2013年09月29日

ザ・ウェイブ 第65章:愚者の道

http://cassiopaea.org/2012/03/16/the-wave-chapter-65-the-way-of-the-fool/
ザ・ウェイブ 第65章:愚者の道


「ウェイブ」の進展に連れて、数多くの興味深いドラマが演じられてきた。それらがあまりに興味深く、また取り上げるにふさわしいので、本巻の残りでは、今進めている物語から一足飛びに最近の話題に移って探求を進めるとしよう。どうか任せて欲しい。その価値は十分あるのだ!

ご記憶の通り、第4巻で数字の11と3-5コードについて論じた際、私は、黄道11宮に関してカシオペアンズとの間で行った、幾分普通でないやり取りを取り上げた。このような考え方は殆ど異端的なものだと言っていいだろう。というのも黄道12宮、ヤコブの子孫であるイスラエルの12部族、12使徒その他の例に見られるように、聖なる数字12という考え方が私達の頭にすっかり定着しており、これから脱却して違った観方をすることは殆ど不可能だからである。

私が黄道11宮について書いた後には、カシオペアeグループ内でも議論となり、アルカナやプロのアカデミズムに関して該博な知識を持つメンバーの1人が、11世紀イタリアのある無名の修道僧が黄道11宮説を生み出していたという記述をどこかで読んだことがあると述べた。

我が調査チームのメンバーの1人が調査した結果、この記述の出所が明らかとなった。マーク・ヘッゼル著『ジーレイター(Zelator, 熱心者):現代のイニシエートによる古代ミステリーの探求』(邦訳無し)である。

私は入手可能かアマゾンをチェックし、レビューもいくつか読んだが、すぐにも読まなくてはならないとインスパイアするようなものはなかった。とはいえオーダーはしておき、調査チームには次のように書き送った:


---
アマゾンのレビューはチェックしなさいね。このふざけた修道僧の力量を見極めるためにオーダーはしておいたけど、あんまり期待はしてないわ。だってこれはおそらく大部分が、『黄金の夜明け』/儀式的魔術だと分かるもの。
---


読者はもうお気付きだと思うが、カシオペアンズは儀式や魔術があまり好きではない。だから私としても当然ながら、この本は時間とお金のムダだろうと思った。私が知りたいことが十分に述べられているかさえ確信がもてなかった。しかし、長年に亘って、黄道11宮に関する言及を探して、次から次へと際限なく文献を綿密にチェックしてきた私にとっては、たった1つの手掛かりでも約束してくれるものなら、行動を起こすに十分だった。

本が届いた。アマゾンには悪いが、それはたちまち、一段と高くなってきた「時間が出来たら読む本」の山行きとなった。

その一方では、ある重大なドラマが繰り広げられていたのである。一大事という訳でもなかったのだが、それは紛れもなく、ある扉を開いたのだ。本章の計画としては、年代順にセッションを取り上げつつ、起った背景となる出来事について、おおよそリニアに述べて行くことを考えていた。それは私の人生において最も深い学びを得た正念場だった:すなわち、私達の文化、家族、その他私達を生理的に取り巻く一切のものを通じて、私達がいかにしてコントロールされプログラミングされているかということについての学びである。それは私にとって、人間の眠りこけ方、すなわち催眠のかかり具合がどれほどのものであるか、はっきりと理解させる学びだった。あなたが実際に目覚めるまでは、眠っている状態と目覚めている状態との違いについて、決して知ることは出来ない。これはまた、『カシオペアンズとの更なる冒険』と題した『ウェイブ・シリーズ』の続編を書くことに決めた時期でもある。

この事について述べるのは、何と言ってもつらいものである。私自身のプログラムについて、そして、私も皆と同じようにプログラミングされていることに気付くのがいかに困難で、それを克復するために何をしなくてはならなかったかについて述べるのだから、これは楽しいテーマではない。だが、眠っているということの正確な意味を伝えるには他に方法がないのだ。カスタネダが書いている、捕食者が私達に連中の心を与えたやり口や;グルジェフとウスペンスキーが書いている、悪い魔術師がシープル(※シープ=羊+ピープル)に催眠術をかけた話や;カシオペアンズが述べる、私達は皆、プログラミングされ催眠術を掛けられているという話はどれも結構なものだが;あなたが目覚めを経験するか、あるいは少なくとも、その前後の状態について生々しい描写を読むかするまでは、決して理解できないものだ。そして私は最後の切り札を持っている。

私が述べようとしているのは、このプログラムが最も根本的で、狡猾なものであるということだけではない。以降本巻では、心理学、精神医学、神経生理学、神経化学の分野における、最新の驚くべき科学研究の成果を読者であるあなたにお届けする計画であり、これはあなたが人生や心の中にある、このような問題に取り組む上での大きな武器となるだろう。基本的にはカシオペアンズが私に正しい方向を示し、私が調査を行い、人間を奴隷にするために使われる膨大な社会的プログラミングや操作の存在を証明する動かぬ証拠を見付けて、それにつき述べて行こうというのである!(すなわちウェイブおよびアドベンチャー(冒険)・シリーズの執筆だ。)これはかなりの禁制文書である。というのもコントロールシステムとしては、この種の情報が世間の人目に曝されたくないに違いないからである。なぜならこの情報は実際、錬金術の変容のプロセスの核心を成すものだからだ。気付きを持ってこれらの事柄を適用するならば、文字通りの意味で真に深く変容を求める人なら誰でも、それを達成できるだろう。

もちろん、例によってコントロールシステムは、私を止めようと躍起になった。そして今回は、危うくそれを達成されるところだったのである。

奇妙なことに、このエピソード全体は(5・6巻で詳しく述べている)、私がまさに改めようとしていた事柄を浮き彫りにするものだった。それだけでなく、この件によって私は、たとえ数々のテストに合格し、炎の試練を受け、イニシエーションを授けられていたとは言え、まだ未熟なのだと痛感させられた。私がまさにこれから述べ明らかにしようとしている種類のプログラミングに呼応して、諸々の感情が動き、私は危うく奈落の底に吸い込まれそうになったのである。私はもう少しでウェブサイトを削除し、eグループを削除するところだった。異世界については二度と書くまいと思い;基本的に降参する覚悟を固めたのだった。

だがその後、私はこれがプログラミングされた行動であることに気付いた。私に向けられた言葉や行動は私の感情をエキサイトさせて、思考をシャットダウンさせ、高次の理解をブロックして、捕食者の餌食にしようと企むものだったのだ。捕食者の心について、カスタネダが何と言っていたか、憶えておられるだろうか?


---
われわれを弱く従順で意気地なしにさせておくために、捕食者どもは素晴らしい策略を用いる。素晴らしいってのは、もちろん、喧嘩好きの策士の観点からしてだぞ。受ける側からすれば、恐ろしい策略だ。やつらは自分の心をわれわれに与えるのだ!おい、聞いているのか?捕食者どもは自分の心をわれわれに与える。そしてそれがわれわれの心になる。捕食者どもの心は粗野で矛盾だらけで陰気だ。そして、今にも発見されてしまうのでないかという恐怖に満ちている。。。おそらくおまえは飢えを経験したことがないのではないかな。にもかかわらず、食料への不安を抱いているだろう。それは捕食者の不安にほかならない。捕食者はいつなんどき自分の策略が見破られて食料を得られなくなるかと心配でならんのだ。そこで心を通して、それはつまるところやつらの心なのだが、捕食者どもは人間の生活のなかへ自分たちに都合のいいものを注入する。そうやってある程度の安全を確保し、恐怖にたいする緩衝物とするのだ。。。
---
※『無限の本質』結城山訳。


ということで、これを心に留めつつ、捕食者の心が起動したのがはっきり分かる例を見てみるとしよう。それはカシオペアeグループに対する以下の投稿によって始まった。投稿者のアカウント等の情報は伏せておく:


---
こんにちわ。皆さん、初めまして。<物事の真相を明らかにしたいという私の欲求は倦むことを知らず>、シーズ文書を殆ど読み終えた今、いくつかの事で真剣に悩んでるの。私も「愛と平和こそ全て」という宇宙へのアプローチは支持しないけど、シーズ文書を読み終えてみて<私が強く感じたのは>、これが地球/3次元はなる早で出て行くべきだという<病的なメッセージ>だということ。だって、彼らのSTS的行為の述べ方には賛成できないの。純粋なSTSの本質は<悪、悪、悪>だと言うんだもの。そのくせ<喜び>や<絶対的な美>や、地球あるいは<生きていること>の不思議さについては全く書かれてないわ。

シーズを読んで以来、あちこちを歩き回っていて特に気付いたのは、1本の花、セコイアの森の信じられないような美しさや、全体が調和している自然の信じられない凄さ、私達の身体の素晴らしさ、芸術や音楽の創造における、「STSである」人間の貢献とインスピレーションの凄さ、共に喜びながら生きる感覚を祝い、求める人間の性向なのよ。そして、自分の子どもたちと共に笑い、遊び、友人たちと一緒に地球のかぐわしさを分かち合い、身の回りにある見事な美を称賛するのが、とても正しく良い事だと感じるわ。

<思うに>こうしたことの全てが、彼らのメッセージでは退けられ、無視されてるんだけど、何かひどく間違っている気がするの。<思うに>私達はすぐ忘れてしまうのよ。彼らが文字通り知性的で、喩えて言えば私達より何光年も先の気付きと知性を持っているのなら、彼らには<私達の考えていることなどお見通し>、望みどおりに私達を動かし、そのような方向に導く方法を彼らが知っていることなど、私達には到底理解できないってことをね。<何やら目論見を感じるのよ。歴史や科学に関して正確なこと言って信頼を得ておいて>から、しばしばすっかり、「知識」が与えられ、その次には、私達の「自由意志」を冒すことになるからと言い訳して、更なる「知識」は与えるのを差し控えると言うんだもの。<私が最も注目したのは、彼らがまたプレアデスとして、マーシニアックの情報も口述したと率直に述べたことだわ。>だって、これらの情報同士の間には、膨大な不一致や矛盾が見られ、完全に傾向が違うんだもの。

とりわけ重要だと思われるのは、マーシニアックの本の中で言われていることを鵜呑みにしてはいけないと述べられていることよ!他の高次の存在と同様、カシオペアンズも見かけと違って、<はっきりと自分達のアジェンダを述べているわ!>こうして気付いた事を挙げてきたんだけど疑問なのは、<シーズの非利他的なアジェンダについて、じっくり考え、思い描こうとしてるんだけど、それって一体何なのかしら???>ということよ。依然私は、このような虫の知らせの正体が何なのか確かめようとしてるんだけど、その答えは私達の内心ではなくて、外側を見るよう導く領域の中のどこかにあるのよ。だけど、どうして?おそらく、STOでありながら第3密度の存在であることも可能なんでしょう。そしてまた、私達がそれを思いとどまるのはなぜかしら?<跳んではどさりと着地するのよ。。。>
---
※<>内は原文では太字。


さて、読者の多く、いや、殆ど誰も、この人物が引用してきたのが文書のどこからなのか分からないと思う。これこそまさに、私が述べようとしている類のプログラミングの主な効果の1つなのだ。メールの筆者に掛けられたプログラムについて考える手掛かりとなる考え方を太字にしておいた。これらの言葉から、彼女が世界を操る上での観方を示すモード、すなわち回路のようなものを窺うことができる。そして、このような回路やプログラムを探知し、解釈し、マスターできるのが、変容という錬金術の業の一部なのである。

さて、彼女のメールで最初に気付くのは、カシオペア交信文を読んだ結果、彼女が反応したということだ。実はこの反応は、もし彼女がじっくり時間を掛けて考えていれば、より生を実感し、もっと世界の意味を見出すことができるチャンスだったのだ。これは疑いなくショックだったに違いない。だがサルトルだって、「フランスのレジスタンスに参加して、いつ捕えられ撃たれるか分からなかった時くらい自由を感じたことは無かった」と言ったそうではないか。
http://philosophynow.org/issues/49/Colin_Wilson

だから、たとえ彼女には自分の魂の中で起こったことが何であるか十分に分かっていなくても、実はこの読者は、気付きの初めの段階に足を踏み入れていたのである。

グルジェフは、身体を揺すって目覚める手段として、意識的に危険を求めることを独学で学んだ。彼は書いている:


