2013年03月17日

ザ・ウェイブ 第23章:ルシファーと金の壺、あるいは「期待しない」という聖杯の探求

http://cassiopaea.org/2010/05/18/the-wave-chapter-23-lucifer-and-the-pot-of-gold-or-the-quest-for-the-holy-grail-of-no-anticipation/
ザ・ウェイブ第23章:ルシファーと金の壺、あるいは「期待しない」という聖杯の探求


私達はなおも問い続ける。「どうして?」 玉ねぎを1皮1皮剥いて、真ん中までやって来てみれば、そこには何も無いのだ。それとも要するにこれが真実なのだろうか?パズルを元通りに戻すには少々時間が掛かる様で、読者にはしばらくおつきあい願いたい。というのも、答えに行きつくまでには、2行くらいの文章では全く無理だからだ。しかし、手掛かりを辿って行くうちには、比較し吸収して、更なる探究へと向かう機会も多く得られるだろう。

私達は自分が、どうして人生はこのようであるのか?という存在論的な問いと向き合いたくないことを知っている。だが、夜遅くまで1人起きて居て人生の空虚さを埋める、日々の生活という気晴らしを忘れて考えに耽るとき、私達は存在のジレンマと差し向いになるのである。おそろしい静けさだ。このような冷静で冴えたひとときには、宇宙の視点で見た場合の私達の存在の荒涼たる侘しさと無益さが沸き起こって私達を攻め立てるものである。人類は皆、数千年来このような難問を突きつけられてきたのだ。

歴史を振り返ってみると分かるように、このゾッとする「(魂の)暗夜」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%AD%97%E6%9E%B6%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D
から逃れるためなら、私達は ― どんな信仰であれ哲学であれ ― 唱えられたどんな答えでも受け入れたのである。なぜなら、この問いの後に来る、冷たい深遠な静寂は何としても埋められねばならないからである。そして、私達の抱く全ての問いに対する答えを持っていると偽って、説得しにやってくる人々はごまんといるというのが悲しい事実である。しかし、これらの答えは概して独自の見解であって、かえってリアリティに対する識別力は混乱させられるばかりだ。本当はリアリティの受け入れを拒んでおきながら、その正邪を判定した気にさせるような代物である。お分かりのように、間違いないし邪悪だとして拒絶され、あるいは判定された部分のリアリティは、私達が経験するよう求めて現出しているものなのだ。

一方で私達は、カシオペアンズから、私達のリアリティとはまさしく、本書の第1巻『ウェイブに乗って』(=1-9章)の中で詳述したグルジェフの『魔術師の物語』のような状況だと言われている。
(※ウェイブ第1巻には見つからないようですが、 
http://www.k5.dion.ne.jp/~sasara-p/Gurdjieff-2.htm にある『魔術師と羊(『奇跡を求めて』p341より)』です。)
大いなる疑問のこのようなバージョンに良く似たものは、スーフィズムやグノーシス主義のような古代からの言い伝えや、おそらくはカタリ派の教義、またごく最近のものとしてはカルロス・カスタネダの作品でも取り扱われている。
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2006/12/post-89a8.html

その一方で私達人類が思い込まされている信念は無数にある。このような信念が確固たるものであることは、ある読者からの次の手紙からも見て取れる:


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親愛なる友、ローラとアークへ

あなた方が紹介してくれたシーズのメッセージを随分と読んだけど、いつでも最後に感じるのは、絶望に満ちた悲しい論調だということね。それでついに本当なのか疑問に思い始めたのよ。これだけ大きな宇宙の中で、どうして地球のような小さな星がそんなに数多くの不運に見舞われるの?シーズのメッセージはどれも皆同じ:私達がどうしようと破滅は免れないということだわ。でもどうか考えてみて頂戴:人類は6Dや4D、その他の次元のあらゆる存在よりずっと優れてるんだってね。モーツァルトやバッハが居るんですもの。音楽に詩、子供たちの世話をするママ達やマイホーム・パパ達が居るのよ。私達はあんな馬鹿げた存在のどれよりもずっと素晴らしいわ。信じて頂戴、彼らは善玉を装ったメッセージに幾らかの真実を挟み込みつつ嘘を並べて、あなた達を惑わせ、最後には私達全員を破滅させようとしてるのよ。どうか時間と魂を無駄にしないでね。
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このような手紙を受け取ったとき私は、分かっていない人が何か言って来たなどと頭からはねつけたりしないことにしている。このような手紙を受け取った場合にはいつも、ひょっとして、送り手の方が完全に正しく、私が間違っていて、カシオペアン情報もまた、これを信じ込ませることによって、人類を何らかの闇の勢力のコントロール下に置こうと企む、終わりなき一連のディスインフォメーション・キャンペーンの1つでないか点検し直す機会として利用することにしているのである。

本書の第2巻『ソウル・ハッカーたち』(=10-19章)の前の方の章では、たとえ物理体に転生している生身の人間以外をソースとする情報であろうと、受信者のバイアスやソースの無知のせいで、改ざんされることがあると論じた。だがそれでも私達は、上で述べた深遠な質問の答えを見付けねばならないのである。どうやればいのだろうか?

今では読者もおそらくご存知だろう。私達は、何度もチェックし、クロスチェックし、実験しないうちは、カシオペアンの言うこと全てを真実として受け取らないようにしている。今も、これまでも、本当に信じる人向けの文書だなどと思ったことはない。数多くの分野から裏付けられているゆえに、これは確かに興味深いものではあるが、幾つかはまさしくその性質のゆえに、検証不能なのだ。

既に述べたように、彼らから学んだ事は数多いし、明示的に知らされたもの以外にも、ヒントをもらって観察し、実験してみた結果、私達自身でより完全なものに出来たものもあった。これはカシオペアンズに関する手掛かりの1つである:彼らはただ手渡してはくれないのだ。前に述べたように、彼らはヒントはくれるがロードマップはくれないのである。私達が何か動いて解き明かそうとしない限り、彼らの位置付けは言うなれば、カロリー・ゼロ、身にならないキャンディーみたいなものなのだ。明らかにこのアプローチには、チャネリングを不要にし、廃しようという狙いがある。私達は最終的に彼らになるのである。彼らは、手取り足取りして導くことは私達にとって有害であると繰り返す;彼らが下拵えをし励ましてくれるのは、私達が尋ねたからであるが(コンタクトが始まるまで、私達は繰り返し粘り強く2年間これに専念した)、真の目的は私達が自分の足で歩き、気付きや守りを得て、怖れや無知を免れ、学びを得ることなのである。願わくばこの姿勢も、読者に伝授したいものだ。私達がこの質問を行えるようになるまでには、何百ページ分もの問い掛けを行う必要があったのであり、その答えの基礎準備には同じ位の労を惜しまないつもりである。


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http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=26553585&comm_id=2590126
微妙な回答の分析には努力を要するので、相当学びを積まねば無理だ。学びの実践とは、発見を通じて知識を確かなものにすることである。学びは魂の進歩には欠かせない...そうしてこそ、自らのパワーセンターを築けようというもの...隠された知識の探究には忍耐あるのみ...あなたの「ファイル」を探しなさい...学びの達成には、時として、学習と探索が必要なもの...自己学習によって発見すべき手掛かりというものもある。
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この自らのパワーセンターを築くというのが後々重要なポイントとなるので銘記されたい。

読者の投書に戻ろう。この人が言うには、カシオペアンズは「善玉を装ったメッセージに幾らかの真実を挟み込みつつ嘘を並べて、あなた達を惑わせようとしている。。。シーズのメッセージはどれも皆同じ:私達がどうしようと破滅は免れないということだわ」

闇の勢力によるコントロールを強める手段として、当の勢力に気付くように、そしてそれから身を守るように説くのは、論理的に矛盾している。この問題は過去にも度々提起されているが、最も重要な一節はイエスが詳しく述べたものである:


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マタイによる福音書 / 12章22-33節

そのとき、悪霊に取りつかれて目が見えず口の利けない人が、イエスのところに連れられて来て、イエスがいやされると、ものが言え、目が見えるようになった。。。
しかし、ファリサイ派の人々はこれを聞き、「悪霊の頭ベルゼブル(=ベルゼバブ)の力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」と言った。
イエスは、彼らの考えを見抜いて言われた。「どんな国でも内輪で争えば、荒れ果ててしまい、どんな町でも家でも、内輪で争えば成り立って行かない。
サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか。
わたしがベルゼブルの力で悪霊を追い出すのなら、あなたたちの仲間は何の力で追い出すのか。。。
また、まず強い人を縛り上げなければ、どうしてその家に押し入って、家財道具を奪い取ることができるだろうか。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。。。
木が良ければその実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる。
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興味深いことに、悪魔憑きの影響とは、目が見えず口が利けなくなることだった。喩えとしてはまた、泥棒はまず強い人を縛り上げてから、その家に押し入って家財道具を奪い取るものだというのも挙げられているが、こちらはもっとずっとありそうな話である。だがここでの要点は、サタンの国も内輪で争えば、荒れ果ててしまい成り立って行かないという問題だ。「サタンがサタンを追い出せば、それは内輪もめだ。そんなふうでは、どうしてその国が成り立って行くだろうか」イエスはパリサイ人に対して、イエスが闇の勢力と協働しているといって彼を咎めるのは全くもって論理的でないと指摘しているのである。なぜなら、悪魔に攻撃された男はイエスのわざのお蔭でもって、解放され見ることも話すこともできるようになったのだから。

実際、騙しの中でも一番大掛かりなのは次のものである。すなわち、真にネガティブな勢力など居ないという教えだ。たとえ居たとしても、そんなものは心配に及ばない。というのも、私達が素敵な事だけ考え、常々瞑想し、心温まる肯定的態度をとっていれば、どんなイヤな事もこのリアリティに入って来れないと言うのである。

請け合うが、悪玉はいかにも善良で真実を語る風を装って、私達の人生の中にうまく入り込んで来るものである。今どきの悪玉を語るとき難しいのは、連中の言う事があまりに風変わりで異様であるからではなくて、むしろ私達の文化が、善悪なんて時代遅れだという宗教観を押し付けてくるからである。当人が現実化させて創り出してしまうのでなければ悪など存在しない、というニューエイジの教えが問題をさらに悪化させる。悪が私達の霊性を侵食するプロセスは、知識の侵食によって進められるがゆえに、これは重要なポイントである。邪悪な活動を防御する上で、悪など存在していないと否定するぐらいうまいやり方があるだろうか?実際、悪を生み出し、それを永続化させたがっている自称「ハイヤーセルフ」は上位の密度レベルに存在しているのであり、これらから身を守るには、その正体および振る舞いを知る以外に手立てが無いのである。真実を受け入れるためには、嘘について学ばなくてはならないのだ。

堕天使はサタンの子分になったという人々が居る。しかし、古代の数多くの教えが述べるところによれば、悪の本質とは生まれつき備わるものだという。つまり、闇すなわち利己性への道は創造の瞬間から常に存在してきたのである。一方には神と自己を愛する方法としての他者への愛が存在し;他方でこれと反対の、神として自己を愛し、この自己愛を永続化させるために他者を操作するという哲学も同様に存在しうるという訳だ。このような敵対し合う緊張が無くては、何者も存在できなかったし、存在しなかっただろうと言っていいだろう。

もし光と闇、善と悪という言葉がなくても、私達にはポジティブな極性とネガティブな極性という分析的な言葉がある。だがこれらですらも、判定のために使うのは適切ではない。とは言え、この言葉を決まりとして用いて、ネガティブな極性には頂点があり、数多くの領域から来た存在がこの道を辿っているという観方をすることもできる。これも道なのだという風に理解しなくてはならない。創造の領域においてはこれも有効なのである。もしこれが滅びるためにあるのなら、神は私達のあらゆる問題を緩和してこのエネルギーに手を伸ばし自分自身に取り戻すことが出来ないのだろうか?

このような考えに注意を払うことで生きるエネルギーが得られるものと信じている人々が居る。たとえ代理であれ、参加の意志をもって打ち込むのであればその通りだ。だが、これらの諸力についての大局的な理解を持つだけでも、連中に与えるエネルギーを少なくする方法を知る上で欠かせないことなのである。

「善なる人々が行動を怠れば必ず悪が勝利する」(※エドマンド・バーク)

だが善人はどう行動すべきなのだろう?カシオペアンが宇宙について語った全ての事から、私達は何を導き出し、理解すべきなのだろうか?彼らが答えの全てをやすやすと与えてくれないのは明らかである;私達がそれを解明しなくてはならないのだ!これに私が取り組んだ結果が本書である。

私の解釈や理解が最終的なものだとか絶対だとか言うつもりは毛頭ない。新たな情報があれば、私の考えのいくつかは変わるかも知れない。だが現時点では私が学び得たと思うものをシェアしているのだ。これが読者の共感できるものであり、実験や探究のうえで土台を提供するならば、目的は達せられたと言える。

カシオペアンズは、人は闇の勢力「に対して行動を起こす」べきではなく、むしろ、自分の運命「のために行動」すべきであると言う。これの実際的な意味としては、不愉快な状況からは抜け出してもよく、必要なら実力行使に出ることすら許されるということである。もし誰かが、あなたやあなたの愛する誰かを殺そうとし、それを防ぐのが運命ないし責任と感じられるならば、あなた自身や他の人の命を救う上で不可欠な事を行うのは、全くあなたの運命のための行動の範囲内である。

だがこれは多くの点でもっと微妙な話である。騙され、催眠術に掛けられた結果、本当は悪である事を善と、あるいはその反対に善を悪だと思っていたら、どうやって運命のために行動できるだろうか?そして状況は通常、それほど単純ではない。悪い魔術師と羊の群れの寓話が言っているのは、私達はある意味、世話をされているということである。だが、この世話には目的がある:悪い魔術師が時折やって来ては、群れの何頭かから「肉と皮」を奪って行くのである。

どうやら邪悪な勢力/存在のいくつかが、ある程度人類を「世話」してきたらしいことは確かである。そうした兆候は遠い昔から言われてきたし見抜かれてきた。だがこれには確かに問題があり、私達は冷静な論理でもって考えなくてはならない。古代の伝説には、魚神やドラゴンの文化、蛇神やシュメールのアヌンナキ等々が出て来るが、いずれも人間に啓蒙的な影響を与えたものだとされている。しかし既に述べたように、このような恩恵はただ単に人類を支援しようというのとは別のアジェンダに則って施されたものであろう。


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Q: (L) このグラハム・ハンコック著『神々の指紋』(大地訳、上125ページ)によれば、「メキシコ、ユカタン州北部チチェンイッツアにあるククルカン神殿のピラミッドは、春分と秋分の2回、三角形の光と影を利用し、北側の階段において巨大な蛇が身をくねらせるように見えるように設計されている。この幻影は正確に3時間22分継続される」と言うのよ。
https://www.youtube.com/watch?v=GWCaJP2X7RU
このような目の錯覚を利用して伝えようとされてるのは何なのかしら?

A: 蛇神崇拝。

Q: (L) それが伝えようとし、あるいは生み出している崇拝以外の効果はある?

A: 幾何学的サイクルを読むのがカギだ。

Q: (L) この本の80ページには、チチカカ湖のティワナク(ティアワナコ)にある彫像について述べられてるんだけど、曰く:
(同上、106ページ)
「赤い砂岩に彫刻されたエル・フライレは摩耗が激しく、古さも特定できない。高さは2メートルほどで、重々しく大きな目と口をもつ人間らしき姿に描かれている。右手にはナイフのようなものをしっかりと握っているが、それは曲線を描いており、インドネシアの短剣のようだ。左手にはハードカバーの本のようなものを持っている。だが、この『本』の上からは何か道具らしきものが飛び出ているが、あたかも鞘に差し込んでいるかのようだ。胴から下は魚の鱗で覆われた服を着ているように見える」
http://blog.goo.ne.jp/16th-tabi/e/9327557de5cbe62052224d473c9d766e
Okay, もう1つの偶像があるんだけど、その左手に持っているのは、本ではなく鞘のようで、鞘の上からはフォーク状のものが飛び出ているの。右手の品物はほぼ円筒形だが、手で握られている中央部分が狭く、肩のあたりと底が広くなり、再び上の部分が狭くなっている。いくつかの部分に分かれており、部品が重ねられているようにも見えるって言うのよ。これらの物体というか装置、これら古代の彫像に彫り込まれたものは何を表しているのか教えて?

A: 大気から水晶エネルギーを取り出す導体。

Q: (L) そのエネルギーは何に使うの?

