2013年05月19日

ザ・ウェイブ 第11章:肥やしを施してこそバラは育つ

http://cassiopaea.org/2010/05/12/the-wave-chapter-11-roses-grow-best-in-manure/
ザ・ウェイブ 第11章:肥やしを施してこそバラは育つ


ザ・ローズ
https://www.youtube.com/watch?v=CB4EgdpYlnk
(※下の訳は http://alohayou.com/2009/10/the_rose/ を基にしています。)

(作 アマンダ・マクブルーム、歌 ベット・ミドラー)

愛とは、河のようなもの
弱くもろい人は溺れてしまう

愛とは、鋭い刃のようなもの
あなたの心を切り刻むから

愛とは、飢えのようなもの
止むことのない切なる想い

私にとって、愛とは花のようなもの
あなたは、その種なのよ

傷つくのを恐れていては
踊ることはできない

夢から覚めるのを恐れていては
いつまで経ってもチャンスを掴めない

奪われるのを恐れていては
得ることもないかも

心を閉ざしてしまっては
生きる喜びを知ることはできない

孤独な夜を迎えても
道のりが長くても
愛なんて、どうせ
運が良い人にしかやって来ないと感じても

思い出してください。真冬に、
雪深く埋もれた花の種が
太陽の恵みをたくさん浴びて
暖かい春、美しいバラを咲かせるのです


人類史上の今、正確さと騙しというテーマを含む問題が他にも提出されているので、
(※10章では、いくつかの「懐かしい」ソースが取り上げられています。)
これらについて検証したい。第10章の冒頭に抜粋を載せた交信文を見てみよう:


950902
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Q: (L) さて、巷で言われている『フォトン・ベルト』について、ちょっと教えて頂戴?

A: 重要な問題が1つの解釈レベルに留まっている。メッセージは本物だが、解釈の正確度合いは様々だ。だから、『フォトン・ベルト』について語る人は、自分で何やら考え出して、そう呼んでいるだけかも知れない。

Q: (L) それじゃあ、様々な人々がメッセージに触れても、所詮持てる知識の範囲で述べてるだけだというのね?

A: 1つのレベルではyes。

Q: (L) 心霊主義者達のコミュニティで宣伝されてたハーモニック・コンバージェンスというのは、あったの?

A: ハーモニック・コンバージェンスがあったと信じる人々にとっては、確かにハーモニック・コンバージェンスは存在した。

Q: (L) 実在する物体、物質的な何かが、地球上で、あるいは地球に対して起こって、エネルギーが高まるか、変わるかしたの?

A: あなたは何か変化に気付いたかな?

Q: (L) No. 客観的に見て事態が悪くなったように思える以外は。

A: 何か明らかな、物質的な変化に気付いたかな?

Q: (L) No. だけど、それは私だけかも知れないわ。私はただのひねくれた疑り深い人間かも知れないので。

A: この部屋の他の誰かで、明らかな変化に気付いた人は?

Q: (S) それっていつだったっけ?

(L) 確か88年8月8日でしょ。

(S) 90何年かの11月11日とも関係があったと思う。。。

A: 日付を思い出すのが難しいとすると、物質的な変化が地球に起こったとは思われないね。本当にあったのなら、起こったとされる日を覚えてないものだろうか?
(※マーシニアック『地球30万年の夜明け』の邦訳注には、1987年8月とある。)

Q: (L) Yes. でも、更には、ハーモニック・コンバージェンスに続く1ヶ月間は、アブダクションが無かったとも主張されてるの?本当かしら?

A: No. あなた方の時間でしばらくの間も、アブダクションとあなた方が呼ぶものが止んだことはない。
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ソースの正確度と純度を保とうと努めている私達は、トランスやテレパシー等々といった、スタンダードなチャネリング・テクニックに対し、一貫して抵抗してきた。主観的・感情的思考が客観的現実に取って替わることは、あまりにた易い。特に、その客観的現実が人間から見て不快なものである場合は尚更である。以前の議論で読者もお気づきと思うが、冗長過ぎるものは、劣化のおそれも高い。つまり、饒舌なソースほど、腐敗が入り込みやすいのだ。

さて、再び例の文通相手(=10章に出てきます)の関心事に戻るとしよう:


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「エイリアンは今から2018年
(※正しくは2014年 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=54689972&comm_id=2590126 )
までの間に、何らかのやり方で侵略してくる。このため、こんにち既に起こっている以上の恐怖と混乱が惹き起こされる。連中は我々の社会を乗っ取るか皆殺しにし、あるいは、天災を起して人類を全滅させて、そうして自分達が地球に植民するのだ。


(続き)


こうした事とほぼ同時に、ウェイヴが地球を襲い、世界の(人口および陸地の)半分以上が、第4密度との間を揺れ動き、やがて移行が完了する。地球の変化や執拗なリジーの攻撃によって消され第5密度の死者ゾーン(次の生では何を行うか決めるところ)に行った以外の人々は、気付くと第4密度の地球に居るのだが、風変わりな感じのその場所に慣れるには幾分時間が掛かる。だが、結局環境は今と同様で、ここで数千年に亘って行われてきたように、そこでも第4密度のオリオン人やリジーが、人間を操りコントロールしようとしているだけなのだ。

要するにあなたがカシーに対して言ってたように、厄介な状況なのよ。あなたは良い経験だけが有益だと考えているようだけど、カシーも言うようにそうではなくて、禍福は少なくとも混じり合ってるのが普通のこと。だけど、彼らのシナリオだと、私達みんなの運命としては、マットも無しに向こう側へとハイ・ジャンプさせられることになるのよ(グシャ)。
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この問題を取り扱うにあたり、あるセッションの一節を示そうと思う。それは私自身のある体験について議論したものだ(『ハイ・ストレンジネス』で述べたのと同じ出来事である)。少し背景を説明しよう。前にも述べたように私には、明らかにそうだと言えるようなエイリアンやアブダクションの目撃・体験の記憶がない。まあ一度、変性意識状態(アルタード・ステーツ)を体験したことはあるが、それが身体的なものなのか、心の中でなのかはどちらとも決めかねている。もちろん目覚めたときに厭な気分がしたり、随分と奇妙な夢を見たのを覚えていることはあったが、いずれもやがてある種の肉体的・物質的異常が原因と分かり、それきりになったものだ。だが、次に述べる出来事では、夜中に随分と奇妙な事が起きて、私も尋常でない状態で目を覚ましたのである。