---
私は自分の中に作り上げ、あるいは、これまでの経験によって偶然形成されてきた、感情的、知覚的、知識的な、いかなる制限も捨てねばならなかった。私はすぐにどのようなものであれ、自分の神経系に対するショックが役に立つことに気付いた。たとえそれが、生命の危険を冒すまでには至らない ― 時にはそういうこともあったが − としてもである。
---
* 'Secret Talks with Mr Gurdjieff' by J. Cox


グルジェフの方法には、生徒たちの高次の知覚器官を凝固させ、育てるために、彼らを永続的に覚醒状態に置くことが含まれていた。このようにしてこそ、私達は客観的な意識状態を達成できるのである。

ところが、我らが読者には何が起きたのだろうか?捕食者どもの心は、「粗野で矛盾だらけで陰気(であり、)今にも発見されてしまうのでないかという恐怖に満ちて」おり、彼女を怯えさせて、客観的意識から退かせてしまったのだ。彼女が受けたショックによって、それは目覚めたのだったが、彼女はこれを危険な影響と解釈してしまった。これは捕食者の心の持つ矛盾に満ちた性質を、かなりありありと描き出している。

だが、この捕食者の心とは一体何だろうか?それは ― 私達のDNAが設計図となった ― 私達の脳および神経系の成り立ちであり、これには私達がコントロールできないような年齢と状況において、回路や思考プロセスが確立される、人生初期の一定の時期が関与している。

これは刷り込みと呼ばれる。人間はDNAに組み込まれた、一定の基本的な行動パターンを持って生まれてくる。花の種が蒔かれ芽を出し、次世代の花が咲くという一連の段階を経るように、人間もまた、成長のプロセスにおけるそれぞれの時期において決まった特徴を育むのである。このような順番は、私達にはコントロールできないものである。

コンラート・ロレンツは、有名なアヒルの実験によって、この原則を示した。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=51828867&comm_id=2590126
アヒルは(そして人間も)生涯における特定の時期に見た姿を母親として受け入れるようプログラミングされている。刷り込みが行われる時点で、正しい母親の姿が目の前に無いときには、そこにあるのが誰、あるいは何であれ、それがそのアヒルにとっては母親のイメージとなるのだ。すなわち、成長の上で母親が必要となる時点で、アヒルの目の前に居る対象が正しい母親であろうとなかろうと、その対象は脳内のどこかで「母親」としてラベルが貼られ、このラベルが剥がされることはまずないのである。

アヒルを用いた実験の結果、アヒルの子が母親を獲得してラベルを貼ることに一番敏感な臨界年齢が存在することが証明された。

同様の研究はサルでも行われている。このような研究の結果、サルがもし、生後一定の週になるまでに、母親の刺激を受けないと、自分の子孫に対しても冷淡で、親しみを見せない成獣になることが示された。このサルの実験で奇妙なのは、給餌よりも接触の感覚の方が重要だということである。幼い子どものサルは、手触りのよい布切れの代理母には愛着の結びつきを形成したが、ミルクを出すが手触りの悪い針金の代理母には愛着を形成しなかったのだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%9B%E7%9D%80%E7%90%86%E8%AB%96
これは高いレベルの接触と愛撫が必要なことを示している。これはまた、この刷り込みというもののモード − 感覚的な −を示している。触覚(身体感覚)である。

高等動物における母親の刷り込みには臨界期が存在するという証拠が、サルの実験では強調された。1つの例では、新しく生まれたサルの赤ちゃんが自分の元に到着するのに対して準備が出来て居なかった実験者が、ボールの頭を用いてその場しのぎの代理母を作らねばならなかった。これを赤ん坊ザルに与える一方、実験者は顔のある、もっと良いモデルの製作に取り掛かった。しかし、もう遅過ぎた。この赤ちゃんザルは既に顔の無い母親に愛着を抱いており、新しいモデルの顔がのっぺらぼうになるように、頭を後ろ向きに回してしまった。刷り込みが既になされてしまっていたために、顔のある新しい母親は受け入れられなかったのである。

ジョセフ・チルトン・ピアスは書いている:


---
時折我々は、幼児期から屋根裏のような場所に鎖で繋がれていた人々が発見されたと耳にする。彼らはいずれも良くて精神薄弱であるため、世界観が狭かったり、違っていたりする。1951年、アイルランドの鶏小屋で1人の子供が発見されたが、彼は幼児期からニワトリと一緒にされながら、何とか生き残って来たのだった。10歳になるこの子の長髪は汚物で固まっており;ニワトリの餌箱から食べ;ニワトリの群れと一緒に眠ってきた;爪は長く伸び、半円形の鉤爪と呼ぶにふさわしく;予想通り、ニワトリのような声を出し;救助されて無事保護された時点では話すことが出来ず、教育を受けた気配はなかったのである。

40年前、インドで見つかった2人の野性児に関心が集まった。彼女達はどうやら狼によって育てられたようである。彼女達は本物のオオカミの棲みかに幼獣と一緒に居るところを連れて来られ、成獣は四散し、あるいは殺された。子供達の1人はカマラと呼ばれたが、その後9年間生き続けた。テーブルマナーや、足で立って歩くことの様な優雅な振る舞いを教育されたが習得できなかった。にもかかわらず彼女は、新しいグループにおける報酬体系に対して高い意識を示し、そのような方向性への強い意欲を見せた。しかしながら、ニワトリ少年と同様、彼女は人間の幼児が発育する発達期を逸しており、この段階へと遡ることは難しく、完全を期すのは無理だった。カマラの人格は、人間からのミラーリングを行うべき[刷り込みの]時期に彼女を取り巻いていた状況に反応したパターンに従って形成されてしまっていたのである。捕獲 ― ないし救助 ― されてから最初の2年間、彼女はインドオオカミならいずれもそうするように、10時、12時、そして夜中の3時にきちんと遠吠えをしていた。彼女はまた、予め注意しておいてもニワトリに襲い掛かり、生きたまま引き裂くと、生のままで食べた。新しい社会的な報酬体系がかつての報酬を上回ることを理解すると、彼女はようやく最初の訓練で得たものを捨てたのだった。
---
※『宇宙卵の割れ目』(1971年刊、邦訳無し)


私達はみなカマラなのだ。私達はみなオオカミによって育てられた神の子なのである。

だがどうしてそういうことになるのだろうか?

私達はみなプログラミングされているのだ。私達の脳内回路のプログラムは、形成期に周囲に居た人々によって書き込まれたのであり、同様に彼らのプログラムもまた、形成期に書き込まれたのであり、以下同様にして、これは遠い歳月の彼方へと遡って行く。各世代はプログラムを数行付け加えただけだ。

私達の考え方が子供の思考を形作る。私達は子供にとって理想的な環境と思われるものを与えるが、適切な環境と思われるものを決めるのは、私達のプログラムなのだ。ひとたび環境を与えたら、私達は子供達にそれを気に入ってもらい、認めてもらい、それが正しいことに同意してもらいたいと思う。私達の考え方は文化によってもたらされる。それでは私達の文化は何によって作られるのだろう?コントロールシステムだろうか?

同意もまた遺伝的なものであるという無視できない証拠がある。言語や選好や廃棄に関して、他者との親交へと駆り立てる遺伝子があるようなのだ。新しく人間として生まれて来るとき、私達はどうやら、他者と同意することを意図して生まれて来るらしい。しかし、私達がどうやって同意に取り掛かるかの詳細は、子供時代の成長の様々な段階において受け取った刷り込みに関係がある。

誰もがどうやら、遺伝子の中に、誰かがデータを入力してくれるのを待っているデータベース・プログラムに良く似た、奥深い元型を持っているらしい。要するにこのデータベースに入力できる期間が限られていて、その期間内にどんなデータが入力されるかによって、他の全てのデータがその後永久にどう評価されるかが決まるのである。この評価が、データベース内に整理されたアイテムを持つどんな刺激の組み合わせに対しても、繰り返し同じ反応をし続けるのだ。データベース内に見つからないものは何であれ捨てられる。もし準備の出来ている期間、すなわち刷り込みの期間に、このデータベースが使われず何のデータも入力されなければ、このような可能性は眠ってしまい、損なわれる。

深層にある元型データベースの上に構築された高度な思考機能は、データベースとリンクした一種のソフトウェアと見なすことができ、データベースを運用するために絶えずそれをチェックしているに違いない。これは収録語が決まっている辞書と文例セットを備えたワープロ・ソフトと見なすこともできよう。文書を打つ際には文例に従わねばならず、既に収録語が固定している辞書に載っている単語しか使用できないのである。私達の脳は、神経発育上の、ある臨界期に回路上に置かれた刷り込み条件を受け入れるように遺伝子によってデザインされているため、このような臨界期は「刷り込みを受けやすい」時期として知られる。刷り込みはその後の全ての条件付けと学習が起る上での限界ないしパラメーターを生み出す。継続的に起こるそれぞれの刷り込みによって、事態はさらに複雑になる。これらのプログラムの幾つかが、他のものと共存できないのだからなおさらだ。

様々な学派がこのような回路を「発育段階」と呼んでいる。このような概念を扱った初期の著作は私達の文化に大いに浸透しており、「おお、彼は何とも肛門性格だ」
http://ww5.tiki.ne.jp/~gakurou/kokoro/bunrui0.html
というような俗語が生まれる程だが、このような表現の意味を実際に理解している人は殆ど居ない。

研究によると、系統発生的に見て古い脳構造 ― 脳幹のような、基本的な生存に不可欠なもの ― は成長の最初期の段階で刷り込まれ、中脳や皮質のような、比較的新しい構造は原始的な方の刷り込みに重ね合わさって発達したようである。しかしながら、脳の初期に発生した部分および、そこへの刷り込みは、高度な思考モードが発達した後、後期の刷り込みに対していかなる反応が行われ、刷り込みの方でもどのように機能し続けるかの基礎となるのだ。

つまり、人が幼児期の刷り込みを知覚する臨界期にトラウマを負うと、たとえ彼が長じてアメリカ大統領になろうが関係ない。彼は依然として刷り込みに支配され続けるのである。

もちろん、この古典的な例がビル・クリントンだ。彼の行動のせいで結婚生活や、最愛の子供の感情的な幸福が台無しになろうが関係ない;彼の行動が破壊的なせいで国全体が殆どカオスに陥ろうが関係ない;幼児期の刷り込みによって決定された、彼の内なる感情という原動力が彼の行動を支配していたのである。これはローズ奨学生だった彼の知性の関知するところではない。悲しむべきことに、特殊な例外を除けば、実際誰でも基本的にはこうやって行動しているのである。ビルと同じ刷り込みを持っている男性は数多い;単に彼らがアメリカ大統領でなかったというだけのことだ;とはいえ、このテーマに関しては、女性にも様々なバリエーションがある。

最初の段階ないし回路は、口頭で・受動的に・受容され、母親として知覚されたもの、つまり、最初に育児をしてくれた相手から刷り込まれる。それは食べ物や脅威によって条件付けられることがあり、大抵は身の安全に関係がある。このフェーズにおいてトラウマを負う結果、身の安全にとって脅威となるどんなものからでも、無意識のうちに後ずさりする動機が生まれることがある。

最近私は、他ならぬこの回路について、随分と考えている。割礼という習慣との関連においてだ。ユダヤ-キリスト教的一神教の大言壮語は大掛かりなコントロールプログラムであるという仮説を立てた私は、次のような問題に直面した:どんな風に、そして、なぜ、それは何千年もの間、うまく機能したのだろうか?加えて、それはそもそもどうやって押し付けられたのだろうか?

