながることを予言して抗議したが、誰も信じなかった。 ※※)
彼らこそ、悪党としてのヒトラーの素質の大きさを感じた最初の人々だった。そして彼らはまた、自分たちが紙面で行った一か八かの警告を世界が無視するのを目の当たりにすることとなったのである。


(写真)
コピーライトマーク Bavarian State Archive
ミュンヘン・ポスト編集者フリッツ・ゲーリッヒ


私は同時にまた同じジャーナリストとして、彼らが何と言う偉業を成し遂げ、どれほどの暴露を行い、いかに完全に忘れ去られたかを考え、畏怖の念を募らせた。彼らの記事は、進展し始めていたヒトラー現象の深さを測ろうとする最初の継続的な試みだった。。。

「最初の説明者たち」の洞察力は、ヒトラーがヒトラーになるという、失われたスペクタクルを批判的に目撃していた男女ならではのものだった。そんな人々としては、ミュンヘン・ポストの勇敢な記者・編集者以外にも、例えば、ルドルフ・オルデン、コンラート・ハイデン、
http://www.asyura2.com/0311/lunchbreak2/msg/861.html
ウォルター・シャーバー。。。そして、フリッツ・ゲーリッヒたちが居た。ゲーリッヒは、『正しい道(あるいは、真っ直ぐな道)』という名の、保守的な反共/反ナチ新聞の因習打破的な編集者であり、今では殆ど忘れ去られたものの、当時はヒトラーの敵として名高いジャーナリストだった。

ゲーリッヒは、ナチスが政権を掌握し、他の反抗的新聞を潰した5週間後、ヒトラーにダメージを与える暴露記事を発表しようとしたために、ダッハウ強制収容所で殺された。魅力的な人物であり、ジョナサン・スウィフトのように冷酷な風刺でヒトラーに筆誅を加えたゲーリッヒは、その並外れた洞察力で、ヒトラーの病的性格の中に人種差別のダイナミクスを認めていた。懐疑的な歴史学者であったにもかかわらず、ゲーリッヒはバイエルンの、論争の的であり、おそらくはインチキだった1人の聖痕者の予知能力を信じるようになり、彼女が信用できるソースであるとみなした結果、ペンと印刷機でヒトラーを打倒しようという最後の努力に命を賭けた。どこまでも一切を暴こうとした全ての暴露記事、とりわけ、手遅れになる前に大衆さらにはパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領に衝撃を与えて、首相に就任したばかりのヒトラーを退陣させられる筈の最後の記事に、彼は望みをかけた。だが、一か八かの賭けは失敗に終わった。

1933年3月9日、ナチスの突撃隊員がゲーリッヒの新聞社に突入し、彼の最後の記事を印刷機から剥ぎ取ると、気を失うまで彼を殴り、ダッハウ強制収容所へと連行した。1934年6月の『長いナイフの夜』、彼はそこで殺された。彼が発表しようとしていた暴露記事 − その内容だが、一説によれば、ヒトラーのアパートで死体が発見された彼の姪ゲリ・ラウバルの死の背景的な事情に関するものだったとされ、別の説によれば、1933年2月の国会議事堂放火事件、あるいは、ナチスによる海外からの資金調達に関するものだったとされる − はまんまと歴史の闇に葬られてしまった;これについても、私は最後まで証拠により跡付けてみようと思う。。。

