2016年03月12日

ザ・ウェイブ61章: アイラの心に巣食う病巣

ザ・ウェイブ61章: アイラの心に巣食う病巣
http://cassiopaea.org/2012/02/10/the-wave-chapter-61-iras-inner-cesspool/


2001年9月11日:アメリカが攻撃された。その日から丁度24年前の1977年9月11日に、ホリー・マダックスが惨殺されたことを、読者はお忘れではないだろう。アイラ・アインホーンは、本人欠席のまま裁判が進められ、全ての証拠が提出されて、彼と同等の地位の陪審が、アイラが犯行を行ったと評決した。
(※アイラ・アインホーンはフランスに逃れていましたが、その後アメリカに送還され、2002年10月17日に終身刑となったようです。)
http://murderpedia.org/male.E/e/einhorn-ira.htm
検屍官の報告から、逆上のあまりアイラが、おそらくは1度あるいは2度の殴打で彼女を殺しておきながら、彼女の華奢な頭蓋骨を何度も繰り返し強打し続けたため、ついには、彼女のそれまでの美貌をとどめ、あるいは人間であると見分けられるようなものが何も残らなかったのは明らかだと思われた。

司法精神医学者によると、頭を繰り返し殴ることによる殺人は常に、被害者を知っている、被害者に腹を立てた殺人者が、耐えられない考えや言葉を聞いて、その出所を破壊しようとして行われるのだという。カシオペアンが言ったように:「多分、アインホーンはやってしまった。その後で、自分はO・J・シンプソンみたいにはならないぞと自分に言い聞かせていた」

つまり、ホリー・マダックスは、アイラ・アインホーンのエゴの犠牲になったのである。彼はホリーのコントロールを失ったのであり、アイラ・アインホーンは全てをコントロールしたかった − 他人をコントロールしたかったのである。

本件に関わった主要人物の多くも、今では既に故人となっている。ホリーの父親は、愛する可愛い娘が惨殺されたことを受け入れることができず、1988年に自殺した。彼女の母親は、その2年後に、肺気腫で亡くなった ― もはや正義が勝つ望みもなく、こんな恐ろしい事が起こるような世界では息をすることができなくなったのである。元FBIのエージェントで私立探偵となり、「ユニコーン」を粘り強く追及したR.J.ピアースもこの世を去った。アイラの全盛期の仲間であったジェリー・ルービンも同様である。

現在に至っても、アイラ・アインホーンはホリー・マダックスを殺してはおらず、サイコトロニクスを「研究」したり、その実験を行っている人々と付き合っていたために、謎の組織によって「無実の罪を着せられた」と主張している(※「サイコトロニクス」については参考文献を見よとなってますが、オンライン版にはありません。初版
http://www.cassiopaea.com/cassiopaea/adventures293.htm
からは、下のURLにリンクが張られていましたが、インターネットアーカイブでも見れないようです)。
http://www.alphane.com/moon/PalmTree/unicorn.htm
アンドリア・プハリッチも死んだが、実に興味深いことに、彼は生前、全体の状況に関して、何やら全く違う考えに達していた:すなわち彼は、サイコトロニクスに関する研究や情報がホリーの死に関してアイラに無実の罪を着せるような陰謀の原因となることはなかったと一蹴していたのである。プハリッチほどの陰謀論者が、アイラの行っていたことについて、CIA、KGBのような諜報機関や、その他の極悪な攻撃部隊の注意を惹くほど重要ではなかったという最終的な評価を行ったのは注目すべきことである。あらゆる人々の中でも、プハリッチは最もアインホーンが扱っていた情報の本質を熟知していた。というのも、その殆どがプハリッチ当人によってもたらされていたからだ。これはまた、プハリッチ自身が行っていた事に関して、彼の心境に著しい変化があったことをも示唆している。最終的に彼は、「サイキック戦争」に関する情報が誤りないしはディスインフォメーションだったと考えるに至ったのだろう。

逮捕されてからの数か月間、アイラ・アインホーンは人々の目を直視して「僕はホリーを殺していない」と言っていた。彼の凝視の強烈さは有名で、彼を疑う人々の関心を惹き、しばらく注視されると、そうした人々の疑いも払拭されるのだった。


---
キミの知っている僕は暴力的な人間だったか?

どうして僕が、自分の愛した女性であるホリー・マダックスを殺したりするんだ?

仮に僕が彼女を殺したとしても ― そんなことはしてないけど ―、そんなに長い間、アパートのトランクの中に死体を残しておくほど、僕がバカだと思うかい?
---


アイラの友人たちの多くにとって、この最後の点は、彼が無実の罪を着せられたことの有力な証拠だった。彼らが知っている、聡明かつ実際的なアイラが、ベッドから1メートルほどしか離れていないクローゼットの中に死体を入れて置く筈はなかった。この点を強調するためにアイラは、ホリーの死体がクローゼットに押し込められて「いたとされる」間もずっと、彼が友人たちや女性たち等々と、楽しくやっていたことを皆に思い出させた。もし彼が本当に死体をクローゼットに隠していたら、そんな馬鹿な真似ができるだろうか?

友人たちは「そんなのは昔ながらのアイラじゃない」と言い続けた。

アイラは実際の状況と、彼の「公的人格」に基づいて他の人々が彼について知っていることとの間の食い違いをリストアップしてみせたが;彼が「事実」を示すやり方だと、結果はいつも彼の有利になったようだ。彼は実に抜け目がないので、彼の前で話を聞いていた人びとの殆どは、彼が無実だと信じるのがおちだった。

2人ほど、ホリーにあざが出来ているのを見たという人が居て、彼女はそれが、アイラと喧嘩したせいだと認めたとのことだった。だが、弁護士のアーレン・スペクターは、アイラがホリーを殴るのを目撃した人間は居ないので、アイラが前からホリーを殴っていたという証言は、「噂」に過ぎないと論じた。裁判官は同意しなかった。

ジェリー・ルービンはアイラに対してこう言った。「ホリーを殺したと認めて、自分が世に蔓延る問題の1つである、過剰な男性優位の例だったと公言すれば、世の中に対して偉業を成し遂げることになる。そうして社会に対する借りを返せば、キミは男性による暴力という問題に取り組む研究所を設立できるだろう」

アイラ「それは面白いアイディアだが、僕がホリーを殺してないんだから、筋違いだ」

アーレン・スペクターは、アイラにとって最大の望みは精神異常による無罪を勝ち取ることだと考えた。だが、アイラは断固拒否した。彼の精神に異常はなく、そんな話に乗る筈はなかった。彼にとって、狂気を主張するのは、ホリーを殺したと認めるのと同じくらいの禍を意味した ― いずれも「ライフワークの信用を落とす」ことになる。彼の信用は損なわれ、彼の考えがもっともだと誰も信じなくなってしまうだろう。サイコパスは嘘を認めたら終わりだと知っている。一度そんなことをしたら、自分が頼りに出来る、他人に対するパワーを1つ失ってしまうのだ:直観的に嘘をついて、騙されやすい、善意溢れる人々を信じさせる能力をである。

何週間か経つうちアーレン・スペクターは、アインホーンと関わる結果、政治的にネガティブな影響を被ると気付き、弁護をノーリス・ゲルマンに引き継いだ。アイラは依然として、無実の罪を着せられた真相を暴くつもりだ、と大言壮語していた。彼の新任弁護士は、確かにその方向に進むのを期待していたが、どうやらアイラには出来ないようだった。「ロシア人がやって来て。。。彼を光線銃で撃ったとでも言うのか?」 アイラのグッドアイディアの内情を知っていたゲルマンは、そのアイディアを嘲笑した。

ゲルマンはアイラに対して、精神異常による減刑を主張せよとは言わなかった。「市長に立候補したほどの、最も聡明な被告人だ。彼が精神異常だと主張するって?まさか!」 そうではなくて、ゲルマンが望んだのは、証拠を逐一慎重に論駁して、全然ダメなものの中でも、ダメージを最小化できるものは最小化することだった。もし裁判官や陪審員に「合理的な疑い」を抱かせることができれば、それが望みうるベストだった。

言うまでも無く、アイラはその計画に満足していなかった。

ベル電話会社はアイラとの関係を断った。アイラの友人たちの多くは(※文献参照となってますが、初版では下のURLにリンクが張ってありました。アイラの友人の1人、ドン・デマイオなる人物が書いたもののようです。昔は憧れの対象だったアイラが今では云々と書いてあります)、
http://web.archive.org/web/20011205000051/http://whitecanary.com/personal/columns/hippie_killer.htm
本件について多くの事が分かってくると、彼との付き合いを辞めて、引き下がって行った。関係を維持していたある友人と共に、ある日、一緒に通りを歩いていて、アイラは気付いたのだが、人びとはもはや彼に近づいて来てハグしてくれないし、彼が居ても嬉しそうではなかった。彼らはむしろ、目が合うのを避けたり、彼を避けるために通りの反対側に渡りさえした。「今じゃあ僕は、アイラ・アインホーンになれそうもない」と彼は不平を言った。「彼が利己的で、傲慢な、バカ野郎だったと分かった」と友人は報告している。

アイラは、公判を待つ間、ペンシルバニアをブラブラしていても不愉快なので、カリフォルニアに行くことにした。彼はソーサリトに居る友人に会って、彼女の屋形船で過ごした。それから彼はエサレンに足を延ばした。60年代に入り浸った場所だ。彼はそこで、「ザ・ナイン(9神)」のチャネラーである、サイキックのジェニー・オコーナーに会った。これといって重要なお告げはなかった。

彼はそこで、1人の若い女性にも会った。彼女はMDA(合成麻薬)でハイになった状態で、彼の魂を見通し、「これは類まれな人間であり、犯していない罪で告発されスキャンダルになっている」のが分かると主張した。MDAを使った洞察は沢山だった。彼はジャック・ヴァレーと昼食を共にし、マイク・ロスマン
http://www.mrossman.org/newageblues/missingsufis.html
とカンファレンスを行い、その後、物理学者のジャック・サーファッティに会いに行った。何度も繰り返しアイラは自分の窮状を訴え、話を親身に聞いてくれる人を探した。サーファッティは、アイラのために公開ミーティングも開いてくれた。サーファッティは、アイラの穏やかさと「沈着冷静」さに驚いた。もう1人、物理学者のソール・ポール・シラグ
http://uchuronjo.com/cosmo/20c_3.html
も同意した。「印象的だったのは、問われている罪の極悪非道さの割に、彼が信じられないほど無頓着だったことだ。。。彼は精神的に大物に見えた」

ジャック・サーファッティも、ソール・ポール・シラグも、サイコパスには驚くほど良心が欠けていると知らずに証言していた。

しかし、シラグを混乱させるような奇妙な出来事が起こった:「私は、当時のガールフレンドと一緒に、ミーティングに行き。。。私たちはある方向へと退席し、アイラは別方向に引き上げていった。この時、バーバラと私は軽くもめていたのだと思うが、するとアイラが戻って来て、私たちが言い争っているのを聞いて、こう言ったんだ ― 冗談のようだったが、それにしても、恐ろしいものだった ― 「彼女を殴っちまえよ」

アイラはカリフォルニアで集めたエネルギーをフル充電して、フィラデルフィアに戻った。彼の望みは、彼の弁護士の行った捜査令状を無効にして欲しいという申し立てが奏功して、日記を取り戻すことだった。裁判官は、令状は有効だとする決定を行った。マイケル・チットウッドが手に入れたものだった。だが、何か他の理由で審理が延期されると、アイラはまた旅を始めた。アイラは行く先々で、「非難の言葉」をいいふらした。

アイラによれば、彼は「彼ら」がして欲しくない事をしていたのだった。彼ら ― CIA ― は、アイラに、テスラと、鉄のカーテンの向こうで発見されたサイキックな技術、そしてリモートビューイングを結び付けて欲しくなかった。

アイラのアパートの中のものが押収された時、彼のパスポートも取り上げられたのだが、アイラは何とかそれを再び手に入れることができ、支持を得るためにイギリスへと飛ぶことが出来た。しかし、イギリスの人々は、マスコミの報道のため、既に疑いを持っていた。脚本家のヒースコート・ハッファーは、アイラに対して、「本当はやったのか」と尋ねた。「彼は私の目をまともに見て、ノーと言ったよ」 またしても、人々はアインホーンの自信と平然とした態度に困惑した。「万事が彼にとって不自由だろうという気がした。彼の仕事は重要だから、これは一種の嫌がらせだ」

フィラデルフィアに戻ると、アインホーンは新たなアプローチを行った。彼はKGB/CIAの攻撃を受けているという説を取り下げて、テキサス州タイラーには、ナチ党の本部の類があって、ホリーの父親はアイラに無実の罪を着せるのに関与していたというのである!