A: あらゆること。フリー・エネルギーの適用範囲に制限はない。

Q: (L) どうしてこの人達は魚のような服を着て描かれてるの?

A: レプトイド[4D STSのトカゲ]は様々な遺伝子プロファイルを持っている。

Q: (L) シュメール人の言い伝えに出て来るオアンネスという神みたいね。夜になると海に急いで戻って行くんだけど、昼間は人々に語り掛け、文字や科学、あらゆる芸術の知識を与えたのよ。だけど注目すべきことに、彼が何か食べているところを見た人は居なかった。この本によると、彼は人間に家や神殿の建て方、法典編纂の仕方を教え、幾何学の公理について知識を授けたそうよ。彼は地球上のタネの見分け方を教え、果物を集めさせた。つまり、彼は人々に、物腰を柔らかにさせ人間を人間らしくさせるようなあらゆる事を指導したの。彼の指導があまりに万事行き届いていたため、この時以来物質面で新たに向上したものは無かったと言うのよ。バビロニアとアッシリアのレリーフに残されているオアンネスは明らかに半魚人の姿で描かれてるわ。これまた同様のプロファイルなの?

A: 「遺伝」

Q: (L) このオアンネスという魚人は、メロヴィング王家の父方の血に混じっているという海神獣のキノタウルス
http://www.voynich.com/rennes/index.html
http://en.wikipedia.org/wiki/Quinotaur
みたいなものなの?

A: 翻案された元となった存在が居なくなったと考える人にとっては。

Q: (L) こうも書いてあるわ:
(148ページ)
「スペイン人たち。。。は、人類の大切な遺産を消滅させてしまった。そのため中央アメリカで繁栄した素晴らしい文明の、詳細な知識を得ることができなくなってしまっている。。。16世紀にこの(ミステク族の)偶像を見たブルゴア神父(は記している。)『偶像を構成するその素材は素晴らしく価値があるものだった。それはエメラルドで(できていた)』ベニト神父がインディオから石をとりあげ。。。それをすりつぶした。。。すりつぶされた粉は水に溶かされ、地上にまかれ、神父はその土の上で足踏みをした」

「アステカの王からコルテスへの2つの贈り物があった。それらは円形の暦で、車輪ほどの大きさがあり、1つは純銀製で、もう1つは純金製だった。このカレンダーには美しい象形文字が丁寧に彫刻されており、重要な情報が収められていたかもしれない。だが、コルテスはその場で、贈り物を溶かして鋳塊にしてしまったのだ。中央アメリカのいたる所で、古代から蓄積されていた知識の宝庫は、狂信的な修道士によって組織的に徹底的に集められ、山積みされ、燃やされた」

「たとえば1562年7月、マニの町(現在のユカタン州メリダの少し南)の広場で神父ディエゴ・デ・ランダは、何千というマヤの写本や物語の絵や、象形文字が彫られた鹿の巻き皮を燃やした」当の神父ディエゴ・デ・ランダはこう言っている:「インディオ」の文字で書かれている大量の本を発見した。だがそれらは悪魔の欺瞞と迷信に溢れていたので、全部燃やした。原住民たちは嘆き悲しみ、深く傷ついている様子だった」

ハンコックが言ってるんだけど:「だが痛みを感じたのは『原住民』だけではない。それ以後、誰でも過去の真実を探求するものは、同じ痛みを感じてきた。多くの『神の使い』は、神父ディエゴ・デ・ランダよりももっと無慈悲に手際よく仕事を行った。かれらはスペインの悪魔的な事業に参加し、中央アメリカの記憶の宝庫を消滅させたのだ。。。またテスココの町の広場では征服者たちが11年間かけてアステカ人たちから強制的に集めた、天文学の書類、絵画、写本、象形文字の文書を山積みし、巨大な火柱をつくった。このため埋め合わせができない知識と歴史が煙となって消えてしまい、人類の記憶喪失の一部を取り戻すチャンスが、永遠に無くなってしまった」

ということで、過去を滅ぼした「スペインの魔の使節」に関する胸の悪くなるような記述を読んだところでコメントが欲しいんだけど、カトリック教会、カトリック使節団、スペイン自体の動機は何だったの?コメントして頂戴?

A: 解説は要らないだろう。第4密度STSが第3密度STSを操作することによって、真相を分かりにくくしたいと思っていることについては随分と話した筈だ。

Q: (L) Well, yes. でも、お願いだから教えて!考えただけで気分が悪いんだけど。。。このような事全部、それにアレキサンドリアの図書館もそうだわ!このような事がいわゆる暗黒時代のヨーロッパでも行われていたの?

A: Yes.

Q: (L) だから暗黒時代は暗黒なのね。
カトリック教会は連中のためにならないものは何でも破壊したんだわ。
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ウィリアム・ブラムリーが著書『エデンの神々―陰謀論を超えた、神話・歴史のダークサイド』
http://mixi.jp/view_community_item.pl?comm_id=2590126&item_id=1482952
に記しているように、歴史について考えるとき明らかなのは、人類を平和に駆り立てる力は戦争に駆り立てる力と同じくらいのもの、ことによるとそれ以上のものだということである。しかし、戦争の問題を検討すると分かるのだが、戦争やこれに付随する人間の人間に対する残忍行為の引き金になるのは殆どの場合、工作によって捻じ曲げられた、霊的自由へと駆り立てる力なのである。

歴史を振り返って、あれやこれやのグループが信仰的に誤った方向に導かれて思考的過ちに陥った末、言葉にするのも憚られるような恐ろしい犯行に至った例を見つけるのはた易い。そのような例としてはヘブライ人の神が支持した大量虐殺、あるいは異端審問所を創設した時のカトリック教会の狂信的異常状態を挙げることができる。遺伝子的なスーパーマンの捻じ曲げられたバージョンを求めてホロコーストを招いた例もある。過去の過ちを見分けることはた易いものだ。というのも、私達は今ではより多くを知っているからだ。これは興味深い事ではないか?今ではより多くを知っている。これ以上どれだけ学ぶことがあるというのか?

ゲームは益々複雑さを増しているように思われるかも知れないが、同じような基本的な過ちが繰り返され続けるのだ。問題の根本にあるのは何なのだろうか?(上の例がいずれも一神教にのみ関係していることが注意されるが、それは措くとして。)

人間には霊的知識を求めるよう駆り立てる原動力が生来組み込まれているのである。そして繰り返し目にするのは、この原動力に対する操作なのだ。真の霊的知識が歪められる一方で同時に、様々な宗教の教説によって内なる救済への願望が絶えず刺激されるために、数多くの人々が残酷で基地外じみた行為を大量に行うよう仕向けられるのである。一見ポジティブな極性がいかにして突然、宗教の教えが説くのと正反対のことを行うようにシフトするかを示す典型例が、霊的救済の必要性という教義だ。これは銘記すべき重要なポイントである。

ゼカリア・シッチンとウィリアム・ブラムリー、これに続くフォン=デニケンは、古代の証拠からして、肉体を持った地球外の種族が実在し、人類に対するコントロールを導入するためにかつて地球にやって来たのであり、いずれ戻って来て苦心の成果を収穫しようと目論んでいることは明らかであるとした。彼らの研究ではいずれも、この地球外の種族は心の底では人類のためなど思っていないと強力に指摘しているのである!この人々は相当に研究を行なって事実を収集し、虫のような目をしたエイリアン・グレイが「これはあなた方のためだ!我々はあなた方を手伝いに来たんだ!」と説得するのに耳を貸そうとしなかった。

だが、この同じエイリアンが、こんにちでも飛び回り、ウナギのようにするすると滑りながら私達のリアリティに出たり入ったりし、凝視したり探ったりし、犠牲者たちがほとほと騙されやすく無知なのに乗じて、あらゆる類の言い訳とシナリオを語りかけ説明していることもまた考慮しなくてはならない。つまり、シッチンやブラムリーは、連中が今も継続的に別の存在領域から手を出して支配しているという証拠を考慮に入れ損なったのである。

シッチンの呼ぶアヌンナキ、ブラムリーが呼ぶ「管理者(カストディアン)」は、(私達に見える)物理体の姿で占領し支配した後、何やらはっきりしない理由で去って行った訳ではない。その証拠は今や枚挙にいとまがない程で、エイリアン・アブダクションやエイリアンとのコンタクト、さらには歴史の至る所に出て来る聖母のビジョンやその他の奇跡は、このような観方に反するものである。古代の物語が示しているのは、このような存在が知覚されるという事実を受け入れ、連中の実在を認め、単に連中を「神」と呼んで普通の人間と区別した、文化的なおおらかさである可能性の方がはるかに高いだろう。

ウィリアム・ブラムリーはまた、UFOが目撃された直後に致死性の病気すなわち伝染病がやって来た関係性を示す多くの証拠について、その年代を記している。私達は現在においても同じような関連性に注目しているが、これから分かるように、これは何も目新しい事ではなく、単なるサイクルの一部なのである。アヌンナキ(4D STS)は立ち去っては居らず、ブラザーフッド・オブ・サーペント
http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-entry-52.html
(シークレットガバメント、すなわち共同体)は今でも私達の傍に居て活動しており、日増しに強力になっているのである。

既に述べたように、現代の数多くのコンタクティーやアブダクティーは、エイリアンは人類を助けに来ているのだと、病気を根絶し、私達に健康と幸福をもたらしに来ているのだと主張している。このことは歴史的な証拠によっては裏付けられない。だが、個々に見ると幾つかのケースではそのようなのだ。闇の存在がエージェント達の病気を癒すのは合点がいかないではないか?

私達に警告しよう、教育しよう、私達の目を醒まそうとして、カシオペアンズは私達に沢山恐ろしい事を言ってきた。なぜだろうか?

上述の読者はこれを「最後には私達全員を破滅させようとしてるのよ」という風に理解している。だが、カシオペアンが言っているのはそういうことなのだろうか?彼らが本当に言っているのは、私達の矛盾に満ちたリアリティの表面下にあるものに目を醒ます必要があるということではないだろうか?私達は気付き警戒して、見えざるものを見る必要があるということでは?彼らは「サタンは光の天使として姿を現す」と言っていなかったか?
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=51290849&comm_id=2590126
彼らは連中が私達という「強い人」を「縛り上げ」てから、家に押し入って家財道具を奪い取ると言っていなかったか?彼らは「悪魔を追い出す」と、目が見え、ものが言えるようになると言っていなかっただろうか?

悪魔を追い出すことで開かれるものとして、目と口だけが挙げられ、「耳」が除かれているのは少々興味深い。実際、私達のリアリティの歪みの殆どは、見ることよりもむしろ聞くことによってもたらされるのである。対象を文字通りの意味に見て、物事をありのままに見るならば、幻想や知覚誤りによって私達が影響を受けることはずっと少なくなり、幻想というものも無くなるだろう。人類の幻想の殆どは「耳から生まれた」か、噂によるものである。大好きだった祖母はいつも「聞いた事は信じず、見た事の半分だけ信じなさい」と私に言ったものだ。 これは実に素晴らしいアドバイスなのである。もし私達が目を開いて問題を出来得る限り客観的に見て、信念や仮説、言われたことは全て忘れるようにするならば、いくらか正しい結論を出せるかも知れない。

問題を定義する観点は、2つのカテゴリに属する:対象と操作である。対象とは、問題解決者が操作するもののことだ。それは人であったり、物、あるいは状況である。操作とは、対象Aが対象Bに変換される手順である。問題解決とは変換の流れを理解するプロセスなのだ。そのために私達は、対象Aと対象Bとの違いを理解しようとする。このような理解の結果、私達は操作を選ぶことができる。変換プロセスを促すこのような操作は、保持される;このプロセスをないがしろにする者は、生き残れない。

このように考えることで私達のリアリティの問題も幾分理解できるようになると思う。私が言いたいのは、エイリアンのコントロール・システムもまた上のプロセスを順守しているようなのだが、連中にはタイムトラベル能力があるために、私達が知覚困難なやり方で操作を行うことが可能だということである。歴史を広く眺め渡し、サイクルやサイクルの中の出来事を注意深く調査するとき、私達のリアリティにおける神出鬼没のコントローラー達の指紋が見えてくるのだ。人間が対象であり、歴史上の出来事が「操作」であることが分かってくる。このような事、歴史上の出来事や、それらがどのように人類に影響を及ぼしてきたか、人類のこんにちの居る場所が昨日とどれくらい違うかを見るとき、確かにここはもうカンザスではない!という手掛かりが掴めてくるのだ。

さらに興味深いのは、歴史を調べていると、大いなる闇が降りてくるとても奇妙な時期にいくつか出くわすことである。この闇が立ち込める前、人類はある方向に向かっていたものが、この時期以後は、全く違う方向に向かって行くのである。このような時期を注意深く調べると、実に奇妙なことが起こっていたのが分かるものだ。それだけでなく、その後どうやら、この時期の文書を可能な限り大規模に隠滅しようと総動員で骨を折ったらしいことも分かる。つまり、誰かが地球規模で忙しく立ち働いていたものの、何をしていたかについては、決して表沙汰にしたくないのである。歴史上このような時期として目につくものが2つある。1つ目は、ユダヤ人国家の歴史が隆盛を極めたと思われる時期である。2つ目は、ペイガニズムからキリスト教への転換期である。いずれの時期も暗黒時代と呼ばれている。おそらくここに着目すべきだろう!私達が努力を重ね見ようと思うならば、人類が操作され実験台としてコントロールされているという考えは、単にカシオペアンが言っていたというだけではなくなり、私達自身にもその様子が見えてくるのである。

こうしたこと全てのポイントは、現象を判定するのに使える唯一の基準とはどうやら、その結ぶ実(=結果)らしいということである。というのも、そうあることがポジティブとして現れることができる必要条件のようなのだ。だがこの場合は、実を見極めるには広い歴史的視点に立って見なくてはならない。

要約しよう:エイリアンの存在は、歴史上大規模な災厄や大量殺戮、文化的な闇が訪れる時点で認められる。殆ど残されて居ない記録や文書を検討した結果、何人かの学者や研究者は歴史上の最悪の日々について、このようなエイリアンという存在が惹き起こしたものであろうと推測している。確率の法則によれば、何らの知的なインプットが無くても、この世界の当節の出来事の50%は、至福と利益をもたらす筈である。慈善を行うよう、知的な決定を織り込むことによって、この平均値は約70%に上昇するかも知れない。にもかかわらず、私達のリアリティはそんなことにはなっていない事明らかである。どうしてそうならないのだろうか?物事がネガティブな結果になるように影響を及ぼしているのは誰、あるいは何であろうか?

1つの答えは、依然として人気のあるニューエイジのチャネリングでもたらされる教えである。これによれば、物事が悪い方に向かう理由とは、私達が自由意志の実験であって、その結果が思わしくないからだという。私達が物事を滅茶苦茶にしてきたせいで、今では苦境に陥ってしまい、そこから引きずり出してもらうのに助けが必要なのだと。エイリアンの方は無限の知恵と慈悲を持ち、彼らの為すに任せさえすれば、私達を助けてくれる!という。さらには、私達が素敵な事を考えさえすれば、私達のリアリティに悪い事が入り込むことなどあり得ないのだと。だから私達は悪など見ないようにしなくてはならない。そんなものの存在を信じさえしなければ、それは存在しないからだという。これは危険で抜け目ない嘘である。上位レベルに居る闇の勢力の存在を否定することなどよりも、私達が身を守るもっと良い方法は何だろうか?

