2013年08月18日

ザ・ウェイブ 第70章:君は高い道を行き、僕は低い道を行く。一足先にスコットランドの土とならん!

http://cassiopaea.org/2012/03/27/the-wave-chapter-70-you-take-the-high-road-and-ill-take-the-low-road-and-ill-be-in-scotland-afore-ye/
ザ・ウェイブ 第70章:君は高い道を行き、僕は低い道を行く。一足先にスコットランドの土とならん!
http://www.worldfolksong.com/songbook/scotland/loch-lomond.html


耽溺。

私は、私たちが体内麻薬の中毒に罹っていると述べた。きっとこの言葉を読んだ人々の殆どは、そんなことはない!と確信しているに違いない。もしあなたが、食事や、心と身体の衛生を害するような習慣に気を付けているならなおさらだろう。

しかし繰り返そう:私たちは体内麻薬の中毒に罹っているのだ。そればかりか、私たちは自分の抱く感情の中毒にもなっている。不思議な事に、この考え方に最も激しく抵抗する人々は、自分がアル中ではないと強硬に断言するアル中患者にそっくりなのである。

アルコール。
(※『いじわるな遺伝子―SEX、お金、食べ物の誘惑に勝てないわけ』 テリー・バーナム、ジェイ・フェラン著、森内 薫訳72ページ)

それはいつでもどこでも手に入る。そのおかげで現在アメリカ国内で数千万人が、アルコール中毒を患い、仕事の業績不振から肝機能障害、配偶者や子供への虐待といった弊害に苦しみ、ついには完全に社会性の概念と自制心が機能停止して、おなじみのホームレスにまで身を落とし、日々のモーゲン・デヴィッド20/20や、更にはスターノ(◆缶入りの固形燃料)までも探し求めることと相成るのだ。アルコールだけでこれである。他のドラッグについては、退屈で無意味だろうから、統計数字を挙げ尽くす気もない。お分かりだろう。

アルコールやその他のドラッグが、私たちというシステムの中で効き目を表すのは、これらが体内に取り込まれるからである。これらは合成リガンドであり、私たちの受容体と結合することによって、様々な効果を生み出す。私たちが検討したいのは、このような特別な効果の本質についてである。

排卵期にあるメスのイノシシが、オスの唾液からとりだしたフェロモンに曝されると、その匂いは嗅神経を通って真っ直ぐ扁桃体へと向かいその刺激が神経伝達物質を分泌させ、この結果彼女は、たちまち全身をぴくぴくさせ、足を広げた交尾の姿勢をとることになる。当然ながら、この事実のせいで、人間男性用のフェロモン入りコロンが数多く売り出され、人間の女性に同様の効果を期待することとなった。(惜しかったわね、男性諸君。)

ネズミを、食べ物にもコカインにも無制限に手を伸ばせる檻の中に入れたら、ネズミはコカインばかりをがつがつと口にし、食べ物のことはすっかり忘れてしまう。そしてあっというまに餓死してしまうのだ。食べ物は有り余るほどなのにだ。もちろん、これから連想されるのは、朝食代わりにジンを、昼食としてバーボンを、夕食にはブランデーをあおる結果、ついには、深刻な栄養失調になって病院行きとなるアル中患者のことである。

カフェインはあらゆるドラッグの中でも最も頻繁に用いられるものである。J・S・バッハは1732年の作品『コーヒー・カンタータ』の中で、こう書いている。「ああ!コーヒーの味わいのなんと甘きかな。千のくちづけよりもさらに愛しく、マスカットワインよりもさらに甘く!」それから2百年後、映画『愛と哀しみの果て』の原作となる自叙伝『アフリカの日々』を書いた作家のアイザック・ディネーセンは、「魂にとっての神の言葉、それは肉体にとってのコーヒーである」と記した。

カフェインはほとんどすべての種の動物に対して絶大な影響力を発揮するのだ。どんなネズミも教えれば最終的には、迷路をちゃんと走り抜けられるようになるが、のみこみの速さは個体により差がある。けれどもすべてのラットに共通しているのは、レッスンがはじまる前にカフェインでできた強壮剤を飲ませておくと、みな正しい道をより早く理解するばかりか、よりしっかりとそれを記憶できるということだ。自転車競技の選手はこうしたカフェインの効用を痛感してきた。彼らは、レースの1時間前にカフェインを飲んでおくと、ふつうより20%も長くペダルを漕いでいられることに気がついたのだ。厳しい練習も本番も関係ないほど無我夢中になるせいか、選手によってはレースの前にカフェインの座薬を入れ、即効性の活を入れるという。

カフェイン摂取後は、精子さえもがしびれるようだ。それらはいつもより速いスピードで、体を元気に振りながら泳ぎ、受精卵に命中する能力も高まる。

さて、まずはカフェインについて、それがどのようにして効き目を表わすのか見てみよう。

ニューロンが情報を処理するたび、細胞からはゴミが出る。ゴミの山のひとつがアデノシン分子だ。アデノシンはアデノシン受容体と結合するレガンドで、この結果細胞深くまで、もう寝る時間だというメッセージが送られる。日中、目覚めているあいだ脳活動の副産物であるアデノシンの生成はつづき、それにつれて受容体はつぎつぎふさがれていき、ますます多くの細胞に就寝のメッセージが送られる。そうしてだんだん脳細胞の活動は停滞していき、ついには、もう眠らずには居られなくなる。私たちは文字通り、意識を保って居られない。あくびをしながら涙を流して目を閉じようとする。明かりを消し、丸まって横になりたい。

それで私たちはエスプレッソ・コーヒーを1杯飲むのだ。カフェイン分子は偶然ながらアデノシンとよく似た形状をしていて、アデノシン受容体にするりとはまり込んでしまうのだ。ひとたび受容体におさまったカフェインはそのままそこに座を占め、アデノシンが眠りのメッセージを送るのを阻む。どうやらカフェインは違うメッセージを送るか、あるいは少なくとも、眠りのメッセージが送られるのを阻むらしい。カフェインは眠りのシグナルを妨げるのである。

これは、化学物質がどれほどドラマチックに脳に影響を与えるかというほんの一例である。

既に述べたように、自分で刺激を加えられるよう脳に電極を埋め込まれたネズミは、疲れ果てるまでボタンを押し続ける。続くいくつかの実験によって明らかになった事がある。たとえば迷路の抜け方をマスターしたとき、ほうびとして電流を流してやるようにすると、ネズミはごほうびほしさから熱心に課題に取り組み、目標を達成してしまうということだ。ほうびが与えられるかぎりネズミは課題に挑戦しつづけ、人間なら早々に降参してしまいそうな複雑な迷路を掌握するまでになる。

ネズミが学習そのものを愛しているわけではむろんない。ご存知のように、同じネズミを、自分で好きに脳に刺激を送れるような環境に置くと、彼らは迷路のことなどすっかり忘れてしまう。食事や仲間、そのほかのこともまるで眼中になくなったこれらのネズミたちは、見境なくエクスタシーを求め、へたり込むまでボタンを押し続けるのだ。

さて、人間の場合も他の生き物と同じであり、オーガズムとして味わう感覚をもたらすのは、ネズミの時と同じ化学物質が、彼らを幸福にしたのと同じ脳内の領域を刺激する結果である。科学者の中には、これを「ドゥー・イット・アゲイン(気持ちがいいからもう1度)」センターという専門用語で呼ぶ者も居る。(『いじわるな遺伝子―SEX、お金、食べ物の誘惑に勝てないわけ』 テリー・バーナム、ジェイ・フェラン著、森内 薫訳77ページ参照。)この中枢が刺激されると、これと関連付けられたことならどんな行動であろうと、何度も反復して追求するからである。

どうやら私たちの身体じゅうに、大量の「ドゥー・イット・アゲイン」物質と、これと結合する沢山の「ドゥー・イット・アゲイン」受容体の場があるようなのである。人によっては、ある種の食べ物がこのように働く。ある人々は、ある種の競争でライバルに勝利したときに、幸福感を感じる。一番分かりやすいセックスの例を別としても、これらは「ドゥー・イット・アゲイン」物質の分泌を促すような例である。

こんな風な快楽のシステムをつくることによって私たちは、自分達のためになるものも、ならないものも含む、数多くの行動を追求するよう操作されるほうびのシステムを築き上げた;これらの殆どの基礎となったのは ― 何だと思われるだろうか ― 幼児期の刷り込みである。しかも一般に私たちはこのことに気付いていない;ある行為が私たちに快感を与え、私たちはその行為をふたたび繰り返したいと思うだけだ。私たちは幼児や小児の頃から、こうしたほうびを得ており、ほうびを得るために絶えずプログラミングされた振る舞いを追求しているのである。私たちの幼少時代のプログラミングが、私たちの本質についての真の表現を完全にブロックするような行為のためであろうと、それらがおとぎ話や非現実的な人生理解に基づくものであろうとお構いなしだ。

さて、ドラッグはこのようなセンターを短絡させる。ドラッグの作用の仕方は興味深いものだが、ここではそれらを身体自体の作り分泌する化学物質について理解する手掛かりとして見て行きたい。快感を引き起こす薬物を摂取すると、人間の脳は正しい手順で放出された神経伝達物質が脳内に溢れているかのように錯覚してしまう。脳は私たちが、たとえば食べ物を見付けたとか、暖をとれるものを発見したとかいった、何かすばらしいことを成し遂げたと思っているが、じっさいの私たちは、ドヤ街にしゃがみ込んでヘロインの皮下注射器を握りしめているだけだったりするのである。脳内の快楽センターが理解するのは、幸福感を誘う一連の正しい化学信号がその場にあふれているという事実だけなのだ。最初にそれを試した時の背景や、そこに至るプロセスといった全ての外的要因が、ゾッとするほど嫌なものであろうと構わない。一度そのほうびを受け取ったら、それが嫌な事であれ、明らかに自分にダメージを与える恥ずべき行為であれ何ら問題なく、得ようとしているほうびのためには望ましい事だと信じ込むのである。

さて、これを現実的な観点から見てみよう。心理学者のバーバラ・デアンジェリスは、著書『「好きな人」に愛される人、愛されない人』で、こう述べている:


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(33ページ)
恋に落ちるのは、まるで魔法にでもかかったような強烈な体験だ。はじめのうちは、会話の一言ひとこと、キスの1つひとつ、2人で過ごす一瞬一瞬がとてもすばらしく、完璧なものに思える。ところがこうした夢のような時間はすぐに去り、2人は「日常的な関係」に落ち着き、現実と対面することになる。そして、2か月、3か月と過ぎていくうちに、いつしかこんな疑問を自分に投げかけるようになるのだ − 「本当にこの人でいいの?」と。。。

私自身、最近になるまで、相手とのつきあい方はおろか、自分に合った相手かどうかさえ深く考えることなく、やみくもに恋をしてきた。何気なく出会った相手にどこか魅力的なところがあれば、それだけでつき合い始めていたのだ。ところが、「彼こそ私にぴったりの人」と思っていたにもかかわらず、結局はうまくいかなくなり、私はそのたびに、いったい何が悪かったのかと思い悩んだ。

さんざん傷ついた果てに、私は否が応でもある悲しい現実に気づかされた − 「いくら幸せになりたいと願っても、私はいつも自分にふさわしくない相手を選んでしまう。では、間違った相手と恋に落ち、間違った方法で愛してしまうのはなぜだろう?」
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加藤諦三訳、33ページ。(※以下、省略部分を適宜補訳します。)


あなたは交際相手に関して以下のように思ったり言ったりしたことはないだろうか?


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「なんて見る目がなかったんだろう。彼が本当はどんな人間なのか気づかなかったなんて」

「今回はきっとうまく行くと思ったのに。どこで間違えたのだろう?」

「最初に会った彼は素晴らしい男性だった。どうして彼が、耐えられない様な男に変わってしまったのか、私には分からない」

「彼とはものの感じ方が違うって、最初からうすうすわかっていた。なのに気づかないふりをして、そのうちうまくいくと自分に思い込ませていたんだ」

「互いに愛し合っていたのに、2人の意見が一致することはなく、口論ばかりしていた」

「彼は確かに、これまで付き合ってきた男性と違っていた。でも2年もすると、またしても同じタイプの男性を選んでしまったことが分かった!どうして私はこうも時間をムダにしてしまうのだろう?」

「あの頃、彼女を本当に愛していると思ったものだ。だが実際には、彼女と付き合っているなんて誰にも言えなかった。というのも、あんな女と付き合っていると認めるのが、恥ずかしく思えてきたからだ。

「彼は全てが完璧だと思った;彼となら幸せな筈だと自分に言い聞かせてきたけど、相性が合わなかった」
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このような状況が発生するのは、私たちが子供の頃に教わったおとぎ話のせいである。私たちが自分の本当の感覚に対して嘘をつくようになったのは、そんな感覚を抑えてルールに従わないとほうびは手に入らないと言われ、例を示されてきたせいなのだ。デアンジェリス博士は続けて述べる:


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多くの人々に、どうして今の、あるいはかつての相手と恋に落ちたのか聞いてみれば、こんな答えが返ってくるだろう:

「キャシーとは、僕が通っていたジムで出会ったんだ。彼女はエアロビクス・クラスに大変な熱の入れようで、伝わってくるエネルギーにマジで惹かれたんだよ」

キャシーのボーイフレンドがみんな口を揃えて言うのは、彼女の身体にエネルギーが満ち溢れているということだ。 [彼は、彼が属する社会-文化システムによって、身体のエネルギーとは実に素晴らしいものであり、育む甲斐があるとプログラミングされている。だから、身体にエネルギーが溢れている人が「愛らしい」のである。彼はまた子供時代に、身体がエネルギーに満ち溢れている誰かと、とても有意義な体験をしたことがあり、その女性から愛されていると常に感じていた]

「ドナは僕の従姉妹の結婚式で付添い人だった。肩ひもの無いピンクのドレスを着た彼女はとても綺麗だった。僕が彼女に恋するだろうことはその場で分かった」

ドナのボーイフレンドがみんな口を揃えて言うのは、彼女にはピンクのレース飾りが似合うということだ。 [彼の扁桃体の中で、ピンク色は好印象という関係が形成されているのかも知れない]

