2013年08月10日

ザ・ウェイブ 第69章:カリュブディスの荒波、セイレーン、そして航海者

http://cassiopaea.org/2012/03/25/the-wave-chapter-69-the-whirlpool-of-charybdis-the-sirens-and-the-navigator/
ザ・ウェイブ 第69章:カリュブディスの荒波、セイレーン、そして航海者


私たちが映画『マトリックス』に描かれているような、本物のマトリックスに囚われているという考えがかなり受け入れ難いものであることは分かる。歴史上の数多くのソースが、人類のあらゆる不幸は人類自身 ― 人類の状態のみ ― のせいであると説いてきた。確かにこれは集合精神による選択なのかも知れないが、実際は遠い国を尋ねたかった放蕩息子のようなものだろう。気付いて見れば私たちは、ほとんど豚小屋に居るようなものだからだ。宇宙のグランド・スキーム(物事のあり方)の中で、私たちの魂が行った旅は、私たちの経験と知識を豊かにしただろう。それは実に素晴らしい事だ;しかしこのレベルで、私たちは個人的に、また集合的に、未だに遠い国での経験を続けているのであり、私たちは置かれた状況の評価に取り掛かり、ここで何らかの理解を得る必要があるのだ。

この『放蕩息子の喩え』を一語ずつ正確に見て行けば、何か手掛かりが得られるかも知れない。ルカによる福音書15章11節(!)にはこう書かれている:


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また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。
弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。
何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。
何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。

それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。

そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』

そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。

息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』
しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。
それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。
この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。
そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。
僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』

兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。
しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。
ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』

すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。
だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」
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この物語には、素晴らしく、また豊かな意味合いがあるのだが、ここでは完全な分析はひかえよう。重要な点に注目したい。以下である:


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何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せた (forced himself upon = glued) ところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。
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ここで述べられているのはマトリックスの様子であり、実に興味深く思われるのは、「身を寄せた」という言葉である。ギリシャ語kollawからfoced(ジェームズ王欽定訳だとjoined)と訳されているが、これはkolaに由来し、文字通りの意味はglued(糊付けされる)である。彼はその地方のある人のところに身を寄せた(glued)。ここで考えずに居れないのが、多くの人々が自分達の信念体系に釘付けになっている(glue)ということである。

このような釘付け状態は、トッパーが『エーテルのフィラメント』(※詳細不明)で述べている一種の紐帯を意味すると言えば十分だろう。これはまた、前章で触れた中世木版画の人物像を髣髴とさせる。

しかし実のところ、ここで述べられているように、この解決法 ― 釘付けになること、すなわち信念 ― ではうまくは行かないのである。実際、とうとう彼は豚と一緒の餌を食べねばならないという嘆かわしい状態になった。「(だ)が、食べ物をくれる人はだれもいなかった」

という訳で、この状況においてようやく、豚と一緒に暮らし、同じものを食べていても生活は良くならないと悟った彼は、以下のように痛感した:


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そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。
ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。
もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』
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さて、ここで私たちが知りたいのは:「彼(が)我に返っ(た時)。。。わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました」と悟ったとは、どういう意味なのか?ということである。

手掛かりは豚の姿のうちに与えられる。だから、次章以降に進む際には、このことを銘記されたい。豚(最近の我々は「悪党ども(“ponerized” individuals)」と呼んでいる)と一緒に居る状況
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=47886840
となったのが、その地方に住むある人(サイコパスである支配者、すなわち、STS支配)のところに身を寄せた結果であることを忘れずに。

本章では、時間順に公表しようとしてきた流儀を離れ、カシオペアン交信文から余計に引用しようと思う。気にするには及ばない。直ぐにリニア・モードに戻れるだろう。だが、今や読者は錬金術のイニシエーション・プロセスの要素である緩徐加熱法を理解している訳だから、この交信文でカシオペアンズが坩堝を熱している(=試練を課している)のがたやすく理解できよう。そして不思議なことに、ここにもまた3-5コードが出て来るのである。ある人が言っていたように(※未邦訳の65章でローラやアークの陰口を言う準公認メーリングリストメンバーの話が出てきます)、この交信文のせいで私が「気も狂わんばかり」だったとすれば、これはきっと、何らかの驚くべき発見につながるに違いない。だからおそらく、カシオペアンズが愚かな風を装っているのも、問答法なのだろう。

1996年12月14日、私たちはシーズと、以下のような奇妙な会話を行ったのだった:


961214
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Q: (T) それじゃあ、人々の振動数を低下させて、(UFO等を)見えなくするような遮断テクニックがあるんだね?

A: 遮断テクニックは沢山の事に使われる。

Q: (T) 人々が周りで何が起きているか理解できないようにだ。

A: Yes. 早い話がそうだ。見て、知って、考えるように、つまり。。。彼らにとって望ましいものを見せられ、知らされ、考えさせられるんだ。

Q: (L) Okay, 別のテーマ、数字の33と11の問題に移るわよ。95年11月11日に与えてくれた以上の何かを今回は教えて頂戴?数学についてとか、これらの数字の使用についてね。

A: 素数(Prime numbers)は神秘の住み処だ。

Q: (L) 「素数は神秘の住み処だ」とはどういう意味?

A: あなたに与えた道具を使えば自明だ。

Q: (L) どうして数字が住み処になるの?

A: 単なる喩え。[プランシェットが数回、力強く螺旋を描く] そして、「プライムコ(Primeco)」(※現ベライゾン・ワイヤレス)という名前の「携帯(cell)」電話プロバイダーが出来た(※1995年)とは何とも面白い。

Q: (L) それで、「プライムコ」という携帯電話プロバイダーが神秘の住み処である素数とどう関係あるの?

A: 私達が答えることではない。
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カシオペアンズは、私たちの頭脳こそが進歩のための最大の道具だと繰り返していた。そこで私たちは、ここの所で交信を中断して、自分達で頭を使って議論し、「素数は神秘の住み処だ」という実に謎めいた言葉がどういう意味であり、それがcell(細胞、通信可能エリア)やphone(電話、cell phoneで携帯電話)とどう関係するのか、解明しようとした。

私たちはcellという言葉、そして、その上に住むという考えについて、連想ゲームをやってみた。次のような言葉が思い浮かんだ:修道士の鍛錬の小部屋(cells of monks)、監獄、1とそれ自体でのみ割り切れる素数。私たちはまた、暗号化についても考えた。というのは、素数はしばしば暗号化コードに用いられるからである。


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Q: (L) 暗号化がカギなの?

A: Oh, ここでは随分と行われている。1例は:「スネーク・アイ(ピンぞろ)」だが、7や11の方が良くないかな?

Q: (T) どちらも素数だな;7と11か。

(L) 何らかの文書だとか。。。当てはまるようなものが。。。

A: No, ねえローラ、コンセプトにフォーカスしたり制限しようとしてるね。考えてみなさい。ユダヤ=キリスト教の伝統で女性の創造とはどんなものとされたか?

Q: (L) 女はアダムのあばら骨(rib)から取られたのよ。イブはアダムのあばら骨から創造されたわ。

A: 「プライム・リブ(prime rib)」
(=特上ヒレステーキ、極上のあばら肉◆ヒレの塊をゆっくり長時間加熱して切り分けたステーキ)
って聞いたことあるかな?

Q: [一同、ブーイング]

(T) 幼稚でテーマが何だか分からないのは嫌だな。Okay, プライム・リブだろ。プライム・リブということは。。。

A: 「一番(Primary)」だとどうなるかな?

Q: (L) 選挙ね。候補者を絞って行くのよ。一番に何が起こったの?

A: 経営者に「選ばれた」のは誰だろう?

Q: (L) Okay, 続けて。。。

A: 「プライム・ディレクティブ(=重役のナンバーワン)」?

Q: (L) OK.

A: 「プライム・タイム」?

Q: (L) 最初のとか、ベストのとか。。。

A: そういうことじゃない。

Q: (L) そうじゃないのは分かってるわよ!こうして言ってることが、素数を使うことが、他の何かを導き出すの?

A: 神秘だと言った筈だ。

Q: (T) ここでは素数が何に使われてるかと言うと。。。

(L) Oh, OK, 分かったわよ。だから、神秘が。。。神秘、神秘的な秘密が。。。コードとして使われると言うのが、素数の中に住むということだわ。

A: ヒントシステムのカギとして、主な(primary)神秘主義の組織を挙げなさい。

Q: (L) 。。。ヒントシステムのカギですって?

A: Yes.
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私達は以下を挙げた:カトリシズム、キリスト教、ユダヤ教、カバラ教、スーフィズム、イスラム教、古代の神秘主義、イエズス会、メーソン、テンプル騎士団、薔薇十字。。。


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Q: (L) All right. こうしてささやかなリストが出来たけど、私達、気付いてるかしら、それとも全然外れてる?

A: 大丈夫だ。それでは、あそこのクロップ・サークル(=ミステリー・サークル)の写真を調べなさい。。。何か素数の組み合わせがあるかな?

Q: (L) 次元のことを言ってるの?構図のことを言ってるの?

A: 構図と次元。。。何でも見つかるもの。
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一同による議論:神聖幾何学について;リストに挙げたセクトがいずれも素数を使っていることについて;創世記2章22節。「主は男から取り出したあばら骨で女を造った」 ― 2が唯一の、偶数である素数だということ;創世記3章5節(=3-5コード)。「お前たちの目が開き、神のようになるだろう」;知識の木の実を食べること等々。


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Q: (T) 。。。答を手に入れるために、その暗号を解く方法を見付けること、何かを手に入れること、メッセージを手に入れること、それから何かを得ること。。。

(L) 私達、辿るべき方向で考えてたかしら?それとも、彷徨ってた?