この出来事の背景だが、1994年のクリスマスイブに私は自動車事故に遭った。この事故自体も奇妙なものだった。というのも、私のクルマは追突されたのだが、後続車など無かったのだから。私は停止し、左折の機会を待っていた。後方を広く映し出すバックミラーを見て、近づいて来るクルマがないことを確認した。さらには、フルスピードで追突してきたクルマのドライバーも、全く当惑気味に、私のクルマなど全然見えなかったと主張しているのだ。彼にとっては、私はそこに居なかったのである!彼のクルマは大破したが、エアバッグがあったため無事だった。一方の私はと言えば、あちこちいくつも大怪我をした上に「鞭打ち症」となり、乗っていたピックアップ・トラックのリア・ウインドーに頭を打ちつけたのだった。

次の年いっぱい、私は1日おきにセラピーを受けていたし、傷の状態やセラピーの効き目を見るために、沢山の検査も受けた。

最初に普通でない事が起きたのは、カイロプラクターが撮った1連のレントゲン写真に関してだった。私の頸椎のうち、2本の前に、小さくて真っ直ぐな何か奇妙な物体が映っていたのだ。カイロプラクターはやや困惑していたが、これは骨棘(こっきょく)だから、もっと検査しなくては、と言っていた。彼は私を神経科に回した。神経科医は3時間以上かけて徹底的に検査を行った後、MRIテストを受けるよう指示した。
(※【名】(核)磁気共鳴映像法◆X線や放射性同位元素を使うことなく体内の状態を外部から検査する方法。強力な磁場と電波(パルス)を使って、人体内の水素原子核の状態をみることで、人体の任意の部位から信号を収集し、信号の強さに応じて画像化する。水素原子は、人間の体の中で最も多く、水分の形で約70%、脂肪を含めると約90%に及び、水素原子を見れば体の中が分かるから。最薄スライス0.5mm、高分解モード0.23mm。〔MI〕◆【略】MRI)

MRI検査を受けねばならない日の前夜、私は崖から落とされる気がして驚いて目覚めた。私は舌を噛んだのだろうと思った。というのもその時感じたのは、口の奥の方で何かを噛んだような嫌な感じと酷い痛みだけだったからだ。これはとても強烈な痛みだったので、この痛みを止めようとしたために、あんな風に普通でない状態で目覚めたとしか思えなかったのである。それに、口の中が液体で一杯のような気もした。あまり激しく舌を噛んだせいで、きっと血が出ているのだろう。

さて、痛みのあまり目が覚めてしばらくの間は、この自分なりの説明は正しく思えた。生まれてこの方寝ている間に1,2度舌を噛んだことが確かにある。子供の頃のことだ。だが、この時起こっていたのは、まるで別のことだった。

口の中の液体で息が詰まったため、私は夢中で起き上がって、急いでトイレに駆け込んだ。洗面台にかがみ込んだ私の口から出たのは大量の血だ。急いでお湯に塩を溶かすと、出血が止まったと思われるまで、私は徹底的にうがいをし、口をゆすいだ。それからよく見える様に懐中電灯を持ってきて、一体どのくらいの傷なのか、口の中を調べ始めた。すると分かったのは、確かに口の中を怪我しているのだが、そこは喉の奥の方で、到底歯で傷つけられるような場所ではなかったのである!痛みの元は確かにそこだが、あまりに痛かったのでてっきり舌だろうと思ったのだ。だが、少々落ち着いてきてみると、本当に痛い場所はもっと奥で、喉の奥の方であるのがはっきりしてきた。

この頃には、いわゆるアブダクティーが数多くの奇妙な出来事を報告していることに私は十分気付いていたけれども、そんなことは考えたくもなかった。寝ている間に喉をひどく怪我するとは何があったんだろうかと、私は考えようとし続けた。だが、まともな説明はなさそうで、1つの謎が残った。

翌朝、MRIはきちんと行われた。フィルムに現れた唯一の異常は、事故で受けた傷の結果頸椎円盤がいくつか膨らんでいることだった。頸椎の前には奇妙な物体など影も形も無かった。

数か月が過ぎ、症状について医師と検察との間でやり取りが行われていた。保険会社からは別の医師に対して、レントゲンフィルムの提示要請があった。ただ問題だったのは、それらが無くなったらしいことだった。

さて、私は一度としてこれらのフィルムを手元に置いたことが無かった。それらは医局間でファイルを受け渡すという、普通の方法で回覧されていた。それらはMRIを指示した神経科医に直接届けられ、私もそこで見たのだった。それから彼は、手術する気満々の神経外科に私を回したが、私は手術を断った。このため、フィルムはおそらく検査所に送り返され、そこでファイルされ保管されていた筈だ。だがそこで紛失が判明したのである。

2週間の間に、フィルムの受け渡しを行った3つの医局から、私は個別に連絡を受けた。いずれも、フィルムがどこにあると思うか、と私に詳しく聞いてきた。きっと、各医局とも総動員で、この高価なフィルムを探したことだろう。だがそれでも、フィルムは行方不明だった。

最終的には保険会社が圧力をかけたため、また、フィルムがどうなったかについて誰も説明できなかったために、フィルムの撮影を行っておきながら、最後にはフィルムを無くした病院が、費用を負担して代わりのものを提出すべしとの決定がなされた。この医局の担当者である若いお嬢さんから謝罪の電話があって、もう1度撮影のために来てもらえませんかと依頼された。彼女はフィルムの所在管理にあらゆる手を尽くすと説明した。高いものなので相当な圧力がかかっているのは察しがついた。

私が翌朝の撮影にOKすると、彼女は早めの順番を押さえてくれることになった。彼女は面倒をかけることについて、何度も繰り返し詫びた。

いずれにしても、床に就く時には、今回のフィルム紛失をめぐる奇妙な出来事が気になって、眠れるかどうか少し不安だった。横になってからMRIのことを考えていると、突然何だかボーっとなってしまい、再び崖から落とされるような気分になって、ハッと我に返ると、3匹のクモ・タイプの生物が私をグッと引き寄せようとしていることに気付いた。これらの生き物は私をベッドから浮かび上がらせて外に出そうとしているようだった。むしろ、より奇妙だったのは、私がそれらと死にもの狂いで戦っていたことだ。私はベッドの真鍮の頭板を死にもの狂いで掴み、私の身体はまるで綱引きの綱になったようだった!気味の悪い生き物の1匹が私の踵を引っ張った時、私は握ってくる相手の器官の輪郭が一種不明瞭ながらも冷たいのをはっきり感じることができた。他の2匹は私に、何らかのマインドコントロールをかけようとしているらしく、私が大人しく従うように精神的なパワーを使おうとしていた。ベッドを握りしめることでその場に留まっている肩と頭以外、私の身体は宙ぶらりんの状態で、まるごと小さな窓から吸い込まれそうだ(私にはおそらく通れないくらい小さいのだが!)。どうやらこの窓を通して、家の外から一種の光線が射し込んでいるらしい!ベッドは戦いのせいでガタガタ揺れていた。

当初私は少々グロッキーで混乱気味だったのだろう。まるで気付かない内に身体を張った乱闘の真っただ中にいたのだから。睡眠薬の効果が消えて行く連れてさらに目覚めて来て、内心こう思った。「ああ、もう!それじゃあ、アブダクションって本当にあるんだわ!こうして私がアブダクトされてる!何事なの?こんなのイヤよ。止めて。協力する気はないわよ。このむかつく気色悪い連中が私をアブダクトしようとしたって、大人しくされるままになどするもんか!」 つまり、すっかり半狂乱状態だったのだ!