ヒプノセラピストとしてワークを行っていた私には分かるのだが、人々の圧倒的多数は、善を行いたいと、良い事を経験して、良い事を考え、良い結果となるような決定を行いたいと思っているのである。しかも彼女達は全力を挙げてそうしようとするのだ。大部分の人々が内心このような願望を抱いているのに、一体どうしてそれが実現しないのだろうか?私の経験上、アブダクトされた人の表面の、すなわち隠蔽記憶を適切な方法で探ると、この人々が明かす出来事の真の記憶はゾッとするものであり、これが意味するのは、「愛と光」的解釈には注意しなくてはならないということである。だがエイリアンが被害者に何とか説得しようとするのは、これは彼女達のためにも、地球のためにも良い事であって、人類の強化につながるということなのだ。


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Q: (L) (リサ・ロイヤルが)この記事全体で言ってるのは要するに、人々をアブダクトしているETは私たちの進化を手伝ってるってこと。そして彼らをネガティブだと感じるとしたらそれは、私たちが闇のような無意識を持っているからだということね。

A: 間違い。あなた方が進化するのに「手伝い」も何も要らない。
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現在地球上に居る私達にとって、これは実際上どういう意味なのだろうか?この意味するところは、歴史を通じてエイリアンのスパイは、私達の指導者達をコントロールし影響下においてきたことが十分あり得て、エイリアンが選んだ、ある特定の道に従って落ちて行くよう導かれているということなのだ。連中はここに居る;連中は私達を弄んで私達が混乱しバランスを崩し続ける様にしているのである。連中は哲学的な嘘や歪みを私達の文化に紛れ込ませ、できるだけ沢山の人が道に迷うようにしている。連中は産業界や政府、そして文化における人気者の多くをコントロールし、その結果、私達の世界に存在するものが、騙しと嘘に支配され捻じれて奇妙にひっくり返った支離滅裂で歪んだ観方によって、正道から外れて行くのだ。

私達が住んでいるのはゾッとするような滅茶苦茶な世界で、ここでは、私達が本能的に良いとか、高貴だとか、正直、正しいというイメージを抱くもの全てが、壊され、汚され、変形され、醜くされてきた。さらに恐ろしい事には、私達はこれを正常として受け入れているのである。

このコントロール・システム、このインフラストラクチャーは、巧妙なゴール探索型の現象で、そのゴールを見付けるのが、ここでの私達の目的である。カシオペアンズは私達に数多くの手掛かりを与えてくれたが、答を解き明かすのは私達の責任なのだ。そして私達は単にゴールを見付けることに興味があるだけではなくて、それに対する適切な対応を見付けることにも興味がある。

もしカシオペアンズの言っていることが正しくなかったからと言って、私達は何かの可能性を失うのだろうか?真実とは精査に絶えない程に脆弱なものなのだろうか?そしてもしカシオペアンズの言っていることが正しければ、私達がその可能性を考慮しなかったために失うものとは何だろうか?

一方には本章冒頭に引用した投稿者が居て、闇の勢力が私達を騙して縛り上げようとしていると信じている。だが、当の闇の勢力がこれを行うに当たって、「闇の勢力があなた達を騙して縛り上げようとしているから、周囲の状況や私達についても、自分で確かめてみなさい」などと言うだろうか?既に述べたように、これは論理的矛盾である。

他方には沢山の光の勢力が居る。これが考えものなのだが、彼らが言うには闇の勢力など、私達の心の中以外には存在しておらず、私達がそう信じることでそれらを創造しているのでは?と言う。これは闇を創造した責任を自然のうちに人類に押し付けている。もし私達が闇の存在を信じるような事に参加するのを止めれば、闇は克服され、その効力も無くなるだろうと彼らは言う。あるニューエイジの著作家はこれを次のように表現する:「悪とは創造主に同調していないエネルギーである」

論理的に考えれば、創造主と同調しないものがあるというのは、創造主の側に誤りがあることを必然的に意味し、創造主自身の全知さあるいは全能さに限界があるという結論になって、以前より悪い存在論的ジレンマに陥ってしまう。

この著者は続ける。悪とは:


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。。。我々人類が、全生命から霊的に離れ独り立ちする術を学んだ時に我々が解き放ったエネルギーなのだ。それは偶発的な創造だった。。。悪のエネルギーは。。。人類から生まれたのである。
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ふん!いっそイブのせいにすればいいではないか?

繰り返そう:全知にして、全てを愛し、全能なる創造主を仮定しておきながら、事故や造反を言うのは論理的に矛盾している。他にどう説明しようがあるだろうか?

私達を牢獄に閉じ込めるよう設計された環境に私達が居るという一見明白な事実をどのように理解したらいいのだろうか;囲いの中に入れられた牛より多少マシとはいえ、超次元空間から来る怪物達にガツガツと食われるのである。連中については正体すら把握できない。まして抵抗などできようか?これが間違い、過ち、誤りでないとしたら、私達はこの境遇をどうしたらいいのだろうか?

これが間違いだと見做せれば、少なくとも私達はこれを変えたり、私達を過ちから連れ出してくれる誰か救世主を信じる望みが得られ、見て来たような罪を人類が未来永劫着せられるのに耐えなくて済むのである。しかし長い目で見ればこれは高くつく解決法である。というのも、導かれた存在論的な答えは、耐え難いものだからだ。だがもし私達が、このような矛盾した観方をもはや支持できないとなると、私達に残されるのは「私達がこのような状態で存在論的に存在していることをどのように理解したらいいのか?」という、より深遠な疑問である。

つまりもし、私達が闇と悪すなわち自己への奉仕(STS)と知覚するものが間違いでも誤りでもなく、創造の領域で直すことが可能あるいは直すべき何かでもないとしたら、それは一体何なのだろうか?これは存在論的にどう正当化可能だろうか?あるいは、正当化は措くとしても、どう理解すればいいのだろうか?

この問いについて考え始めるに当って一点注意すべきなのは、人間がこのリアリティを体験することを選んだのにはある理由があったとカシオペアンが言っていることである。


941022
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Q: (L) 人間は物質内に囚われてるの?

A: 選択した。

Q: (L) 何でそんなことを選んだの?

A: 物質である感覚を経験するため。集合精神による決定だった。

Q: (L) そのグループの責任者は誰?

A: そのグループ自体。。。だが、ここで言っておかねばならないのが、宇宙の全ての領域に存在する万物は、2種類のうちどちらかの存在流儀を経験しているということだ。これらは長波動サイクルおよび短波動サイクルと定義できよう。先ほどの「どうして人間が物質内に『囚われ』たのか?」という質問だけども、もちろんこれは自発的且つ選択によるものだったのだが、これは当時彼らが、長波動サイクルにあって完全にエーテル体ないし霊的存在とあなた方が呼ぶあり方をしていたのを、物質的存在と呼ばれる短波動サイクルに変更したいと望んだせいだ。両者の違いはというと、長波動サイクルだとサイクリックな進化は大層緩慢なものになるのだけど、短波動サイクルは二重性を伴うということだ。。。短波動サイクルをとる必要性は、宇宙の自然にある境界によりもたらされる。前回、あなた方の集合精神は全くのエーテル体での経験ではなく、反対に物理体内での経験の方を選んだ。。。ポジティブな副産物とは相対的なエネルギーの増加で、これにより彼らの魂のみならず、1次元および2次元に居て彼らが交流しているパートナーも、学びのプロセスが加速する。即ち、1次元の植物、鉱物等々と2次元の動物だ。このような短波動サイクルにおける物質体/エーテル体移行では、誰もが速いペースで成長および再結合に向けた動きを経験する。
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私達が生きているリアリティの状況について概観した前章では、否応なしに生の目的というものを新たに考えざるを得なかった。このような環境で生きることのどこが良いのだろうか?確かに「速いペースで成長。。。を経験する」云々というのはまことに結構なことだが、前章までで論じてきたような諸要因に直面している私達にとって、これは実際にはどういう意味なのだろうか?

思い出されたい。私達は単にチャネリング文書に書いてあることだけを論じていたのではなかった ― 私達はリアリティを精査して、事実や観察所見を集めたのだった。読者の皆さんから受け取った沢山のメールから、これは私だけのリアリティに限った事ではなく、少数派にとってのリアリティですらないことは保証する。これは事実であり、ドン・ファンなら「なんと恐ろしい策略だ」と言うことだろう!

こんにち多くの人々が、ニューエイジのパラダイムによって、全ての大宗教の根底に共通する信念が合流し、人類はみな幸せな大家族として結ばれるものと確信している。彼らが挙げる、あれこれのソースからのメッセージによれば、これは何千年も前に高次の存在が立てた大いなる計画によるもので、相異なる人種がいずれも理想的な環境の中で成長できることが狙い、様々な植物種にとって庭の別々のエリアが生育に適しているようなものだと言う。

このような人々は、この観方を裏付けるのは、人間が新たなリアリティを創造しつつあるという「偉大な新発見」であると繰り返す。ポール・フォン=ワードは著書『私たち太陽系人が受け継いできたもの』の中で述べている:


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意識がパターンを創造する。と言うのも意識は一見何も無いところから、何らかの素粒子を形作るパワーを持っているからだ。目的を意識することによって人類が創造的な生命プロセスに参加できる道がより開け、単なる機械的な働き以上に健康を保てるのである。。。数多くの文化で言い伝えられているところによれば、人間の意識は他の生物種とコミュニケートでき、その振る舞いに影響を与えるという。最新の研究成果はこの結論を裏付けることが分かってきた。。。局所に集まった心(動物、植物、個々の細胞)との、それらの振る舞いに影響するコミュニケーションが、相互の流れとして進行中だとしたら、意識を持った人間はどうすれば自然な流れに意図的に介入して我々の望む結果を実現できるだろうか?その答えは ― 現時点での直観的なものだが ― 確かな感情に根差したクリアな意識の集中にある。このプロセスはどうやら、「気体」が「液体」を経て「固体」へと発達して行くこと、すなわち、「形のないもの」が「進化」によって「形あるもの」となるのに似ているようだ。
(von Ward, 2001)
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ここまでは良さそうではないか?(ここでは相当端折ってあるが)「あなたがこの現実の創造者」という考え方を裏付ける真の原理というものがあるらしいことが分かる。それでは続きを見よう:


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誰かが最初にロウソクのことを「クリアに」念じて、真に創造しようと意図するや、それは「潜在」段階に入る。「形成」段階では、材料が動いて集まって行き、パターンに沿って並ぶ。「実現」段階では、念が点火される。同様の一連のプロセスは人間生活のあらゆる分野に当てはまる:農業、料理、健康、サイコキネシス、スポーツ、政治、あるいは経済である。民主主義の概念は明らかに2,3の条件に関する基礎的な仮定から始まっている。多くの人々が感情的な支持を寄せると、ようやく民主主義は潜在段階に入るのだ。このような感情エネルギーが行動に転換する結果、民主主義は実行される。健康のビジョンは、細胞がそれぞれの役割を果たし、人が正しく食べるよう感情でもってコミットすることによって裏付けられねばならない。意図でもって金属を役立つように曲げるには、金属に念を集中する。これによって金属原子が揺らぎだし、材質が柔らかくなる結果、わずかな力を加えるだけでそれは曲がるのだ。

このような自然のプロセスが持つパワーを理解すれば、かつて幾多の挑戦を受けてきた自然法則の中に存在する、創造のパワーに何らかの限界があると仮定する愚かしさも分かるだろう。現在感じられている制約は、宇宙の法が誤って限定的に解釈されたせいかも知れない。その場限りのマインドゲームを超えた、クリアに集中された思念が感情のエネルギーを帯びて潜在的レベルに達するなら、それは実現するのでないか?つまり、時空において現実化不可能な何らかの思考が存在するだろうか?この問いに対する答えを知るとき、私達は自分達宇宙の存在が持っているパワーを十分に悟るだろう。。。ここで取り上げた研究や同様の成果を踏まえるならば、慎重な人も心が原子内部や細胞のレベルで物質とコミュニケートしそれに影響を与えるという事実を受け入れるにやぶさかでないだろう。思念のメカニズムによって、意識すなわち心は、我々が現在想像しているよりも多くの方法で現実を形作っているようなのである。
(von Ward, 2001)
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ワード氏が要約を述べているのは確かに19世紀に始まった「ニューソート」ムーブメントの一般的な観方である。
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/650f9f03093462eff5a58d3737ed48fc
http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E7%A5%9E%E9%AB%84%E3%80%8F-%E4%BA%BA%E7%94%9F%E3%82%92%E6%88%90%E5%8A%9F%E3%81%AB%E5%B0%8E%E3%81%8F31%E7%AB%A0-%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC-%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9/dp/4931569153
だが彼はまた、「あなたがこの現実の創造者」という基本思想に耳を傾ける人々も殆ど気付いていない、ある問題をも指摘した。彼らは感情にアピールする考え方は傾聴するが、警告には注意を払わないのだ。フォン=ワード氏は続けて:


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しかし憶えておきたい重要な事は、人間の意識が ― 個人的であれ、集合的であれ ― 小世界の現実を作り出すことができるのには限界があって、それは我々の知覚する現象領域の、ある特徴によるものである。このような限界の1つは、時間の矢が流れて行く向きのようである。。。これはどうやら、ある方向性が保たれていて、現象の性質を思うままに変えられないことを示している。何事であれベクトル(大きさと方向を持った速度)を変えるには、さらに偉大な力をもってしないと無理なのだ。。。我々の宇宙をも超えたパワーだけが、宇宙に固有の時間の矢の影響を和らげることができる。
(von Ward, 2001)
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うーん。この中で何か印象に残ったものがあるだろうか?カシオペアンが与えてくれた手掛かりに戻ろう:


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短波動サイクルをとる必要性は、宇宙の自然にある境界によりもたらされる。前回、あなた方の集合精神は全くのエーテル体での経験ではなく、反対に物理体内での経験の方を選んだ。集合精神による決定だった。
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これこそがまさしく「この現実の創造」に対する制限を理解する上での手掛かりである。ある人が「宇宙の自然にある境界」に逆らってこれを行おうとすると、それは「集合精神」の決定とされ、全員が何やら深刻な問題にぶちあたることになるのだ。


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Q: (L) ある時あなた方、時間とはエデンの園での落下の時から存在するようになった幻想だと言っていたけど、その時から始まった幻想としては、他にもありそうな言い方だったわね....


A: 時間は、DNAが改変された状態に置かれたあなた方に感じられる幻想だ。

Q: (L) オーケー、他にどんな幻想があるのかしら?

A: 一神教。1つの独立した、万能の存在に対する信仰。

Q: (T) 独立したというのが、一神教のキーワードなのかい?

A: Yes.

Q: (L) 他にはどんな幻想があるの?

A: 物質を重視する必要性。

Q: (L) 他には?

A: 直線的なものの見方。

Q: (L) 今回はここまで?

A: 表面性。

Q: (L) ヴェールね。。。

(J) 一次元的にしか知覚できない。。。

(L) これらの幻想が私達のDNAに遺伝子レベルでプログラミングされたの?

A: Close.

Q: (L) これらの幻覚の強制的な作用というか、私達にどんな風に知覚されるのか、もうちょっと詳しく教えて頂戴?

A: ドアを開けるとその陰に金の壺があるとする。その壺に手を伸ばす前、あなたはドアの陰の見えないところに毒ヘビが潜んでないか心配するかな?

Q: (L) 金は何を表わしているの?

A: 制限への誘惑。

Q: (L) 制限が金の壺で表わされてるって言うけど、実際にはそうじゃないの?

A: ヘビとは何だろう?

Q: (T) トカゲかな?

A: 注意を払わず誘惑に乗った結果。すなわち、見もせずに飛び出すこと。

Q: (L) それじゃあ、エデンの園での誘惑の話というのは、人類が誘惑に乗った結果、このリアリティに導き入れられたことを表わしてるのね。だから、善悪の知識の木の実を食べるとは、すなわち....

A: 誘惑に負けること。

Q: (L) でもそれは、トリックだった....

A: No! トリックなど無い!

Q: (T) Okay, トリックじゃないんだね、じゃあ罠かな?

A: No! 罠も存在しない。強制されたのでない限り、自由意志が制限されることはありえない。

Q: (T) ちょっと待ってくれよ。話の脈絡が分からなくなって来たな。落下の前、僕らは何だったのかな?

A: 第3密度STO。

Q: (T) 僕らはその時点では、第3密度のSTOだった。これがあったのは戦いの後かな?

A: それが戦いだった。

Q: (L) 戦いは私達の中で行われてたの?

A: あなた方を通して。

Q: (T) Okay, 僕らはその時点ではSTOだったんだ。以前キミたちは、この密度で僕らは、STSであるかSTOであるか、選択するんだと言ったね。

A: おお、テリー、戦いは常に、キミがその選択を行う「ときに」存在している!

Q: (T) これは、トカゲやその他のエイリアンがどうして人々に対し、アブダクション等々を行う同意は得た、と言い続けているのかに関係があるに違いない。僕らはもともとSTOだったのが、STSになったというんだから。

A: Yes, 続けて。

Q: (T) 例え話で考えてたんだったね。金は幻想だった。金は僕らが考えていたようなものじゃなかったんだ。それは、僕らに与えられた誘惑。。。

A: 誘惑ではなく、それは常にそこにある。『オズの魔法使い』のドロシーとルビーのスリッパの話を覚えてるかな?