「ジョー・アンと僕は、子供の頃から互いに気心の知れた仲だった。僕らが大きくなったら結婚するだろうと、みんな言ってたので、僕はそれを疑ったことさえなかった。当然そうすべきなのだという気がした」

ジョー・アンの夫君の友達も家族も、彼は理屈抜きで彼女が好きなのだと考え、彼はそれに影響されてきた。 [彼の人生においては、「家族への服従」について、ポジティブな強化が行われてきたと考えられる。逆に、「自己主張」については、非常にネガティブな強化が行われてきたのだろう]

「アレックスと私は、うちの事務所内で同じプロジェクトの担当になったの。問題解決に優れていて、とても創造的な彼の様子を目の当たりにした私は、そんな彼に惹かれたわ」

アレックスのガールフレンドは彼の仕事上のスキルに魅了されたが、彼の感情的なスキルについては全く分からなかった。 [彼女の子供時代の家庭環境では、問題解決における創造性が褒め称えられてきたのかも知れない。彼女にはまた、高度な創造性を持った「問題解決者」である男性の役割モデルが身近に居たため、彼らから常々そうした行いを褒められていたのだろう。このため、彼女はこのようなスキルが愛に関係あると思うのだ]

「私はずっと音楽が大好きだったので、友人の家でフランクが弾くギターを聞いた時、この人こそ私にぴったりだと思ったわ」

フランクのパートナーは彼の音楽に魅せられてしまった。彼女は彼について何も知らぬまま、全てのギタリスト同様、フランクもロマンチックな性格だと決めてかかった。 [彼女はどうしてそう思ったのだろうか?彼女の扁桃体がそのようにプログラミングされていたからである]

「痛いヤツだと思われるかもしれないけど、私は常に、背が高くて黒髪で口髭のある男性に憧れてきたの。デニスはまさにそんな男性で、他の事なんてどうでも良かったわ」

デニスのガールフレンドは彼のルックスが好きなのだ。彼女は幻想に取り憑かれているのだが、相手の内面については何も知らない。 [だが、彼女はどこでこんな幻想を手に入れたのだろうか?プログラムである]

この人々は誰も自分が間違った判断を行ったとは思っていない。彼等はみなパートナーに関して、自分が知的で賢明な選択をしたと心から信じているのだ。しかし驚くべきことに真実はと言えば、彼らの多くは、1か月、6ヶ月、6年と経つうち、愛する相手を間違えたことに気づくのである。

殆どの人々は、クルマやビデオプレーヤーを買うときでさえ、どの相手と付き合うか決める以上の時間と手間をかけているだろう。
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デアンジェリス博士が書いているように、「愛の神話を信じるために、私たちは知的な愛の選択ができなくなってしまう。。。意識的であれ、無意識のうちであれ、私たちはこのような愛の神話に基いて交際相手を決めているのだ」 例えば:


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(38ページ)
「愛していれば( )など問題にならない」
空欄をうめてみよう。

・彼が酒浸りであること
・セックスがうまくいかないこと
・彼女が始終僕を批評していていること
・子育てについて、2人がしょっちゅう言い争っていること
・彼が厳格なカトリック教徒で、私がユダヤ教徒であること
・彼女が僕に性的魅力を感じていないこと
・彼が無職で、かれこれ2年も働いていないこと
・彼女がひどく短気で、しょっちゅう怒っていること
・彼女が他の女性たちと常にイチャイチャしていること
・僕が彼女の子供達とうまくいかないこと
・彼が本当の気持ちをなかなか言ってくれないこと
・彼の家族に私が受け入れられていないこと
・私は子供が欲しいのに、彼は欲しくないこと
・彼が別れた恋人をまだ忘れられないでいること
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あなたの恋愛関係が単なるプログラムの実行結果かどうか見分ける1つの方法は、どうすれば本当に恋していることを自分自身に証明できるだろうかと考えることである。最初のうちは相性がバッチリなのだと力説し、その後も常に最初のような仲を取り戻そうとしてきたのだが、交際の残りの期間は付き合う理由が考えつかなかったのでは?

あなたは、恋の炎はとっくに消えてしまったけれど、パートナーとセックスし続けることを正当化するために、相手を愛しているのだと自分を納得させていないだろうか?逆に言えば、仲良くできる唯一の場所がベッドの中だけという関係ではないだろうか?

愛の神話を信じている限り、実は一緒にやって行けない人々と関係を結ぶことが避けられないものだ。絶えず虚しさが募り、欲求は何ら満たされることが無い。他方、たとえそんな相手のニーズを満たそうとしても、それは彼らに自分の欲求を満たさせようとする努力であって、相手との関係は清算する以外にないことは分かり切っているのである。

それから私たちは次なる愛の神話問題に逢着する;必要以上に長く関係を続け、冷え切った仲であることが今やはっきりしているパートナーと別れるのに苦労するのは、別れるのが良くないと分かっているからだ。私たちがそうするのは、そう教わったからなのである。私たちは子供の頃に、手本を示されてきた;根気強い者はほうびが貰えるのであり、約束は約束であって、いかに代償が大きくても、約束を守ればほうびがもらえる一方、約束を破る結果は恐ろしいことになるのだ。社会的・文化的信念による家族の圧力がここで強力に作用し始め、私たちの欲望や欲求は、他者のそれのために常に犠牲にしなければならないと信じ込まされる。私たちは善き人間であるため、そしてほうびを得るために、悩み苦しまねばならないのである。私たちはディケンズのオリバーのように「もう少し下さい」と言い続ける人生を送るのだ。そして、私たちがもう少し欲しいのはどうしてかと言えば、コントロールシステムの上位層である第4密度STSのための食料となるべく、飢え、渇き、苦難に遭うように操作されているからである。

さて、理論家が予告した通りのドラマが繰り広げられている実生活の場面に目を転じてみよう。先日私は、読者からのメールを受け取ったのだが、そこに書かれていたのは、彼女の苦難の歳月だった;恐ろしい子供時代、夫婦の不幸、自殺願望等々が綴られていたのである。彼女によれば、彼女の父親は、「とても聡明で見事に他人を操る人間で、心のエネルギーに恵まれ、大変な『貫禄』の持ち主であり」、彼女の母親は「美しく、賢いのだが、不幸せで ― 私と同様に ― 父を恐れており、やがてお酒を飲むようになった」

彼女は最初の結婚、出産、育児、離婚、そして、健康上の問題が嵩じてきたことについて述べている。そしてついに現在の夫君と出会うのだが、彼は、「私と子供達とを喜んで受け入れてくれる初めての人だったの。私は彼と『恋に落ち』はしなかったけど、魅力的だと思ったわ。愛は後からついて来ると思ったのよ。。。やがて私たちの間にも2人の子どもが生まれたわ」

彼女の以下の言葉は、彼女が自分の父親のことを、「とても聡明で見事に他人を操る人間で、心のエネルギーに恵まれ、大変な『貫禄』の持ち主であり。。。」と述べていることを考えると、殊の外多くのことを語っている。

彼女は書いている:


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主人もまた、強い直観と霊感の持ち主よ。。。主人と私は殆ど最初から口論が絶えず、それがどんどんひどくなって行ったの。30年の結婚生活で、いがみ合い怒鳴り声をあげない日はなかった。私達2人の生活は混沌としていて、引っ越してばかり。私の人生には一貫した流れというものは無かったけど、彼には大した影響はなかったみたい。彼は旅行好きで、私も最初はそうだった。今では何も感じない。私のこれまでの不幸については武勇伝が書けるわ。私はいつもそれをコメディーに変えてきたけど、その下では1つの人生が虚しく過ぎて行ったのよ。私の人生がね。
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しかし注意したいのは:彼女は夫君のことをサイキックだと言っているけれども、これは彼女の父によってプログラミングされた刷り込みを反映したものであり、彼女が探し求めているのは明らかに父の姿であるということだ。というのも、彼女は彼を愛してなどいないのに彼女と子供達とを受け入れてくれたという理由で彼と結婚したからであり、彼には父親のような重厚さがあるとも人を見事に操る能力があるとも言っていないからだ。彼女は父親のような人物と結婚しないよう、意識的に努力した。だが、そうしてしまった。そればかりか、彼女は自分の母親のようにもなった。いや、彼女は夫君を、彼女の父親のようにあからさまには恐れていないが、結果は全く同じである。これは貧しさによる無意識の操作の1形態であると言ってもいいだろう。それは以下の言葉から明らかである:


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奇妙なことに彼は一度、彼に「不幸」をもたらしたのは私だろうかと訝ったことがあるの。私たちの人生は選択間違い、決定ミス、金銭的破綻の果てしない連続だったからよ。長年の友人たちでさえ謎だと言って首をかしげるわ。
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この夫君が他人を操ると言っても、どうやら彼女の父親よりはずっとましなようだ ― これは専ら、彼が操作を行っていることに気付いてさえいないのが理由と思われるからだ。操られていることの最も明らかな手掛かりの1つは、罪の意識を感じることである。


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私は罪の意識でへとへとなの。結婚してからの年月、一番感じていたのはこの気持ちなのよ。想像もできないことに対する罪ね。他人を幸せにできないことかしら?だけど、どうして彼には私が1インチずつ死んで行ってることが分からないのかしら?。。。私は今生で行うべきことを達成できなかったけど、意図してやっていた訳じゃないわ。。。どうして私は自分自身の事はいつも棚上げにして、他のみんなを楽しませようと努め、彼らのアジェンダに従ってしまうのかしら?
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という訳で、この女性が明らかに自分の魂の抱える問題に対する答えを持っていることが、文面から読み取れると言うのに、彼女にはそれが分からないのである。彼女の中の魂は生きようと死にもの狂いだ。しかし、彼女のプログラムはあまりに強力である。愛の神話を信じようという気持ちが支配しており、捕食者による、いまそこにある危機を疑おうとさえしない。


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毎日の散歩で見かける自然の姿以外、何の興味も無くなってしまった。この数か月で何ガロンもの涙を流したのよ。何だってきっかけになるわ。雲を見ても泣けて来るの。それでも主人は何も気付かないのよ。全く何もね。ただ1つ、私が少し。。。感情を出さなくなったのは分かったみたい。私は一人になりたい。内心の自由が、心の安らぎが欲しいの。こんな事を主人に言うだなんて考えただけで恐ろしい。。。毎日少しづつ、私の存在は希薄になって行く。
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彼女の感じていることを夫君に話すのがどうして恐ろしいのだろう?いいだろうか、彼女が結婚したのは、恐ろしくない相手、戦ったり口答えしたりしないような相手。。。母親を恐れさせた父親のようではない相手なのだ。だがそれでも彼女は恐れている!


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私の2人の子供達 ― ちなみに彼らは、父親を愛してるわ ― でさえ、彼が威圧的な人間「ロードローラー」だという私の見方に賛成してるのよ。
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しかし、子供たちが賛成しようと、これは愛ゆえに生まれた重荷のようである。とは言え、彼女を見事に操る夫君が彼女に対する支配を失いつつあり、操作が新たな局面を迎えつつあると感じているのは確かである:健康問題だ。確かに、病気の人を見捨てることはできない。さもなければ、社会や他のみんながあなたを罰して拒絶し、良い女の子であるという評価を得て感情を落ち着かせることは無理だろう。


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去年の秋、主人がホジキンリンパ腫と診断されたの。あやうく死にかけたのよ。彼は3か月間入院して家に居なかったので、私は独りぼっちだったわ。30数年ぶりに気楽になって、体重が軽くなったような気がしたの。とても幸せだった。そんな事は彼に言えないと思ったわ。私の心は鋭さを取り戻して実際には体重が増えたの(やつれてたので)。今では彼は戻って来ていて、化学療法も終わろうとしてる。私はと言えばすっかりふさぎ込んで、そんな事は口にしないように何日も自分に言い聞かせてるけど、そのうちにまた死のうと考えるようになった ― 身体がそんな願いに応えて欲しいものだわ。
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これこそ、第4密度STSが分配線を張り巡らしている典型例であることの最大の手掛かりである:工作はすぐ近くで行われているに違いないのだ。夫君の居ない時、全てが変わった。もちろん、彼女の行動のせいで彼が居なくなったのではなかった ― 少なくとも、彼女にはそうは見えなかったのだが、彼も彼女と同様、内面的には苦しんでいたのに違いなかった。はっきり物を言う能力が低下していたのだ。彼女が彼の近くに居たことに刺激されて、彼の体内に生じた化学物質が彼を病気にし、その結果、彼は十分なご馳走になったのだ;反対に、彼が近くに居たことが彼女を刺激して、化学物質の分泌を促し、この結果彼女もご馳走になったのである。これらは相互に関係しているのである。しかしもちろん、このような小休止期間のお蔭で、彼女は気付いたのだ:


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彼をひどく傷つけることになるけど、彼とは別れなくてはならないことが分かったわ。彼はいつも私を愛していたけど、どうして私が感情を表わさなくなったか分からなかった。私はそうしようと努めたけど、私の心はどこにも行き場がなかったの。
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ここで問題だったのは、彼女が愛の神話の中に生きていたように、彼もまたそうだったということである。彼女の神話には、彼女が彼の元を去れば、彼はひどく苦しむだろうと書かれていたが;彼の神話にもまた、彼女が彼の元を去れば、彼はひどく苦しむだろうと書かれていたのだ。問題は、どちらも神話だったことだ。彼女のメールは、こう結ばれていた:


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もしシーズがこの問題にヒントをくれるか、私にははっきりと見えていない事を指摘してくれたら、私は命拾いするでしょう ― 物理的な意味でなくても、きっと、より大きな意味合いでね。。。質問するかどうかはあなたに任せるわ。
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読者は既にお分かりと思うが、この問題を解くのに、カシオペアンズはもちろんのこと、ロケット科学者すら必要なかった。この時私が考えたのは、私自身が離婚しようとしていた時に、1人の女性がくれた、「見知らぬ悪魔より知り合いの悪魔の方がまし」というアドバイスのことだった。彼女が言いたかったのは、もし私が離婚しても、同じ過ちを繰り返して、さらに悪い状況になるかも知れないということだった。しかし、これに対して私は、知り合いの悪魔については知り尽くしているので、彼についてこれ以上知る必要はなく、独りでいる方がずっといいことが分かった、と答えたのだった。

もちろん私は、アドバイスするのを躊躇した。たとえ、相手が心底問うているようでも、これは常に危険な道である。このようなケースでは少なからず、彼女達が探しているのは人生から振り落とすべきものは何かということであり、そのことについて責任を押し付けて来るからだ。にもかかわらず、かなり苦し紛れの、心からの懇願のようだったので、私は以下のように返事をしたのだった:


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あなたの最初の手紙で、状況は完全に分かったわ。私自身の場合とよく似ているけど、少々違っているし、あなたの方が長く続いてる。

違いは何かしら?