生き物たちは私が目覚めたことに気付いたらしい。すると急に雲行きが怪しくなってきた。この時、連中の1匹が、手を私の頭に置くと、強力な感覚麻痺が頭から身体じゅうに広がってきた。これは無理矢理私の目を閉じさせようとするもののようだ。強力な睡眠薬を再び投与されたような感じだった。

この類のテクノロジーには太刀打ちできないことはよく分かったが、それでも私は諦める気は無かった。私はこの眠気に最後の最後まで戦うつもりだった。私は怒りさえ表して、言わば精神的な籠手(こて)を投げつけて決闘を挑んだ。私はこれらの生き物に心の中で「話す」決心をした。「お前たち、私を麻痺させて、物理体には勝てるかも知れないけど、でも私は何でも使って総力で行くわよ。だから背を向けたりしたら後悔するわよ!」

それから、私は気力を振り絞って、あえぎつつも連中を大声で罵った。実際どうにかできたことと言えば、押し殺した呻き声を放っただけだったのだが。しかし、私がこれを行って、物理体のほんの一部分にしろ意のままに使い、多少の支配を取り戻した時、奇妙なことが起こった。私がこの音を出すと、生き物たちは混乱してしまったようで、互いに奇妙なカチカチという音で喋りはじめ、私が手に余る代物になったかのように、私を落としたのだ!やがて連中は、怯えた虫のように鳴きながら身を寄せ、固まって、ベッド脇のチラチラ光るカーテンの中に溶け込んでしまった。このチラチラ光る様子は、暑い日にハイウェイをドライブしていると、遠くに見える陽炎(かげろう)そっくりだった。

さて、一種の夢のようなこの出来事には、確かにいくつか奇妙な点がある。その1つは、私が左手を頭上まで挙げて、ベッドの頭板を握っていたことだ。それのどこがそんなに奇妙かって?実は、私の左腕は、事故の際のひどい怪我のせいで、一部麻痺していて、1年以上も腰から上に挙げられなかったのであり、ましてや何かを握るなど到底無理だったのだ。実際、この時私は右手を差し伸べて、頭板の渦巻型にデザインされたパイプに巻き付いている左手の指をほどいてから、左手を頭板から引き離し、身体の脇へ戻してそうっと置かなくてはならなかった。こんなちょっとした動きさえ、左手だけではできなかったのである!夜明けまでまんじりともせず、椅子に座って過ごしたのは言うまでもない。

翌朝、出掛ける準備が出来た7時半頃に、電話のベルが鳴った。病院の検査施設からで、前日話したのと同じ若い女性だった。フィルムが見つかったので、来なくてもいいのだと言う。彼女に説明できるのは、誰がどんな風にそれを見付けたかということだけだった。

私は出来事の奇妙な展開に興味を感じたので質問した。その結果分かったのだが、フィルムは、今朝彼女が出勤して来て試験課の鍵を開けた時、他ならぬ彼女の机の上にあったのだそうだ。「一体誰がそれをそこに置いたのかしら?」と私が尋ねると、彼女はやや震える声でこう説明した。「それが誰なのか、まるで分からないのよ。夕べ、私が部屋の鍵をかけてから、そこに入れたのは守衛さんだけ。彼に訊いたんだけど、フィルムを私の机に置いてなどいないと言うのよ」

全体が依然謎なのである。

当然私は、この出来事についてシーズに尋ねたのだが、あまり具体的な質問はしたくなかった。というのは、部屋の誰か、ボードに着いてる誰かに情報を知らせて答えを歪めたくなかったからである:


950723
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Q: (L) 一番気になってるのは、何夜か前の私の体験よ。まるで、私の自我が誰か「他人」とやり取りしたみたいだったのよ。この体験が何だったのか教えて頂戴?

A: リアリティの消失。

Q: (L) リアリティの消失って何?

A: エネルギーセンター同士が衝突するときに起こる。

Q: (L) どれどれのエネルギーセンターが衝突するの?

A: 思考のエネルギーセンター。

Q: (L) 誰々の思考?

A: 思考は全ての創造の基礎だ。結局、思考無しでは何も存在しない。そうじゃないかな?

Q: (L) そうね。

A: そして、エネルギーセンターの衝突には、思考パターンも含まれる。思考パターンのエネルギーが交差するのだと言っていいだろう。。。

Q: (L) 暗い色のクモの様な姿が幾つかベッドの横に並んでいたのにも気付いたのよ。正確な印象としてはね。

A: ある特定の思考センターが投影されたと言える。

Q: (L) 私はこのような動きと戦い、これに抵抗していたようだわ。

A: それがあなたの選択だった。。。

Q: (L) この思考センターというのは第何密度に主としてフォーカスしているのかしら?

A: 思考センターというものは、何れかの密度に専らフォーカスしているということはない。これがまさに大事な点だ。あなたは思考の正体に関するリアリティについて完全には習熟していない。あなたには、密度を含む数々のレベルについて話してきたが、思考というのは全く別物だ。というのも、思考は全ての密度レベルを同時に通り過ぎるものだから。さて、聞きたいのだが、それがどうして可能なのか分からないかな?

Q: (L) 分かるわよ。でも、私は衝突した思考センターが何かを見極めようとしてるのよ。2つないしそれ以上の思考センターが衝突するということは、私の考えが対立してるのよね。

A: その通り。。。

Q: (L) Okay, あの体験で私は身体が麻痺する感じがしたんだけど、何で麻痺したのかしら?

A: Yes. 気付きの分離だ。その定義だが、人の意識が全面的に1つの思考セクターにフォーカスするとき、その途中のどの時点でも、他の気付きのレベルは一時的に遠のく。このため精神的なリアリティの他に、身体的なリアリティに気付くことが不可能になる。それで麻痺したような印象を受ける。分かったかな?

Q: (L) Yes. それで、気付きの全面的なフォーカスを惹き起こす刺激とは何?

A: 心のプロセスから一時的にわき道に入るような出来事。

Q: (L) それで、心のプロセスをそこまでわき道にそらすことができる出来事とは何かしら?

A: いくらでも。

Q: (L) 今回のケースでは何?