この問題に私は何週間も頭を悩ませた。一歩下がって物事を見ているうち、フリードリッヒ・ニーチェの言葉が真理の稲妻のように私の心を打ち、私はいくつかの事に思いを巡らせた。


---
(195ページ)
ユダヤ人は世界史の最も注意すべき民族である。というのは、彼らは、存在と非存在についての問いのまえに立たされると、まったく薄気味わるいほど意識的に、あらゆる代価をはらって存在の方を選び取ったからである。この代価こそ、全ての自然の、すべての自然性の、すべての実在性の、外なる世界と同じく内なる全世界の徹底的偽造であったのである。彼らは、これまで民族が生きることができ、生きることの許されていたすべての諸条件に反抗してそれと一線を画した、彼らはみずから自然的諸条件への対立概念を創造した、 − 彼らは、つぎつぎと、宗教を、礼拝を、道徳を、歴史を、心理学を、救いがたい仕方で、これらの自然価値と矛盾するものへとねじまげてしまった。

(168ページ)
。。。キリスト教は、こうした高級の人間典型に決戦をいどんできた。この典型のすべての根本本能を追放してきた。この本能を蒸溜して、悪を、悪人そのものをつくりあげてきた、すなわち − 典型的に唾棄すべき者、「極悪の人間」としての強い人間。キリスト教は、すべての弱いもの、低劣なもの、出来そこないのものの味方となってきた、強い生の保存本能に対する抗弁から1つの理想をでっちあげてきた。。。精神性の至高の価値を、罪あるものとして、惑わすものとして、誘惑として感じとるよう教えることによって。

(199ページ)
。。。ユダヤ的道徳とは何であるのか。キリスト教的道徳とは何であるのか?偶然はその無邪気さをうばわれ、不幸は「罪」という概念で汚され、快適は危険であり「誘惑」であるとみなされ、生理学的不快適は良心の呵責で毒される。。。
---
※反キリスト者、原訳(ちくま学芸文庫版ニーチェ全集14)


しかし、だからと言って、女性嫌いで厭世的な大言を放つニーチェ自身が模範だという訳ではない。実際彼は1888年に基地外と診断された。『ブリタニカ百科事典』(第11版)が述べているように、「生まれた環境における文明の一切に対する反抗こそが、ニーチェの文学的キャリアの基調を成していた」

とは言え、彼のユダヤ教およびキリスト教(およびその他全ての一神教的な、支配者の宗教)に対する観方には一理ある。だからこの言葉について熟考しつつ、私は、どういう風に、また、どうして、人々がこうも完全に、このような全くのナンセンスに騙されてしまったのか考えようとしていたのである。どうして、この現代における、教養ある人間たちが真理を探究しようと願い、精力的に取り組む上で、これだけの知識と気付きのリソースがありながら、このような神話を受け入れているのだろうか?

このことを考えると全く信じられないという思いで一杯になった。

私は再び、「エホバ-在りて在る者」の件や;モーセの物語といった全てに関する考察に取り組み;聖書に示されたそれらの詳細を手掛かりに点検してみた。そして出会ったのが、あの狡猾なエホバ/ヤハウェの最も興味深い要求:割礼だったのである。ずばり、生まれて8日目に行われるものだ。

女性に対する深い、無意識的な不信感を抱かせる上で ― 一神教的契約を破った結果被ることになる、痛みや災厄について述べて圧倒的な恐怖に陥れるのは言うに及ばず −、暖かくて居心地が良い褥の中で、暖かく甘い母親のお乳でお腹を一杯にすることにしか関心が無い男の赤ちゃんの、ペニスの包皮を切り裂く以上に確実な方法があるだろうか?

あなたの内心深く刻み込まれた、根本的で狡猾なプログラムとはまさしくこれなのだ!

第1回路は、何が安全で、何が安全でないかに関係がある。私達の社会においては、お金が生存および生物学的な安全さと密接に結び付く、主なアイテムの1つである。お金は生存を意味する。これに加えて、第1回路を刷り込むフェーズにおいてトラウマを負った人々は、他の人々を抽象的に見るようになりがちだ。「我ら 対 彼ら」である。このような人々は、いかなる種類のものであれ、賛同が得られないことによってたやすく脅威を感じる傾向をも持つ。というのも、不賛同とは滅び、つまり、食料供給を失うことを意味するからだ。そして、この段階でネガティブな刷り込みを受けた人々は、適切かつリラックスした呼吸を妨げる、慢性的な筋肉のよろい化を行う傾向がある;神経質になるのだ。

この回路によって重大なコントロールを受けた、すなわち、この口唇期に発育が滞ってしまった人々の主な特徴の1つは、現実的なものであれ、概念的なものであれ、何らかの類の危険を感じたとき、一切の精神活動が停止することである。このような人々は慢性的に不安を抱え、依存的になる − 主として宗教に対してだ。彼らは実際、他の人々が何を感じているか、現在の状況を前提として人間関係が将来どうなるのか理解できないのである。彼らに分かるのは、今何が起っていて、自分が何を感じているかだけだ。彼らは他人が何を感じているのか正確に把握できない。というのも、彼らは単なる感覚の対象としてしか、他人と関わらないからなのだ。

それでは、どのくらいの男性が割礼を受けているのだろうか?実は、多くの人々なのである。世界保健機構(WHO)によれば、世界の男性の30%、アメリカ男児の約56%が割礼を受けているのだ。そして、ユダヤ人以外でも、米国医師会(AMA)は随分前から、衛生上の理由で、アメリカの赤ん坊に対する割礼を奨励しているのである。うーん。

ひとこと付言しておくが、この口唇期に負ったトラウマないし故障は、太り過ぎであれやせ過ぎであれ、体重問題にもつながりがちである。このフェーズで健康的な成長を示す人は、世界に何が起っても安心して居られる、自然な子供の意識状態を獲得することができるのだ。

この回路のネガティブな刷り込みに関して、ウィリアム・クリントンのことを述べたのは、かなりうまい選択だったと言っていいだろう。彼は割礼を受けたのだろうか?モニカに聞けば分かるだろう。

第2の段階ないし回路は、有名な「肛門愛期」であり、他人とのやり取りにおける経験を保つか手放すかに関係がある。この第2回路は、人が自分のアイデンティティを拡張して他人を含める流儀を決めるものだ。第2フェーズの原動力は、第2の我とのやり取りである。この原動力の有無によって、集団に結集するか、それとも、自分以外の誰からも被害妄想的に引きこもるかが決まるのである。この回路の形成期(一般的に生後12ヶ月-24カ月)にトラウマを負うと、社会性の感覚が欠如し、意識的であれ無意識であれ、自分自身の利益になるように他人を操作し食い物にしたり、他人に対して残酷に振る舞う傾向が生まれる結果となる。これは一般的に、他人による不同意の感覚、すなわち、他人の持っているものを手に入れ損なったと感じたり、他人の同意が必要だと感じたり、基本的に自尊心が欠けているように感じていることの結果である。

マトリックス ― ある種の条件付けシステム ― が言葉の構造という意味論的宇宙として形成されるのも、このフェーズにおいてである。以前論じたように、言語は概念的なものであり、第2密度から第3密度を区別するものの1つである。私達の概念は、私達が言葉を学ぶに連れて学ぶ、一種の知覚枠組みなのだ。私達は、暑いとか寒いとかいう言語を学ぶが、ある物が良いとか、別の物は悪いとかいうことも学ぶ。良い物だから自由に扱えるとか、悪い物だから手を触れることができないと考えたりするのだ。このフェーズには、秩序を生み出すように子供を途方もなく駆り立てる原動力がある。この原動力は、全ての物をグループ分けし、見分け、相互に関連付け、名付けることに向けられる。これが済んだ後の子供には、両親や交流を行うその他の人々と一緒に、これは悪いとか良いとか、本当だとか本当でないとか、絶えずチェックする日々が待っているのだ。子供の行う事は、彼自身のみならず、世界全体をも定義付ける。私達の複雑な信念体系の殆どが形成されるのも、この段階においてだ。子供を取り巻く全ての物は彼にとっての原料である。マトリックスは彼の周囲の他人の心からの、導きとなる行動や反応によって作られるのだ。このマトリックスとは、実は巨大な条件付けシステムである。そして私達は自分達の行動によって、子供達をその中に押し込むのだ。

幼児の心とは以下のようなものだと言われる:


---
(それは)自由で幻覚的、無制限の総合という、自閉的で豊かな生地である。彼の心は非論理的で、一連の夢のような類の「桂馬飛び」の連続によって、三段論法をたやすくスキップすることができる。にもかかわらず彼は、他者の世界に参加したいという強い欲望を示す。そしてついに、彼の世界に調和をもたらす上で不可欠な、自己修正に対する意欲は、自律的でありたいという彼の欲望を凌ぐようになる。そうでなければ、文明は不可能である。我々の基準に応じるように彼の性格を形成することに成功する結果、幼い心の中に生得的な親交への原動力と柔軟性が現れる。

成長し、現実に適応することで、このような「桂馬飛び」的思考は制限され減少し、我々はいつしか「歩の動き」で考えるようになる。。。そして我々は、社会的な物の観方が、神聖な、神の思召しによるものだと信じる結果、多くの恐怖や、論理と理性の持つ欠点を避けられるような、我々の奥底にある潜在力を止めてしまいがちである。

。。。我々は意識的、無意識的に子供達が一定の現象を選択的に無視し、他の現象を探して慈しむように強いる。

。。。社会に参加するため、我々は社会の現実の図式を作り上げている、社会的な定義や合意を受け入れなくてはならない。我々の定義は真実と考えられているものに対する、社会的に受け入れ可能な枠組みの輪郭を描く。この定義のネットワークは文化によって、また時期によって変わる。それは測り知れないくらい恣意的なものではあるが、手に入る唯一の現実が常にとり得るかたちである。

。。。この発達段階は幼児期じゅう続く。言葉と概念はこの発達初期に融合し、我々と一緒に成長する。

もし言語がこの発達期に形成されないと、形成不可能となる。

。。。生まれつつある心は、この発達期に利用できた模範がどんなものであれ、それを正確に模倣してしまうだろう。この可塑的な段階に形成されたパターンは安定して行く。それは定着して、我々が世界観と呼ぶ機能的な表象-反応システムとなる。

。。。幼児の夢のような観念の繋がりは、現実を構成している合意によって、ゆっくりと説得される。我々の推論能力が推論を行う過程を反省できるくらいに発達する頃には、我々はこの過程全体の要となり、これに打ち込み、これを支えるようになる。子供が反抗期を迎える頃には、否応なく、自分が反抗しようとするものに反対するようになるのだ。。。

。。。ホワイトヘッドは基本的な前提をこう述べる。。。「しかし人々は、他に表現する方法を思いつかない故に、彼らが憶測を行っているとは知らないのだ;彼らはいつも単に、『明らかな事実』に対して反応しているだけだ」

。。。我々は、可能性に関する合意によって制限されている。合意とは、代替的な可能性を共通して除外することだ。合意は社会構造にとってのセメントである。

。。。現実と呼ばれる状況は、我々の表象と反応の、常に最新の総計として存在している。何であれ、我々の見ているものが我々にとっての現実なのだ。。。

。。。我々はかつて神経系とは外部からのメッセージを運び入れるための、ただの電話交換機だと考えていた。今では、この系はあらゆる点で「編集部の組織階層」すなわち、知覚されるものを決定する政策決定装置のようなものであることが知られている。

。。。目に見える世界とは、我々が日々実践しているもののことである。

(ピアス、前掲書)
---


さて、幼児は、「他者の世界に参加したいという強い欲望を示す。そしてついに、彼の世界に調和をもたらす上で不可欠な、自己修正に対する意欲は、自律的でありたいという彼の欲望を凌ぐようになる」という考えを覚えておいて欲しい。これはとても重要なので、後で立ち戻って検討することになろう。

第2回路の刷り込みが、強力でポジティブだった人は、交友関係によって育まれる、他人への関心やアイデンティティの感覚から、他人の気持ちを察することができる。彼らは進んで手を差し伸べ、他人を認めようとするのだ。

しかしながら、ネガティブな性質を持つ、私達の社会で最もありふれた刷り込みのせいで、この手を差し伸べるという行為の殆どは、テリトリーを背景として行われ、これには感情的なペテンや、社会的序列、支配ないし服従という儀式が関わっているのである。ネガティブな第2回路を刷り込まれた多くの人々が、軍や階層的組織の中に存在しており、こうした組織は、階級の維持ないし上昇のために絶えず懸命に誰かの歓心を買おうという努力が行われていることで定評がある。

この第2回路とは一般的に、最も身近なボス、あるいは、その人の人生において、最初に知覚された支配的な男性によって、最も強く刷り込まれる。この回路はまた、非常に多くの場合、自我と呼ばれる。というのも、これがそれ自体を全人格と間違えるからだ。

ネガティブな第2回路の刷り込みに支配されている人々は一般的に、肛門的表現、すなわち、身体の排出機能や器官に関係ある言葉を多用する。彼らは常習的に口汚いのだ。第2段階で深い刷り込みを受けた人は往々にして、パワーの1態様としての体力ないし身体構造、あるいは単純に、他人に対するパワー一般に対して、非常な関心を抱いている。彼らは思考を恐れ、問題に対するベストな反応とは、脅かして追い払うことだと感じているのだ。

第2回路的なリアリティの構造は、現代社会における優勢なモードとなっている。そんな訳で大抵の問題は、いじめと臆病 ― 第2回路トラウマのお家芸である − の両方をもたらす対決に終わるのが落ちなのだ。