ミュンヘンで私は、ゲーリッヒの同僚のうち最後まで生き残った1人であるヨハンネス・シュタイナー博士をどうにか見つけ出すことができた。彼は90代で引退した出版業者で、ゲーリッヒの、破滅する運命にある反ヒトラー攻撃新聞『正しい道』のパートナーだった。この恐ろしい時期、特に彼ら全員が逃亡中だった、ゲーリッヒの最期の日々に関するシュタイナー博士の記憶は断片的なものだった。だが、ある瞬間に関する1つの記憶だけは、60年の歳月に拘わらず、驚くほどはっきりしたものだった:ゲシュタポとフリッツ・ゲーリッヒの眼鏡についての記憶である。ゲーリッヒのメタルフレーム眼鏡は、ミュンヘンで彼を知る闘争的新聞人の間では、一種の特徴的なイメージとなっていた。それは彼の鋼鉄のように堅い決意と、明確な洞察力の象徴だったのだ。だが、ダッハウでの収容生活2年目に、ゲシュタポは彼を房から引き出し、『長いナイフの夜』に頭を撃ち抜いた。ゲシュタポがゲーリッヒの妻に対して選んだ死亡通知の方法は、残酷かつ身も凍るようなものだった。シュタイナー博士はこう述懐した:「連中は未亡人のゾフィーに、すっかり血まみれになったゲーリッヒの眼鏡を送ってよこしたんだ」
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[Ron Rosenbaum, Explaining Hitler]
ロン・ローゼンバウム著『ヒトラーを説明する』
http://melma.com/backnumber_26258_1844390/


ローゼンバウムはこの残酷な意思表示を、おそらくはゲーリッヒがあまりに多くを見、多くを知り過ぎていたとゲシュタポが認めたものであり、「ゲーリッヒの洞察が、ヒトラーの正体を見透かしていて、ゲシュタポがそれをいかに恐れ、嫌がっていたかを示す証拠」だと考えた。

さてあなたは上の、フリッツ・ゲーリッヒがどんな人物で、いつどこで何をしたか述べている短い説明の中で、何か特に興味深い点に気付いただろうか?おそらく、見過ごしてしまったのでは?それはここのところである:「懐疑的な歴史学者であったにもかかわらず、ゲーリッヒはバイエルンの、論争の的であり、おそらくはインチキだった1人の聖痕者の予知能力を信じるようになり、彼女が信用できるソースであるとみなした結果、ペンと印刷機でヒトラーを打倒しようという最後の努力に命を賭けた」。ローゼンバウムは何の事を言っているのだろう?「バイエルンの聖痕者」とは?

その話に行く前に、フリッツ・ゲーリッヒ、および「ヒトラーの鼻に対する審判」について述べよう。
http://www.pep-web.org/document.php?id=apa.047.0277a
1932年7月、ヒトラーの尋常でないコラージュ写真が、ミュンヘンの有力紙の1面に掲載された。私は何とかこの号の写真を手に入れようとしたが、ダメだった ー そうしたところ、読者の1人がそれを見付けたのだった:

(写真)

写真に写っているヒトラーは燕尾服に山高帽姿で、黒人の花嫁と腕を組み、結婚式の恰好をしている。ヘッドラインにはこう書いてある:「ヒトラーにはモンゴル系の血が流れているのだろうか?」反対派の新聞やポスターの多くは、当時ヒトラーを描いた風刺画を載せていたものの、その殆どは口ひげや前髪、あるいは顔を誇張して書くことに全力を注いでいたようである。だが、この画像はずっと身近に感じられるだけに、確かにゲーリッヒの首を絞める結果となった。この、敵意むき出しの攻撃記事は、センセーショナルな写真や見出しもさることながら、それ以上にその本文がヒトラーの名誉を傷つけ、反響を呼ぶものだったのであり、まさに命知らずの、破滅する運命にある預言者にして為し得た、大いに勇気あふれる行動だった。大当たりとなったこの記事でゲーリッヒは、ヒトラーのお気に入りの人種学者の1人であったハンス・ギュンター博士 ― 彼は「北方人種」がいずれも備えるべき特徴である、頭と顔の寸法と形状を厳密に規定した ― の唱える「人種学」を、ヒトラー本人の頭と顔、とりわけ鼻に対して読者が適用するよう目論んだのだった。さらにゲーリッヒは、記事に添えた写真でもって、ヒトラーが実際にはアーリアンではなくモンゴリアンであると結論付けた。ゲーリッヒは「華麗に批評」の論を進め、「衝撃的な結論へと至る。すなわち、ヒトラーは生まれながらにしてアーリア人の相をしていないばかりか、彼にはアーリア人の魂も欠けているというのだ」。ローゼンバウムは書いている:


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1人の反ヒトラー・ジャーナリストが全力を尽くし、急所を攻め、誰もが感じていた怒りと軽蔑にはけ口を与えたこの記事は、少なくとも当座は大いに満足を与えるものだったが、それも皆が沈黙させられるまでのことだった。このような書きたい放題の、死を顧みない無謀さのせいで、私はゲーリッヒに魅せられるのだろう。ヒトラーやナチス指導者について語った印刷物が見付かるとは、驚きだった。戦前戦後を通じ、ドイツの内外を問わず、率直かつ心からの憎悪が書き物に表明されている例の何と少ない事だろう。戦前の説明者たちの文章のトーンはヒトラーを見下し、彼の台頭は取るに足らない現象であって、ましてや真剣な考慮に当たらないものとして扱う傾向があった。戦前の説明者たちは、ヒトラーと戦う必要性を力説するよりむしろ、言葉でもって追い払ってしまえるかのように、見下せば忘れ去ってしまえるかのように振る舞った。彼らはヒトラーを対抗すべきターゲットとしての価値すらないというくらいにないがしろにした。

戦後の説明者たちも、また違ったやり方で、ヒトラーをないがしろにした;ヒトラーの行った事を熟知しながらも、彼らの論調は、災禍は実際にはヒトラーによるものではなく、彼の乗った波の下の、より深い部分で働いていた力のせいだとするものだった。ゲーリッヒのような論調は例外で、他のどの説明にも情熱など見られないことが、はっきりと浮き彫りになるのだ。。。ゲーリッヒの風刺に込められた、向う見ずながら、この上なく研ぎ澄まされた憎悪は。。。単なる遠吠えというものではなく、病的性格のヒトラーにとっても身にこたえる、剃刀の刃のように鋭い分析ツールであった。彼以前、手遅れになる前にこれをした者はいなかった ― 聞く耳を持つ者が居たとしてだが。
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[Ron Rosenbaum, Explaining Hitler]


という訳で、ロン・ローゼンバウムはフリッツ・ゲーリッヒの生涯と業績の中に、英雄的な旗手の姿を見出したのだったが、彼は問題に逢着した。彼が言うには、ゲーリッヒは、「ヒトラーへの執念に駆られるあまり、理性を失って不合理に陥ってしまった。。。」。どうしてローゼンバウムは、ヒトラーに対して、このようなジャーナリスティックな抵抗行動 ― 彼がかくも称賛した行動 ― をとったゲーリッヒを、土壇場に至って「不合理」だとみなすに至ったのだろうか?それが「バイエルンの聖痕者」の問題である。いよいよ佳境に入って来るので、今しばらくご辛抱を。

フリッツ・ゲーリッヒはプロテスタントとして生まれ、ミュンヘンの大学で史学の博士号を取った。1923年には、彼は国家主義運動(ムーブメント)において、リスペクトされる、影響力ある人物となっていて、それゆえ、ヒトラーの初期の支持者だった。1923年春、彼のアパートに訪れた来客こそ、右翼的国家主義勢力の希望の星、アドルフ・ヒトラー、その人だった。この会見で何が起こったのかは誰も知らないが、この時話された何かと、後のヒトラーの行動とが相俟って、ゲーリッヒを執念深い敵に転じさせることになった模様である。どうやら、ゲーリッヒは「アドルフ・ヒトラーの2つの顔」を見たようなのだ。