A: 思考センターの衝突によって惹き起こされたエネルギーの消失だ。2つの対立するリアリティのユニットが交差するときはいつでも、軋轢と呼べるものを惹き起こす。それは、計り知れないほどの時間(とあなた方が呼ぶもの)の間続く。これはもちろん非実在であり、非実在を作り出し、あるいは、全機能の運動停止をもたらす。これが衝突として知られるものだ。交差し、対立する実体の間で、あるいは、これら越しに、ゼロ時間、ゼロ運動、ゼロ転移、ゼロ交換が見て取れるものだ。このことを注意深く考えてみなさい。

Q: (L) つまり、その状態では私が本質的に非実在だったということ?

A: 非実在というのは、本当は適当な語ではない。非流動的存在というのに近い。分かるかな?

Q: (L) Yes. 言わば、凍りつくの?

A: 言わば、凍りつく。

Q: (L) この体験で、私が得することはあるのかしら?

A: あらゆる経験には、潜在的に利益がある。

Q: (L) この経験で失うものはないの?

A: あらゆる経験には、潜在的に損失がある。さて、平行関係が分かるかな?本質的に対立する力のことを言っているんだ。両者が一緒になるとき、結果として、とことん一方の側の極限までも到達しうるし、あるいはとことん他の側の極限までも達し得るもの。あるいは、完全に対称性を保ち、中間で均衡することもあれば、いずれかの側で部分的に均衡することもある。という訳で、リアリティの交差する点においては、起こり得るあらゆる事が実現する。

Q: (L) これらの衝突している思考センターないしエネルギーの1つは、私のどこかの部分だったの?

A: Yes.

Q: (L) そしてそれが、何かあるいは誰か他の人の、一部あるいは全部である思考センター・エネルギーとの衝突によって消失したの?

A: あるいは、あなたの思考プロセスの一部である1つのエネルギー思考センターと、あなたのもう1つの思考プロセスであるもう1つのエネルギー思考センターとの衝突が起きたのかも?あなたがじっくり考えるように尋ねたい。

Q: (L) 「アブダクション」された経験があると思っている人が、実は自分の一部とやり取りしてたなんてことがあるのかしら?

A: 大いにありそうなことだ。さて、次の質問をする前に、立ち止まってしばらく考えてみなさい:これでどんな可能性が開けて来るだろうか?限界があるのか?あるとすればそれは何なのか?探求してみる価値がある領域じゃないかい?考えるために、一例を挙げよう。あなたにとっての未来に居るあなたの魂の投影が戻って来て、あなたにとっての現在に居るあなたの魂の投影をアブダクトするというのが、アブダクションの起こったシナリオだったとしたらどうだろう?

Q: (L) なんとまあ、そんなことが起きてるの?

A: これはあなたが自問し考えるための質問だ。

Q: (L) なんで、私が自分自身に対してそんなことをするのよ?

(J) 未来の知識を得るためだわ。

A: もっとうまい答えは無さそうかな?

Q: (L) うーん、これって実に恐ろしいネガティブな経験みたいね。もしそうなんだとしたら:
a. 多分、それはそう感じただけか、あるいは、
b. それじゃあ、未来の私はあまり素敵な人間ではない!

(J) それか多分、未来があまり楽しくないのかも。だから、それについてあなたが得た知識も楽しくないのね。

A: あるいは、それは可能な未来の1つであって、全てではないのかも?そして、自由意思の下で向かう先は、このどれにも結び付かないのかな?

Q: (L) ああ!そうであって欲しいわ。

A: これで、質問をスローダウンさせて、先入観を抱かずに質問する事がいかに大事か分かったかな?学びのプロセスをあまりに急いで知識を集めようというのは、立ち止まって足元の地面を確かめずに、坂道を駆け下りるようなものだと分かっただろう。道の割れ目にある金貨や宝石には気付かないものだ。。。

Q: (L) Okay, この体験が起きたときって、自分の一部、おそらくは未来の自己が、もちろん2人は同時に存在してるんだけど、単に照会のために帰って来て、現在の自己と何らかの交換を目的にやり取りしたと思うべきかしら?

A: これこそあなたが自分で探求するために取っておくのがベストな質問だ。ここで答えを得ようとせず、自分で考えることで、より多くの知識が得られるからだ。だが勧めたいのは、この質問を自分で考えてから、ネットワークに問いかけて考えることだ。そうすれば、もっとずっと多くの知識が得られるだろう。自分で考えて得られた答えに不満を抱かないこと。そうすれば、真の啓発が得られ、その後の経験は千回生まれ変わって得られる喜びや楽しみにも匹敵する。
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リアリティの消失に関する議論から導かれるのはどういうことだろうか?

最初に思い浮かぶのは、(初版執筆の=)数日前に私を訪ねて来た、ある人との会話の結論である。私の人生には、他にもまだ公に語る準備が出来ていない数多くの出来事があるのだが、本件については、この女性と議論しているうちに明かしたのだった。(原注1)
ある箇所で彼女の意見として述べられたのが、私(ローラ)の人生経験はずっと、善悪各勢力の間における戦いの、小宇宙的な例のようなものだったのであり、私の物理体、魂、心が戦場だったということである。「善玉」の勝利に終わるのだというのが彼女の意見だった。というのも、肉体的、精神的、霊的な破壊は私に影響を与えてきたけれども、結局は癒され、無効にされ、ないしは適切な機能とバランスが回復したからだ。


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原注
1:私はそれ以来多くの事を自伝『アメイジング・グレース』に綴ってきた。
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これはある意味では正しい。だが、これを全世界に(globally)当てはめようとするとどういう意味になるだろうか?あるいは、他の何人かにだったら?

カシオペアンズが言うには、私が経験したのは思考センターの戦いだった。これはさらに詳しくこう述べられた:


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本質的に対立する力のことを言っているんだ。両者が一緒になるとき、結果として、とことん一方の側の極限までも到達しうるし、あるいはとことん他の側の極限までも達し得るもの。あるいは、完全に対称性を保ち、中間で均衡することもあれば、いずれかの側で部分的に均衡することもある。という訳で、リアリティの交差する点においては、起こり得るあらゆる事が実現する。
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ここに含まれる問題について熟考するよう、そして、「自分で考えて得られた答えからは真の啓発が得られ、その後の経験は千回生まれ変わって得られる喜びや楽しみにも匹敵する」と言われたのだった。

簡単に言うと、「リアリティ消失」体験の結果、私達が既に論じたような、いわゆる客観的な観方によるリアリティの十全な知覚が得られたのである。それだけではない。これはまた私に選択 ― 人生を変える選択 − をさせることにもなり、結果、私のリアリティは効果的に変わったのだ。おそらくまさに文字通りの意味で。リアリティ消失事件の8か月後、私は前夫に離婚を求め、それから4か月後にはアークと出会った。2年後、私達は結婚したのである。あるセッションでの言明は、この点を強調するものだ:


970104
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A: 既に得られた事実情報からして基本だよ、マーチン君!