第3の回路はチャーミングにも男根的と呼ばれる。他を差し置いて、どうしてこの言葉が選ばれたのか、なぜかと聞かれても困るのだが、これはこの刷り込み段階が、子供による彼/彼女の性器の発見に関係している事実、この時期がまた、性別による役割分担におけるアイデンティティを部分的に決定するらしいという事実と、そしてまた彼/彼女が成長した後の身体や性に対する態度と関係があるのだ。これはまた、エディプス段階あるいはエレクトラ段階とも呼ばれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%85%90%E6%80%A7%E6%AC%B2

この回路は、記号システム、すなわち、言葉や概念によって刷り込みと条件付けを受け続けるのだが、これは微妙な、概念の合併を伴う。子供は、複雑な象徴主義や「今」「後で」「すぐに」「まだ」というような事を理解できるようになってくる。これらの概念は、手本となる人物が悲嘆という概念を紹介し実証するならば、別離を我慢する能力、そしてまた、嘆き悲しむ能力と密接に関係してくる。

ということで、第3段階は本質的に、主として時間と空間の概念 ― また、何が現実の世界であり、何がそうでないのか ― に関係しているのだ。

このフェーズにおいて発達する脳の部位は小脳であり、この部位は低次の脳機能同士が取り得る行動を調整する役割を果たす。この脳の部位およびそこへの刷り込みによって、私達が変化し適応する能力が決まるのだ。この能力によって私達は、論理や比較分析を用いて、区別したり、比較したりできるようになるのである。この機能はコンピューターのようにはたらく;情報を読み取ってクロスリファレンスしたり記号化することで、カテゴリ化したり選んだりするのだ。選択の重み付けや意思決定を行うのも、脳のこの部位である。

しかしながら、殆どの人々の場合、肛門愛期におけるトラウマ的ないし早過ぎるトイレトレーニングのせいで、脳のこの部位が第1および第2回路の感情の奴隷となってしまう。かと言って、情報を読み取ってカテゴリ化したり記号化するという仕事が全く出来ないとか上手でないという訳ではない;だがトラウマを負っている場合、その深刻さによっては、脳のこの部位が本来の調整役として機能することがとても難しくなるのだ。知的機能が学者並みにずば抜けていても、高度な感情が発達していない可能性がある。このような状況が、宗教の名の下に他人を苦しめたり殺したりする冷酷なインテリを生み出すのだ。このような人々は重い制裁という観点から周囲の状況を一括りにしてきた;タブー、ルール、法、禁止、信仰、教条主義(ドグマティズム)。これらの多くは意識されることがなく、常識としてあるいは一般的な良識、あるいは「それは正しい。どうってことはない、ただそれだけのことだ!」とされて罷り通るのである。このような人に食って掛かる人は誰であれ異端者、反逆者、基地外扱いされる。彼らはまた、性的機能に関する言葉を多用する。

第3回路に支配されている人々は考え抜くことで問題に反応するのだが、彼らの理性は、第1あるいは第2回路の感情の指図を受けている。このような場合、彼らを第3回路のロボットと呼ぶことができる。というのも彼らは、ルールやドグマの感情的な中身から抜け出すことが出来ないからだ。このような人々の場合、神経系の残りの部分はどの点から見ても成長が止まっている。

この回路が奇妙な現れ方をする場合が2つある。第1および第2回路が基本的に健常であり、第3回路が著しく深刻なトラウマを負っていなくても、高度な能力を発達させようという努力が何ら行われない場合には、正常な意識は基本的に2つの道のいずれかを辿ることになる。1つ目は、人間による経験の多くが現実自体を含めて、妄想あるいは幻想であると証明することに知性を使いたいと願うというものである。全ては神秘であり幻覚なのだ。2つ目は物質世界以外の何も存在せず、神秘的なものとは全て、幻覚、偶然の一致、あるいは、いい加減な調査の結果であると証明することに知性を使うというものである。グルジェフはこれらに関して多くのことを述べており、この問題に対する彼の理解には明らかに深いものがある。それだけでなく、グルジェフの観方が、神経ペプチドに関する現代の研究 ― 感情の分子説 ― にいかに近いものであるかがすぐ分かるだろう。グルジェフは書いている:


---
(233ページ)
1千年の間考え続けることも、図書館を満たすほどの本を書くことも、百万の理論をあみだすことも可能だ。しかもこれらはすべて眠りの中で、目覚める可能性が全くないままで可能なのだ。それどころか、眠りの中で書かれたりあみだされたりしたこれらの本や理論は、ただ他人をも眠りに誘うだけだ。

眠りという考えそのものには目新しいものは何もない。人々はほぼ天地開闢以来この方、お前たちは眠っており、目を覚まさなくてはならないと言われ続けている。何度このことが、たとえば福音書の中で言われていることだろう。<目覚めよ><見よ><眠るな>等々。キリストの弟子たちでさえ、最後にキリストがゲッセマネの庭で祈っているときに眠ってしまったのだ。すべてはその中に示されている。しかし人間はこれを理解しているだろうか?人々はこれを単に言葉の1形式、1つの表現、1つの隠喩と考えてしまう。それを文字通りに受けとらなければならない必要性を全く理解していないのだ。。。

(261ページ)
意志の問題、すなわちある人のもつ意志と他者の意志との問題は、最初に一見して思うよりはるかに複雑だ。人は為すための、つまり自己と自己の行動をコントロールするに十分なだけの強い意志をもってはいない。しかしその弱い意志でも、他者に従うくらいの強さはもっている。。。

私は以前、人間の生における運命と偶然について話したことがある。。。運命はたしかに存在するが、しかし誰にとっても存在するというわけではない。ほとんどの人は自己の運命から離れ、偶然の法則のもとで生きている。運命は人間のタイプに相応した惑星の影響の結果なのだ。。。人間は自己のタイプに相応した運命をもつことは可能だが、実際には決してもつことはない。運命は人間の一部分のみに、つまり彼の本質にのみ関係しているためにこういうことが起こるのだ。

人間は2つの部分から、すなわち本質と人格とから成り立っていることを理解しなければならない。本質は彼自身のものであり、人格は<彼自身のものではない>あるものだ。<彼自身のものではない>というのは外からきたものということであり、彼の学んだもの、考えたこと、記憶や感覚の中に残っている外的な印象のあらゆる痕跡、学んだ言葉や動作、模倣によってつくられた感情、これらすべては<彼自身のものではない>もの、すなわち人格である。。。

小さな子供はまだ人格をもっていない。彼は真にありのままだ。つまり彼は本質なのだ。彼の欲求、好み、嗜好、嫌悪はありのままの彼の存在を表現している。

しかし、いわゆる<教育>が始まるやいなや人格が形成されはじめる。人格は、部分的には他人による意識的な影響、すなわち<教育>から生じ、また部分的には子供が他人を無意識的に模倣することから生じる。

まわりの人々に対する<反抗>や、<彼自身の>、すなわち<真実の>ものを人々から隠そうとすることも、人格の形成においては大きな役割を演じている。

本質とは人間の内なる真実であり、人格は虚偽だ。しかし人格が生長するにつれて、本質はしだいに自己を表現することがまれになり、また弱くなり、そして本質は非常に初期の段階でその生長をやめ、それ以上生長しないということもしばしば起こる。成人の本質、非常に知的で、一般に認められている意味で高度の<教育を受けた>人間の本質でさえ、5、6歳の子供の段階で止まっていることもよくある。これは、この人間の内に我々が見るすべてのものは、現実には<彼自身のものではない>ということだ。人間の内の彼自身のもの、つまり彼の本質は、普通彼の本能、または最も単純な感情の中でのみ顕現する。とはいえ、本質が人格と平行して生長するケースもあるにはある。そのようなケースは、とりわけ文化生活という環境のもとでは非常にまれな例だ。絶え間ない闘争と危険に満ちた困難な条件のもとで自然に近い生き方をする者の方が、その本質が発達する可能性は大きいのだ。。。

文化は人格をつくりだし、また同時に文化は人格の産物であり結果でもある。生活全体や、文明、科学、哲学、芸術、政治と呼んでいるものすべては、人々の人格から、つまり彼らの内の<彼らのものではない>ものから生み出されたものであることを我々は認識していない。

<彼自身のものではない>要素は、失われ、変えられ、人工的な手段によって取り去ることができるという点で彼<自身の>ものから区別される。

東洋のスクールでは、人格と本質を分離させうる方法や手段が知られている。そのために彼らは時には催眠術。。。を使ったり。。。する。もし人格と本質がこれらの何らかの手段で分離されれば、いわば2つの存在が彼の内部に形成され、違った声で話し、全く異なった好み、目標、興味をもつようになる。また、この2つの存在の内の一方はしばしば小さな子供の段階にある。。。きわめて多様で高尚な考えに満ちた、あるいは共感と反感、愛、憎しみ、愛着心、愛国心、習癖、好み、欲望、確信などに満ちた人間が、全くからっぽで思想も感情も確信も見解ももたない人間であることが突然明らかになる、ということが起こる。以前には彼の心を動かしていたあらゆるものが、今では彼を完全な無関心の中に放っておくのだ。時には自分の普段の気分や大言壮語に人為性や空想性を見出すし、あるときは、そんなものは存在したこともなかったかのように簡単に忘れてしまう。そのためには人生ですら犠牲にするつもりでいたものが、今ではばからしく無意味で注意を払うに値しないものに思われてくる。彼が自分の内に見出すことのできるものといえば、わずかな本能的嗜好であり、好みだけだ。甘いものや暖かさを好み、寒さや働くことを考えるのが嫌いで、あるいは反対に身体を動かすことを考えるのが好きで、そしてそれだけなのだ。

。。。一般に、人間の本質は原始的で野蛮で幼稚であるか、あるいは単に愚かであるかのどちらかだ。本質の発達は自己修練にかかっているのだ。

。。。本質の生長を可能にするためには、まず第一に、絶え間ない人格からの抑圧を弱めなければならない。というのは、本質の生長を妨害するものは人格の中に含まれているからだ。。。

前に言ったように、教養の低い人々の場合には、本質は教養のある人よりも高度に発達している。それなら彼らは進化の可能性にもっと近づいているべきだと思うかもしれないが、現実にはそうではない。。。内的生長、自己修練のためには、本質のある程度の強さとともに人格のある程度の発達も必要なのだ。。。人格が十分に発達していないということは。。。自己修練の土台となるべき、知識、情報、材料を欠いているということだ。知識のある程度の蓄積、一定量の<自分のものではない>材料がなくては、自己修練はもちろん、自己研究、機械的な習慣との闘いさえ始めることはできない。なぜなら、このようなワークをする理由や動機は何もなくなってしまうからだ。

これは、彼にはあらゆる道が閉ざされているということではない。何ら知的発達を必要としないファキールの道と修道僧の道が残されている。しかし、知性の発達した人間に可能な方法や手段は彼には使えない。したがって、進化は教育ある人間にもない人間にも等しく困難だということになる。教育のある人間は自然から、つまり存在の自然な状態から離れ、本質を犠牲にして人格を発達させながら生の人工的な状態の中で生きている。一方、教育程度の低い人間は、より正常でより自然な状態で生活しており、人格を犠牲にして本質を発達させているのだ。自己修練をうまく始めるためには、人格と本質との平等な発達という幸運が必要となる。それは成功を強く保証する。もし本質がほんのわずかしか発達していなければ、長期の準備的ワークが必要であり、もしくは本質が内部で腐っているか、あるいは何かとりかえしのつかない欠陥を生じさせているなら、このワークは全く実りのないものになるだろう。こういう状態はよく起こる。人格の異常な発達はしばしば初期の段階で本質の発達を妨害するので、本質はちっぽけなできそこないになってしまう。ちっぽけなできそこないから何かを得ることなどできない。

さらに、人格と肉体はまだ生きているのに、本質が死んでいるというのもかなりよくあるケースだ。大都市の通りで我々が見るかなりの割合の人々は内部はからっぽ、つまり実際にはすでに死んだ人間なのだ。