あなたが言ってきたようなことは、私自身もあれこれ言うことが出来たわ。夫について同じように述べたり、夫婦関係を同じように述べたり、云々ね。違いは何かしら?

私は手掛かりを探して読み始めた。あなたも私と同じ手掛かりを掴んでるのよ。私も、前夫が居ない時、健康状態が良くなって、気持ちがすっきりすることに気付いた。私も、起こる事を自分で仕切った時だけ、運が上向くことに気付いた。私も、前夫の健康が衰えていることが分かり、それを手掛かりにして、彼が私にとって毒だったのと同様、私も彼にとって毒だったのだと気付いた。そして、このように小さくて微妙な手掛かりと、シーズや人生によって得た教訓とを並べてみて私が行った決断は、私の宗教や文化、信条等によって教えられてきた全てに反するものだったわ。

これが簡単にできることではないこと、きっぱり完全に別れるのが私たち2人にとって唯一の答えだということ、ゆっくり徐々には出来ないってことは分かってたわ。彼が理由の説明を求めるだろうことは分かってたし、さっぱりと最速で別れるには彼に対して、私は彼を愛していなかった、私は大きな過ちを犯したのであり、私の過ちのせいで皆が苦しみ、彼もそうだったと話すのがいいとも分かってたわ。全部私の過ちだったのよ。だから私は彼が私をこき下ろし、言いたい放題にひどいことを言うに任せ、「そう、その通り。私は最低の人間だわ」と言ったの。どれほど苦痛であれ、私は譲らなかったのよ。

だから、ここが違うのよ。何か良くできるだろうとか、これまでとは変えられるだろうという幻想の中で生きるのを私は止めたの。さらに、私は物事を、ありのままに、冷ややかに、はっきりと、感情を交えないで見ることを選んだわ。そうして、問題を解決するような手を打ったのよ。そうしたら宇宙全体が変わった。

それはありのままの私たちが持つパワーなのよ。それにアクセスできればだけど。簡単なことじゃないわ。それは私たち人間に施されたあらゆるプログラミングや、私たちが被っている感情の方向付けに真っ向から対立するものよ。でも結論としては:あなたは不平等に束縛されていてはいけないわ。今のままでは、尻を向け合うように引き具をつないで互いに反対の方向に引っ張り合うロバ同士のような結果になるでしょうね ― 霊的にも、カルマ的にも、文字通りの意味でもね。あなたの生活、あなたの置かれた環境、あなたの経験は、あなたの魂の状態を反映してるのよ。貧乏、病気、不安定さ等々はね。全てはあなたの選択の結果、あなたに対して霊的に行われた事を反映してるの。そして、あなたの選択は操作され、初期のダメージの影響を受けてるわ。あなたを食料にしようという目的で行われたもののね。これが結論。

とは言え、私が言っていることも吟味が必要よ。証拠はないわ。ほんの手掛かりしかね。どれも、何年もの間うまいこと言い繕ってきた事だし、説明の殆どは私にはもっとできた、これも試せた;もう一方の腕も切り落とせたし、喩えて言えば、治すために血管を開いてもっと献血できたというような考えに関するものだから。ようやく私は言い訳するのを止めたのよ。自分を責めるのを止めたの。ただし、私が選択を誤って、今では別の選択を行わなくてはならない ― 人生を変える選択をしなくてはならない − ということだけは別ね。これに至った手掛かりは、とても微妙なもので、誰にも説明すらできないんだけど。

いえ、そうじゃないわ。友人のサンドラが贈り物をくれたの。彼女、私が手掛かりのリストを作らなくてはならないと言ったわ。それらを忘れちゃいけないってね。脱力感を覚えたり、戻りたくなったり、今やっている事をどうしてやってるのか忘れかけてきたとき、このリストを取り出して、あらゆる恐怖、あらゆる苦痛、あらゆる苦難を思い出すべきなのよ。これらはいずれも、私の結婚生活や人生の最大の部分を占めていたのだということを十分に理解するまでは、何度も繰り返し思い出すべきだってね。少々の幸せや楽しい時間はごくまれで、ネガティブな事を償うには全く不十分だったのよ。

ということで、お役に立てればいいんだけど。シーズが言ったように「獅子の如き意志があれば、ネズミの定めに終わることはない」わ。
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この気の毒な女性に対して、私は本当に心底同情したのだ。そしておそらく、私のメールが彼女の助けになったのだろう。彼女は返事を寄越した:


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ありがとう。ネズミの定めに終わりたくはないわ。洞窟の奥深くのどこかに獅子が居るんだけど、何年も眠っているのよ。
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翌日、また返事が来た:


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今朝私は獅子を目覚めさせ、あなたが書いていたようなプロセスの全てが始まったわ。全部書く必要はないわね。おそらく違うのは、私たちの場合、33年も一緒だったので、とても強い絆があるってことよ。だけど、これはこれ以上の事が起らない様に切らなくてはならないへその緒みたいなもので、彼にはそれが分からないの。今回に限っては、私はすっかり利己的になっていて、私の唯一の苦痛は、彼が味わってる苦痛を見ることぐらいよ。これをやり通すための勢いを与えてくれてありがとう。
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彼女が述べたプロセスに関する観方は、彼女が真にそれを理解していないことを物語っていた。彼女は未だに神話の中に生きているのである。彼女は早くも、一緒に居た時間の長さを、困難な状況の言い訳にしていた。それから彼女は、へその緒という、育むような言い方で彼女達の繋がりについて述べていたが、これは有り体に言えば、第4密度STSの栄養管だろう。そして最後に彼女は、自分の行為が全く利己的で、彼が苦痛を味わっているのを見ている結果、彼女も苦痛なのだと言っていた。彼女は単に、2人が味わっているのが禁断症状でありそれが純粋に身体的なもので、扁桃体内の結合によるものだということに気づいていないだけなのである。彼女は自分のしていることが、彼女自身のためであるのと同じくらい彼のためでもあるということを、深い意味で分かっていないのだ。彼は彼女と同じくらい耽溺しているのである。

2日が過ぎ、私は彼女がやり遂げてはいないという気持ちに傾いたが、さもありなんと考えていた。彼女はついに返事を寄越した:


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36時間というもの、私は私自身と私の周りの人(主人)、そして電話の向こうの人々に対して鬼のように振る舞ったわ。その頃には私は疲れ切って、別れたい理由も忘れて、夫が寝ていたベッドに入り、2人ともかなり長い間眠ったわ。私たちは新たに折り合いをつけ、驚いたことに彼は私の勇気をリスペクトして、過去よりも真剣に私のことを理解しなくてはならないと気付いたのよ。彼は今では私の目標に対して協力的で、私たちの間にずっと続いてきた緊張と憤りは消滅したわ。
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これは驚くには及ばない。そしてこれは彼女にとっても驚きではなかっただろう。きっと、長年に亘って彼らが喧嘩し口論するたびに、彼女はこれのミニ・バージョンを経験し、最後はいつも、耽溺を続けるよう合意してきたに違いない。そしてここには私が既に述べたことの例も見られる:喧嘩をしては仲直りするという、ごほうびシステム全体への耽溺である。人々が苦悩するようにプログラミングされているのは、それが終わるときに、気持ちがいいからである。それは殆ど危機が去ったときにドーパミンの奔流がやって来るよう、恣に危険を作り出すようなものなのだ。

さて、一番興味深いのは、この女性には彼女の人生と夫婦関係がまた、彼女の子供達に対しても同じ行動、すなわち、操作と耽溺とをプログラミングするのだと、明らかに分かっていないことである。プログラムは見事に動作していた:


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翌日、娘に電話をかけ直したわ。そしたら彼女、ママとパパが別れてしまうと聞かされて耐えられずに飲んで、二日酔いを醒ますために寝ていたの。それから、彼女の弟にかけると、彼も同じ理由で二日酔いだったんだけど、私の心変わりを聞いて相当安心してたわ。それから別の息子に電話したら、沢山の荷物を抱えた私を迎えに来なくてよくなったことを喜んでた。その後、悲しいニュースを知らせた何人かの友人たちにもメールしておいたのよ。その頃には、またくたびれちゃったけど、穏やかな疲れだったわ。
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そして、これがプログラムである:


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要するに、私は自分自身の面倒さえみていればいいという1人っきりの存在じゃなくて、家族ネットワークの1員であることが分かったの。そういう風に考えたことはなかったわ。おそらくこれは、以下が組み合わさったものなんでしょうね:お金(自分自身は、文字通り、素寒貧だけど)と、一切の手配と、あと最後に大事なのは、これほど多くの人々にこれほどの苦痛を与えるんだという、いたたまれない気持ちよ。私はまるで多くの分身に分かれて、他の皆の一部になったような気がするわ。私の中の一番の動機はおそらく、性的/霊的にもっと相応しいと感じられるような誰かを見付けたいという欲望だったんでしょうね。おそらく前者は主人でも大丈夫だけど、両方という訳には。。。私、怖気づいたのかしら?。。。おそらくはね。だけど、大騒動を起こすほどのことだったのかしら?。。。私が以前、真剣に危険を感じながら行わなかったようなことも、今ではできるようになったと分かって、主人は私の率直さを大いにリスペクトしてくれてるわ。そんな彼の反応に驚いちゃった。言っておくけど、彼は私の地球上での最初の生における最初の夫/メイト/全てであり、その後も数多くの生で一緒だったの。そしてまた、これが最後であることも分かるわ。だって私たち、それぞれが学ぶべきレッスンを全てお互いに教え合ったんだもの。私の次の生はもっと調和的なものになると思うわ。だって、今生では人生数回分の学びがあったから。
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という訳で、ここでは数多くの正当化が盛り沢山だ。そんなことをして状況が変わるだろうか?とんでもない。当座の主導権は私のメール相手にあるだろう;そしておそらく、彼女が本当に求めていたのはこれだろう:彼女が状況を操る方法である。おそらくこれは、彼らの一生の間に小規模に繰り返すダイナミズムなのだろうか;分からない。

いろいろ考えた末に思い出したのは、映画『マトリックス』でのあるセリフだった:


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マトリックスはあらゆるところにある。われわれを取り囲んでいる。今この部屋にもある。窓から外を見てもテレビをつけても見ることができる。仕事に行くとき、教会に行くとき、税金を払うとき、感じることが出来る。真実を隠すため目の前を覆っている世界だ。君が奴隷だって言うことさ、ネオ。他のみんなと同じように君は生まれながらに囚われの身だ。匂うことも味わうことも触れることもできない牢獄に生まれついた。精神の牢獄だ。。。マトリックスは一つのシステムなのだよ、ネオ。そのシステムこそが私たちの敵だ。

だが、君がその中にいるとき、あたりを見回すと何が見える?見えるのはビジネスマン、教師、弁護士、大工・・・。そういう人々の精神こそ私たちが救おうとしているものなのだ。だがそれができるまでは、この人々は依然としてシステムの一部であり、彼らが私たちの敵であるということなのだ。

ほとんどの人々はまだプラグを抜く準備ができていない、ということを君は理解しておかなければならない。彼らの多くはそれに慣れてしまっていて、仕方なくシステムに依存している。だからそのシステムを守るために戦うことになる。彼らはシステムを守ろうとして戦うことになるのだ。

。。。ある年齢になると、私たちは心を開かなくなる。それは危険なことなのだ。心を解き放つのはトラブルの元なんだ。
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邦訳出所: http://mandalaya.com/mat_pro.html 


さて、この映画はマトリックスをコンピューター・プログラムとして描く比喩の形をとっているとは言え、非常に有益な内容を多く含んでいる。例えば、ネオがマトリックスについての説明を受けた時、イスに触れながら、「これは現実じゃないのか?」と彼が尋ねると、モーフィアスはこう答える:


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『現実』とは何だ?『現実』をどう定義するんだ?もし君が感じることができるものや、嗅ぐことができ、味わい見ることのできるもののことを言っているのなら、そのときの『現実』は君の脳が解釈した、単なる電気信号に過ぎないんだ。マトリックスにおける現実とは、神経による双方向的なシミュレーションだ。。。人間を登場人物に変えるために作られた夢なんだよ。。。
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そして、モーフィアスが動力源と言うところを、食料に置き換えるのだ。

もう1度引用したい:マトリックスとは、神経による双方向的なシミュレーションである。

これこそが、コントロールシステムによって、破壊的な行動に従事するようプログラミングされている私たちの様子である。もし、私たちが、数多くの状況のどれかの中で安楽の道に導かれる間に、体内の化学物質を刺激されると、この化学物質を手に入れるプロセスが痛みを伴うものであろうと、行動の最後、化学物質が分泌される際に味わうことが出来る快楽を得るため、脳はこの行動をくり返すような回路をこしらえるのである。

さて、さらに何か手掛かりを得られないか調べるために、合成リガンドであるドラッグの話に戻るとしよう。

鼻から吸い込まれたコカイン末は、ドーパミン再取り込み部位へと真っ直ぐに向かって行き、これをブロックする。 しかし、気持ちいいという感覚は、ドラッグからもたらされるのではなく、ドーパミンが自らの細胞に満ち溢れ凄い勢いでドーパミン受容体と結合する結果、再吸収できなくなるためにもたらされるのだ。 脳にわかるのは唯一つ、これは気持ちがいい!ということだけだ。 クラック・コカイン(◆重曹を溶かした水溶液に粉末コカインを入れて沸騰させて作る純粋な固形コカインで、フリーベースの一種。これを小さく砕きロック(rock)にして使用する。燃やすときに出るパチパチという音からこう名付けられた)は、伝えられるところによれば、オーガズムを含むどんな自然な行為から得られるよりも強烈な快感を生むのだという。これが、身体自体が分泌する化学物質によって得られる快感だということ注意すべきである!