Q: (L) 私はもうマーチンじゃないわ!知ってるくせに!

A: あなたは代替的なリアリティを選んだ。
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マーチンは前の夫の姓だった。

ということでリアリティが消失した時、私が「治そう」とし続けさえすれば、全ては「愛と光」に包まれるというSTS志向のウィッシュフル・シンキングの世界に住み続けるかどうかに関して、深いレベルで何らかの選択がなされたのだ。その世界に居れば、私は高次密度生命体の食糧となり続けただろう;目を開いて見ることを私は選んだのである。起りつつあった事に抵抗しようという私の選択は、人生を変える選択となり、私の平凡な生活の中にやがて顕れるシフトを象徴していた。


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あなたにとっての未来に居るあなたの魂の投影が戻って来て、あなたにとっての現在に居るあなたの魂の投影をアブダクトするというのが、アブダクションの起こったシナリオだったとしたらどうだろう?
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もし私が昔の生活を、まだマーチン姓だった頃の、ウィッシュフル・シンキングの主観的なバージョンのリアリティを生き続けていたならば、時空のある点で私は、あの恐ろしい生き物になって、私自身をアブダクトしようとしたのだろう(もちろん、転生プロセスを経てだが)!

さて、私は、ビジュアル化や確証、あるいは、自らの現実を創造するという類のスタンダードな教えによって、私の現実=リアリティを変えたのではない。実際、どちらかと言えば正反対のことをしたのである。実際に起ったのはこうだ。すなわち、目を開いた結果私は、闇と騙しと恐怖と苦痛で一杯以外の何ものでもない、ありのままの世界に完全に絶望し、この世に居て出来ることはするものの、「この世に属さない」ことを選んだのだ。
(※「世にいながらも世に属していない」 ヨハネによる福音書 / 17章 11-16節)

ドン・エルキンスもこれを見たのであろうか?もしそうなら、この状態がどれほど不可欠であり、「新たに生まれる」(※ヨハネによる福音書 / 3章 1-8節)ためにその目に遭わねばならない、霊的探究者に道を踏み外させる際、闇の勢力がどれだけ利用可能かについての情報を彼が持っていなかったのは、何とも悲しいことである。

人はどうしたら「新たに生まれる」ことができるのだろうか?それは1回目に生まれる以上とは言わないが、同じくらいにはショッキングなのだ!

新たなリアリティーで最初の息をつくに当って、私は人類に押し付けられたこんな騙しに参加することを制限するという意識的な選択を行った。私は意識的に決めた ― 自分自身にも、他の誰かに対しても − 自分の感じ方や欲しいものについて、もはや嘘はつくまい。自分の好きな事、嫌いな事、あるいは、したい事、したくない事に関して、もはや嘘はつくまい。自分自身に対して、我が身の困難や犠牲は何であれ誰かの役に立つという嘘はもはやつくまい;というのも、私にはこれが正しくないことが明らかだったからだ。全ては幻想あるいは妄想だった。つまり、私は私自身に対して、リアリティに関してもはや何の嘘もつかないのだ。

花を見れば思い出すのは、土中の枯死したものから、花は栄養を得ているということだ。ネコやイヌを見れば思い出すのは、ノミや寄生虫のこと、そして、動物界では日常茶飯に行われているように、彼らが他の生き物を殺して食べるということだ。美しく平和な湖を見れば思い出すのは、輝く鏡のような湖面の下では、病気を惹き起こす沢山の生命体が分裂増殖しているということだ。

かなり奇異に感じられるだろうか?だがこれは奇妙な効果を発揮した。

自分自身に対して、存在する何物についても、少なくとも私自身、私の本性、私という存在に関して、もはや嘘をつかないがゆえに、私はいつだって顕れるものを自由に選べるのだ。私の中に、私のDNAに、肉体に、進化した自己の中に、存在している一切の陰を知っているから;自分自身の死や滅びと向き合いつつ、あるいは他人のせいで死を被りつつ、数多くの生を経験したことを知っているから、私は自由に選べるのだ。さらに、私は選択が自由であることを知っているのだった!もし私が、STSの途に従うことを選んで、幻想の世界に再び飛び込んでも、何の咎めもなかったろう。ラーが言うように「一者は闇にも光にも戸惑うことはない」のだ。
(※『一者の法』7.15
紫上訳192ページ「『一なるものの法』は光や闇に対して投げかけるものではありません」)

もはや何に対しても何の咎めも無い。それはあるがままにある。これが自然だ。これが神だ。神は2つの顔を持つ:善と悪だ。私達はそれらいずれをも愛することができる。だが、両方の顔を常に無条件に愛しながらも、どちらの顔を顕すかを私達は選ぶことができるのだ。

このような世界の状態を優れた技量で描いたのが、テネシー・ウィリアムズの戯曲『去年の夏突然に』である。登場人物のヴェナブル夫人は語る:


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私達はガラパゴス諸島のエンカンタダス島を見てきました。ですが、それはメルヴィルが書かなかったエンカンタダスでした。私達は巨大なウミガメが年に1度の産卵のために、海から這い上がって来るのを見たのです。。。年に1度、ウミガメの雌は、赤道付近の海からこの火山島の灼熱の砂浜に這い上がって来て、砂に穴を掘って卵をそこに入れるのです。砂の穴に卵を産み落とすのは長くて恐ろしい仕事です。それが終わると疲れ切った雌ガメは半ば死んだようになりながら海へと這い戻ります。彼女は自分の子供を見ることはありません。しかし、私達は見ました。セバスチャンはウミガメの卵がいつ孵るか正確に知っていました。そこで私たちは間に合うように戻ったのです。。。

ひどい。エンカンタダス、多くの死火山から成るこの島では、ウミガメが孵化し、死にもの狂いで海へと逃げて行く姿が見られました。狭い砂浜はキャビア色一色で、全てが動いていました!しかし、空にも動く陰があったのです。。。空一面の肉食鳥、鳥の鳴き声、肉食鳥の身の毛もよだつ狂暴な叫び。。。エンカンタダスの狭くて黒い砂浜じゅう、孵化したばかりのウミガメが砂の穴から這い出して来て、海へと競走を始める。。。だがそれは、浜と殆ど同じくらい黒くなるほど群がる肉食鳥から逃れるためだったのです!