Q: (T) Okay, 僕らはその時STOだったんだ。外に出るまではね。外に出る必要はなかったんだ。それは常にそこにある。。。

(J) 今もあるのね。。。

(T) トカゲか。。。

A: Yes, ルビーのスリッパについて考えるんだ。グレンダはドロシーに何て言ったかな???

Q: (L) あなたはずっとお家に帰るパワーを持っていた。。。

A: Yes.

Q: (L) それじゃあ、私達いつでもSTOの存在に戻れるパワーを持ってるわけ?第3密度に居ながらにして?

A: Yes.

Q: (T) ドアはいつもそこにあった。誘惑は常にそこにあった。。。

(J) ある、ね。。。

(T) あったし、あるし、あり続けるんだ。。。いつもね。

A: 金を取りに行く「とき」、キミたちはトカゲに「ハロー」とか何とかそういう意味の事を言った。

Q: (T) だから、考え方としては、STOの存在として僕らは、金を取りに行くかどうか選択出来たんだ。金を取りに行くことで、僕らはSTSの存在になった。というのも、金を取りに行くことがSTSだからだ。

A: Yes.

Q: (T) そしてそうすることで、僕らは第4密度のトカゲ生命体と手を結んでしまう結果となった。。。

A: Yes.

Q: (T) 連中は第4密度の存在で、第3密度の僕らよりも能力的に上だったからだ。

A: キミ達は以前、第4密度STOと手を結んでいた。

Q: (T) だけど金を取りに行くことで、僕らは第4密度STSと手を結んだ。

A: Yes.

Q: (T) そして、そうすることで僕らは第4密度STSに対して、僕らに対して何でも好きなことを行ってよいという許可を与えたのか?

A: Close.

Q: (T) それじゃあ、アブダクションされた人々の体験談に出てくる、連中はアブダクションする許可を僕らから得ているというのはこのことを言ってるんだね?

A: Close.

Q: (J) さっき彼ら、「強制されたのでない限り、自由意志が制限されることはありえない」と言ってたわね。

(T) 僕ら人類は、自由意志でもってSTOからSTSに転換したんだ。

(L) だから、ある時点で今居るような窮地に身を置くことを選んだのは、ある程度は私達自身なのよ。私達はドアの中へと落ちることで落下した。言ってみれば、私達は金のつぼを取りに行き、ドアから落ちるときにヘビに噛まれたのね!

A: だが、これは繰り返し起こるシンドロームだ。

Q: (L) 人類にだけ繰り返し起こるシンドロームなの、それともあらゆる創造において繰り返すシンドロームなのかしら?

A: 後者だ。

Q: (L) あらゆる創造の際に繰り返し起こるシンドロームだというのは、単に全ての物事はサイクリックに起こるからなの?つまりインディアンの言う通り?マヤかしら?

A: どちらか。
---


ということで、またしても「この現実の創造」に対する制約という問題が出て来た。私達は入学したい学校を選んだのだが、この学校という自然の境界はSTSのコントロール・システムである。自己に奉仕する存在(STS)と手を結んだ第3密度の存在として、私達は制約を選んだのだ。自由意志を制限されることに同意したのである。


950121
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Q: (D) 質問があるんだけど。。。人類は何らかの理由で、時間を約束する必要に迫られたのよ。理由として見当がつくのは、(テレパシーではなく)口頭や文書でのコミュニケーションによって意思疎通を図るようになったから、というくらいなんだけど。。。

A: コントロール・メカニズム。

Q: (T) 僕らにはこのコントロール・メカニズムを破壊する手立ては無いんだろうか?第4密度に移行するしかないのかな?

A: 他にはない。
---


さて、上の例え話に出て来た「金の壺」とは具体的には何だろうか?どんな出来事があったために、他者への奉仕派(Service-to-Others)と手を結んでいた状態から、自己への奉仕派(Service-to-Self)へと落下したのだろう?STO、STSという呼び名が手掛かりだが、他にもまだある。はっきりさせるため、私は何度かこの問題に立ち返った。努力の甲斐あって他の皆さんの理解のお役に立てれば幸いである:


941023
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28391988&comm_id=2590126
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Q: (L) 地球上に人間が生まれる際に身体に入ってきた魂は、どこからやって来たの?ここに来る前は、他の星の物理体内に居たの?

A: このグループは違う。

Q: (L) じゃあ、単に宇宙のどこかに浮かび漂ってたわけ?

A: 一者と一体だった。超古のルシファーすなわち堕天使の伝説を聞いたことがあるかな?

Q: (L) ルシファーって誰?

A: あなた方。人類。

Q: (L) 人間の個々人の魂は、もっと大きな魂の一部だったの?

A: Yes. Close. 一者だ。落下した人々は、「いばらの道」で学ばねばならない。あなた方は断片となった魂ユニットのメンバーだ。

Q: (L) 物質的なリアリティを体験したいと思う事が、堕落(落下)だったと言うの?物質体で居たいと思うことのどこが堕落することになるの?

A: 自己のための喜び。

Q: (L) 落下の前、人類はエデンの楽園状態にあったのよね。その状態では物理体も持っていた上に、まだ霊的な結合も保ってたの?

A: Yes. だけど、長続きしなかった。耽溺のサイクルが閉じるには長く掛からない。

Q: (L) それじゃあ、人類は自己を楽しむのに耽るようになったの?

A: 直ぐになった。

Q: (L) 魂が物理体に入ってから、エデンでの落下が起こるまではどのくらいだったの?

A: 計れない。ローラ、いいかな、この出来事があった当時、時間というものは存在しなかった。他の数多くの欺瞞と同様、この時点ではまだ時間の経過という幻想もまた存在しなかった。

Q: (L) それじゃあ、エデンでの落下はまた、時間というものの始まりでもあるのね?

A: Yes.
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という訳で、多少の手掛かりが手に入った。「自己のための喜び」である。だがこの言明は厳密には、喜びを得ることそれ自体が自己への奉仕であるという意味ではない。それはさらに質問することで明らかになった:


950107
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Q: (L) 私達が食べるとき、植物は痛みを感じるの?

A: 「リジー」があなた方を食べるとき、痛みを感じるかな?

Q: (D) リジーが食べるとき私達が痛みを感じるように、私達が食べるとき植物が痛みを感じるのなら、私達は食べずにどうやって生き残ればいいの?

A: あなた方が物質性を欲しなくなれば、もはや「食べる」必要はない。

Q: (L) それじゃあ、物質的存在への落下、エデンの園からの堕落つまり、「お前は顔に汗を流してパンを得る」(※創世記 / 3章 19節) というのは、物質体であり食べる必要があることと幾らか関係あるの?

A: ルシファー。「堕天使」。それがあなた方だ。

Q: (L) それじゃあ、「落下」とは物質的存在になって、他の生き物を食べなくてはならないということなの?

A: Yes.
---


さて、ルシファーの物語を思い出さねばならない。彼は非常に美しく栄華を極めたという天使である。
(※エゼキエル書 / 28章 12-17節
「人の子よ、ティルスの王に対して嘆きの歌をうたい、彼に言いなさい。主なる神はこう言われる。お前はあるべき姿を印章としたものであり/知恵に満ち、美しさの極みである。
お前は神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石がお前を包んでいた。ルビー、黄玉、紫水晶/かんらん石、縞めのう、碧玉/サファイア、ざくろ石、エメラルド。それらは金で作られた留め金で/お前に着けられていた。それらはお前が創造された日に整えられた。
わたしはお前を/翼を広げて覆うケルブとして造った。お前は神の聖なる山にいて/火の石の間を歩いていた。
お前が創造された日から/お前の歩みは無垢であったが/ついに不正がお前の中に/見いだされるようになった。
お前の取り引きが盛んになると/お前の中に不法が満ち/罪を犯すようになった。そこで、わたしはお前を神の山から追い出し/翼で覆うケルブであるお前を/火の石の間から滅ぼした。
お前の心は美しさのゆえに高慢となり/栄華のゆえに知恵を堕落させた。わたしはお前を地の上に投げ落とし/王たちの前で見せ物とした。 )
カシオペアンズによれば、オリオンの伝説がこの物語のオリジナル・バージョンに最も近いという。


950929
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30865985&comment_count=0&comm_id=2590126
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A: あなた方の居る第3密度および第4密度の宇宙、とりわけあなた方の「銀河系」は、オリオンという地域として、またヒューマンタイプ生命体の唯一無二の原産地として知られている。。。このことをよく考えなさい!唯一無二の本拠地だが、唯一の権利者ではない。おおよそ半分はSTOで、半分がSTSだ。。。オリオンに注意を払いなさい!オリオンこそがあなた方の父祖の本拠地であり、あなた方の最後の目的地だ。「オリオン」という名前は実際の現地語で、地球に直接もたらされた呼び名だ。並行して「オリオン神」の伝話も学びなさい。
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ここでオリオンの伝説について、総力を挙げて徹底的に分析することはしないが、論を進める上で読者が関係する概念を十分理解できるよう、可能な範囲で一部始終を説明しよう。エディス・ハミルトンによる説明はこんな具合である:
http://homepage1.nifty.com/ta/////////sfh/hamilt24.htm


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オリオンは巨人のように背が高く、非常に美しい若者で、すばらしい猟師だった。彼はキオス島の王の娘と恋に落ちて、彼女への愛のために島にいる野獣をみな退治してしまった。殺した獲物はいつも恋人のところへ運んだが、その娘の名はエアロともメロペーともいわれている。彼女の父のオイノピオンは、娘をオリオンに与えることに同意したが、オリオンはその結婚の日を延ばし延ばしした。ある日彼が酔っぱらって、恋人を侮辱したので、オイノピオンはディオニュソスにオリオンを罰してくれと頼んだ。そこでディオニュソスが彼を深い眠りに陥らせると、オイノピオンはその眼をつぶしてしまった。しかし神託はオリオンに告げた。「東にむかって行き、のぼってくる太陽の光を目にうければ、再び目は見えるようになる」と。オリオンはレムノスまでやってきて、その島で視力を回復した。。。
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(※『ギリシア神話』山室・田代共訳、505ページより)


いくつかの古代の文献に取材してより複雑にすると以下のようになる:


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オリオンの親が誰であるかについては論議があるが、一説によればオリオンの父親は、ポセイドンの子、ヒュリエウスであり、母親はプレアデスの1人であるアルキュオネーだと言う。ヒュリエウスの父であるポセイドンは、ゼウス、ヘルメスとともにヒュリエウスに招かれた。この時のために、ヒュリエウスは雄牛を生贄に捧げた。ヒュエリウスの厚いもてなしを多とした神々は、彼に贈り物を選ぶように言った。ヒュエリウスはとても裕福だったが子供がなかったため、神々に子供を願った。神々は生贄の雄牛の皮の上に放尿し、それを地面に埋めたところ、そこからオリオンが生まれた。やがて巨人のように大きく育ったオリオンは、祖父(一説によれば父親)であるポセイドンから海を歩く力を与えられ、海でも川でも陸と同じように歩く事ができた。

オリオンは、キオス王オイノピオンの娘メロペーに一目惚れした。オイノピオンはアリアドネとテセウスまたはディオニュソスの子であった。だがメロペーの父オイノピオンはオリオンを快く思わず、オリオンを酔わせると、彼が酔いつぶれて眠っている間に彼を盲目にし海岸に捨てた。だが他説によれば、キオス島にやって来たオリオンは大酒を飲み、酔った勢いで娘を犯した。彼が盲目となって島から追い出されたのはこのためであると言う。オリオンは遥か東のレムノス島へ向かう。盲目の彼がヘパイストスの鍛冶場に入ると、ケダリオンという見習い弟子を導き手として与えられた。オリオンはケダリオンを自分の肩に乗せると日の出る所に導いてくれるよう頼み、そこに辿り着いたオリオンは太陽の光によって癒された。

オリオンは自分こそ最高の狩人だと信じて、ある時『大地から生まれた動物で私に殺せないものは居ない』と言った。この自慢話に怒ったガイア(地球)が、大サソリを放って彼を刺し殺させた。だが、別の説によると、オリオンはアルテミスに殺されたという。海中にある黒い物体を射ることができるかと兄神アポロに挑発された彼女は、見えないままに矢を放ったが、後で見るとそれはオリオンの頭だった。どうして女神がこんな間違いを犯したかは説明されていない。また別の説では、オリオンが殺されたのはアルテミスに円盤投げを挑んだため、身のほど知らずとして射ち殺された、あるいはアポローンを崇拝していたヒュペルボレイアンの乙女オーピスを犯したため、アルテミスに射ち殺されてしまったという。だが一説によればオリオンが死んだのは、彼と曙の女神エオスとの恋仲に神々が嫉妬したからであり、このためにアルテミスは彼を殺すことを神々に許されたとされる。

オデュッセウスは冥界に降った彼を見ている。どうやらあの世でも地上に居た頃と同じ仕事をしているらしく、「。。。わたしの目は、巨人オリオンの姿にとまった ―  アスポデロスに蔽われた野を、総て青銅作りの不壊の棍棒を握って、人気なき山中で、自ら屠った野獣どもを、駆り集めている姿であった」(オデュッセウス)
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(※最後のホメロス『オデュッセイア』からの引用部分は岩波文庫の松平訳上巻304ページ)


だがオリオンは不死身だと考えられている。というのも彼の死を悼んだアルテミスが、彼を星座として空に上げたからだ。彼が一人きりにならぬよう、犬(ドッグスター、シリウス、おおいぬ座)が後にオリオンの狩りの仲間として加えられた。

オリオンの両親については以下の諸説がある:


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a) ポセイドンとエウリュアレー
エウリュアレーは、クレーテー島の王ミーノースの娘とされる。

b) ヒュリエウスとクロニエー
ヒュリエウスがトロポーニオスとアガメーデースに宝物庫を造らせた際に、2人は石に細工をし、後で財宝を盗み出せるようにした。ヒュリエウスは鍵も扉もそのままなのに宝が減っていくのに驚いた。そこで、罠を仕掛けた器に金銀を入れ、手を触れた者を捕らえる細工をした。アガメーデースが先に捕まり、トロポーニオスがその首を刎ねた。というのも、そのままではアガメーデースは拷問を受け、トロポーニオスの関与までも吐いてしまうからである。
http://myth.abyz.org/god/hyrieus.html
クロニエーはニンフの1人。

c) 雄牛の皮

d) ガイア(彼女1人で)
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この伝説がどのように聖書のルシファーの物語に移されたか、
(※イザヤ書 / 14章 12-15節
ああ、お前は天から落ちた/明けの明星、曙の子よ。お前は地に投げ落とされた/もろもろの国を倒した者よ。
かつて、お前は心に思った。「わたしは天に上り/王座を神の星よりも高く据え/神々の集う北の果ての山に座し
雲の頂に登って/いと高き者のようになろう」と。
しかし、お前は陰府に落とされた/墓穴の底に。 )
どうして暁星
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=40219023&comm_id=2590126
あるいは日の出の光、曙の女神アウローラ(=エーオースのローマ神話での名)が持つ、これを目に受ければ癒されるという働きと関わりがあるのかは容易に理解できる。

しかし興味深いのは、同じイメージがイエスの語る例え話にも出て来ることである。すなわち、「強い人」が「縛り上げられ」あるいは熟睡させられ、また悪魔によって「目が見えなくされる」というのはオリオンの物語にも出て来た。もしやこれは故意にさりげなくオリオンに言及したものであろうか?

オシリスがセトに騙されて棺桶に閉じ込められた物語も、強い人が縛られる話の別バージョンである。だがこのケースでは、最後にオシリスの身体がバラバラにされるという詳細が付加されていて、これは「断片となった魂ユニット」を象徴しているようである。エジプト人はオリオンをオシリスの星座として、相棒の犬を彼の妹で妻であるイシスとして知っていた。

だがここで問題なのは:どうしてオリオンが責めを負うのか?ということだ。彼は酔っぱらって、愛する処女を侮辱し、あるいは犯したと言われる。その後彼は酔わされ「深い眠りに落とされて」、目をくり抜かれた。いずれにせよ、このような仕打ちに遭っている時、彼は狩人としての感覚を完全には保っていなかったようである。

この物語はまた、聖書にあるサムソンとデリラの伝説にも反映されている。サムソンは髪を切らないと誓いを立てたナジル人だった。デリラは「膝を枕にサムソンを眠らせ」、彼が寝ている間に人を呼んで、「彼の髪の毛7房をそらせた」。彼女はこうして彼を抑え始め、彼の力は抜けた。彼は捕らえられ、目をえぐり出されたのである。(※士師記 / 16章 19-21節 ) こうしたオリオンの伝説との明らかなつながりを見ると、これは超古の物語の、単なるヘブライ語バージョンではないかとさえ思われてくるではないか!この髪の毛の話に興味があった私は尋ねた:


980530
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Q: (L) 古代の神々や英雄に関して考えたんだけど。。。彼らは皆髪の毛の量がとても多くて、髪を切られるとどういう風にか力を失うことになるのよ。これは全く象徴的な意味?それとも本当に髪を伸ばさなくてはいけないと信じられてたの?