ああ、なるほど!犠牲者のせいにする、サイコパスの古典的な手口だ。

アイラはこの筋書きを始動させるために、友人のジョージ・アンドリュースに依頼して、フランク・マダックスがアメリカ・ナチ党の上級将校であり、ナチスが何らかの形で、ホリーの死体をアイラのクローゼットに置くことに関与した可能性があるか調べさせた。当然のことながらアンドリューは、アイラの意図にショックを受けたが、律儀に調査に取り掛かった。だが、この考えの正しさを立証することはできなかった。

時間が経つに連れて、「非難合戦」は益々ぼんやりしたものになって行った。しばらくするとアイラは、問題に取り組んだり、突っ込んだ質問に答えるのを拒むようになり、アイラは「犯人が誰かは知っているが、それは然るべき時に明らかになるだろう」としか言わなくなった。

1979年11月、FBI科学捜査研究所は、アイラのクローゼットの床板についての検査結果を公表した。検査の結果、血や人体からのタンパク質は見つからなかった。「これで、ホリーの死体が1977年9月から自分のクローゼットにあった訳ではないことが証明された」と、アイラは得意げに話した。アイラは、今や自分の嫌疑が晴れたと声高に弁じて騒ぎ始めた。

フィラデルフィア・バレティン紙のクロード・ルイス
http://articles.philly.com/1997-10-02/news/25537460_1_ira-einhorn-claude-lewis-trademark
によるインタビューで、アイラはこう語っている:

---
アパートには血が無かった。彼らはアパートじゅう探しても血を見つけられなかったんだ!人の頭蓋骨が砕けるまで12、3回殴っても血が見付からないなんてことがあるかい?まともじゃない。。。頭蓋骨は6回から12回。。。複数回砕かれたと推測されてるんだ。それなのに、血がそこらじゅうに吹き出さなかったと言うんだよ。どんなに慎重にやったって、1滴も垂らさないなんて無理だろ!。。。この新データが出て来て、こっちが優位になった。。。これで命拾いしたよ。僕は完全に自由だ。世界市民になった気がする。どこに落ち着いてもいいんだ。だって、本件について、僕は本を書こうと思ってるんでね。
---
(Levy, 1988)


そう、確かにアイラは本を書こうとした。彼の本の提案書にはこう書かれていた:「僕は大衆向けの本を書こうと思う。というのも、僕の事件は明らかに大衆にアピールするからだ。。。思考の最先端で生きている人間の観方でありながら、過度に抽象的、あるいは哲学的なものにはしないつもりだ」

この提案は拒絶された。というのも、アイラは、殺人については語るけれども、本当は誰がホリーを殺したかの推理は行わないと明言したからだ。「曖昧な話に終始しても本の価値が損なわれることはない。というのも、本件に関する公衆の興味の大半は、僕の現在の公的人格の曖昧さによるものだからだ」

つまり、この本全体でアイラは、彼自身と、彼が如何に英雄的に、陰険な殺人の嫌疑に立ち向かったかを取り扱うつもりだったのである。ホリーの人生経験や、誰がなぜホリーを殺したかは重要では無かった。ただ1つ重要なのは、彼の「公的人格。。。に執着する。。。公衆の興味」だった。

彼は一刻も無駄にせず、FBIの検査結果をネットワークのメンバーたちに送っていた。そこにはこう書かれていた:


---
検査を行うには裁判所の命令が必要だった。結果を引き出すには行動しかない。この8か月半は、悪戦苦闘の連続だった。

地獄のような陰謀が張り巡らされていた;それは通常の知識を超えるような陰謀だったので、友人たちの多くには理解できなかった。[「もちろん、自分は特別だから理解できる!」という風に読める]

このため、プレスが、僕を黙らせようとした者たちの術中に陥ったことを咎めたり告訴することはあり得ない。[「僕を疑った人たち全員へ。僕はキミたちを許す。ちゃんと頼めば僕の足にキスさせてあげよう!」という風に読める]

今は、誰が殺人を犯したか、名前を挙げるべき時ではない ― その時はいずれやって来るだろう。
---


云々。FBI報告という証拠を手に入れたアイラの心中では、「地獄のような陰謀」というのは今や既成事実で、そんな彼を守る弁護士に対する、これは基本的に金銭的な援助の訴えだった。アイラはこの検査結果が「極めて重要」だとして論を張り、今日に至ってもそうし続けている。だが、彼が語ろうとしない事実もある ー というのも、サイコパスは、連中の正体をばらさずには語ることができないような事は決して語らないからだが − その事実とは、床板や漆喰についての検査結果が陰性だったと言っても、血や人体のタンパク質が初期の時点ではそれらに含まれていたのに、殺人が行われてから死体が発見されるまでの18か月の間に消し去られたという可能性まで除外するものではない、ということである。

アイラはまた後に行われた、より新しく徹底した手法を用いた2度目の検査の結果、床板と漆喰から人間のタンパク質が見付かった!という事実に触れるのも避けていた。アイラを知る人たちは、彼がこの情報を極めて深刻に受け止めた結果、逃走へと駆り立てられたのだと語っている。彼は自分が逮捕されるのを知っていたのだ。

2000年4月17日の時点でアイラは、2度のFBIによる化学分析によって、証拠となるような、血や人間のタンパク質が検出されなかったと、何とか巧みに言い逃れるような声明を投稿した:


--
ほぼ2年に及ぶ公判前の駆け引きは裁判官によるまずい進行を多く含んでいたが、それが終わった後:ページ番号が見えなくなるように縮小コピーされた報告書が、僕らによって主張すべき情報から取り除かれていたかも知れない;この情報には、僕が以前のガールフレンドを殺したとされる6か月後に、3人の銀行員が彼女の姿を公然と目撃したという情報が含まれていたが;最も重要なのは、FBIおよび、国中に知られた研究所であり、OJシンプソン事件でも検査を行った、ナショナル・メディカル・サービスが出した報告書を受け取り損ないそうになったことだった;これらの報告書は、検察側に焚きつけられて作成されたものだが、これらによれば、死体から漏れたと思われる血液や人間のタンパク質は存在しておらず、トランクの外から見つかった物質がトランクの内側から見つかった物質と一致しなかった。これは殺人に関する検察側の主張とは相容れない事実である;対応:地元で最も高名な雑誌が、各ページに血の滴をあしらった記事を載せた。このような振る舞いは僕がどちらを向いても繰り返されようし、死刑になるのも恐ろしいので、僕は地下生活を求めてフィラデルフィアを後にした。
--


奇妙なことに、上の言明では、殺人が行われたと思われる時間より後に、ホリーを銀行で見た(写真で分かった)と思っている銀行員が、元々1人だったのが、今や3人になっている。この目撃情報は常に誤りと見做されてきた。というのも、実際、1977年9月11日以降、ホリーが銀行でお金を出し入れした記録はないからである。お金を出し入れしないのなら、どうして彼女が銀行に行ったりするだろうか?

アインホーンはまた、彼が自分に対する脅威が高まりつつあることを知っていた証拠として、スタッフォード・ビアからの手紙も引用している。その手紙についてアイラは、こう述べている。「この会話は、1977年の夏、死体でみつかったホリー・マダックスという女性が姿を消す約2か月前に行われたもので、地の文章共々、スタッフォードの手紙から一語一句変えずに引用したものだ」

---
ある日私が、机から顔を上げると、誰かが通りをこちらに向かって来るのが見えた。これはかなり珍しいことだった。というのも、私の居場所を知っている人はまだ殆ど居らず、それを私は秘密にしていたも同然だったし、この場所は一番近い村からも13km離れていたからだ。私は自分の目を殆ど信じられなかった:それはアイラだったのだ。だが確かに − 彼は私の新しい住所を知っている数少ない人間の1人だった。というのも、私はベル社からの包みを受けとり続けたかったからだ。

アイラと私は、とても微妙な問題に関する魅力的な議論にはまってしまった。途轍もなく重要な科学上の発見と、それが人類の生活や社会に及ぼすかも知れないインパクトに関する議論だった。私は今日に至るまで、アイラが私に語った事を公にしてこなかったし、彼が私に語った事が実証可能かどうかも知らなかった。私はきっとアイラが、自分で話した事を信じているのだろうと思い、それが本当だと受け入れるのに困難は無かった。(すなわち、「エイリアン生命体など居ない」ということだった。) 以下のやり取りは、しっかり記憶に残って頭から離れなくなっているので、可能な限り言葉通りに引用してみたい。

アイラ「僕は特別にキミを訪ねて来たんだ。あと他に、ほんの数人のところにも行くつもりだけど、みんな、僕が解明した事を理解できる知識を持った人たちだ。というのも、僕は危険な状況にあるんでね」

スタッフォード「信じられないな。キミは自分たちの政府による陰謀や、『軍拡競争』について憂慮してるのかい?」

アイラ「キミが決めることだ」

スタッフォード「キミは始末されるだろうと言うのかい?」

アイラ「問題なのは、そうはならないだろうってことだ。その結果、沢山の調査が行われ、真実が判明するかも知れない。いや、僕が考えているのは、どうかすると僕の信用に傷がつくのを覚悟しなくちゃならないということだ」

スタッフォード「キミは既に、幾らか信用を落としてないか?沢山の人々が、キミは奇人だと思っている。そして、キミが不道徳で、悪影響を及ぼすと考える人も多い。それだけ沢山の連中が、結局ソクラテスを殺したんだ」

アイラ「その思想は生き残っている。僕が言いたいのはそういうことだ。いや、価値ありとされるには、ずっと強くなくてはならない」

スタッフォード「何かいいアイディアは?」

アイラ「ない。自分を守るのにどうしたらいいか分からないんだ」

誓ってもいい。この通りの事が起きたのだ。私はこの友人が心配になった。
---
(Levy, 1988)


スタッフォード・ビアの話が、これだけ独立して読んでも面白いのはさておき、事実はと言えば、ホリー・マダックスは1977年の真夏に、ヨーロッパでアイラ・アインホーンのもとを去ったのである。彼女が立ち去る時、自分の部屋を借りてそこに引っ越すことは既に明らかだった。つまり、この時点でアイラは既に、ホリーが彼を拒絶したと知っており、この時点から、彼は彼女を殺す計画を練り始めていたのである。この時点で、彼は「無実の罪説」の種を蒔き始めていたのであり、このキャンペーンの最初の「ターゲット」がスタッフォード・ビアだったのである。

後に、アイラが行う「ストーリーのモーフィング(◆ある画像を別の画像に滑らかに変化させるグラフィック処理技術。たとえば、人間の姿を動物に変化させるなど)」はもっと手の込んだものとなったが、再び、ホリーの死を彼女自身のせいにするストーリーになっている。これのバリエーションが、アイラがジャーナリストのラス・ベイカーに対して語ったものだ。ベイカーは自らのアインホーンとの体験を、エスクワイア紙
(※文献参照となってますが、本稿初版はRuss Bakerから↓へのリンクでした。)
http://www.russbaker.com/Ira%27s%20tour%20de%20France.htm
で時間順に述べている。行ったり来たり、散々誘導した後、最終的にアインホーンは、以下のような新説を展開している:


---
物語が始まったのは1970年代半ばのこと、アイラは政府による、主としてサイキック戦争とUFOに関する邪悪な工作に対する理解をどんどん深めて行き、自分の見た真実を暴露しようという気持ちは強まった。

この物語には、元CIAスパイ、現CIAスパイ、傑出したUFO研究家で、謎に包まれた人物、サイキックのユリ・ゲラーが関与している。この物語には、下品な噂が含まれている。すなわち、CIAのUFO調査組織「不思議な机」の当時の管理人が、
http://hihumikai.blog.fc2.com/blog-date-20120323.html
http://www.bibliotecapleyades.net/bb/pandolfi.htm
http://www.bibliotecapleyades.net/sociopolitica/esp_sociopol_aviary03.htm
ホリー・マダックスと情を通じたというのである。この噂を下品だと言ったのはアイラなのだが、彼はこの話題を繰り返し持ち出しており、この噂になった情事が、アイラが唱えるホリー殺害の動機に関する説のもとになっているのは明らかだ。

アイラによると、この諜報機関内では大いに論議が巻き起こっていたが、それはアイラを巡るものだったという。一方の派閥は、UFOについての極秘情報の公表に賛成だったが、他方は反対していた。アイラは何をしでかすか分からない危険人物であり、こうした情報を暴露することが懸念されていた。CIAはアイラにホリー殺しの濡れ衣を着せ、事がスムーズに運ぶよう、仲間の1人を彼女との不倫相手に仕立て上げねばならなかった。アイラが言うには、CIAの「不思議な机」の後継管理者が、彼と「絶えずメールし合う」中で、この物語の幾つかの部分が本当だと請け合った。。。

「彼らは僕の事件を、CIAスタッフとの争いに利用しているんだ。僕は都合よく利用されたんだよ」

アイラがこの物語の語り手であり、不当な扱いを受けた英雄もまた彼なのだった。この物語から、アイラの頭の中に去来したものをうかがうことが出来る。アイラが言うには、彼は裁判で防御のために、この物語を提出することもできた。彼がこの物語をあえて信じる気だったかどうかは、何とも言えない。
---
ラス・ベイカー『エデンの感触』、エスクワイア、1999年12月、寄稿者ページ


ラス・ベイカーは、アイラにインタビューに行った時、彼が「それまでと違っている」ことに気付いた。しかし、ラスが気付いておらず、数多くの人々が理解できないのはサイコパスの持つパワーである。ラスはこの点について、幾分驚きつつコメントしている:


---
こんなことは2日前には想像すらできなかったのだが、殆ど30時間近くアイラと一緒に居た私は、彼から離れねばならないと感じた。だが、彼があるレベルで操作してくることについて、私はいつも気付いていたし、彼はそれが群を抜いて得意なのも知っていた。だが、少なくともこれ程までとは、私もすっかりは心の準備ができていなかったのだろう。これは屈辱的だ。彼の臨床診断結果がどうなのかは知らないが、彼は優れた操作の技量を持っている。彼はプロフェッショナルだ。彼がかくも長い間見事逃げおおせているのには理由があるのだ。私は自分の観方を保とうと奮闘しているのが分かった。
---
(Baker, 1999)


持てる限りの観察力/知性/知識/気づきをもってしても、それでも私たちは捕えられ操作されるのだから、実際、これは屈辱だと分かる。そんなことは弁えているつもりで、騙されるものか、サイコパスにダマされてなどいないと思っている人も、よく再考し、テストをして、注目してみることだ。

結局、何かがおかしい、何かが混乱している、何かが噛み合わないのではないかと疑いを抱き、感じた場合、一番安全なのは逃げることである!サイコパスとやり取りし、話をし、ディベートを行ってスライムまみれにならない方法などあり得ない。無い、無いのだ。

私たちの観方からすれば、アイラ・アインホーンがホリー・マダックスを殺したのは疑いないのだが、そうなると再び疑問に思われるのが、どうして1年半もの間、彼は彼女の死体や、ついには起訴されることにつながった他の証拠を処分するための何の努力も行わなかったのか?ということだ。これはもちろん、真に捕食的な生き物であるサイコパスの根深い本性を理解する手掛かりである。連中の振る舞いは、獣の狩猟行動と比べない限り理解できないのだ。

殺害後、アインホーンが本心を隠すためにごまかし、犯罪を隠すために、冷酷かつ狡猾な行動を行ったのは、冷血で自意識過剰な特定の思考タイプを示すもので、サイコパスの特徴と一致しているし、アイラが数か月前からホリー・マダックスを殺そうと計画していたことをも意味していると思う。その数か月間、彼は慎重かつ抜け目なく、自分の信奉者や仲間たちの心の地固めを行い、陰謀の手掛かりを蒔き、ホリーの遺体を入れて置くのに使おうという明白な意図の下、トランクを買ったのであるが、これは野生の捕食者が ― 獲物を繰り返し味わうために ― 獲物の死体を傍に置いておくのと同じ理由からなのだ。