我々がそれを見ず、知りもしないということは幸運だ。もしいかに多くの人々が実際には死んでおり、またいかに多くの死せる人々が我々の生活を統治しているかを知れば、我々は恐怖で気が狂ってしまうだろう。いや、実際人々は狂気に陥るのだ。というのも、彼らは適当な準備もなくこの種の何かを、つまり見るべきではないものを見てしまうからだ。危険なしに見るためには、彼は道の途上にいなくてはならない。何も為すことのできない人間が真理を見れば、まちがいなく気が狂ってしまう。しかしこんなことはまれにしか起こらない。普通は、時期が早すぎると何も見えないようになっているのだ。人格は、自分の好みのものと、その生活を妨害しないものだけを見る。嫌いなものは決して見はしない。これは良いことでもあり、悪いことでもある。彼が眠りたいのならそれもいいだろうが、目覚めたいと思っているのなら良いこととは言えないだろう。
---
※ウスペンスキー、『奇蹟を求めて』、浅井訳。


という訳で、こうした全てを考えつつ、例のeグループ・メンバーのメッセージに戻るとしよう。彼女は「物事の真相を明らかにしたいという、倦むことを知らぬ欲求」を持っている。真実とは食べられるべき何かである。「美と驚異」そして物質的生活の良さについて語る文章において筆者は「と感じる」という表現を用いている。物質世界と関係のある全ては「凄い」あるいは「信じられない」あるいは別の褒め言葉で語られる。カシオペアンズは際立って疑わしくネガティブとされるのだが、彼らに関して述べる際に彼女は「と思う」という言い方をする。かくして、この人物は、思考というものを疑っているのではないか、それをさらに強調するのが、「じっくり考える(put on our thinking caps, ◆【直訳】考える帽子をかぶる)」という言い方なのではないかと思われてくるのである。思考とは抽象的なものではあり得ず、感じられねばならないというのだ。このメールの全体的なトーンは思考から感覚への撤退を思わせる。これは捕食者の心が働いているという最大の手掛かりだ。彼女の第1回路の刷り込みは活性化していたのである。

この筆者はカシオペアンズ交信文には絶対の嘘があると、すなわち、カシオペアンズは「またプレアデスとして、マーシニアックの情報も口述したと率直に述べた」と主張する。これはテキストを捻じ曲げ、言ってもいないことを言ったと推定する明らかな例だ。実はこれこそまさに神経言語学理論において「脳内情報処理における触覚主導モード」と呼ばれるものの明らかな例なのである。この人はショックで考えられなくなり、恐怖のあまり、脅威から安全に感じられるところまで退却したのだ。

カシオペアンズが実際には何と言っているのか、見ておくとしよう:


940930
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27652774&comm_id=2590126
---
Q: (L) オリオン/リジー・グループのメンバーは、いくたり居るの?

A: 16.

Q: (L) 誰が善玉?カシオペアンズは善玉だって言ったわね。他は誰?

A: プレアデスほか多数。

Q: (L) いくつ?

A: 16.

Q: (L) 両陣営が同数ずつで、バランスが取れてるわけ?

A: Yes.
---


これで分かるのは、カシオペアンズとプレアデスとの間にははっきりとした区別があることだ。実際、グループ別のメンバーについても幾らか分かっている。


941005
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27760103&comm_id=2590126
---
Q: (L) 原初の創造神って誰なの?

A: 私達。第6密度だ。

Q: (L) カシオペアンズが?プレアデスもまた、原初の創造神だったの?

A: 同じ。第6密度だ。
---


これで分かるのは、「創造神」(「根本創造主」と混同しないこと)は全て第6密度の存在だということである。これは各グループが全く同じということではない。それは私がエイリアンに向かって、バーバラ・マーシニアックと私がどちらも地球出身であるから同一人物だと言うようなものである。


941126
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27375531&comm_id=2590126
---
Q: (T) 君達はプレアデスでもあるのか?

A: No.

Q: (T) プレアデスと関係があるのか?

A: Yes 他の人たちも同様。

Q: (T) 君達はみな、光の家族なんだ?

A: そうとも。「宿題」をちゃんとやって来たね。
---


という訳で、「またプレアデスとして、マーシニアックの情報も口述したと率直に述べた」というのは自白の言葉なのである。多くの機会に述べてきたように、捕食者の心が活性化するときにはいつも、エゴのせいで、何らかの気配を残さずには済まないらしい。そして、読者もお気付きのように、私は捜査におけるシャーロック・ホームズ派を支持しているのである。


「きみはぼくの方法を知っているだろう。どれも細かい観察に基いているんだよ(直訳:それは些細な事の観察に基礎を置いている)」(角川文庫版、コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』「ボスコム谷の惨劇」石田訳、144ページ)

本件における些細な事は、「跳んではどさりと着地するのよ」という言葉である。このフレーズは、この読者に起っていることを洞察するトリガーとなった。彼女はかの勢力が、真実や人が目覚める可能性に直面したとき、その人に対して行う行動によって圧倒されていたのである。カスタネダは、これをもっと直接的に体験していた:


---
(290ページ)
私は眠りたいという打ち勝ちがたい欲求と闘った。なんとかそれに成功し、気がついてみると私は漆黒の闇に包まれており、そのなかから谷底を見おろしていた。するとやがて、骨の髄まで寒くなるようなものを見た。巨大な影を見たのだ。さしわたしが15フィートはあったろうか。それは空中を跳んで、音をたてずにどさりと着地した。どさりというのを体の奥で感じはしたが、音は聞こえなかった。

「実際のところ、やつらはえらく重たい」ドン・ファンが耳もとでささやいた。彼は私の左腕をがっちりとつかんでいた。

私は泥の影みたいなものが地面でのたくるのを見た。それはまたもや大きく跳躍した。50フィートは跳んだにちがいない。そして今度も不気味なことに音もなくどさりと着地した。私は懸命に集中力を保とうとした。そのときの恐ろしさは筆舌に尽くしがたい。私は谷底の飛ぶ影に目を釘づけにしていた。そのうちにぶーんという奇妙な音が聞こえた。鳥が羽ばたく音と、周波数が合っていないラジオが出す雑音とが、混じったような音だ。そのあとしたどさりという感じは、死ぬまで忘れることができないだろう。それはドン・ファンと私を震撼させた。巨大な黒い泥の影が私たちの足もとへ着地したのだった。

「怖がるな」ドン・ファンが命令口調で言った。「おまえの内的沈黙を保っていろ。そうすればこいつは行ってしまう」

私は頭から足の先までぶるぶる震えていた。内的沈黙を保ちつづけていないと、泥の影に毛布のように覆われて窒息してしまうだろう。それがはっきりわかった。私を包む闇を失わないようにして、声をかぎりに叫んだ。これほど怒りに駆られたこともなければ、これほどの絶望感に襲われたこともなかった。泥の影はもう一度跳躍した。谷底へ降りたにちがいない。私は足を揺すりながら叫びつづけた。何かが私を食べにくるような気がし、そいつを振り落したかった。
---
※『無限の本質』結城山訳。


カスタネダの最後の言葉に注意されたい。これが「跳んではどさりと着地」していた時に筆者が味わっていた感情なのは明らかだ。

この投稿が行われた時、私は選択に迫られた:たとえ数日掛かろうと、この筆者が述べた点について、既にウェブ上で取り上げ済みの文書を逐一詳しく説明することを優先して、他の全ての読者のために新規文書を公開するのを延期するべきだろうか?それとも、他の、もっと進歩したグループ・メンバーならこれをうまく処理できるだろうと考えてこれを無視し、執筆を続けるべきだろうか?

私はこれを無視する方を選び、執筆を続けた。しかし、明明白白な操作を見抜ける私達ですら、いかに大きな急所を捕食者に握られているかが私には分かっていなかった。実際これは、巧妙な攻撃であり、eグループの他の多くのメンバーが彼らの内なる捕食者の餌食になった。じじつ、これは、この種の巧妙な操作はとっくに経験済みであると私が考えていた人々の内なる捕食者を目覚めさせたのである。この投稿に対する多くのレスを読むに連れて、まさにこの問題に取り組んでいる、現在執筆中の文章こそが、読者が囚われている心の牢獄から解放するため彼らに与えなくてはならない当の鍵そのものであると、私には分かってきたのである。

私が執筆を続けられるよう、アークが自分の本を書く時間を割いて、上の筆者にレスを行った:


---
eグループの読者曰く:
そのくせ喜びや絶対的な美や、地球あるいは生きていることの不思議さについては全く書かれてないわ。シーズを読んで以来、あちこちを歩き回っていて特に気付いたのは、1本の花、セコイアの森の信じられないような美しさや、全体が調和している自然の信じられない凄さ、私達の身体の素晴らしさ、芸術や音楽の創造における、「STSである」人間の貢献とインスピレーションの凄さ、共に喜びながら生きる感覚を祝い、求める人間の性向なのよ。そして、自分の子どもたちと共に笑い、遊び、友人たちと一緒に地球のかぐわしさを分かち合い、身の回りにある見事な美を称賛するのが、とても正しく良い事だと感じるわ。

親愛なる読者氏へ、

あなたはカシオペアンによるメッセージの最も重要な点を全く誤解している。実は、これはグルジェフの教えで言われていることと殆ど全く同じなんだ。グルジェフが、人々はありのままの真実を受け入れる準備がまだ出来ていないと考え、例え話を用いた点を除けばね。これが1例だ − 『アブダクション・シリーズ』(※現在は『諸次元に亘るハイ・ストレンジネス』と改題されています)にも引用されている:


------
たいそう金持ちの魔術師が羊をたくさん飼っている。ところが、この魔術師はひどいけちで、羊の番人も雇わなければ、放牧している牧草地のまわりに柵をつくりもしなかった。そんなわけで、羊はよく森へ迷いこんだり谷に落ちたりしたが、何より悪いことは、逃げ出す羊が後をたたなかったことだ。というのは、羊たちは魔術師が自分たちの肉と皮を欲しがっているのを知っており、それが嫌だったからだ。

ついに魔術師は解決策を思いついた。羊に催眠術をかけて、まず、おまえたちは不死身だから皮をはがれても何ともない、いやそれどころか健康にもよく気持ちがいいと暗示をかけ、次に、魔術師はよい主人で羊をとても愛しており、おまえたちのためなら何でもすると暗示し、それから、もし何かがお前たちに起こるとしてもそれはすぐにではない、ともかく今日ではない、だから何も心配する必要はないと暗示したのである。さらに魔術師は羊に、おまえたちは羊ではないと言い、ある羊たちにはおまえたちはライオンだ、他の羊には鷹だとか人間だとか、あるいは魔術師だと暗示をかけた。

それからというもの、魔術師は羊の心配をする必要はなくなった。羊はもう逃げ出すこともなく、魔術師が肉と皮をとりにくる日をおとなしく待つようになったのだ。
------
(※『奇跡を求めて』浅井訳、341ページ)


そしてもう1つ。これも『奇蹟を求めて』からだ:


------
人間は自らの内に進化の可能性を含んでいる。しかし人類全体の進化、つまりすべての人間、いや多数の人間の可能性の発達でさえ普通では地球や惑星界の目的には必要ではなく、実際それは有害で致命的でさえあるのだ。だからこそ、多数の人々の進化を妨げ、それをあるべき段階にとどめておくような(惑星に関連する)特殊な力が存在しているのだ。たとえば、人類の進化がある点を超えれば、もっと正確に言うと、ある割合を上まわれば、それは月にとって致命的となるだろう。月は現在、有機生命体を、人類を食べて生きているのだ。人類は有機生命体の一部だ。つまり、人類は月の食料なのだ。
------
(※浅井訳、99ページ。)


グルジェフの教えの中の「月とは何のことか?」と思うだろうか?『アブダクション・シリーズ[ハイ・ストレンジネス]』を読めば分かるだろう。

ということで、カシオペアンズの主なメッセージとは何だろうか?常に、常に銘記すべきメッセージとは?

これである:我々は食料である!

これもそうだ:我々は羊なのだ!