ゲーリッヒは、『ミュンヘン最新報』
http://kna-club.com/html/modules/knapedia/index.php?content_id=23
の同僚たちと、結束の固いグループを結成したが、その後スピンオフして、ゲーリッヒ自身の反ヒトラー新聞『正しい道』を刊行した。1923年から1933年までの10年間、この新聞社グループは、ドイツ保守派内の反ヒトラー・ジャーナリズムにおいて、最も歯に衣着せぬ中心的存在となった。1933年3月、新聞に対する統制が始まると、
http://www.ushmm.org/outreach/ja/article.php?ModuleId=10007677
ゲーリッヒ・グループのメンバーたちは逮捕を逃れ、反ヒトラー・ムーブメントの中核的存在となっていった。このムーブメントは1944年7月、クラウス・フォン・シュタウフェンベルクによるヒトラー暗殺計画へと至るのだが、これは失敗に終わりヒトラーは軽傷を負うに留まった。ご想像通り、この時、彼らは処刑された。

それではいよいよ、ゲーリッヒとノイマンに関するローゼンバウムの記述を見てみるとしよう:


(写真)
コピーライトマーク Unknown
神秘家、聖痕者であったテレーゼ・ノイマン (1898-1962)
http://blogs.yahoo.co.jp/tmtm0918/31580574.html
http://yonohikarisha.blogspot.jp/p/blog-page_8881.html


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だが、1920年代末、何か奇妙な事が、ゲーリッヒおよびこの小グループに起こった:彼らはまずありえないような同盟を結んだのだ。それが彼らを勇敢な反ヒトラー・キャンペーンに駆り立てる信念の源となったのである。ゲーリッヒと友人たちは、1人の神聖な聖痕者と深く関わるようになった ― 大いに論争の的となり、おそらくはインチキだったものの広く崇拝されていた、バイエルンの女性:テレーゼ・ノイマンとだ。私にとっては未だに驚きである。懐疑的で、プロテスタントであり、理性的な歴史家であるゲーリッヒ、メタルフレーム眼鏡の奥に鋭い目を持った、真面目な新聞の編集者である彼が、このプリミティブな、寝たきりの、
http://tokitabiyohane.blog.fc2.com/blog-entry-297.html?sp
http://www5b.biglobe.ne.jp/~shinju/Thresa%20Neumann.htm
カトリックの(彼女の教会も懐疑的だった)
http://marco11.tumblr.com/post/86911680
神秘家に引っかかるとは。。。

テレーゼの元を訪れた人々の中には、カトリックの保守的な貴族であるアーウィン・フォン・アレティン伯爵 ― 戦後、彼はゲーリッヒの伝記を著すことになる − が居たが、彼がまず信者となった。。。同僚から繰り返し促された末、懐疑的だったプロテスタントのゲーリッヒも、ついに聖痕者を訪問することに決めた。戻ってきた彼が深い感銘を受けていたのには誰もが驚いた。そればかりか、彼は繰り返し彼女の元を訪れ、やがてこの田舎娘のサークルにどんどん引き込まれて行った。彼は彼女がビジョンを見て語る言葉を書き留め、それがドイツで増大しつつあった危機についての警告や予言であると解釈した。。。ゲーリッヒの同僚だったヨハンネス・シュタイナー博士は、初めてコナースロイトに向かった時のゲーリッヒの様子について、こう述べている。「彼はどんなインチキだろうと化けの皮を剥いでやる気で満々だった。。。」
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[Ron Rosenbaum, Explaining Hitler]


そうなのだ。ローゼンバウムの英雄は、本物の「チャネラー」と関わり合いになっていたのである。それが合理主義者のローゼンバウムには、とにかく耐えられなかった。ローゼンバウムは何段落かを割いて、テレーゼ・ノイマンはペテン師、大ぼら吹きであると断言し、ゲーリッヒは優秀な記事を書き続け、実際、ヒトラーに立ち向かったジャーナリストの中でも一番勇敢だったけれども、ゲーリッヒの精神は何らかの異常を来していたに違いなく、そのせいでゲーリッヒはこのようなナンセンスにはまり込んだのだと請け合っている。それだけではない。このチャネラーこそが、文字通りゲーリッヒの書いた多くの記事のインスピレーションの源だったと思われるのに、ローゼンバウムはこれ見よがしにとんぼ返りをして、そのことには触れないようにしているのだ!一体どうしてそういうことになったのだろうか?ローゼンバウムには、そんな事実はとても耐えられなかったのだ。