A: いずれも辿るべき方向だ。さて、壁の写真を見なさい! [私たちが壁にピンで留めていた、何枚もの大きなクロップ・サークル写真コピーのことを言っている]
(※冒頭の原文URLにイメージが掲出されています。旧版保存サイト
http://cassiopaea.xmystic.com/en/cass/wave13g.htm
で見れないオリジナルの写真は
http://web.archive.org/web/20041206074032/http://www.cassiopaea.org/cass/wave13g.htm )

Q: (L) OK, 写真を見てるわ:何が言いたいの。。。

A: 3番目の写真の大きな球を数えなさい。

Q: (L) 7つあるわ。

A: Yes.

Q: (L) この写真は何を表わしてるの?

A: まだだ。

Q: (T) OK, 大きな円は7つある;中央に大きいのがあり、外側の6つはやや小さい。小さい方の6つはどれも、軸か線、あるいは何らかの導管によって、大きい方の円と繋がっている。

A: 大きい球と小さい球を足しなさい。

Q: (L) OK, 7つよ。大きいのに小さいのを足すと7;ちっちゃいのも足すと13よ;さらに小さい小さい、末端の小さなコブも足すと、さらに6個だから19ね。

A: Yes …

Q: (T) じゃあ、また素数だ。

(L) OK, これらは素数ね。そして。。。

(T) 子どもの方、大きな円の周りにある1組目は、第7密度にくっ付いている第6密度かな?

A: ノーコメント。

Q: (T) OK さて、次に、その外側には、もっと小さい球がある。それぞれが次のに、一列に繋がっている。数えると素数になっている。これは何を描いたものだろう?真ん中に1つと外側に6つ:さらに外側に大きめのが6つ、その外側に小さいのが6つ:ちっちゃいのが。。。見た感じ、具体的な何かではないね。これが表わしてるのは。。。1つの球が段々と小さくなって。。。向こうに行ってしまうところかな。それとも、こっちに来るのかな。それとも行ったり来たり、無数の鏡みたいな。。。

A: 3次元にしたら。

Q: (L) ボールか球みたいになるわ。

(T) Ohhh, この3本の線は軸、xyz軸だ!3次元軸なんだ。こんな風に3次元になってるぞ。 [テリー、片手を上げて、人差し指で天を、親指で自分を、中指は水平に指す] 極小、小、中、大、中、小、極小の続きが1本として、3本の軸が3次元的に組み合わさっている。何か見つけたかな、それとも、また外したかな?

A: 見付けた。

Q: (T) これは何か見付けたのかな?

A: Yes.

Q: (T) Ahhhh, 僕にはもうこれが、平面の円ではなくて、3次元の物体に見えるよ。

A: 他の写真に対してもそうしなさい。

Q: (L) OK, それらも3次元化してみるわ。さて、どういう風に進めるべきか教えて頂戴。。。

(J) 最初のこれは螺旋が外に向かって伸びてるのね。。。それともDAN分子。。。

(T) それ以上の意味合いがあるに違いない。。。

A: 今晩全部を解明する必要はない。考える材料として示しただけだ。。。アークが既にコンピュータ・プログラムで3次元化しているだろう。

Q: (L) Yes, これの意味合いの話に戻りましょう。これらのクロップ・サークルは、あなた方の話を聞いていると、コードすなわち、神秘的な素数、神秘の住み処に関係があって、これら全てをどういう風にかまとめると、これらの様々なパズルのピースを、実に多くの様々な方向からまとめる結果、何かを行えるような何かを知覚し、学び、あるいは思い付くということなの?

A: Close.
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さて、このセッションでもイライラしない人が居たら大したものだ。だが、これらの手掛かりを調べた結果、私が見付けた以下の文書を検討するうち、洞察力のある読者はカシオペアンズが何に注目すべきだと指摘したのか分かるだろう。

ディーパック・チョプラ博士は、1970年代初頭にオピオイド受容体(アヘン剤受容体)を発見したキャンダス・パート博士の『感情の分子』の序文において、彼女のことを以下のように紹介している:


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彼女の先駆的な研究は、私たちの体内で分泌される化学物質や神経ペプチド、およびそれらの受容体(レセプター)が、私たちの意識の生物学的基盤であることを証明した。すなわち、彼女が解明したところによれば、それらは私たちの感情、信念、期待として姿を表わし、私たちの世界に対する反応や世界の経験の仕方に深く影響しているのである。
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http://aromahonjin.way-nifty.com/blog/2012/03/molecules-of-em.html


人間の脳は、おそらく宇宙で最も複雑な構造体であろう;ある意味、それは宇宙の中の宇宙であると考えられるかも知れない。生まれたときの幼児の脳には約千億個の神経細胞すなわちニューロンが含まれている。この数は天の川銀河にある星の数に匹敵する。さて、これだけの数が持ち得る、電気ポテンシャルがどれほど巨大であるか!考えてみて欲しい。だが、今考えてみたいのはニューロンの数の多さではなく、それらが私たちの頭という小宇宙の中で、実際何を行っているのか、ということである。

あなたの胃や脾臓の細胞、あるいは、おなかの贅肉中の脂質とは異なり、ニューロンは絶えず互いに複雑な会話を行っている。各ニューロンがコンタクトする細胞は、平均して数千個に上る。ニューロンの中には、20万もの接続先を持っているものさえあるのだ。これほど沢山の人々と電話線を繋いで会話し、ちゃんと会話の内容を把握するなど想像できるだろうか?(そう、科学者たちはこれを電話会社に喩える。それも携帯電話プロバイダー(a cell phone company)にである。)

米国立精神衛生研究所長のスティ−ブン・ハイマン博士は書いている:


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。。。私たちが起きているか、眠っているかを問わず、私たちの脳細胞は、大衆に対する電話マラソン(=募金などを目的として、電話で勧誘活動をすること)のニューロン版を行っている。すなわち電気信号を引き金とした、化学的なメッセージの送受信である。これは特殊な付属肢によって行われる。個々の神経細胞は軸索と呼ばれる、情報送信用の一本の長い繊維組織と、樹状突起と呼ばれる、情報受信用の精密な繊維細工を持っている。軸索の長さは様々である。ごく短いものもあれば、3フィート(91.4cm)に及び、例えば、脊椎の付け根から足の親指の先まで、電気信号を伝えるものもある。3フィートというのはあまり長くは思われないかも知れない。だが、神経細胞が差し渡し3フィートの凧だとすると、尾である軸索の長さは40マイル(6.4km)になる計算だ。
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*States of Mind, New Discoveries About How Our Brains Make Us Who We Are; Edited by Roberta Conlan, 1999


ニューロンは、電気信号をミエリンで絶縁された軸索を通して、軸索終末へと送る。そこでは神経伝達物質と呼ばれる化学物質が分泌され、それがシナプスを経て漂い、受け手側のニューロンの樹状突起に到達するのである。入ってくる信号の総和が十分な量になると、受け手側のニューロンは発火し、軸索を通じて電気信号を、列の次のニューロンへと送る。このような信号の付加によって、ニューロンが発火するかどうかを決める様子は1種の投票である。ということで、これはカシオペアンズの言っていた、一番(primary)すなわち、経営者に選ばれた人ということを考える手掛かりである。

さて、この軸索終末で、電気信号は神経伝達物質と呼ばれる化学物質に変換されるのだが、神経伝達物質は、受け手すなわち、隣のニューロンの樹状突起の周りのエリアに、言ってみれば溢れるのである。ここで重要なのは、受け手側のニューロンが神経伝達物質による信号を受け取るための繊維質を沢山持っていて、文字通り何千もの他のニューロンとコミュニケートできることである。それでは、どうやって話を聞く相手を決めるのだろうか?また、どうしてそれが大事なのだろうか?

(※原文に図あり)

ここからが面白い所だ。今を遡る20世紀初期、薬は体内の何かに付着するから効き目があるということが分かった。この付着する場所は受容体と呼ばれることになった。この付着がどのように作用し、どうして体内で滝の流れのような一連の変化を起こすのか、本当のところは誰にも分からなかったのであるが、確かに受容体は存在するのだ。人が薬を飲むと、こうしたこと一切が脳内か、あるいは身体の他のエリアで起こるのである。

長年の研究によって、今では受容体が1個の分子であることが分かっている。そればかりか、それは非常に複雑なのだ。定義上分子とは、物質を小さな欠片に分割して行き、その物質のままで在り続ける最小の欠片のことであることに留意されたい。

分子は原子から出来ている。原子はある規則に従って、互いに結合している。この規則は、ある原子で最も高準位のエネルギー殻(最外殻)を回る電子の数に関係がある。原子の性質を決めるのは電子の数であり、この電子は、太陽を回る惑星の軌道に似た殻に並んでいる。ただ一つ違うのは、電子は丸い天体のようなものではなく、エネルギーの雲のようなものであることだ。電子で一杯の殻は特に安定的なので、外側の殻が一杯になるような並び方を原子は好むようである。電子はまた、その特徴からアップとダウンの2種類に分けられる。アップ電子はダウン電子と対になりたがる。これを原子のスピン状態と呼ぶ。また、原子の外殻にある電子の現在数と、原子が本来外殻に持とうとする電子の数次第では、原子は1つあるいは複数の他の原子と結合することがある。例えば炭素は、原子価4であるが、これは4つの原子と結合できるという意味である。水素は1つとしか結合できないので、原子価1である。つまり、炭素原子は4つのコネクターを持っていて、コネクターを1つ持つ水素原子4個と結合可能である。この結果できるのがメタン分子CH4である。酸素は原子価2である。つまり、原子価4の炭素原子は2つの酸素原子と、言わば二重結合することができる。この結果出来るのが二酸化炭素CO2である。

もちろん、一酸化炭素のような興味深い結合もあり、これは炭素の価電子帯が2つ未結合のままであるし、3つの酸素原子から成るオゾンでは、2つの価電子帯が未結合である。これらはいずれもコソコソと隠れてうろつき回り、何かを捕まえようと待ち構えているのだ。