モルヒネやヘロインは、効き方がわずかに違う。これらはエンドルフィンを模倣して、自前のドーパミンを放出するトリガーとなるのだ。このため、ドーパミンの自然の流れが再吸収されないためではなくて、あまりに大量のドーパミンが出て再吸収が追い付かないために気持ち良くなるのだ!

しかし、ここでとても興味深い事が起る:コカイン、ヘロイン、あるいはモルヒネを常用すると、偽のエンドルフィンがオピオイド(麻薬)受容体と結合して、もっとドーパミンを分泌するよう、細胞本体に信号を送るのだが、本体の方では、受容体の数を減らすことで、これに対抗するらしいのである。受容体の数が減る結果、ドラッグの効き目は − 自然に存在するドーパミンと結合する、持前の能力ともども − 急激に低下するのである。正常な数の受容体へと向かうドーパミンの正常な流れが失われると、脳はクスリが切れるのを経験し、これは、文字通り大変な痛みとして解釈されるのである。これは、心が全く何の喜びも感じられないという厳しい苦痛なのだ。これについて臨床医はこう述べている:


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コカインやヘロイン、モルヒネの摂取を突然中止すると、人はドーパミン枯渇の状態となる。この結果起きる破滅段階は、烈しい抑鬱と動揺の症状を呈し、その後は、無快感症、情動不安、沈滞、眠気、無気力がドラッグを断ってから6ないし18週目まで続く。
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Psychiatric Times, May 1994
http://web.archive.org/web/20020803235658/http://www.mhsource.com/pt/p940527.html


しかし、もっと深刻なのは、ドーパミンが運動や感情、認知をコントロールする上で重要な役割を果たしているということである。ドーパミン障害は統合失調症、気分障害、注意力欠如障害(多動症候群、ADD)、トゥレット・シンドローム(◆チック症を伴う遺伝的な神経組織の病気。多くは3歳〜10歳で発症する。約半数は10代で回復するが、大人になってもチック症が残る場合がある。また、約半数の患者に ADHD の障害が見られる)、薬物依存、気分病、パーキンソン病等々を惹き起こすことがある。ドーパミン受容体には少なくとも7タイプあるので、状況はもちろんもっと複雑なのだが。

視床下部のドーパミン細胞は脳下垂体前葉ホルモンを放出する。この領域では、ドーパミンは直接的にプロラクチンの分泌を抑制するように働く。プロラクチンの作用は無数にあるが、最も注目すべきなのは乳の分泌である。

さて、プログラミングと体内化学物質の話に戻るが、系内に、より多くのドーパミンの分泌を惹き起こす、苦悩-ごほうびのシステムが、どのようにしてコカインやヘロイン、モルヒネと同じ結果をもたらすかが、分かってきたではないか:このようなシステム的な行動には繰り返し戻って来ることになるだろう。というのも、快感をもたらすような刷り込みは、子どものうちに私たち全員が実施されているからだ。

さて、体内で自然にドーパミンの分泌が増える場合に受容体の数が減るというような研究は見当たらない。しかし、コカインによるハイ状態は体内麻薬のせいで起こるという事実からして、これはそうなのだと思われる。つまり、どんな方法によるのであれ、人が気持ちいい瞬間に達するたびに、同じレベルの感覚を再び味わうにはより多くの量が必要であるということだ。愛に恍惚とする状態がたちまち過ぎ去り、ドーパミンが溢れたままでいられるよう、それが愛の喪失の恐怖との戦いに変わるのは、おそらくこのためだろう。つまり:快感を味わうほど、それは味わいにくくなり、それは生理的・心理的な、竿の先にぶら下がったニンジンとなるのである。

しかしこのような状況においても、身体がもはや需要を満たすことが出来なくなり、もはや打つ手がないという局面に達することになる。このような局面がどれくらい早く訪れるかは、数多くの要因によるが、読者の周りにもきっと、このような状況に追い込まれた人々が居て、皆さんは彼らの演じた数々のシナリオを思い浮かべることができるだろう。

快感をもたらすもう1つの体内化学物質がセロトニンである。抗鬱剤のプロザックやゾロフトはセロトニン再吸収部位をブロックする結果、脳や身体にセロトニンを溢れさせる。これで幸福感が得られるのは、セロトニンがハリウッドの電飾看板よろしく「ドゥー・イット・アゲイン」センターに点火するからである。

1980年代、臨床研究家たちは、セロトニンと食欲異常との繋がりを発見した。リチャードとジュディのウルツマン夫妻(マサチューセッツ工科大学)は既に、セロトニンが摂食障害を引き起こすことを明らかにしている。彼らの説によれば、体内に摂取されたでんぷんが糖に変わり、糖がすい臓を刺激するとインシュリンが分泌される。インシュリンが脳内のトリプトファンというアミノ酸のレベルを上げ、トリプトファンがセロトニンに転換し、トリプトファンは気分を安定させて幸福感を生み出す。だから、肥満体の人々は気分を高揚させるために炭水化物を採り過ぎるのだ。

国立糖尿病・消化器・腎疾病研究所によると、アメリカの成人の68%が太り過ぎである。(原注1)人々が体重を減らそうとするのにはもっともな理由がある:肥満は私たちの社会で厳しく非難されるからだ。太り気味という程度であれば、健康に有害だと言うのは誇張だが(生命保険料率表上、40%以上の肥満でないと死亡率の増加は見られない)、社会的には肥満は間違いなくダメダメなのだ。


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原注1:
Source: CDC/NCHS, Health, United States, 2008, Figure 7. Data from the National Health and Nutrition Examination Survey.
http://www.win.niddk.nih.gov/statistics/index.htm
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拒食症と過食症は精神医学的症候群であり、その裏に潜む病理は、細さの飽くなき追求だと言われる。この2つの病気は別々のものであるが、かなり重なり合っている;食欲不振者の約50%が大食いをして気晴らしを行うからである。どちらの病気も主として青年期に起り、その後も長く続いて、社会的成熟、家族からの独立、職業決定のような正常な発達を妨げる。

拒食症は1世紀も前から精神医学書に載っているが、過食症が臨床的に病気だとされるようになったのは、ほんの16年前からである。どちらの病気も治療は困難である。実際、効果ありと言えるためには、どちらも痩せるような治療法でなくてはならない。つまり、過食症患者が吐かずに痩せられれば、過食症が治ったとされ、食欲不振者が空腹を感じずに痩せれば、この患者は飢えが治ったとされる。


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拒食症や過食症の典型的な患者は、若い独身女性で、中から上の社会経済的地位にあり、以前肥満症にかかっていた傾向がある。抑鬱と脅迫観念症が共通して見られ、また強い感情障害の家系に多い。抑鬱は時として飢えのせいであり、飢えは軽度から中度の大鬱病に似た精神的プロファイルを生み出す。しかし、本当の大鬱は(痩せる前であれ、後であれ)、一般の人々よりも食欲不振者に蔓延している。拒食症と過食症は女性に多いが、男性にも起こる病気である。『シャープ他』には、24人の男性拒食症患者の臨床例が述べられている。大食いをして吐くことが彼らに共通していた(女性と同様、50%を占めた)。同じく顕著に共通しているのが、抑鬱的な気分、早朝覚醒、脅迫観念症、家系的な感情障害とアルコール中毒である。発症年齢(18.6歳)受診年齢(20.2歳)は女性の場合より高い。この男性たちは主に独身で、社会経済的地位が比較的高く、肥満症手前だった。下剤を乱用する例は女性で報告されているより少なく、過度の運動がより多く見られた。
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Sharp CW et al. Int. J Eating Disorders. 1994; 15: 125-134


結局、セロトニン再取り込み抑制剤の服用によって、脳にセロトニンを浴びせることは、過食症を抑えるのに役立つようである。脳内のセロトニンを増やすことはまた、抑鬱や炭水化物への渇望、病的食習慣を改善するらしい。これの唯一の問題は、これらの再取り込み抑制剤が、心臓弁膜障害や原発性肺高血圧症の深刻な原因であるということだ。

プロザックはセロトニン再取り込み抑制剤であり、多くの副作用がある。例えば:吐き気、頭痛、緊張感、不眠症、眠気、下痢、体重減少、目まい、不安症である。既に見た通り、ドラッグを繰り返し服用すると、ドーパミン受容体が減少する。このことについてしばらく考えれば分かる通り、プロザックの副作用としてはまた、オーガズムに達することが出来なくなることが挙げられる。

街角で手に入る「エクスタシー」というドラッグは、MDMA(メチレンジオキシメタンフェタミン)の通称である。エクスタシーは中枢神経に効く覚せい剤で、セロトニンとドーパミンのレベルを高める作用があると考えられている。

エクスタシーの即効的な作用としては、自信や幸福感、他人への親近感の増大;血圧や体温、脈拍、顎をかみしめる力、歯ぎしり、発汗、脱水症状、吐き気、不安感の亢進がある。エクスタシーの大量摂取によって、幻覚が見えたり、馬鹿げた行動をとったりする他、嘔吐、痙攣に見舞われることがある。

さて、このようなドラッグの摂取によって、ドーパミン受容体や、セロトニン受容体が減少することについては既に見た通りであり、この結果また、エクスタシーの摂取は耐性を生むとしても驚くには当らない。

エクスタシーは催淫剤として知られ、これを用いると一般に、よく知らない相手に対しても、思いやりや愛情を感じる。エクスタシーはまた性欲を高め、性体験を烈しいものにする上に、抑えがきかなくなる。動物実験の結果、セロトニンおよびドーパミン受容体の減少による長期的な脳障害や、最終的にはセロトニンを全く作り出せなくなる可能性のあることが分かっている。

ということで、遠回りながら辿り着いた結論は、体内の化学物質に耽溺する結果、ついには永久に何の快感も感じなくなるということだ。そして誰もが知っているように、私たちは歳を取るに連れて、簡単な事に喜びを感じる能力が減退するのである。

ショックと面白さの板挟みに迷うのが、「男の復活」を約束する性活性薬のコマーシャルの多さである。中でも1番面白いのが『トップガン』という製品の宣伝だろう。しかし、これが惹き起こす問題はあまり愉快ではない。この性に寛大な社会では、ここ2-30年来、誰もがより多くの、より良い、長持ちして、何度も繰り返すオーガズムに達する生得の権利を主張することが奨励されてきたのであるが、その根源には、多くの人々がオーガズムに達するのが困難になっているという事情があったのだろう。

結論としては:気持ちいいことなら、何度も繰り返し、もっと、よく、感じたいのである。だが、繰り返してみても、感じなくなって行くばかり;ついにはアンバランスが嵩じて、苦痛と苦悩と不十分さを感じることとなる。そしてどうなるかと言えば:ランチにされるのである!

さて、ニコチンは実に興味深いドラッグである。ニコチンが模倣するのは、体内でも最も重要な神経伝達物質であるアセチルコリンだ。これは殆どの場合大脳皮質における認知に伴って生じるものである。アセチルコリンは脳における思考や記憶の主な運び手である。新たに記憶したり、古い記憶を思い出したりするには、適切なレベルのアセチルコリンが欠かせない。

さて、ここでしばらくわき道にそれるとしよう。アセチルコリンについての記事をネットで探したのだが、その結果、以下に引用する通り、実に驚くべきことが分かった:


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アセチル-L-カルニチン(ALC)は、L-カルニチン(L-Carnitine)にアセチル基(CH3CO-)が結合したもので、脂肪酸をミトコンドリア内へと運ぶ役割を果たしている。カルニチン同様、ALCは体内で自然に生成され、幾つかの食品から微量が見つかるに過ぎない。。。近年の研究の結果、ALCはエネルギー生産における幾分ありふれた役割から、認知力を高める栄養素であり、並はずれた神経ペプチド物質としての役割に引き上げられた。実際、科学的探究によって全貌が分かった今、ALCは「アンチエイジング」を担う化合物の主役の1つ、特に、脳と神経系の機能低下に関係あることが分かったのである。

ALCは脳内で様々な濃度を示し、そのレベルは加齢によって顕著に減少する。動物をモデルにした数多くの研究によって、ALCが、認知力の変化だけでなく、形態的(構造的)・神経化学的変化を向上させる顕著な能力を担っていることが示されたのである。。。ALCはアセチルコリンの分泌および合成の促進を含む、コリンの活動に様々な効果を及ぼす。加えてALCは、コリンの高親和性取り込みを促進するがこれは加齢によって顕著に低下するものである。このようなコリンの効果が最初に述べられたのは、ほぼ四半世紀前だが、今ではこれはALCという氷山のほんの一角にすぎないことが明らかになった。
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[Gissen, VRP's Nutritional News, March, 1995]
http://web.archive.org/web/20031212005939/http://www.vrp.com/Library/a_l_car.htm


我が国で蔓延しているアルツハイマー病が、アセチルコリン濃度の低下に直接関係していることが分かったのだ。アルツハイマー病では、アセチルコリンを作るニューロンが衰える結果、記憶障害が起るのである。アルツハイマー患者の何人かでは、減少率は90%に及んでいる!しかし、喫煙と脳の体操が治療法なのだと言っている人は居るだろうか?居ない。

もう1つ、下の興味深い断片は、ガレン・ナイトの博士論文からのものである:


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甲状腺刺激ホルモンは甲状腺機能の唯一にして重要な調節役である。しかしながら、その効果のいくつかは神経伝達物質であるアセチルコリンとカテコールアミン(◆ストレスを感じたとき体内に増える化学物質)によって模倣される。。。(原注2)
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原注2:
http://www.highfiber.com/%7Egalenvtp/disrtatn.htm


これが意味するのは、カシオペアンズが既にはっきりと述べているように、甲状腺の機能低下はニコチンによって部分的に改善するということである。

次の引用は最も興味深いものである。これは生体電磁気学研究所の、とある論文からのものであるが、高周電磁波が生物や人体に及ぼす影響について議論したワークショップで最初に提示された。ワークショップは、シアトルにあるワシントン大学バイオエンジニアリング学部の主催で行われた。この論文は後に、1998年の10月25-28日にオーストリアのウィーン大学で行われた『携帯電話と健康に関するシンポジウム』に提出された。ここで述べられているのは、電波塔あるいは、携帯電話やポケベル等の使用の影響についてである:


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我々は、ネズミの脳の神経伝達物質がRFR(= radio frequency radiation, 高周波)に曝された際の影響について調べるため、一連の実験を実施してきた。我々が調べた主な神経伝達物質は、脳内の至る所に見られ、数多くの生理的・行動的機能に関与しているアセチルコリンである。

RFRに45分間曝された結果、ネズミの脳内の様々な領域、特に前頭皮質と海馬においてアセチルコリンの活動が低下することが分かった。さらに研究したところ、反応は曝されている時間の長さによることが分かった。短時間(20分間)曝されたときには、活動は低下せず、実は上昇した。脳の領域が違うと、そのコリン反応次第で、RFRに対する敏感さが変わった。
[Lai et al., 1987b, 1988b, 1989a,b].