一面の砂が生きているかのように、孵化したウミガメは海へと突進して行きます。一方、鳥たちは、舞っては急降下し攻撃、舞っては急降下し攻撃するのです!連中は孵化したウミガメに向かって急降下し、カメをひっくり返して柔らかな腹側を露わにし、腹を切り開き、肉を裂いて食べるのです。セバスチャンは、海へ逃げられる数は、おそらくわずかに1パーセントだろうと言いました。。。

うちの子は神を探し求めていました。つまり、神のはっきりとした姿をです。彼は灼熱の赤道直下での1日じゅう、スクーナー船の見張り台から浜の出来事を見ていました。やがて暗くて見えなくなると、艤装から降りてきた彼はこう言いました。「ついに彼を見たぞ!」というのは神のことです。それから数週間、彼は狂喜して熱に浮かされたようでした。(原注2)
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原注:
2 Tennessee Williams. Suddenly Last Summer (Huffer, 1958).
http://www.kinenote.com/main/public/cinema/detail.aspx?cinema_id=2305


その頃、私も自分の「ウミガメ」体験をしている。そう、私は、それから長い間病気だったのだ。何が起こったのかと言うと、私の身体の全ての系が殆ど完全に活動を停止したのである。奇妙なことに、世界に関して私がかつて信じていたおとぎ話の全てが崩壊するのに直面しても、私は泣けなかった。少なくとも普通には。痛みがあまりに凄まじくて、普通の涙が出なかったのだ。私は文字通り血の涙を流した。目が炎症で腫れ上がり、様々な療法を試みても何の効き目もなかったのである。(専門医にもかかったが、何の助けにもならなかった。)私の目からは絶えず、漿液と呼ばれるもの ― 血と血清 ― が流れ出し、それは何週間もの間頬を伝う程大量だった。私は「この杯をわたしから過ぎ去らせてください」と言われた本当の意味が分かった。私はリアリティを見ていたが、その結果、死にそうな目に遭ったのだ。
(※マタイによる福音書 / 26章 35-40節
ペトロは、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と言った。弟子たちも皆、同じように言った。
それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。
ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。
そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」
少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」
それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。 )

人生を変えるような変化とはあの幻影をどうにかしようとして、ついに選んだものだった。鍵は上に抜粋したカシオペアンズ文書の中にある。曰く:


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。。。それは可能な未来の1つであって、全てではないのかも?そして、自由意思の下で向かう先は、このどれにも結び付かないのかな?

Q: (L) 私はこのような動きと戦い、これに抵抗していたようだわ。

A: それがあなたの選択だった。。。自分で考えて得られた答えに不満を抱かないこと。そうすれば、真の啓発が得られ、その後の経験は千回生まれ変わって得られる喜びや楽しみにも匹敵する。
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さて、リアリティを客観的に見ること、および、自由意志のテーマに立ち戻って、これと向かい合ってみよう。

私は「神を見ている」ことを知っていた。しかし、最終的な私の選択は、どっちみち彼を愛することだった。それだけではない、私の選択は、これらの神の諸相すなわち、自由意志の選択としての愛、美、真実を私自身の中に顕現させることだったのである。私は隠然たるものであれ、恐れから選んでいたのではない。それは、愛と光のお決まり事にこだわり、闇の知識は何であれ遠ざける殆どの人々が隠している恐れだ。

もし誰かがこのようなカメの孵化という出来事に居合わせたら、カメを救うため、鳥を殺したり追い払ったりする事が正しいのだろうか?どちらも神の諸相すなわち顔を表わしており、どちらも自分の事情において存在する権利、自分の流儀で生き残る権利を持っているのだから、干渉するのは間違いだろう。だが望むらくは、赤ちゃんガメの何匹かが、暗くなるまで海に突進するのを待つ機転を利かさんことを!おそらく私なら、浜を行ったり来たり歩いて、肉食鳥に対する「かかし」になることだろう。おそらくこのようにしてこそ、私達が生きる上で知識を働かせることができるのではないか?おそらく同じように、カシオペアンズは私達と関わっているのだろう。ただし、幾分もっと複雑な流儀で。

あなたがイヌやネコを愛するのなら、彼らが他の生き物を食べたり殺したりするとき、感じる愛は少なくなるだろうか?だからイヌがそんなことをしなくてもいいように、素敵で温かい人間の家では、ディナーが缶に入って出て来るのだ。彼を戸外にちょっとの間1匹にして放っておけば、すぐに彼は何だろうとそこに居る者を食べるだろう。そうしたらあなたは、彼を拒絶し、あまり愛さず、あるいは彼 ― そしてイヌ一般 ― など存在しないと偽るだろうか?

私達のリアリティのこのような破壊的な面は、人間のような意識的レベルに達しても、受け入れ難いものだろうか?それでも私達は存在する全てを自然の一部、神の一部として愛し、ありのままのそれらを受け入れ、認めるべきではないのだろうか ― 他方で、私達自身が存在し続ける権利は確保するというデリケートな面なら、人間はうまく扱えると言うのに?

そしてもし受け入れるなら、さらに進んで、私達自身が破壊的な面に関与するのを最大限制限することを選ぶならば、私達はリアリティの最も貴重な学びの1つを学んだと考えられるだろうか?愛とは本当は何なのかという学びを。愛とは、何かを変えるべきだとか、変えたいと思うことなく、全てを無条件に愛することだという学びを。このような愛の状態 ― 客観的な愛 ― においてこそ、私達は自由意志を持てるという学びをである。

実際、これが大げさに宣伝されている「無条件の愛」の真の意味なのだ。あなたが何かあるいは誰かを、それが何であろうと、愛で幾らか変えられると思って愛するのなら、それは無条件の愛ではない。あなたはありのままの姿ではなくて、幻想を愛しているのである。

さらに、無条件に愛することは、自己をも同じ様に愛することを意味する。もしあなたの他人に対する「無条件の愛」が、あなたにとって本物らしくないやり方で行動することを意味するなら、あなたはまだ分かっていないのだ。さらに、もしこの他人が、あなたと同じやり方では愛さず、ありのままのあなたを完全に受け入れるのに、あなたはと言えば、彼らをしっかり抱きしめて無条件に愛せば、最後は彼らも分かって、変わるだろうと考えるならば、あなたは既に無条件の愛という掟を破っている。日々の生活において、あなたが無条件に愛せる人とは、無条件の愛をあなたと全く同じように理解している人だけなのだ。

私はこれに気付いた。だから既に述べたように、私は嘘や妄想に参加することをできるだけ制限するという選択を行った。つまり、私はもはや、この種の、愛という点で十分に相互的でないような親密な関係には留まれないということだ。私にははっきり分かった。この結果おそらく、全く一人きりで生き、世界や他人を遠くから無条件に愛することになるだろうが、これが実際的な観点から可能と思える唯一の方法なのだ。私には分かった。個人的な関係で妥協を行うことで、自分がエネルギー的な食糧として使われるのを認めることは、私が愛した誰にとっても得策ではなく、私にとっても得策ではないのだ。(同じことは、法と秩序という実際的な問題を検討する上でも当てはまる。)

こうして、私は先に述べたような決心をし、人々に対して行動したのだが、その結果は驚き以外の何ものでもなかった。

さて、これは私達の問題全体には(globally)どう当てはまるだろうか?