下図は、分子の2つの表し方を示したものである。右側の方が、形態的には、おそらくより現実に近いだろうが、これでもまだ模式的である。

生物学的に最も興味深い原子は炭素である。炭素の場合、中心の原子から4つの継ぎ手が、正4面体の4つの頂点に向かって延びている。既に述べた通り、炭素の原子価は4であり、また偶然にも、最も安定した原子の形は、最外殻が8つの電子で埋まっているものである。これは通常、最大の原子価である。

読者の中には、すぐにこれらの数の重要性に気づき、心霊主義の世界における神秘的な観方には何ら意味など無いと考えた人々も居られるだろうと思う。こうして見てみると、儀式や黒魔術には出てこなくても、これらの数が非常に深い意味を持っているのが分かる。比喩や寓話によって厚いヴェールに覆われた、神話やいわゆる神秘はもしかしたら、本当の科学なのかと思われてくるではないか。ジェシー・L・ウェストンは『祭祀からロマンスへ』の中で、「わたしたちが取り扱っているのは宗教の根本的要素ではなく、消滅した文明の四散した肢体disjecta membraなのだろうか」と述べている。たとえこれが、技術的に私たちより進歩していた古代の人々によってもたらされた情報が歪められたものでなかったとしても、本物の高次のソースからの情報が隠喩や謎に隠されたものかも知れない。私たちに伝えられた不吉な物語はいずれもおそらく、重要な科学情報が神話化されたものなのだろう。もしそうだとすると、私たちは、儀式や宗教的ナンセンス、不吉な物語の一切を剥ぎ取り、本題に取り組んで、実質的な観点から魂の科学を発見しなければならない。

ここでの私たちのテーマに戻れば、これは炭素原子 ― 私たちの生存にとって基本的な原子である ― に関する実に興味深いパズルである。炭素原子に関して、ライナス・ポーリングが示した結果は、完全にシンメトリックなものだということだった。すなわち、4つの継ぎ手が正4面体の4つの頂点に向かって延びているというのである。原子が最外殻を埋めたがるのに加えて、結合状態にある各電子は互いにできるだけ離れようとする結果、このような配列になると推測されたのだ。

炭素原子は、他の炭素原子と結合することを非常に好む。これが有名なベンゼン環構造の基礎である。ベンゼン環は特に安定した分子の形である。4つの結合した炭素の軌道が成す自然な角度が、うまく6面構造 − 六角形 − に当てはまるからだ!

さて、結合について述べたり図式を描いたりといったことを長々と行うこともできるだろう。だがここで知るべき重要な事とは:このような化学結合のプロセスの結果もたらされる分子がそれ特有の形を持つということである。炭素結合は柔軟性に富み、折れ曲がることも可能だし、前後左右にもつれたり旋回したりして非常に複雑かつ特異な形にもなれるのだ。こうしてもつれたり旋回したりする結果、一方の側基に属する原子が他方の原子に接触して、あらゆる種類の複雑な結合が生まれる機会を生み出すのである。炭素結合間の自然な角度はまた、特に好んでベンゼン環の形を取り、炭素が長い鎖状となる場合、この自然な角度の結果、鎖は分子自体の周りをぐるぐると取り巻く傾向があるのだ。しかしこのような場合、炭素原子は輪を閉じるようには結合せず、ヘビのとぐろのようなポリマー鎖となって繋がって行くのである。

例えば炭水化物(糖質)は、ベンゼン環構造に基いて形成される物質グループの1つである。炭水化物の場合、殆どの炭素原子は、他の2つの炭素原子と繋がっているが、残りの2つの継ぎ手で他の原子や基、すなわち、一方でOH基、他方でH原子と繋がっている。
http://bonnokakurega.up.seesaa.net/genome/saibou3-3a.gif
炭素が真ん中に入らなければ、OHとHは結合してH2Oすなわち水となる。だから、炭水化物というのは文字通り、水で薄めた炭素なのである。

比較的簡単な炭水化物、すなわち水で薄めた炭素は、糖と呼ばれる。ベンゼン環を1つしか持たない糖が単糖類である。ベンゼン環が2つになったのが二糖類だ。もっと複雑な糖は多糖類と呼ばれる。グルコースは単糖類である。マルトースは二糖類である。グルコースが鎖状に連なって、多糖類となったものが、でんぷん(スターチ)と呼ばれる。少し配列を変えたものが、これまたお馴染みの生体物質であるセルロースである。

さて、基礎的な単糖類には、6つの炭素原子が含まれる。しかし、多糖類の中には、5つの炭素原子しか含まず、そのうちの4つが5面の輪を成す酸素原子と結合しているものがある。5番目の原子は、側基であるCH2OHの一部となっている。このような複合体はペントースと呼ばれる。
http://rikanet2.jst.go.jp/contents/cp0240/images/c05_images/c05_1a_data/05-01-b.jpg
ペントースの1種で、グルコースに似ているのだが、炭素原子が足りず、側基と結び付いているものはリボースと呼ばれる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B9
もう1つ、リボースに似ているのだが、このうちのOH基の1つから酸素原子が失われ、単純なCH結合だけとなったものはデオキシリボースと呼ばれる。これは1個の酸素が失われたリボースという意味である。デオキシ・リボース(Deoxy-ribose)は、生命の基本分子であるデオキシリボ核酸、すなわちDNAの名前の元となる基本単位である。プライム・リブォース(a prime rib-ose)という感じではないか?

細胞上の単原子受容体の話に戻るが、先に述べた結合法則から分かるのは、こうした受容体はまさにこれらが惹き付けられる化学物質を規定するような独特の形をしており、逆もまた然り、ということだ。分子同士が惹かれ合うようにする、原子の力があることが分かる。細胞上の受容体分子が好みのあれやこれやの形の間を行ったり来たりするとき、このようなエネルギーに反応して小刻みに動いたり、振動したり、うなりさえする。受容体は細胞に惹き付けられその表面に浮かぶのだが、それは恰も、池の水面上の睡蓮の花のようであり、根は細胞の内側へと延びているのだ。睡蓮の花と言えば思い出すのが、ホルスの息子たちのことである。彼らはしばしば、睡蓮の姿で表わされる。
http://makaula.blogspot.jp/2013/01/blog-post_15.html
http://www.hoshi-no.com/w-l1.html

細胞の表面には多くのタイプの受容体があり、これらを識別するために色で塗り分けると、細胞の表面は、最低でも70の異なった色から成る、自然のモザイクのようになるだろう。モザイクに使われるタイルは驚くべき数に上る − ある種類が5万、もう1つが1万、また別のものが10万等々といった具合だ。典型的なニューロンの場合、表面に数百万の受容体を持っているのである。

科学者がニューロンと受容体について述べる際に用いる、別の面白い喩えが、それらは芽の出た木のようだというものである。実際、見た目が非常に似ているため、科学者たちはこの言葉を、枝分かれや樹枝状分岐を含むニューロンの成長を表現するのに用いる。この比喩を用いれば、樹皮は細胞の皮膚である、神経細胞膜に喩えることができる。しかし、固くて固定的な樹皮とは違って、細胞膜は、細胞を1つの実体たらしめるような、脂肪質の柔軟な境界面である。

これこそまさに生命の樹だって?

さて、これらの受容体は何をするのだろうか?これらが他の分子を惹き付け、様々な種類の継ぎ手の原子的な力に反応することは既に見た通りである。パート博士はこう書いている:


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受容体の基本的な機能は、分子を感じること、スキャナーである。感覚器官である、私たちの目や耳、鼻、舌、指、そして皮膚がしているのと同じことを受容体も行うのであるが、ただこちらは細胞レベルで行うのだ。これらはあなたの細胞膜に浮かびながら、踊ったり振動したりし、同様にアミノ酸で出来た、他の振動する小さな被造物が運んで来るメッセージを受け取るのを待ち構えている。このようなメッセンジャーは1つ1つの細胞を取り巻く流動体の中を巡航するようにやって来る − これを専門用語で拡散と呼ぶ。我々はこのような受容体を「鍵穴」に例えたいのだが、これらが絶えずリズミカルかつ振動的に動き、踊っているために、これは全くぴったりな呼称という訳ではない。
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全ての受容体はタンパク質である。。。そしてこれらは、細胞膜の中に群がって、自らにふさわしい化学的な鍵が細胞外液の中を泳いできて、自分の鍵穴に嵌りながらのしかかってくるのを待っている。結合と呼ばれるプロセスである。

結合。分子レベルでのセックスだ!