加えて、曝すのを繰り返した場合には、系に長く続く変化が幾つか生じた:RFRに対し45分間と20分間のセッションを繰り返した結果、アセチルコリン受容体の数がそれぞれ、増加または減少した。
[Lai et al., 1989a].

アセチルコリン受容体の変化は概して、脳内でのアセチルコリンの活動が繰り返し妨げられたことに対する補償的な反応だと考えられる。このような変化は、神経系の反応の性格を変える。他の研究では、内因性のオピオイド(麻薬)もまた、アセチルコリンに対するRFRの影響に関与していることが分かった。
[Lai et al., 1986b, 1991, 1992b, 1996.]

前頭皮質および海馬内のアセチルコリンは学習と記憶機能に関与しているため、我々は、RFRに曝される結果、ネズミのこれらの行動の機能に影響があるかどうか調べる実験を行った。2タイプの記憶機能:空間における「作業的」記憶と「参照的」記憶を調べた。

脳内のアセチルコリン、特に海馬内のそれは、これらの行動の機能において重要な役割を果たすことが知られている。最初の実験では、放射状迷路を用いて、「作業用」記憶(短期記憶)を調べた。このテストはとても分かりやすいものである。買い物リストを記憶しておいて食料品店で買い物する場合を想像されたい。品物をピックアップした後、レジに来てみると、ショッピングカートの天辺に鳥肉が1つあり、底の方にもう1つあったとする。じゃんじゃん買い物をした最初の方で既に鳥肉を1つ手に取っていたことを忘れてしまい、後でもう1つカートに入れたのである。これは短期記憶の失敗であるが、日々の生活においてよくあることであり、一般的に病気とは考えられない。気が散ったり、注意が逸れると短期記憶への影響が生じ得る。

この喩えは放射状迷路実験におけるタスクになぞらえることができる。迷路は車輪の中央にあるような丸いハブと、スポークのように放射状に伸びたアームで出来ている。ネズミは迷路の各アームの末端にある半球から食べ物を取り上げることが出来る。迷路には12本のアームがあり、それぞれのネズミは各テストセッションで、12本のアームに入ることが出来る。同じアームに再び入るのは、記憶が欠落したものとみなされる。この実験の結果、RFRに曝したネズミは、曝されてないネズミに比べてアームへの再入場が有意に多かった。
[Lai et al., 1994.]

これはショッピングカートの中に2個の鳥肉と3箱の食卓塩、それにジャガイモ2袋があったようなものだ。

別の実験で我々は、RFR照射の参照記憶(長期記憶)への影響を調べた。 [Wang and Lai, 印刷中]. 水中迷路での成績を調べたのである。このテストで、ネズミは水の入った丸いプールの中で、水中に台がある場所を見付ける必要がある。ネズミをプールに放した後、台に乗るまでに掛かった時間が記録される。ネズミたちは何度かのセッションで、台の場所を学ぶよう訓練される。RFRに曝されたネズミの学習効率は悪いのだが、何度か学習を試みた後、ようやく彼らは、対照群の(照射を受けていない)ネズミに追いつくことが出来た。しかし、物語はここで終わる訳ではない。ネズミが台の場所を見付けることを学んだ後の最後のセッションでは、台は取り除かれ、ネズミたちは1度に1匹ずつプールに放される。照射を受けていないネズミはプールに放された後、かつて台があった辺りを旋回して泳ぐが、一方、RFRに曝されたネズミはランダムなパターンで泳ぐのが観察された。

これを理解するため、もう1つの喩えで考えてみよう。アメリカの西海岸からオーストラリアまで船で渡るとき、我々は海図を読み、機器を使って、緯度や経度等における自分の場所を決めるよう学ぶことが出来る。しかし、明らかにもっと簡単な方法がある:ただまっすぐ南西に船を進めるのである。だが、船を進めて行ってもオーストラリアが見付からないとしよう。最初のケースでは、海図や機器を使っているので、我々はオーストラリアがあると考えられる海域を陸地が見えてくると期待しつつ航海し続ける。他方、南西に舵を取り続ける戦略を採って航海したのに、オーストラリアが見当たらない場合には、どうしていいか分からない。地球を周航し続けていることがじき分かるだろう。

かくして、照射を受けていないネズミは、(海図の記憶に頼るように)環境中の手掛かりを用いながら、台のある場所を探すことを学ぶのだが、他方、RFRに曝されたネズミは、違った戦略を用いる(おそらく「練習学習法」とでも呼ぶべきもの、すなわち、環境中での一連の運動から、特定の場所に到着するよう学ぶ方法である。これは柔軟性に欠け、脳内のコリン作動系はこれに関与していない)。

このように、RFRに曝される結果、環境中で道を探す際の動物の行動上の戦略が全く違ってくるのである。

。。。重要なのは、RFRに曝された後もしばらく、影響が残ることである。本を読んでいて、携帯電話がかかって来た場合には、どこを読んでいたか思い出せなくても、おそらく問題ないだろう。しかし、私が飛行機の技術者で、飛行機の部品にボルトとナットを取り付ける係であれば、結果はより深刻なことになろう。作業中の電話のせいで、私は何本かネジを絞め忘れるかも知れない。短期記憶が欠落した場合に考えられる、もう1つの不都合なシナリオは、既に薬を飲んだことを忘れてしまい、薬を飲みすぎるかも知れないというものだ。

最後に、ネズミの脳細胞中のDNAに対するRFRの影響を調べるために行った実験について手短に述べておきたい。我々が[Lai and Singh 1995, 1996; Lai et al., 1997] で報告したように、RFRに曝された後のネズミの脳細胞では、DNAの一本鎖および二重連鎖の破壊率の増加と、2つの形態のDNA損傷が見られた。細胞内のDNAの損傷は累積するため、健康上重要な意味を持つだろう。当然ながら、DNAは効果的に自己修復する能力を持っている。ホメオスタシス・メカニズムによって、細胞は自然に起きたDNAの損傷と誘発されたそれとの間のデリケートなバランスを保とうとするだろう。だが、このようなバランスが変化すれば、DNAの損傷は累積する。殆どの細胞はDNAストランドの破壊を修復するための相当な能力を持っている;例えば、幾つかの細胞は、1時間で20万個もの破壊を修復することが可能だ。しかしながら、神経細胞のDNA修復能力は低く、DNAの破壊は累積するだろう。こうして、DNAに対するRFRの影響は、体内の他のタイプの細胞と比べて、神経細胞においてはおそらくより重大である。

DNAの累積的な損傷は、次に細胞の機能に影響を与えるだろう。一定期間の間に細胞に累積したDNAの損傷は、ガンのような遅発性の病気の原因になるかも知れない。。。細胞内のDNAの累積的な損傷はまた、加齢によっても見られる。特に、脳内の神経細胞のDNAに対する累積的な損傷は、アルツハイマー病、ハンチントン病、パーキンソン病といった神経変性疾患に関係がある。

神経細胞が分裂せず、ガンになりにくいため、神経細胞内のDNAに対する累積的損傷の結果としては、機能上の変化や細胞死が起きやすく、これは神経変性的な病気を惹き起こし、あるいはその進行を加速しがちである。二重連鎖の破壊は、適切に修復されないと、細胞死を招くことが知られている。実際、RFRに曝された細胞ではアポトーシス(細胞死の1形態)の増加が観察された(実験結果未公表)。

しかしながら、別のタイプの脳細胞であるグリア細胞は、DNA損傷の結果、ガンになることがある。このタイプの反応、すなわち、低度および中度に累積的な照射による遺伝毒性や、大量照射による細胞死の結果、ガンの進行が逆U字応答関数を示すことになり、これは最近行われた、RFRに曝された動物のガン罹患率が上昇したという報告[Repacholi et al., 1997]や、減少したという報告[Adey et al., 1996],そして有意な影響は無かったとする報告[Adey et al., 1997] の結果を説明するものだろう。

低用量、中容量、大容量の累積的なRFR照射の元になるものが何であるかを判定するのが非常に困難であることは理解できる。というのも、照射の起きる状況が、実生活では実に様々かつ複雑だからだ。

RFRによって起きた、ネズミの脳細胞におけるDNAの一本鎖および二重連鎖の破壊率の増加が、ネズミにメラトニンを投与することで阻止できるというのは興味深い。。。[Lai and Singh, 1997]. メラトニンはフリー・ラジカルの掃除に効果があることから、このデータは、RFRの遺伝子に対する影響において、フリー・ラジカルが一因となっていることを示すものであろう。
[Lai and Singh, 1998].3(原注3)
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原注3:
http://web.archive.org/web/20010210015900/http://www.tassie.net.au/emfacts/henrylai.html


誠に結構ではないか!

携帯電話や携帯電波塔の使用についてカシオペアンズは何と言っているだろうか?


980815
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Q: (L) 現在地球と交信中、あるいは、地球上か地下に居るエイリアン全体の大体の数を教えて頂戴?

A: 「エイリアン」?その内訳は?

Q: (L) Okay. それはねえ、非-人間よ。地球外生命体、超地球的生命体等々よ。

A: そのような基地は住民を馴化させてしまった。アノマリーが起るのは、他の要因と同じ位に、基地の場所をどこに選ぶかによる。知っての通り、磁気的断層とそれに備わるポータルだ!

Q: (L) インターネット上のこのソースは、エイリアンの数はかなり限られていて、人々は協力してこの脅威に立ち向かうべきだ、というのも私たちの方が数で勝っているからだ、と考えてるわ。これって本当に正しいの?

A: それは問題ではない。目下の問題は:動機が何かということだ。少しずつ家を建てていて、それが済んだら、近所に引っ越してモーテルから出ることが出来るだろう。

Q: (L) あらまあ。それじゃあ、沢山のエイリアンがぶらぶらとモーテルにたむろしながら、家の完成を待ってるのね。あまりいいことじゃないわね。

A: あなた方の多くは最近、「情報スーパー・ハイウェイ」とそれにつきもののコンピュータ・ハードウェアによって「眩惑されて」しまっている。うーん、どうしてだろう?

Q: (L) あなた方、私たちにネットワークするように言ったわ。私たちは死にもの狂いでネットワークして、情報を探し集め、読んでは比較してるわ。確かに、そこには大量のゴミがあるけど、尋ねなかったら、知ることもできないでしょ?

A: 要するに:誰が汝を操っているのかということだ。あなた自身というよりは、他の人々をだ。多くの子供達と、気持ちの上では子供である人々は、テクノ感覚の玩具に仰天している。そうした携帯電話やポケベル、クリスマス玩具のコンピューターは。。。実にかっこいい!

Q: (L) それであなた方が言ってるテクノ玩具って何なの?

A: じっくり考えなさい。

Q: (L) ヒントを頂戴。

A: もうろうとした、ゼリー状の脳をした子供達。

Q: (L) ポケベルや携帯電話、それに子供達がクリスマスにもらうテクノ玩具が、彼らの脳をゼリーに変えるような影響を持つということ?

A: 比喩的な意味で。このようなテクノロジーはいずれも『素晴らしき新世界』を象徴している。ハクスリーが言ったように:災難なのは自分達の脳を昼食に食べるように導かれた人々だ。
(※ http://www.huxley.net/bnw/one.html には見当たらないようです)

Q: (L) うちの子供達はポケベルを持ってるわ。ポケベルは特に。。。

A: 信号(シグナルの中身)は何で出来ていると思う?

Q: (L) 分からないわ。信号は何で出来てるの?

A: マイクロ波(◆周波数(1-300GHz)、波長(300mm - 1mm)の電磁波)。

Q: (L) マイクロ波は人体にどんな影響があるの?

A: 脳の細胞構造に合わせる。

Q: (L) それらから信号が放射され続けてるの?それとも、使ってる時だけ?

A: 波長は低い方から高い方へ循環する。

Q: (L) それは良くないわね。ポケベルのどれくらい近くに居ると、このような影響があるの?

A: 4メートル。携帯電話もそうだし、テレビやコンピューターの画面もこのようにして送られる。

Q: (L) 「脳の細胞構造に合わせる」と言うけど、このような影響の証拠あるいは結果とは何?

A: 視野がだんだんと狭くなり、識別して考えることができなくなる。

Q: (L) 混乱するの?

A: No. 人の精神およびサイキックな能力の深さと幅が欠落する。

Q: (A) さて、ポケベルだが。。。ポケベルは何かを放射していて、4メートル以内の距離では害があるということだった。私の理解では、ポケベルは受動的な機器、受信機だ。何も放射していない。どうしてポケベルが有害なんだ?

A: マイクロ波の「反響効果」。

Q: (A) それじゃあ、電波が受信機から跳ね返ってくるんだね。。。分かった。

A: 携帯電話も。

Q: (L) 放射信号をブロックするような機器を作ったり買ったりできないのかしら?