A: 象徴的。

Q: (L) 髪が象徴していたのは何?

A: 精力。
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サムソンは髪の毛を失うことで精力を奪われた。恐らく髪の毛を失うというのは、オーガズムに達することの古代における婉曲表現なのだろう。この「小さな死(petit mort)」が訪れた後の衰弱した状況にあるとき、人は意識が薄れ、この結果、これまた眠りに落ちたり、酔っ払ったようになるのではないだろうか?酔い、あるいは朦朧となっている状態では、人は自分の能力をコントロールできなくなる。この言葉はまた情動に圧倒されることも意味する。これもまた手掛かりだろうか?私はさらに尋ねた:


990828
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=24979414&comm_id=2590126
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Q: (L) ここに持ってるのはマーシャ・シェーファーという女性の書いた『銀河宇宙人類学者の懺悔』よ。彼女の言ってる中に 「ヘビは知恵の印や高次の学びに関係があり、秘教サークルでもしばしば、重要視されている」というのがあるんだけど、この「知恵の印や高次の学び」に関連付けたヘビの観方にコメントが欲しいのよ。そういうものを本当にヘビは象徴してるの?

A: ヘビは、観察者の視点で語る文脈の中で報告されているし/されていた。多分、そのような観察者は、体験に「魂消て」しまっただろう。もし、あなたが、あなた方の時間で7,000年ぐらい前に、砂漠かジャングルに住んでいたとして、レプトイド「野郎」が銀色の飛行物体で天から舞い降りて来て、数千年後の未来技術による驚異的なデモを見せられた上、計算法やら幾何学やら、宇宙物理学の手ほどきを受けたら、感動しないかな?

Q: (L) 実際にそんなことが起こったの?

A: うん。

Q: (L) 私の理解では、と言うか文献から論証しようとしてるんだけど、エデンでの落下の前、人類は第4密度に住んでたのよね?

A: 半ば/ある種の。時空連続体等々のような領域が別の第4密度だ。
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私達は以前、第3密度に居てSTOの第4密度と手を結んでいたと、彼らが既に述べていたのを思い出されたい。とすれば、第3密度STOであり、第4密度STOとコンタクトしていたのだから必然的に、上で言った2つの密度間では重要でポジティブなやり取りや浸透(bleedthrough)が起っていたのだろう。実際、今とは大違いの領域だったのだ!


941009
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27905600&comm_id=2590126
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Q: (L) オシリスのサイクルの本当の意味を教えて頂戴?オシリスを殺して死体を切り刻んだことは何を象徴してるの?

A: 知識センターの除去。

Q: (L) それじゃあ、オシリスの身体をバラバラにしたのは、私達の身体の中のDNAをバラバラにしたことを表わしてるのね?

A: 部分的には。また、知識のキャパシティを減らしたことも。

Q: (L) 男根を川に投げ捨てて3匹の魚に食べさせたのは何のシンボル?

A: セックスの暴力的なエネルギーの導入。

Q: (L) イシスが主人のオシリスを探したのは、何のシンボル?

A: 女性エネルギーを男性エネルギーとの結合から引き離したこと。

Q: (L) 脳の活動とも関係あるの?

A: Yes. 脳の半球の分離だ。

Q: (L) それもDNAの改変によって行われたの?

A: Yes.

Q: (L) イシスの息子であるホルスが表しているのは?

A: 制限された新しいリアリティ。

Q: (L) ホルスが、父であるオシリスを殺したセトに対して行った復讐の意味は何?

A: 永続的な戦いのエネルギーが人間性を制限することの始まり。

Q: (L) セトが体現してるのは?

A: 戦い。
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990828
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Q: (L) Okay, それじゃあ、この領域はサイクルの一環で変わったのね:様々な選択が行われた:人類は言ってみれば金を追いかけてドアの中に入って行って、右脳/女性的なエネルギーを悪の側に、言ってみれば併合された後、第4密度STS派と手を結んだ。この結果、数々の影響が生じた:DNAが破壊され、DNAの最初の10対が焼き切られ、大脳半球が分断された....

A: それもただ1つの理由のためだった。すなわち、泥んこの中で遊ぶため。あなた方は泥まみれになって汚れていく。

Q: (L) 泥にまみれて遊ぼうだなんて、なんだって思ったのかしら?本質的には何が起こったの?あなた方、前にこれは「欲望に根ざしたアンバランス」だと言ったわね。何に対する欲望なの?

A: 物質性の増大。

Q: (L) その物質性の増大を欲してまで求めた対象は何だったの?

A: 感覚(sensate)
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感覚(sensate)は「感じること」を意味するラテン語の”sentire”に由来する。このことからすれば、単なる身体の感覚だけではなく、情動も含まれたのだろう。ラテン語”sentire”の語根は、興味深い事にインドヨーロッパ語根の”sent”であり、その意味は「行く動機を与える、解明する、発見する」なのだ。


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Q: (L) 原初の人類が、物質性を増大させればもっと手に入れられると思った感覚は、どんな体験だったのかしら?

A: 体験はしていない。デモを見せられた。

Q: (L) どんなデモを誰がやったの?リジー?どんな風にデモしたの?連中はこう言ったの?「ほら、試してみなよ!」それとも連中はやって見せたとか?

A: 後者に近い。どちらかと言えば「あんたらはこれを持てる」という感じだった。

Q: (L) 連中に「あんたらはこれを持てる」と言われた時、この物質性の増大のどこがそんなに魅力だったのかしら?

A: 想像力を働かせて!

Q: (L) 物質性が増大する結果、セトにハメラれて棺桶に閉じ込められたオシリスみたいなことになるんじゃないかと分からなかった、気づかなかったのかしら?その後連中にピシャリとフタを閉められ釘で封じ込まれるんじゃないかってね?

A: 明らかにそのような理解が欠けていた。

Q: (L) 随分とウブな衆って感じだこと!この理解力の欠如は、知識の欠如を反映してたのね?

A: もちろん。だがそれより、欲望が妨げになった。。。
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ここでもう1つ、私達が操作された様子についての手掛かりが得られた:欲望が知識の妨げになったのだ。だが、これにはあとで触れるとしよう。


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Q: (L) Okay. 落下は起きたと。でも考古学的研究によれば、それから何千年もの間、平和な人々が女神ないし女性的な創造力を崇拝する素晴らしい農耕社会を形作ったということのようね。少なくとも、こんにちの書物の多くには、そのように書いてあるし....

A: No. これらの出来事はあなた方の時間で309,000年前に起きた。これは「現生人類」と呼ばれるものの最初のプロトタイプが創造されたときにあたる。コントローラー達は肉体を既に用意済みだった。彼らには単に「飛び込む」ことに同意してくれる、相応しい魂のマトリックスが必要だっただけだ。
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こうして目下推進されている、次の問題に関してとても興味深い解決が得られた。すなわち、爬虫類人が文明をもたらし、連中は女神の宗教と関わりがあり、農耕的パラダイスという平和なパートナーシップだったという宣伝である。どうやらこれらは真実ではないようである。

カインとアベルの物語を思い出せば、羊飼いと農耕者との間には元々闘いがあった事が分かる。カインとアベルは、エデンを追放されたアダムとイブの2人の息子達であるが、闘いを永続化させるためにコントロール・システムが採用した2大原型の単なる象徴に過ぎない。どちらのやり方も、家畜であれ土地であれ、何かを所有することを暗に含み、大地を自分のために用い操作して、偉大な母に害を与えることを意味している。アベルがヘブライ人によって賛美されているのは、単にそれが彼らの生き方だったからに過ぎない。だが、これは別にじっくり検討すべきテーマなので、今は措くとしよう。


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Q: (L) それでは、このときよりも前、エデン前の状態は。。。

A: もっと第4密度的だった。

Q: (L) それって、幾分かは物質的だったということね。こんにちの人間に似た身体を持っていたという意味で、物質的だったの?

A: そうでもない。

Q: (L) それじゃあ、私達が第4密度に移行したときに経験するであろう身体については、第4密度に行けたとしてだけど、それもまた難しすぎて私達には理解できないということ? 「一種の第4密度」である落下前の状態の物理体については、難しくて理解できないと言うんだもの。第4密度に戻ることが、第4密度から落ちてくるのと同じようなものなら、そこに戻って行くのだって、難しすぎて理解できないということになるじゃないの?あなた方が言う物質的可変性というものはね?

A: 理解できない。

Q: (L) それじゃあ、神に対するある種の礼拝や宗教的な儀式は、この落下前の状態、このエデンの半ば第4密度の状態には存在しなかったのかしら?

A: 手掛かりを掴んでいるなら回答の必要はない。

Q: (L) 私が知りたいのは、女神崇拝から男神崇拝への移行についてなのよ。女性的なサイクル、あるいは女神として表現される周期的な時間についての理解から、男性原理で表わされる直線的な時間概念への変化ね。

どうやら概念が段階的に逆転され、私達は徐々に押し付けられた考え方に導かれたみたいね。そして、これらを成し遂げることこそ、数千年来第4密度STSが取り組んできたプロジェクトのようね。支配者の自覚はこう表現される:「あなたの外にあってあなたを救ってくれるものを信じなさい。さもないと地獄行きだ。世界の終わりがやって来て、あなたは裁かれるのだから」 ここで取り上げようとしているのは、一神教的概念の全体なのよ。

Okay, 人びとがエデンの園から落下した。でも、彼らはいくつかの点で、まだかなり元々の考え方に近かった。あなた方が言ったように物理体に飛び込んでしまったとき、彼らの宇宙についての考え方のレベルはどうだったのかしら?その時点ではまだ、いくらかの理解を保っていたの?

A: あなた方の現在の状態での通常の理解力に比べたら、ある種、ひどい頭部トラウマを負った者の持つ程度の理解力だった。

Q: (L) それじゃあ、彼らはトラウマを負ったのね。彼らは宇宙についての考えや記憶の細々とした断片を持っていたかもしれないけど、同時にその多くをほとんど失ってもいたんでしょう。大きなギャップだったでしょうね。人類は何千年も「昏睡状態」にあったのかもね。でも、目覚めた後、彼らは頭の中に漂う細々とした記憶の断片を全部一つに繋ぎ合わせようとしたんじゃないのかしら。そう、彼らはすっかり記憶を取り戻し始めたのよ。で、彼らが周りを取り巻く宇宙に関して、最初に抱いた考えとは何だったのかしら?

A: セックス。

Q: (L) 彼らはセックスについて何を決意したの?て言うか、セックスはしたでしょうよ。セックスはね?それとも、彼らは宇宙をセックスだと悟ったの?

A: どちらかと言えば前者が近い。結局、あなた方が混乱の中、降り立った最初の地で手に入れたものとはそれだった!売り子の口上を思い出しなさい:「寄ってらっしゃい、見てらっしゃい!試してみるかい?おっと、すまない。大事な事を言うのを忘れてた。もうあんた方は戻れやしないぜ!」

Q: (L) ホント、分からなかったわ ― このセックスという大問題は、あらゆる宗教、神話において暗示され、あるいは明示的に語られていたわね − でも、どうしてこれが「落下」が起こった仕掛けということになるのか、よく分からないわ。精確なメカニズムはどうなってるの?どんなエネルギーが、どうやって生成されたの?このエネルギーの誤用あるいは利用のコンセプトとは何なのかしら?

A: 単に、物質的な類の自己満足の概念が導入されただけ。

Q: (L) これまで何度もあなた方、理想的なのは物質性と霊性との間の完璧なバランスを保つことだって言ってきたじゃない。それなのに物理体での満足がどうして罠に掛かることになるのか、そのメカニズムがわからないんだけど?何か美しいものを見たからって、自己満足ということではないでしょ?例えば音楽だとか、絹の切れ端とか愛する人の肌みたいに感覚的に心地よいもの、美しいものを見たり、聴いたりすることが、悪い、罪深い、あるいは堕落の1形態ということになるのかしら?人間に楽しみをもたらす様々な物事は、しばしば霊的な状態へと高めてくれるものなのに。

A: 所有こそがカギだ。自己に奉仕する際(STS)、あなた方は所有を行う。キレイな花や絹や他人の肌を見て回るだけで、所有しようとしない限りはいいのだが。。。

Q: (L) セックスも含めこのようなことは、所有したいと求めたり欲したりしなくとも、与えるだけでも体験可能なように、私には思えるけど。このような場合、どうしてそれが落下をもたらすメカニズムということになるのか、まだ分からないわ。

A: 欲しがる以上は、働くメカニズムは与える場合のものではない。チョコレートケーキを、胃に物を与えるのはいい事だと思って食べるかな?STS領域に居るとき忘れてならないのは、人々が与える場合にも、それがそのことで得られる喜びの感覚のために行われるということだ。

Q: (L) こうは言えないかしら。もし存在するあらゆるものが、肉体も含めて神の一部なら、与える行為自体に執着しないで肉体に喜びを与えることは、全てにそれを与えているのだということになるんじゃない?

A: 過程を説明しなさい。


Q: (L) 極端な例だと:肉体とは罪深いものだと信じて、すすんで苦行にいそしむ人々が居るわね。何世紀にも亘って、一神教はこの重大な企みによって、セックスその他なんであれ快をもたらしたり欲望の対象となるものを否定してきた。そして人々も苦行すべきだと思い、喜んで苦行したのよ。

A: 苦行を求める人は、将来報酬を得ることを期待してそうする。彼らとて、結局は何かを所有したいことに変わりはない。

Q: (L) 私が言いたいのはね;もし、人がどの方面にも権力を求めず、単にあるがままに存在し行動して、質素であり;瞑想や精進のような一切のことを行おうと、通りを歩いていようと、空気や陽射しや鳥や木々や他の人々と一体となって居れば;そんなワンネスの状態にあっても、宇宙がこれら全てを経験するチャネルとして自らを捧げたことにはならないのかしら?

A: 人がワンネスとなるのではなく、「そのワンネスを感じて」いるならそうではない。

Q: (L) 人々がただリラックスして、正直にあるがまま存在し、本性に従って、他人の自由意志を冒すこともないならば、これって期待や欲望のような感覚から物事を行うのとは違って、より純粋じゃないかしら。単に在るだけで欲しない。。。単に在るのよ?

A: Yes, だけど、STSはそうしない。
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ということで分かるように、問題はセックス自体でもなければ、第3密度の環境のとりわけて何かでもなく、特に所有に関係のある物質的プロセスによって情動を抱くことなのだった。所有したいという欲望の何が落下をもたらしたのだろうか?

ここで、いくつか別の考え方を見てみるとしよう:


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http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27760103&comm_id=2590126
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Q: (L) イブがまず食べてからアダムに手渡したとされる善悪の知識の樹の実とは何だったの?

A: 知識の制限。暗号化。イブは女性エネルギーのシンボルだ。

Q: (L) イブ、すなわち女性エネルギーが知識の樹の実を食べたっていうのはどういう意味?どんな事をしたわけ?

A: 悪の仲間となった。

Q: (L) 仲間って何よ?

A: 知識とパワーを幾分失った。概念が制限された。

Q: (L) これじゃあどんな意味なのか、まるで分かんないじゃないの。

A: 意味は通っている。じっくり考えなさい。ローラ、あなたは明らかな点を見落としてる。

Q: (L) どうして、生命の樹の実が制限的ということになるのよ?

A: 1つのソースにあらゆる知識が含まれると信じることは、現実に反する。

Q: (F) もし、知識の樹の実を食べることで全ての知識が得られると考えるなら、それは欺かれることになるんだよ。だって、どんなソースにしたって1つで全ての知識をもたらすことなんてできないからね。だから欺瞞の情報を信じる者は、パラメーターから抜け出せないという罠にはまることになるんだ。かくして人類は永久に、様々な方向に波及して行く、同じ問題に害されることになる。すなわち、真実を無数のルートからでなく、あるルートを通じてのみ求め、そしてまた、とても複雑なテーマや疑問に対して、単純化した答えを信じるという風にね。

Q: (L) エデンって、どこだったの?