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受容体とドッキングし、これを踊らせ揺さぶる、この化学的な鍵とは何だろうか?この張本人はリガンドと呼ばれる。これが受容体に結び付き、鍵穴の中に鍵のように入り込み、この分子をくすぐって姿勢を変えさせる騒ぎを起こす化学的な鍵なのだ。この結果受容体はついに姿を変えて、カチッ!情報を細胞内に取り込むのである。
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ということで、またしても携帯電話の喩えが出て来た。そして、リガンドを細胞のファルスに喩えても、無理があるようには思われない。リガンドはラテン語のligareすなわち、結合するものという語に由来する。同じ語は宗教(religion)の語源でもある。興味深いではないか?しかし、これについての考察もまた、後の機会にとっておこう。

受容体は感情を構成する第1の要素である。

リガンドは、細胞表面にある特定の受容体と選択的に結合するものであれば何でもよく、天然であると人工であるとを問わない。リガンドは受容体にのしかかっては離れ、またのしかかっては離れする。のしかかるのが結合であり、これを行う度、リガンドは自らの分子的特性によるメッセージを受容体に伝えるのだ。

パート博士は書いている:


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錠前にぴったりの鍵というのが標準的なイメージであるが、このプロセスをよりダイナミックに表現すれば、2つの声 ― リガンドと受容体 ― は、同じ音を出し、振動を起こす結果、細胞へのドアを開けるベルが鳴るということになろう。次に、極めて驚くべきことが起こる。メッセージを受け取った受容体は、それを細胞表面から、細胞内の奥深くへと伝えるのであるが、この結果、細胞はドラマチックに状態を変えることになるのだ。唸りを上げて動き出したちっぽけなマシンによって、生化学的な連鎖反応が始まり、このリガンドのメッセージに導かれて、数多くの活動が始まるのである − 新たにタンパク質が製造され、細胞分裂の決定が行われ、イオン・チャネルを開けるか閉めるかし、リン酸塩のようなエネルギーに関わる化学基を追加するか取り去るかする。これはほんの一例である。つまり、細胞の生命は、それがいつ何に従事していようが、その表面にどの受容体が存在し、この受容体がリガンドによって塞がれているかどうかで決まるのである。より大きなスケールで見れば、このような些細な、細胞レベルにおける生体現象が姿を変えて、生命体の振る舞いや身体活動、ムードにすら大きな変化をもたらすのだ。

。。。各細胞を取り巻く流体の流れの中をリガンドが漂うとき、正確にふさわしい形をした分子を持つリガンドのみが、特定の受容体と結合できる。結合のプロセスはとても選択的であり、特殊なものだ!実際、結合が起るのは受容体の特異性の結果であると言える。つまり、受容体は自分に合う特定のもの以外の全てのリガンドを無視するのだ。例えば、オピオイド受容体は、エンドルフィンやモルヒネ、ヘロインのような麻薬類のリガンドしか「受け入れない」。『バリウム』受容体はバリウムかバリウムに似たペプチド(◆2個以上のアミノ酸がペプチド結合したもの)にしか付着しないのである。

。。。リガンドは一般に、結合相手の受容体よりずっと小さいが、化学的タイプから3つに分類される。リガンドの1番目のタイプは、古典的な神経伝達物質から成る。アセチルコリン、ノルエピネフリン、ドーパミン、ヒスタミン、グリシン、GABA(ガンマアミノ酪酸)、セロトニンといった呼びにくい名前の小さな分子である。これらは最も小さく、簡単な分子で、一般に脳内で作られ、ニューロンとニューロンとの間の隙間すなわちシナプスを越えて情報を運ぶものである。。。

リガンドの2番目のカテゴリーを形成するのはステロイドであり、これには性ホルモンであるテストステロンやプロゲステロン、エストロゲンが含まれる。全てのステロイドは、最初はコレステロールだったのだが、一連の生化学的段階による変換の結果、特殊なホルモンとなったものである。。。

。。。私のお気に入りのリガンドのカテゴリーは、ダントツに数が多く、全てのおそらく95パーセントを占めるペプチドである。。。受容体と同様、ペプチドは複数のアミノ酸から出来ている。。。

[ペプチドはタンパク質の小片であり、タンパク質(protein)という言葉は、主要な(primary)という意味のproteiosに由来している。タンパク質は生命にとって欠かせない材料だと考えられている。ペプチドは、糸に通したビーズのように繋がった複数のアミノ酸から出来ている。アミノ酸を結び付けている継ぎ手は、炭素と窒素で出来ている。この継ぎ手はとても強力なので、これを引き裂くには強酸の中で数時間、場合によっては数日間茹でなくてはならない!このようなタンパク質で、100個以上のアミノ酸が含まれるものはポリペプチドと呼ばれ、アミノ酸が200個以上になると、タンパク質と呼ばれる。(p. 64)]

。。。細胞があらゆる生命を駆動するエンジンならば、受容体はそんなエンジンのコントロール・パネル上のボタンであり、特定のペプチド(あるいは他の種類のリガンド)は、そんなボタンを押してエンジンを始動させる指である。
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アミノ酸は各細胞中で見つかるリボソームと呼ばれる小さな工場の中で繋ぎ合わされてペプチドとなる。リボソーム自体は、多種多様なタンパク質に加えて、リボ核酸という3つの分子から構成される。指示に従って、DNAの一部は、ほぐれてRNAの作業用コピーを作り、これがリボソームへと漂って行く。各アミノ酸は、所与のアミノ酸を転写し、リボソーム(Ribosome)上で発達中のペプチドの鎖に繋げる。

これもまた、プライム・リブ(prime rib)ではないか?

さて、ここに至る議論の発端を思い出して欲しい:化学者は、薬は体内の何かに付着するから効き目があるという風に考えたのだった。そして今や私たちは受容体というものがあって、身体自体が製造した化学物質を受け入れていることが分かった。そればかりか、電気的な神経信号の伝達に加えて、電話 ― リガンド-受容体システム ― は、第2の神経系を成している。そしてどうやら、この化学的なシステムは、生命体にとって遥かにずっと古く、より基礎的なものであるらしい。

この新しい携帯電話プロバイダーが注目される1970年代になるまで、殆どの科学者たちの注意は神経伝達物質および、それらが促進する、シナプスによる裂け目越えの小さなジャンプに向けられていた。基礎的な神経伝達物質はオンかオフという基本的なメッセージを伝達すると考えられた。

ペプチド(思い出されたいのだが、この言葉は数字の5に関係があり、化学的メッセージには3つの基本的タイプがあるのだった。こうして3-5コードの一端が垣間見えたのである)は、神経伝達物質のように振る舞い、シナプスの裂け目を越えて拡散するが、その主な機能は、細胞外の空間へと進み、血液や脳脊髄液と共に流れながら体内を遥々遠くまで旅し、受容体に鍵を差し込んで、細胞を刺激して、複雑だが必須の変化を惹き起こすことのようである。

1984年に生化学で起こったブレイクスルーの結果、受容体が身体全体に亘る情報ネットワークであり;感情の生化学的基礎を成すことが理解されるようになった。さらなる研究によって、受容体とリガンドが、生命体じゅうの細胞によって用いられる、分子言語情報であることが示された。このコミュニケーションは、内分泌系、神経系、胃腸系、そして最も重要な免疫系をも含む、身体の機能領域を結んでいる。


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。。。受容体が数多くのリガンドと結合する際の音楽的なうなり音は、しばしば生命体の広範囲の器官に亘って聞かれるものであるが、生命体がスムーズに、知的に働けるような構造的機能的統合を成し遂げている。
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読者は既にお気付きだろう。意識の統合状態、すなわち、神秘の住み処は、どういう受容体とリガンドが結合しているかに関係があり、また、振動共鳴は細胞がどんな歌を歌うかによるところが大きく、こうしたことこそ明らかに、カシオペアンズが素数や携帯電話に関する謎の言明によって伝えたかった理解なのである。しかしもちろん疑問なのは:人が作り出すのが望ましい化学物質とは正確には何であり、それは一体どのようにして行われるのだろうか?

これらの疑問に答えてこそ、捕食者の心という罠からの出口も見つかろうというものだ。

どんな薬も注射しなければ効かない、という言葉を思い出されたい。これはつまり、もし薬が効いたのであれば、それは、その薬の受容体が体内にあるからなのだ。そして、受容体が存在するのは、身体自体が生み出すリガンドと結合するからであり、ということは、身体は自ら薬を作って、適切な環境においては自己治癒を促すものなのだ。

別の方向に目を向けると、私たちはヘロイン、マリファナ、リブリウム、エンジェルダスト(合成ヘロイン◆【直訳】天使の粉)、PCP(フェンシクリジン◆麻酔薬・麻薬としても用いられる)等々の、行動を変えるドラッグが、感情の状態にラディカルな変化を惹き起こすものだと考えるが、これらにも、身体が生み出す同様の受容体があるからこそ、結合が可能なのである。LSDその他の幻覚剤は認知における変化を生み出すが、それもこれらに特有の受容体があるからなのだ;つまり、このような化学物質もまた、適切な環境下では身体自体によって作られるのである。

パート博士が、感情の状態における変化は意識の変化に関係があるという立場を取るのは残念なことだ。というのも、薬が沢山の一時的な感情の変化を生み出し、この結果、一般に意識全体の衰弱をもたらすのは明らかだからである;一方、私たちが探し求めているのは意識 ― 本物の意識 ― における永続的な変化を生み出すような繋がりであって、捕食者の心という偽物ではない。捕食者の心とは、私たちをマトリックスのコントロール・システム、すなわち第4密度STSの弁当箱の中で眠らせておく感情への耽溺だからだ。

事故のせいで入院したパート博士は、確かに薬によって感情が変化することを身をもって経験した:


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私の体内でドラッグが効いた結果、はっきりとした多幸感が生じ、全ての痛みを消した上に、エクスタシーまでもあと一歩の幸福で私を満たしたことは疑いない。驚くべきことに、このドラッグはまた、病院のベッドに閉じ込められ、夫や小さな子どもと引き離された結果私が抱いていた不安、すなわち不快な感情を完全に消し去るようだった。このドラッグの影響で私は深く心を満たされ、まるで世の中には欲しい物など無いような気分だったのである。実際、私はこのドラッグが非常に気に入ったので、入院生活の終わりには、幾らか盗み出そうかと一瞬考えたくらいである。人々がどうやってヤク中になるのか分かったのだ!