A: 知識は守る。
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今ここで、この発言が全く正しいと分かったのだ!それでは先を続けよう。


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バロウ神経科研究所の神経化学研究室での研究は専ら、いわゆるニコチン性アセチルコリン受容体(nAChR)のシグナル伝達に決定的に関与する分子についてである。nAChRは脳と身体じゅうで、視覚と記憶から始まって心拍数や筋肉の動きのコントロールに至る、必要不可欠な機能に関与している神経細胞回路間をつなぐ分子のスイッチとして働いている。nAChRに異常があったり、それが失われると、重症筋無力症や癲癇のような病気となり、アルツハイマー病やパーキンソン病、あるいは統合失調症の一因ともなる。

nAChRはまた、偶然にも、タバコのニコチンの主なターゲットでもある。。。ニコチンに似た薬剤は、注意欠陥多動障害(ADHD)やトゥーレット症候群といった病気の治療や、不安や痛み、抑鬱症状の軽減に効果があり、これらの異常にnAChRが関与していることを示している。

。。。我々の研究によれば、様々なnAChR亜型の数と機能は、ステロイドから局部麻酔薬に至る数多くの生物学的な活性物質、あるいは、細胞外基質や細胞骨格、二次情報伝達物質によるシグナル伝達に作用したり、原子核で働いている化学物質によって影響を受けることがある。我々はまた、慢性的にニコチンに曝される結果、細胞内にある受容体あるいはその先駆物質のプールへの影響に支配される転写後プロセスによって、多種多様なnAChR亜型の数の上方調節が起きることを示した。

最近の幾つかの研究は、タバコの常用によって、慢性的にニコチンに曝される結果、nAChRおよび、それらが活動を促す神経細胞回路を無効にし、脳と身体の機能に長期に亘る変化を惹き起こす一因となるという我々の仮説を検証しようとするものである。
[Lukas, 1999.]4(原注4)
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原注4:
http://web.archive.org/web/20010219171701/http://www.thebni.com/learningcenter/research/neurobiology/nachr.asp


さて、上の説明の中の「ニコチンに曝される結果、細胞内にある受容体あるいはその先駆物質のプールへの影響に支配される転写後プロセスによって、多種多様なnAChR亜型の数の上方調節が起きる」という部分がいかに巧妙な言い回しであるか注意されたい。これは「それが受容体の数を増やし」、またアセチルコリンの量を増やすということの専門的な言い方である。しかしもちろんのこと、米国医師会(AMA, American Medical Association)は、これだけでは済まさず、「タバコの常用が。。。アセチルコリンを無効にする」という仮説を付け加えるのを忘れない。初めの方で、それが現在流行となっている問題の幾つかにとっての治療薬であると提言していることなどお構いなしだ。

もう1度言おう:しかし、研究結果によれば、ニコチンを毎日摂取する結果、実際にアセチルコリン受容体の数が最大40%増加するのである。上に掲げたような幾つかの研究者は、「にもかかわらず、そのような機能は減少する」と述べて、この発見を軽視する。しかしそのようなことは経験的には観察されない。大抵の喫煙者は喫煙本数の目安を定めていて、そこに達すると、満足するためにもっともっともっと吸ったりはしないのである。

ニコチンはどのように作用するのだろうか?


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体内のアセチルコリン受容体には大きく2タイプがあり、これらは一般に結合するドラッグの名によって呼ばれる:ニコチンとムスカリンである。ムスカリン性アセチルコリン受容体(mAChRs)は、アセチルコリン(ACh)同様、ムスカリンとも結合し、この結果代謝を変える働きをする。。。

アセチルコリンはニコチン性アセチルコリン受容体に作用して、細胞膜のチャネルを開かせる。このチャネルが開く結果、ある種のイオン(帯電した原子)が細胞に流出入する。。。イオンが流れると電流が生じるが、同じことは神経系にも当てはまる。イオンの流れ、すなわち電流が通じる結果、普通、他のタイプのチャネルが開いて、1つのニューロンからもう1つへと情報が流れるのである。

ニコチン性アセチルコリン受容体(Nicotinic AChRs)は身体じゅうで見つかるのであるが、これらの殆どは神経系 (脳、脊髄および体内の残りの神経細胞)および、(脊椎動物では)体内の筋肉に集中している。

ニコチンは受容体のもとでアセチルコリンに似た、それらを活性化させる働きをすると言え、これらの物質は作用薬と呼ばれる。反対のタイプのドラッグは、時としてこの受容体に結合しながら、これらを活性化させないため、拮抗薬と呼ばれる。

。。。アセチルコリンと筋肉内のニコチン性アセチルコリン受容体との結合を妨げるような物質が体内に入ると、このような化学物質は比較的短時間で死をもたらす(呼吸にも筋肉を使うからである)。ヘビその他の毒で神経毒と呼ばれる類の化学物質はこのように働く。あなたが、例えばアマガサヘビやコブラに噛まれて、十分な量の毒液が血中に入ると、神経毒のせいで、あなたの肺を広げるための横隔膜の筋肉が動かなくなる。この筋肉が働かないと、あなたは息が止まって、窒息死してしまうのだ。

このような受容体について我々がよく知っているのは、まさに植物と人間が、麻痺を起し、長時間のうちには窒息死させる、アセチルコリン拮抗薬を利用してきたからである。植物は草食動物によって食べられるのを防ぐために、これを使う。動物は獲物を麻痺させるために、似た物質を使う。人間の神経筋病の少なくとも1つはニコチン性アセチルコリン受容体に関係がある、重症筋無力症である。。。

ということで分かるように、ニコチン性アセチルコリン受容体は生命にとって重要なのである。。。既知の全てのニコチン性アセチルコリン受容体は幾つかの共通の特徴を持っている。それらは桶の底板の周りの細長い板のように組み合わされた5個のサブユニット蛋白質から出来ている。。。リガンド(アセチルコリンまたはニコチン)が受容体と結合するとき、それは受容体複合体をよじらせ、中央の桶蓋を開かせるのである。
[Pugh.]5(原注5)
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原注5:
http://web.archive.org/web/19991008150633/http://www.geocities.com/CapeCanaveral/2257/nicaction.html


さて、アセチルコリンが魔法の数字5を持っていることは措くとして、「動物は獲物を麻痺させるために、似た物質[アセチルコリン拮抗薬]を使う」と言われていたのに気付いただろうか?エイリアンとのやり取りに関連して、麻痺状態がしばしば報告されているのは何とも不思議ではないか。アセチルコリンを覚えておいて欲しい。というのは、これからも繰り返し出て来るからだ!

さて、アルコールに戻るとしよう。アルコールは少なくとも4種類の受容体を手玉に取る、腕利きの偽装者だ。これはアセチルコリン受容体をブロックする。しかし、同様にアセチルコリン受容体に結合するニコチンとは異なり、アルコールはそこに居ても何ら有益な事は行わない。それは単にそこに居座って、考える能力をブロックするのである。アルコールはまた、コカインと同じように作用してドーパミンの再摂取を妨げ、脳の中の鍵となる部分における「幸福の神経伝達物質」の濃度を高めるはたらきをする。アルコールはエンドルフィンの分泌を促すよう刺激する点で、モルヒネとヘロインに似ているが、その働きはずっと弱く、アルコールはまた、セロトニン受容体の効率を変え、それを高める。

1杯でこれだけの働きがあるのだ。ちょっと出掛けて行ってビールを何杯かやりたくなったのでは?

たまに少量飲むくらいなら、あるいは、ディナーのときにグラス1杯ほどのワインを楽しんだり、カクテルのグラスを傾けたりする程度ならさほどのダメージはないだろう。しかし、人によっては、アルコールはそんな利き方はしない。

一般に哺乳類は ― サルからイヌやネコに至るまで ― みなアルコールを嫌う。もし選択肢が与えられれば、彼らは酒よりも水を選ぶ。人間の中にも様々な遺伝子があって、アルコールを飲みたいと思わない人々が居るのである。しかしながら科学者はどうにか、酒をたしなむネズミを掛けあわせてきた。酒好きネズミの脳内でも、興味深いことに、幸福の神経伝達物質であるセロトニンの生成が異常に少ない。最近の研究データは、アル中患者の脳にはそうでない人に比べて、遺伝的にドーパミン受容体の数が少ないことを示している。喫煙者の多くもまた、D2と呼ばれる遺伝子の不完全なコピーを持っていて、ドーパミン受容体の生成が1/3も少なかったのだ。彼らはアセチルコリンでほろ酔い加減になるのである。

ドラッグが私たちの体内でどのように働くかを考えれば、ただ単にドラッグ反対と言うだけではうまくいかないのは明らかである。さらに重要なのは、このようなドラッグが効くのは、それらが体内で自然に作られる物質が生み出す心の状態を真似するからだということである。このような感情ないし感覚がこうも簡単に化学的に真似できると思うと、「これを感じる」と言うのに、私たちはためらいを覚える。本当に感じるのだろうか?それとも、この感覚は、環境からの何らかのシグナルによって刺激された結果なのか。それがどんな種類のシグナルで、どのようにしてプログラムされ、どこからもたらされたのかについては、あらゆる可能性が存在している。

感情をコントロールするのは、ドラッグなんて要らないと言うのと同じくらい難しくてできない。そしてそれは単なる個々人の欠陥のせいではなく、純粋に生理的な強力さ ― 捕食者の心 ― のせいである。ゴルファーのジョン・デイリーは酒を飲むために、一流ゴルフ・メーカーに対する3百万ドルの契約料返却に合意した。(※『いじわるな遺伝子』72ページ)これまで31回の逮捕歴があるクラック中毒者、トーマス・コヴィントンは牢屋に放り込まれようと罰金を取られようと薬物をやめることはできないと話した。「薬物への欲望をひとたび感じたら、罰や脅しのことはどうでもよくなってしまうんだ」と彼は語っている。

脳内の配線の僅かな違いのせいで、私たちは化学的な操作に対して多かれ少なかれ懐疑的である。私たちの殆どは、酒を飲むために3百万ドルを払うような極端なこともできないし、ドラッグのために、牢屋に入るリスクを冒したいとも思わない。だが、感情を癒したいという内なる渇望に抗うことはできず、それらの為すがままになってしまうのである。

私たちの体内の化学物質が遺伝的な快楽への道を刺激するのに用いられるが故に、これとの戦闘は心の中で戦わなくてはならない。私たちのニューロンがドーパミンを浴びて幸福を感じているとき、私たちの脳は天国に居る気分である。私たちのしていることが災厄をもたらそうが、悲惨な交際のせいで少なくとももう1日は傷心と惨めさを味わうことになろうが、信仰が私たちからお金を取り上げて幸福を約束しておきながら私たちを実生活に適応できない状態に置こうが構わず、私たちはまたそれを繰り返すのだ。

私たちの脳にとって最高の報酬をもたらす行為を、私たちはどうしたら止めることができるだろうか?

神経化学者で、ニューヨーク大学神経化学センターの科学教授であるジョセフ・ルドゥーは、脳が経験と記憶を形作るやり方を調べてきた。彼の研究は、感情一般の働きを明らかにしている。彼は、多くの神経の経路が脳の中の高度な思考を司る部分をバイパスしていることを解明した。

ある精神状態、すなわち、便宜上感情と呼ばれるものを生み出す脳メカニズムはまた、脈拍や脳波のような特定の測定可能な生理状態、そしてまた走り去ったり、微笑んだりといった観察できる行動をも引き起こす。これに対して、感覚は、個人の状態に対して貼られた主観的なラベルである。ある人は「興奮する」と言うかも知れないし、もう1人は「怖い」と言うかも知れないが、2人とも同じ生理的兆候と特徴的な脳波を示すこともあろう。だから、還元的に考えようとするのが問題なのである。ルドゥー博士は書いている:


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。。。恐怖は広く存在する。。。恐怖は研究に適した感情である。というのも、それは精神医学上の多くの問題の根源だからである。いわゆる不安症 ― 不安発作、脅迫神経症、外傷後ストレス障害 ― 患者は、薬物乱用を除いた、毎年治療される全精神障害患者の約半数を占める。

恐怖行動を生み出す脳神経系は動物が生き残るのに役立つように進化し、数百万年に亘って、様々な種で保存されてきた。我々が恐怖を感じるときの行動の仕方 ― 身体の反応の仕方 ― は、我々と動物たちが同じ対象に対して反応している訳ではないにも拘わらず、彼らが恐怖を感じたときの行動にとても似ている。ネズミは株価が暴落したというニュースを聞いても不安発作に襲われることはないし、人間も普通はネコを怖がらない。しかし、我々が株価暴落のニュースに対して示す反応の仕方は、ネコに出くわしたときのネズミの反応の仕方によく似ているのである。これは非常に重要である。というのも、これが意味するのは、人間の恐怖システムがどのように働くのか知る上で、他の動物の行動や脳内プロセスの研究が役に立つということだからだ。

。。。恐怖行動の研究には、そのような行動のための行動ツール、テクニック、方法を用いるし、動物が恐怖を感じて行動するときに何が脳内で起こっているかが研究できるような良い神経科学的なツールや方法も必要である。

1つの重要な行動ツールで古典的な恐怖の条件付けとして知られているのが、パブロフによって条件反射と呼ばれたバージョンである。古典的な条件付けには、対呈示 (pairing)すなわち、無害な刺激 ― 音や閃光のような、それ自体本質的に無意味な何か ― と、その動物にとって重要な何かとを関連付けることが含まれる。パブロフの犬の場合には、重要な刺激は食べ物であり;無意味な刺激はベルだった。しかしながら、恐怖について研究する際には、食べ物は有益な刺激ではない。それ故、被験者としては実験用ラット(ネズミ)を用い、音を、例えば、軽い脚へのショックと対呈示することにしよう。(ショックは実験を行う上で最低限の強さとし、最低限の回数加えるよう配慮した。)
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※邦訳と思われるジョセフ・ルドゥー著『エモーショナル・ブレイン―情動の脳科学』は未参照。


読者はいざ知らず、私は最後の一文が本当だとはしばらく信じられなかった。オーガズムを感じているモルモット(guinea pig)の首を斬ったキャンダス・パートの本を読んだ後では尚更である。しかし、たとえ私たちが彼らのしていることに嫌悪を覚えても、これはあちらサイドの連中が持っていて使っている知識であり、この地球上私たちが置かれている状況に立ち向かうには、連中の知っていることを学ぶのが唯一の道だと悟らねばならない。それはさておき、ルドゥー博士に戻ろう:


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この種の対呈示を行った結果、音はネズミが恐怖と関連付けて学ぶものとなった。こうしてネズミがその音を聞くと、即座に反応するようになったのである:ネズミは危険を見越してフリーズ(凍ったように動きを止める)したのだ。これはパブロフの犬が食べ物を期待して、ベルの音が聞こえると涎を垂らしたのと同じ、条件反射である。

