2013年01月25日

(その2・完)フルカネリの正体とダヴィンチ・コード

(脳の絵のキャプション)
The horse(馬), mare(雌馬), mer(仏語、海), mere(仏語、母), sea(海), mother(母) - the Virgin where the star appears(星が出現する場所の聖母) - the Prima Materia(第一質量)
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アンドロメダの頭で輝いている星、シラーはまた、ペガサス座 ― ペルセウスの愛馬 ― の四角形を構成する4つの星のうちの1つでもあるが、この天馬は首を切られたゴルゴンであるメドゥーサのほとばしる血から生まれた。アンドロメダの頭にある、この星はまた、ペガサスの「へそ」としても知られる。
– the horse(馬), mare(雌馬), mer(仏語、海), mere(仏語、母), sea(海), mother(母)。

ペガサスはポセイドンの子孫である。ポセイドンはアテナの神殿でメドゥーサと交わって、女神の聖なる空間を辱めた。この暴行は嘆かわしい侮辱であった。というのも、アテナは自分が処女であることを誇りにしており、「パルテノン」とは「処女神の宮殿」という意味だったからである。

ペガサスの名前は、ギリシャ語で「泉」を意味する“pege”に由来したようであり、従ってゴルゴンの首を切ることはまた、聖杯伝説に出て来る「井戸の乙女」(※M.ゴドウィン『図説聖杯伝説』平野他訳、33ページ以下)の水を回復し、よって不毛の土地を癒す効き目があるとも考えられる。

中東の芸術には翼のある馬が数多く出て来るが、これらはいずれも、この神話に関係があるのだろう。初期のアーリア人はこの星座が太陽、アスヴァを表すものだと主張していたが、それは実際にはケンタウロスのケイロンの娘のテアだという人も居る。彼女はアルテミスの狩りの仲間で、風の神アイオロスに誘惑された。(テアは身重となったが、父親のケイロンがこれを知ったらひどい罰を受けるだろうと悩んだ。)ポセイドンは(アイオロスの友人だったので、)テアをしばらくの間馬の姿に変え(、子馬を生ませ)て助けた。古来からよく知られてきた馬とケルト人やペルセウス一族とのつながりが、ここで考慮されるべきである。
http://www.babylon.com/definition/hellen/

エジプト人はこれを「召使い座」と呼び、そのいくつかの星はジャッカルを象ると考えた。アラビア人はこの四角形を「アル・ダウル」すなわち「水桶」と呼んだが、
http://www.cse.kyoto-su.ac.jp/~g1145190/star/aquarius.html
これはまた十二宮のうちの水瓶座(私の星座である)の瓶とも呼ばれてきた。

上掲の絵で明らかだろう。脳は「神馬」であり、探究者は目的地に辿り着くためにこれを「調教する」のであり、Ω(オメガ=終わり)の形に著しく似ていることに気付く。

ギリシャ人はペガサスの4つ星を天国への門と見做した。ヘブライ人はこれを「ニムロデの馬」と呼んだ。キリスト教徒はこれをキリストがエルサレムに入場する際に乗っていたロバだとした。これは十字架に喩えて表現された真の儀式としての、秘密の女神崇拝を示唆するものである。忘れてならないのは、2人の騎士が馬に乗っている、テンプル騎士団の紋章である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Seal_of_Templars.jpg
これが表しているのは単に、精神と物質との二重性が「馬に乗る」ことで統合されるということだろうか?ある錬金術のシンボルには、2人の男あるいは双頭の男が、馬に乗って梯子か木に登って行くところが描かれている。

物語のいずれのバリエーションを見ても、本質的な要素は、1人の英雄が、何らかの不可能事を達成し、その結果「空飛ぶ馬」を手に入れ、それからこの馬に乗って、さらに不可能と思われる、他の人々を「解放する」ことに関わる務めを成し遂げるというものである。その過程で彼は自ら選んだ乙女を勝ち取る。そして、ペルセウスの場合、末永く幸せに暮らすのだ。

フロイト派心理学では、翼のある馬は強力な男根に関係があるとされ、それはあらゆる障碍を克復する英雄の証とされる。古代ギリシャ芸術には羽のある陰茎が多く表されている。性の要素は遺伝の原理そのもの、そしてまた、本文でも論じた、ボリス・ムラビエフによって明らかにされた古代グノーシス派の言い伝えにある「ポーラー・オポジッツ」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59256344&comm_id=2590126
というテーマの両方を表すものであろう。

ある物語によれば、ペルセウスはペガサスという名の船を作った。これは空飛ぶ馬のように船足が速かったという。これはアルゴノート(アルゴー船の乗組員)の物語の原型である。これは冒険の目的が「金羊毛」であることから、生きていたときの「空飛ぶ牡羊」にも関係がある。ここで留意されたいのは、出て来る星座がいずれも白羊宮に属している点だ。この物語では兄と妹が「空飛ぶ牡羊」に乗って逃れるのだが、妹は海に落ちる。それから彼女はアンドロメダになるのだろうか?「アレスとアリエス(白羊宮)の違い」が分かって来たではないか?

また注意すべきなのは、アルゴノートこそフルカネリ文書のテーマであることだ。彼はこれをグリーン・ランンゲージ的に「光の術(Art cot)」と呼ぶ。
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ここで再び考えるべきは、彼の正体がジュール・ヴィオルであり、光度の単位が「ヴィオル」であることだ。フルカネリはまた、ペルセウスとアルゴノートのイアソンを関連付けているが、これはわざと「ミスした」ものに違いない。
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もう1つ重要な点がある:神話や伝説に出て来る古代のあらゆる英雄たちの中でも、ペルセウスはこの上もない成功者として傑出した存在なのである;数多き他の英雄たちは、善意で出発し、数々の成功を収めながらも、不遜さや策略あるいは誘惑のせいで、やがて栄光の座から転落してしまうのだ。

カシオペイアとダナエーとの関係は興味深いものがある。彼女たちはいずれも問題の「根源」であり、そこから物語が展開して行くのだ。ペルセウスは母親(ダナエー)を「救おう」と骨を折り非常に危険な目に遭ったが、アンドロメダも同様に、彼女の母親(カシオペイア)のため「犠牲」になって非常に危険な目に遭った。何らかの理由からダナエーはポリュデクテースに「ノー」と言えなかった ― 彼は彼女を支配していた ― ため、そして、悪評の高いカシオペイアは自分の娘(アンドロメダ)の美しさを自慢したため、彼女たちは窮地に陥ったのである。

同様に、カシオペイアは、自分のせいで娘が海蛇ケートスの餌になろうとしているのを知っていた。「神託」通りに、彼女はペルセウスが、『マトリックス』のネオのように、あらゆる障害に打ち勝って、他者を救ってくれることを、そしてまた、これが特別な「何か」、成功を確実にする上で必要な、他者に奉仕するという適切な観方だと知っていた筈なのだ;

もちろん結果として、ペルセウスは海蛇を殺し、アンドロメダと結婚した。2人はチームとして共に出発した:誤りをただし、抑圧された人々を解放し、悪者たちを石に変えて、知られる限りではずっと幸せに暮らした。

かくして、マトリックスからの自由を手に入れることの象徴が見出される。第1に、ペルセウスが選ばれし英雄であること、そして、第2に、まさに私達の頭上、空の星々によって一部始終が表されている、唯一の神話のダイナミクスは、手掛かりを「辿る」べき道を示しているということだ。これは個々の参加者が自分達自身にとってのメドゥーサの頭を切り落として、翼のある馬、ペガサスのかたちをとった真実を解放することだけではなく、この真実の助けを借りて、アンドロメダの解放に参加することでもある。この地球上で私達が直面しているうち、これ以上に大事な課題は無いと思う。

話を現在に戻せば、私達が今の家に引越して来た時、自分達の今度住む村は「ベルカッセ」という名だと知った。この名前に私は興味を抱いた。というのも、これは私に「美しきカシオペイア(Beautiful Cassiopaea)」を思い出させたからだ。この村の名前の意味は「美しい樫(Beautiful Oaks)」だと分かった。言葉の意味を辿り始めてみて、ついに分かったのだが、カシオペイアには、字義的に「樫の声」、すなわちシビュラ、すなわち偉大なる母、聖母という意味があったのである。この村の一番古い名前を知った時はもう少し面白かった。「ゆっくりした光(Lampe Adagio)」というのである。うーん。。。「光の周波数を探しなさい」ということか。

この地域は、ノストラダムスが生涯のうちでも長く住んだ(後でふれる)アジャンに近く、ノストラダムスの生地であるアレ・レ・バン同様、カタリ派の中心地だった。面白いのは、カトリックの修道僧までもが、言ってみれば「異端に染まった」ことであり、地方の修道院ではカタリ派が保護された物語が多くあるのだ。そんな1つ、ガロンヌ川の真上にあるベルペルシュ修道院は、 私のオフィスの窓からも見えるのだが、私達の館に至る土地を全て所有していたのだ。彼らは馬で有名だった。今では小麦、菜種、ヒマワリ等々の畑となっている沢山の土地で、馬が放牧されていたのである。。。「ラインラントにあるアルファルファ畑」だろうか?

本稿冒頭に掲げた写真は『キリストの埋葬』である。これはオーシュ大聖堂の礼拝堂17にあるが、この礼拝堂はかつては「王室礼拝堂」と呼ばれ、三位一体の礼拝堂としても知られていた。この場所に大聖堂の礎石が置かれたのは、1489年7月4日のことだった。(アークが初めて私にメールしてきた日も7月4日であり、メールしてきた場所もレオナルド・ダ・ビンチが生涯で多くの時間を過ごしたフィレンツェからだった。何ともシンクロしているではないか。)礼拝堂17の真下は地下室になっていて、そこには墓が立っているのだが、ここでもまた奇妙な偶然に気付いた。最初にここを訪れた時(私は今ではすっかり常連なので、管理人も黙って私に鍵を渡すほどだが、当初は彼が下まで連れて行ってくれた)、キリストの埋葬の像の下に、何か見るべきものはないかと見回していたところ、ついに私は足の下の床に見つけたのだった。それは大司教の墓で、彼が選任された日と亡くなった日が、それぞれ私の左右のつま先の下にあったのだが、その1つが、私と夫(アーク)の誕生日と同じだったのだ。さらには大聖堂が守護聖人に捧げられたのも私の誕生日と同じ、2月12日なのだった。

この奇妙な日付の一致について、私達は数学者のロベール・コクロー(原注425)と議論したのであるが、私達がほとんど「手当たり次第で新居を選んだ」地域に大聖堂が建っていて、その守護聖人への奉納日が私の誕生日と一緒で、大聖堂の礎石が置かれたのが、アークが私に初めてメールを書いた日、さらには、礎石の上の地下室にあった墓石に彫られていた日付が私達の誕生日だったのは、「偶然の一致」と呼ぶには多少無理がある、と彼も認めた。だがそこは本物の科学者である。「科学的」な何らかの結論を引き出すには、何度か「試行」してみるべきだと提案してくれたのだった。キリストの埋葬に戻ると、ピエール=アンリ・ジェロー・ド・ランガルリーの墓[図版9]の上にある礼拝堂に置かれた本像について、優れた描写をレイモン・モンテインは残している:


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原注
425:拙稿「海中の洞窟」を参照。
http://www.cassiopaea.org/cass/Laura-Knight-Jadczyk/article-lkj-18-10-03.htm
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この埋葬の場面には8人の伝統的な人物が集められているが、それがかなり珍しい組み合わせなのだ。聖骸布に横たわっているイエス。そして、彼の後ろに並んでいるのが、イエスの母であるマリアと、加えて2人の女性、使徒聖ヨハネ、それに、マグダラのマリアが石膏の壺を持ってイエスの足元に立っている。アリマタヤのヨセフとニコデモは、それぞれ聖骸布の両端を持っている。
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場面の各登場人物は、態度や衣装の細部、イエスに対する立ち位置、あるいは彼または彼女が手にしているものによって見分けがつく。イエスの母親の隣に立っている女性は実に特別な姿をしている:実際彼女は、真ん中を占める栄誉に浴し、茨の ― いや、おそらくは「星」だろうか? ― 冠を持っているのだ。彼女が頭にかぶっているのは既婚夫人のためのものであり、栄えある彼女の立ち位置は、彼女がイエスの妻であることを表している。だがこの妻は、マグダラのマリアではない。明らかに彼女はイエスの足元に居る。マグダラのマリアは間違えようがない。長い髪をしているし、石膏の壺を持っているからだ。その上、彼女が被っているのは未婚の少女のための飾りだ。実際、マグダラのマリアをクローズアップで見てみれば、聖なる遺体の周りに集まっている家族の中でも、一番娘らしい。[図版10参照]

レイモン神父は言う:


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フランボワイアン様式の天蓋は、オリジナルの三位一体像で飾られている。ここに「展示」されているのは、父なる神自らの手で十字架に懸けられているキリストである。
http://www.laura-knight-jadczyk.com/Auch_Cathedral/auch_cathedral_83.html
聖霊は鳩に象徴化され、父と子の間に置かれている。これらのお姿はキリストの埋葬、そして「受難」という神学的基礎にすら関連付けられているのだが、福音書と言われる書物の言葉通りにはなっていない。
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ついでながら、彼はこのモニュメントのアイディアをインスパイアしたのは、マルグリット・ドートリッシュであると述べている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5
マルグリットの夫であったサヴォイア公フィリベルト2世のいとこの1人が、この大聖堂の建立を依頼した司教の1人、フランソワ・ド・サヴォワであり、この家族こそが、「聖骸布」の持ち主だった。

オーシュの歴史でまた注意すべきなのは、マルグリット・ドートリッシュの又従兄弟に当るマルグリット・ド・ナヴァル
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB
が、オーシュ大聖堂に密接に関係していたということである。このオーシュのサント・マリー大聖堂に関係した人々についてはさらに調査を行って、この大聖堂の謎のためにもう1冊著したいと思うが、ここでいくつか手掛かりだけ述べておこう。

マルグリット・ド・ナヴァルによって私達はフルカネリに引き戻されるのだ。

1520年代初頭、マルグリット・ド・ナヴァルは教会改革運動に関与するようになり、当時の改革指導者たちと会ったり手紙のやり取りを始めた。1527年、これはどうやら彼女が選んだようなのだが(当時としては珍しい)、マルグリットはナバラ王(国土は殆どスペインの支配下にあったが)アンリ・ダルブレと結婚した。アンリ・ダルブレは有名なカタリ派一家の子孫であるカトリーヌ・ド・フォワの息子だった。

1531年頃、マルグリットは自作の詩篇『罪深き魂の鏡(Miroir de l’ame pecheresse)』の出版を許した。マルグリットは『鏡』を侍女の1人だったアン・ブーリン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%B3
に与えたが、これを後に英語に訳したのが、アンの12歳になる娘エリザベスだった(彼女は後にイングランドで最も英邁な君主となる)。アン・ブーリンは以前偶然にも、マルグリット・ドートリッシュの侍女をしていたので、2人の王女が互いに文通し侍女を共有していたことは疑いない。そしてまたアン・ブーリンをめぐっては、大いなる謎が存在したのではなかったか?