。。。看護士が私にモルヒネの筋肉注射をするたび、小さな分子がどうやって私の細胞の上に取りつき、こうも素晴らしい気持ちを味あわせてくれるのだろうかと驚いたのを覚えている。。。
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パート博士は、至福を味わうネズミの例を挙げている:


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。。。私のお気に入りのスライドの1つは。。。3匹のネズミが、仰向けにのけぞりながら、手足をだらりと垂らし、目は閉じて、明らかに深い恍惚の境地に居るものだ。。。彼らのボディーランゲージを見れば、彼らが全く満足していてこの世に気掛かりなことなどないのが分かるのである ― これは、毛皮に覆われた友人たちに、体内で自然に生成されるモルヒネである、エンドルフィンと呼ばれる物質を注射した結果である。。。

オピオイド受容体の発見によって明らかになった、ショッキングながらもエキサイティングな事実は、研究室のネズミだろうと、ファーストレディー、麻薬常用者だろうと関係なく、誰もが脳内に幸福感を生み出す全く同じメカニズムを持っているということである。。。
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残念なことに、パート博士はまたしても過ちを犯し、この無思慮な至福感を拡張された意識と誤解している。偶然にも、私たちの脳内モルヒネはそれぞれアミノ酸5個分の長さを持つ、ペプチドの対で出来ているのだ。ここで思い出されるのが次のカシオペアンズの発言である:「Oh, ここでは随分と行われている。1例は:「スネーク・アイ(ピンぞろ)」だが、7や11の方が良くないかな?」


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「P物質」というコードネームで呼ばれる、もう1つのペプチドは、1931年、ウルフ・フォン・オイラーによって、馬の脳と腸から、その一部が分離されたものである。彼はこの功績によってノーベル賞を受賞したが、P物質の化学組成は40年間不明のままだった。そして1941年になってようやく、スーザン・リーマンがアミノ酸11個からなる構造を解明した。スーザン・リーマンは、本書執筆時点ではまだ、ノーベル賞を受賞していない;実際彼女はP物質の構造を定義した後、ハーバードでの地位を失っている。彼女が発見したのは、ペプチドの振る舞いが我々の知識を越えているということだった。。。
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初めてその複製が人工的に合成されたペプチドはオキシトシンだった。オキシトシンは分娩中に脳下垂体から放出されて、母胎中の受容体に結合する。この結果胎児を出産するための子宮収縮が起るのである。オキシトシンが放出されるのは、出産の陣痛の間だけでなく、女性がオーガズムに達する際の子宮収縮もまた、オキシトシンの働きであることが後に分かった。これはまた、脳内の受容体に結合し、母性行動と呼ばれる思考上の変化を生み出すのである。オキシトシンはアミノ酸8個から成るペプチドである。これは脳下垂体の有効成分だ。

ペプチドの人工的な合成には、連鎖中の幾つかのアミノ酸を実験的に入れ替えることも含まれる。この結果生まれるドラッグは、体内物質より効き目が強く、長持ちし、衰えにくい。これはもちろん、宇宙の昼食箱を漁るチャンピオンにとっての、いわば朝食を意味する。

研究者たちが、あらゆるペプチドとその働きを発見することに追われている間、それらはいずれも脳内で作られて、いわば現地で局部的な鎮痛作用を発揮するように、身体じゅうに送り出されるのだと考えられていた。あらゆるペプチドが実際には身体じゅうで製造可能だと分かったのは後になってからだった。

ペプチドの構造は簡単だが、その効き目は複雑である。だからこそ、それらはホルモンや神経伝達物質、神経調節物質、成長因子、消化管ペプチド、インターロイキン、サイトカイン、ケモカイン、そして、増殖抑制因子の下位範疇とされるのだ。しかし帰するところ、それらはみな1つの事を行っている ― 体細胞に情報を運んでいるのだ。それらはタンパク質すなわち、主要な生体物質で出来ている電話なのだ。言うなれば光である。

ペプチド受容体はかつて、視床下部にしか存在しないと考えられていた。パート博士が実験によって解明した地図によって、脳の中でも高度な機能が調節される部分である大脳皮質や、大脳辺縁系すなわち感情を司る脳にもそれが存在することが示された。

オピオイド受容体の地図を作成しようとデータを集めるうち、それらが進化の梯子を登る生物の中でも最も下に居るものにも存在することが分かった。これは、この分子が生物進化における永劫の時を通じて、保存されてきたことを示している。蓋を開けてみれば、オピオイド受容体は大脳辺縁系すなわち、古典的な感情回路に多く集中していたのである。オピオイド受容体は生命体の持つ快楽と苦痛の連続体に深く関係しており、この結果、身体に生き残る術がプログラミングされてきたのだ。

今を遡る1950年代に、行動心理学者達は、ネズミの脳の、ある中枢を電気的に刺激すると、この生き物が痛みを感じるような仕草を行うことを発見した。彼らはまた脳の別の箇所が快感を処理していることも発見した。ネズミに、この快感領域に挿し込んだ電極から電線でつないだスイッチを持たせて、自分で刺激を得られるようにすると、彼らは疲労困憊してへたり込むまで何時間もスイッチを押し続けるのである。

脳には中脳水道周囲灰白質と呼ばれる領域がある。中脳内の、第三脳室と第四脳室が繋がる場所だ。これは情報処理のために多くの神経が集まる節点である。古典的な観方では、これは辺縁系の一部とは考えられていなかったのだが、ここから辺縁系へと繋がるニューロンの経路がある。この領域にはオピオイド受容体が密集している ― ここはまた、痛みの閾値を設定する脳領域でもあるのだ。

気の弱い皆さんは、ここからの数節を飛ばして、『人及び動物の表情について』について述べている所から読んでもらって構わない。

研究が進むに連れて分かったのは、麻薬常用者にとって、ヘロインの1本目の静脈注射はセックスによるオーガズムのような感覚を脳に与えるということである。この観察から考えられるのは、オーガズムの際に味わう快感は、血流にエンドルフィンが急激に送り込まれる結果だということである。様々な行動によって、血中のエンドルフィン・レベルがどう変化するか測定する実験が行われている。

ある研究ではハムスターが用いられた。というのも、彼らのセックスはとても予測しやすいからだ。パート博士は露骨に述べている:


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。。。2分ほどあちこちを舐め回し、3分ほど性交等々をして、営みは完了した。オスは。。。1サイクルあたり約23回射精した。
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この動物たちは交尾の前に放射性のオピオイド(アヘン剤)を注射され、サイクルの様々な時点で首を切られた。脳が取り出され、オートラジオグラフィーを使って、オーガズムの間に、どこでどれだけのエンドルフィンが放出されたか調べられた。性行為の初めから終わりまでの間に、エンドルフィン・レベルが200パーセント上昇したことが分かった。

私は科学がどうやってこの行為中に起こる事を発見したか知って、かなり気分が悪くなった。だから、この恐ろしい実験から少しでも良い成果が得られ、可哀そうなハムスターたちの受難が、何とか感謝されるように願うとしよう。そしてまた銘記したいのは、同様の実験が人間に対しても行われているだろうということである。

パート博士は長年に亘って、感情の化学に関する実験を続けてきた。彼女は、「これらの生化学物質は感情の生理的な基質であり、私たちが感情や感覚、思考、原動力、そしておそらくは霊や魂として体験するものを裏付ける分子である」という彼女の観方に基づいて、概念的理解を発展させた。

『人及び動物の表情について』(岩波文庫)の中で、動物学者のチャールズ・ダーウィンは、世界じゅう、どこの人々も感情的な表情には共通点があり、そのいくつかは、動物にも共通している、という事実を述べている。獲物に向かって吠える狼は、怒ったり怯えたりする時の人間と同じ表情筋を使う。同じ感情的な生理が保存されて、永劫の時を超え、種を超えて、繰り返し用いられてきたのだ。この観察に基いて、ダーウィンは、感情は適者が生存する上での鍵に違いないという理論をたてた。

エスキモーであれ、イタリア人であれ、怒りや怖れ、悲しみ、楽しみ、嫌悪を表わす表情が同じであるということに関しては、科学実験による明らかな証拠が存在する。これら以外の、驚きや軽蔑、罪のような感情を表わす表情もまた汎文化的である。これが意味するのは、感情には表情に関する先天的な遺伝メカニズムがある、ということだ。

感情や気分あるいは気質の区別に関する研究では、これ以外の区別も行われている。感情は最も移ろいやすい;気分は数時間から数日しか続かない;気質は生涯に亘って続く。実験によれば気質は、遺伝によるもので、気分と感情のパラメータもまた同様に遺伝的な基礎を持つらしい。

感情についてこのように述べて来ると、それが怒りや恐れ、悲しみ、満足、勇気といった、お馴染みの人間的経験、そしてまた、快苦の情や飢えや渇きといった欲動の全てを包含していることが理解されるに違いない。これらはいずれも化学的観点から測定可能なのだ。

しかし既に述べたように、パート博士はさらに一歩を進めて、霊感や畏敬の念、至福感その他の意識状態のような、さらに形の無い状態、あるいは主観的経験にも言及している。思うに彼女は、状態を生み出す化学物質と化学物質を生み出す状態との区別をし損なっているのだ。

オピオイド受容体と辺縁系の話題に戻ろう:感情的な振る舞いに関与していると思われる、扁桃体や海馬、辺縁系皮質のような大脳辺縁系の中核となる脳構造が、様々な受容体の85から90パーセントを含むことが明らかになっている。ワイルダー・ペンフィールドによる1920年代の実験は、ひどい癲癇をコントロールするための開頭手術の際に行われた。彼が辺縁系皮質の扁桃体(終脳の両側にある、2個のアーモンド型の構造体で、耳たぶから脳にかけて存在し、大きさは1インチくらい)を電極で刺激したところ、ありとあらゆる感情表現を誘い出せることが分かった。彼の患者たちは、古い記憶がよみがえって、悲しみや怒り、喜びその他の強力な反応を示したのである。彼らは怒りや笑いのために身体を震わせ、大量の涙を流してすすり泣き、彼らの血圧と体温は、味わっている感情に合わせて、適切に上下した。

米国立精神衛生研究所のポール・マクリーンは、辺縁系は感情の座であるという説を普及させた。彼の三位一体的な脳理論は、65章で刷り込みを心理学的に論じた際に見たように、人間の脳には3層があるとするものだった。マクリーンは、これらの3層は人類進化における3段階を表わしていると唱えた。脳幹すなわち第1の回路は、爬虫類脳(興味深い呼び名ではないか?)と呼ばれた。これは、闘争・逃走反応を含む、自律神経機能の座である。生命体の安全さを監視するのがここであり、何らかの脅威が知覚されれば、生命体の命を守るための一連の自動的な反応がここから始動されるのである。

辺縁系すなわち第2の回路は、脳幹の天辺を取り囲んでおり、既に論じたように、感情の座である。大脳皮質すなわち第3の回路である終脳は、理性の座である。しかしこれはまた感情をも表わすのである!