同時にこれには、神学的リアリティの観点からも、とても深い意味合いがある。アイラ・アインホーンは、ニューエイジ・ムーブメントとして知られるようになったものの創設に力を尽くした人物と見做されている。教育にもめぐまれ、天才だった彼は、一般人の上に立つ人々の間でも、1つの影響圏を作っていた。彼の世界は、科学者や、教育者、知識人、オカルティスト、そして大金持ちにとってのリアリティだった。彼はこうした人々を、殆ど誰の力も借りずに団結させたのであり、ホリー・マダックス殺しについても認知的不協和を抱かせて、こんにちこれらの分野で活躍する研究者たちの心を未だにしっかり掴んで離さないミトス(◆ある集団に特有の信仰形式または価値観)
を作り上げたのである。

私は、陰謀などなかったと言うのだろうか?それは読者の方が私よりもよくご存知だろう!確かに、9月11日という日付の重要性に注目せずにはいられない:ホリー・マダックスの美しい頭部に、残忍な連打が加えられたのは、幻覚のようなアメリカ流の生活様式と主権の「頭脳」であった、美しいワールド・トレード・センターに残忍な連打が加えられた日の丁度24年前のことなのである。どちらのケースでも、アメリカの人々の知覚に重大な変化が起きていることが世に示された。どちらのケースでも、事件の結果、大掛かりなディスインフォメーション・プロジェクトが始動したし、どちらのケースも、CIAその他の諜報機関が「見せ物」と呼ぶしろものだった。それらは、実際に起こっていることから人々の目を逸らすのである。こうした見せ物から生まれたアイディアは、今になっても精力的に広められている。トム・ベアデンは、
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=31233296
知り合いの「真実を語る人たち」が被った様々な迫害を詳細に述べる中で、こう書いている:


---
アイラは突然、アパートのトランクの中にあった腐乱死体に直面した。今、彼は裁判を待っている。殺人の疑いをかけられているのだ。これは実に信じがたいことであり、この友の高い意識とアチューンメントを備えた人格からして、少なくとも私は、即座には信じられなかった。とりわけ彼は、テスラの文書に取り組み、ユーゴスラビア政府と直にやり取りし、テスラ兵器の効き目について情報を公にしようとしていたのだから、なおさらだ。いずれにしても、サイコトロニクスの研究者は徐々に抹殺され、亡き者にされるのではないかと疑わしく思えてきた。
---
(Levy, 1988)


ベアデンはさらに続けて、一連の「異状死」を遂げた人たちは、サイコトロニクスやリモートビューイング等々に関わりがあったと主張する。彼がリストアップしているのは、プハリッチの家への放火;『ベントフ氏の超意識の物理学入門』
http://mixi.jp/view_item.pl?id=878654
の著者イツァク・ベントフ(彼もまたアインホーンの仲間だった)の飛行機事故死;ユリ・ゲラーを研究していたオハイオの科学者ウィルバー・フランクリンの脳卒中死だった。今ではこのリストは、「劇場型物理学者」
http://www.nikkeibp.co.jp/article/matome/20141209/427615/?rt=nocnt
ジャック・サーファッティによって追補拡張されている:


---
ジャン・ブリュワーが、第4帝国はアリカ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=70980656
を利用してニューエイジャーに影響を与えようとしたと言ったのは本当のことだったのだろうか?ブリュワーは、初めてオスカー・イチャーソ(※ボリビア出身の神秘主義者。東洋・西洋のオカルトを混合したアリカ研究所を創設。また、エニアグラムの図形に9つの性格をあてはめた)
からアリカのトレーニングを受けにチリに赴いた、40年代の元々のエサレン・グループの1員だった。アリカはエサレンで大きな勢力を持っていたが、同時に、ソビエトも潜入してきていた。私はジョージ・クープマン
http://www.natsume-books.com/list_photo.php?id=207712
によるオペレーションから引きずり出されたのだろうか?というのも、彼の意見では、私は予測/コントロール不可能だからだ。それとも、真実は私が想像する以上に奇妙なのだろうか?マイケル・マーフィー(※エサレン1961年夏、マイケル・マーフィーとリチャード・プライスという、30歳になったばかりの2人の若者によって設立された)
は、優れた黒幕だったのか?それとも、私と同じようなフォレスト・ガンプ・タイプの単に幸運で魅力的なだけの「役に立つ馬鹿(=良い活動をしていると無邪気に信じ実際には無意識に悪事に荷担している宣伝者)
だったのだろうか?アイラ・アインホーンは無実の罪を着せられたのか?ジャン・ナダルは殺されたのか?フランソワ・ロラン・トリュフォー(=François Roland Truffaut、1932年2月6日 - 1984年10月21日、フランスの映画監督。ヌーヴェルヴァーグを代表する監督の一人)
は殺されたのか?ハロルド・フレドリック・シップマン(=Harold Fredrick Shipman、1946年1月14日 - 2004年1月13日、イギリスの医師、連続殺人犯)
は殺されたのか?ジョージ・クープマンは殺されたのか?これは全て私の被害妄想だろうか?あなたはどう思うだろう?
---
(※↓初版にあったソース表示)
[MindNet Journal, Vol. 2, No. 2A]
http://www.stardrive.org/Sarmail8-16-01.shtml


注意いただきたいのだが、最後までずっとアイラ・アインホーンを擁護していたと思われるのがトム・ベアデンで、この男は、人間の行動を監視/コントロールしたり、気象パターンを変えるのにサイコトロニクスが用いられているというユニコーンの陰謀論の多くに賛成だった。その上、トム・ベアデンは、リチャード・ホーグランドやスターゲートの陰謀とも密接な関係があったのだから、彼の話を素直に聞くのはためらわれる筈だ。

これらは全て見せ物なのである。この死の演劇では、実際に人々が殺されているのだ。モーリス・K・ジェサップ、フィル・シュナイダー、ステファン・マリノフの死を論じた際(『第6巻 未知なるものとの遭遇』)に見たように、このような出来事はこうした見せ物を作り出すために仕組まれてきたのであり、それらから生まれる考えや信念は概してディスインフォメーションなのだ。マリノフがグラーツ大学図書館の非常階段から飛び降りるようプログラミングされていたと思われるのと同様に、アイラ・アインホーンはホリー・マダックスを殺すよう「プログラミング」されていたのかも知れない。だから、その後の報道合戦では、特定のディスインフォメーションすなわち「ミーム」が広められたのだろう。

1つ考慮すべき重要な違いは、死んでいったこれら多くの人々は、殺されたり、自殺に走らせられたということだ。一方アインホーンの場合は、他人の命を残忍なやり方で奪ったのだ。この点は重要である。プログラミングは、基本的な意識周波数共鳴のパラメーター内で実行可能と思われる。すなわち:当人の生来の特質が増幅されるのだ。ポジティブな人なら他人を傷つけるようプログラムされることは無く、きっと自滅するようにプログラムされることだろう。そりゃそうだ!アイラが行うように「アサインされた」事を行うには、アサインされたことを意識していようがいまいが、非常に特殊な人間にやらせる必要があるのだ。

さらに重要なことには、何やら物凄いシークレットガバメントの研究室があって、そこには、コーラの瓶の底のような分厚い眼鏡をかけ、白衣を着た第4帝国の科学者がいて、薬漬けにした被験者の身体に上機嫌で電極を差し込み、レバーを引きダイアルを回して、脳や性器に拷問の電流を送りこんでは、悪魔のようにほくそ笑むというような文脈/背景/経緯は必要ないのである。全く違って、既に述べたように、これは遥かにずっと全地球的規模で巧妙に行われているのである。既に述べたように、奇妙につながる糸があって、これを手繰り寄せて行くと、プリンストンへと戻って行くのである;これから私たちは、間接的であるとはいえ、アイラ・アインホーンもまたつながっているのを見ることになる。この繋がりは何を意味すると考えるべきだろうか?トム・ベアデンほかのようなサーカス団長に率いられた「ニューエイジの見せ物」によって広められてきたようなものとは確かに違うのだが。

前にもMLでの発言を紹介したことのあるディック・ファーリーは、こう書いている:


---
地球人は、本性およびデザインからして、「本来の科学からは少々逸脱した」怪しげな領域に関与してきた/している。これを用いた、政治的でサイコセクシャルなバイオ戦争=死者は出ない宇宙戦争=世界規模でのファシズムのためにパラノイアが種を蒔いた対敵情報活動=人類および、僕らの故郷である星(もし本当にそうならばだがw)の未来の心(「魂」と呼ぶ人も居る)のための戦いのための「異常現象」の適用が目下進行中だ。ロックフェラー氏の友人であるビリー・グラハムは『スターゲートの陰謀』で述べられている資金の多くを投資してきたのであり、その有力メンバーである。大統領経験者や世界的指導者、今のところ「正体不明の誰か」も同様だ。

現在進行中なのは、「宇宙船地球号の舵取り」をめぐる戦いだ。リアリティの客観的定義に従えば、この戦いが行われているレベルでは、これは「リアル」かも知れず、そうでないかも知れない。これは学問的訓練に過ぎない。しかし、信念は人を殺すものである。9月11日の事件で示された通りだ。

「天に隠れた神」から「明かされた」別の一連の「真理」に頼ることでは、人類の集合的な知性を十分に進歩させることは出来なさそうであり、寡頭制の独裁者たちが、「僕ら以外」のために計画し資金提供したことの明らかな、人口削減や地球の乗っ取りが起こる前に、僕らがこれを避け、あるいは抵抗する役にも立たないだろう。

ロックフェラー氏は(ザ・ナインのチャネラーに言われたせいで)、自分がかつてファラオであり、その前はアトランティスの支配者だったのだが、再び地球に転生してきて、財力を持ち、世界に影響を与えるような、今の地位に戻ったと信じていると言われる。古代エジプトの遺物の「探索」が進められているが、それを遺した人々はアトランティスという失われた大陸の子孫だと信じられており、アトランティスはETとコンタクトしていて、何らかの方法でビリー・グラハム他が(様々な本の中で)「天上の戦い」と呼ぶものに巻き込まれたとされる。エジプトの遺跡発掘は、寡頭制の独裁者たちによる「正当性」の探究なのである。彼らは地球を正すため、遠い過去の過ちを避け、今では神話や伝説という靄に包まれた真実を僕らに明かすために、「地上に送り返されてきた」と信じている。第2次世界大戦終結前にナチスドイツによって秘匿された幻覚剤をシャーマンのように用いることで、この男たち(当初は殆どが男だった)は、ヒトラーは正しい道を進んでいたものの、彼の抱いた誇大妄想のせいで、チュートン人による世界支配の再興を目指し、堕落し破滅したのだと信じたのだ。こうしたことを彼らは信じているのだ!

彼らの「巣」に偶然出くわして以降、僕は彼らの文献や教義を研究し、彼らと、文字通り何千時間も共に研究し会話した末、彼らにこう言った。「キミたちの計画はうまく行かないだろう。人間本性の持つコアな特質のため、人類を支配するのにキミたちは『かぎ爪を見せなくては』ならないだろう。僕らは自由を愛する;それ無しでは死んでしまう。僕らの全てがそうだという訳ではないけど、キミたちには僕ら全員を征服することはできない」

彼らにはこう付け加えたい。あなた方にもだ:「未来の地球を支配するのに必要な専制さの度合いは、僕ら(そして「彼ら」)が教師としていかに役立てるかに反比例するだろう」
あなたがたは、その実で彼らを見分ける。(※マタイによる福音書/ 07章 16節)
「あちら側」には用心しよう。
ディック・ファーリー
---


繰り返し何度も述べたように、これこそまさに、カシオペンが繰り返し指摘してきた陰謀なのである。確かにザ・ナインはアジェンダを抱いており、大金持ちの寡頭制独裁者たちは、超次元のコントロールシステムの道具に過ぎないのだが、彼らは何かを「正す」ための、壮大で栄光ある英雄的なワークを自分達が行っているという考えに夢中であると推測できる。しかし、この観方とカシオペアンの観方との間には大きな違いがあることにも気づく:カシオペアンは、現在の状況がアトランティスで起きた事のリプレイであると明言しているのだ。アトランティス人は世界を支配しようとしたが、「アテネ人」に敗れた。ファーリーの鋭い分析によれば、彼らは「遠い過去の過ちを正し、避け」ようとしているという。つまり、彼らはアトランティス人が勝って、世界を支配できるようお膳立てしようとしているのだ。

そしてまた気付くのは、ネガティブなアジェンダの特質である、ドラッグや幻覚剤の使用である。カシオペアンが繰り返し示唆し、公然とすら述べている通りだ:


---
メスカリンやペヨーテ、LSD等々を用いたプロセスによって、霊的な気づきの上位のレベルにアクセスすることは、基底チャクラのバランスのレベルを保つ上で有害だ。 なぜかと言えば、それは被術者の側に依存心を生じさせてサイキックな発達の自然なリズムを変えてしまい、学びのプロセスを意のままに操ることを可能にするからだ。これは、自ら自由意思をアブリッジド(abridged、弱まる)する一形態である。。。上述の他の物質は、ペヨーテ以外、少なくとも部分的には合成によるものである。人間が生理的に、生来持っているものでもない。
---


もちろん、ファーリーも指摘しているように、この人々は実際「何かを探している」。これは彼らが有利になるようバランスを崩し、彼らが戦いに敗れて地球の支配を失った時の「過ちを正す」のに役立つと思われる何かなのだ。

それではどうしてアイラ・アインホーンがここに出て来るのだろうか?「メディアはメッセージである」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3
とアインホーン自身も、公言していた。アイラ・アインホーンはメディアであり、メッセージだった。このメッセージとは何であり、アインホーンが推し進めていたものとは何か、彼が存在し、「出会いの蜘蛛の巣」と呼んだネットワークを形成した結果、私たちの社会に起きた変化が何か、理解しようと試みるとき、私たちが見なくてはならないのは、ヴェールの陰で、レバーを引き、錯覚を起こさせようと、見せ物の全てをでっち上げている「カーテンの陰の男」である。

アイラ・アインホーンはどのようにして、かくも高性能なエイリアン・リアクション・マシンとなったのだろうか?