A: 地球。

Q: (L) 地球全体がエデンだったの?

A: Yes.
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さて、これはものになりそうではないか。「1つのソースにあらゆる知識が含まれると信じることは、現実に反する」のである。それは「概念的に制限される」ことなのだ。

長年の間、科学者達は頭や脳の損傷による影響について研究してきた。このような研究の狙いは、生理学的・心理学的影響を理解することであり、沢山の症例が脳の機能地図を作るための実験として利用された。導かれた結論は、考え方の様式ないし思考スタイルには異なる2つがあるという理論であり、それらは概ね脳の左右半球の特質とされる。

一般的に、脳の左側が身体の右側をコントロールし、脳の右側が身体の左側をコントロールしている。検査結果および発展中の理論によれば、右脳は五感という直接的な感覚や、また直観的思考という第六感による経験にもっぱら関わる。感情もまた脳のこちら側に関係し、これらの感情はしばしば、人が環境から受ける感覚の結果として観察される。このような感覚を受ける環境は、外界のことも、体内状態のこともある。そしてまた注意すべきことに、右脳は外界及び対内環境の観察者であり、今をのみ知覚するのである。

左脳は、概念化および様々な形でのイマジネーションのプロセスに関係する。これにはシンボルによって想像する力やレッテル貼り、カテゴライズ、言葉によるルールやルール一般の遵守といった、言語の働きとして知られるシンボルに関係する機能が含まれる。左脳の仕事の仕方は、コンピュータ画面に似ている。そこには心の全帯域が映し出され、想像力によって操作されるのである。ここで私達が利用する主な概念は、未来や過去という時間である。下の図に、それぞれの半球が司ると考えられていることを示したので見られたい。


---------------------------------------------------
意識の左半球 <−> 意識の右半球
===================================================
概念化、想像、ドグマ、時間-未来、時間-過去
<−> 観察による直接的な感覚、知覚、経験論、今(ごく短時間)
---------------------------------------------------
理論による想像 <−> 物理的な接続
---------------------------------------------------
線形論理 <−> 非線形論理
---------------------------------------------------
儀式、習慣、固定的な役割、繰り返し、固定 <−> 創造性、自然さ
---------------------------------------------------
倫理観、裁き <−> 同情、受け入れ
---------------------------------------------------
想像に由来する迷信;しばしば限定的な直接観察・直接体験を誤用
<−> 科学に基づくデータ収集・直接観察;理論的想像を正しく用いた説の考案が可能
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禁欲主義、感覚喪失 <−> 祝福
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神学:儒教、ヒンズー教、仏教、ギリシャ・ローマの宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教
<−> 神秘主義、道教、タントラ思想、ヨガ、「神秘的伝統」、グノーシス主義、錬金術
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さて、宗教、哲学、信念一般というものは、それを通して私達が世界を観、それによって世界とやり取りするものであるから、どのように私達の意識を活性化するのかという観点から、これらがどちらの脳半球の受け持ちなのか理解することはとてつもなく重要である。感覚的な右脳を重視する教えもあれば、抽象的、想像的な左脳を重視する教えもある。信念体系は人間意識の2種類の器官のどちらかの反映なのだ。

感覚指向的伝統は物理的環境との直接的なやり取りを奨励する。これはしばしば、肉体的快楽というお祭り的好色に堕落してきた。それでもなお、純粋な神秘的伝統は、霊性を宇宙そのものと同一視し、信奉者に対して、物質世界を通して神と一体化することを求めるよう説く。

他方、概念に結び付いた神学は、官能的体験や観察を禁じがちで、その代わりに、ある信仰をサポートする想像に依拠する。こちらの流儀では、霊性は概念的構築物、イメージ、シンボル、言葉に等しいとされ、それらは想像力によって描かれ、あるいは想像による信仰という抽象的思考によって展開されねばならない。そうすれば信者は、リアリティの観察や抽象的概念を形作るための観察ができて然るべきだと思うことがなく、信者にはまんまと想像による構築物こそがリアリティだと思い込ませておけるのである。

そのような訳で、ほんの1例を挙げれば、イエス・キリストを信じるかどうかがキリスト教における中心的課題なのである。

信者に行うよう求められるのは、イエスについての教会による概念を、想像力でもって支持することなのである:すなわち、彼は神の子であり、罪の赦しを得るために死んだ等々という概念だ。

それぞれの神学的構築物にはそれ独自の登場人物のキャスティングと脚本があり、いずれもが信者にこれらの想像を信じるよう求める。だが要するに:様々なシンボルそのものはさして重要ではないのであって、重要なのは神学の中心となる概念化あるいは想像、そして現実化という共通の行為が左半球的思考様式であるという事実だ。

左半球はまた、様々な書き物や永続的な聖典や言葉に、宗教的正当性を認めがちである。それはまた聖職者や僧侶の階級を作り出し、彼らがこのような言葉の管理・解釈人に指定されることになるのだ。

左半球の意識モードは、直接的観察、科学的進歩、発見に反対する。それがこだわるのは、確立された思想や伝統の儀式的反復である。聖典の言葉やそのような言葉の解釈の伝統の方が、自然な言葉自体より権威あるものとされるのだ。カシオペアンズはしばしば儀式についてコメントしている。


941005
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27689077&comm_id=2590126
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Q: (L) 何か、やって欲しい儀式はあるの?

A: 無い。

Q: (L) 儀式をするとコミュニケーションは促進される?それとも妨げられるの?

A: 儀式はエネルギーの流れを妨げる。
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941022(既出)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28263167&comm_id=2590126
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Q: (L) トカゲの侵入に対して身を守るためにできる儀式はないの?

A: 儀式は自滅を招く。
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941028
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=28597064&comm_id=2590126
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A: 儀式はトカゲ生命体にエネルギーを直に渡す。組織化された宗教はどうして儀式にとりつかれるのだろうか?
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純粋な遍在する知識は全てを含んでいるが、儀式を定めるということは、1つの考え方、1つの思考様式、1つの概念構造に固執して他を排除することを意味する。既に述べたように、神秘的な伝統は魂を宇宙そのものと同一視している。それらには神聖な伝統や司祭職はない。神を見い出す根拠は、個々人のパワーの内にあるとされ、彼らは直接の個人的な観察を行うよう奨励される。


941022 (既出)
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Q: (L) 守りに使えるような何らかのテクノロジーはある?

A: 守りに必要なのは知識のみだ。知識は起こり得る、存在するあらゆる害悪から守ってくれる。知識を持てば持つほど恐れが少なくなり、痛みも減り、ストレスも覚えなくなり、苦悩も減り、あらゆる類の危険に身を晒すことも少なくなる。とても大事なことだから、慎重に考えなさい:「知識」という言葉によって表される概念に限界があるだろうか?限界が無いこの言葉の価値はいかばかりだろうか?無限だ。1つの概念、1つの意味が、あらゆる限界から解放してくれるのが分かるだろうか?知識という言葉、その意味するものが、かつてあなたが必要としてきたあらゆるものを提供してくれることを、第六感を用いて想像してみなさい。慎重に考えれば、上で言ったことにそこまでの意味があったのかということが、段々とわかってくるものだ。

Q: (L) 本で学んだ知識も含まれるの?

A: この言葉の意味し得るもの全てを含む。こんなひとつの単語に、そんな沢山の意味があるなんて考えられるかな?。。。あなたは悟り(illumination)ということを、おぼろげながら感じることができるだろうが、悟りは知識によってもたらされる。

知識を得、集めようと常に努力するならば、かつて起こりえたあらゆるネガティブな出来事からもあなたを守ってくれるだろう。なぜだかわかるかな?知識を得れば得るほど、どうやったら身を守れるか気付くからだ。やがて、この気付きは強力になってあなたを取り巻くから、身を守るためにはたとえ気に入っていても、そんなお勤めや儀式をしなくてもいいのだ。守りは自ずと気付きによりもたらされる。

知識はあらゆる実体を持つ。それはあらゆる存在の核心へと向かう。。。知識は人の存在に対して、望ましい全てのものを加える。そしてまた、あなたが光を求め続けるなら、そうするうちに、光とは知識であると真に理解するだろう。全ての存在の核心にあるものこそ知識であり、あらゆる存在の核心にあるからこそ、知識はあらゆる形態のネガティビティからの守りをもたらす。光は全てであり、全ては知識であり、知識は全てである。

。。。あなたが単に信じさえすれば、誤った知識を得ることはないだろう。そんなものは無いのだから。あなたに誤った知識、間違った情報を与えようとする者は、誰も失敗するだろう。知識が帯びる本質とは全ての存在の根底にあるがゆえに、それは知識でない誤りの情報を吸収することからあなたを守るだろう。知識の習得をオープンに求めるならば、間違った情報の吸収を恐れる必要はない。知識はあなたがかつて必要としたあらゆる守りを形作る。

Q: (L) 随分と多くの人々がオープンで、かつ信念を抱きつつも、後ろからやられてるわ。

A: No. それはあなたがそう感じているだけだ。あなたが考え違いをしているのは、これらの人々が実際には知識を集めてなどいないということだ。そんな人々は、進歩の道のりのどこかで滞っているだけであり、彼らはあなた方が妄想と呼ぶものを密かに示される経験をしているところだ。妄想は知識ではなく停滞だ。だから人が妄想に囚われているときは、実際、真の知識の吸収が行われず、魂の成長も進歩も止まってしまう。妄想に囚われている間というものは、守りも低下するから、問題や悲劇、あらゆる困難にも身をさらすことになる。だから、それらを経験することになるのだ。
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こうした訳で、あらゆる重要な科学の進歩は神秘主義と関係があった。いわゆる現代科学は、ヨーロッパ・ルネッサンス期の錬金術師、例えばニュートンやパラケルススに直接由来するものである。彼らはかつての神秘的伝統に育まれた経験的な科学研究の姿勢を保っていた。ミルチア・エリアーデは書いている:


---.
錬金術のある所どこでも、それは常に「神秘主義の」伝統と密接に関連していた:中国では道教と、インドではヨガおよびタントラ思想と、エジプトではヘレニズム思想およびグノーシス主義と、イスラム諸国ではヘルメス主義的/秘教的神秘主義学派と、中世・ルネッサンス期の西洋ではヘルメス主義、キリスト教的/宗派的神秘主義およびカバラと結び付いていた。
(Eliade, 1978)
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(The Forge and the Crucible: The Origins and Structure of Alchemy
邦訳として、エリアーデ著作集 第5巻『鍛冶師と錬金術師』がある由。)


神秘主義の流れを汲んでいるのは科学だけではなく、創造性全般である。


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(430ページ)
芸術と文化の偉大なる時期は、つねにエロティックで神秘的な再生と結びつく。
(Daniélou, 1992)
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(※アラン・ダニエルー『シヴァとディオニュソス -自然とエロスの宗教』 Shiva et Dionysos
Tr:淺野卓夫(Takao Asano)/小野智司(Satoshi Ono) Pb:講談社(KodanSha)/芸術人類学叢書(IAA Library)2)
http://homepage1.nifty.com/ta/sfd/danielou.htm


ということで、感覚を味わうことが落下につながったというものの、感覚を味わうことを司る脳の右半球は、知識を集め、物事をありのままに見ることに関わる意識モードであるらしい。この矛盾をどう解釈すべきだろうか?左半球の-家父長制的-支配的な神学は、セックスを過ちだと繰り返し指摘している。これについてはカシオペアンズも認めているのだが、彼らは続けて、この過ちが実際に一神教的左脳支配の押し付けに道を開いたと語っている事実を、どう解釈すべきだろうか?

オリオンの神話をアーサー王およびと聖杯探求の物語と比較することで何らかの手掛かりが得られるかも知れない。一体、オリオンが聖杯探求に何か関係あるのか?私は大いにあると思う。オリオンとアーサーの物語の間の類似点は、本質的に見ると数多い。

聖杯探求のアーサーは、ある意味、本物の生身の人間ではなく、元型的イメージの複合体である。アーサーは文献に描かれている彼の人物像の総体とは別の、それ以上のものであり、彼が出て来る神話や物語やイメージも、彼に直接言及していない。

アーサーは、大昔からのあらゆる、生贄の王、死にゆく救い主、竜殺しの英雄の神話に出てくる。彼のストーリーは私達が各エピソードを研究するに連れて増えて行くが、しばらくするうち、アーサー自身は単なる手掛かりに過ぎないことが分かる。アーサーは落下と贖罪の神話を解明する上での手掛かり:永遠の王である。彼は楽園喪失のシンボルであり、彼の物語は枝分かれして伸びて行き、周期的変化や力による環境の支配といったあらゆる思想を受け入れるに至る。

黄金時代の神話:地軸が別の方向を向いていた時代;四季が異なり、1年も異なっていた時代。それは時間に意味のない、始原の楽園だった。ジョスリン・ゴドウィンは書いている:


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(松田訳、19ページー)
<黄金時代>の記憶もしくは想像は、インドから北ヨーロッパの領域の文化にのみ見られる特徴であると考えられる。南北アメリカにおいては、史上最も完全な発達を遂げた神話体系はマヤとアステカのものであり、そして彼らにとっての過去の時代は、例外なく大火や洪水による周期的な滅亡に脅かされていた。仏教の哲学もまた、確かにそのインド的環境から末法思想の概念を吸収はしたものの、本来ノスタルジアとは無縁のものである。それに対して古代中東には、『創世記』の中に明らかな<黄金時代>の面影がある。それはすなわち<楽園追放>の前に人間が神と共に歩んでいた<エデンの園>である。エジプト人も神である王に治められていた過去の時代を語るし、バビロニアの神話も、ペロススの伝える所によれば、それぞれが、春分点が黄道12宮の4つの星座宮を通って歳差運動をする間続く3つの時代区分をもっていたという。その第1はアヌの支配する<黄金時代>であり、洪水をもって終わる。イランの経典『アヴェスタ』にも、1000年に及ぶという、最初の人間にして最初の王であるイマの黄金の統治が述べられている。それによると、彼の統治の下では寒さと暑さ、老い、死、病は存在しなかったという。

この種のものの中で最も高度に発達し、また最古の理論は<4つの大年(Four Yugas)>と呼ばれるヒンドゥー教の教説である。。。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61972427&comm_id=2590126
現代の学者は第1のユガを、次のように描写している。


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最初のクリタ・ユガにおいて、大地の創造の後に、ブラフマンは自分の口、胸、もも、そして足からそれぞれ千組の双子を生んだ。彼らは家もなく暮らしていた。彼らが望む欲望はただちに成就された。そして地上はおのずから彼らのために美味な食物を作り出した。なぜなら世界には動物も植物もまだ存在していなかったからである。各々の双子は、その人生の終わりに、自らとまったく同じ双子を生んだ。すべての人が自分の義務を果たし、それ以外にすることとてなかった。善行と悪行の差もなかった。
(H. Jacobi, “Ages of the World (Indian)” in James Hastings’ “Encyclopedia of Religion and Ethics”)
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クリタもしくはサティア・ユガのあと、事物は徐々に悪くなってゆく。それに続く諸ユガにおいて、人類は不幸と悪徳に堕落していき、最後の(慈悲深くも期間は最も短い)カリ・ユガの終わりに世界は火を放たれ、水で洗われ、その後に生まれ変わる。
(Godwin, 1996)
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ジョスリン・ゴドウィン『北極の神秘主義 ― 極地の神話・科学・象徴性・ナチズムをめぐって ― 』


アーサーとオリオン、彼らそれぞれの探求の関係について理解するためには、物語とは言語的にも文化的にも、その新しい持ち主にとって意味が通じる様に翻訳され得るものだということをまず理解する必要がある。ヘロドトスの『歴史』中のある物語は、インド起源のオリジナルをまるまるコピーしたものであるが、ただ違うのは、オリジナルが動物を主人公とする寓話なのに対し、ヘロドトスのバージョンでは登場人物が全員人間になっている点である。その他は詳細に至るまで、同じ物語なのだ。人文学者でギリシャ古典の翻訳家であるR.E.ミーガーは述べている:「登場する生物種を変える際には、明らかに名前やその他彼らについてのほとんど何もかもが変えられるであろう」
(※ミーガーの『ヘレンの意味(The Meaning of Helen: In Search of an Ancient Icon)』
books.google.co.jp/books?isbn=0865165106
のこの部分に付された注24では、”24:Herodotus, The History (Loeb), 3.121"となっていますが、ヘロドトス『歴史』(松平訳上巻363ページ)の巻3の121を見ても、あまり中身のある話ではないので、これは巻2の121の誤りでしょう。