『ホルバイン・コード』という魅惑的な記事が、最近のフォーティアン・タイムズ202号に掲載された。書いたのは評判のジャーナリスト、デビッド・ハンブリングである。彼によれば、ホルバインは絵画『大使たち』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Ambassadors_(Holbein)
http://blog.goo.ne.jp/konstanze/e/92e99854f8df6e198a6a07ec19e164f4
http://rui4oyo.jugem.jp/?eid=488
で、あるメッセージを伝えようとした。彼は書いている:


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この絵が描かれた当時の記録は無く、2人のモデルが誰なのか、何世紀間も分からなかった。1890年、シドニー・コルヴィン卿は、左側の人物が、フランスからヘンリー8世の宮廷に遣わされていた大使である、ジャン・ド・ダントヴィユであろうとの説を唱えた。絵の中に見える地球儀に、ダントヴィユの屋敷のあったポワシーが書かれているからである。1900年、マリー・ハーベイは歴史探訪のためにポワシーに赴き、17世紀まで遡る書類に目を通したが、この中には1653年の登記簿があった。彼女が確かめた結果、この絵が元々掛かっていたのがその地であること、そして第2のモデルは、後に神聖ローマ帝国に駐在したフランス大使で、この時はラヴール司教だったジョルジュ・ド・セルヴであることが分かった。

それでこの絵は、フランス大使がロンドンに赴いた歴史的な正念場を描いたものと分かったのだ。ちょうどヘンリー8世がスペイン人のキャサリン・オブ・アラゴンを捨てて、アン・ブーリンを新王妃に迎えると宣言した頃だった。アンは多感な時期をフランス王宮で過ごした女性であった。。。

ルネッサンスの原動力となったのは人文主義という新たな概念で、それは、「人々に教会の権威からの独立を鼓舞する知的自由の精神」だった。中世の価値観においては、教会が、神の本質から、星の動き、地球の形に至る迄全てに意見を述べた。人文主義は既存の秩序に挑戦した。

キリスト教世界の外に新たな情報源が現れたのだ:異教徒であるギリシャ人哲学者たちである。。。人文主義者たちはこれらの全てを1つにまとめ上げた。物事について問い直す新たな精神は感動的なものだった。コペルニクスが、地球は宇宙の中心ではないという彼の説を公表したばかり、マルティン・ルターは『95ヶ条の論題』を聖堂の扉に打ちつけていた。。。

教会の抵抗は時として手荒なものだった。ルターの提案した改革案は異端とみなされた。コペルニクスの説も同様だった。錬金術や占星術、カバラあるいは新興宗教の出版を試みようとしていた誰もが大人しくし始めた。さもなければ焚書の目に遭った。

アン・ブーリンが福音主義運動を支援していたのは周知の事実である。彼女の庇護を求めてイングランドに逃れた詩人ニコラス・ブルボンの作品を見ると、彼女の周囲に居たグループの無分別さを垣間見ることができる。その面々とは、イングランド国教会のトマス・クロムウェル、トマス・クランマー、さらには、福音主義の司教ヒュー・ラティマー、ニコラス・クラッツァー、ウィリアム・バッツ、そして、この画家、ハンス・ホルバインであった。。。

アン・ブーリンが王妃となるよう画策した、この小さいながら結束の固いグループの面々には2つの共通点があった:彼らは貴族というよりは叩き上げであったし、危険と見做される世界観の持ち主だった。それゆえ、イングランドを方向転換させて、国教会によって脅かされていた人々の身の安全を計ろうとする彼らの活動は、その過程で宗教改革をスタートさせることになった。

ダントヴィユはアン・ブーリンの支持者だった。彼は人文主義者ジャック・ルフェーヴルのパトロンだったし、マリー・ハーベイによれば、彼はまた、錬金術や占星術といった「秘密の科学」の熱狂的な指示者であるとの噂だったという。ホルバインの絵は、彼に対する宗教的な共感を示すものだったのかも知れない。。。

オランダ、フローニンゲン大学の哲学/科学史名誉教授であるジョン・ノースはこの絵を最も詳細に研究しており、彼が著した『大使の秘密』にはその詳細が述べられている。。。(原注426
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原注
426:デビッド・ハンブリング、フォーティアン・タイムズ202号
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絵の中の機器は偶然にも、1533年4月11日午後4時を示している。これは1500年前、イエスが磔にされたと言われる、AD1年の聖金曜日と同じ時刻である。


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ノースは確たる証拠なしに論じるタイプではない。他の人々と同じく、彼もルネッサンスの偉大な占星術師ネテスハイムのコルネリウス・アグリッパの影響があるかも知れないと考えている。フランス宮廷に居た、この人物は、ダントヴィユ、ホルバイン、クラッツァーと面識があったかも知れない。だが、アグリッパの用いた莫大かつ複雑なシンボリズムによっても、この一致を確信することはできなかったであろうとノースは分析している。。。

『大使たち』は2人のフランス人高官の単なる肖像画ではなく、文字通り「歴史を変える」ための仕掛けとして描かれたものだったのである。(原注427
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原注
427:同書。
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これから私は「物語の裏面」を述べるが、これは「ホルバイン・コード」に関する、全く違う説明となろう。それはいわゆる「ダ・ヴィンチ・コード」と一致するようなのである。どうやら、知識を伝え、グノーシス主義を広めようと必死の試みが行われたようであるが、ヘンリーに男の世継ぎを生むことができなかったアン・ブーリンが断頭台に送られた結果、これは失敗に終わったかに見えた。

とは言うものの、おそらくこれは全くの失敗ではなかったのでないか?おそらくまだその時期でなかっただけではないだろうか?

アン・ブーリンの主人であり師であったマルグリット・ド・ナヴァルに戻るが、ソルボンヌの神学者が彼女の詩篇『罪深き魂の鏡』を異端的であるとして非難した。1人の修道士が、マルグリットなど袋に縫い込んでセーヌ川に放り込み、ナバラ大学の学生たちは彼女を風刺して「地獄の怒り」という戯曲を書くべきだと述べたのである。だが、彼女の実弟であるフランスのフランソワ1世が干渉したため、騒ぎは収まり、ソルボンヌが謝罪した。

マルグリットはフランスで最も影響のある女性の1人だった。彼女のサロンは「ニュー・パルナッソス」と呼ばれ、有名だった。文筆家のピエール・ブラントームは彼女のことをこう言っている:「彼女は偉大な王女だった。だが、そこへ持ってきて彼女は、実に優しく、上品で慈悲深く、大変な慈善家で誰にもフレンドリーだった」

オランダの人文主義者エラスムスは彼女にしたためている:「長きに亘って私は、神があなたに授けられた数多くの才能を慈しんできた。哲学者になれる分別、貞節、中庸、敬虔で、無敵の強い心を持ち、この世のあらゆる虚栄を蔑む素晴らしさである。司祭や修道士でさえ稀な資質の、王の偉大な姉君を讃えずにおれるだろうか?」

学芸の寛大なパトロンであったマルグリットは、数多くの芸術家、文筆家、中でもフランソワ・ラブレーを世話し、庇護した。

フルカネリはしばしば、フランソワ・ラブレーに言及している。ラブレーと言えば、彼の『ガルガンチュワとパンタグリュエル 第三之書』(1546)はマルグリット・ド・ナヴァルに捧げられているのだ。

マルグリットの知己で文通相手としてはもう1人、ジュール・セザール・スカリジェが居たが、彼はノストラダムスを知っていて仲が良かった。既に述べたように、ノストラダムスはカタリ派で知られるフォア地方のアレ・レ・バンの生まれである。ノストラダムスもまたラブレーと共に、スカリジェに学んだ。

1525年、ノストラダムスはトゥールーズやオーシュから遠くないアジャンに移った。1534年、「お邸」住まいの女性と結婚したと言われており、2人の子を儲けた。この女性が誰かは分かっていないが、彼がマルグリット・ド・ナヴァルとまず間違いなく知り合いであったことを考えると、ここでも何らかのつながりがあったのではないか。1538年、彼は妻子をペストで失ったと言われている。同じ頃、彼はスカリンジェと仲違いし、かつて行った言論のために異端審問官から召喚を受けた。

ノストラダムスの伝記作家たちによれば、アジャンを離れた彼は「南フランスを放浪した」という。オーシュ大聖堂の奉献される2年前の1546年になってようやく、ノストラダムスはサロン・ド・クロー村に居を定め、以降は長きに亘ってこの地に定住したことで栄光を手にした。ここで謎なのは一言で言えば、ノストラダムスはアジャンに13年間住み、その後の8年間については、実際彼がどこに居て何をしていたのか誰も知らないということである。可能性として高いのは、ノストラダムスのような人々のパトロンであり庇護者であった、マルグリット・ド・ナヴァルの下に身を寄せていたのではないかということだ。オーシュ大聖堂に描かれた歴史物語に、ノストラダムスはどのような影響を及ぼしたのだろうか?

スカリジェに関して注意されるのは、「彼が著した」と一般に考えられている年代記の内容が、現在では益々疑われていることだ。もしかすると、彼とノストラダムスとの仲違いの原因は、歴史の観方や考え方に関する食い違いに関係があったのかも知れない。

1550年、マルグリットの亡くなった翌年、追悼詩『イギリスのヒロイックな乙女、アン、マーガレット、ジェーンの3姉妹が、女神のごときナバラ女王マルグリット・ド・ヴァロワの死を悼む100連詩(Annae, Margaritae, Ianae, sororum virginum heroidum Anglarum, in mortem Diuae Margaritae Valesiae, Nauarrorum Reginae, Hecatodistichon)』(そう、長い題名だ!)がイギリスで出版された。これを書いたのは、英国王ヘンリー8世の3番目の妃であるジェーン・シーモア(1505-37)の姪たちである。そう、確かにこの貴婦人方は、互いに連絡を取り合っており、秘密を分かち合っていたに違いない。

かくして、マルグリット・ド・ナヴァルという人物こそ、オーシュ大聖堂の謎の要であることが分かる。彼女が関与していたということは、彼女は秘教に明るく、そしておそらくは、カタリ派十字軍の時代かそれ以前から伝えられてきた秘密にすら通暁していたものと思われる。フルカネリからラブレーを示され、ラブレーからはマルグリットへと導かれた私達は、注意深い探究者を待ち受ける大いなる謎に満ちたオーシュ大聖堂へと辿り着くのだ。

次の写真は『キリストの埋葬』のクローズアップである。この作品はマルグリット・ド・ナヴァルの一族であるマルグリット・ドートリッシュにインスパイアされて作られたと言われるもので、ここに写っているのは、8人の登場人物の内の女性4人である。[図版11参照] 4人の女性たちのかぶっているものに注目されたい。妻の位置に居る女性のそれは、母親であるマリアのそれや、「妻」の右側の女性のものとまるで違う。図版12は故人の栄えある妻の位置に立って、茨の冠を持っている女性のクローズアップである。図版13はアルノー・ド・モル作のステンドグラスに描かれたシビュラで、手には希望/多産を意味する椰子の葉を持っている。注意して見てみると、彼女たちの胸にはいずれも渦巻状のしるしがあるではないか。そしてまた注意すべきことに、キリストの妻は変わったターバンを巻いていて、それはシビュラのとそっくりなのだ。

さて、オーシュ大聖堂の聖歌隊席の彫刻の1つを見てみるとしよう。これは幼子キリストに賢者が贈り物をしている様子を描いたものだ。[図版14参照] 特に注目して欲しいのは、「3人の王たち」の帽子である。一番右の人物はまだかぶっているが、ひざまずいている人物のものは地面にあり、場面中央の人物は、もう片方の手に持っている聖杯にかぶせようとして帽子を持ち上げているように見える。ここでもかぶりものが似ていることに気が付く。こんにちアラブ人が使っているようなターバンである。イエスの「妻」と「3賢者」がどう関係するのだろうか?

読者にはもう2枚の写真を見ていただきたい。と言うのは、これらはこの不思議な大聖堂に飾られた典型的な秘事だからだ。 [図版15および16参照] これらの両方に表現されているのは同じテーマで、何が描かれているのかは簡単明瞭だが、このシンボルを理解するには幾らか解釈を行う必要がある。

さて、この人々は何を語りかけているのだろうか?図版16では、中央の人物の頭に対して何かが行われている。これはまるで、周りの人達が、座っている男の頭から力づくで何かを取り外そうとしているところのようだ。図版15では、男性か女性か分からないが、1人が金床に頭を押さえつけられており、これに対して周りの3人はその頭をハンマーで叩いているではないか!