だが、あいにくテレーゼ・ノイマンはペテン師ではなかったらしい:


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奇蹟かペテンか − コナースロイトのテレーゼ・ノイマンの聖痕現象に関する調査
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?cmd=Retrieve&db=PubMed&list_uids=16158311&dopt=Abstract
ブルクハルト・ロルフ、B・バイエル、K・アンスリンガー
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/entrez/query.fcgi?db=pubmed&cmd=Search&itool=pubmed_Abstract&term=%22Rolf+B%22%5BAuthor%5D
ミュンヘン市フラウェンロープ通り。。。ルートヴィヒ・マクシミリアン大学法医学研究所、ドイツ
Burkhard.Rolf@med.uni-muenchen.de.

我々は1898年から1962年まで、ドイツのコナースロイトに生存していたテレーゼ・ノイマン(T.N.)という女性が使った2枚の圧迫ガーゼを調べた。これらのガーゼには、毎週金曜日にT.N.の身体に現れた聖痕から出た血がしみ込んでいる。T.N.は当時の信心深いドイツ国民の間でとてもよく知られていた。問題は、この血がT.N.自身のものか、それとも、家族や動物のものなのか、である。ガーゼから採取したミトコンドリアDNAのHV1・HV2周辺領域と、T.N.の母方の姪から採取した参考見本のそれらとを比較したところ、同一性が見られた。さらに我々は、血痕の縦列型反復配列(STR)も調べたが、それは1枚の封筒のふたから採取した唾液のSTRと一致した。1930年代にT.N.が書いた手紙が入っていた封筒である。従って、我々の調査においては、何の偽造の跡も認められなかった。
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テレーゼ・ノイマンというチャネラーが、ヒトラー政権当時のドイツにおける、最も勇気あるジャーナリストの1人にとってのインスピレーションの源だったというのは、紛れもない事実なのである。ゲーリッヒがダッハウ強制収容所で殺された後も、テレーゼ・ノイマンを取り巻くサークルは、道徳的に重要な、ヒトラーに対する抵抗に参加し続けた。このサークルが、ヒトラーの精神構造に対して辛辣な外科的解剖を行うようゲーリッヒを奮い立たせた力の神秘的な源だった。そして、この記事は私たち全員に彼が遺した遺産である。遥か先史時代から、歴史の至る所で、人々は神秘的なソースから多くの力を得ていた。このようなソースは物質主義の台頭によって批判にさらされるようになった。世界についての、感情を伴う知識と、知性的な知識との結びつきは断たれてしまった。私たちは、この断絶の結果もたらされた、恐ろしい環境に生きている。人類の大部分は、今や自らの知性の言いなりである。感情や直観、インスピレーションによる世界の理解は、思うに神秘体験や本物のチャネリングの基礎を成しており、合理的精神が私たちを収監すべく築いた階層構造の枠を超えるものなのだ。一方に物質主義的科学、もう一方に聖職者その他の代理人を通じた神とのコミュニケーションの必要性を唱える神秘主義という具合に、分断が起きた。そして、神との直接的な結びつきは断たれてしまった;断たれねばならなかったのだ。

シュタイナー博士はこう述懐した:「連中は未亡人のゾフィーに、すっかり血まみれになったゲーリッヒの眼鏡を送ってよこしたんだ」

私たちはこの遺産と共に生きている。そして、共に死んで行くのかも知れない。

(完)
posted by たカシー at 17:08| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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