---
アイラ:「僕の母は、僕が学校に入る前から、僕の注意を集めるような物を惜しみなく与えてくれた。彼女は僕の好奇心を養って、僕が幼稚園に入る前から、小学校3年で習う事を教えてくれたんだ。僕が強いエゴをもつようになったのは兎も角、この家庭教育のお蔭で、僕が学校に入った時には周囲から浮いた変わり者だった」

ビー・アインホーン:「あの子は絶えず読書をしていました。夕食にも、本を持って現れたほどです。ヴァケーションに出かける時も、どうするつもりかしらと思うくらい沢山本を持って行きました。毎晩、3、4時間しか眠りませんでした。長くて5時間でした。私が朝起きて、彼を呼びに行くと、彼は本を読んでいました」
---


アイラは知性が発達していたので、学校では退屈だった。学校に行くのがあまりに不快だったので、毎朝クラスに行く前に吐いた。クラスに着くと、彼は乱暴になり、無礼な、なじるような事を叫び、着席しているのを拒否した。勉強の点数は良かったが、素行の点数はいつも悪かった。

他の学校に転校し、素行でもいい点を取らないと、良い成績が認められないと言われると、どうやら彼は振る舞いを変えたようである。だが、母親によれば、新しい学校は、彼を忙しくさせておくよう努力したのだった。「彼らはアイラが優れた知性を持って居ることに気付いたんです」と彼女は誇らしげに語る。友人の1人は、13歳の彼が、韻を踏んだり、聞き慣れない言葉を言って遊んでいたのを覚えている。
「何してるんだい?」
アイラ「練習してるんだ」
友人「彼の話す言葉はこの上なく流暢でした。彼は言葉で人を魅了することができたのです。彼は教科書に出て来ないような、信じられないような語彙を知っていました。アイラは躊躇せず、間をおかずに、ずっと話し続けることができたのです」

アイラの中学での成績はトップ・クラスであり、標準知能テストでの点数も高かったので、彼は一流大学のプレップ校への入学を認められた。彼のIQは、本人によれば「140以上」だった。(※Mensaが135以上だった筈)

彼は、高校に入る頃には、独自の考えを持って居ると言われ、あまりにエゴが強かったので、服装の規程をあえて破り、同級生たちと違って、1人だけ短パンをはいていた。彼は破壊的な行動も続けていた。教官に対して異議を唱え続け、大声を出して全校集会を目茶目茶にし、一般の迷惑になるような行動に耽ったと言われる。だが、トップクラスの成績を取り続けたので、このような行いも大目に見られていた。

この頃の人間関係について、高校時代の友人の1人はこう語っている:「アイラの力は全く侮れませんでした。彼は会話を支配しようとするんです。それは、自分よりも沢山の知識を持って居る相手だと分かっている場合もでした。彼は話をうやうやしく一心に聞いていて、その情報をどこから仕入れたか見破るのです」 それから彼はそれを自分で探し出すのだった。明らかにアイラは自分がヨーロッパの知的・哲学的エリートだと思い込んでおり、アメリカ郊外に住むただのユダヤ人少年だとは思っていなかった。

スティーブン・レヴィーは『ユニコーンの秘密』の中で、ある奇妙なエピソードを紹介している。アイラの高校での友人の1人が語ったところでは、彼がアイラの家を訪ねると、アイラの母親はしょっちゅうバスルームに行ってみるよう言ったのだという。行ってみると、アイラは目の前に本を拡げてバスタブに隠れているのである。何とも奇妙だと友人は思ったが、アイラが彼の訪問を不快に思っているのは明らかだった。アイラは基本的にバスタブに入ったまま「謁見を許し」、その時読んでいる本について講釈するのだった。私がどうしてこのエピソードに興味を持ったかと言うと、ホリー・マダックスが彼のアパートを最後に出て行って、帰って来なかったとされる時、アイラはバスタブの中に居たと主張していたからである。というのも、当初アイラはホリーの死体を捨てようとしたものの気が変わり、その後数日間、死体から血などが流出しきるのを待っていたという推測が成り立つからだ。私は、彼の話に真実が含まれていた気がしてならないのである:すなわち、「ホリーが去った」時彼がバスタブの中に居たというのは、ホリーの血の中でアイラが湯浴みしていたということではないかと、その光景が思いがけずも浮かんだのだ。お分かりの通り、このような行動は、完全にサイコパス人格にピッタリ合う。

だが今は、幼少期のアイラの話に戻るとしよう。彼は疑いなく、窃盗癖のある少年だった。彼の友人によれば、アイラは雑誌のブッククラブ(=割引で会員に図書を郵送して売る会社)
の広告に出ている本を、大量に取り寄せるということを繰り返した。「どうやって払うつもりだ」、あるいは、「続けて注文する必要があるんじゃないか」と訊かれると、アイラはこう答えるのだった:「心配ないさ!捕まりっこないよ。。。僕は未成年なんだ。本を送ってくるような間抜けどもが、僕を告訴する筈がない」 友人は顔をしかめて語った。「アイラは自分を義賊のロビン・フッドかなんかだと思っていて、自分という大義のためなら、たとえ盗んでも世界は彼に与えてくれると信じていたのです」

高校時代のある夏、アイラは重量上げをし、腕立て伏せをして、身体を大きくしようとした。彼は友人同士で言う「大男」となり、マッチョらしく振る舞った。残念ながらひょろ長い脚はどうすることもできず、にきびに悩んだ。

実に奇妙なエピソードが1つあって、アイラは友人たちに、自分は痛みを感じないと自慢したという。彼は試しに自分の手の上でタバコをもみ消してみてくれるよう友人に頼んだ。果たして、アイラは手をじっとさせたまま、ひっこめなかったという。

アイラは1956年にマリファナを吸い始めたが、これはアメリカの高校生としては未だかなり珍しかった。彼は1957年に高校を卒業し、奨学金を貰ってペンシルバニア大学へと進んだ。興味深い事に、彼は高校の卒業アルバムに写真を載せられるのを拒み、スクールリング(=学校の校章が刻んである指輪)
も受け取らず、卒業パーティーにもジーンズで出た。これは大層ショッキングな事だったので、高校は彼を卒業させないと脅したが、同情した英語の教師が仲裁してこう言ったのだった。「この少年を絞め殺すべきだとしても、アイラを世に出さないことはできない」

大学でアイラは、授業に出ないと勉強できないという考え方を軽蔑した。もちろん、読書は続けたが、概して授業に出ることは拒んだ。歴然たる知力のために、彼の振る舞いはまたしても大目に見られた。また、アイラの教授たちはおそらく、彼を追い出したくて合格させたのだろう。というのも彼は、自分の意見と食い違うような世に知られていない説を引き合いに出し、提唱者である教授たちを威圧するようにして、議論を挑んだからである。

ここまでのところは概して、非常に聡明で早熟、独立心旺盛な子供の話だった。ただし、僅かに厄介なエピソードはあったが、いずれも些細なものであり、不安を抱かせるものではなかった。読者の殆どはきっと、アイラの生き方の主張、権威への抵抗に共感を覚えたに違いない。

私もアイラに共感を覚えた。私も3歳には本を読んでいたし;常にという訳ではないが、しばしば学校が退屈だった;成長するに連れてフェアでない、不合理だと思われる場合には、幾らか権威に抵抗したものだが、それは特に母親に対してだった。学校でも何度か、権威に抵抗した。ある折りを思い出すのだが、ある教師が、他の生徒に対してひどく権威的な態度をとったことがあって、私はわざとその教師をからかった。彼女をクラス全員の前で泣かせたのだ。30年目の同窓会で言われて、この事件を思い出した私は、大いにバツの悪い思いをした。驚きだったのは、これが英雄的な行為の類だと思われていたことだった。当時も、その後を思い出しても、私は少々うぬぼれが強い憎たらしい子供だった。他人を泣かせてしまって、私は深く後悔したものだ。もっともなことだと感じる人もいようが、私はそうは思わない。彼女の行いを許しはしないが、私自身の行いも許せない。

きっと、読者の多くも、他の子たちとちょっとした「肝試し」あるいは「チキンレース」をしたのを覚えて居られるだろう。(私が1つだけ覚えているのは、何を見ても目をつぶらないとか、そのような事である。)

私もアイラ同様、授業中に出される些細な課題には興味が無かった。だが、私はアイラと違って、全体的に成績は芳しくなかった。何故かというと、テストの点はどれも良かったのだが、宿題を殆ど提出しなかったからだ。読書が忙しかったのである。実際私は、授業中も邪魔されずに読書できるよう、大抵は教科書の内側に隠して本を読んでいた。自分で読書して既に学んだ事について、無味乾燥な授業を聞いているよりも、この方がずっと有意義な時間の使い方だと思ったのだ。私はまた、概して読書に夢中なあまり、クラスでは「行儀よく」なかった。両隣の生徒たちに話しかけ、ひそひそ話をして授業を聞いていなかったからといって叱られたし、そのために一度など、教室前の廊下に立たされたこともある。この際、白状してしまうが、確かにトイレでタバコを吸ったこともあるし、一度など、スペイン語の講師が、教室を暗くして、スライドを使って彼女の夏休みの出来事を延々とプレゼンしている時に謀議をめぐらし、彼女にゼリービーンズを投げつけたこともある。彼女はパッと電気のスイッチをつけて、私たち全員を睨み付け、犯人が名乗り出るまで、スライドを続けると言ったのだった。安堵のため息をつくと、クラス全員が記憶喪失になった。

毎晩、時間が来ると部屋の電気を消すよう言われたので、確かに私は、懐中電灯にカバーをかけて、その下で読書した。しばしば徹夜で読書してしまい、起きて学校に行かねばならない時には、死んだようにぐったりと感じたものだ。だが、多少の変人だったことを除けば、高校2年の頃までは、学校に行くのが嫌ではなかった。その頃、私は単に飽きてしまったのだ。退屈だったのである。

要するに:子供時代のアイラの様子についてスティーブン・レヴィーがアイラの若年期の校長たちにインタビューしてまとめた記録を読む限り、真にアブノーマルな事を示すようなものは見当たらないのである。おそらく例外なのは、彼の意識、計画的窃盗、他人の感情に対する配慮の欠如、そして多分、「僕は痛みを感じない」というエピソードである。

だが、私たちは今や、アイラの人生で最も興味深い時期へとやって来た。新しいプレイヤーの登場である。そんな1人が、「ペンシルバニア大学英語学部の傑物にしてのけ者」であったモース・ペッカムだった。モース・ペッカムは「文芸復興の人」だった。彼の知識は幅広いだけでなく、奥行きもあった。


---
ペッカムにとっては、知的生活こそが唯一の生活だった。これは彼の子供時代からずっとそうなのだ。彼の両親には19世紀文化が染み付いていたと彼は述べている;彼が昼寝をする時、母親は彼にテニソンを読んで聞かせた。10歳の時、彼はテニスの駒を人形代わりにして、シェークスピアの舞台を真似した。彼はロチェスター大学生では初めて、プリンストンで英語の学位をとり、博士号も取得したが、やがて、第2次大戦が起こると従軍し、ヨーロッパ戦線で軍務に就いている間に、第9爆撃司令部の公式史を書いた。。。彼は183cm以上もある大男で、顎鬚をたくわえた美男子だった。。。

終生独身だったペッカムは、服装もエレガントで、長い白のタバコ用パイプを使っていた。。。彼の研究における方法論の要は、学際的な学風にあった。。。彼はフリードリッヒ・ニーチェの著作に、ロマン主義時代の頂点を見出し、ロマン主義についての著作である『悲劇のヴィジョンを超えて』
http://shop.gyosei.jp/index.php?main_page=product_info&products_id=8555&previouslinktheme=1
は、学界において傑作として称賛された。60代を迎えるやペッカムは、さらに大掛かりなプロジェクトに乗り出した。それは、彼の持つ文化的知識を用いつつ、芸術、音楽、文学の批評を超えて、人間性の本質そのものを探るというものだった。。。

アイラ・アインホーンがモース・ペッカムのクラスの1つにたどり着いた時、ペッカムは実質的に孤独で研究し、一人暮らしで、知的な理論/発見を日々シェアする相手も居なかった。。。何やらヘビーな知的同志愛が、アイラ・アインホーンとペッカム教授との間にはあった。学生たちの殆どが、ペッカムの知的ヘアピンカーブで息を切らしていた一方で、アイラはこれ見よがしに師について行き、口頭で補足説明を行ったり、論点に相応しいエソテリックな喩えを述べたりしていた。この知的なジャムセッションがクラスの外でも続いていることはよく知られていた。。。アイラの学友たちが、この関係は実際どこまで親密なのかと訝しむのも必然だった。。。だが、多少なりとも同性愛を疑うべき理由はなかった。。。

ペッカムは、自らの精神生活を烈しいスリリングなものと考えていたが、アイディア探究の外側にある感情生活はそこから除外されていた。「アイラに対して」と彼は言う。「私は自分のアイディアを試しに語ることができた。というのも、他には誰も居なかったからだ」
---
(Levy, 1988)


ペッカムの「アイディア」とは何だったのか?彼の初期の著作には、チャールズ・ダーウィンの『種の起源』の様々な版を研究したものがあった。既に述べたように、彼はロマン主義に対して関心を抱いていた。1951年に出版した『ロマン主義の理論』
https://soar-ir.repo.nii.ac.jp/index.php?action=pages_view_main&active_action=repository_action_common_download&item_id=17726&item_no=1&attribute_id=65&file_no=1&page_id=13&block_id=45
で、彼は以下のように書いている:


---
宇宙が時計のような静的メカニズムであるという考えを捨てて、成長中の樹木のようなダイナミックな有機体だと考えてみたまえ。。。このような思考の転換を果たした者にとっては、静的メカニズムにおける諸価値 ― 理性、秩序、不変性など ― は、有機的宇宙における対応物 ― 本能ないし直観、自由、変化 ― に取って替わられるだろう。

ロマン主義的思考は、相対主義的・多元主義的である;それは絶対価値、形式的分類、排他的判断を拒絶し、新奇性、独創性、多様性を歓迎する。それは区別よりも関係性に対して興味を抱く。とりわけ、人と自然、ないし宇宙、そして、(頻度は低いものの)個人と社会との間に想定される有機的関係に対してである。生存の大いなる連鎖は、フィラメントを結ぶ、無限の広がりと複雑さを持つ生きたネットワークによって置き換えられる。そこにおいては、全ての現象がそれら同士の無数の直接/間接の接触によって結びつけられている。植物の脈管系、あるいは、動物の神経組織の塊の如くである。

新たな事実の出現は、単に鎖の輪や歯車の歯が1つ増えたというだけのことではなく、有機的成長/発達の証しであり、それが出現することで、宇宙の既存の様相が変わるということである。新たな特徴とは、全く新しい/違った世界となった証拠なのだ。かくしてロマン主義芸術家は、常に存在してきたような理想的/完璧な形を真似するのではなく、以前には存在しておらず、彼だけが感じ、知っているものをユニークに表現するような形を創造しようと奮闘するのだ。そのために、彼は論理よりも想像力を、サインや寓話よりもシンボルを、意識の力よりも無意識を頼りにする。彼は自分が正真正銘、新しいものを創造しているのであり、その結果、有機的宇宙の全てを変化させ、書き換えていると信じているのだ。
---
(Peckham, 1951)