これは何やら恐ろしい、中世の拷問の様子を表しているのだろうか?

いや、これはイニシエーションを描いたものである。実際、アルノー・ド・モルのステンドグラスの1枚では、中央に描かれたイエスが、先ほどの図版15の彫刻と同じように、頭に何かされているのである。
http://www.laura-knight-jadczyk.com/Auch_Cathedral/auch_cathedral_104.html
この人物はイエスを描いたものだろう。というのも、頭に「茨の冠」をかぶっているのが見えるからだ。

シャーマンとは「エクスタシー技術の会得者」であると宗教史家のミルチャ・エリアーデは述べている。これは神とコンタクトする上で欠かせない資質ないし結果である。そればかりか、神と直接コンタクトする人間には、「見えざるものが見え」なくてはならない。見ることは、人間が自らの知覚の場を拡大する能力であり、やがては万物の外観だけでなくて、その本質を見極めることができるようになる。その目的は、世の中に新たな因果の連鎖を始められるような選択ができるようになることだ。それは「幻覚」あるいはマシンを使って脳の知覚を変化させることとは全く関係がない。いわば、「魂」の問題なのだ。

「シャーマン」という言葉は、ロシア語を通して、トゥングース語の”saman”に由来する。
(※後出『シャーマニズム』上巻41ページ。)
このトゥングース語は中国語の「沙門」(パーリ語の音を写したもの)を通して、パーリ語のサマナ(” samana”、サンスクリット語では” sramana”)に由来する。

シャーマンという言葉は、サーマン(Sarman)に関係があるかも知れない。ジョン・G・ベネットによれば、”Sarmoung”あるいは”Sarman”である:


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どちらのスペルでも発音は同じで、この言葉は古いペルシャ語に当る。これは実際、パフラヴィー語の文献に出て来る。。。

この言葉は3通りの解釈が可能である。まず、これは蜂を指す言葉である。蜂は常に、貴重な伝統的知識という「ハチミツ」を集めて後代のために貯える人々のシンボルであった。

アルメニアおよびシリアのサークルでよく知られた伝説集のタイトルを『蜂』といい、これは13世紀にネストリウス教の修道院長であるマー・サラモン(Mar Salamon)によって修正された。蜂とはゾロアスターの時代から伝えられ、キリストの時代に明らかになった不思議な力のことである。

ペルシャ語で”Man”とは、遺伝によって伝えられる資質であり、故に家族や種族とは区別された。それは家宝や伝統の貯蔵所の役割を果たした。

“sar”という言葉は、頭を意味し、どちらも文字通り、「主たる」あるいは「重要な」ということである。 “sar”と”Man”の組み合わせはかくして、伝統の主な貯蔵所の意味となる。

そしてサーマンのさらに別の意味とは。。。文字通り、自らの頭を浄めた人のことである。(原注428
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原注
428:ジョン・G・ベネット『グルジェフ ─ 新世界の創造』
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自らの頭を浄めた人とは!何と興味深い考えだろう!

シャーマニズムの中心テーマは「天上へと上昇し」ないしは黄泉の国へと「下る」ことである。前者の場合、これを行う者はエクスタシーを体験し、後者の場合、彼は人類の幸福を脅かす悪魔と戦うことになる。ラスコーの洞窟壁画の中に実践された最古の証拠が存在することを示唆する研究が存在する。シャーマンと思しき人物は数多くの鳥や、守護霊と共に描かれ、エクスタシーを体験しているのである(BC25000年頃)。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=41590236&comm_id=2590126
ヨーロッパの旧石器時代の遺跡(BC5万年以前―3万年前頃)から動物の頭蓋骨や骨が見つかることから、これらはシャーマンが活動していた証拠であると解釈されている。

「エクスタシー体験」はシャーマニズムにおける主要な現象であり、このエクスタシーこそ、天上の存在と合体する行為であると見做すことができる。強制振動しながら合体する結果周波数が変わる。
Continued interaction with Celestial beings is a form of.
天上の存在とやり取りを続けることは、「周波数共振(Frequency Resonance Vibration, FRV)」の1形態なのである。


950114
http://takapachi1962.seesaa.net/archives/201210-1.html
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Q: (L)前にあなた方、あなた方が未来の私達であり、私達と合体するためにこちらにやって来るところだと言ってたわね。

A: Yes.

Q: (L)私達の時間で言うと、どのぐらい先の未来の私達なのかしら?

A:あなた方の時間では決められない。。。一体、「未来」とは何だろう?

Q: (L)未来というのは、同時に起きている出来事で、 単に時空における場所が異なっているか、 単に意識の焦点が異なっているかよね?

A: Yes, だとしたら、 どうして、直線的な考え方をここにあてはめるんだ? 私達は今も、あなた方と合体しているんだ!
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人間が天上の存在と直接にコンタクトしていた時期があったという考え方が、黄金時代の多くの神話の元となっている。この様な神話が11−12世紀に聖杯物語としてまとめられたのである。この天国のような時代、天と地の間でのコミュニケーションは誰にでもたやすく利用できたと言われている。神話は、「神が人類の前から去った」時期について語っている。何らかの「事件」すなわち、「落下」の結果、コミュニケーションは打ち切られ、天上の存在は天の最も高いところへと去って行ったのだ。

だが、神話によれば、それでもなお「アセンド(上昇)」して、自分の部族や家族のために、神々と親しく語ることの出来た人々が居たとされる。彼らを通じて、部族と「指導霊」とのコンタクトは保たれた。こんにちのシャーマンの信仰や実践はこの、廃れてしまった、天と地の間で実際に行われたコミュニケーションの技術が大いに変更され、改ざん・堕落すらさせられた残部が今に伝わったものである。

シャーマンの持つ他の人間には経験不可能なエクスタシー状態に達する能力は、苦痛によって感情中枢を溶断することにより得られるもので、一般的に(十字架の喩えを見よ)、特権的なものとみなされている。そればかりか、神話によれば最初期のシャーマンたちは、人類を支配する「悪い神々」から人間を守るために、天上の存在によって地上に遣わされたというのだ。最初期のシャーマンたちの仕事は、自分達の身体の中にある、一種の「送受信機」を活性化させて、部族のために宇宙エネルギーを役立てることだった。これを表現したのが「世界木」の概念であり、これが世界の「軸」あるいは極になり、後代には「王家の血筋」となったのである。

このような機能と、ある「血筋」との間に具体的な関係があるというのはどうやら本当らしい。人類を助けるために与えられた他の全てのものと同様に、この概念も人類を闇と無知の状態に保とうとする勢力に取り込まれてしまった。最初期のシャーマンたちの本物の古い血筋は、ヘブライ人の旧約聖書で述べられている、でっち上げの系図によって覆い隠されてしまい、最近大いに注目されている偽の「王位」を確立しようとした、現在のヨーロッパ王家/貴族の特定の支流につながるとされているのである。私はこのような「世界の秘められた歴史」というテーマに関心があるのだ。

既に見たように、「落下」の前には、人間は誰でも、ケルト伝説の「井戸の乙女」を通じて、上位密度との会話にアクセスできたのだ。

「落下」後にもどうやら、「人間を贖う」ために「命を捧げた」上位密度の存在たちが転生して来ることによって、遺伝子のある特定のバリエーションが体細胞に導入されたようである。つまり、彼らは強制振動によって、人間の体細胞とDNAを変えたのだ。これはミトコンドリアDNAの役割からして、女性の転生によって行われたものであろう。だが、あまり先を急がず、これはまたの機会に取っておこう。

とは言え、このDNAがあるため、こんにち地上には、その再配置の条件により、この血筋/シャーマン的能力を持つ人々が多く存在しているようなのだ。だが、「収斂した」血統に属する人々はごく少ないらしい。

スーフィーは「エクスタシー技術の会得者」の概念を、「世の柱」という伝統の中に生かし続けている。クトゥブ(その時代の柱)とは、選ばれた存在であり、その性質は全く霊的であって、ある期間、イスラム圏で神の代理を務める人のことである。クトゥブの下には4人のアウタッズ(支援者)と多くのアブダルス(交替要員)が居り、彼らはクトゥブが行う世界の維持作業を支援する。この思想の面白いのは、クトゥブの位置を占める人はそのことに気付きすらしないということだ!彼の生命、存在さらには生理機能までもが、人間の領域へと押し出された高次のリアリティなのである。このような人として選ばれるには、「血脈」が大いに関係している、というのは最近宣伝されている通りだが、言われている内容のようでは必ずしもない。

現代において、このような「血脈」を持つ人々は目覚めているようである。眠っているようではもはや「世の柱」には不適である。というのも、目覚めたシャーマンには、真剣に選択し行動すべきいくつかの問題が課せられるからだ。まず手をつけるべき課題は、目覚めて、極性の力を蓄えることのようである。

シャーマンとは生まれつくものであり、かつ、作られるものである。つまり、彼らはシャーマンとなるべく生まれてくるが、なるかどうかは自らの選択なのだ。そして、私が判断しうる限りでは、この選択は意識的な、第3密度のリニアな経験とは違ったレベルでなされるものであろう。高次のレベルにおいてこの選択をしておきながら、普通の生活を手放せないという理由から、このレベルでの選択を否定するならば、実際、非常に高い代価を払うことになろう。

シャーマンは「宗教的危機」の状況におかれているが故に、目立つものである。彼らは宗教的経験の激しさのせいで、他の人々と異なるのだ。古代においては、部族の魂を守るため、「魂の専門家」であることがシャーマン・エリートの務めだったが、それというのも、彼だけには見えざるものが見え、集合的魂の形と密度が分かっているからだ。しかし、自分の能力を獲得する前は、彼は往々にして普通の市民であり、シャーマンの子孫であったとしても(この能力は遺伝するものの、必ずしも全世代にではないと一般に言われることを考えると、)表だった召命はなかった。

しかし人生のある時点で、シャーマンは彼を他の人間と分かつような経験をする。ネイティブ・アメリカンの「ビジョン・クエスト」
http://www.eleutheria.com/shamanism/visionquest.html
は、神々に「召命された」シャーマンが授けられる、自然によるイニシエーションに関する古代の理解が今に残ったものである。

本件に関する深い研究の結果明らかになったのだが、ビジョン・クエストによる魔法的・宗教的パワーを求める人々は、それが、本人自らの探索好きの性分と人類に対する責任感によって、自然発生的に召命を感じたのでなければ、一般的に悪いシャーマンすなわち魔術師になる;彼らは体系的な研究を行うことで自分達の有利になるよう恣にパワーを獲得するのだ。

真のシャーマンのイニシエーションは、夢やエクスタシーによるトランス状態と、広範囲に及ぶ研究およびハードワーク ― 意図的に苦痛を味わう ― とが組み合わされることでもたらされる。シャーマンは一定のイニシエーション的試練を修了することを期待されているだけでなく、彼/彼女が直面することになる、経験や挑戦を十分に評価できるように、深く教育されねばならない。あいにく現在では、シャーマンと同じ道を辿り、この際に付き物の「悪魔と戦う」スキルを磨き、目覚めたシャーマンの学ぶコースを教え指導することができる人々は極くわずかである。私自身は、30年に及ぶ研究、20年のヒプノセラピストおよびエクソシストとしてのワーク、そして、年来のカシオペン実験による「宇宙への呼び掛け」を経験してきたが、これは、こんにち、この過程がどのようなものとして現れているかを示す一例となろう。

未来のシャーマンは、子供の頃から、ある異常な習性を示すものと伝統的に考えられてきた。彼はしばしば非常に神経質で、いろいろと病気がちですらある。(いくつかの文化においては、癲癇がシャーマンの「しるし」だと考えられているが、これはエクスタシー状態に関する近代以降の誤解である。)シャーマンは子供の頃、しばしば病的なほど神経過敏で、心臓が弱く、消化不良で、目まいに襲われがちであると言われてきた。このような症状を初期の精神病であると考える人々が居るが、広汎な研究が行われた結果、いわゆる幻覚やビジョンというものは、様々な文化において、代々、特定のモデルに従った諸要素から成っていて、驚くほど豊かな理論的内容から構成されていることが分かったのである。「気が狂った」人とは、遺伝の仕方に不備があったか、あるいは環境的要因のいずれかのせいで、「シャーマンになりそこねた」と言えるかも知れない。加えて、成功者よりも遥かに多くのシャーマンになりそこねた英雄の伝説があるということは、どういうことが起こり得るかについての警告がちゃんと用意されていたことを意味する。ミルチア・エリアーデは述べている:


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精神的に故障のある患者は、なりそこないの神秘家、もしくは、よく言って神秘家の戯画たるを証するにすぎぬ。それはその経験が宗教的内容を持っていないからだ。たとえそれがある種の宗教的経験に似ているように見えたとしても、ちょうど自家発情の行為がいわゆる性行為と同じ肉体的結果(精液射出)には到達するが、具体的な相手がいないのであるから、性行為の1つの戯画に過ぎないようなものである。
(『シャーマニズム』堀訳上巻69ページ)
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何ともこれは面白い喩えではないか!これはまた、ウィッシュフル・シンキング(希望的観測)というSTSの枠組みの中で、シャーマン遺伝子を活性化させようとする者は、上に述べられたような行為を「実体のない」相手と行うようなもので、同様の結果に終わることも示唆する。つまり、魔術とはマスターベーションのようなものなのだ:これを行う者は自己満足を得るだけで、誰にとっても無益なのである。同様の理由で、知識の無いまま営みを行うシャーマンとは、「ゆで卵は1日おいてから作れ」という諺の通り、皆を興奮させておきながら、お粗末な結果に終わるのである!どちらの場合にも、このような人は自己満足を得るだけで、後者の場合には、他の人を使って満足を得るのだからさらにひどいと言えよう。