※反復で読み解くグリム童話入門. 第 2 章, 西洋人は首狩り族
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/39030
高橋吉文 著
「同じく非常に古い起源をもつのではと推定されている斬首メルヘンが、紀元前5世紀古代ギリシアの歴史家ヘロドトス『歴史』巻2の121に古代エジプトの話としてその最古の言及がある「ランプシニトス王の話」(上巻、岩波文庫、1988、pp.235-239。矢島文夫編訳『古代エジプトの物語』の「ランプシニトス王の宝」、pp.175-178)である。古代エジプトが起源かどうかは不明だが、父の首が子によって切断され捨てられる実に印象的なこの話(AaTh950)は、その古さを例証するかのように広く世界に流布しており、例えば東は、仏教経十二部経の1つで主に釈迦仏の前世による因縁を語る古代インドの説話集『ジャータカ(本生譚)』中の説話(紀元前3世紀頃)を基とする『大蔵経』の『生経』の類話から、漢訳仏典『法苑珠林』中の中国版の話に変形され、そしておそらくは後者に通じた僧侶を介して、我が国日本の地にも伝播する。
『今昔物語』巻十の「震旦の盗人、国王の倉に入って財宝を盗み、父を殺す話第三十二」(東洋文庫383、平凡社)がそれである。一方西は、同じ12世紀頃にアラブ世界から西洋世界に伝播かつ流布していったと考えられる驚異の説話集『ローマ七賢人物語』(邦訳は『七賢人物語』未知谷、1999年、等)中の宝蔵破りの話(「宝物庫Gaza」)として、いわゆるLatin H 版(ラテン語H写本)から翻訳されるという形をとって西洋諸国へと伝えられていった。それらの経緯の紹介や比較を行っている松原秀一によるその要約を引用してみよう。
ローマのオクタヴィアーヌス帝の時、『三日月』(満ちて行くもの)と名付けられた塔があった。皇帝は金銀を収めてこの塔を一人の賢人(異本の一つである『継母物語』では、ローマ七賢人の中の二人)に託した。ここに二マルク銀貨でも手にしようものなら、すぐにうまい物に使うような男がいて、貧乏になってしまい、息子を呼んで宝蔵破りを持ちかける。
(…中略…)
盗みは毎晩続くので番人の賢人はある日、財宝の減ったのに気付き、侵入箇所を発見するが騒ぎ立てずに、信用できる四人の部下に、侵入口の下に堀を掘らせ、糊を満たした桶を設置させる。夜、いつもの如く塔に入った父は桶に落ち肩まで浸かってしまう。父は息子を呼び、自分の首を切り取って持って逃げ、首は他人に見付からぬように捨てよと命じ、
(…中略…)
父の予見したごとく事は運び、父の首を便所に捨てて息子は安楽に暮らした(「宝蔵破りの話―― ランプシニトス王の宝」、松原秀一『東と西の出会い中世ヨーロッパの説話』中公文庫、中央公論社、1992、pp.297-298。括弧内の補足は高橋(吉文))

http://www.newtonpress.co.jp/search2/DATA/img_mhtm/m1983/m198306/c198306p056a.html
ヘロドトスの『歴史』には、世界最古の推理小説とよばれている次のような話がのっている。
ランプシニトス王(ラムセス三世ではないかといわれる)は、たくさんの銀をもっていた。この銀を貯蔵するために、王は石造の宝庫をつくらせた。その宝庫の一方の壁は王宮の外壁になっていた。ところが工事を請け負った職人が悪い心をおこし、外壁の石の一つを一人か二人でも楽に動かせるように細工をした。職人は死に際にこの秘密を息子たちに教えた。息子たちは父が死ぬと、その教えどおりに石を動かし、王の宝庫から銀を盗み出した。まもなくこのことに気づいた王は、宝庫の中にわなをしかけた。それとは知らずに中へ入った息子の一人が、そのわなにかかってしまった。わなにかかった息子は自分の顔がわかってしまっては、兄弟の命まであぶないと思い、「首を切って逃げろ」と兄弟に言った。朝になって宝庫の中に首のない死体を見つけた王は、見張りをつけて、死体をさらしものにした。死体を見て泣き悲しむ者がいたら、その者があやしいというわけである。兄弟たちの母は悲しみ、生き残った息子を責め、死体を盗んでくるように命じた。そこで生き残った息子は、死体の番人たちに酒をふるまい、彼らが酔いつぶれたところでみごとに死体を盗み出した。王の怒りは絶頂に達した。それはヘロドトスさえ「私にはとても信じられない」と言っている企てだ。王は自分の娘である王女を娼家にだし、次のようにいい含めた。「体を許すまえに、これまでにした最もむごたらしいことといちばん巧妙なことを話させ、もしその男が盗人だったら、男の腕を決して離すな」と言ったのである。ところが頭のよい盗人は王のこの企てをすっかり見抜いていた。そこで王を出し抜いてやろうと、兄弟の死体から腕を切り、それをもって王女のところへ出かけた。盗人は王女に「自分が今までにした最もむごたらしいことは、兄弟の首を切ったことであり、一番巧妙なことは、死体の番人を酒で酔いつぶし、兄弟の死体を盗んだことだ」と告白すると、その話を聞いた王女は彼を捕らえようとした。そこで彼は闇の中で死体から切り取った腕を王女に渡し、王女が男の腕をつかんでいるとばかり思っているすきに、まんまと逃げてしまったのである。盗人との知恵くらべに負けた王は、このような知恵のある盗人なら罰しないでむしろ褒めたほうがよいと考え、国中にふれを出した。王の言葉を信じて名乗り出た男を、王は「エジプトで一番知恵のすぐれた男」と言って褒め、王女を妻として与えたという。

※本章オリオンの両親探しのところで出て来た『ヒュリエウスがトロポーニオスとアガメーデースに宝物庫を造らせた話』もこれに似ています。)

聖杯の真相、アーサー王の騎士達が探求し、アーサーを王に復位させるために見つけた物とは、盲目となったオリオンがこれを癒すために求めたものと同じである。アーサーは、単なるイギリスの「戦の指導者」以上の何か別のものの象徴である。彼が象徴しているのは大昔の黄金時代、社会が調和し賢い統治が行われていた時代、倫理と道徳の時代、かつての王達が治めた時代である。失われた黄金時代というテーマはとても影響力があったので、ジェフリーがウェールズの神話と伝説を真の歴史に結び付けつつ、アーサーを一種の救世主として創作した時、彼は人間の精神のとても深くにある何かに触れたのだ。中世の人々の魂は、聖杯の発見によってのみ回復され得る地上の王国が回復されるのを願って飛び立ったのである。

聖杯の物語とは、とてもリアルでありつつも秘教的な視点から、人間の創造的な潜在能力 ― 黄金時代を再現させるパワー ― 古代の技術に関する知識への道を述べた物語である。これこそがいかなる合理的な説明も存在しない壮大な巨石記念物を生み出した、私達には過去の時代から隠されてきたパワーなのだ。

真の聖杯を発見しようと求めるうち、コントロール・システムの起こりも見つかるだろう。それは私達の地球に対して過去何千年に亘り手を加え、人類を時間、歴史、苦難、腐敗、苦悩の中に捕え続けてきたものだ。

既に見たように、左脳は概念化、想像、ドグマを司る。そして右脳は、観察による直接的な感覚、知覚を司るのであった。

オリオンが愛する人を犯すという物語の意味合いは明らかである:人々の中に宿る、創造という普遍的なパワーへの直接のチャネルである右脳の機能を左脳が支配したのだ。イブが悪の仲間となったのである。

クレティアン・ド・トロワ作『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』のプロローグでは、地上にかつて楽園があったことが語られている。リアリティには2つの面がある:内的なものと外的なものだ。出来事が起こるのは、物質世界の現実の場所においてのみではない;それらはまた、存在のもう1つのレベル、元型の領域にも同時に存在しているのだ。日常世界と双子のあちらの世界とは、互いに平行している双子の宇宙である。

この楽園では、聖なる洞窟や井戸、泉の傍に乙女達が棲んでいた。この時点では、2つの世界は出会い、重なり合い、架橋されていたと信じられている;人々はあちらの世界へと渡って行くことができたのだ。これは女性的な潜在力、すなわち脳の右半球の機能を象徴している。

聖なる井戸の乙女達は放浪者や旅人に金のボウルやカップで水をふるまっていた。これは右半球の創造的潜在力を象徴するものであり、この創造性の井戸を通じて、人は文字通り現実や必要なもの全てを ― 十分なだけ ― 創造できた。

乙女達が旅人に水を供していた頃、この領域は平和で豊かな場所であったがある日のこと、邪悪な王アマンゴンが乙女の1人を犯し、彼女を捕えて、聖なるボウルを盗んだのだった。アマンゴンの家来達も王に倣って、井戸の乙女達を見付けては犯し始めた。すぐに井戸で水を供してくれる乙女達は居なくなった。この時以来、地球は不毛の土地となった。井戸の水は涸れ、大地は不毛となったのである。不毛の荒地はあちらの世界との接触を失った状態を示すものだ。

さて、これが起こったのは遠い昔の事だったので、これがどのような事だったのか考えるには、もっと最近の歴史における別のマインドレイプと比較してみればよい。レギーナ・シュバルツの『カインの呪い ― 一神教の暴力的遺産』は、
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&frm=1&source=web&cd=1&cad=rja&ved=0CC8QFjAA&url=http%3A%2F%2Fwww.cismor.jp%2Fjp%2Fpublication%2Fjismor%2Fdocuments%2FJISMOR2jp_kohara.pdf&ei=DxpBUcTfIoSPkAXQ0ICoCw&usg=AFQjCNGDKJAJabRMHZpybRESJ6dAyFptXA&sig2=8DgcD-pMhXMK1_yeFNzvjA&bvm=bv.43287494,d.dGI
一神教自体がマインドレイプの根源であると断定している。神との契約を扱った第1章に
http://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&frm=1&source=web&cd=4&cad=rja&ved=0CE8QFjAD&url=http%3A%2F%2Ffaculty.plts.edu%2Fgpence%2F2490%2FPDF%2Fschwartz62-76etc.pdf&ei=Py5BUYL0E6H4mAXv_YCADg&usg=AFQjCNHukvK58bAj_iK_6LG2vFEX2DLJbw&sig2=9OOdbdb5w7aI7pofSdi_eQ
彼女はこう記している。聖書で明確に述べられている唯一神との契約がもたらした集団的アイデンティティーとは:


---
。。。自然および過去との徹底的な断絶のために考え出されたものである。超越的な神が歴史に割り込んで来て、自分の選んだ民に対して、自分が定めた戒律に従うよう求めたのだ。そして第1の最も重要な掟とは、彼だけに忠誠を誓うよう求めるものだった。
(Schwartz, 1997, p. 18)
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この結果この人々は、「他の民」(他の全ての国民だが)に対立して統一し、それが武力衝突を招いた。この「旧約」を守るために、「他の」多くの民が滅ぼされ、一方「新約」にあるように、多くの国土が植民地となった(改宗させられた)。
(Schwartz, 1997, p. 19).

彼女はまた、契約の暫定性という考え方について述べている。つまり、これは条件付きなのである。「私を信じて従え。さもなければ、あなた方を滅ぼす」 まあ大いに結構なのだが、これを読んで一番重要だと思ったのは、宗教でも何でも、そこに出て来るこの信仰というものは、もし約束を破ったら仕返しをするぞと言われて、これに一種の承認を与えているということだ。「彼は契約を結んだ」というヘブライ語の言い回しは” karat berit”で、これは字義通りだと、「彼は誓いを切った(cut)」という意味である。創世記における、神とアブラハムとの契約の場面では、動物が真っ2つに切り裂かれ、燃え盛る煙を吐く炉と燃える松明が2つに裂かれた動物の間を通り過ぎるという、不思議な儀式の様子が述べられている。
(※創世記 / 15章 7節
主は言われた。「わたしはあなたをカルデアのウルから導き出した主である。わたしはあなたにこの土地を与え、それを継がせる。」
8:
アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。」
9:
主は言われた。「三歳の雌牛と、三歳の雌山羊と、三歳の雄羊と、山鳩と、鳩の雛とをわたしのもとに持って来なさい。」
10:
アブラムはそれらのものをみな持って来て、真っ二つに切り裂き、それぞれを互いに向かい合わせて置いた。ただ、鳥は切り裂かなかった。
17:
日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然、煙を吐く炉と燃える松明が二つに裂かれた動物の間を通り過ぎた。
18:
その日、主はアブラムと契約を結んで言われた。。。)
その後、肉体を切る割礼、石板に刻まれた(cut into)法であるシナイ山における契約と続く。だからしてどうやらこの契約によってイスラエルという国は成立したのである。キリスト教が依拠するイスラエルの建国という礎全体の周りじゅう、切断された動物達の死体が転がっているようなものだ。


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古代中近東の儀式で動物を切り裂くのには、劣る者が自分より優れた相手と契約関係に入ることの象徴だった。
(Schwartz, 1997, p. 22)
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シナイ山での契約に際しては、沢山の動物が生贄に捧げられた。モーセは生贄の雄牛の血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけた後、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。彼らが、「わたしたちは主が語られたことをすべて行い、守ります」と言うと、モーセは血を取り、民に振りかけて言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である。」(出エジプト記 / 24章 7-8節)


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私達は。。。一神教こそ「ユダヤ-キリスト教」思想による偉大な業績だと見做す長い伝統を受け継いできた。一神教は、この神を拝むべきであって他の神を拝んではならないと主張する排他主義と密接に絡んでいる。この排他主義は憎悪のあまり、他の全ての神々の偶像を毀させ、他教徒を醜悪な姿に変える。一神教の普遍的な危険性は、自分達の真実こそが真実であり、自分達の知識体系こそがあるべき知識の体系、自分達の倫理こそがあるべき倫理だと主張する点にある。それも他の一切の選択肢が退けられるべきだからではない。単に選択肢など認めないのだ。。。彼らは一種の神秘的な欠乏、。。。貯蔵への信仰、貯蔵への忠誠、そして貯蔵によるアイデンティティさえも当然視する。というのも、土地であれ何であれ供給が限られているため、まるごと保持できなければ、一部でも死守するのである。。。これが制限と境界をもたらす。
(Schwartz, 1997, p. 33)
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彼らがやっているのは心の境界を展開することである。彼らは世界のイメージを左半球の思考モードで作り出している。それは固定され制限されたものであり、とりわけ発見や変化、霊的進化を妨げるものだ。なお悪い事にそれは、宇宙的な意味での創造性を阻害する;それは限られた形での知識を持とうと願い;持つことのできないものを持ち、現実には無限であるものを制限しようとする。

キリスト教会とは一神教/左脳支配の勝利である。これが興った当時はまだ、本物の神秘主義の伝統を信奉している人々が居たし、イエスは聖杯を伝授された者であっただろうと思われる。彼の真の業績を見付ける唯一の手掛かりとなるのが、グノーシス主義の書物であり、存続している宗団である。グノーシス思想の中心にあるのは、本質的に女性的な右脳による宇宙観であり、これはカタリ派や錬金術師にもたらされた霊感だった。

ローマの家父長制の聖職者たちは、おそらく第4密度のコントロール・システムの手先であり、彼らのドグマに従わなかったグノーシス主義、カタリ派その他の人々に対して恐ろしい迫害を加えた。ヨーロッパのキリスト教支配は、ざっと見積もって1千万人の無辜の生命と引き換えに得られたものである。

木の良し悪しは、その結ぶ実で分かるのだ。

誰であれ聖杯の英雄とは、両世界の合流点を見出した者に違いない。そこで彼は女性の創造的主権と物質界の王権とを再び結び付けるのである。内面世界の聖なる女性的支配と外部領域における正当な王政との間で失われていたコミュニケーションがここでの関心事である。右脳は、彼が女性原理および彼女の自由の擁護と真に結び付くに至ったときにのみ、国土すなわち物質的リアリティを支配できるのだ。