彼は1986年に、『説明と力:人間行動のコントロール』という本も書いているのだが、こちらでは、文化の発達に対するダーウィン主義的アプローチがより明らかに見られる:


---
人間にとって、世界はサインから成り立っており、人間が世界や、あるいは自分達自身をメタ記号論的見地から考える事は不可能である。世界は無数の糸から成る巨大なつづれ織りであり、無数のデザインが現れては消えているのであって、人間自身も糸やパターンを作り出している。我々は、つづれ織りの中に居て、我々が観察し、反応し、操作する人影である。我々の反応を決定付けるサイン(布置)が存在しないゆえに、世界は幻想に過ぎないという昔から知られる考え方は妥当である。だが、それが妥当するのは、ある点までに過ぎない。というのも、世界の物質的特質が、我々の反応の範囲を制限するからだ。我々は水を用いて多くの事が出来るが、そんな事が出来たら魅力的ではあるものの、今のところ、それを使って摩天楼を建てる術を知らないし;我々自身か、あるいは水に対して何かの処理を行わずに、その上を歩くこともできない。もう1つの考え方によれば、我々の世界は我々の抱く観念なのだが、それはまた現実でもあるという。心は世界を超越する一方で、超越していない。プラトンのデミウルゴス(=製作者の意。イデアを範型として,これを素材に写し出し世界を製作する神)
は、現実を創造しなかったが、秩序化に着手した;彼はカオス、すなわち、人間の行動が実際にそこにある物質に働きかけるという認識を秩序付けようとした。幾分新しい言いかたをすれば、世界は客体であり、人間は主体であって、主体は客体とは異なるものの、それでも何らかの意味では同じなのだ。
---
(Peckham, 1986)


モース・ペッカムの説によれば、「文化に対する破壊行為」 ― 確立された価値を攻撃して台無しにする、ランダムで愚かな破壊行為 − によってのみ、社会は変革のための刺激を受けるという。人類は奮起してこのような極端な破壊行為を行う必要がある;さもないと、比較的短期間のうちに適応的に生理/行動を変化させるという驚くべき能力を持つ昆虫に、負けずに居られる望みは無いというのだ。ペッカムによると、哺乳類である私たちが持つ、記憶や内省という能力のせいで、人類は過去の重荷によって、すっかり抑え込まれてしまっている。哺乳類のような良心の重荷を背負っていないので、昆虫は、ニーチェが美徳と呼ぶ忘却を楽々と実践している:成虫の蠅は、蛆虫の頃知っていたことを覚えていないのだ。
(※『忘れっぽい人々は幸いである。彼らは自分の愚行をも「綺麗さっぱり」忘れてしまうからだ』(岩波文庫「善悪の彼岸」第7章 217) ※※)

つまり、ペッカムはサイコパスを賛美していたのであり、アイラ・アインホーンの本性こそは、ペッカムが賛美していた、行動するサイコパスなのだった。アイラ・アインホーンについて、モース・ペッカムはこう述べている:「アイラは傑出していた。彼は広汎に読書していたし、読んだ事を理解する能力を持っていたからだ」

しかし、アイラと面と向かって幾らか時間を過ごすうち、ペッカムは、やり取りのうちの何かがおかしいことに気付き始めた。彼は、アイラが自分の言葉をオウム返しに投げ返してくるような奇妙な感じがしたのだ。「私は依然として彼にとても興味があったし、仲良くもしていたのだが、彼に話し掛けると、まるで反響室に居るような感じで、私自身の考えが、何か修正されたり、彼の思考を付け加えられたりすることもなく、戻ってくると感じ始めた」

ラス・ベイカー同様、モース・ペッカムはサイコパスに惑わされてしまったのだ。だが、彼は問題を分析もしていて、彼の分析は、サイコパスを見分ける手掛かりをはっきりと指摘している。連中はオウムであり、猿、反響室なのである。だが、ベイカーが指摘していたように、アインホーンとしばらく親しくした後になって、自分の精神的明晰さが問題を来していたと気付くのは屈辱だった。モース・ペッカムほど優秀な人でも、これに気付くには幾らか時間が掛った。というのも、実際彼が相手にしていたのは卓越したサイコパスだったからだ。

モース・ペッカムがアインホーンに騙されていたことには同情を感じるかも知れないが、モースに関しては、他にも決定的に興味深い何かが存在していた。モース・ペッカムに関して言われていた実に興味深い事を振り返ってみよう:彼はどこで博士号を取得したのだったか?プリンストンだ。いつ?おお、ナッシュがそこに居たのと大体同じ時期だ。ペッカムは、ある人々に言わせれば、「知的乗っ取り屋」だという。彼は、「文化史家」たる者、「全てを知って」いなくてはならないと主張した。彼は、ある分野の本を実に徹底的に読んだので、その分野の専門家が考えるのと同じように考えることができるようになった。彼の著作から推測できるのだが、モース・ペッカムはゲーム理論の影響を強く受けていたのである。

ここからどんな結論が導かれるだろうか?モースは陰謀の一味だったのか?アイラと意識的に交流したのは、彼の将来の役割を準備するためだったのか?それとも、モースは単に本来の彼らしく振る舞っただけであり、アイラもありのままの彼だったのだが、多分マトリックスが幾らか「いじくり回されて」、この2人が確実に出会うようにされた結果、こうした神学的な思想の全てがアインホーンの頭に注入されて、彼が独自のスピンを加えることも担保されたのではないだろうか?

こうした事は、全く単純ではない。糸を手繰り寄せ始めた時にはどんな秘密が明らかになるかなど、決して分からないものだ。私たちは1つの繋がりを発見したのだが、それはペッカムと、保釈査問会でベル社の重役が言っていたように、後にアイラ・アインホーンを「活用した」、この電話会社とを結ぶものだった。マーク・D.ボウルズによる『AT&Tの人道教育実験、1953-1960年』(The Historian 61号所収)によると、アイラの「ネットワーク」は、その前に行われたソーシャル・エンジニアリング実験の結果、実験者が望まない結果が判明したため、それに歯止めを掛けるために企図されていたのである。
(※WikipediaのAT&Tの項:1877年、19世紀におけるアメリカの二大発明家でもあるグラハム・ベルが興したベル電話会社が前身であり、1885年に世界初の長距離電話会社として発足。)


---
1949年、ソビエトは予想外に早く核実験を成功させたが、これはアメリカ側の妄想と不安を募らせることになった。歴史家のヴィンセント・ラフィーバーが書いているように、「アメリカの政府高官の中には、ソビエトがこんなに早く核実験を行うと予想していた者は殆どいなかったのである」 この結果新たに訪れたのが「核の恐怖」の時代であり、それは文化の到る所に広まって行った。。。

一般教養訓練課程を開始した主な理由の1つは、冷戦時代においても「アメリカン・ウェイ」を保存することだったのだが、モリス・ヴテレス
http://www.bookportal.jp/product/02756340
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/AA11868267/13482084_63_13-21.pdf
の行った実験が示すように、参加者は、非資本主義的な政治イデオロギーに対して、より寛大になってしまったのである。訓練後、「自由と正義は社会主義国家にも存在しうると思う」と答えた参加者の数は3倍に増え(第1問)、「民主主義は自由主義経済に依存すると思う」と答えた参加者は大幅に減少した(第3問)。AT&Tの幹部にとって、これは明らかな脅威だった;彼らとしては、アメリカの経済体制の土台そのものを破壊するような訓練課程をサポートし続けることは最早できなかった。。。英語教授のモース・ペッカムが、このプログラムを企画した。
---
(Bowles, 1998)


またしても、経済はその醜い頭をもたげたのだ。この報告から1つ分かるのは:こうした事全ての責任者は全知ではないということである。だが、アイラ・アインホーンがモース・ペッカムと親しく付き合っていたこの頃、ジョン・フォン・ノイマンやジョン・ナッシュの研究を中心に発達した経済理論を支持するというアジェンダを明らかに持っていた、ペッカムの企画したプログラムが失敗だと分かったのは明らかだった。代替案が実行に移されたのは明らかで、その中心に居たのがアイラ・アインホーンだった:被害妄想を復活させよ!ロシアの優位やロシア人が人類に対して邪悪な実験を行っているという信念を復活させるのだ!

ということは、どんな類の知的ジャム・セッションをアイラはモース・ペッカムと行っていたのだろうか?

1959年秋、アイラが大学3年の時、彼はマイケル・ホフマンと出会った。ホフマンは英語の大学院に入ったところだったが、すぐに2人は親友になった。じき、ホフマンは結婚して、子供が出来たが、アイラはホフマンに対して、「普通の生活」など投げ捨て、妻子を見捨てて、真に「生きる」よう繰り返し勧めた。ここからモースがアイラに与えた影響の手掛かりを窺い知ることができる。

アイラは既に生計を立てるために働くのは自分のすることではないと判断していたので、モース・ペッカムが、授業料を出すから(!)大学院に進むよう彼に勧めた時、彼はそれが、生計を立てる上で自分の好みに合った良い方法だと思った。しかし、ペンシルバニアで彼は「フォルスタッフ(=シェイクスピアの作品に登場する架空キャラ)のような人物」として暮らしてきており、読書、おしゃべり、セックス、ドラッグ、そして方々への旅行を行って専ら過ごして居たので、きちんと学科を修めた証拠となる卒業論文を受理してくれるよう、彼は教授たちを大急ぎで説得して回らなくてはならなかった。教授たちの殆どは受理してくれたが、1人の教授が落第点を付けたので、アイラは留年しなければならなくなった。彼はそれを拒絶した。

アイラの友人や家族は、彼に考えを変えさせようと、猛烈に説得した。彼の母親はその教授に話をつけに出向きさえしたのだが、こう言われてしまった。「いいですか、アインホーンさん。私はご子息がどんな顔なのかさえ知らないんですよ。。。どうして合格させられるでしょう?」

レヴィーは、ついにアイラも気が変わり、大学の優位に屈しても快適な暮らしが続けられれば十分だと悟ったと述べている。彼は脅され、大いに不平を述べながらも義務を果たし、1961年に単位を取得したという。だが、モース・ペッカムの影響を考えると、彼が似つかわしくない改心を行ったのは不思議である。

1962年、モース・ペッカムはヨーロッパの旅に出、アイラの友人であるマイケル・ホフマンはメリーランド州で教鞭をとっていた。アイラはホフマンに対して定期的に手紙を出していたので、この時期の彼の思考の一端は記録に残っている。彼はまた日記もつけていた。1999年12月14日午後2:53に出したメールの中で、アイラ・アインホーンは彼の日記について、以下のように書いている:


---
1979年3月28日の朝。。。フィラデルフィア警察の一団が捜査令状で武装して、僕の小さなアパートに入ってきた。彼らは立ち去る際に、証拠として一部が腐りかけた死体を運び出したのだが、この結果、僕の社会運動家生命は、実質的に終わったのだった。彼らはまた、明らかな理由も無しに、僕の論文の全ても持ち去ったのだが、その中には、僕がつけていた63冊の日記と、長年に亘って僕が国際情報ネットワークを通じて収集し配布していた情報の全ても含まれていたんだ。

僕はこれらの文書をその後見ていない。おそらく今後も見ることはないだろう。上で述べた日記の方はその後、1人のジャーナリストの手に渡り、彼はそこから頻繁に、時として文脈とは無関係に引用を行い、僕をすっかり闇の殺人者として真っ黒に描いた本を出した。僕が個人的に書いたものを利用するのはもちろん違法だが、自分が置かれた状況のため、僕にはどうすることもできなかった。これは僕の事件に関して取られた公的措置全般に見られるパターンの1つなんだ。このような措置は今日も続いている。
---


上のメールを読んだ時、私は驚きのあまり、殆ど窒息しそうになった。なんと、アイラは、彼が心から愛していた筈のホリー・マダックスの「一部が腐りかけた死体」が見付かった事について、彼女のせいで「社会運動家生命は、実質的に終わっ」てしまい、迷惑を被ったと言うのである!!その「一部が腐りかけた死体」がかつて生きていて、息をしていた女性であり、こんな風にしてまんまと殺され一生を終わらせられたことなど一顧だにしないのだ。ホリーを気の毒だと思うような言葉はないくせに、アイラは自分が可哀相だというのである。

続けて彼は、日記を失って残念だと述べる。まったく!よくもそんな事が言えたものだ!その上、「明らかな理由も無しに」だって!彼が愛していると主張する女性の死体が、自分の家で発見されたことなどお構いなし、アイラの日記を彼から取り上げる「理由が無い」ときたものだ。可哀相な子、アイラ。彼は泣きそうなのだ!その上、日記の中身からして、それを利用するのは違法だと、彼は不満なのだ。なにしろ、彼は全く無実で、哀れなのであり、人の頭をガンガン叩き潰すのは良くないと、嫌な人々に悪口を書きたてられ、ひどい目に遭っているのだから!