野生の動物には普通、何が危険か学ぶ際に試行錯誤を行う余裕はない;うまく対処できるまで練習の機会はないのである。もし幸運にも一度逃げおおせることができれば、この動物は捕食者の姿、匂い、音等々を記憶した方が身のためだ。実験室では音を伴うショックが十分に不快なものであれば、一度だけにしておく必要がある。

このようなことが起きたとき ― 音とショックとが対呈示されたとき ―、 活性化される反応は様々であるが、それは現実の状況において起こるものと同じだ。例えば、1996年のアトランタオリンピック爆破事件のビデオを見ると、爆弾が爆発した時、人々は最初にたじろいでいるのが分かる;
https://www.youtube.com/watch?v=Y2t6bNXbVZ4
これは条件反射だった。だがその後、人々が次に行ったのはフリーズだった:人々はしゃがみ込んで2秒ほどじっとしていたのである。これは進化が少しの間時間稼ぎをさせているのである。。。捕食者は動きに反応する。。。だから、危険な目に遭うと、我々はフリーズするのである。というのも、古い進化上の恐怖システムが危険を察知すると、自動的に反応するからだ。

。。。危険な状況では、様々な生理的反応が起る。血液は一番必要な器官(筋肉)に分配し直される。この結果、血圧と心拍数が変化する。これに加えて、視床下部-下垂体-副腎(HPA)系が活性化して、ストレス・ホルモンを分泌する。さらには、脳が生体内のオピオイド・ペプチドの分泌を活性化する。これはモルヒネに似た物質で、痛みの感覚をブロックするものだ。痛覚鈍麻と呼ばれるこの反応は、進化によって持ち越されてきたものであり、これによって傷を負った動物も歩き続けることができるのである。これは戦時にもしばしば見られ、この場合、負傷した兵士は戦場を離れるまで怪我に反応しない。ネズミがネコのような自然の脅威を知覚し、あるいは、ショックと対呈示された音を聞いたときにも、こうした全ての事が起る。そしてこうした恐怖反応は、簡単に測ることができる。

脳の恐怖システムの働きを理解するには、行動ツールの他に、神経化学的ツールも必要である。。。そのような1つが脳障害と呼ばれるもので、ニューロン間の情報の流れを遮るために開けた脳組織内の小さな穴のことである。
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こうなるのは分かっていた。彼は「軽いショック」から始めて、ネズミの脳に穴を開けるところまでやって来たのだ。次に彼は、ネズミたちの首を切るのだろう。。。


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脳障害を起こさせて、所与の経路における情報の流れをブロックすることで、そのような経路が我々の研究している行動に関与しているかどうか判定することが可能である。つまり、ある領域に起った脳障害が行動に影響せず、別の領域に起った脳障害が行動を妨げる結果、後者の領域が関係あるとみなされるのだ。脳卒中を起こしたり腫瘍の出来た人には自然の脳障害があるが、これは典型的にはあまり局部的ではない。
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きっと、専門的な言い方だと、「極めて局部的な脳障害を起こした人間」を研究している連中も居るに違いない。知識は守るのである!


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多くの研究から、ネズミや他の多くの動物について、正確な地図が作られている。
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間違いない。そして、このような動物の中には2本足のものも居るに違いない。


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この結果をふまえて、我々はネズミの脳の特殊な部位に、左右、上下、前後の3つの座標系を使って入り込み、少量の化学薬品を流したり注射することで、脳障害を起こさせた。

脳地図はまた、特定の部位の電気活動を測定する際にも役に立つ。ニューロン間のコミュニケーションは、電気活動に基いているので、電極を挿し込んで増幅器に繋げば、脳内の所与の部位における反応を記録できるのである。。。もしニューロンAがニューロンBを活性化させて、ニューロンBが発火すれば。。。これはニューロンBが我々の研究している行動に関与している脳回路の一部であることを意味する。

最終的に我々は、化学物質の活動を追跡することによって脳内の実際の繋がりを辿る ― 領域Xが軸索を領域Yに伸ばしているのか、それとも領域Zに対してなのか判定する ― ことが出来る。。。我々は領域Xに追跡(トレイサー)物質を注射する。。。注入した領域内のニューロンによって取り込まれたトレイサーは、やがて分子に乗って軸索へと送られる。その時脳を染めることで、この物質が次にどこに現れるかが見える;顕微鏡で見える位にこの部位を明るく染めるのである。この結果、領域Xがどの領域と話しているのか分かるのだ。

動物が音に反応するように条件付けできたら ― すなわち、音によって動作がフリージングしたり、血圧や心拍数等々が変わるようになったら ―、次の段階は、耳に入って来た音がどうやって体内でこのような反応を生み出す脳の部分に達するのか追跡することである。我々は脳のある部分に障害を起こし、その領域へのダメージが恐怖の条件付けを妨げるかどうか判定するという方法を採用した。もし条件付けが妨げられれば、今度はそこにトレーサーを注入することによって、脳のその部分が、どの領域とコミュニケートしているか分かるのである。さらに、このような下流領域のそれぞれに対してシステマチックに障害を起こさせることで、どの領域が恐怖の条件付けを妨げるか見極め、その場所にトレーサーを注入し、それがどこに向かうか調べ、以下同様に続ける。こうして記録された電気活動によって、その領域の細胞がどのように反応するか分かる。このようして、研究したい脳の経路について逐一調べて行くのである。

。。。多くの研究者が多年に亘って研究した結果、聴覚情報の処理に関与している神経の経路に関する広範囲に亘る知識が得られ、これは恐怖の神経的な基礎を調べる上での素晴らしい出発点となった。音の情報の自然な流れ ― 音楽、話、その他何であれ音を聞くときの経路 ― とは、音が耳に入って来て、脳へと入り、聴覚中脳と呼ばれる部位へと向かい、それから聴覚視床、最終的には聴覚皮質に達するのである。こうして、聴覚の経路においても、他の感覚系と同様に、大脳皮質が処理の最高レベルである。

。。。ネズミが、ショックと対呈示された音が危険であることを学習するためには、音ははるばる聴覚皮質までやって来なければならないのだろうか?聴覚皮質に障害を負わせた結果分かったのだが、この動物は依然として音とショックとの間で連想を行うことができ、恐怖に備えたのである。。。我々の全ての感覚からの情報が大脳皮質で処理されるのだから。。。大脳皮質が不可欠でもない、という事実は、興味深くもあり不思議でもある。我々は恐怖の感情ほど重要なものが、大脳皮質に伝わらないとしたら、全ての高度な処理は一体脳内のどこで仲介されているのか理解したいと思った。そこで我々は次に聴覚視床、さらには聴覚中脳に障害を負わせた。。。分かったのは、これらの皮質下の領域のいずれもが、ネズミの恐怖条件に対する感受性を全く取り除いてしまうということだった。条件付けられていないネズミに、このような脳障害が起きても、この動物は、音とショックとを関連付けることを学ぶことが出来ず、既に音を怖がるように条件付けられているネズミに、この脳障害が起きても、この動物はもはや音に反応しないのである。

だがもし、刺激が皮質に届く必要が無いのだとしたら、それは視床からどこへ行くのだろうか?脳内の他の領域が視床からの情報を受け取って、恐怖の反応を刺激するような体験についての記憶を作り上げているに違いない。これを解明するべく我々が聴覚視床にトレーサーを注入して分かったのは、この構造物内の幾つかの細胞から扁桃体の中に軸索が放射されているということである。これが鍵だ。というのも、扁桃体は多年に亘って、感情的反応における重要性が知られてきたからだ。という訳で、情報はどうやら視床から扁桃体へと向かい、新皮質には届かないらしいのである。

それから我々は扁桃体に障害を負わせたネズミで実験した。。。扁桃体に障害を負うと、条件付けの発生が妨げられることが分かった。。。

だから、この経路にとっては、扁桃体が重要なのである。それは外界からの情報を直接視床から受け取るや、即座に様々な身体反応を作動させるのである。我々はこの視床-扁桃体の道を低い道(low road、陰険なやり方)と呼ぶことにしよう。というのも、それは扁桃体ともコミュニケートしている新皮質内で行われる、あらゆる高レベルな情報処理を利用していないからだ。

。。。例えば、1人のハイカーが森に通りかかり、地面にある何かを見たとしよう。そのイメージは視床に達し、そこからとても荒っぽいひな形が扁桃体に送られる;続いては扁桃体が心拍数を上昇させ、筋肉を張りつめさせ、準備を完了させる。同時にこの刺激は、大脳皮質へと進み、そこではゆっくりと、完全な表象が出来上がる − ヘビだ。さて、視床はそれがヘビなのか、それとも単にヘビのように見える棒切れなのかは分からない。だが、この状況に出くわした人は、彼の扁桃体が棒切れをヘビと扱った方が、ヘビを棒切れとして処理するよりも幸せだろう。皮質下の脳は、ヘビが居る前でも生き残るチャンスを高める。扁桃体が即座に対応することで、時間が稼げるのだ。もし対象物がヘビではなくて棒切れだと分かっても、失うものはない;あなたは安心して闘争・逃走システムのスイッチを切ることができる。しかし、もしそれがヘビだと分かっても、あなたは試合をリードしている:扁桃体は活性化済みだし、あなたの身体は効果的に反応する準備が整っているのだ。

低い道、すなわち、視床-扁桃体の道は、素早く、かつ卑怯なシステムである。というのも、それは皮質を全く関与させず、まずは行動し、後から考えることを可能にするからだ。より正確には、それは進化をして、少なくとも最初は我々のために考えさせ、時間を稼いでいるのである。

大脳皮質 ― 高い道(high road、幹線道路) ― もまた、刺激を処理するが、こちらは少し時間が掛かる。皮質は人が高レベルの知覚を使って、ある曲を他の曲と区別したり、2つの話し声を区別したりするのに必要である。しかし、恐怖システムに含まれる感情的学習の幾つかを実施する上では、皮質を使う必要はない。こうして我々は、反応を始めた当初は何に対して反応しているのか知らなくても、何かに対して感情的な反応を行うことができるのである。つまり、我々は無意識のうちに感情を処理しているのだ。これはフロイトが無意識の感情を論じた時に言わんとしたことの少なくとも一部を、神経の働きに関して示すものである。

。。。我々が言わんとしているのは、無意識の感情はおそらく、例外ではなくてルールであるということだ。

普段の日々の経験においても、どこから湧いてくる感情なのか分からないけれど、なぜかしら幸せだったり、悲しかったり、怖かったりということがあるのはみんな知っている。例えば、あなたがレストランで友人と食事をしていて、食事中に烈しい議論となった際のテーブルクロスがたまたま、赤と白のチェックだったとしよう。翌日あなたが通りを歩いていて、向こうから誰かが歩いてくるのだが、どうも直観的に気に入らない相手のようだ。あなたはこれまでその人に会ったことがないのだが、気に入らない相手だと分かるのである。我々はしばしば第六感について耳にし、「直観を信じなさい」と言われるのも聞いたことがある。しかし、あなたがこの人を気に入らないと思う理由はおそらく単に、彼が赤白チェックのネクタイをしているからなのだ。この視覚的な情報があなたの低い道を通ってインプットされ、あなたの扁桃体を活性化させ、この人に対する不愉快な反応を惹き起こすのである。あなたはこの反応を、この人の外見や歩き方、行動のせいにするかも知れないが、実際には低い道。。。扁桃体が無意識のうちに活性化したせいなのである。

時として。。。このような低い道の反応も役に立つことがある。確かにそれは進化の目標だったのだ:我々を危険から守ることが。しかし、これらはまた有害なこともある。少なくとも、逆効果なことがあるのだ。赤白チャックのネクタイ/テーブルクロスの場合のように、無意識の反応は内面の真実を明らかにしないこともあろう。代りにそれは、過去に学んだ感情を呼び起こすに過ぎない。「直観の言葉に耳を傾けなさい」。。。というのは、単に、過去に学んだことに反応するというだけのことかも知れない。

。。。脳の他の領域も同様に扁桃体にインプットを行う。我々が感覚の対象と呼ぶものに関する情報 ― リンゴ、あるいは音楽や会話のような複雑な音 ― が感覚皮質から入ってくるのである。

皮質の他の部分も高度な認知に関与している。例えば、海馬と呼ばれる皮質の領域は長期記憶や出来事の背景の処理のような認知の高度な側面に関与しており、この種の情報は雨が降っているかどうかといった情景の他の要素と共に、どこで何が起ったか語ることを可能にするのである。例えば、ネズミの海馬にダメージを与えたり除去すると、この動物はもはや慣れ親しんだ場所を認識することができない;彼らは自分たちが居るテスト室が、自分たちが脚への軽いショックに条件付けられた場所かどうか区別できなくなるのである。この結果彼らは、似たような全ての部屋で恐怖の反応を示すのだ。

例えば、あなたが、全てのヘビが危険だと思っているとしても、動物園のヘビは森で偶然出会ったヘビと同じくらいには怖くないだろう。通常、あなたの海馬と皮質は背景(あなたは森の中に居るのだろうか?それとも動物園か?ということ)を認識していて、ヘビが見えても適切に反応するものである。しかしあなたの海馬が障害を負うと、動物園に居るときでさえ、恐怖反応を抑えるのが難しくなるのだ。



恐怖反応において重要な役割を占めるものとしてはもう1つ、前前頭皮質がある。ネズミの研究でも、人間での実験と同様に、音を繰り返し聞かせると、不愉快な出来事が起きない限り、ネズミは感情的な恐怖の反応を催す能力をついには失ってしまう。このプロセスは消去と呼ばれる。しかし、前前頭皮質の中ほどの部分がダメージを受けていると、感情の記憶は区別しづらくなる。だから例えば、前前頭皮質に障害のあるネズミは、未だに不愉快な出来事に関わっているかのように、音に反応し続ける傾向がある;学んだ反応は消去に対して耐性を持つのである。

しかしながら、前前頭皮質へのダメージが無くても、恐怖の記憶について完全に区別するのは難しいというのは重要な事実である。多くの研究の結果、例えば、ショックと対呈示されてきた音に対する反応を止めて数週間経つネズミも、再びその音が突然に聞こえると、恐怖反応を起こす。あるいはその動物が、条件付けされた経験を持つ部屋に戻された場合、恐怖行動が再活性化される。ストレスのせいで、人間も同様に、鎮まっていた恐怖を再活性化されることがある。恐怖症患者は、一見治療が成功したように見えても;何か ― 例えば、患者の母親の死 ― が起ると、恐怖症をぶり返してしまう。