これから想起されるのは、オピオイド受容体もまた、人間の脳の大脳皮質中の前頭葉に密集しているということ、そして、脳の、この部分が辺縁系構造体すなわち、感情の座の一部である扁桃体と多くの繋がりを共有しているという事実である。

前頭皮質は、理論的に最も新しく進化した、最も人間らしい脳構造であるが、これはこれ自体と残りの脳との間に経路を形成しているに違いなく、この結果人間は自分達の感情をコントロールし、非利己的に行動することが可能となる。これを学ぶ能力は最も簡単な生命体にすらある程度存在しているが、意志力は、ユニークな人間的要素である。そして、これは前頭皮質の機能だと考えられている。

心理学者で哲学者であったウィリアム・ジェイムズは、感情は身体で発生し、その後で頭により知覚され、頭が感情を説明するストーリーを考案するのだという説を唱えた。1884年の著書の中で彼は、感情の源は純粋に内臓的なもので、身体で発生するものであって、認知的なものではなく、感情を司る脳中枢というものは無いだろうと結論付けている。彼によれば、私たちは出来事を知覚すると身体的な感覚を抱き、知覚後、それは記憶とイマジネーションを呼び起こして、私たちは肉体的な感覚に対してあれやこれやの感情というレッテルを貼るのである。存在するのは知覚と、身体による反応だけであり、後者は現在の経験に関連した他の出来事の記憶に基くものだと彼は考えた。彼は、胸がドキドキするとか、胸が締め付けられる、緊張する、汗だくになるといった知覚に反応して起こる、即座の感覚的・運動的反応が感情であると考えたのである。

生理学者ウォルター・キャノンは、感情とは頭で発生し、体内にジワジワと伝わって行くのだと仮定した。著書『からだの知恵 -この不思議なはたらき』(講談社学術文庫)で彼は、交感/自律神経系の働きを説明している。迷走神経と呼ばれる1個の神経が脳の後ろから頭蓋骨底部の大後頭孔と呼ばれる孔を通って外に出ている。これはそこで枝分かれして、神経細胞の束すなわち神経節となり、脊髄の両側に沿って下って行き、瞳孔や、唾液腺、心臓、肺の気管支、胃、腸、膀胱、性器、副腎を含む数多くの器官に分枝を送る。

キャノンは、脳の底部、脳下垂体のすぐ上にある視床下部に埋め込んだ電極を通して迷走神経を刺激することで、身体が緊急の場合に必要とするものを作り出すために、これらの器官に生理的変化が起ることを実証した。キャノンは視床下部が電気ショックを受けた瞬間から、この結果、血流や消化、心拍における変化が起る瞬間までの時間の測定に成功した。結論としては、これらの変化は感情の原因であると言うには遅すぎ、むしろ、その効果であるらしかった。そればかりか、迷走神経を切除し、交感神経による内臓の変化を起こすことが不可能と思われる動物でも、脅威を感じる状況に置かれたときには、感情的に振る舞うように見えた。

ジェイムズとキャノンのどちらもが正しいと分かるのに、100年以上の年月が掛かった。

バイオフィードバックはこの事実から実証されている。というのもそれは、以前は自律的で、意志による変更が可能か疑わしいと考えられていた生理プロセスに対して、人が意識的にコントロールすることを可能にするテクニックだからである。

バイオフィードバックの先駆者であるエルマー・グリーンは述べている。「生理状態におけるあらゆる変化は意識的または無意識的な、精神的な感情状態の適切な変化に伴って起き、また反対に、あらゆる意識的または無意識的な、精神的な感情状態の変化は生理状態における適切な変化に伴って起きる」(Pert 1999, 137).

この考えの中にこそ、鍵が見付かるのである。もし、私たちの生理的な状態が操作可能で、精神的・感情的状態に変化を起こせるのなら、私たちは意識的な意志の力で感情的・生理的状態をコントロールする術を学ぶべきなのである。

脳幹には青斑核と呼ばれる、小さな細胞群がある。青斑核からは、ノルエピネフリンを含む神経終末が脳幹内に放射されており、脳幹内のあらゆるノルエピネフリンは、この一点を源泉としてもたらされているらしい。快楽中枢 ― 電気刺激を加えると、ネズミも人間も寝食を忘れて狂乱状態に陥る領域 ― はこの青斑核に含まれることが発見されている。

初期の研究者たちには知られていなかったのだが、快楽中枢への電気刺激の結果、神経終末から経路に沿って、ノルエピネフリンが放出されるらしい。アンフェタミンやコカインも、体内で作られたノルエピネフリンの再取り込みをブロックすることで、同じ快感の通り道の流れを増幅させて、ノルエピネフリンというリガンドとその受容体との結合を増加させる作用を持っている。

このアイディアの問題点は、もしペプチドとその受容体がシナプス間だけでコミュニケートしているとしたら、これらはごく短い距離しか離れていない筈だということである。しかし証拠が示すように、これに反応する受容体の多くは、シナプス間隙としては離れすぎた場所にあるのだ。結論としては、脳内の情報をコントロールする最大の原因 ― 脳の状態を決定するもの ― とは、受容体の特異性であり、ただ1種類のリガンドだけと結合するという、その能力なのである。

つまり、実際にシナプスで起こっているニューロン間のコミュニケーションは2パーセント以下らしいのだ。ペプチドが身体じゅうを循環し、そこらじゅうでターゲットを見付ける様子は、脳のコミュニケーションシステムとはまるで内分泌系みたいだという感慨を抱かせる。パート博士があからさまに述べているように、脳とはまるでホルモンの詰まった袋みたいなものなのだ!

そう。弁当袋である!

そして、これらのペプチドによってコミュニケートされているのは、体内の重要な事全てなのである。例えば、性ホルモンの受容体が、識別される方法はこうである。テストステロン(=男性ホルモン)か、あるいはエストロゲン(=女性ホルモン)が妊娠中に胎児に対して放出されると、胎児の脳内のニューロン結合が決まり、子どもの性別に永久的な影響を及ぼす。妊娠中の母親の副腎で異常に生成されたステロイドのようなテストステロンに曝された女の胎児は、おてんば娘になりやすい。反対に、過剰なエストロゲンに曝された男の胎児は、後の人生でより女性的な趣味に向かうのである。

ペンシルバニア大学のリタ・ヴァレンチノは実に興味深い事実を発見した。脳幹内のバーリントン核は、以前は膀胱を空にするのをコントロールするだけだと信じられていたのだが、これがCRF(副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモン)という神経ペプチドを、迷走神経を経て、大腸の最も遠く離れた部分である肛門まではるばる送り届ける軸索を持っていることが分かったのである。結腸の膨張感や腸を空にする必要があるという感覚、そしてまた、性器の興奮がバーリントン核に送り返されることが証明されてきた。このバーリントン核から快感の通り道を流れるノルエピネフリンの源である青斑核へと繋がる短いニューロンの道があって、そこもまたオピオイド受容体で一杯なのである。またしても、パート博士はあからさまに述べている:


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快感の通り道は脳の前部にある、このような用を足すための機能をコントロールする領域に繋がっている。何という事だろう。。。排泄訓練は感情物質で満たされているのだ!あるいは、人々は便所での行動を含む異常な性行為に熱中しているとも言える!。。。

もし我々がペプチドその他の情報伝達物質が感情の生化学物質であり、それらが体内の神経内を流れていることが非常に重要であるという考えを受け入れるならば。。。身体は意識を持たない心なのである!感情を押し殺すことで起きる抑圧性のトラウマは身体の一部に蓄積することがあり、その結果、我々がその部分を感じたり、動かしたりする能力にも影響を与えてしまう。新しい研究によれば、意識的な心が意識を持たない心と身体にアクセスし ― さらにはそれを修正する ― 方法は、ほとんど無数にあるという。。。
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既に述べたように、身体の他の領域にも存在の確認されている殆ど全ての神経ペプチド受容体が密集していることが分かっている。このような領域の中には、チャクラに似たパターンを示す、脊髄後角がある。じじつ、五感を介する情報が神経系に伝わる実質的に全ての部位に、神経ペプチド受容体が高濃度で含まれていることも分かっている。このような部位は節点と呼ばれる。既に述べたバーリントン核は節点であり、どの神経ペプチドが受容体と結合しているか次第で、性的興奮か、あるいは用を足す機能のどちらかに関係する感覚が、スイッチしたり、変更されたり、意識されなくなったり、優先されたりするのである。かくして、感情と身体の感覚は一方が他方を変えるようなやり方で ― 通常、無意識のレベルで ― 複雑に絡み合っているのである。それは同時に意識に上ることもあれば、あるいはゆっくりと意識されることもある。

身体に入って来る全ての感覚データはフィルタリング・プロセスを経るため、前頭葉に達するものもあれば達しないものもある。感覚的なインプットが意識に上る場所が、この前頭葉なのである。ある時点でどの刺激に注意を払うかを選択する、このフィルタリング・プロセスの効率は、このような節点にある受容体の質と量によって決まる。この受容体の質と量を決めるものは、数多くあるが、最も大事なものの1つがあなたの経験だ。