レヴィーは、アイラが書いた日記や手紙から頻繁に引用を行っている。読者はこの『ユニコーンの秘密』という本を買い求めて、1、2度通読されるといいだろう。そうすれば、アイラ・アインホーンの衝撃的なサイコパス的栄光の全貌が分かる。だが、この本は単にアインホーンの物語であるというにとどまらず、ニューエイジが築かれる土台となった、1960-1970年代の政治とポップカルチャーの歴史をも描き出している。現在進行中の事を理解する上で、それに先立つ時代、並びに ― 真のスターゲートの陰謀から人々の注意を逸らす ― 大いなる「ニューエイジという見せ物」をでっち上げる上でアイラ・アインホーンが果たした役割について理解することは不可欠だろう。

アイラとサイコパスの話に戻ろう。いかにして警察が(何の理由もなしに!)彼の日記を盗み、どうやってレヴィーが、彼について書くためにそれを盗用したかについて、アイラが愚痴を言っていたという話だ;これによって彼は、サイコパスの知覚に関する、何やら興味深い手掛かりを私たちに与えているのである:


---
アイブル=アイベスフェルト(1970)とコンラート・ローレンツ(1966)は、社会性動物が持つ、攻撃性を制限するメカニズムを提唱している。例えばイヌのような動物の場合、自分より強い敵に攻撃されたときに喉を相手の方に向ける習性があるが、こうした降伏を意味する振る舞いの結果、相手の攻撃は終了すると、彼らは述べている。ジェームズ・ブレア
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=79338438
は1995年に、この考えに基づいたサイコパスのモデルを提唱した:すなわち、人間にも機能的に類似したメカニズムが存在するというのだ:彼はこれを暴力抑制メカニズム(VIM)と呼ぶのだが、それは苦痛の非言語的コミュニケーション ― 例えば感情であり、あるいは、痛みや苦悩の表現 − によって、起動されるという。暴力抑制メカニズム(VIM)を持っていることは、道徳性の3つの側面が発達する上での必要条件だとブレアは述べる:

1. 道徳的感情(例えば、同情、罪、後悔、共感)、

2. 暴力的行為の抑制、

3. 道徳と因習の区別。

サイコパスにはVIMの機能が欠けており、そのため、他人が苦痛を示していると看取できる手掛かりにも影響されないのだとブレアは唱える。ブレアは彼のモデルに基づく予測を幾つか行った:

(1)サイコパスは道徳的ルールと因習的ルールとの間の区別ができない;

(2)サイコパスは、道徳的ルールを因習的なものであるかのように扱う;すなわち、サイコパスは、許された状況においては因習同様、道徳も逸脱してOKだと言う;

(3)サイコパスは非サイコパスの対照群に比べて、犠牲者の苦痛や不快感に言及することが少ない。[Blair & Morton, 1995, p. 13]

ヘアのサイコパス・チェックリストを用いて識別した被験者を使った研究で、ブレアは以下を実証した:。。。非サイコパスは、道徳と因習の区別ができるのに対し、サイコパスはできない;第2、そしてこれは予測とは大違いなのだが、サイコパスは道徳の逸脱を因習の逸脱のように扱うというよりは、因習の逸脱を道徳の逸脱のように扱う;そして第3、これは予測と同じで、サイコパスは犠牲者の幸福に関係する事柄を正しいと評価する可能性がかなり低い。
---
イアン・ピッチフォード『暴力の起源:サイコパスは適応か?』
http://human-nature.com/nibbs/01/psychopathy.html


さて、ブレアによる、このちょっとした発見は、非常に重要なものかも知れない:サイコパスは因習の逸脱を道徳の逸脱のように扱うのである。つまり、サイコパスは、連中が好まない事を他人からされると、それを「道徳の逸脱」として知覚するということであろう。連中は、他人との意見の不一致を、その相手に危害を加えるべき「道徳的」理由とみなしさえするのである。ここから導かれるのは、サイコパスは、連中の欠乏や欲望を、いわば「神が抱くもの」として知覚するということだ。どんな因習的理由からであれ、サイコパスに対して行われた何か、サイコパスとの意見の不一致はいわば「罪」なのであり、こうした「罪」に対する反応として、連中は、恰も何か道徳的にひどく悪い事が連中に対して行われたかのように不平を言うのだ。これは、サイコパスが連中の真に不道徳な行為を「道徳的なもの」あるいは「道徳的な立場に立つもの」として正当化しようする一方、他人がいかなる形でその行動を道徳的に正当化しようとも、理解できないのである。

これはエゴの問題につながる。スティーブン・レヴィーが書いているように、アイラ・アインホーンはジブラルタルの岩のように極めて堅固な自己イメージを持っていた。このエゴの根源は容易に辿ることができる:彼の母親である。彼女は、彼女のプライド、アイラの知能の自慢、アイラの「優れた」知性の発達に対する彼女の絶え間ない気配り、アイラが「天才」であるが故に行う奇行の結果から彼を守ることによって、息子の中に途方もなく強力な自己イメージを植え付けたのだった。

という訳で、天才であり、「神秘的な、神のような存在」であったアイラ・アインホーンは、自分の目で見て悪いことなど何もしている筈がなかった。だからこそ、彼は日記が公開される結果、自分について何が明らかになろうと恥ずかしくないのだ。彼が注意深くイメージを築き上げ、そのために戦ってきたと主張した全てが嘘だということになろうともである。アイラ自身が嘘だと認めない限り、彼は自分のイメージを維持し続けることができるのだ。彼が嘘をついていると知っている人々にとっては全くの驚きであるという事に、彼は全く気付いていないのである!サイコパスである嘘つきはまた、たとえ反対の証拠があろうとも、真実より嘘を信じる人々が数多く居るということを知っており;彼がもし嘘を認めようものなら、自分がそうであると信じている「群れを支配する雄(ボス)」としての地位を失うことも本能的に知っているからこそ、最後の最後まで、「食料」源である、このグループにしがみつくものだ。この地位を失うことは、破滅を意味する。既に見たように、単刀直入な質問に対しては「意味論的ゲーム」をプレイすることが、サイコパスにとっての解決策なのである。

それでは、アイラの日記にはどんな事が書いてあったのだろうか?

問題の年月についてアイラは単に「読書を続けていた2年間」だと述べている。奇妙な事を書かれたこの時期に起きていたことも彼に書かせるとこうなるというアイラ・バージョンなのである。彼はまた、ホリー・マダックスが立ち去った時、彼は風呂に入っていたのであり、その後彼女の姿を見ることはなかった、と書いている。

既出のメールでアインホーンは、ジャーナリストのスティーブン・レヴィーのことを、「(僕の日記)から頻繁に、時として文脈とは無関係に引用を行い、僕をすっかり闇の殺人者として真っ黒に描いた本を出した」と述べていたが、レヴィーは、単に彼の日記から引用を行っただけではなかった。彼は日記の中で述べられていた人々にインタビューも行っていたのだ。だから、ホフマンに書き送った手紙の他に、日記の記述と、実際の目撃者(「犠牲者」というべきか?)による証言もあったのである。アイラには言い訳のしようがないのだ。彼は嘘つきそのものである。だが、全てのサイコパス同様、彼は嘘をつくことをためらわない。彼は嘘をついていることを証明するような事実を突きつけられても恥ずかしいとは思わないのだ。彼はジブラルタルの岩のように巨大なエゴから嘘をつき続け、彼が嘘をついているのを知っている人々に対してショックや恐怖を感じることもない。そのような人々は、嘘がばれたら悔やむだろうが、それは彼らが恥ずかしがったり悔んだりでき、良心を持っているからである。だから彼らは嘘をつかないのだ!

ということで、1962年の話なのだが:アイラは随分と旅行を行っていた。オハイオ、シカゴ、ニューヨーク、それ以外にどこに行ったかは神のみぞ知るだ。彼はまた、バーモント州のベニントンで、学部生だった頃に出会ったガールフレンドとの時間も過ごした。この頃、彼はホフマンにこう書き送っている:


---
僕は将来的に何をしようか決めようとしてるんだが、今見えるのはカオスばかりだ ― しめしめ、それは大好きなんだ。。。今のところ、30前に教鞭をとることは夢想だにできない。様々な分野の偉大な学者たちの経歴について読めば読むほど、長年かけて慎重に準備するのがとても大事なのだと益々実感するよ。。。僕は辛抱強く待つことを学ばねばならない ― やがて然るべき時が来れば、僕は自分が直面している問題について読んで来た全ての事に全力を注ぐつもりだ。アメリカ人は、どうしたら物事が熟すか知らない ― ただひたすら作り出そうとするばかりだ。僕たちは静かに待つ事を学ばねばならない。
---
(Levy, 1988)


その後彼は、上で述べていた静かにしているという野望とは正反対のことを書いている:「僕は最近早口になって、みんな僕の話を聞いているけど − 理解できるのはごくわずかだ」 それから彼はホフマンに、1人の女性の物語をするのだが、彼女は彼の言った事にすっかり動揺してしまって、「ヒステリーを起こし、倒れてしまわんばかりになり」寮に戻ってしまったという。

疑問なのは、上の言い分は、何か全く別の事の「アイラ・バージョン」ではないのか?ということである。これは彼の別の物語、すなわち:「僕が風呂に入っている時ホリーは出て行ってしまい、戻ることはなかった」あるいは「僕は2年間読書に耽っていた」というのと似たようなものではないのだろうか?

こうして私たちはいよいよ、問題の核心に迫ってきた。アイラ・アインホーンは、個人の自由や、政府の圧政への抵抗、エコロジー的行動、超常現象やUFOへの注意喚起といった考え方を、中心に立って推し進めてきていた。

多くの人々が、エゴが大きくても、こうしたメッセージが損なわれるものではないと言ってきた。この男がサイコパスであるというだけの理由で ― たとえ偶然だろうと − 善を成しえないものだろうか?アイラは沢山の良い事を行ったのではないか?ただ1つ問題なのは、アイラが繰り返し引用したマーシャル・マクルーハンの言葉通り、「メディアはメッセージである」ということだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%8F%E3%83%B3

著作家ウィリアム・アーウィン・トンプソンは言っている:「ある人々の放つオーラを私は好きになれない。そのような人の近くに居たくないものだ」 別の評論家はアイラのことを「社会的サイコパスだ。。。その定義だが、自分自身のルールを作れると思っている人間のことだ。彼は、社会とは自分が特別な役割を担っている場だと思っている。彼はおそらく、誰の事をも、様々に操作するだろう。彼は然るべき時に、ふさわしい場所をたまたま見つけたのだ」

常に何人か、トンプソンのように、アイラの正体を見破って、ただの左寄りの言動をする詐欺師だと考える人が居るものだ。多くの人々が見逃している重要な点は、アイラが反体制的なカウンターカルチャーを基盤に有名になったにも拘わらず、彼が専ら達成したこととは、平和のムーブメントにとっては逆効果となるような被害妄想の推進だったことである。アイラ・アインホーンが宣伝していた究極のメッセージが、人間のグループ同士を戦わせるためのものであり、あるエイリアンの神々 ― すなわち「ザ・ナイン」 ― こそが、私たちの居る混乱状態の中に入って来て、正しい状態にしてくれる(操作することによってだ、と付け加えるべきだろう)と述べるものであるという事を考えるならば、彼のメッセージは違った角度から見る必要がある。

つまり、「メディアはメッセージである」というのは、私たちが想像する以上の内容を含む言葉なのだ。アイラがメディアなのだから、アイラを知ることとは、彼の内側や陰に居る勢力を知ることなのである。

ホリー・マダックスの殺害という「苦境」にアイラが陥ったことで生まれた認知的不協和は、彼のプライベートな生活に関係があるだけではなかった。たしかに彼のプライベートな生活は、彼の公的人格と全く矛盾するものなのは明らかだった。だが、この認知的不協和は、一般的な意味合いで世間を揺るがした:「殺し合うのでなく愛の営みをしよう」という理想的な決まり文句の代理人が、完全なペテン師であるとバレるのを目の当たりにするというビジュアルなショックである。アイラは詐欺師のビジュアル・イメージだったのであり、60年代の決まり文句を口にする一方で、その世代の理想の1つ1つを内心では嘲笑していたのだ。それは、オープンカーに座っている大統領を、国民の目の前で白昼堂々と暗殺することができ、誰もそれを止めることも何もできないのだと分かるのとほぼ同じくらいのショックだった。それは、言ってみれば、父親を失うような無力感を抱かせるものだった。

アイラがホリー・マダックスを殺したという事実が産み出したのも、これと似た無力感だった。誰が信頼できるというのか?愛とエコロジーに一生を捧げると称する人々でさえ信頼できないのか?私たちのビッグブラザーであるアイラ・アインホーンはホリーを殺し、エルビス・プレスリーがドラッグの使用で死ぬ、この世界におけるカウンターカルチャーの、本当の意味とは何だったのだろうか?行動主義のパレードは崖に向かって暴走して、不合理な被害妄想に取りつかれ、それに反応するかたちで、1980年代 ― 第二次大戦後のベビーブームで生まれた人々が大人になった時代 ―、人々は変態するため、繭に引きこもった。上で述べたように、彼らの多くはベビーブーマーで、両親である男女が当時の「自由恋愛」思想の結果妊娠して産んだ人々であり;これは確かに、最もアグレッシブに誰とでもセックスする人々の遺伝子 ― 実はサイコパスである ― が野火のように広がる状況であった。

1964年にアイラは、以下のようだと述べられている。「本と女性のコレクターであり、何と言っても、幾分の目利きである。。。彼は自分の年頃の男なら、200人から300人の違う女性と寝たことがあるのが普通だと思っていると告白した」 インタビュアーはコメントしている:「これは脅迫観念的なカサノヴァ・シンドロームを合理化しようとするものなのかどうか、彼は何か自分の力量を示そうとしているのかどうかについて、私は何とも言えないが、彼が平均的でないのは確かだと思う。彼は知的能力においても、セックス過剰と呼びたくなる能力においても、並外れている」

アイラ・アインホーンにとって、それは次から次へ、なのだった。彼は「輪姦」にも参加したが、そちらの方向に向かって行った訳ではなかった。移り気過ぎるのは疑いない。アイラは口先では女性の気を引くのに長けているようなことを言っていたが、誘惑の「テクニック」と方法について彼が語る内容は、言葉と行動が一致していないことを如実に物語っていた。ある時彼はこう述べている。「セックスに対して不誠実な態度をとる人類の文化的遺産のせいで、健全な乱交をし、美味しい食事のようにセックスを楽しんでおいて、後は忘れてしまうということができる人は殆ど居ない」 これは標準的なサイコパスである;これがどういう意味かというともちろん、彼は「健全な乱交」を楽しめる、高尚なほんの一握りの人々の1人だったということだ。

レヴィーの本を読むと、アイラ自身の言動を説明しつつ、描かれている彼の姿は、単にひどい男女差別主義者であるというにとどまらず、最悪の性的捕食者のそれである。常に、てっとり早い行きずりのセックスの相手を探していて、「美味しい食事のようにセックスを楽しんでおいて、後は忘れてしまう」というのが、どうして「利己的でない」行為であり得ようか?

アイラとこの種の関係を持ったパートナーたちの中には、満足したと言う人も居たが、彼が心を射止め、満足させたと主張した、数百人の女性たちの多くが物語る内容はかなり違っている。彼女たちによれば、アイラのスタイルはおざなりで、失望したという。「アイラがセックスについて話すのを聞いたんだけど、相手が肘までオーガズムに達するぐらいだと言ってたんだ。でもざっくばらんに言うと、彼と寝たことのある女の子を4、5人は知ってるんだけど、彼女たちはそうじゃなかったらしい。ホントにセックスしてるという感じがしなくて、そこには誰も居ないみたいだったと言うんだ。領土を征服したらそれで終わりみたいな感じだったってね」

アイラの評判を聞いて彼を支持していた、ある人が、こうした噂が広まっているのを聞いて、テストすることにした。どんなテストだったかというと、彼は「アイラと会って、してもいいと言っている」とても魅力的な女性を呼び出した。決定的証拠は:この友人もオブザーバーとしてベッドルームに居たのだが、アイラは「堂々と」いたしたと報告した。

馬鹿じゃないの!あなたはどう思われるだろうか?サイコパスは役者なのだ。彼が観客の前で本当の自分を見せると思われるだろうか?