これが意味するのは、間もなく私達はエンカンタダスで新たに孵化したカメそっくりの状況に置かれるだろうということである。私達の周りを取り巻いているのは、飢えきった肉食鳥のような生き物だ。私達には海に辿り着ける見込みがある。さらに、気付きがあれば、他にもっと多くのことだってできるのだ!実際、気付きが増大すれば、私達は起りそうな1つの未来を他のものに変えることだってできるかも知れないのである。

私達自身に何らかの特質・何らかの側面が無いのなら、私達を盲目のまま気付かぬままにし隠ぺいを願う連中が居ないのなら、どうしてこうも多くの騙しが世の中に溢れているのだろうか?他にどんな理由があって、こんにち、私達の抵抗を和らげ弱めるような、かくも大量の教えが存在しているのだろうか?これらが訴えるのは、安楽への愛と現状維持ではないか?さらには、愛に関する教え自体、どうしてこうも恐ろしく歪められているのか?


960224
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=71330285&comm_id=2590126
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Q: (L) マイク・リンデマンったら私達に、チャネリングの「綿密なテスト」を受けるよう提案してきたのよ。(原注3)

A: マイク・リンデマンはチャネリングはしないんじゃなかったかな?どういう綿密なテストを彼は提案してるのかな?

Q: (L) それは言わなかったわ。近い将来の予言とか、諸々のちょっとしたテストじゃないかしら。。。

A: 正確には何と彼は言ったのかな?

Q: (L) 彼は証拠が欲しいと言ってるわ。

A: 私達が繰り返し説明してきたように、第3密度に「証拠」は適さない。さて、注意して聞きなさい:もしその類の証明が可能だとしたら、自由意志、ひいては学び、「カルマの第1級指令」はどうなると思う?

Q: (L) もし証明されたら、人々は証拠の方を信じてしまって、その精神は理解しないでしょうね。人々は物質的な物を信頼するでしょう。人は自由意志を失っているのよ。証明するという行為によって、誰かが人々の自由意志を侵害してきたんだわ。

A: もし誰かが信じることを選んでも、それは彼らの特権だ!それで、証拠にはどういったものがあるかな?

Q: (L) 実現した予言、沢山の事に関して検証された答え。物理現象。

A: それでも、これらを多くの人々は単なる偶然として片付けるだろう。私達は既に予言してきたし、これからもそうする。だが、いいかな。「時間」は存在しない。それは第3密度の幻想だ。私達は砂場で遊んでいる訳ではない。できないし、することもない。この交信を行う一番の理由は、あなた方に自分達で学ぶ方法を教えることで、あなた方が学ぶのを手伝い、その結果、あなた方の魂のエネルギーを強化し、あなた方の進歩を援助することだ。

Q: (L) 私達に教えるのがあなた方の一番の理由だと言うの?この小さなグループに?

A: あなた方が助けるよう求めた(ask)からだ。

Q: (L) それじゃあ、私達が頼んだから、あなた方は交信してきたのね。この交信内容は他の人々にも与えてるの?それとも、他の人々にシェアするようにという意図なの?

A: 彼らがやむを得ず頼んで来たら。でなければ、あなた方が与えられたメッセージをシェアすれば他の何百万もの人々に教えられるだろう。

Q: (L) 「やむを得ず」ってどういうこと?

A: どのくらい「長くそれに掛かるかな」?

Q: (L) 人生の全てをかけて、相当な重労働をする必要があるわ。

A: Okay, それじゃあ、私達が言った「他の何百万もの人々」とはどういう意味かな?

Q: (L) この情報を何らかの方法で他の何百万もの人々に伝達するということ?

A: どうやって?

Q: (L) 考えつくのは、文書によることくらいね。

A: Bingo!!

Q: (W) それは膨大な作業だわ。

A: 作業は進行中だよ、ウィルマ!

Q: (W) 全部ワープロして、編集して、相互に比較して、まとまった形にしなくちゃならないから、2年は掛かるわね。。。

A: ちゃんと面倒を見る。そうは掛からないよ、ウィルマ!

Q: (W) おおよその時間を考えてみたのよ。随分多くの事がすぐにも始まろうとしてるわ。すぐにも情報を公にしなくちゃいけない気がするの。さもないと陳腐化しちゃう。

A: 先入観は無益だ!それと、情報が陳腐化するなんて誰が言うんだい?静観しなさい。
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原注
3:マイクの最新の「略歴」はこうだ:「1994年12月から2000年6月まで、彼はオンライン・ジャーナル『CNIニュース』(www.cninews.com)の編集者兼発行者として、UFO研究や宇宙生命の科学的探究の最前線をリポートした;1999年1月から2000年5月まで、彼は『世界状況レポート』(www.gsreport.com)の編集者兼発行者として、新千年紀を方向づけた事件やトレンドを扱った。彼は2000年6月にこれらの公開を止めたが、これは、世界的なトレンドと人類の未来に焦点を当てる予定の『プロジェクト・ボイジャー』(www.projectvoyager.com)というニューメディア会社に参加するためである。マイケルはまた、『UFOとエイリアンは実在する:6つの視点』という著書を著し、全米および海外の数多くのUFOカンファレンスでメイン講演を行ってきた。1998年10月、そして1999年7月に、マイケルは『コンタクト計画セッション』という個人的なシンクタンク・プロジェクトを共同で組織し参加したが、これは企業幹部、NASAの科学者、軍当局者、大学関係者、メディア関係者、未来学者が極秘会場に集まって、地球外知的生命体とのコンタクトがもたらす真の社会的・政治的成果について議論するものだった。マイケルはまた火星にも情熱的な関心を寄せ、2020年までには、望むらくは夫人でありプロのヒプノセラピストであるデボラ・リンデマンを伴って月に旅行者として訪れる計画である。
(出所:projectvoyager.com)
私自身の意見としては、彼はおそらくニューエイジ運動というコインテルプロに関与していると言って良いと思う。


証拠 対 強化(strength)のテーマについて、さらに引用しよう:


980418
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=71330285&comm_id=2590126
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A: このテーマについて、さらに繰り返しておきたいんだ、アルカジス、そして、以下のメッセージを必要としている誰に対しても:私達は、私達が実在することを「証明する」ためにキミたちと交信しているのではない。人がもし、新しい領域の存在を信じ、それについて学び探って、ある「日」には当たり前の気付きとなるものを発見したいのなら、何の「証拠」も必要ない。一方もし、人が反対の霊的指向を帯びているのなら、どれだけ証拠があっても不十分だ。