つまり、受容体のレベルで作用する生化学的変化が記憶の分子的基礎なのである。受容体にリガンドが溢れかえっているとき、受容体は、受容体が存在している細胞膜を電気信号が通過して来る見込みが増えるか、あるいは抑えられるかするように、細胞膜を変化させ、この結果、使用されるニューロン回路の選択に影響が出るのだ。この原理はどのようにして記憶が脳内に蓄えられるかを理解する上においてのみならず、それらがまた身体自体へと延びる心身ネットワークにも蓄えられることを理解する上でも重要である。これはまた刷り込みの基本的な原理でもある。コンピュータ・チップ内に組み込まれたプリント基板のように、私たちの脳と身体も化学物質と電気によってプログラムされているのだ。何を考え、意識に上らせ、何を無意識の回路パターンに留めるかの決定は、体内深くで行われており、受容体が仲介役となる。記憶はそれぞれの感情の中身に蓄えられるのである。感情が記憶を呼び起こすことがあるが、反対に、記憶の手掛かりとなるただ1つの要素が感情を呼び覚ますこともある ― たとえ、記憶自体が意識されなくてもだ。

つまり、はっきりした言い方をすれば:多くの記憶プロセスは感情主導で無意識的だが;時として意識されることがあるのだ。

テンプル大学のドナルド・オーバートンは、動物に広く見られる現象を記録しているが、これは後に、人間にも同様に当てはまることが示された:ドラッグ ― 今ではあなたもご存知のように、単なる合成リガンドである ― の影響下で、迷路の抜け出し方やショックの回避法を学んだネズミは、同じドラッグの影響下で再テストされたとき、最も効果的に迷路から抜け出し、あるいはショックを避ける方法を思い出したのである。パート博士は敷衍して述べる:


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感情の正体が化学的リガンド ― つまり、ペプチド ― だと考えると、学習の解離状態すなわち状態依存想起として知られる現象について、より良く理解できよう。ドラッグがラットにとって、同じドラッグの影響下で学んだ初期の経験を思い出すのを容易にするのと同様に、感情運搬型のペプチド=リガンドは人間の記憶を手助けする。感情はドラッグに相当し、どちらも体内で受容体と結合するリガンドである。。。

。。。ドラッグが我々の記憶に影響を及ぼすのと同様、神経ペプチドは体内のリガンドとして、我々が抱く記憶を形成し、我々がそれらを取り戻す必要があるとき、同じ気持ちになることでそれらを元に戻すのは明らかである。これが学習である。

。。。感情的な状態、すなわち気分は、様々な神経ペプチド=リガンドによって作り出され、我々が感情ないし感覚として経験するものもまた、特定の神経回路を ― それと同時に脳と身体じゅうを − 活性化させるメカニズムであって、これが全生物の行動を生み出すのである。。。
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言い換えれば、感情のリガンドが出ているとき、人は自動的に迷路を突破するのである。人が最初に迷路の抜け出し方を学んだときに、その人の体内で化学物質が形成されると、自分が迷路に居ると気付くたびに ― 繰り返し ― 同じ化学物質が生成されるのである。

ごく分かりやすい言葉で言えば、人が、どんな刺激であれプログラミングされた刺激を受けて、それにふさわしいリガンドがふさわしい受容体と結合するとき、人は愛を感じるのである;これはこのような受容体が群れを成している全ての領域で感じられ、気持ちがいいために、人はこれがポジティブな経験だと確信する。このリガンドが論理的に一貫した経験による刺激の結果だろうと、非論理的なプログラミングの繰り返しの結果だろうと問題ない。だが、知識の要素や論理分析を視野に入れない限り、感情の出所は推測に留まるのである。

これがポジティブな経験であれば、大いに結構なことだ。しかし、世界じゅうの殆どどの地域の統計を見ても明らかなのは、愛のリガンドが結合しても、人類の殆どは真の愛を経験していないらしいということである。離婚や児童虐待、無視の統計値を見れば、私たち人間が行う評価がどれほどひどく間違っているか分かるだろう。そしてこのことに対し真に注意を払えば、私たちの人生や経験をじっくり検討して、個人個人の来歴がどうだったか判定を試みることも出来よう。判定結果が芳しくなく;私たちが幸せである時間よりも不幸である時間の方が長くて;私たちが寛大さによる過ちを繰り返し続けているのであれば、どのように私たちのプログラムが活性化され、どのようにそれらがマトリックスという弁当箱に私たちを閉じ込めるのに使われているか、十分に観察する必要があるのだ。

これよりさらに恐ろしいのは、高次レベルのネガティブな存在が、上に述べたような私たちの生体化学をコントロールすることによって、私たちの感情をコントロールしているに違いないということである。つまり、連中は私たちのではなく、連中のアジェンダに従って、私たちに愛や憎しみ、嫌悪や魅惑を感じさせることができるのである。

現実のフィルタリングの話に戻れば、私たちの身体と心の注意のシフトの殆どは、無意識のうちにリガンドと受容体によって導かれている。私たちの注意はそれらの活動によって導かれるのであって、何を処理し、記憶し、学ぶかの決定に、私たちは意識的に関与していないのである。しかし、様々なタイプの意図的なトレーニングを行うことで、その幾つかに気付く可能性がある。しかしもちろん、システムが行き詰るまで、意図的なトレーニングを行う人は居ないし、治療法を探し求める程の苦悩を抱く人も居ない。治療法の殆どは薬理学によって探求されるが、これは単に問題を悪化させている。放蕩息子が遠い国のある人のところに身を寄せようとしたように、私たちは米医学会という宗教を含む、あらゆる種類の宗教の中に治療法を探し求める。この結果、豚と一緒に食べ、住み、食われるために小屋に入れられるのである。そして、十分な期間このような目に遭ってようやく、私たちは我に返るのだ。

この研究からはっきり分かるのは、神経ペプチド=リガンドの放出に影響されながら回路が形成される結果、抑圧された感情が体内に蓄積されるということである。魂が最終的に体内の座につくとき、魂の傷や傷跡がエネルギー的に身体に影響し、振動を刺激する神経ペプチドが大量に生み出され、現在の人生経験とは無関係の、独自の回路を築くとも言われている。催眠術やヨガの訓練、深部組織マッサージはいずれも意識では何が起っているか分からなくても、このような回路を癒し変化させるのに役立つ方法である。このような方法の欠点は、何が起っているか分からないために、意識的に再発を避けられないことだ。私のアイル・オラス・プログラムはこのような回路を癒す際の欠点を避け、意識を活用するためのワークである。
http://cassiopaea.org/Eiriu-Eolas/
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=45217530&comm_id=2590126

感情は、私たちが現実として経験しているものを絶えず調節している。研究の示すところによれば、神経系は外界の物質をスキャンしつつ、既に焼き付け済みの回路によって、幼児期に行われた初期の刷り込みを含む過去の経験という内なるパターンを見付ける態勢をとっているのである。もう1つの節点である中脳内の上丘は、眼球を動かす筋肉をコントロールし、網膜に結ばれる像をコントロールする。つまり、脳の感情中枢が私たちの見ているものを、文字通りコントロールしているのである。


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例えば、背の高いヨーロッパの船が初めて初期のネイティブ・アメリカンに接近して来た時、彼らの現実では、このような光景は「あり得ない」ものだったため、かれらの高度にフィルターがかかった知覚では起っていることを感知できず、彼らは文字通り、船を「見る」ことができなかった。同様に、不貞の妻を持った夫には、他の人には見えていることが見えないのだろう。と言うのも、妻の貞節を信じる彼の感情があまりに強いため、他の誰の目にも明らかな、自分に不利な行いから目を逸らすように、彼の眼球が導かれるからである。
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最近私は、様々な人々がこのような行動を行っている例を大量に目撃した。彼らは本『ザ・ウェイブ』シリーズを、単にプログラミングされている通りにしか読まず、本当に書かれていることを読んでいないのだ。STSによってコントロールされている人を見分ける際の主な手掛かりの1つは、このような人々が読んだことを捻じ曲げるということである。過去、まだ第4密度のコントロールの本質を理解していなかった頃、このような現象を目の当たりにした私は、この人はわざと私の言葉を曲解しているのだと思ったものだ。今やはっきり分かるのだが、これはわざとではなかったのである。彼らはまだ我に返っていない、捕食者の心を克復していないのであり、彼らの思考自体操作されコントロールされている可能性が認められるのである。そうなるまでは、彼らは「天に対して罪を犯した」と認める準備ができていないのだ。と言うのも、天とは内なる創造主のエッセンスであり、これに対して罪を犯すというのは、STSの弁当箱に食べ物を集めるための変換器として利用されることを許すことだからである。

実際、私たちは、本当は何を読んでいようと、信じるようにプログラミングされたことしか読み取らず理解もしないのである。アル中患者がついにはアル中である事を認めるように、私たちも感情的な信念の中毒であることを認めなくてはならない、

さて、こうして見て来た身体の化学システムは、明らかに単なる情報伝送システムである。情報は無意識の気付かないレベルで起こることがある。自律神経系では常時これが起っているのだ。

心は物質ではない。だがそれは身体とのインターフェースを持っていて、それが生化学ネットワークなのだ。身体の一部としての心は捕食者の心であり、操り人形のように糸で繋がれ、その糸を握っているのは第4密度の人形師たち、コントロール・システムなのである。

ダーウィン主義者にとって、身体とは、電気的な刺激によって起こるハード的な反射を行うエネルギーと物質に他ならない;それは、多かれ少なかれ機械的で受け身的に動作し、変化のオプションを殆ど持たない。知性とは適者生存を果たす遺伝子の単なる副産物に過ぎないのだ。身体を、心を持たない進化の頂点に居る、電気仕掛けの、知性を持たない細胞の塊と見なす考え方は、究極的には神を否定する、時計のように単調な人々の住む機械的宇宙観の産物なのである。