月が存在している!それはリアルであり強力だ!魔術師が存在する!リアルかつ強力だ!我々は催眠術にかけられた羊なんだ。魔術師は、月は、我々を食べる。これをあり得る可能性として受け入れるか、それともナンセンスとして拒絶するかは、あなたの自由だ。もしあなたがこれをナンセンスとして拒絶するなら ― 子どもたちと共に笑い、遊び、友人たちと一緒に地球のかぐわしさを分かち合い、身の回りにある見事な美を称賛して、マーシニアックを読み、ウスペンスキーを捨てようが、あなたの自由だ。

だがもしあなたが、我々が催眠術にかかった羊(あるいは同様の何か)であることの兆候がここかしこにあると認めるなら、そのときは ― 逃げ出す方法があればの話だが −、どうやったら逃げ出せるのか学び、そして、少なくとも自分の子どもたちにはそれを教えたいと思うだろう。

もしあなたが、愛と光を送るのがその方法だと思うなら ― それはグルジェフとウスペンスキーが言っていることではない。あなたは要点が全く分かっていない。新約聖書でも例え話が用いられている(しかし注意すべきなのは、新約聖書を作り出すのにも魔術師が参画していることだ)。1つ挙げよう。最も短いものだが、それにふさわしく、熟考する価値があるものだ:

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」
(※マタイによる福音書 / 7章 13節 )


さて、もう1度ウスペンスキーを読んでみよう:


------
人類の進化がある点を超えれば、もっと正確に言うと、ある割合を上まわれば、それは月にとって致命的となるだろう。月は現在、有機生命体を、人類を食べて生きているのだ。人類は有機生命体の一部だ。つまり、人類は月の食料なのだ。
------


ここで、月を(「エイリアン・アブダクション」に出て来るような)エイリアンに置き換えてみたまえ。それから、自分の子どもたちと共に笑い、遊ぶのが、とても正しく良い事だと感じるかどうか、それともおそらく、「滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い」のか、もう1度考えることだ。

「彼は羊に催眠術をかけて、まず、おまえたちは不死身だから皮をはがれても何ともない、いやそれどころか健康にもよく気持ちがいいと暗示をかけ、次に、魔術師はよい主人で羊をとても愛しており、おまえたちのためなら何でもすると暗示し、それから、もし何かがお前たちに起こるとしてもそれはすぐにではない、ともかく今日ではない、だから何も心配する必要はないと暗示したのである」

あなたが言う「笑い、遊ぶ」という言葉のように聞こえないだろうか?そうなのだ!

そしてこれこそカシオペアンズが言わんとすることなのである。しかし、狭い門から入ろうとしても、目の前にあるのは、幅が広く、その道も広々とした門であり;「1本の花、セコイアの森の信じられないような美しさや、全体が調和している自然の信じられない凄さ、私達の身体の素晴らしさ、芸術や音楽の創造における、『STSである』人間の貢献とインスピレーションの凄さ、共に喜びながら生きる感覚を祝い、求める人間の性向なの」だ。

これも再び掲げておこう:「魔術師は羊に、おまえたちは羊ではないと言い、ある羊たちにはおまえたちはライオンだ、他の羊には鷹だとか人間だとか、あるいは魔術師だと暗示をかけた」

選ぶのはあなただ。だがどうか注意して欲しいのだが、あなたは子供達に対しても責任を負っている。彼らは小さい。だからあなたが選ぶ門は、必然的に彼らの選択ともなるのだ。。。彼らが十分に成長するまでは。

アーク
---


しかし、私が執筆を続けなくてはならない、この情報をできるだけ早く公表しなくてはならないと思ったのとは対照的に、このドラマはエスカレートして行った。eグループの別のメンバーが次のような投稿を行ったのだ。上記の筆者と一緒に巡らそうとしている支配についての手掛かりとなる言葉を<>で括って置いた。


---
こんにちわ、A。Bだよ-

あなた曰く:
「私が最も注目したのは、彼らがまたプレアデスとして、マーシニアックの情報も口述したと率直に述べたことだわ。だって、これらの情報同士の間には、膨大な不一致や矛盾が見られ、完全に傾向が違うんだもの」

<B: 教えてあげようか。プレアデスの特徴についてだけど、マイケル・トッパーによれば、「善玉の風を装った悪玉」すなわち、まさしく羊の皮を被った狼だと言うんだ。>実際、彼ら(プレアデスの)シェイプシフト的で絵コンテみたいなメッセージを注意深く分析すると、分かるんだけど、彼らがここにやって来たのはありのままの原理(それはいかなる状況においても、正しく、役に立たねばならない)を教えるためではないのは明らか ― 目くらまし的な物語でもって僕らを手玉にとり、ゴタゴタに巻き込もうという彼らの魂胆は見え見えだ。常識や、一貫した論理はどこにも無い。だって、これぞまさしくプレアデスの好きなやり方だからだ!!!!これで真相が分かったんじゃないかな?

これでもまだ手掛かりがつかめないのなら、ローラが、表向きは「親切な」カシオペアンズからどんな類の情報を得ているか見てみよう:彼女は「353535」に関するシェイプシフト的な物語を教わって、それを聞いた途端、<頭がおかしくなっちゃったんだ。>シーズがわざとローラの頭がおかしくなるよう仕向けた可能性も考えなくてはならない。それのどこが一体「親切」なんだ????全然親切なんかじゃないよ!!これだけは知っておきたいのは:どんな背景があって、プレアデスは彼らのアドバイスあるいは物語を伝えて来たのか?ということだ。

将来ウェイブがやって来る可能性を自分達自身でも認めているプレアデスが、どうしてウェイブからやって来るのだろう。ウェイブと言えば邪悪な爬虫類人が、地球やその他の宇宙を乗っ取って掌握している場所だ!!そんなリアリティに人々の注意を惹くことで、「将来やって来るウェイブを十分な強さに織り上げる」べく、言わば特別に強化しようというんだろうか!もう分かったかな?僕からのアドバイスだ:チャネリングものは全部捨てなさい。そして、言動が一致している、真に親切な転生して来ているマスターと連絡を取ることだ。見て、感じて、嗅いで、触れることができ、大事な事を忘れてた、信頼できるマスターとだ。だって彼は、どんな状況でも役に立つような、検証可能なありのままの原理を教えているからだ。トッパーを心に留めて、確かめるんだ。そう。だけど、トッパーだけだ。もう分かっただろう。

B
---


これは第3回路に支配されつつ、第2回路の支配下にある人物である!神経言語学理論で「視覚優位」と呼ばれるタイプだ!
http://www.nlp.co.jp/000010.php
目や視覚、あるいは盲目に関係する言葉が優勢であることに注意されたい。第3回路はまた、時間の概念 ― リニアな時間 ― が支配する回路でもあり、彼は可能性や未来について述べる時に恐怖感をはっきり示している。

第3回路はこれから述べるように、思考者であり、意味論的宇宙の創造者で、何事も厳格な白か黒かの観点からカテゴリー化する傾向があり、自らの能力を大いに使いたがる:すなわち、考え、分析し、知らせ、考慮し、教えることだ。このような人は聴覚や、ハードでも物質的でもないものを恐れ、あるいはリニア(直線的)な思考に強力に依拠する。このことは、以下の言葉に示されている。「『353535』に関するシェイプシフト的な物語を聞いた途端、頭がおかしくなっちゃったんだ」これに対する彼の改善策は:「(シーズがわざとローラの頭がおかしくなるよう仕向けた可能性も)考えなくてはならない」である。

第3回路が問題なのは、それがしばしば第2回路に対するダメージによって支配されていることであり、心理学用語で「第2回路ロボット」と呼ばれるものを生み出すことである。脳の機能が良く成長していて、それを支配モードで使いたいと願う。だが、肛門愛期が男根期の成長にかぶっているのは、上の筆者には不断の監視と、メーリングリスト上で罵倒的な言葉を使わないよう求めることが必要な点から明らかである。

実は彼の存在こそが、罵倒的言辞を許さないよう、モデレーターが居ることをメーリングリストの条件とするルールを実施することにした主な理由の1つなのだ。これにはもっと高度な理由もあって、それには高次の回路の要素を育むような環境作りを挙げることができるのだが、それは別の話だ。実際、上の投稿のタイトルは発信された時点では罵倒的なものだったので、グループに転送される前に削除されたぐらいなのだ。そこで私はこれにレスを行った:


---
こんにちわ、eグループ・メンバー。ローラよ:

あなた曰く:
「これでもまだ手掛かりがつかめないのなら、ローラが、表向きは『親切な』カシオペアンズからどんな類の情報を得ているか見てみよう:彼女は『353535』に関するシェイプシフト的な物語を教わって、それを聞いた途端、頭がおかしくなっちゃったんだ。シーズがわざとローラの頭がおかしくなるよう仕向けた可能性も考えなくてはならない。それのどこが一体『親切』なんだ????全然親切なんかじゃないよ!!」

ローラ:
まんまとあなたの手に乗って、そうすべき順番が来る前に、この手掛かりによって分かった事を話したりはしないわよ。確かに口語表現で言うと、あれのせいで私は気が狂いそうになったけど、結果的にそれは機関車に火をくべて、ある目的地に到着させてしまったわ。。。多くの人達が忘れているみたいだけど:『ウェイブ・シリーズ』は時系列的に書かれた作品なのよ。。。「私の気を狂わせた」という風に過去形になってるものは、今、現在時制で私の知識となったことの種なのよ。だから私達はあの物語の場所にはもう居ないわ。

親切かどうかについて。私が持っているのと同じ全ての手掛かりを。。。そしてまた、その手掛かりから得られた証拠を、一度読者に明かした以上は、それを決めるのは読者よ。その結果、1人1人は間違いなく、真の自由意志を持つ立場から ― この密度において可能な程度に ― 何かを実際に行うことになるのよ。だからこそもちろん、今、この議論も生まれて来てるんだわ。

前にも言ったように、私はごく頻繁に、コントロールシステムに関して、そして、日々それがどのように機能しているかに関して、読者が最も確実に洞察を得られるような事について;人々を自由にするのに役立つことについて、書いてるんだけど、そんな時にはどうやら、最も簡単に妨害され、あるいは操作されて迂回路と不和 ― そのせいで私は執筆中の原稿から気を逸らされて、重大な証拠の暴露に向かうよりも、いかにも喫緊の課題らしく偽装された事件を処理することに、時間とエネルギーを向けさせられるんだけど − を作るように仕向けられる人々が、大体同時に活性化させられるようね。

このようなパターンに気付いてるのは私だけじゃないわ。私がどのウェブページを作る前にも、ある程度混沌とした騒ぎが起きてるのよ。もちろん今では、私が下した結論の正しさは、コントロールシステムから、不和と分裂を作り出すように仕向けられる人々の思考と感情が操作される程度によってほぼ確認可能だわ。請け合うけど、私は今、禁制的なテーマについて書いてるところよ。

eグループ・メンバー曰く:
将来ウェイブがやって来る可能性を自分達自身でも認めているプレアデスが、どうしてウェイブからやって来るのだろう。ウェイブと言えば邪悪な爬虫類人が、地球やその他の宇宙を乗っ取って掌握している場所だ!!そんなリアリティに人々の注意を惹くことで、「将来やって来るウェイブを十分な強さに織り上げる」べく、言わば特別に強化しようというんだろうか!

ここからはローラ:
だけどそれじゃあ、マイケル・トッパーの教えと真っ向から矛盾してるわ [彼は、現実の創造に参加しないよう説いてるもの]。あなたが言ってるのは、思考によって「自分達の現実を創造する」ってことよ。思うに、私達は信じることによって、自分達の現実を創造するの。そして、私達が信じる事は、バランスを取るために、私達の思考を往々にして[私達が顕現させたいこととは]正反対の方向に導くのよ。世界が壊れてると信じる人々は、それを修復するために、「愛と光」だけにフォーカスしようとするわ。世界のあらゆる悲惨な面やそしてまた、言いようのない美が存在する現実を、ありのままに見て、ありのままに;完全に受け入れることが出来ない人は、あらゆる問題を経験する結果、捨て鉢になって世界を変えようとするんだわ。だけど一度あなたが、心の奥底から、世界は完璧だと信じて、怖れを手放し、何かを見て、それが望ましくも好ましくも思われなくても、悪いと判定しないならば、あなたの現実は、あなたにとって最も完璧なように変わるのよ。

eグループ・メンバー曰く:
もう分かったかな?