特定のタイプのセラピーが ― そして、消去プロセスも ― 為し得ることとは、前前頭皮質を訓練して、扁桃体のアウトプットを抑制することである。このトレーニングは無意識の恐怖を取り除きはしない;それを抑えるだけである。

セラピストはこれが抑制となり、情報を与えるものだと考えている;彼らは今では、恐怖の記憶が完全には除去できないものの、少なくとも自分達がどんな戦いに直面しているかは理解している。。。

。。。私は条件付けできないような動物を知らない。。。そして、扁桃体を持つどんな動物でも、この器官は恐怖の条件付けに関与しているようである。それ故、恐怖システムはおそらく、脳に組み込まれた非常に基礎的で基本的な学習メカニズムなのだろう。

だからこの意味では、私たちは感情を持ったトカゲなのだ。我々は危険を察知しそれに反応するようにデザインされた扁桃体を持って走り回っているのである。このシステムは非常に効き目が確かで、作用の仕方は大して変わってこなかった。もちろん、変わった事もある。扁桃体のスイッチを入れる対象の種類、すなわちネズミがネコに対して抱くのと同様な、人間が反応することを学んだ[教わり、条件付けられた]対象だ。

。。。海馬は我々が「憶えている」と言うときに念頭に置いているような記憶を作り出すシステムに関与している。あなたは学校に行った最初の日や、去年の夏休み、先週のディナー等々を憶えているだろう。これらは海馬が関与している記憶である。
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続けてルドゥーは例を挙げている。あなたが通りをドライブしていて、事故に巻き込まれたとしよう。クラクションが押されっぱなしになって鳴り響いているのだが、あなたは身体が痛くてそれどころではなく、これは死ぬかも知れない、と思っている。その後しばらく経っても、クラクションの音を聞くと、あなたは事故を思い出す。あなたが見たシーンの全てや一連の出来事が、頭の中をよぎる。あれは確かに起こったのだ。しかし、それらの事実は冷え冷えとしていて、感情がこみ上げてこない。これは感情的経験の記憶なのだが、感情そのものではない。

しかしながら、これはこのように起こったに違いない。というのも、クラクションの音は扁桃体を経由すると同時に、あなたは海馬でも記憶していて、あなたの自律神経系を動かすからだ;あなたの筋肉は張りつめ、あなたはあの時あそこで味わった「闘争・逃走反応」的感覚の一切を再体験する。

理解すべき重要な事は、これら2つの記憶システムが一般に相前後して働くものの、互いに独立しているということである。


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海馬系が損傷した患者は、乏しい意識的記憶しか持たない。深刻な記憶喪失に掛かった女性の有名な患者が居る。彼女の部屋で主治医が診察する日が来ると、彼は自己紹介をしなくてはならない。というのも、この女性は一昨日彼に会ったことを憶えていないからだ。実際、ほんの数分部屋から出ただけでも、彼女は戻って来た彼のことを憶えていないのである。ある日、主治医は部屋に入って来ると、握手するため彼女の方に手を伸ばした。しかし今回、彼は手のひらにピンをしのばせていた。2人が手を握った時、チクッと痛みを感じた彼女はすぐに手を引っこめた。医師は部屋を去り、数分後に戻って来たのだが。。。彼女は彼と握手しようとしなかった。彼女には医師によってチクッと刺された意識的記憶はなかった。だが。。。彼女の扁桃体は彼女を守ることを忘れなかったのである。

これとは対照的に、海馬は無傷なのだが扁桃体にダメージを負った患者は、この種の針で刺す学習、恐怖の条件付けが出来なかった。彼は一部始終 ― 医師が部屋に来て、ピンで刺されたこと ― を事細かに知っているのだが、医師が握手を求めても手を引っこめないのである。。。扁桃体と海馬それぞれの系は、違う種類の記憶の仲立ちをしているのだ。通常、両者は一緒に働くので、「感情的記憶」。。。および「感情の記憶」(意識的記憶)は。。。我々の意識的経験の中で即座にしっかり融合する。このため、我々は内省によってこれらを分けることができない。。。

トラウマ的、またはストレスの多い状況では。。。これら2つの記憶系が別々の流れを辿る。ストレス・ホルモンが体内に分泌されるとき、ホルモン(特にコルチゾール)は海馬の働きを抑制するのだが、扁桃体の方は興奮させる。つまり、扁桃体は何の問題もなく、出来事に関する感情的で無意識的な記憶を形成し ― 実は、ストレス・ホルモンのためにそれは強い記憶となる。しかし、同じホルモンが干渉し。。。出来事の意識的記憶の形成を妨げるのだ。
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これは幼児期のプログラミングに強く関係している。海馬は幼児期、十分に形成されておらず完全に機能していないと考えられる。この結果、私たちはこの時期以前には、長期記憶、意識的記憶を育むことができないのである。

だが、扁桃体は十分に形成され機能している。虐待を受けた子供達が非常に強い感情的記憶を育み、多くの事に強く反応する一方、どうしてそう感じるのか全く理解できないのはこのためだ。無意識的感情的記憶は私たちの人生全体に強力な影響を及ぼすが、意識的に思い出せない限り、これに対して手を打つのは極めて難しい。初期の、トラウマとなった、あるいはストレスの多かった出来事に関係した何かをちらっとでも見ていれば、ポジティブなものであれネガティブであれ、感情的反応を活性化することができるのだが。

そればかりか、このような無意識の記憶は、前の方の章で既に述べたように「応用」可能である。

さて、あらゆる動物は恐怖-学習メカニズムを持っており、それがあるので生き残れるのである。彼らは危険を探知しそれに適切に対応する。しかしながら、彼らは人間のような恐怖の感情は持っていない。人間の脳内で稼働している基本的な「恐怖プログラム」は、自意識も持っているのだ。ここで新しい現象が起る:主観的感情である。


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恐怖感は。。。危険の探知に関与している皮質下の神経系によって生まれた活動が、皮質内のある系、特に作業記憶系によって知覚されたときに、意識の中で起こるものである。。。

恐怖という意識的感覚は、必ずしも感情的な恐怖反応を惹き起こさない。低い道がこれをうまく処理するのだ。つまり、我々は恐怖の意識を持たずに危険に対する反応を生み出せるのである。クルマにひかれるのを避けるために、カーブを急いで戻るような場合がそうだ。このような状況で人々はよく、「怖がっている暇もない」と言う。。。またある時には、最初に身体の中である種の反応が起り、後になってからその感情に、不安、悲しみ、怒りといった名前をつけることができる。だが多くのケースでは、たとえ不安を感じたとは言えても、何が原因でそんな感情が生まれたのか分からないものだ。じじつ、不安発作や恐怖症のような恐怖システムの不調では、このようなことはよくある。。。

このような感情を取り除くのはどうして難しいのだろうか?一度扁桃体のスイッチが入ると、それは最初期の段階から、皮質内の情報処理に影響を与えるが、皮質の処理が扁桃体に影響を与えるのは、後の段階になってからである。つまり、コミュニケーションが双方向であると言っても、両方向が等しい効果を持つ訳ではないのだ。一般的に、扁桃体から皮質への投射は逆向きよりもずっと強い。扁桃体から皮質への道がスーパーハイウェイ(高速道路)だとしたら、皮質から扁桃体への道は狭い裏道なのだ。一度感情が活性化されると、それは皮質の働き全体に影響するが、一方皮質による扁桃体に対するコントロールはとても効率が悪い。だから、感情の克服に思考を用いるのは、皮質からの裏道ないし脇道を使うようなものであり、一方、扁桃体の方は、スーパーハイウェイ経由でインプットを行って、皮質を攻め立てるのである。
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しかし、皮質で考えるというのは結局、基本的にあなたの脳を配線し直すということだ。それは裏道に対して、脳という州間ハイウェイシステムに命令するという、それら本来のあり方に成長するよう働きかけるようなものなのである。様々な研究の結果、脳内での変化が学習体験の結果であり、学習 ― 知識の獲得 ― が、脳内におけるシナプス結合を配線し直す方途であるらしいことが示されている。

ここで重要なのは、学習、冷静な思考、熟考のためにはある脳化学物質 ― 普通はアセチルコリン ― が、適切な場所に、適切な量だけ注ぎ込まれることを必要とするということだ。記憶の分子が意識的であれ、無意識的であれ、発生中の記憶に対しては盲目だということが明らかになりつつある。様々な種類の記憶の質を決めるのは、貯蔵を行う分子ではなくて、そのような分子が活動している系なのである。もしそれらが海馬で活動しているなら、記録される記憶は事実であり、私たちの意識にアクセスすることができる。もしそのような化学物質が扁桃体で活動しているなら、それらは感情的であり、意識には殆どアクセスできない。

だから、たとえ私たちが、所与の感情的反応を惹き起こしたものが何なのか、事後的にしか分からないとしても、私たちには、ある方法で感じる気付きがあるのだ。この気付きは「作業記憶」と呼ばれる。

作業記憶ないし気付きは、眉のすぐ後ろ、すぐ上にある前頭葉で発生する。この器官は、長くても新しい電話番号を憶えたいと思ったり、台所が遠すぎるから、取りに行くものを憶えたいと思うときに、私たちが使うものである。そこはまた、多種多様な情報の1つずつを比較するときに、それらを同時に保持する場でもある。私たちは起こりつつあるあらゆる種類の事を憶えて居られる。私たちは何かを見てそのイメージを作業記憶として保持しながら同時に、長期記憶からそれと比較したい何かの記憶を取り出すことができる。音や匂いだろうと、また今味わっている生理的インプットさえも取り出せるのである。そして、私たちがこれを行っている間、私たちは考えるのである:これは平和な、あるいは幸福な気分にさせるものだろうか?それとも悲しい、あるいは恐ろしい気分だろうか?

これら全ての要素が同時に一緒になるのだ。しかしながら、この作業記憶は、多数の要素を含めることが可能とはいえ、一度に1つのタスクしか処理出来ない。古典的な例は、あなたが新しい電話番号を憶えようとしているとき、ダイアルを回し始める前に、誰かが何か質問してくるというものである。質問に答えるうちに、電話番号はどこかに飛んで行ってしまい、あなたは電話帳からまたそれを調べなくてはならない。

この「作業記憶」ないし気付きとは ― 意識そのものではないとしても ― それに向けた窓であるらしい。作業記憶こそ、意識的な感覚が起る場なのだ。作業記憶の中では、3つのものが一緒になって、意識的感覚を生み出している:現在の刺激、何らかの方法により活性化された扁桃体内の感覚、そして、海馬内で活性化した意識的記憶である。

現在の刺激には、教会の中に立っているというようなことも含まれよう。これが扁桃体を刺激する結果、教会内での数々の無意識的な記憶がよみがえる ― 受容体に神経化学物質が溢れる;そしてこれは前回あなたが教会に居た時の意識的記憶を活性化させ、あるいは、憶えているいくつかの記憶が心に去来する。これら全てが作業記憶内で一緒になるとき、今や化学物質と過去の歴史で活性化している身体と合せて、これは「感覚」として知覚される。

既に述べたように、同じことはどんな出会いの際にも起こり得る。現に目の前にある事が今や化学物質のスイッチを入れて、それらの化学物質に関係のある意識的記憶を喚起し、やがて今という瞬間が同じ観方で解釈されるのだ。

今述べたように、無意識的な化学的刷り込みが思考に与える影響の方が、逆向きの影響よりも強力であるために、昔からある、理性対感情、論理対情熱、知識対信念という論争に私たちは直面することになるのである。

恐怖、快楽、あるいは性的魅力のいずれによってであれ、あなたが感情的に興奮しているとき、感情が思考を支配しているのは厳然たる事実である。

遥々プラトンへと遡る哲学者たちは、この基本的な分裂を延々と分析してきた。このような化学反応を説明するために、身体は情熱や欲望、恐怖、空想、愚かさ、おとぎ話で満たされるとされてきた。真の哲学者とは、理性を用いて自分の感情を征服できる人であるとプラトンは考えた。ソクラテスは「汝自身を知れ」と言ったが、これは私たちが感情をコントロールするには、自らの感情について理解しなくてはならないという意味である。

歴史上の哲学者や著述家の圧倒的多数は、単なる動物でなく、真に人間らしくあるためには理性を活性化させねばならないと信じていた。デカルトは「我感じる故に我在り」とは言わなかった。思考とはどうやら、人間の行いの中でも際立って、人間を動物から区別するもののようである。しかし、セオドア・ドライサーが語ったように、「我々の文明は未だ中間の段階にあり、もはや本能によって導かれていないという点で、かろうじて動物的ではないが、全面的に理性によって導かれていないという点で、かろうじて人間的でもない」のである。

これの最たる例はもちろん、『スタートレック』のドクター・スポックである。メルヴィルの『白鯨』に出て来るエイハブ船長はこれと正反対だ。メルヴィルは「エイハブは決して考えるということがなく、ひたすら感じるのみである」と書いた。おそらく、白鯨を無心に追い続けるというのは、感情のままに生きる様を喩えたものだろう。

しかしながら、私は知覚に支配されるよう唱導している訳ではない;大事なのはバランスである。今のところ、扁桃体からの皮質への大量のインプットと扁桃体に対する皮質の僅かなコントロールとの間には大きなアンバランスがある。たとえ思考が扁桃体を活性化させることによって、たやすく感情を惹き起こすことができるとしても、それが感情を意のままに追い払うのは非常に難しい。

あいにく、皮質から扁桃体への繋がりは、実際、他の動物よりも霊長類の方が強い。どうやら、よりバランスの取れた皮質の経路が進化のトレンドであるらしい。私見では、それが発達しない種は滅びるのだと思う。感情と思考との、より調和的な統合によって、私たちは真の感覚とそれがある理由、および、それらをより効果的に利用する方法の両方を知ることができるだろう。

学習が鍵である。知識が守るのだ。そしてもしあなたが既に大きくなった前頭皮質を働かせるという利点を生かして、パズルのピースを合わせ始めていないのなら、おそらく次に見る内容によって、ついに一切が明らかになるだろう。

前頭皮質の裏道を散歩してみようではないか。


(本章終わり)
posted by たカシー at 07:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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