泉と井戸は、生命を与える豊饒さの最も強力な表現の象徴である。聖杯を見付けるというのは、この創造力を取り戻すことなのである。聖杯物語に出て来る我らが英雄パルチヴァールは、探求の中で3つの段階を経験する。第1段階の彼は純真無垢で他人のいう事を疑わずに受け入れる。これは行動について意識していない段階である。第2段階は疑いである。パルチヴァールは言われること全てに反抗する。というのも、何をやってもさらに面倒なことになるだけだと分かったからだ。第3段階で彼は、1人の女性を愛することだけは信じ始める。これは単に、左脳が作り出した、実感されにくく超自然的な神よりも、女性の方が自然でずっと信頼できることが彼にもようやく分かったからである。そしてこの時から不思議な事が起こり始めるのだ。


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(邦訳224ページ)
聖杯伝説において。。。再生とは、単に精神浄化というより、負わされた罪を祭儀を通じて償うことが優先とみなされているようだ。それは過ぎ去ったこととの訣別であるにちがいない。古い世界は来るべき新たな世界のために死ぬのだ。新たな周期が巡ってくると、その新しい状況は新しい人々の出番なのだ。原理原則は変わらない。「国王が召された、国王万歳」とは、そういうことなのである。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_King_is_dead._Long_live_the_King.
http://d.hatena.ne.jp/satonaoki/20090113/p1

(340ページ)
ケルトの物語で何度も繰り返されたように、聖杯の基本的なテーマは、女神と、英雄である王との、ふたつの原理が結びつくことであることをわれわれは見てきた。この事実は、楽園にとっては欠くことができない条件である。

しかし、人間独特の大きな夢は、社会的、経済的、精神的に望むべき要素をすべて兼ね備え、自分に合った楽園を創造することである。望まぬ要素は一切不要なのだ。
(214ページ)
彼は馬のおもむくままにまかせた。合理的な支配を騎乗者で表わす一方、ヴォルフラムは存在の自然の流れを馬で表わしているのだ。善も悪も識別しないのが「自然」というものである。キリスト教の騎乗者たちは、善であると考えられるものだけを許し、あとは自然を支配しようと試みるだろう。だがパルチヴァールにはその気はなく、馬の行きたいままにまかせている。物事の流れを信じて、水の流れるままについて行く道教の人である。。。好きなように進み、自然にそれ自身の道をとることを許すとき、最上の結果がもたらされるのである。

(347ページ)
(タロットの=)「恋人」のカードで、グノーシス主義、カタリ派、聖杯の根元的メッセージが初めて合流する。「恋人」は調和と完全無欠を表わすカードであり、これと対をなす「節制」も同様であ(る)。

カードの左下の、光明への道は、ふたつの峰の間を通る。
http://thetarotteaclub.files.wordpress.com/2012/12/temperance.jpg
前にもふれたように、2つの谷を貫く” Perce a Val”であり聖杯の英雄Percevalの名前そのものである。
(356ページ)
パルチヴァールは自分の愛に忠実であると同時に、自分自身より大きなものの探求には真摯であり、しかも謙虚になれたために、探し求めた物を手に入れるのにふさわしかった。彼は自然のままであるということを信じ、他人の超自然的概念を受け入れようとしなかった。さらに彼は、人生を黒と白に分けようともしなかった。事実、彼と白黒まだらの兄フェイレフィースが一体となったように、実在するすべてを縫い目のない一体物として受け入れた。パルチヴァールは自己をも含め、すべての自然を精神的存在として受け入れた。

(362ページ)
新しい形而上学(※心霊主義)の時代を迎え、西欧社会は霊的商品を陳列するスーパーマーケットへと変貌した。求道者たちは精神的変身を試みようと必死になっている。ヒンズー教の教師、セラピスト、説教師たちは口々に、もう少し努力すれば(with only a little more effort, sending a little more love and light,)われわれの望むゴールへ到達できると説くのである。解脱、精神的解放、高度の自覚、心霊的恍惚感、そして悟り(Moksha, Liberation, return to God, Higher Consciousness, Psychic Enhancement, or Enlightenment)へとである。
(Godwin, 1994)
---
(マルコム・ゴドウィン『図説聖杯伝説』平野・和田共訳)


もう少し努力して愛と光を送り続け、世界平和ないし個人的豊かさというゴールに到達することの何が悪いのだろうか?神の御許へ戻ることや、高次の意識に達すること、あるいは宣伝されているような、望む場所に到達するためのイニシエーションを授けると請け合う体験を行いたいと思って何が悪いのだろう?問題なのは期待すること(anticipation)である。このような事のいずれかを実現させたいと左脳で期待しようとするとき、あなたは井戸の乙女を犯しているのだ。

それが今にも起こるものと信じようとしたらどうだろう?信じることは左脳の機能である;それは創造性が発現するのを阻むのだ。というのも、創造的な右脳はまた、信念と現実を二分して考える経験主義の脳半球でもあるからである。

願望とは期待である。期待は右脳にとっては将来の事と理解される。従って今すぐではない。右脳が創造を行えるのは今だけだ。私達が願う時には、将来の対象を心に抱くのである。右脳は今の事しか知らない。

もし私達が神を愛したいと願えば、私達は神を愛するという将来の目標に関する概念(左脳による)を持つことになる。それは今存在し得ない。だから私達は、不断に神を愛そうとしつつも、継続中の今は神を愛していないという葛藤を経験することになる。

もし私達がロトくじを当てて、左うちわで暮らす将来を左脳でイメージするなら、それは今ではない。だから今は無一文が続くのである。

私達が幸せを願うときには、左脳で概念を作り出し、将来の幸せを思い描く。右脳はこれを現在の不幸として理解し、この結果何千もの不幸な経験が現出することになりかねない。

同じ理由で、私達が愛と光を誰か受け手に直接送るとき、将来における修正・解決という概念を抱くが、これは現在の壊滅状態について右脳に信号を送り、私達の人生はこの影響を感じることになるのだ。より広い意味では、私達が集合意識の右脳に対して、将来は平和な状態が望まれるという信号を送り、今が平和でないと伝える。そのように右脳は今、創造するのである。リニアな時間の知覚が絶えず報酬を将来に映し出すため、現在へのアクセスが阻まれ、永久に鼻先のニンジンを追いかけ続けるロバさながらだ。


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http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30516615&comm_id=2590126
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Q: (L) 例えば誰かがロトくじを当てたいという場合、どういうのが正しいアプローチなの?何をする、あるいはどのようでいる、何を考え、何を言うべきなの?

A: 完全に純粋な意図(intent)。すなわち、見通しを立てない、期待しないこと。

Q: (L) 期待することで創造性のチャネルが制限されるの?

A: Yes.

Q: (L) 言ってみれば、当ろうが当たるまいが、全く無頓着でいなければならないのね?

A: 楽天的な態度が役立つ。

Q: (L) それじゃあ、心配したり、緊張したり、考えにこだわったりすると、流れが制限されるのね?

A: Yes.
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お気付きだろうが、意図は期待や願望とは考えられていない。言葉自体が手掛かりになろう。

Anticipate(期待): ante − before(前に) + capare − to take(取る)
期待する;予期する;早く起こるよう急かす;予見し、予め行う、等々。

予期と時間とのつながりは明らかに見て取れる。


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Intent(意図): しっかり方向きを決め、あるいは定める;心や注意の方向をしっかりと決め、あるいは定める;熱中する;強く決心する;目的あるいは対象;行為を行う時点での意志や決定。
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微妙な違いが分かっただろうか?幾分意味論的ではあるにせよ、私達の創造的な潜在能力をどう扱えばいいか考えるには十分だろう。

もちろん、完全に純粋な意図というのが、かなり無理な注文なのは分かる。大事なのは、今、意図を持って行動することであり、将来のことを想像して予期しないことである。目標に向けて行動しようと意志を働かせるとき、左脳による意識的な準備や計画が必要となるものの、現在の状況に直に対処する右脳の高められた認識によって、人生を変える創造的な潜在性が開く結果となろう。


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Q: (L) Okay, さっき話してた意図のことなんだけど、もちろん私達が意図を持って経験してきたのは、かなり驚くべき事だったわ。繰り返し強めるとき、意図は本当に力となるという風に考えるようになったもの。これは正しい考え方かしら?あなた方、何か付け加えることがあるかしら?

A: それも期待によって全体像が曇らないうちのことだ。。。微妙だろう?

Q: (L) 期待して思い込むと何が起こることになるの?

A: 次に起こるのは現実化だが、一般的に第3密度ではあなた方にとって不幸な結果となる。分かる通り、期待が関与してくるや、意図はもはやSTOではあり得ない。

Q: (L) 期待とは自分のために何かを願うということなのね?

A: Yes.

Q: (L) Okay, 何かを意図したり、意図的に考えたり、意図的に希望するのはオーケーなのね。何かの役に立つ別の。。。

A: それが現実化する。だが、現実化は期待を生む。

Q: (L) このカミソリの刃をどうやって渡り歩けばいいの?つまり、これってカミソリの刃の上を歩いてるみたいじゃないの。期待しないように気持ちをコントロールして、なおかつ、現実化にはうまく対処し、それでも希望を忘れない。。。

A: 偏見なく純粋に信じることとバランスが取れるように否定するという心のエクササイズだ。

Q: (L) Okay, それじゃあつまり、その時々の状況を受け入れ、その時々の状況はありのままに認識しつつ、宇宙や物事は、起こるべき様に起こると信じて、それがどのようになのかは予期しないようにしながら、ワークを続けるのね?

A: Yes.

Q: (L) 未来を形作ることについては、沢山の概念を議論したのよ。私達の議論では、何か良い事を形作る意図的な行為みたいなことを仮定したんだけど、測定すべき時期については定義しなかったわ。つまり、意図によってエネルギーを加えるんだけど、いつ、どこで、どのように測定すべきなのかは未定なのよ。クォンタム・ジャンプみたいなものよ:統計的には起こり得るけど、確定はできない。だから予期することは不可能なんだけど観察される。だから、ひとりでにそれの流儀でもって起こるときにはそれと分かるのよ。

A: Yes. 期待しないようにすることだ。それが未来を形作るカギだ。。。そうだと思ったときには、止まってしまう。

Q: (L) そうだと思ったとき?それが起こりつつあるということを?それを行っていることを?

A: Yes あらゆる期待を取り消さない限りは。

Q: (L) これは何とも油断ならないわねえ。

A: はてね?果たして。。。まあ確かに、あなたがこの現実の創造者だ!

Q: (L) でも、期待すると物事が台無しになるとも言ってたでしょ。だから期待はしたくないわ。

A: 期待すると、この現実は創造されない。
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期待しないことで宇宙の創造性が開けるとすれば、ネガティブな事が起こる可能性を封じるのは何だろうか?ひょっとするとこれについても手掛かりがあったのでは?

カシオペアンズ曰く:

(970719)
「期待は「覚悟の元」だということ、そして防御することを忘れずに!

(970503)
教訓その1:常に攻撃を予期しなさい。

教訓その2:攻撃の形態を知りなさい。

教訓その3:攻撃に歯止めをかける方法を知りなさい。

攻撃を受けたら、問題を惹き起こすような予期せぬ出来事を予期しなさい。。。

だが予期できれば、「それを阻止する」方法が分かりそれを無害化できる。それがいわゆる用心であり、知識に根ざすものだ。知識は守る」

ということで、この問題の答えは、私達が右脳によって宇宙とつながり、境界を作り出す想像やイメージ、あるいは幻想的な概念でもって、フォース(力)を制限して宇宙とつながる能力をブロックしないなら、私達は自らの周波数共鳴を完全に顕現させることができるということらしい。同様に、必要ならば私達は、左脳のシステムでセキュリティー・ホールが無いかと絶えずコンピュータでスキャンするようにして、心を操られる道を閉ざすことができるのだ。私達は左脳という物質世界の王を、内面領域の女王である右脳と結婚させねばならないのである。

だが、パルチヴァールが全ての忠告、勧めをはねつけ、世界を救うための聖なる探求を行う偉大な騎士になろうとするのを止め、純粋で善良な全父としての神を拒絶したとき、初めて。。。そちらの方で彼を見付けたのだった。

荒地とは何だろうか?それは、世界および、私達自身を含めたその中の全てが、完全に自然ではない、本来あるべき完全な状態でないとして、それらを受け入れられないことを言うのである ― そこに含まれるあらゆる善も悪も、自然で不可欠なバランスの一部なのだ。全ての存在は自然で、いつもあるべき状態にある。あなたが全ては完全であることを受け入れ、右脳の女性原理のパワーを左脳にあるイメージで奪って、神を人質に取るのを止めれば、その時、世界は完全で豊饒さを取り戻し、あなたの心の中にある荒地という傷も癒えるだろう。

自発的に、誰か他の人の信念体系の中に組み込まれることなしに行動できさえすれば、私達は自分自身に本当の質問を問うことができる;どんな答えが出るか先入観なしに問うことが;期待しないで問うことができるのだ。

そうすれば奇蹟的にも、あるときは空っぽだった聖杯の器が。。。
次の瞬間にはありとあらゆる不思議と栄光で一杯となるのである。


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The Spirit of the Valley never dies. It is called the Mystic Female. The Door of the Mystic Female is the root of Heaven and Earth. (Lao Tzu)
谷~不死
是謂玄牝
玄牝之門
是謂天地之根
綿綿若存
用之不勤

谷の精は死ぬことがありません。
それは、神秘なる女性と呼ばれています。
神秘なる女性の門は、
天地の根源と呼ばれています。
そこからあふれでる水は、
ちろちろと流れつづけ、絶えることはありません。
そのはたらきは、尽きることがないのです。
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老子 道徳経 成象第六
神秘なる女性の門(牛男訳『老子』)
http://blogs.yahoo.co.jp/otiani/58283875.html
(※この詩はマルコム・ゴドウィンの『図説 聖杯伝説』邦訳356ページにも引かれています。)


この神秘なる女性は可能性という無限の海原である。予期、期待、仮定、執着をすっかり戸口に置き去ったとき、神がとり得る姿はこれだけではない。


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Negative existence is the silence behind the sound, the blank canvas beneath the painting, the darkness into which light shines.
無とは聞こえざる音、見えざる絵、照らされた闇である。
Emptiness is the stillness against which time moves.
虚は時が経っても変わらない。
Negative existence enables a man to be what he is.
無があればこそ、人はこのように存在しているのだ。
It is the mirror of mirrors.
これは合わせ鏡である。
Non-anticipation is noninterference, and allows the most perfect reflection of creation.
期待しないでこそ干渉しないことができ、そうしてこそ最もよく創造のあり方を反映できるのだ。
(Lao Tzu)

老子 道徳経 第十四章 古の道を執りて、以て今の有を御すれば、能く古始を知る。
原文
視之不見、名曰夷。聽之不聞、名曰希。摶之不得、名曰微。此三者、不可致詰。故混而爲一。其上不t、其下不昧。繩繩不可名、復歸於無物。是謂無状之状、無物之象。是謂惚恍。迎之不見其首、隨之不見其後。執古之道、以御今之有、能知古始。是謂道紀。

解釈
見ようとしても見えない、聴こうとしても聞こえない、取ろうとしても取れない。
これらは突き詰めてはいけない。最初から混ざり合って一つになっているからだ。
上だからといって明るくなく、下だからといって暗くない。ぐちゃぐちゃしていて表現しようがなく、物のようには対処できないんだという結論にまた帰っていく。
これを状態のない状態、物にはならない形と言い、ぼんやりと明るい状態とも言える。
これを見てやろうと正面にまわっても顔は見えず、背後にまわっても後ろ姿は見えない。
太古の時代の道を執り行うことで現代の有事を制御すれば、太古の時代がどうやって始まったかを知ることができる。これを道のしるしという。
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(※英訳はこれ
http://www.amazon.com/exec/obidos/ASIN/0937064009/cassiopaea
に拠る旨、本章旧版
http://cassiopaea.xmystic.com/en/cass/wave12a.htm
の注にありますが、こちらはマルコム・ゴドウィンが続けて引用している道徳経の『無源第四』ではなさそうです。賛玄第十四
http://d.hatena.ne.jp/yasushiito/20101014/1286982000
でしょうか。これはセッション970809
http://cassiopaea.org/forum/index.php/topic,23798.msg265163.html#msg265163
にも引用されていますが、賛玄第十四の英訳だとすると切れ味がよすぎて”Non-anticipation”が上の和訳文のどの部分になるのか難しいです。
あるいは偽作とされ焚書されたとして和訳の無さそうな『化胡経』でしょうか?このバージョン
http://livedeepnow.tumblr.com/post/819990579/huahuching
を見る限りでは分かりません。
英文からの反訳を試みて原文に付記しておきました。)


(本章終わり)
posted by たカシー at 09:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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