まあ、そんな面白い下ネタはさておき、(これらは心憎いばかりに核心を突いているが)シャーマンに関して重要なのは、彼/彼女が単なる病人ではなく、癒された、あるいは少なくとも霊的には、自分自身を癒すのに成功した病人だということだ!シャーマン的なパワーを「自己への奉仕(STS)」のために使ってしまう可能性もあるので、「見えざるものを見」ようとするには最新の注意が求められる。

多くの場合、シャーマンに「選ばれたこと」は、かなり重い病気に罹ることで明らかになる。これを治すには「天上にアセンドする」他ない。イニシエーションとしてのエクスタシー的ビジョンを見ることで、シャーマンは快方に向かうのだ!神々のお召しに答えた後、シャーマンは正常な神経組織以上のものを持っている証拠を示す。彼らは俗人の能力を超えた精神集中度を達成し、疲労困憊するような努力に耐え、最も重要なのは、彼らが普通の人なら恐れをなして逃げ出すような体験をものともせず、「冷静さを保って」いられるということだ。

もう1つ強調すべき点は、シャーマンは、エクスタシーの状態にいるときでさえ、自分自身を十分コントロールできなくてはならない、ということである!(何が明らかにされたのか、事後に何も覚えていないトランス・チャネリングはシャーマンの行いとは言えない!)「この世とあの世に同時に入って行く」能力は、すぐれた神経組織を証明している。一般に、シベリアのシャーマンは精神分裂の兆候を何ら示さない。その記憶力、自己制御力はあきらかに一般の水準を越えるものがある。

カスタネダのドン・ファンは、この状態を「一点の非の打ち所のない完璧さ」と呼ぶ。この考え方はまた、古来のシステムを保つヤクート人にも反映されていて、「ヤクート人にとって完全なシャーマンとは、まじめで機転がきき、近隣の人びとをじゅうぶん納得させる力がなければならない。そのうえ、彼は出しゃばりでも威張っても、気むずかしくてもいけない」。真のシャーマンが発する内なる力は意識的なものであるが、決して攻撃的であってはいけない。そして同時に注意すべきなのは、真のシャーマンは、エントロピー勢の支配下にある人々から非常にネガティブな反応を引き出すだろうということである。確かに私は嫌という程何度もこれを体験してきた。

虚弱さ、神経障害、病的危機感等々が「選ばれた証」であるという話に戻ると、また注意すべきなのは、ときとして事故、すなわち、転落や隕石の頭上への落下、雷に撃たれることが、シャーマンとして選ばれたことの状況的な証拠だということである。だが、「召される」のは、「選ばれる」、あるいはより正確には選出というのと同じではない。「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない」のである。(※マタイによる福音書 / 22章 14節)

この選出というプロセスは、奮闘と苦痛のプロセスである。というのも、つまるところ、エゴを殺さなくてはならないからだ。

シャーマンへの道を進む者が罹る病変とは、どうやらイニシエーションを授かる「状態」に達する手段の一部であるようだ。しかし同時に、これらは往々にして、イニシエーションの手段そのものである。これらが及ぼす生理的影響は、通常の人間を聖なる技術の会得者に変容させることになる。

(だがもし、このような経験に続いて、理論的かつ実践的な指導を受ける期間を経ない場合、このシャーマンは、シャーマン的機能を更なる人類奴隷化に利用しようとする勢力のための道具となるであろうことについては、既に述べた通りである。)

さて、シャーマンを変容させる体験は、受難、死、そして復活という、よく知られた宗教的要素から構成されている。このような要素の最初の表現として、イシュタル/イナンナが彼女の息子にして恋人であるタンムーズを救うため冥界に下るシュメールの物語を挙げることができる。イナンナは「冥界の七つの門」をくぐるごとに1つずつ宝石や衣装を奪われた。というのも、冥界に入るには裸でなければならなかったからである。彼女が冥界に居る間、大地とその住人達は生命力を失うという苦難に見舞われた。彼女がミッションを成し遂げると、肥沃さは回復した。

この物語の最も良く知られたヴァリエーションは、デメテールの娘であるペルセポネ/コレーの神話であり、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=34749273&comm_id=2590126
彼女は冥界の王ハデス/プルートによってさらわれるのである。

シャーマンのビジョンが表しているのは、身体を切断されて地獄に堕ち、肉を骨からはがれ、大釜で煮られてから、神ないし女神によって組み立て直される様子である。これはまた、イエスの神話 ― 受難、死、復活 ― を含む神話や伝説に十分に描かれている。つまり、十字架 ― キリストの埋葬 ― とは、シャーマン的な変容の象徴なのである:


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ヤクート・シャーマンの1人ソフロン・ザテイエフは、未来のシャーマンは原則として飲まず食わずで3日間ユルトのなかで「死に」、そして横たわる(と述べる)。。。
ピョートル・イワノフはもっと詳しい報告をしている。それによると、候補者の手足は鉄の自在鉤で取りはずされ、関節をばらばらにされる。骨はきれいにされ、肉はこすりとられ、体液は捨て去られる。そして眼球は眼窩から引き出される。この手術の後ですべての骨が集められ、鉄で結びつけられるという。3人目のシャーマン、ティモフェイ・ロマノフによると、この解体儀式は3日から7日ほど続き、この間中ずっと候補者は死者のように、ほとんど息をせず、孤独な場所にじっとしている。(原注429
(同上、92ページ。)
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429 Eliade, 1964, op. cit.


別のヤクート人の報告によると、邪霊が未来のシャーマンの魂を地下界に連れ去り、そこで1つの家に3年間幽閉する(1年間だけのは下級シャーマンになる)。ここでシャーマンはそのイニシエーションを受ける。邪霊は彼の頭を斬りとり、傍に置き(候補者は自分の眼で自身の解体されるのを見守らねばならぬから)、そして彼を小さな片々に切る。これら切片は後に色々な病気の精霊に分配される。こうした苦行をうけることによってのみ、未来のシャーマンは病気治療の能力を獲得するのである。それから彼の骨は新しい肉で覆われ、ある例では新しい血液も与えられるという。

他の報告によると、「悪魔」はシャーマン候補者の魂を、彼が悪魔の持つ知恵をすべて習得してしまうまでとどめておく。この期間中、候補者は病気にかかって横たわっている。世界木の枝の中で「シャーマンを孵化する」巨鳥というモチーフもまた繰り返し現れるが、これは
爬虫類人の伝統とは対立する「鳥の血筋」であることをさりげなく述べたものである。以下の引用は実地調査によって得られた説明からのものであるが、読んでみると今や純粋なシンボリズムの域に達していることに気付くだろう:


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(同上、98ページ〜)
シャーマン候補者は。。。鞴(ふいご)を動かしている裸の男の所にやって来る。火の上には「大地の半分ほどの大きさの」大きな釜がある。裸の男は彼を見、彼を大きなやっとこでつかまえる。「死ぬんだな!」と考えるだけの時間はあった。男は彼の頭を切り落とし、その身体を小片に切りわけ、それ全部を大きな釜のなかに入れる。ここで彼は3年間煮られる。そこには3つの鉄床があるのだが、裸の男はシャーマン候補者の頭を3番目の鉄床の上で鍛え上げる。これは秀でたシャーマンが鍛えられる鉄床である。。。ついで鍛冶屋はシャーマン候補者の川にただよっている骨を釣り上げ、それらをひとまとめにして再び肉で覆う。。。彼はシャーマン候補者の頭を鍛え、その内にある文字の読み方を教える。また両眼をとりかえる。これは彼がトランスに入るとき、肉眼でものを見るのではなく、神通眼でものを見るからである。さらに男は候補者の耳を穿ち、植物の言葉を解することができるようにする。

(100ページ〜)
。。。トゥングースのシャーマン、イヴァン・チョルコの述べるところによれば、未来のシャーマンは病気に罹り、その身体を片々に切られ、血は邪霊に飲まれる、という。この邪霊(は、)彼の頭を大きな釜のなかに入れ、そこで後に彼の儀礼的な衣裳の部分となるであろうある種の金属片とともに溶かす。別の。。。シャーマンは。。。1年間病気に罹っていた。。。この間。。。彼の祖巫がやって来て。。。彼が意識を失ってしまうまで矢で突き刺し、大地に倒してしまった。祖巫たちは彼の肉を切りとり、骨をひき離し。。。た。。。この手術の間、飲まず食わずでひと夏全部を過ごしたことになる。

(102ページ〜)
1人のテレウートの婦人は、ある幻想を持つようになって女巫となった。その幻想のなかで、見知らぬ男たちが彼女の身体を小片に切り、壺のなかで煮た、という。アルタイのシャーマンの伝承によると、祖先の精霊が彼らの肉を食い、血をすすり、その腹を開く、などとある。

(112ページ〜)
さてまた、南米では、オーストラリアやシベリアにおけるように、自然的な召命と、イニシエーションの自発的な探究とはいずれも、神秘的な罹病とか、身体の解体とその器官の入れ換えによって示唆されるような、多少とも神秘的な死の象徴的儀礼が含まれている。

(117ページ〜)
老シャーマンたちは彼の頭を切り開き、脳髄をとり出し、洗い、復活させ、彼に邪霊の秘儀と病気の錯雑した事態とを見通す明晰な心を与える。老シャーマンたちは、魂がどこを彷徨していようと。それを見出すに足る強く鋭い眼力を与えるため、候補者の眼のなかに金砂を入れる。老シャーマンたちは彼の指の先にとげのある鉤をうえつけ、彼が魂をとらえ、しっかりつかみ得るようにする。最後に彼らは彼の心臓を矢で貫き、病人と苦悩する人に温かい心と充分の同情心を抱かしめるようにする。

(118ページ)
もし器官の更新について主張される理由 ― よりよい視力を与えるとか、情深い心を与えるといった ― が正しいと信じられているとすれば、それは原初的な意味がすでに忘れられたことを示しているのである。

(121ページ)
かくて師匠は弟子のために。。。「点火」とか「悟り」。。。をとる。。。というのは(これ)が、シャーマンが突如としてその身内に、頭のなかに、胸のうちに名状し難い探照灯、輝く火のようなものを感じる神秘的光明から成っているからであり(この光は彼をして暗闇でも物を見ることを可能ならしめる)、また、文字通りに言っても、比喩的に言っても、彼は今や眼を閉じていても物を見、他人には見えぬ未来の出来事を見通すことができるからである。。。候補者はこの神秘的な光を、長時間小屋のベンチに坐り。。。待望した後に獲得する。彼がその光を初めて体験するとき、「あたかも彼のいる家が突如として聳え立つが如くおぼえ、はるか前方に、山を越えてまさしく大地が1枚の大平原であるかのように見ることができ、彼の眼は大地の果てまで達する。もはや何事も彼には隠されるものがない。彼は遠く隔たった彼方の事物を見ることができるだけではなく、また魂、盗まれた魂が、どんな遠い所に隠されていようと、異国にあろうと、死の王国に連れ去られていようと、それを見つけ出すことができる」。

(122ページ)
このイグルリク人のシャーマンの職能を決定する内面の光の体験が、多くの高度の神秘主義思想に近いものであることを観察しておこう。。。例えばウパニシャッドでは、この「内面の光」はアートマンの本質を決定するものである。ヨーガの技術、特にその仏教諸派では、種々の色の光明は特殊の瞑想が成就したことを示す。同様にチベットの『死者の書』はそのなかで、死んでゆく者の霊が死の激痛の間と死の直後に経験するらしい光に非常な重要性を与えている。人の死後の運命(解脱自由か再生輪廻)は彼がその清浄な光を選ぶ不動心にかかっている。

(123ページ〜)
シャーマンは肉と血とを肉体から取り除いて、骨以外何物も残らぬ観念を抱き得る。。。これら全ての例では、骸骨への還元は俗的人間の状態を超えること、それからの解脱を意味しているのである。。。。骨は。。。まさに生命の源泉の象徴である。自己を骸骨の状態にまで還元することは、太初の生命の胎内に再び入ること、すなわち完全な更新、神秘的再生と等しいのだ。。。われわれはどこにでも、俗的、個人的状態を超越しようとする意志、仮そめなる、無常なるものを越えた展望に到達しようとする意志を見出すのである。

(128ページ)
最後に、火や料理や解体による更新の神話がシャーマニズムの精神的な面以外においてさえ、人々につきまとい続けてきていることに注意しておこう。。。解体と煮ることによる蘇生の神話はシベリア、中央アジアおよびヨーロッパの民間伝承においては、イエス・キリストや聖者たちによって演じられた役割が鍛冶屋に伝えられているのである。(原注430
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原注
430:同書。
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読者も今や、新参者の頭に対して、金床の上に頭を置いてハンマーで叩く等の作業が行われている奇妙な像の意味が分かったことと思う。これは間違いなく、シャーマンのイニシエーション、エクスタシーの技術による、錬金術的変性を描いたものに違いない。そして今やフルカネリが何を言わんとしていたかもよく分かるのである:


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私が小さな子供だった頃の最も強い印象 − 私はそのとき7歳だったが − 今でも鮮明に憶えている印象があって、それは大聖堂のゴシック建築を見た時、幼心に抱いた感動だった。私はすぐに陶然となってしまった。私は感嘆して恍惚(エクスタシー)としてしまい、その威容の魅力から、この人間というよりは神技によって表現された、かくも見事、かくも壮大で、かくもうっとりさせられる魔術の前から立ち去ることができなかった。
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死と復活という、このような考え方は錬金術の文献の中に、様々な「化学的変性」のプロセスとしてうまく表現されている。既に引用したものだが:


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伝統が採用するヘルメス主義の原則を尊重するために、エソテリックな教えは予言のかたちでもたらされることを理解しなくてはならない。

シリア人の聖イサクはこう指摘している:聖書の言葉は多くの事を、元々の意味とは違った意味の言葉で伝える。時として肉体の特質が魂に適用され、反対に、魂の特質が肉体に適用されている。聖書の言葉はここに何ら区別を設けないのだ。しかし、悟りに達した人間には分かる。
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これまた今や良く理解できるのが、小さな炎で囲まれた、古代の髑髏印(スカル&クロスボーン)の像である。図版17がそれで、オーシュ大聖堂でも目立つ場所に飾られているのだ。

数年前、私は『レンヌ・ル・シャトーの謎 ― イエスの血脈と聖杯伝説 ―』(リンカーン他、柏書房)の中で、イエスには妻が居て、それはマグダラのマリアである、という説が宣伝されているのを読んだ。すぐさま私は、フランスのマルセイユに住んでいる友達に、この「有名」と言われる伝説について情報を求めたものである。それで知ったのだが、確かにマグダラのマリアは他の人びとに付き添われてフランスにやって来たと言われているというのだ。彼女は聖マキシマンと親密な関係だとされていたが、『レンヌ・ル・シャトーの謎 ― イエスの血脈と聖杯伝説 ―』およびそれに続く数々の書籍がこの説を唱えるまでは、彼女がイエスの妻だったとは決して考えられていなかったという。

明らかに1548年か、それ以前には、オ−シュ大聖堂の像に描かれているように、イエスに妻が居ることが知られていたのである。だが、それは明らかにマグダラのマリアではなかった。私達としては、「妻」が描かれている意味合いが、文字通り本当に肉体的結婚の状態を示すものではなく、プロセスを表しているのでないとは確信できない。

そこで問題は、イエスの妻とは誰であり、この像に描かれているのは「物理体を持った」妻を意味しているのか、それともイニシエーションのプロセスを描いたものなのか?ということだ。

この問いに対しては続巻(※今月、世界秘史第2巻『彗星およびモーセの角』が英語Kindle版で発表されました)
http://www.amazon.com/Comets-Horns-Secret-History-ebook/dp/B00B1RF91Q/
のテーマとしたいが、差し当たり、読者にはもっと手掛かりをシェアしておこう。

さてこれからお話しするのは、マルグリット・ド・ナヴァルとレオナルド・ダ・ヴィンチとの興味深いつながりについてである。1519年に亡くなったレオナルド・ダ・ヴィンチは、マルグリットおよび彼女の実弟であるフランソワ王の食客だった。当時のヴェネティア大使がマルグリットに賛辞を送っている。彼女は「外交技術の秘密の全てを知っており」、それゆえ、敬意と用心をもって接すべき人物だというのだ。ここに決定的な手掛かりがある。フルカネリは繰り返し、隠語(グリーン・ランゲージ)が「外交官の言語」であることに言及していたのだから。

1508年には、レオナルドのキャリアは幕を閉じようとしていたが、それは彼の死のまだ10年前だった。この時期の絵で現存しているものはたった2枚しかない。ルーヴルにある『聖アンナと聖母子』そして『洗礼者ヨハネ』である。

レオナルドはフランスによって占領されたミラノをしばらくの間本拠とした。1512年、ユリウス2世による対フランス神聖同盟軍(スイス、スペイン、ヴェネチア)がフランス軍をミラノから追い出した。これはフランス史にとっては些細な問題だったが、レオナルドにとっては一大事だった。彼は60歳になっていたし、フランスによって理解と慈悲をもって遇されていたのである。気が付けば、彼はパトロンも無ければ収入も無く、殆ど無一文となっていた。彼の名声は衰え、ミラノの新支配者があからさまに彼に敵対した訳ではなかったものの、確かに彼には何の栄誉も安逸も与えられなかった。

1513年2月、教皇ユリウス2世が死に、
「実に役に立ったものだ、このキリストの神話は」
と言ったことで有名なメディチ家出身のレオ10世が後を継いだ。メディチ家はそれまでレオナルドに対して全く贔屓をしてこなかったが、どうやらレオナルドは彼らの情けにすがることに決めたようである。というのは何と言っても彼らは、芸術のパトロンだったからだ。

1513年9月、老齢のレオナルドはローマに出向いた。教皇レオ10世が、レオナルドからのちょっとした仕事 ― テーマは不明 ― の申し出を受け入れたのだった。だが、結果は悲惨だった。レオナルドがプロジェクトの手始めに特別な保存用ワニスの調合を始めたところ、これを見た教皇レオは、「なんたることだ。この男はなにひとつ完成させはしないだろう!なにしろ描き始めもしないうちから最後の手順について思案しているのだから!」と嘆息した。(チャールズ・ニコル著『レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯』越川他訳626ページ)
この頃のレオナルドの手記にはこう記されている:「出来ないことを願ってはならぬ」(後出、杉浦訳71ページ)
そして、「これまでに成し遂げられた事があるなら教えて欲しいものだ」。。。

果たしてレオナルドは病気になった。彼の病名は不明だが、他の手掛かりから、軽い発作のせいで右半身に影響が出たのである。(幸いにも彼は左利きだった。)レオナルドの自画像は、どうやらこの頃描かれたようである。彼の最後の作品はローマで仕上げられた。コミッションのためではなく、何らかの内なる衝動によって描かれたものである点が注目される。これがルーヴルにある『洗礼者ヨハネ』である。

ローマでは病床にあって忘れられていたものの、フランスはレオナルドを忘れていなかった。マルグリット・ド・ナヴァルの弟であるフランソワ1世は、フランスのアンボワーズ城に近いクルーの館をレオナルドに提供したばかりか、彼が必要とする資金は欲しいだけ、行いたいプロジェクトも思い通りに行いたいだけ与えたのだった。フランソワ王はレオナルドと弟子たちが喜ぶようにしたかったのである。

レオナルドはフランスに向けて出発したが、その際持って行ったのは、彼の手記と図面、そして最後の2作品である『洗礼者ヨハネ』と『聖アンナと聖母子』、それと、『あるフィレンツェの女性』と書かれた肖像画だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%82%B6

レオナルドがアンボワーズ城に到着すると、彼は「国王付きの首席画家、兼設計者、兼建築家」の肩書を与えられたが、これは彼に何かをするよう期待してではなく、彼の業績に対してだった。レオナルドに会うため、いつもフランソワの方が出向いたが、元気な22歳の王であってみれば、年老いた芸術家を訪ねる方が、その逆よりも楽だったのだ。

レオナルドはフランソワに相当な感銘を与えたものに違いない。と言うのも、24年後、当時これまたフランス王に仕えていた芸術家のベンヴェヌート・チェッリーニがこう記しているからだ:


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(越川他訳652ページ)
フランソワ王はレオナルドの優れた資質にぞっこんほれ込んだ。王はレオナルドが話すのを聞くのが大好きだったため、1年のうちで彼を側から放さない日はほんの数日しかないという有り様だった。。。王はいわれた。レオナルドほどに多くを知っている者がいまだかつてこの世に存在したとは信じることができない。彫刻や絵画や建築についての知識だけでなく、彼は真に偉大な哲学者であった、と。
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レオナルドがアンボワーズ城に居る間の1517年、マルティン・ルターが『95ヶ条の論題』をヴィッテンベルクの教会の扉に打ちつけた。彼のフランスでの活動は殆ど不明である。彼は1519年5月2日に亡くなった。

レオナルドの伝記作家であるヴァザーリは、レオナルドの信仰(あるいはその欠如)をオブラートに包んだ表現ながら批判するかのように、1550年の『美術家列伝』初版にこう書いた。
(越川他訳647ページ)
「レオナルドはかなり異端的な精神の持ち主だった。彼はいかなる宗教にも満足できず、あらゆる点において自らをキリスト教徒である以上に哲学者であると考えていた」
1568年の第2版で彼はこの部分を削除し、代わりにこう書いている。
(同上670ページ)
「彼はカトリックの信仰の、この神聖にして善き宗教の教えを学びたいと熱望した。そうして激しくわが身を嘆き、告悔と悔悛を行ない。。。秘蹟を受けた」

レオナルド自身はキリスト教式の葬式についてこう書いている:
(後出杉浦訳上巻156ページ)
「お人好しの民衆は、全く視力を失ったあらゆる人々の旅路を照らすためにたくさんの灯をさげ歩くであろう。おお人間の愚劣さ、おお底抜けの狂気沙汰!」

しかし、どうやらレオナルドは無神論者でもなかったようだ。彼の手記の中には十分なくらい創造主の名前が出て来るのであり、これは彼が神の力について非凡な考えを抱いていたことを示している。確かに、はっきりと言葉で表したいと思っていたのなら、十分できた筈だ。だが彼は説明しなかった − おそらくは彼の芸術は別なのだが。亡くなる前に彼は書いている:


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(杉浦訳上巻54ページ)
さあ、故郷にかえろうとする、もしくは原始の混沌にもどろうとする希望と憧憬とに注意したまえ。ひとは灯りに慕いよる蛾にも似て、絶えざるあこがれを抱きつつ常によろこびをもって新しい春、新しい夏、新しい月、新しい年を待っている。そしてそのあこがれの対象が来るのを余りにもおそすぎるとおもっている。自分の破滅にあこがれるとは悟らないのである。

しかし、このあこがれこそ、人体付属の霊魂としてとじこめられながらも、つねに自分の受領地に帰ることを希っている諸元素の精粋たるあの第5原質(※)の中に存するものである。それでわたしは君に知ってもらいたい。このあこがれは自然の伴侶たるあの第5原質の中に存することと、人間は世界の模型であることを。
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(※プラトンの著書では、第五原質はアイテールすなわち空気とみなされていて、レオナルドが宇宙の成立について論じたプラトンの『ティマイオス』を典拠にしていることは明白である。《聖ヒエロニムス》では、痩せ窪んだ聖ヒエロニムスの体や容貌が、まるで自然の岩のようであり、精神がそれに似た自然と対比されているように思われる。)
repository.osakafu-u.ac.jp/dspace/bitstream/.../2009200675.pdf


歳をとるに従って、レオナルドの人類に対する暗い観方および彼の全般的なペジミズムは嵩じていった。彼はスカトロなフレーズを多く散りばめながら、怒りを爆発させることがあったと伝えられるが、これで思い出されのがジョナサン・スウィフトが書いた人間に対する酷評である:
「人間とは、その中を食べ物が通過し、糞尿を生み出し、便所を一杯にする以外の何者でもないと言えよう。というのは、彼らから世界に対して何か新しいものが現れる事は無いからだ。美徳というものも彼らには無い。彼らが残すものと言えば満タンの便所だけだからだ」

フランソワ1世は、レオナルドを大層リスペクトしていたので、レオナルドに対しては何も求めなかった。フランソワ王は可能な限り足繁くやって来てはこの巨匠に話したがった。フランスという「異国の地」で、レオナルドは『大洪水』という黙示的なシリーズものの絵を描き、最後の警笛を吹き鳴らした。これは、ある日地球上に水が溢れ、人間の世界が終ることを予言したものである。

伝統的な美術スタイルを捨てた、ほとんど抽象画ともいえるこれらの絵は、明らかに彼の生々しい想像力を働かせたものだ。壊滅的な情景描写に、彼が持てる科学知識を適用した結果、この絵は、自然に立ち向かうとき、人間の持つ手段など取るに足らないことを示している。


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(杉浦訳上巻279ページ)
「ああ。。。暗い空じゅうに何という物凄い響きが聞こえて来たことだろう」
と彼はこれらの絵のコメントに記している。
「ああ何という夥しい慟哭」
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彼の描く大洪水は恐ろしいものだった:


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(杉浦訳上巻278ページ)
暗い雲におおわれた大気はいろいろな風の行き来によって激しく揉まれ、雹まじりの間断なき雨に包まれたのが見られた。あたりには風の猛威によって根こそぎにされ、葉をむしりとられた老木がみられた。
(杉浦訳上巻275ページ)
また2,3の山の山崩れは谷底に落ち込んで、すでに堤が破れて、巨大な波を立てて狂奔する増水した河川の堤となる。
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このレオナルドによる世界に対する最後の審判は、人類に対する彼の最後のメッセージだった。 [図版18・19参照] 奇妙なことにこれは、オーシュ大聖堂のメッセージでもあり、フルカネリ、カルデック、ノストラダムス等々のメッセージでもあるのだ。そして奇妙にも彼らは皆、マルグリット・ド・ナヴァルとのつながりによって結び付いているのである。

思い出されたい。オーシュ大聖堂のキリストの埋葬の場面についてインスパイアしたマルグリット・ドートリッシュの嫁いだ家こそが「聖骸布」を所蔵していたのだった。マルグリットの夫であるサヴォイア公フィリベルトは、この大聖堂の建立を依頼した司教の1人、フランソワ・ド・サヴォワのいとこの1人であり、マルグリット・ドートリッシュの又従姉妹だったマルグリット・ド・ナヴァルは、オーシュ大聖堂と深い関わりがあったのである。

思い出されたい。マルグリット・ド・ナヴァルとフルカネリは、フランソワ・ラブレーを通じて結び付くのであった。ラブレーの『ガルガンチュワとパンタグリュエル 第三之書』(1546)はマルグリット・ド・ナヴァルに捧げられていたのだ。

レオナルドの死後、マルグリットは教会改革運動に関与するようになり、当時の改革指導者たちと会ったり手紙のやり取りを始めた。1527年、マルグリットはナバラ王アンリ・ダルブレと結婚した。アンリ・ダルブレは有名なカタリ派一家の子孫であるカトリーヌ・ド・フォワの息子だった。