残念ながら、これが今のところ殆どの人間が抱く宇宙観・人間観である。彼らは自分達以外の誰かあるいは何かによってコントロールされているプログラムが走っているコンピューターなのだ。私たちはもはや、感情が魂の属性だとは必ずしも考えない。意識が感情のプロセスに入り込むこともあり得るのだが、殆どの人々にこれが起ることはない。彼らの感情は情報を物質的リアリティに変換するプロセスに従事する、単なる細胞レベルの信号に過ぎず、あらゆる種類の病気や痛み、個人を超えた災厄を含む、概して不愉快なものである。

神経ペプチドおよびそれらの受容体は、絶えず免疫系とコミュニケーションをとっており、多くの研究の結果、感情と病気の間には強力な結び付きがあるとされ、感情と病気との特異的な繋がりさえ論じられている。免疫細胞は絶えず、冠動脈血管内の血小板の発達を促したり抑えたりするペプチドを放出している。ウィルスは、神経ペプチドが細胞内に入るのと同じ受容体を利用する。生まれ持ったペプチドのどれだけが特定の受容体に結合可能であるか次第で、その受容体にピッタリのウィルスが細胞内に侵入することが幾らか困難になるのだ。このことが明らかに示しているのは、感情の状態がウィルスに感染するかどうかにさえ一役買っているということである。

読者の殆どはきっと、東洋のヨーギが行う驚くべき離れ業の幾つかについて、聞いたことがあると思う。自らの意識だけではなく、単なる自律的システムだと考えられている身体の部分までもコントロールしてしまう人々のことだ。様々な鍛錬が用いられる。ヨーギの道、ファキールの道、修道僧の道については既に触れたので、これに関する基本的な原理はお分かりだろう。私たちはこの原理を採用して新たな道にこれを適用しようというのである。ヨーギやファキールに出来ることの一例を挙げよう。すなわち、意識的に痛みをコントロールすることである。どんな事が行われるのか見てみよう。

既に述べたように、中脳内の、第三脳室と第四脳室の間の管路がある場所に、中脳水道周囲灰白質と呼ばれる領域がある。ここはオピオイド受容体で一杯であり、痛みの感覚をコントロールする領域である。ここにはまた、研究されてきた、事実上全ての受容体も集まっている。

ヨーギやファキールが彼らの痛みの知覚をコントロールすることを学ぶときに起ることとはどうやら、脳のこの領域に意識的かつ意図的にアクセスして痛みの閾値をリセットできるようになるということのようだ。つまり:意識的な期待と無意識の信念によって再構成することで、痛みは、当たり障りのない経験あるいは喜びとしてさえ解釈されて、捨てられるのである。

これが私たちの切り札である。私たちは自らを食べ物として利用できないようにすることができるのだ:私たちはシステム的な反応を変えて、マトリックスが私たちのプラグを抜き、システムから廃棄するように仕向けることができるのである。ネオが「目覚めた」時、出し抜けにカプセルから引っ張り出されたのと同じである。

しかし、さらに重要なのは:私たちはまばたきしない様に訓練を積むことができるということである。物事の本質についての知識と気付きがあれば、身体の中からであれ、外からであれ、ネガティブな状態におとしいれられるような状況に直面することはなくなるのだ。

行われてきたあらゆる研究からすれば、高揚した気分 ― 冒険の可能性に関する幸福な期待の1つ ― が、病気に対する最大の防御らしい。それはまたおそらく、人をマトリックスにとって食えなくする1要素ではないだろうか?

1990年、科学者のハワード・ホールは、免疫系がコントロール可能であることを示した。彼は被験者にサイバー心理戦略を指導した。サイバー(cyber)という言葉は、ギリシャ語で舵を取る者、すなわち航海者を意味するキベルネテス(kybernetes)に由来している。女神イシスの名前の1つが「航海者」であるのも興味深い。イシスのヴェールを剥ぐプロセスが知識の獲得なのである。

1940年代に、心理学者で精神分析学者であるヴィルヘルム・ライヒは、ガンが感情表現、とりわけ性的感情表現に失敗した結果であるとの説を提唱した。ライヒは科学界の笑いものになっただけでなく、厳罰に処せられた。アメリカ政府が行った最も恥ずべき行為は、FDAの訴えを認めてライヒの全著作を焚書したことである。自由の国で、公然と思想統制が行われたのだ!ライヒは真実に気付いていたのではないだろうか。

他の研究によれば、怒りをぶつけることが出来なかったガン患者は回復率が低かった。ガン患者に共通するもう1つの特質は、自己否定である;この結果、自分自身の、基本的な、感情的ニーズに気付かないのである。無知のせいで、感情を生み出しては抑えるのは命とりになるようだ。というのも感情表現は常に体内のペプチドの特定の流れに結び付いており、絶えず感情を生み出しては抑えることの結果は、心身ネットワーク対する大きな障害となる。多くの心理学者によれば、憂鬱は怒りを抑え込み、その矛先を自分に向け直しさえするのだ。

抑制してきた感情を発見し解放し表現することは、自分という船を世話し、舵取りを学ぶための重要な一歩である。しかし同時に、感情を変化させることを学ぶことも欠かせない。

東洋における、ヨーギの知恵に至る多くの修行法の1つに、墓場での瞑想がある。ところで、東洋の墓場は西洋の墓場とは全く違う。東洋では、死体を自然力に曝す習わしなのだ。だから、死体は鳥などの捕食者に食われるのである。このような場所で瞑想することは、物質的な恐怖に直面することだから、西洋人にはとても瞑想など無理であろう。同時に、瞑想者が出会うという亡霊や悪魔に関する迷信への恐れもある。タントラ・ヨガでは墓場で愛の営みを行うという修行もある。

いずれの場合にも目的は、物質的な世界における生の冷徹かつ厳然たる事実に直面することで心の高次の状態に達するよう意識を鍛えることであり;肉体的な、プログラミングされた感情を征服すること;航海者になることなのだ。

カシオペアンズが知識は守ると教えるのは、この意味においてである。全面的な気付きを得るというのは、あなたの人生に何が勃発しようとも、あなたの船をコントロール出来ているということなのだ。情報は意識と物質との間の架け橋であり、この橋が無ければ、物質とそのプログラム ― 捕食者の心 ― が支配するだろう。 捕食者の身体-心とは、古代の神話にある、カリュブディスの荒波とセイレーンの誘惑とを一緒にしたようなものだ。ユリシーズのように、私たちは我が身を船のマストに縛り付け、漕ぎ手たちの耳をロウでふさぎ、知識(ニンフ)に助けを求めて危難を乗り切れるよう手引きを求めなくてはならないのである。

情報は時空を超越する。それはグレゴリー・ベイトソンが言ったように、「違いを生む違い」なのだ。意識は、文字通り意識を外に描き出したものである物質界に先立って存在している。現実世界のリアリティーを否定すること ― 闇が存在するという自然さの現実性を否定すること ― は、ネガティブな感情を抱くように操作される一方で、同時にそれを抑制するように教えられるのと同じなのである。否定された現実はなおも存在し、あなたというシステムのコピーを作って、あなたの現実の主要な部分となるだろう。というのも、ブロックされた感情のように、それはポジティブな感情が取って代わるよう解放されるということがないからだ。

さて、どうか注意して欲しい:私はネガティブな感情を抱き、表現し、抱きしめるべきだと言っている訳ではないのだ;これまでも「闇を抱きしめる」べきだと言ったことはないし、カシオペアンズだってそうだ。このことを確かめたい向きは、操作された感情的な信念は捨てるようにしつつ、ウェイヴ第3巻『骨が露わになるまで』(=20-27章)に戻って読み直す必要がある。この巻全体は私たちが闇を見詰めて、それにも自由意志で存在する権利を認めるような方向性を選ばねばならないという事を取り扱っている。闇で居るというのが闇の自由意志による選択だからだ。しかし、STO第4密度へと卒業するためには、人は他者には闇を抱きしめる選択を認めつつも、自分は闇から脱することを選んで、自らのSTOの極性を高めなくてはならないのである。

同様に私たちは、自分というシステムのコピーを作る、操作されたネガティブな感情から脱するために、例えばアイル・オラスの実践のような適切な道を見付け、さらに、ポジティブな感情だけを持てるように理性と意志を働かせる方法を学ばなくてはならない。

情報が増えてくると、航海者は情報に応じて絶えず舵を調整しながら船を進めなくてはならない。航海者が役目を果たすには、絶えずフィードバックを行うことが求められ、だからこそ、あなたという身体システムの中で、また、あなたが経験しているリアリティとの関係で何が起っているか、より知性を働かせて把握するために、知識を自己監視と結び付けなくてはならない。フィードバック・ループが迅速でしっかりしている程、あなたというシステムが利用できる知性は多くなる。あなたの身体こそが、あなたの意識状態を暗に示す比喩なのである。それが意識的になればなるほど、あなたの人生に予期せぬ要素が不意に現れることが益々少なくなる。身体は心の軍事演習のための戦場である。そして、このような演習は、高次密度によって計画され実行されているのに違いない。上の如く、下もまた然りである。そう考えないと、私たちの源から分離するストレスで苦しみ、統合の喪失を味わうことになろう。それでは、私たち全員の間に流れ、宇宙全体を結び付け、それとコミュニケートし、それを調整し統合するものとは何だろうか?

知識である。

神経ペプチドが身体の細胞間を流れ、受容体の全てを情報に合わせて振動させているように、知識も、他のバイオリンを弾いているときに、弾いていないバイオリンの絃が振動するような具合に、私たちの意識に働きかける。知識は、ユニークでありつつ多様性のままに統合されている人々の間に共鳴を起させる。知識を持ってこそ、私たちは ― 単に、私たちが感じていることを他人も感じているとみなすのではなく − 彼らの感じていることを真に感じることができる。生命のワンネスは、知識を持つことにより私たちは皆共鳴し合っているという簡単な事実に基礎を置いている。

知識は守るのである。

さて、このような演習のいくつかについての戦略を学ぶとしよう。

(本章終わり)
posted by たカシー at 12:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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