サイコパスだと見分けられるような手掛かりの1つが、アイラを何年か知っていた、ある女性によって明かされている。2人が最初にあった時に、彼女は彼と関係を持った。


---
彼は私を知りたがり、私が万事どう感じてるか知りたがったんだけど、彼が自分でどう感じるのか話した記憶はないの。彼は極めて自制心が強くて、彼のする事は全て、考え/計算されてたわ。彼は有利な立場に立っておいて、人のために何かするのが好きで、誰かに頼ってると感じるのが好きじゃなかった。不自然なくらいだったわ。私はこうまで言ったのよ。「あなたは怒ったり、悲しんだりとか、何か感情を表したことはないの?自分のする事や他人について、感じたりしないの?」ってね。それについては、彼、話そうとしなかったわ。すっかり心を閉ざしてたの。
---
(Levy, 1988)


実は、アイラは4人の女性と「情熱的な関係」を持ち、無意味な戯れ、すなわち1対1での人類的対話以上の仲になったのだという。これら4人それぞれとの関係で、アイラは「恋に落ちた」と自認している。実際のところ、彼に仕えるような女性が居た場合を除けば、彼が女性に興味を持ったのはどうやら、彼に服従しようとせず、最終的には拒絶するような女性に対して、執拗にこだわった時だけだったようである。アイラにとって、「愛」とは「他人に対する支配欲」だった。彼女たちのうち3人との関係で、「対象」から心的/感情的服従を得られなかったアイラは、拒絶に対して暴力で反応した。そうした女性の1人がホリー・マダックスだったのだ。日記の中でアイラ・アインホーンは、獲物につきまとう獣の正体をさらしている。

1962年初頭、アイラ・アインホーンは、「リタ・シエガル」と出会った。2人の関係は、実際のものと言うよりは、アイラの想像上のものの作用だった。


---
リタはロングアイランド出身でベニントンに住む、賢くて、思った通りをはっきり言う女の子だった。彼女はダンサーだった。。。彼女がアイラに会った頃。。。彼女は自惚れのせいで苦労していた。。。「誰かにちやほやされたり、頭を撫でたりされようものなら、大騒ぎしちゃってたの」 四半世紀前の自分を、彼女は今こう振り返る。「で、私、ホントに生活に困ってたのよ。だから、彼が頭を撫でてくれて、幾らか興味を示してくれたことから、彼との関係が始まったわ。そのうち、私は彼の知性をリスペクトするようになったの。彼は本当に知性的に見えたのよ」 しかし、リタ・シエガルによると、彼女はこれが非凡な関係で、人生において極めて重要な相手と結ばれたとは思っていなかった。この時アイラ・アインホーンは対照的な受け止め方をしていた:

「美貌のリタの愛を得ることで、先行きの不安に対する悩みに、僕が持ちこたえられたらと願う。彼女と居ると、全てが消えて無くなる ― 彼女がどんな行動をしても、「理解できる」という穏やかな気持ちが不意に訪れて ― 全てが喜びと光になるんだ。愛よ、万歳!」
---
(Levy, 1988)


どうやらリタは同じように感じて居なかったようだ。アイラはサイコパスがよくやることをしていた:自分のリアリティをフィクションの構築物であるかのように見做して、自分自身が考えた姿を他人に投影するのだ。文字通り見事なまでにロマンチックな考えをリタに押し付けつつ、アイラは作家が小説の展開をコントロールするように、自分が2人の物語全体をコントロールできると考えていた。リタはこう説明している:「とうとう彼はそんなファンタジーの世界に入りこんじゃったのよ。でも私は個人的にはどうしても受け入れられなかったの。だって、彼は相当に現実離れしていたもの。「世紀の大ロマンス」だとか、何かから引用してたけど、それは彼が頭の中で空想してるファンタジーであって、実際に起こってる事でなど全く無かったわ。私にはこれが愛と呼べる関係だとは到底思えなかったのよ。病的な関係だと感じてたわ」

つまり、言葉と行動が一致していなかったのだ ― サイコパス人格を理解する手掛かりである。私たちがそうしたであろうように、リタもおそらく、関係を終わらせるのをためらっていたのだろう。というのも、彼女はアイラの感情を「傷つける」のを怖れたからだ。何と言っても、誰かに「キミの瞳の中で、太陽と月が登っては沈んで行く」などと宣言されたら、この人には本物の感情があると思うではないか?散々読書に明け暮れたアイラのことだ。きっと素晴らしいセリフを吐いたに違いない!

リタは2人の関係が、春から夏へと続くのに任せた。彼女は夏休みにニューハンプシャー州ハノーバーでアルバイトした。既にアイラが本当の変人だと思っていたが、同棲したままで居るのを許した。

アイラがペッカムやホフマンと直接連絡を取る機会が減ったため、彼の行動を変えていたであろう制約から解放されたらしく、徐々に読書が、彼のリアリティーの全てを支配して行った。彼はニーチェやローレンス、ヘンリー・ミラー、マルキ・ド・サドを読んでいた ― やがて、彼の考えの幾つかがリタを怖がらせた。
彼女「まるで誰かが何かについて語り、何かを夢見、何かの空想に耽っているみたいな感じだと思っていると、突然彼が、そうした事自体になるのよ。こちらを睨みだして、ニヤリとするの」

リタ「このような時、アイラの前から逃げ出さないと、本当に危害を加えられそうだと感じたわ。彼の狂気にカチッとスイッチが入ると分かっていたので、私は走って、物理的に外に出るの。足が速かったので。。。彼は私に追いつけなかった。一体彼に捕まっていたら、彼は何をするか分かったもんじゃない。そんな感じだったの」

日が過ぎても、アイラは読書に耽ったままで、リタは目の前に居る彼が益々不快になってきたが、立ち去るのが怖くもあった。そのうち彼がネコをいじめようとし始めたのを見て、実は彼がひどい事を行えるのだと彼女は気付いた。

そう確かに、「殺し合うのでなく愛の営みをしよう」と述べる尊敬するグル=「地球を救え」という運動の指導者=「僕はホリーを殺してなどいない」と言い続けてきた男は、実は無力な動物を苛めていたのだ。こうして、サイコパスのパズルを解く最後のピースを私たちは手にした。アイラの日記がレヴィーの手に渡ったと知って、もちろんアイラは激怒した。というのも、アイラが1962年の6月末に日記に書いた内容が、リタが彼女の体験について述べた内容と図らずも一致していたからだ。これから見て行くような事実も加味するならば、この愚か者がどこまで病んでいたか分かるだろう:


---
サディズム ― いい響きだ ― 口に出して言ってみるんだ ― 他人の苦痛を喜んで眺めるんだ。極度の満足感に息を吐き出しながら。内心の闇のビジョンを外に表すんだ。内心抱いている意味の巣窟を隠してはならない。自分の堕落をさらけ出すんだ。動物は何時でもそこに居ると知れ。。。美と純潔は汚されねばならない。というのも、それらは自分のものにならないのだから。他人の聖なる謎は保たれねばならない ― 死だけがそれを為し得るのだ。
---
(Levy, 1988)


うわっ!ジギー・フロイトでなくても、この男が病気なのは分かるだろう!だが、ここで重要なのは、アイラが私たちにどうしてホリーの死体をトランクに隠し持っていたか、その理由を窺わせるようなことを述べている点だ。それが彼の本性だったのである。死体を始末しようとする試みは、人間らしさの単なる付け焼刃に過ぎず、処分に失敗して少々がっかりしただけで、人間らしさの方はさっさと乗り越えられてしまった。そればかりか、アイラは私たちに、ホリーが殴り殺された時やその後に起こっていた事に関して、私たちが知りたいと思う以上のことを語っているのだ。人を傷つけて、吐いたものまで手に入れるような人々は死体愛好症(屍姦症)でもあるらしいかどうかは確信が持てないのだが、私は胸が悪くなるようなケースを幾つか読んだことがある。アイラが「ホリーが去った時、僕はバスタブの中に居た」と言う声を想像して聴き続けるうち、私には悪夢のような光景が思い浮かぶようになった。それだけではない。ホリーの死体が見つかったトランクの中に入っていた新聞の一番新しい日付は殺人の4日後のものだったのである。アイラはホリーの死体で4日の間、何をしていたのだろうか?

1962年に戻るが:リタは夏休みのアルバイトもすぐに終わりにして、学校に戻ろうと思った。そうすれば、アイラの手中から、事を荒立てずに抜け出す機会を作り出せるだろうと期待したのである。彼女は正直に、彼をノーマルな人間のように扱おうとした。9月になったら、関係を続けたくない、とはっきり言ったのである。興味深いのは、別れたいという彼女の意志表明が、アイラの心の中では「道徳的な義務の不履行」として感じられていたことである。もちろん、彼は完璧であり、辛抱強い人間なのだった。7月28日の日記に、彼はこう書いている:


---
リタと僕は、行き詰まってしまった ― 僕はもはや、彼女の身勝手や信頼の欠如に耐えられない。もう少し、ただ与え続けたいというのが僕の願いなのだが、彼女のような分別の無い人間はそれも要らないらしい。僕の夢は実現可能であり、誰かの恐怖によって断たれることはない ― 僕にも、自分の人生を生き、それに専念する権利はあるんだ。彼女には信頼や、他人をリスペクトする能力が欠けている:こうした特質を持たない以上、他の点がどれだけ素晴らしくても、彼女は居ないも同然だ。9月になれば、全ては終わりだ。欠片は拾い集められ、全てが新たに始まる。僕の魂の進歩は、身勝手な若い女の短所によって芽を摘まれてはならない。だから、愛する人よ、さようなら。次の男とはうまくいくといいね ― 彼が利用されるのを厭わない男でありますように。
---
(Levy, 1988)


上の言葉で、私の注意を引いたのは、「僕の夢は実現可能であり、誰かの恐怖によって断たれることはない」という部分である。アイラが実現しようとし、リタが怖れた「夢」とは一体何だったのだろうか?その後の部分で、どうして彼はこれが「僕の魂の進歩」と関係があり、「身勝手な。。。女の短所によって芽を摘まれ」ると言ったのだろう?彼女が一緒にやるのを拒んだとは、一体彼は何をしようとしたのだろうか?「内心抱いている意味の巣窟を隠してはならない。自分の堕落をさらけ出すんだ。動物は何時でもそこに居ると知れ。。。」とも彼は書いていたが、魂のどんな進歩のことを、彼は考えていたのだろう?7月30日に、アイラはサドマゾの古典『毛皮を着たヴィーナス』を読んだ。この本を読み終えるや、彼は日記にこう書いた:


---
僕らは魂の闇を、とても注意深く周りに居る全ての人々から(自分からも)隠しているので、僕らの行動の多くを無意識のうちにコントロールしている力への衝動をた易く忘れてしまう!『毛皮を着たヴィーナス』のような本は、僕らに自分たちの正体 ― 闇と光 ― を思い出させてくれる。女を殴る ― 何たる喜び ―、胸や尻を噛む ― 何と楽しい ― 誰しも敏感な部分に向かって、彼女に仕返しをしてやるんだ。人生をいかに送るべきだろうか?これこそ、この本が無意識のうちに問うていることだ。僕らは征服すべきか、それとも、されるべきか。僕らの心の闇を理解するか、少なくともそれに気付くのだ。僕はリタを愛することができるだろうか、それとも、抵抗する意志をくじくべきだろうか。彼女は僕が欲しいものを僕に与えているか。大抵、そうではないだろう。探るんだ ― 深く突っ込んで ― あらゆる可能性を調査することだ。お前は、稀な自由人なのだから、そうではない者に鞍を付けられ、乗りこなされてはならない。全力で生きるには、自由に生きねばならない。手に入れられるものを得ようとする行く手を、何者にも邪魔させまい ― たとえそれが愛の幻影であろうとも。お前はそれがとてもはかないものだと知っている。
---
(Levy, 1988)


ホリーの死体には、自分がつけたとアイラが分かるような跡があったのだろうか?それが、死体をただ捨てるのはあまりにリスキーだと彼が判断した理由なのか?

この時、リタはベニントンに戻らねばならなくなった。アイラは彼女の後を追い、寮の部屋で彼女を見付けたが、彼女は「出て行かなきゃダメよ」とはっきり言った。「ここに居て欲しくないの」 アイラが語ったことに恐れをなして寮に逃げ帰ったと彼が話していた女の子の物語は、この事件がモデルだったのだろう:


---
彼女「『こんな事は終わりにしなきゃならないわ』と私言ったわよね」
アイラが黙ったままカチンと来たのを感じたので、リタは彼が、断固たる闇の存在に変身(シフト)したと分かった。このシフトは説明が難しかった。
彼女「現実が何か分からなくなるという感じではないの。彼、自分が何をしているかはすっかり分かってるのよ。彼は戸口に戻ってカギを閉めたわ。無言のまま、予め計画していた通りにね。全く正気の沙汰じゃなかったわ。超常現象の映画をテレビで見ていると、目つきが変わって、狼男に変身する、まさにそんな感じなの。この時私は、部屋の中に狂人と2人きりで居ると分かったのよ」

部屋は広くなく、ドアは1つだけだった。
リタ「私がもっと決然とした態度が取れる人間だったら、出て行けたでしょうね」
彼女は、19歳の自分に対して、若き日のアイラ・アインホーンが、眼に狂気を浮かべながら迫ってきた時のことを思い出した。「叫ぶこともできたわ。でも、そうしなかった。窓から飛び出すことも出来たでしょうけど、切り傷を負うのが怖かったの。この男は力が強かった」

アイラ・アインホーンは彼女の方にジワジワとにじり寄った。彼は突進して来なかった。ほんの一瞬、リタ・シエガルは彼を撃退しようと試みたが、やがてあきらめた。アイラ・アインホーンは彼女の首を掴み、絞め始めた。やがて、彼女は気を失った。

1962年7月31日の日記にアイラ・アインホーンはこう書いている:「愛しながら自分のものにできない相手を殺すという事はあまりに自然に思えたので、昨夜リタの首を絞めたのは実に正しい事に思われた」
---
(Levy, 1988)


どうやらアイラはこの出来事を友人のマイケル・ホフマンに打ち明けたらしい。「彼はどんな具合だったか私に話したんだ。アイラは彼女の顔の色が変わるのを見ていたんだけど、いよいよという間際に何かがひらめいて、顔を上げ、手を放したんだ」