これまた思い出されたいのは、マルグリットの知己で文通相手としてはもう1人、ジュール・セザール・スカリジェが居たが、彼はノストラダムスを知っていて仲が良かったこと、そして既に述べたように、このノストラダムスはカタリ派で知られるフォア地方のアレ・レ・バンの生まれであること、さらにノストラダムスもまたラブレーと共に、スカリジェに学んだということである。

思い出されたい:マルグリットが自作の詩篇『罪深き魂の鏡(Miroir de l’ame pecheresse)』の出版を許したのが1531年頃のことだった。マルグリットは『鏡』を侍女の1人だったアン・ブーリンに与えたが、これを後に英語に訳したのが、アンの12歳になる娘、後のエリザベス1世だった。同じく思い出されたいのが、マルグリット・ド・ナヴァルに仕える前、アン・ブーリンはマルグリット・ドートリッシュの侍女をしていたことである。

私見では、これらのつながりはとても無視できるものではなく、「偶然」で済ませられるものではない。従って、本書で提示してきた大まかな事実関係の中でこそ、本当の「ダ・ヴィンチ・コード」が理解可能だと思うのだ。

レオナルドは遺言で、彼の手記や手稿類を秘書的存在だった友人のフランチェスコ・メルツィに遺した。メルツィはそれらをミラノ近くの家に持ち帰り、「まるでそれらが聖遺物であるかのように」保管した。メルツィが亡くなるまでは、それらは安全に保護されていた。メルツィは死に際して、それらを法律家である息子に遺した。彼も同じように畏敬の念を持ってそれらを扱うものと信じていたのだ。どうやらそうではなかった。散逸のプロセスが始まり、手稿や綴じられていない画用紙は売られ、盗まれ、寄贈されて、地球の半分以上に散逸した。後の時代に、模写だけでも集めておこうという試みがなされたが、どれほどのものが失われてしまったかは誰にも分からなかった。19世紀末、イギリス王室が所蔵していた大量の書類がどういう訳か消えている。これらは毀滅したのではない、隠されたものと思われる。なぜなのか?もちろん不思議でならない。

いずれにせよ既に述べたように、彼の手記はいくつかにまとめられており、現存する手稿の詳しい研究によって、彼が作品の中で何を「語り」たかったかについて、多くの手掛かりが与えられた。例えば:


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(杉浦訳上巻211ページ)
画家の心は鏡に似ることをねがわねばならぬ。鏡はつねに自分が対象としてもつものの色に変り、自分の前におかれるものそのままの映像によって自己を満たすものである。従って、画家よ、君は自分の芸術をもって自然の産み出すあらゆる種類の形態を模造する万能な先生にならぬかぎりは、立派な画家たりえぬと知らねばならぬ。しかるに君はそれを見てこれを頭に写しておかぬかぎり、これをなしがたいにちがいない。

(杉浦訳上巻220ページ)
われわれは自分の作品より他人の作品にあるあやまちの方を識(し)りやすいということをはっきり承知している。しばしば、他人の些細なあやまちを咎めながら、君の大きなあやまちを知らないでいる。かかる無智を避けるためには、まず第一に立派な遠近法学者でなくてはならぬ。次いで人間その他の動物の寸法について完全な知識を有し、さらに立派な建築家、すなわち建築物その他地上にあって無限の形態をなすものの形態に属するかぎり知っていなくてはならぬ。君が沢山の知識をもてばもつほど、君の作品は賞賛すべきものになるだろう。

(杉浦訳上巻241ページ)
画家たちが礼拝堂の壁に用いているこの一般的な慣習は当然大いに非難せらるべきである。というのはかれらは1つの物語を風景や建物といっしょに1平面上に描き、次いでもう1段高くあがって1つの物語をえがき最初とは視点を変える、続いて第3段、第4段と1つの壁面が4つの視点をもって成立っているように見えるに至る。これこそこの種の画匠の犯す愚の骨頂である。われわれは視点がその歴史画を眺める見物人の眼に向いたところにおかれることを知っている。それでももしも君が「同一の壁面に数多の物語に分けてある人の生涯を描くにはいかなる方法やある?」というつもりならば、これに対してわたしは答える、君は最初の画面を視点と合せてその物語を見る見物人の眼の高さにおかねばならぬ。この画面には第1の物語を大きくえがく、次いで、さまざまな丘や野原のうえに、人物だの家だのをだんだんに縮小しながら、その物語のあらゆる道具立てをかいてゆくべきだ。残りの壁面にはその頂上まで、人物に比較して大きな樹や、もしその物語に適当ならば天使や、あるいは鳥や雲やそれに類するものを配するがよい。さもなければ君の作品全体が嘘っぱちになるから、そういうものに拘泥してはいけない。

(杉浦訳上巻242ページ)
君が遠近法を十分にまなび終って、対象のあらゆる局部や形態を暗記した場合には、散歩に出る途々、談話したり、口論したり、わらったり、喧嘩したりしている人々の態度ふるまい、つまり当事者がどんな動作をするか、その事件の取りまき、引分け手、あるいは見物人がどんな動作をするか、よくながめて考察しなくてはならない。

君が歴史画の構図を考えるとき、2点を取らねばならない。1点目は視点である。もう1つは光源で、これはできるだけ遠くに置くのがよい。

歴史画に大勢の人物を登場させ過ぎて、混雑したごちゃごちゃとしたものにしてはならない。

歴史画の構図について。歴史画では人物の手足を気にしない事。人物の全体を描こうとして構図を台無しにする人が多いのだ。ある人物を、別の人の後ろに置くときは、全身を描くよう気を付けねばならない。そうすれば、後ろの人の手足が、手前の人よりも前に出て来てサイズも位置も自然になる。

見事な人物像とは、動きの中にそれを突き動かす感情がうまく表現されているものだ。

(杉浦訳上巻240ページ)
絶望している男はナイフをふるい、両手で衣服をひきさいてしまったように描かねばならぬ。そしてその片手は傷口を引掻くことに働いているべきだ。

(杉浦訳上巻234ページ)
絵画つまり人物画は、その見物人が人物たちの態度によって容易にかれらの気持ちを察しうるように描かれねばならぬ。それでまじめな人間に話をさせねばならぬとしたら、かれの身ぶりは立派な言葉につりあうようにしなくてはならない。同様に畜生のような男を描こうとするなら、獰猛な動作をそえるといい、腕は聴衆の方へ振り動かし、頭と胸とは、足よりも前へ突出され、話し相手の手の行方を追うようにする。それは聾唖が、聴覚を失っているにもかかわらず、やはり話し手の態度や身ぶりによって、その論争のテーマを理解するのに似ている。

(杉浦訳上巻242ページ)
大衆のあいだで語っている人をかきたいとおもうときには、かれがいかなる問題を論ずるかということを考察し、その論題にふさわしい動作をあてがわねばならぬ。すなわち、もしもそれが説得することを問題としているとすれば、動作もそれに適したものであるべきだし、もしさまざまな理屈によって証明するところであれば、しゃべっている男は右手のはじめの2指で左の1指をにぎり、左手の小さい2本は折り、民衆の方へ顔を向け、口は話しているらしく少しあけておくがいい。またもしかれが坐っているとしたら、ちょっと立上ろうと頭を前に出しているようにかくがよい。立っているところを描くなら、心もち胸と頭を民衆の方へ傾けさせる。この群衆の方は静粛に注意深く、ことごとく感嘆の身ぶりで弁士の顔をながめているところをあらわすべきだろう。数名の老人が耳に入る名文句に驚嘆するあまり、口角を下げて、両頬を吸い込んで数多の皺をあらわし、両の眉は付根に高くよせ。。。

男の動きは、彼らの威厳かまたは卑しさを示すようにしなくてはならぬ。

君の作品から、君の目的と意図が伝わるようにせよ。つまり、人物を描くときは、それが誰で、何をさせたいのか、よく考えることだ。

力仕事をこなす手足は筋肉質に、そうでない人の手足は筋肉を描かず、優しく丸みを帯びるように描かねばならぬ。

(杉浦訳上巻235ページ)
人物を描くなら、その人物が心に抱いているところを十二分に表現するだけの動作をさせねばならぬ。さもなければ君の芸術は賞賛に当らぬであろう。

(杉浦訳上巻38ページ)
「名声」を描くには、羽毛のかわりに、舌をいっぱいもって、鳥の姿をした全身が描かれなければならない。

(杉浦訳上巻50ページ)
これはまさに「不快」を伴う「快楽」である。お互に決して離れることがないのだから、双生児として描いてある。お互に反対なのだから、背中合わせに描いてある。2人は同一の土台を持っているのだから、同一の胴体の上にすわっているように描いてある。というのは、快楽の土台はこのとおり不快を伴う労苦であり、不快の土台もこのとおり様々な放埒(ほうらつ)な快楽である。そこでここには右手に竹を握っているところが描かれてある。なぜかなら竹は空虚で力がないがそれで刺された傷は毒を帯びるから。竹はトスカナではベッドの脚に用いられるが、ここではかない夢が織りなされ、ここで一生の大部分が消費され、ここに非常に有益な時間すなわち朝の時間が投げ込まれる ― 朝は精神爽快で十分休息をとって居り、肉体も新しい労働を再開するのに適している ― ことを意味する。なおまた其処では幾多のはかない快楽、自分に不可能なことを妄想する時は精神の快楽、あるいは生命取りとなりやすい例の快楽をあじわうときには肉体の快楽が、味わわれる。このようなわけでベッドの台としての竹を握っているのである。

(杉浦訳上巻39ページ)
嫉妬は架空の醜名をもって、つまり、讒謗をもって攻撃する。そのことは徳をびっくりさせる。この「嫉妬」は天に向かっていちじくをふりあげているように描かれる[図版20参照]、けだし、できうべくんば、天に向かっても自分の力をふるうにちがいないから。美しい見ばえのする顔は仮面をかぶっている。かの女の視覚は椰子と橄欖(オリーブ)の木に傷つけられ、耳は月桂樹とミルテの木とによって怪我をさせられているように描く。それは勝利と真実とがかの女を攻撃することを意味する。
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431岩波文庫『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』上巻 杉浦明平訳(注記の無いのは拙訳)


これらが強力に勧めているように、レオナルドが描く絵には、いずれもメッセージが込められているのである。それだけではない。それらのメッセージは幾分暗号化されているのだ。彼の手記から一般原則を抽出して、彼の作品を検討する際に利用することができよう。

レオナルドの死から時間が経つに連れて、声高にこんな風に宣言する批評家が名乗り出て来るようになった。「結局レオナルドもただの人間だった。彼の絵も他の芸術家と同様、キャンバスに色を置いてあるだけなのだ」これはジョン・ラスキンによる全般的な意見を言い換えたもので、彼はこの巨匠が大いに過大評価されているとの立場を明らかにした。ルノアールは「レオナルド・ダ・ヴィンチには退屈させられる」と言った。

一番ドラマチックにレオナルドのイメージを攻撃したのはジークムント・フロイトだった。歴史的事実に関する誤解に基づいて、彼は『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある想い出』というエッセイを書いた。彼が言うにはレオナルドは、生まれてからの数年父親が傍に居らず、実母と異常にエロチックな関係を持ち、その後、実父の家に引き取られると、継母の「情愛が深すぎ」、おそらくそれもエロチックですらあったのだ。

しかし、フロイトの最大の誤りは、レオナルド自身が手記に書いている、彼の肩に降り立った大きな鳥に関する、芸術家の子供時代の幻想的な夢に重点を置いたことだった。フロイトはこの夢に、レオナルドの、ある言明を結び付けたのだ。すなわち:
「交接の行為とそれに用いられる姿態とは、もし顔の美しさや当事者の飾りや羽目を外した躍動がなかったならば、自然が人類を間違って創ったのではないかと思われるほどの醜悪ぶりだ」
books.google.co.jp/books?isbn=4569633455
そして出した結論は、レオナルドが潜在的な同性愛者であるというものだった。これが絶対正しいという証拠はないものの、この汚点は容易に拭い去る事ができなかった。

フロイトが大いに依拠したのは、ドミートリイ・メレシコーフスキイの小説『レオナルド・ダ・ヴィンチ:神々の復活(原題:レオナルド・ダ・ヴィンチのロマンス)』(米川 正夫、河出書房新社)だった。この中にはレオナルドが書いた、鳥との遭遇に関する1節が引用されていたのだ。この鳥の名が「ハゲワシ」と訳されていたため、フロイトは有頂天となって、ハゲワシの頭部を持つ女神ムトに関する、古代エジプト神話と性的/宗教的信仰に基づいた、面白味のない精神分析を行ったのである。フロイトは真面目に熱弁をふるった。「この神の名が我々の『母親(=ドイツ語で「ムッター」)』という言葉と発音が似ているのは単なる偶然だろうか?と問うてもよいだろう」

レオナルドが彼の夢/幻想を綴る際に用いた実際の言葉は、ヨーロッパではありふれたタカ派の鳥、「トビ」だった。つまり、フロイトのレオナルドに関する学術論文は的外れだったのである。だが、私に言わせればフロイト自身が的外れな人物なのだ。

それでもこの「トビ(kite)」という語は私の目を引いた。その理由は、こんなセッションがあったからである:


980620
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Q: ... Okay, 聞きたいんだけど、「聖なる血脈」というものを調査してきた、この人達は、ある血筋、イエスからメロヴィング諸王に至ると言われる血筋に着目してるみたいなのよ。。。このピエール・プランタールという男は、彼ら自身で検証して系図を作ったみたいだわ。「yから見てxであり、xから見ればyだ」というような感じでね。で、ピエール・プランタールは、私達が関心を抱いている純粋な血筋を引いてるの?