ここからはローラ:
確かに。十分過ぎるくらいにね。メーリングリストのルールには、罵倒的言辞は不可というのがあるの。この投稿のタイトル欄も私が相応しいものに編集しておいたのよ。メーリングリストのルールが罵倒的な言葉の使用に対して適用されるでしょう。

eグループメンバー曰く:
僕からのアドバイスだ:チャネリングものは全部捨てなさい。そして、言動が一致している、真に親切な転生して来ているマスターと連絡を取ることだ。見て、感じて、嗅いで、触れることができ、大事な事を忘れてた、信頼できるマスターとだ。だって彼は、どんな状況でも役に立つような、検証可能なありのままの原理を教えているからだ。トッパーを心に留めて、確かめるんだ。そう。だけど、トッパーだけだ。

ローラ記す:
オーケー、その通りよ。
---


そして彼はメーリングリストから削除された。彼のふざけた態度はメーリングリスト上でもプライベートでも、何度も非難されていた。最後に1点:彼が「チャネリングものは全部捨てなさい」と提案しているのは、彼が、チャネリングについて議論することを前提に結成されたとルールに書かれている、あるメーリングリストには参加していないことを明らかに示していた。

当然ながら、メーリングリストからメンバーを削除するのは楽しいことではなかった。第3回路でワーク出来ることが明らかな人なのだから、なおさらである。しかし、考えるべき別の事態が幾つか起っていた。これらについてこれから見て行く。

このドラマの一部始終は私自身のプログラムに作用していた。真の悟りに達したイニシエートはもはや泣くことが出来ないと言われる。彼らは哀れみを感じるものの、それは宇宙的規模であり、特定の事についてではないのだ。私は未だその域に達していない。私は未だ泣くのだ。そんな時、私がいつも思い出す聖書の中でも一番短い節がある。曰く:「イエスは涙を流された」 (ヨハネによる福音書 / 11章 35節である。数字の11と3-5コードの解釈としてどうだろうか?)イエスはまだ完全にイニシエーションを受けておらず、その後、この星から立ち去ったのである。だから私は、ここに居る限り、泣くだろうと思う。そして、ドラマが別方面での展開を見せた時、私は泣いた。

1通のメッセージがモデレーターの居ないeグループである『カスチャット』で投稿された。私はメンバーではないのだが、そのグループの別のメンバーが個人的に私に転送してくれたのである。これを書いたのは、カシオペアeグループから初めて除名された元メンバーで、除名の理由は、読めば分かるだろう:


---
カスチャットeグループ・メンバー曰く:
カシオペアン文書を読むとさー、シーズがローラに、運について語っているセッションだよ。その節を読んでみなよ。ローラは基本的に、アークが第4密度のノルディックだと言ってるんだ。この男のエゴには笑わせられるよ。彼はあんなにも権力を誇示してるんだぜ。馬鹿げてるよ。アーク、あんたには本当に直に会ってみたいな。あんたがどの程度の男なのか見極めるためにね。あんたはタマ無しの典型的な臆病爬虫類人だ。彼は僕をカシオペア・メーリングリストから除名したんだけど、その理由は僕が、自分の将来について高次の存在から指図されたくないって言ったからなんだぜ。この男を信じられるかい?彼がおそらくはSTO候補だって?どの掲示板でもこんなに心の狭い、検閲的な男にはお目に掛かったことは無いなあ。ローラ、あなたは本気で彼が本当に思いやりのある、物分りのいい男だと言うのかい??カシオペアンズは本当にアーク、あんたを誇りに思ってるに違いないさ。あんたは警告さえ無しで、人々を掲示板から追い出すんだから。本当にあんたが好きな人間、あんたが誰かにポジティブな影響を与えてると思ってる人間なんて居るもんか。 [別のeグループの名前]のみんなはあんたが全くムカつく奴だと思ってるよ。あんたの掲示板の皆が僕にメールを寄越して、僕があんたの掲示板で取り上げたテーマも活躍も素晴らしかったと言ってるのが分かるかな。僕が投稿しなくなったら、あんたの掲示板はいつもすっかり死んでるのに気付かないのか。そんな風に極端に自己中心的だから、そこに自分よりも刺激的な人間が居るのが耐えられなかったんだろ?最近あんたの掲示板で本当に刺激的な会話をしてたから、あんたが僕を追い出そうとしてるのは分かってたさ。どうかローラには、あんたが邪悪な人間だって分かって欲しいもんだ。<<目を醒ませ:彼は退化した連中のエージェントだ>>
---


このメッセージを読んだ読者は、どの回路が支配しているのか見分けられると思う。

さて、この人物はちょっと前から個人的にメールを送って来るようになった人で、私は何時間もかけて彼の質問に辛抱強く答えていた。我ながら誠実に対応したつもりだった。しかしながら、程なく1つの問題が起きた。というのも、既に対処済みのページを彼に知らせたところ、彼はサイト上にあった、これまた既に対処済みの別の記事を持ち出して来たのである。その時の彼の質問の数々は、今回再録した1番目の投稿にあった「問題の捻じ曲げ」現象そっくりで、その筆者は一語一語注意深く読んでいないか、文脈を慎重に考えていないか、単に言われていることが分かっていないかのどれかなのだった。彼女がこうだったと言ってることが、元の内容に見られるものとは違うのである。だから私には、この男性もまた第2回路の発達が相当に滞った人で、ただし彼の負ったトラウマがひどいものだったに違いないことが分かった。私は彼が他の皆と同じく、このプログラムから脱せられるよう、他人とワークする機会がちゃんと得られるようにしたいと思った。というのも、彼は助けを求めていたのであるし、少なくとも私にはそう思えたからだ。私は自分がワークに戻れるよう、彼をeグループに参加させた。いつまで続くか分からないまま、この時までには彼に対して、数日の時間を割いていたのだ。私は彼が直面している問題に取り掛かる必要があったので、ワークを続けて、気を逸らされないようにするしかなかった。

唯一問題だったのは、彼に聴衆ができた途端、奇妙な何かが起こり始めたことだった。彼は沢山のペンネーム、つまりeメールのハンドルを使い出し、どうやら他のいくつかのグループでも活動し始めたらしい。というのも、多くの人々がここかしこで彼の投稿を見付けて、私に転送して来たからだ。私はそれらをファイルだけしておいて、ワークを続けた。

カシオペアeグループのアーカイブを見れば分かるのだが、ついに彼の言動が非常にグループの和を乱すものになってきて、何十人もの人々が個人的に私たちにメールして来て、彼の除名を求めてきた。この結果分かったのが、eグループにおける高次の回路による思考環境を維持するには、モデレーターを置くようにしなくてはならない、そして、その時点で行っていた以上に時間をかけ、注意を払わなくてはならないということだった。

「eグループにこれからはモデレーターを置くことにする」という発表に対しては当然ながら、これは検閲であって、一体どんな魂胆があるんだろうと、非難の声が上がった。検閲しようという意図はなかったのだ。依然としてどんなテーマも自由に議論できたし、eグループを、相互に真実やプログラムを暴き合い、知識と経験をシェアできるよう助け合う場にしようという目的は、当初から変わっていなかった。そしてこの意図に共鳴してくれる人たちの自由意志が何にもまさって重要だったのである。

しかし、メンバーの多くには、彼らのとった感情的な反応こそが彼ら自身の感情のプログラムだということが分からなかった。自由意志というのは、みんなのための自由意志のことであり、他人から自由意志を奪おうとする人間が出て来た場合には、しばしばそのような支配を拒絶することが必要である。このようなケースでは1人か2人の人間が彼らの意志や考えをグループの他のメンバーに対して押し付けたがったり、そう試みたりするものだ。そして、このような支配が拒絶されたとき、自分達が企んでいた当の目的が果たせなくなったからと言って、彼らは私達を咎めるのである。当然ながら、一番大きな叫びは皆の耳に届き、紛れもなくあらゆる捕食者の心のスイッチを入れることになる。

私が人々に分かって欲しいのは他でもない、私達はプログラミングされていて、私達の人生や心、そして運命に対する最大のコントロールの1つとは、私達の感情なのだということである。カシオペアンズもこう言っていた通りだ:「振動レベルに含まれるのは存在と感情の性質であって、知性のそれではない」(※950805)

そして、その後のセッションでもこう言われている:


950902
---
Q: (L) それじゃあ、啓蒙に至る道は知識であって、愛ではないと言うの?

A: その通り。

Q: (L) 感情は誤った方向に導くために利用可能であり、感情が歪められ、惹き起こされるのは、まさしく肉体的、すなわち誤ったプログラミングのせいだというのも正しい?

A: 感情とは制限するものであり、進歩の妨げとなる。第3密度で進歩するには、感情もまた欠かせない。それは自然なことだ。だが、あなたが仮定的な観方を行うのは感情のせいだ。制限を行う感情というものを切り離すようになれば、あなたにとって限りない可能性が開く。すなわち、あなたは次の密度への準備を行うことになるのだ。

Q: (L) 愛はどうなの?

A: それがどうしたのかな?

Q: (L) 愛こそが鍵だ(love is the key)とか、愛こそが答えだ(love is the answer)とか広めている多くの教えがあるわ。彼らに言わせれば、悟りや知識その他もろもろ全てが愛によって達成されるのよ。

A: 問題なのは「愛」という言葉ではなく、その言葉の解釈だ。第3密度の人々は、この問題に恐ろしく混乱する傾向がある。結局のところ、彼らは沢山の事を愛と混同する。実際にあなた方が知っている愛の定義も正しくないからだ。それは必ずしも人が抱く、1つの感情として解釈できるような感覚ではなく、むしろ、以前も言ったように、知識である光の本質が愛なのであり、愛が悟りへと導くというのは工作によって歪められた考え方だ。愛とは光であり、その正体は知識である。あなた方の環境で共通に用いられている定義によるとき、愛は意味を成さない。愛するためには知らなくてはならない。そして、知るとは光を抱くことである。そして、光を抱くとは愛することである。そして、知識を持つとは愛することである。
---


特に次の言葉に注意されたい:感情とは制限するものであり、進歩の妨げとなる。<第3密度で進歩するには、感情もまた欠かせない。それは自然なことだ。>だが、あなたが仮定的な観方を行うのは感情のせいだ。制限を行う感情というものを切り離すようになれば、あなたにとって限りない可能性が開く。すなわち、あなたは次の密度への準備を行うことになるのだ。

さて、ここでは、感情が進歩にとって欠かせないのは自然の必要性なのだということを理解しようとしない人々が見逃さないように、その部分を<>に入れて強調しておいた。感情が悪いものだとか、抱くべきものでないとは誰も言っていない。それらは自然なものであり欠かせない。

しかし肝心なのは、あなたを制限するような感情はあなたの進歩にとって妨げになるということである。このことをじっくり考えて欲しい。それから考えて欲しいのが、仮定的な観方を行う元ともなり、あなたを制限もする、感情というものを切り離す過程についてであり、それができれば、あなたにとって限りない可能性が開くということだ。その結果、私達がeグループを再編成した時に、言いたかったことがおぼろげに見えてくるだろう。

にもかかわらず、皆を満足させるために、全くモデレーターを置かず、私がメンバーになってすら居ない、カスチャットというeグループを私達は作ったのだった。これはウェブサイトで出会った誰もが、連絡を取り合って、レシピの交換だろうが、アークとローラに対する非難だろうが、何だって好きな事ができる場だった。

カスチャットには沢山のメンバーが居て、彼らの大部分はこのような事が行われているのを嗅ぎ付ける名人になっていた。彼らの大部分は、自分達の捕食者の心を冷静かつ客観的に見つめることができた。しかし、中には ― 私自身も含めて ― 時折、一定のトリガーに引っ掛かる人も居る。次に述べる出来事は私の逆鱗に触れたのだった!

上に掲げた投稿にあったのと同じ内容を見て、私の目は釘付けになった:


---
カスチャットのメンバー曰く:
マシュトリオーカ[別のeグループの名前]のみんなはあんたが全くムカつく奴だと思ってるよ。あんたの掲示板の皆が僕にメールを寄越して、僕があんたの掲示板で取り上げたテーマも活躍も素晴らしかったと言ってるのが分かるかな。僕が投稿しなくなったら、あんたの掲示板はいつもすっかり死んでるのに気付かないのか。
---


この別のeグループというのが何かは分からなかった。もちろんトリガーとなったのは、夫に対する攻撃であるということだった。殆ど留まるところを知らない嫌がらせに耐えることを学んでいたため、私の中での反応は実に穏やかではあったものの、「マシュトリオーカのみんなはあんたが全くムカつく奴だと思ってるよ」という発言の意図は何なのか知りたかった。私の夫がムカつくと思っている、この人々は誰なんだろう?

私は見てみることにした。

アークはいい考えではないと言っていた。彼は私が未だ泣いていることを、誰よりも知っていたからだ。しかし私はやると言って聞かなかった。私、もう大人だから、大丈夫よ。かかって来なさい!