Q: (A) Yes, それは願いをかけ、叶うごとに小さくなる魔法のワニ革の物語のようなものだと思う。小さくなりすぎると、持ち主が死んでしまうという話だ。もちろん彼は、それを食い止めようとし、「もう1つだけ願いを聞いてくれ。。。」と言うんだが、もはやそれまでだ。一旦頼むことを選んで、自ら取り組まないと、どんどん手軽に手に入るようになり、さらにもっと欲しくなる。。。そうなると、自分の意志や力は、どんどん小さくなって行くんだ。。。

(※バルザック『あら皮』 <粗皮 2 獣類の皮で、まだなめしていないもの。(大辞泉)>
http://www.yamashina-mashiro.com/book2/ques.cgi?no=143&mode=qaview&resmode=on&page=0
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ラファエル・ド・ヴァランタンという青年が自殺しようとセーヌ河岸を彷徨っていたが、身投げにはまだ日が高くそれまでの時間を潰すために一軒の古物商の店に入った。
そこで、ラファエルは店主から一枚のあら皮を譲り受ける。
そのあら皮を持っている者は、望みをすべて叶えることができるが、そのかわり、命が縮まっていくという。あら皮もそれにあわせて縮んでいき自分の余命をその皮によってみることができるらしい。
半信半疑のまま、ラファエルはそのあら皮の所有者となる。
あら皮を手にしてから、ラファエルの望みは次々と叶った。
彼が自殺をしようと思い詰めたのは、フェドラというパリの社交界の華の公爵夫人にふられ、経済的にもいよいよ窮したためだったが、伯父の遺産が転がり込み、パリでも一、ニを争うような邸宅を建て、高額の年金までも月々受け取る身分になった。
それは、金持ちになることをラファエルが望んだからなのか、あら皮は確実に縮んでいく。
この不思議な護符に恐ろしさを感じるラファエルだったが、貧しい日々を送っていたときの下宿先の娘ポリーヌと再会する。
ポリーヌとは心を通わせていたが、フェドラにいれあげてる時には純粋な貧しいこの娘との愛は深入りすることはなかった。ポリーヌも帰国した父が財産を築いていたため裕福な家の娘となり、かわらずラファエルを愛しているという。
ポリーヌとラファエルは結ばれ、幸せの絶頂にいたが、あら皮は小さく小さく縮み、ラファエルも健康を害していった。
あら皮をなんとか大きくしようと手を尽くしてみたが、あら皮は火の中に放りこんでもビクともしないのだった。
医者を何人も呼び治療にあたったが、ラファエルの衰弱をとめることはできず、ついに死んでしまう。
---)

Q: (L) このチャネリングで得られた一番大事なことは、時々シーズが私を言わば騙して何かに挑戦させ、私の好奇心を煽る。それで私が出かけて行って何かをするんだけど、その結果、本当に素敵な学びを経験するってことね。それと大事なのは、出かけて行ってワークをすることで、人はホントに強くなるということよ。そしてあなたが言ったように、自分で答えを追い求めようとしない方を選んで、楽に手に入れようとする度に、人は弱くなり、存在が小さくなってしまうわ。これはどんな事にも当てはまる、一種の非線形的原理なのよ。もし彼らが私達に全ての概念的真実を与えてくれると、私達は、強化(strength)や自由意志に関する、何か大きなものを失うことになるんだわ。爆弾の秘密をSTS連中に授けたと思しきソースや、あらゆる類の事をとにかく与えてくる他のソースみたいにね。明らかにこれらは堕落していて。。。


(F) Yes, 自由意志の自発性を奪われる時が決定的瞬間だ。

(L) そう、とても微妙な事ね。
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990619
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30593803&comm_id=2590126
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A: 未だ知らせてなかったかな?知識は力だ。ハロウィーンの夜に子供がおねだりするお菓子みたいに簡単に私達が与えたら、それは発散してしまう。
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ワークと努力によって研究し、学ぶべきだということに関するカシオペアンズの言葉を、再び繰り返しておきたい:


(※後出23章)
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微妙な回答の分析には努力を要するので、相当学びを積まねば無理だ。学びとは探検であり、やがて起こる発見を通じて知識は確証される。学びは魂の進歩には欠かせない...そうしてこそ、自らのパワーセンターを築けようというもの...隠された知識の探究には忍耐あるのみ...あなたの「ファイル」を探しなさい...学びの達成には、時として、学習と探検が必要なもの...自己学習によって発見すべき手掛かりというものもある。
---


もっと後になると、彼らはアークと私に対してはっきりとこう呼びかけた:


970212 941019
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答を求めてエネルギーを合わせなさい。そうすれば残りは自ずと解決する。あなたとアルカジスは相補う魂だ。カルマ的密度での第1級ミッションだ。
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かくして私達は同じ道を行く他の人々とシェアできるよう、秘密発見のためにワークし、答えを追い求めて、様々な実験を行っている。このような過程においてこそ、多くの面白いアイディアも出て来るものだ。私の文通相手によるシナリオを思い出されたい:


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要するにあなたがカシーに対して言ってたように、厄介な状況なのよ。あなたは良い経験だけが有益だと考えているようだけど、カシーも言うようにそうではなくて、禍福は少なくとも混じり合ってるのが普通のこと。だけど、彼らのシナリオだと、私達みんなの運命としては、マットも無しに向こう側へとハイ・ジャンプさせられることになるのよ(グシャ)。
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これをリアリティの消失に関連付けてみよう。ザ・ウェイブについてこれまで述べられてきたことからして、それはマクロ・スケールでのリアリティの消失であるに違いないだろう。ザ・ウェイブに関して述べられてきた言葉の多くは、私のリアリティを変える結果となった私自身の経験に関して述べられてきたものと同じだった。そうだとすると、抵抗が私の選択だったのであり、抵抗の結果、新たな存在状態が種蒔かれたのであるから、それでは次に、人類の未来に関して同様の行動を取ったら、同様の効果があるだろうか?

別の言い方をすると、私達のディスカッション・グループのメンバーの1人が指摘するように:


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クモのような生き物の相は、再びあなたにバランスをもたらすような方向にあなたを「押し出す」経験を与えるために出て来たのかも知れず、これはそれを手に入れる上で実は欠かせない負担だったかも知れない。
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つまり、私達のリアリティに関する客観的真実を示されることによって、私達は選択を行うよう押し出されてはいないのだろうか?もし実際に、私達がエイリアンに侵略されたら、それはまた選択を刺激する経験とならないのだろうか?

疑問はこうなる:魂や意志、気付きでもって何かを行うことになっていないなら、どうして私達はそれらを強化(strength)しなくてはならないのだろうか?これは皆さん自身で考えて欲しい。


(本章終わり)
posted by たカシー at 09:10| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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