A:一部は。

Q: そうなると、血筋が収斂する人を探すのが大事なことに思えて来るわね。。。これらの家系は、オーディンの子らである神々によって象徴されるもので、私達が探している血筋が収斂している場所なの?

A: Yes.

Q:この収斂の結果生まれてきた人にはどんな特徴があるの?

A:白い肌と割れた顎。

Q:アークとフランクは2人とも割れた顎をしてるけど、Cと私はそうじゃないわ!ということは。。。

A:そういう特徴をしていれば問題の血脈に属するという訳ではない!

Q:それじゃあ、この血統でありながら見た目が全く違うという事もあるの?

A: Yes.

Q:このような血筋が「収斂」している人は地球上に何人いるの?

A: 7367. 血筋に属するメンバー同士でコミュニケーションを交わすのにカイト(kites)が使われた。

Q:カイトですって?!カイトとこれとどんな関係があるの?一体。。。あんた達のせいで気が狂いそうだわ!カイトって、紙と糸で出来てる凧?それとも鳥のトビのこと?

A: Yes, 紙と木と糸。

Q: ... (C)それって、このような人々は自分達がこの血筋に属すると知っていて、お互いに連絡し合ってたってことなの?

(L)それとも、それは将来、この血筋の人達が目覚める時のための何かなの?

A: Yes. 後者。

Q:それじゃあ、凧を上げなくちゃね。。。

(C)形や絵柄も決まってるんでしょうね。。。

A:凧を調べなさい。

Q: (C)日本人は凧を上げるわ。。。家の外に年がら年中国旗を掲げてる人も多いし。。。

A:もっと新たな事実を知りたいかな?「宝」を探す準備をしなさい。

Q:本当にありがとう!

A:これらを探せば元気が出るよ、ローラ!

Q: Yes, 本当だわ。このつながりが見つかり始めた時、頭の中でちょっとしたエネルギーの爆発が起こったみたいだったもの。。。

(A)凧というのは分からないな。自力では飛べないし、糸でつながっている。遠距離からは見えない。。。せいぜい3キロだ。。。たった3キロしか離れていない誰かとそうやってコミュニケートすることにどんな意味があるんだろう?

A:糸から手を放して飛ばしてやれば、置手紙にもなる!

Q: (A)糸から手を放したら、凧は落ちてしまう!技術的な面で立ち往生する前に、おそらくはこの手掛かりの行方を静観すべきなんだろう。多分、目印の1種だろう。。。文字通り、凧に関係あるのか、あるいは、凧のことを言ってるのか、凧の絵柄か。。。彫刻か。。。きっとつながりのある何かが現れるだろうと思う。いつものようにね。
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確かにそうだった。レオナルド・ダ・ヴィンチの『トビおよび鳥の飛翔に関する論文』には次の1節がある:


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(杉浦訳上26ページ)
たしかに鳶(トビ)について述べるのが私の宿命らしい。なぜかならわたしの幼年時代の最初の思い出の中に次のようなことがあった。すなわち、わたしが揺籃の中にいると1羽の鳶が私のところへやってきて、その尾で私の口を開かせ、そして何度も何度もその尾で私の唇の奥を撫でてくれたような気がしたのである。
(アトランティコ手稿)
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トビという鳥の翼幅は大きく、この羽で気流に乗って高空を滑空するのだ。彼はトビその他の鳥を研究して、彼が自然をうまく真似できるよう、彼らの飛び方を学ぼうとしていた。ダ・ヴィンチのプライベートな生活については殆ど分かっていない。と言うのも、彼の日記は大抵それに触れていないからだ。だがこれは興味深い例外である。というのも、レオナルドが、トビについて述べ研究するのが自分の宿命だと記しているからである。そしてこれはまた、飛行機械を作って人々が飛べるようにするのが自分の宿命だと彼が考えていたことをも意味する。


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一度飛ぶことを経験したら、地上を歩いていても、君の目は空を見上げたままになってしまうだろう。と言うのも君はそこに居たのであり、いつも戻りたくて仕方がなくなるからだ。
[レオナルド]
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さて、沢山の興味深い手掛かりが集まったところで、ちょっと違う方向から検討してみよう。1483年、レオナルド・ダ・ヴィンチは『岩窟の聖母』を描いた。(正式名称:聖母子と洗礼者ヨハネと天使、ルーヴル蔵) [図版21参照] 1506年から1508年にかけて、彼は『岩窟の聖母』の第2、ないし、「ロンドン・ヴァージョン」を製作した。[図版22参照] 最初の絵は「ミラノ聖母無原罪の御宿り信心会」との契約の履行として描かれたと考えられている。ところがどうやら彼らはこれが気に入らなかったため、この絵はフランス人の手に渡った。「信心会」は第2ヴァージョンの製作を依頼し、アンブロージョ・デ・プレディスが共同で作業を行った。アンブロージョ、レオナルドと「信心会」との間では、その後議論と訴訟があったが、25年目にしてようやく「信心会」は自分達の欲しかったヴァージョンを手に入れたのだった。

2枚の絵を比較して思うのは、最初のヴァージョンは「信心会」が隠しておきたかったメッセージを含んでいるに違いなく、第2ヴァージョンの方は、どうやら「信心会」も受け入れ可能であり、レオナルドもどうにかメッセージを込めることができたのだろうということである。あるいは、彼は第2ヴァージョンには殆ど何もしなかったのだろう。ルーヴル・ヴァージョンは一般にレオナルド作として受け入れられているが、ロンドンのナショナル・ギャラリー・ヴァージョンについては、依然疑惑が持たれている。

いずれにしても、構図の変更から、「信心会」が異議を述べたらしい点が何なのか分かるように思われる。彼らは明らかに、幼子イエスの隣に座っている天使が、幼い洗礼者ヨハネを指さしているのが承知できなかったのだろう。そしておそらく、彼らは光輪を描くように頼んだと思われる。だが私は、ヨハネが肩に担いでいる「十字架のような杖」を書き加えたのは、レオナルド自身の発案だったと思う。

2枚の絵は殆ど同じ大きさだが、第2ヴァージョンの方の人物たちは、鑑賞者のより近くに出て来ているし、まるで石で出来ているかのように、「重厚」で、「理想化されて」いる。第2ヴァージョンの方は、あたかも彼らが実は死体であるかのように見える程色使いが抑えられており、 ― 死体のような青白さは、この絵の「メッセージ」が「死」であることを故意に強調しているようだ。

最初の絵に描かれたアイテムに対するコメントで最も多いのが、聖母の手が奇妙で、殆ど威嚇的に感じられるというものである。この際、レオナルドが、絵は登場人物の手振りで「物語を語る」べきだ等とコメントしていることに留意しつつ、2つのヴァージョンの手を見比べていただきたい。私には、この手が脅しているようになど全く見えないが、このことについては、じき解明することになるだろう。

さて、もう1つのダ・ヴィンチ作品である『最後の晩餐』を見てみよう。。。[図版23参照]

『最後の晩餐』は、キリストがちょうど、「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」 (マタイによる福音書 / 26章 21節、ヨハネによる福音書 / 13章 21節) と語り、弟子たちが皆この言葉に反応して、「彼らの魂の真意」を明らかにしようと、堂々たるポーズや身振りをした瞬間、「その瞬間で時間が固まった」ものと言われる。本作を描き始める前に、レオナルドは多くの習作を描いたに違いないのだが、こんにち私達の手元に残っているのは2枚だけである。その1つは慌ただしく ― 荒っぽくすら見える ― 描かれたもので、テーブルに一列に並んでは居ないものの、全員が見える。習作を描こうとしたページが小さくて全員をテーブルに並ばせることができなかったため、彼は使徒のうち4人を下の方に並べた。しかし、彼が考えていたことは明らかである。と言うのも、上の列の左端の使徒の肩/腕が、同一人物であることを示すように、下の列にも繰り返し描かれているからである。このスケッチでレオナルドは、標準的な図像的スタイルに従いながら、ユダをテーブルの手前側に1人だけ離れて座るように描いている。

この固まった時間を描いた構図の彼方に、レオナルドは別の、より深い意図を持っていたというのが真相らしい。それは、先に引用した『洞窟の聖母』に対するコメントと、この習作[図版24]および完成作とを比較した結果推測できるものだ。

この絵は多くの人々から、イエスが隣に座っている彼の「妻」、マグダラのマリアと共に食事をしているところを描いたのであろうと取り沙汰されている。確かに、イエスの隣の人物が明らかに女性であるというのには私も同意見である。この女性は、イエスの隣で殆どくずおれるばかりの顔で下を向いているが、習作には出て居なかった。だがこれはマグダラのマリアなのだろうか?それとも誰か他の人物なのか?あるいは、何か全く違う事を指摘しようとする手掛かりであろうか?

だが、先へ進む前に言っておきたいのだが、レオナルド自身の言葉から、この2人の表す意味合いは推測できるかも知れない。彼らは殆ど双子のような恰好で、互いに幾分離れながら隣り合い、それでも、テーブルの上に並べて垂らした腕が近いことで結び付きながら、 “M”の字を描いているのだから、これは私達を1段深い意味へと誘う:


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これはまさに「不快」を伴う「快楽」である。お互に決して離れることがないのだから、双生児として描いてある。お互に反対なのだから、背中合わせに描いてある。2人は同一の土台を持っているのだから、同一の胴体の上にすわっているように描いてある。[図版25参照]
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レオナルドはまた、手についても、描かれている人物の論題の性質に「一致する」ようにすべきだという秘訣を述べていた:


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大衆のあいだで語っている人をかきたいとおもうときには、かれがいかなる問題を論ずるかということを考察し、その論題にふさわしい動作をあてがわねばならぬ。すなわち、もしもそれが説得することを問題としているとすれば、動作もそれに適したものであるべきだし、もしさまざまな理屈によって証明するところであれば、しゃべっている男は右手のはじめの2指で左の1指をにぎり、左手の小さい2本は折り、民衆の方へ顔を向け、口は話しているらしく少しあけておくがいい。
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『最後の晩餐』でたった今イエスが行ったと思われる発表を考えると、彼の手の様子は一層興味深い。左手は嘆願するような手ぶりだが、右手は実に興味深い様子をしているのに気付く。しばらく眺めていると、どこかで見たことがあるような気がする。そう、『岩窟の聖母』だ。手を並べて見てみよう。

(※写真キャプション)
イエスの手(最後の晩餐)
マリアの手(ルーヴル・ヴァージョン)
マリアの手(ロンドン・ヴァージョン)

実際、『最後の晩餐』でのイエスの右手が、『岩窟の聖母』でのマリアの左手とほとんどぴったり一致しているのが分かる。つまり、それぞれの絵における手が「語っている」ことは、それが何であれ同じだということだ。だがもちろん、『最後の晩餐』では、物語の「筋」だと、
(※マルコによる福音書 / 14章 20節
イエスは言われた。「十二人のうちの一人で、わたしと一緒に鉢に食べ物を浸している者がそれだ。」)
イエスはパンを1片取り上げユダと一緒に鉢に浸すところなのだが、彼の手もまた奇妙な風に差し上げられている。これは、『岩窟の聖母』にも描かれている洗礼者ヨハネが、「ユダ」のような人物であるという意味なのだろうか?

『最後の晩餐』をめぐるもう1つの論争は、絵の中にある2つの「異常な手」に関するものだ。下の画像は、クォンタム・フューチャー・グループの1人が現地ミラノで購入した、プロが撮った写真を、私が高解像度でスキャンしたものだ。(観光者による写真撮影が禁じられている。)私は写真を拡大し、絵の中に描かれている手を、はっきりしているものも、あまりはっきりしていないものもマルで囲った。そして、それぞれの人物について何本の手が描かれているか、それぞれの頭の上に数字を書いてみた。それから、ページに収まるように画像を2つに分けた。[図版26・27参照]

テーブルに着いているのは13人だが、手は数えてみると25本しかない。1本隠れているからだ。それは、上の方を指さしている男の、もう一方の手である。

女性の耳元でささやいている人物は聖ペテロだと見分けられる。彼のものに違いない手の一方は、イエスの隣に座っている女性の喉を「切るような動き」をしているのが分かる。

レオナルドがメッセージを伝えようと意図したことは明らかである。というのも、彼は、他の人の身体の陰に人体を描くときは、解剖学的に正確になるように仕上げるべきことをはっきりと明言しているからだ。図版29は、現存する『最後の晩餐』のための習作2枚のうちの、もう1枚の方だが、本作に描かれている聖ペテロの腕の辺りのものだ:

これでナイフを持っている手[図版28]と、女性の首のところを切り付けるような動作をしている手のいずれもが、聖ペテロのものであることは明らかになった。

レオナルドが何と言っているか、もう1度見てみよう:


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見事な人物像とは、動きの中にそれを突き動かす感情がうまく表現されているものだ。

。。。ある人物を、別の人の後ろに置くときは、全身を描くよう気を付けねばならない。そうすれば、後ろの人の手足が、手前の人よりも前に出て来てサイズも位置も自然になる。

絶望している男はナイフを(持っている)ように描かねばならぬ。。。絵画つまり人物画は、その見物人が人物たちの態度によって容易にかれらの気持ちを察しうるように描かれねばならぬ。。。男の動きは、彼らの威厳かまたは卑しさを示すようにしなくてはならぬ。