いい度胸ね。

私達はこのグループに参加した。カシオペアンズの言葉が直接引用されていて、素敵なメインページだった。出所が書かれてなかったが、それはOKだった。いずれにしても、文書をただで手放すのが私の一般的な態度だったので、さして驚くには当らない。それから私は投稿をいくつか読み始めた。すると、深い所にある幼児期のプログラムが起動したのである。「裏切り」という名のプログラムだった。

爆弾が爆発した。

投稿を幾つか読んだところで、もう読めなくなってしまった。名前のリストをざっと見たのだが、そこには私の友人の名前も幾つかあった。彼らは途方もないダマシと裏切りに加担しているのだと思わざるを得なかった。ある事を私に対して、カシオペアeグループで書いておきながら、別のこちらのグループでは私にとって最も忌まわしい行い ― 裏切りとダマシ ― に従事していたのだ。これこそSTSのエッセンスである。

そして、一瞬、今では彼らの正体と行いを私が知っているのだと、彼ら全員に知らせたいと思った。私は最も暴露的な投稿の1つを、カシオペアeグループに転送した。知識が守るのだ、そうだろう?だがこれは、実際には私の中の第1および第2回路を幾分組み合わせて活性化する結果となった。脅威を避けるだけでなく、私はそれを追い払おうとしたのである!

私の中で、これらの回路のスイッチが入ったのだ。ただ1つ特別なのは、何が起っているのか私には分かっているということだった。神経ペプチドが脳の中枢からほとばしり出て、私の神経系に溢れ、身体じゅうの受容体と結合するのが感じられた。このような目に遭ったことがある人なら、私の言っていることが分かるだろう。

違うのは;これが科学反応だと私が知っているということだ。私はこれが現在経験している事を深い所にある過去の何かに結び付ける、回路活性化の結果 ― 幼児体験への反応 ― だということを知っているのだ。私はこの反応が脳内でコード化され、1つのトリガーによって分泌される化学物質だということを知っているのである。

もしあなたが、幼児期に青い色をした部屋でネガティブな体験をしていると、あなたは青色に対してネガティブに反応するようにプログラミングされ、青い部屋に居るときにはいつでも、あなたの脳は、幼児期の体験の際に分泌されていたのとまさに同じ神経ペプチドを分泌するのである。あなたはどうして恐怖やパニックあるいは悲しさ等々を感じ、ネガティブさを味わうのか分からず、部屋の中で何か他の事が起りつつあるか、あるいは、誰かと話しているせいだとばかり思い、幼児期に青い部屋の中でネガティブな体験をした記憶がトリガーになっているとは気付かないのである。あなたの心は、ありとあらゆるもののせいにすることで、この気持ちを説明しようとするだろう。というのも、部屋の色が原因だという考えがあまりに非論理的だからだ。

きっとおそらく、あなたは青を避けるだろう。あなたはそれが好きではないのだが、それがあなたの感情や経験をコントロールしているとは決して認めないだろう。それは好みとして正当化されるのだ。理由など無く、単にそうなのだと。私達の生命現象の中には、自分自身だと思っているけれど実はそうでは無いものが多くある。それらはプログラムなのだ。

あなたが小さな赤ん坊だった時に、青い野球帽をかぶった誰かと、とてもポジティブな経験をしたとしよう。あなたが大きくなってから、青い野球帽をかぶった誰かに会う。あなたの体内には幼児期に楽しい経験をした際に分泌されたのと同じ神経ペプチドが溢れ出し、あなたはきっとこの人物がとても気に入るだろう。蓋を開けてみれば彼が、これまで会った中でも最悪の敵であったとしてもお構いなしだ。どうしてあなたにひどい事をするのか、彼が理由を説明している時も、彼が青い野球帽をかぶっていれば、あなたは彼の言うことを信じてしまう。というのも、帽子に反応して、同じ神経ペプチドが溢れ出すからで、あなたは、どうして本件を許し忘れるべきなのか、心の中で正当化の理由を考えるだろう。たとえ彼が今帽子をかぶっていなくても、帽子をかぶった彼に出会ったという事実は既に原体験と突き合わせる回路を形成済みである。それは増強されて行く。

このような理由から、人は最も危険な人間と恋に落ち結婚する。多分彼は、幼児期に楽しい経験を味あわせてくれた誰かと同じ、鼻か目、あるいは髪をしているのである。このような特徴が、記憶の実体である神経ペプチドのトリガーとなってこれを体内に溢れさせ、するとほら!あなたは恋に落ちるのだ。

この人物の本性が思慮分別の無い無骨者だと分かってもお構いなしである。彼と口論になるたびに、同じ信号が送られて、それが楽しみの神経ペプチドをもたらす結果、あなたの脳は許すことを正当化するのである。それが気持ちいいならば、どうして悪い筈があろうか?どうして彼が嘘をつくだろうか?私はこんなに愛を感じ、彼が正しいと思うのに!

これの一番面白い所は、神経ペプチド受容体とは身体じゅうに見られるもので、あなたが喜びを全身で感じるということだ!実際にあなたは、それが神経系の中を急流のように溢れて行くのを感じることができる。しかし請け合うが、それは化学物質である。高次の感情とは何ら関係ないのだ。そして客観的現実とも断じて関係ない。あなたの刷り込みは世界に関するあなたの主観的な観方を作りだし、それを操作するのである。このようにして私達はウィッシュフルシンキングの中で生きて行くのだ。

神経ペプチド受容体はまた、内臓(gut)の中にも密集している。私達は幼児期の刷り込み段階に仕掛けられたプログラムに従って、虫の知らせ(gut reactions)を感じるのだ。それは現時点における、実際の状況とは関係ない。それは喜びあるいはトラウマという神経ペプチドのスイッチを入れる、例のプログラムや特定の合図に対する反応とは切り離して考えることができない。受容体はまた、背骨に沿って密集して並んでいる。良性のソースからであろうが無かろうが、適当な合図があると、背筋がゾッとするような「クンダリニーの上昇」として感じることもある。これは本当のイニシエーションの際にも起こるのだが、その場合の活性化は、違うセンターからの別の化学物質によって起こる。

心と魂にとって、最も愛すべき理想の伴侶も、幼児期にあなたを傷つけた誰かの鼻や髪、衣服、あるいは他の何かとして刷り込まれたものと同じならば、拒絶されることになる。あなたの生涯に最も恐ろしい虐待と悲劇をもたらす人物が、偶然にもあなたの喜びの神経ペプチドを分泌するための正しいトリガーの全てを持っているなら、それらは生涯続くだろう。

そしてこのような化学物質がいかに強力であり、それらによるコントロールがいかに強力であるかに関する研究を読むまで、あなたは自分が立ち向かっている相手について全く分からずじまいなのだ。あなたは繰り返し再現する証拠を目の当たりにする結果、これこそ「本当の私の高次の理解だ」とか、「それは真の愛であり、これはルールに対する例外だ」とか、「私は高次の心と接触した」とか言って、いつまで経っても正当化を止めないだろう。

もちろんこのような行為は、諸々の回路が出来上がる幼児期に神経ペプチドを分泌させた、苦痛な、あるいは愉快な経験と共に、文化的プログラミングや宗教的プログラミング、そしてあらゆる嘘や偏見がもたらされることで、強化されるのである。真に証拠を客観的に評価した結果、プログラムに逆らうこと、すなわち、感じるのとは反対のことをするのはまさに、クスリを止める経験のようなものだ。禁断症状においては、人は必要とする神経ペプチドを手に入れるためなら殆どどんなことでも行う。そういう訳で、本当に多くの人々が、虐待するパートナーの元に、繰り返し戻って行くのである。そのような人物は、脳と身体の快楽中枢と結び付く神経ペプチドのトリガーとなるような何かを持っているのだ。

私たちは体内麻薬の中毒に罹っている。

だから私には何が起っているのか分かっていた。

だからプログラムにスイッチが入った、こうした人物が、私や他の人々を歪んだ感情のブラックホールへと吸い込むのだと気付いた私は、感情が思考を仕切っていると分かったときに行うべき唯一の事とは、やりたい事とは正反対の事を行うことなのだと理解したのである。プログラムに逆らう事だ。私のプログラムとは、穴の中に這い込んで、二度と出て来ないというものだった。人々が全く誤解して、ああも残酷になれるとは信じられなかったのである。

私の第1回路は、安逸の中に引き下がりたがった。だが、この人々が残酷でないとすると、彼らは単にプログラミングされていただけなのである。傷つき裏切られたという感情のせいで、私は何もかも止めてしまいたいと思った。私の幸福に対する1つの大きな脅威だった、35年続けた仕事と、全人類を仲間だと思う活動に終止符を打ちたかった。私は他人を裁こうとしていた。捕食者が私の内臓の神経ペプチドに、冷たい鉛の塊のように、「どさりと」着地した。私は友人の何人かにメールを出したが、この時点では幾分疑わしい人々でもあった。そこにはこう書かれていた:


---
彼らが書いた投稿の幾つかにザッと目を通したんだけど ― 吐き気がするくらいの量はね −、圧倒的な孤立感に襲われたわ。どんな理由であれ「公人」となった人々が、最後は完全に孤立しがちである訳が、私にも分かったのよ。

私がウェブサイトを始めた時は当然ながら、それは単なる好意から行う仕事で − 与えねばならないものだった。そしてeグループは歩行可能な負傷者達が私に助けを求めたり、孤独感から安らぎを得るために投稿して来る場だったわ。メーリングリストの誰もが、このような境遇の出身なのよ。ナイーブにも私は、ただ単に書いて全てを明らかにしてしまえば、気に入った内容を見付けた人はそれを礼儀正しく受け取り、気に入らなかった人は同じくらい礼儀正しく異議を唱えるだけだと思っていたのよ。

私は日々人々から受け取る、何百という膨大な数の ― 実際、千の単位になろうとしてる ― 質問に答えようと奮闘してるわ。これは自分で答えを持っていると思うからではなくて、応用すれば何にでもきくと思われる、ある事が確かに分かったからやってるのよ。時計がどうやって動いているのか本当に分解してみようという人は他には居ないようなのでね。万事遅れを出さずにやって行こうとして、10時間から16時間ワークすることもしばしばよ。何のためかしら?あんな戯言が欲しいから?私の友人のフリをしたり、少なくともグループでの立ち位置とは違う風を装っている人々からの?

人々が本当にプログラムから目を醒まし始め ― お互い自由かつオープンかつ誠実に与えるという考えに共鳴して行動するという、私のナイーブな考えは死んでしまったわ。書き続ける意味が見い出せない。eグループを続ける意味が見い出せない。何事にも意味が見い出せなくなった。頭を軽く叩いて「いい子ね、ローラ!あなたのせいで助かったわ!」と言われても、事態が大して違ってくるとは思えなくなったの。実のところ、もう誰も信じられそうにないのよ。
---


一連の出来事を見ればもちろん、この状態が罠であるのは明らかだった。この時活性化していた原理こそ、まさに私が暴こうとしていたものであり、丁度1人の人を、もう1人の感情のトリガーとなるようなタイミングで起動させ、第2の人の感情が起動して、彼を手榴弾のように爆発させ、私が罠に掛かって、それより前の時点になされた投稿を読み、それが私の生理機構の中の爆弾を爆発させるなどという事は、巧妙に仕組まれたのでなければ、起こる筈がなかった。

私が自分の感情を征服するまでには数時間掛かったが、私が冷静な状態になるまで、夫のアークは私の行動に対してアドバイスしてくれたのだった。彼がそうしてくれて良かった。でなければ、こんにち、カシオペア・ウェブサイトやフォーラムは無かっただろう。私はコンピューターを消して、本の山のてっぺんにあった『ジーレイター』を読むことにした。

翌朝までには、私は書き続けることを決めた。というのも、『ザ・ウェイブ』シリーズが始まってからというもの、これを止めさせることこそが、コントロールシステムにとっての目標だったと分かったからである。あいにく、私のコンピューターは起動しなくなっていた。

驚くには当らない。私はこのコンピューターをダメにするよりも、もっと少いエネルギーで、もっと大きなヤツをオシャカにしたことがあるのだ。

技術的な詳細に立ち入らなくても、2日間故障個所を調べた結果、新しいコンピューターを買うのがベストな解決だと分かったと言えば十分だろう。新しくコンピューターを購入して、前のコンピューターから全てのファイルを取り出して新しい方に移し、プログラムを全てインストールするのに、もう2日掛かった。全部で4日あった間、アークのコンピューターから出来る範囲でサイトを管理したり、家事や子供達の用事に没頭したりしながら、私は断続的に『ジーレイター』を読んでいた。

その結果私は、この本にのめり込んで行くことになるのだ。


(本章終わり)
posted by たカシー at 14:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。