君の作品から、君の目的と意図が伝わるようにせよ。つまり、人物を描くときは、それが誰で、何をさせたいのか、よく考えることだ。。。

人物を描くなら、その人物が心に抱いているところを十二分に表現するだけの動作をさせねばならぬ。。。

この「嫉妬」は天に向かっていちじくをふりあげているように描かれる、けだし、できうべくんば、天に向かっても自分の力をふるうにちがいないから。。。
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という訳で、イエスと、彼から見て右側に居るこの女性とが、「快楽、不快原則」に従って、「双生児として表現」されているだけでなく、ペテロがナイフを持っているのは、イスカリオテのユダの隠れている方の手がナイフを持っていることを象徴しているのに違いない:「絶望している男はナイフを(持っている)ように描かねばならぬ。。。」 そしてもし、パン、すなわち聖体が「キリストの体」を表すのなら、パンに向かってナイフを振りかざす手ぶりは、「軽蔑するように天に向かって手を振り上げる嫉妬」を表しているのであろう。このことと、首を切るような手ぶり、そして、陰謀を企てているような囁きとを考え合わせると、聖ペテロのかなり不愉快なイメージが浮かび上がる。ペテロがユダに責任をなすりつけているように思われるのだ。

何とも興味深いではないか。

そして、この絵を研究しているうち、私は他の、極めて注目すべきことに気付いたのである:

ナイフを持った手と、首を切る動きをしている手、イエスの右手、彼の額、そして、彼の左手の手のひらを「点」で結ぶと、これはまさしくカシオペイア座の鏡像なのである。 [図版30・31参照]

さて、この絵に明らかに隠されていた奇妙な図形が持ち得る意味合いを理解するため、本稿の冒頭で述べた、この有名な星群に関する、幾分知られていない情報についても取り上げさせていただこう。


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「この星の名前は、アラブ人が想像した星座図に由来しており、それはギリシャ人の考えた星座とは全く違っていた」とテスケは説明している。「にもかかわらず、そのアラビア語名は約400年前に、ギリシャ神話のカシオペイアの物語に取り込まれた」
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http://ur.umich.edu/9697/Nov05_96/artcl28.htm


だとしたら、アラビア語名が取り込まれたのは、まさにダ・ヴィンチやオーシュ大聖堂に関わりのある人々が活躍していた頃のこととなる。それではきっと、彼らは以下のことに気付いていたのだろう:

カシオペイアの主だった星々のアラビア語名は、この星座のエソテリックな意味合いを理解する上で何らかの手掛かりを与えてくれる。
http://www.onshore.x0.com/i/fall/kashiopea.html
例えば、「胸(Schedar)」(=α星)であるとか、「手(Caph)」(=β星)、「ラクダのこぶ」(=M字)
http://ryutao.main.jp/mythology_19.html
「ひざ」(=δ星)、そして「ひじ」(=Θ星)。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Club/9581/topic/kasiopea.html
これらはいずれも、多くの秘密のワークに出て来るエソテリックなシンボルなのだ。アラビア語では星座全体を杉の木(seder tree)と呼んでいた。初期のアラブ人はこの星座が「ヘンナ(=マニキュア)で染めた大きな手」であると、
http://www.spacecabin.com/seiza/88/cassiopeia.htm
最も明るい星々は指の先だと考えていたのである。

ここでまた思い出されるのが、『岩窟の聖母』の奇妙に大きな手、すなわち、『最後の晩餐』に描かれたイエスの右手の鏡像的イメージである。

カシオペイアは天の川銀河の端にある美しい星座であり、「ペルセウス座ファミリー」
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%BA%A7%E5%AE%B6%E6%97%8F#.E8.8B.B1.E4.BB.99.E5.AE.B6.E6.97.8F
と呼ばれるものと関係がある。これは黄道十二宮の金牛宮にあるが、その中にはシェダルすなわち「胸」(イエスの額にある星)、ルクバー(Ruckbah,ひざ)すなわち「王位に着いた者」(イエスの隣の女性の喉を切りつけるしぐさをした手の位置の星)、そして、「座せる者(アラム語でDat al-Cursa)」)がある。中国人はカシオペアを「閣道(Ko Taou、「戸口」)」と呼んでいた。
library.uoregon.edu/ec/e.../crowell-chp8.pdf
この星座に鍵の形を見る人々も居た。


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11月の夜空の天頂近くに懸かるのは、Wの形をした星座、カシオペイアである。。。北の空を見ると、「カフ」と呼ばれる星が見えるが、これは手のひら(palm of a hand)という意味で、カシオペイアの”W”をひっくり返したときの左端にある。
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(※前出 http://ur.umich.edu/9697/Nov05_96/artcl28.htm の冒頭部分)


ひっくり返したイエスの手のひらの場所に、「手のひら(palm of the hand)」や「ヤシの枝葉(palm branch)」があるというのは、何とも興味深いではないか?そしてまた興味深いのが、カシオペイアが「ひっくり返したW」だと言われている点である。明らかにMだろうに。これらの関係を「隠ぺい」しようとしているのだろうか?

1893年、E.W.ブリンガーはカシオペイアについて、このように記している:


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囚われたる者は解放され、夫である救い手に備える。前章で我々は女(アンドロメダ)が縛られているのを見たが、ここでは同じ女が解き放たれ、王座に就くのを見る。

ウルグ・ベクによれば、このアラビア名は”El Seder”で、解き放たれた者という意味である。
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『最後の晩餐』で、女性の手が、あたかも「縛られている」かのように握りしめられていること、聖ペテロが切りつけるような動作をし、ナイフを隠し持っていることとの関係がこれで分かった。


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エジプトのデンデラの黄道帯(十二宮)の彫刻では、彼女の名はアセト(イシス)とされているが、これは女王の座に就くという意味である。アブー=マーシャルはこの星座が古代には「光輝さ(splendour)の娘」と呼ばれていたと言う。このことから、カシオペイアという言葉は、王位に就いた者、美しき者という意味のようである。アラビア名は” Ruchba”、王位に就いた者の意味である。これはまたそのカルデア名” Dat al cursa”の意味でもある。この星座には55の星があるが、3等星が5つ、4等星も5つ、等々となっている。

この美しい星座は大ブリテン島の上を毎日縦に通り過ぎるが、5つの明るい星がいびつな”W”を描くので容易に見分けがつく。この光り輝く星座は、1つの二連星、1つの三連星、1つの二重星、1つの四重星、そして数多くの星雲を含んでいる。1572年、チコ・ブラーエはこの星座のk星のすぐ近く(イスの肘掛の下)に、金星よりも明るく輝く新星(=チコの星)
http://ja.wikipedia.org/wiki/SN_1572
を発見した。これは2年近くの間観測されていたが、1574年には全く消えた。

一番明るい星であるa(左胸のところ)は、シェダル(ヘブライ語)といい、解き放たれた者の意味である。次に明るいb(イスの天辺)は、同様にヘブライ名でカフといい、枝という意味である。これは明らかに、彼女が携えている勝利の枝に由来するものである。彼女は実際に高貴な出であり、心構えが出来ている。彼女の手は、もはや縛られておらず、その動きは幸せで一杯である。彼女の右手はローブを整えており、一方、左手では髪を飾っている。彼女は北極圏の上、ケフェウス王の傍に座っているのだ。これこそ「小羊の妻である花嫁、聖なる都、新しいエルサレム」であり、「天の召しにあずかる者たち」である。
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(※E.W.ブリンガー”The Witness of the Stars(星々の証言)”からの続き。
※ヨハネの黙示録 / 21章 2節
更にわたしは、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から下って来るのを見た。
ヨハネの黙示録 / 21章 9節
さて、最後の七つの災いの満ちた七つの鉢を持つ七人の天使がいたが、その中の一人が来て、わたしに語りかけてこう言った。「ここへ来なさい。小羊の妻である花嫁を見せてあげよう。」
ヘブライ人への手紙 / 3章 1節
だから、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たち、わたしたちが公に言い表している使者であり、大祭司であるイエスのことを考えなさい。)


カシオペイアは1年を通じて1晩中見ることができ、昇りも沈みもしない代わりに、延々と北極星(Pole star)の周りを回っている。北斗七星は、北極星を挟んでカシオペイアの反対側だ。

リトアニア人はカシオペイアの星々を、「騎手」、「ベルト(Justandis)」または「フードキャリア」(「胸」の辺りか?)または「Abakukasの星」、そして「マリアの星」と呼ぶ。
http://ausis.gf.vu.lt/eka/eastr/stars3.html
http://www.lithuanian.net/mitai/cosmos/baltai5.htm
ここで思い出されるのが、ジョン・リース卿 がカシオペイアについて書いていることだ:
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59053453&comm_id=2590126


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(※ウェールズ語の構文では、英語だと形式主語itを立てて'It rains'(雨が降る)と言うところを'She is casting rain'(彼女が雨を投げかける。Y mae h'n bwrw glaw)という言い方をする。この「彼女」とは何者であろうか?)
ウェールズ語の構文で、我々の調査を執拗に回避する偉大な「彼女」を、首尾よく見分けるには、(フランス語と違って、神話研究家の)助けを求めねばならない。何やらふさわしいものであるらしく思われた女性の名はたった2つだけだった:1つは「運命(Tynghed)」であり、もう1つはケルト文学における最も漠然とした何人かの登場人物の母であるドンであった。

吟遊詩人にして偉大な魔術師であるグイディオンはドンの子であるし、彼の兄弟である鍛冶屋のゴファノンはドンの子と言われる;そしてまた、ドンの娘、リューの母であるアリアンロッドは、海辺なるアリアンロッド城の城主であったが、それは先史時代のディナス・ディンル古墳からほど遠からぬ所にあった。。。

アイルランド伝説ではドンをアイルランド語形で探す。すなわち、DanuあるいはDonu、所有格のDanaanあるいは、Donaanであり、そこでは彼女は常に神と呼ばれる殆ど唯一の存在である。彼女から生まれた偉大なアイルランド神話上の人物達は、「トゥアハ・デ・ダナーン」すなわち「女神ダヌの種族」、時として、「神なる人々(Fir Dea)」と呼ばれる。

ウェールズの歴史の最終段階は彼女が空に変わる場面から構成され、そこでは、カシオペイア座はドンの宮廷(Ilys Don)であると考えられている。(原注432
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原注
432 John Rhys, Celtic Folklore
http://www.sacred-texts.com/neu/cfwm/cf206.htm
CHAPTER XII
The question of the feminine in Welsh syntax . . 642
The Irish goddess Danu and the Welsh Don . . 644
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レオナルド・ダ・ヴィンチは『最後の晩餐』の絵の中でカシオペイアを暗示していたのだろうか?マルグリット・ド・ナヴァル、ラブレー、ノストラダムス、フランソワ1世、アン・ブーリン他も、「未来の私達」にコンタクトするグループの仲間だったのだろうか?

さてそれでは、自著から20年越しで星を序文に取り上げたカンスリエに戻るとしよう。フルカネリの本文と並べてみると、何やらかなり驚くべきことが明らかになる:


初版への序文から:
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私は知っている。自分で見つけたのではないが、10年以上前、著者が請け合ってくれたからだ。すなわち、偉大な奥義を理解する鍵が、本書の図解(figure)の1つでもって、実にあからさまに与えられている。この鍵は実に簡単な色から成っている。それは執筆当初から、この熟達者には明らかであった。
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もう読者もお分かりではないだろうか。カンスリエとフルカネリは実に手の込んだことをしているのだ。だから、この手掛かりに注目し、カンスリエが言っていることをよく考えてみよう。彼曰く、この手掛かりは「本書の図解(figure)の1つ」にあって、それは「執筆当初から」明かされている。そして第2版への序文では、「フルカネリの本文への直接の導入となる」星のテーマを手掛かりとして加えつつ、「師は冒頭から、星。。。の本来の役割について詳説して」いると語っている。

フルカネリによる本文の冒頭に再び戻るとしよう。


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私が小さな子供だった頃の最も強い印象 − 私はそのとき7歳だったが − 今でも鮮明に憶えている印象があって、それは大聖堂のゴシック建築を見た時、幼心に抱いた感動だった。私はすぐに陶然となってしまった。私は感嘆して恍惚(エクスタシー)としてしまい、その威容の魅力から、この人間というよりは神技によって表現された、かくも見事(splendour)、かくも壮大で、かくもうっとりさせられる魔術の前から立ち去ることができなかった。

ローマの著作家ウァロが著書『人事および神事に関わる故事考』の中で、アエネアスの伝説を思い出して述べるには、彼は父親および家の守り神をトロイの戦火から守り、長い放浪の末に旅の目的地であるラウレントゥム(Laurentum)の地に着いたのだった。。。

「ラウレント(ラウレントゥム)はカバラ的には接合(グラフト)された金(l’or ente)のことである」
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こうして確かに、私達は色にたどり着いたのだ!

ブデ神父:


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アウシル人(Auscii)は容易に金細工に熟達する;この金属は彼らの地域ではほとんど雑草(weed)のように到る所にある。様々な歴史家が語るところでは、貪欲なギリシャとフェニキアの商人が自分達の国に戻るとき、ピレネー山中で集められた金を船のバラスト代わりに使ったというのだ。
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ダ・ヴィンチの暗号(ダ・ヴィンチ・コード)もまた、フルカネリが私達を導いた『大聖堂の秘密』だったのだろうか?どちらもカシオペアンの業に注意を促しているのだろうか?

フルカネリの弟子であるユージェーヌ・カンスリエに学んだ錬金術師のパトリック・リヴィエール:


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暴露の到る所で、ローラ・ナイト=ヤズィックは、科学者にして錬金術師であるフルカネリの強力な2作品、『大聖堂の秘密』および『賢者の住み処』に言及する。彼女は自身の該博な知識を用いて、彼の作品の続きを記しているのだ。。。

彼女のインスピレーションについては、何と言うべきだろう。星の光からもたらされるのでなければ、それは一体どこから来るのであろうか?
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posted by たカシー at 05:48| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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