その後アイラは、「キミはまだ生きていると信じてたんだ」と言って、彼女に納得させようとした。彼女が目覚めた時、まだ彼女の喉に彼の指の跡がついていたので、彼女は学校の保健室に行って一夜を明かした。彼女はアイラを告訴しなかったが、学校当局には、何があったか話したので、アイラはキャンパスに出入り禁止となった。

スティブン・レヴィーは、本件に対するアイラの「奇妙な」反応についてコメントしている。何と言っても、本件によって彼は、まだ始まってもいないうちに、キャリアに終止符を打たれていたかも知れないのだ。レヴィーはアイラが「本件を取るに足りない事だと思いなそうと努めた」と言う。だが、もうお分かりだろう。サイコパスは何かを取るに足りない事だと「思いなす(will)」必要などないのだ。連中の意志(will)以外は全て、取るに足りない事なのである。アイラの様子を聞いて、これまた思い出されるのは、カリフォルニアの公衆便所で警官を誘惑しようとして逮捕されたナッシュの事だ。シルヴィア・ナサーも同様に、ナッシュの「無反応」ぶりに困惑していた。


---
女性をあやうく殺しそうになったのだから、他の人なら助けを求めようとしたかも知れない。だがアイラはどうやら、本件を自己実現に向けた戦いのワンステップと見做したようだ。彼はこれがリタとの関係に影響を及ぼすに違いないとすら考えなかったらしく、事件からちょうど1か月経った頃にこう書いているのだ。「僕はリタを愛したかった(僕という存在の全てが、二人で交し合えた筈の愛について泣き叫び、それを必要としていた)のだが、不安定な砂のような彼女の気持ちがこっちに向くと期待するのはとても無理だ。彼女はすっかり、恐怖、追い込まれた感じ、不信、不安定な感じの虜になっているが、甘美なものを欲してもいる(彼女自身、認めることができないとしても)。。。」
---
(Levy, 1988)


何だって?この女性は彼に消えて欲しいと言ったのだ。それで彼は彼女を殺そうとした。それなのに、彼女が彼に抱く恐怖は「不安定な砂のよう」だって?! アイラを欲する気持ちの虜になっているけど、彼女が自分では分かっていないだけだって?

あんた、それはあり得ないだろう!

何とも腹立たしいのは、アイラの友人、マイケル・ホフマンがこの事を前から知っていたということだ。

後にアイラはこう言っている。「はっきりと暴力が理解され、受け入れられるような状況が背景にあれば、人々はたまには互いになぐり合ってもいいんじゃないか」

アイラのリタに対する一方的な関係が終わったことで、彼は苦しみ苛立った。彼はマイケル・ホフマンにこう書き送っている:「リタが永久に去ってからというもの、まるで『沈黙の死霊』のような憂鬱に僕は悩まされている。。。僕は今でもリタを愛しているんだが、僕の魂は失われた栄光についてくよくよ考えたり、熱狂のあまり我を忘れて激怒したりはしない;それは座して待つことを ― 気にすることと気にしないことを ― 学んだのであり、僕が失った人と同じ情熱でもって、神秘的な肉体の結合を求める人が他にも現れると確信しているのだ」

読者はまだ、この男にトコトンうんざりしていないだろうか?胃がムカムカしないだろうか?こんな奴が、ニューエイジの世界に君臨し、何ごとも知り抜いていて、思いやりのある、(※映画『刑事スタスキー&ハッチ』に出て来た)ヒョロ松(情報屋)ハギー・ベアみたいなタイプのグルの振りをしていたなどと思ったら、何も食べたくないと感じないだろうか?

グルジェフが「自動機械」の活動が増大し、私たちがそれらに隷属的な反応をしていると言っていたことを思い出されたい;また、ライヒは、不合理さと幻想は、それらを表現する態度である、不寛容と残酷さによって明らかとなること、宇宙エネルギーと私たちとは関係していることを述べていた。

そこから想起されるのは「第3の選択」であり、その大前提の1つが、「政治的駆け引き/策略によって隠蔽されている米ソ合同宇宙プログラム」なのだった。そこで考えなくてはならないのは、ディスインフォメーションにおいては一般的に、「嘘の中に真実が包み込まれている」ということであり、確かに何らかのレベルにおいては、「ワンワールドガバメント」が存在していて、アメリカとロシアが一致協力して行動していると推測されるものの、上の言明が、人間の政府による活動がメインであるという考え方を推進しようとしているのは、疑う余地が無い。

この言明はどうやら、超次元の存在が高度に進んだ技術力を持っている事実から私達の注意を逸らし、幾らか進んだ人類の技術にフォーカスさせようと意図するものらしい。

私たちはこう問うた:どのような人たちがこれらの「ルール」を開発し、それらに従って活動しているのか、と。そして、ジョン・ナッシュとアイラ・アインホーンについて見て来た。

ゲーム理論とは、他人の自由意志をコントロールすることが全てなのである。ゲーム理論においては、プレーヤーたちがどんな知識や信念を持っているかを知るベストな方法も、必勝法を編み出そうとするプレーヤーに役立つような情報を隠ぺいするのに役立つ信念をでっち上げることで、いとも簡単にコントロールされてしまうのである。

アイラ・アインホーンに関して読んでいて、あなたは腹が立っただろうか?こんな話は、人びとを自由にするための知識とスキルの発達を扱うサイトにはしっくり来ないと感じただろうか?

どうか思い出していただきたい。繰り返しになるのだが、私が読んだリサーチによれば、こんにちのサイコパス問題はどれだけ誇張してもし過ぎることはないのだ。端的に言って、この現象は拡大しつつあり、きっと近いうちに、私たち皆にとって、個人的にも集合的にもインパクトを及ぼすことになろう。そしてサイコパスについて理解することはまた、ゲーム理論および、現今、神々による秘密のゲームで駒を動かす際の基礎動力学としてそれがどのように利用されているか十分理解するうえでも極めて重要である。カシオペアンが言うように「知識は守る」のであり、サイコパスの機能の仕方に関する知識は、あなたの命を救うことになるだろう。

たとえ不愉快だとしても ― 私たちのリアリティに関するこのような事を学ぶのが不可欠だと理解するには、医者が病気を治すためにはそれらについて学ばねばならないことを考えるといい。かくして、アイラ・アインホーンは賜物なのである。殆どとは言わないものの、多くのサイコパスが凶悪な殺人など犯さないというのは確かに正しい。だが、アイラ・アインホーンは犯したのであり、彼がそうする一方で、「霊的諸原理」の教師としての公的イメージを注意深く育み、提示していたのは、知識の金鉱なのである。というのは、アイラは日記もつけていたので、サイコパスの心中を覗き込む珍しい機会を得られるからだ。

既に述べたように、サイコパスは、ほかのどんな精神医学的障害よりも多くの有害な影響を社会に及ぼしている。だから、この事に気づいている人は殆ど居ない。人びとは、統合失調症や双極性障害、それにADHDについてはよく知っている。というのも、これらにはいずれもつける薬があるし、ある程度コントロール可能だからだ。そしてまた、これらが無力にするのは当の個人である。逆にサイコパスで重要なのは、他の要因がない限り、これらが無力にするのは当の個人ではないということだ。サイコパスの場合は概して常に、連中自身はうまくやって行くのである。皆さんは「サイコパスは不適応ではないのか?」と問われるだろう。答えは恐るべきものだ:サイコパスは社会に対しては不適応かも知れないが、連中自身にしてみれば、適応しているのである。

サイコパスが発生する本当の原因とは何だろうか?社会生物学は、サイコパスを遺伝によって決定づけられた種の保存手段の1表現であるというふうに見ている。端的に言えば、殆どの人たちは子供を少数もうけてだいじに育てることに時間と努力を費やすのだが、サイコパスはシステマチックに大勢の女性と関係を持っては捨ててしまう。連中は子供を育てるのに殆どエネルギーを使わないのであり、このようにして、サイコパス遺伝子は野火のように広まって行く。「社会生物学者たちも、人間の性的行動が、遺伝子プールに遺伝子をのこすことを意識しておこなわれるものではないことは認めている。自然(が)私たちに遺伝子をのこす」効果的な手段として与えたやり方がこれなのだ。(ロバート・D・ヘア/著 小林 宏明/訳 『診断名サイコパス 身近にひそむ異常人格者たち』226ページ)

こうして私たちは、一周して元の位置に戻って来た。繰り返し繰り返し私たちが逢着する、例の些細な問題である:宗教や信念体系は、客観的証拠や他人の信仰から守られねばならない、というものだ。私たちは、「かくも明らかに破滅的な、これらの信念体系が、どこに由来するのか?」と自分達に問いかけねばならない。次に考えねばならないのは、こんにち、こうした信念体系の多くが崩壊して、他のものに置き換わりつつあるのだが、それらもまた同様に、真相から私たちの注意を逸らしていることであり、ある特定の考え方を「押し付ける」ことが必須になるということだ。これはサイコパスが最も得意とするところである。

サイコパスは、社会を支配し、社会における行動の基準を定める。私たちは、サイコパス的な、エネルギーを盗むという食物連鎖に基礎を置いた世界に住んでいる。というのも、それこそがまさにこの世界のありのままの姿だからだ。殆どの人々はダメージが大きすぎて、もはや、共生的なネットワークに基礎を置いた、異なったシステムを想像する力すら持っていないのである。

ちょっとした歴史のおさらいの結果、私たちはこれが「現時点」に限った現象ではないと痛感した。これは、数千年をかけたプログラムであり、それが一歩一歩進められた結果、私たちは現在の位置に置かれることになったのだ。今日起こっているのは、た易く騙される人々の注意にフォーカスした、マキャベリ主義的陽動作戦である。これは聴衆の中の「付和雷同者たち」によって強化され、どうやら私たちに混じって、注意の方向を合せるベクターの役割を果たしている、サイコパスの軍隊が1揃い居るようである。


---
現代文化は自動機械を必要としている。。。1つだけ確かなことがある。人間の隷属状態は拡大しつづけているということだ。人間は喜んで奴隷になっているのだ。彼にはもう鎖はいらない。彼は奴隷であることを好み、誇りさえ感じているからだ。これこそ人間に起こりうる最もいとわしいことだ。
---
(Ouspensky, 1949)
P・D・ウスペンスキー『奇蹟を求めて』浅井訳


不寛容と残酷さは、「隠蔽」を担保する上で必要である。ある種の「人間」たちが、この隠蔽のための活動をしている。この意味において、エイリアン・リアクション・マシンとしてのサイコパスは、「神々による秘密のゲーム」の駒なのである。

(本章終わり)
posted by たカシー at 13:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

ザ・ウェイブ62章: プリンストンでの秘密のゲーム

ザ・ウェイブ62章: プリンストンでの秘密のゲーム
http://cassiopaea.org/2012/02/12/the-wave-chapter-62-secret-games-at-princeton/


さて、ゲーム理論について語るとしよう。私は自分が専門家であると公言するつもりはないし、「専門用語」の扱いには困難を感じると認めねばならないが、このテーマに関する文献を苦労しながら数多く読んだ結果、この考え方が、私たち1人1人に対して、世界的なレベルでどのように用いられているか、私は十分に理解できた。

読者の中には、どうして私が長々といつまでもサイコパスのテーマを論じているのか、不思議に思われる向きもあるだろう。それには理由があるのであり、それも個人的なものではない。ご存知の通り、カシオペアンに導かれながら、連中とのやり取りを重ねるうちに、一歩ずつではあるが、私はサイコパスというものが幾らか理解できるようになってきたのだ。全体のダイナミクスが明らかになるに連れて、ここには深い学びが存在していることが、私にははっきり分かるようになったのである。もちろん、全てがいちどきに理解できたわけではない。この学びがSTSのリアリティという小宇宙の全体を眺めることなのだとようやく理解できたのは、ジョン・ナッシュというピースをパスルにはめ込んだときだった。

サイコパスの基本モードとは、ナッシュがゲーム理論に対して貢献した際のものであり、ゲーム理論が人類にワナを仕掛ける手段として用いられたのだと分かった時のショックは大きかった。もし本当にこのサイコパスというものが分かり、本当に理解できれば、他の多くのレベルでのゲームの本質を見抜くのにも、その知識が使えるだろうと思い至ったのも、この時だった。そして、ゲーム理論を理解することによって、私たちは戦略を学び、ワナに捕われるのを避ける術も学べると思ったのである。

サイコパスが関係を結んでくる究極の目的である痛みと苦悩を避けたいという実際的な理由だけでなく、もっと深い理由もある:「移行」のためのエネルギーの保存である。付録Bに引用したカシオペアンとの交信文を読まれれば、この目的は明らかになるだろう。
(※オンライン版には付録は付いてませんが、初版
http://www.cassiopaea.com/cassiopaea/adventures301.htm
では以下のセッションが本文中に引用されています。)
引用開始------

950311
---
Q: (L) 時間とはエデンの園での「落下」の時点から存在するようになった幻覚である、ということだったと思うけど、その時から始まった幻覚は、他にもありそうね...

A: 時間は、DNAが改変された状態に置かれたあなた方にとって効き目のある幻覚に過ぎない。

Q: (L) オーケー、他にどんな幻覚があるのかしら?

A: 一神教、すなわち、1つの、独立した、万能の存在に対する信仰。

Q: (T) 「独立した」というのが、一神教のキーワードなのかい?

A: Yes

Q: (L) もう1つの幻想は何かしら?

A: 物質的な拡大の必要性。

Q: (L) 他にはどんな幻想があるの?

A: 直線的なものの見方。

Q: (L) 他には、今回教えてくれないのかしら?

A: 一次元性。

Q: [...]
(L) これらの幻覚は、私たちのDNAによって、遺伝的にプログラミングされてるのね?

A: Close.

Q: (L) [...]
これらの幻覚が、私たちにどんな風に作用するのか、私たちにはどんな風に知覚されるのか、もうちょっと詳しく教えて頂戴?

A: ドアを開けると金のつぼがあるとする。そのつぼに手を伸ばす前に、あなたはドアの陰の見えないところに、毒ヘビが潜んでないかと心配するかな?

Q: (L) 金は何を表わしているの?

A: 制限への誘惑。

Q: (L) ドアが表わしているのは?

A: 制限の始まり。ヘビとは何だろうか?。。。

Q: (L) ヘビとは誰だったの?

A: 注意を払わず誘惑に乗った場合の結果。すなわち、見もせずに飛び出すこと。

Q: [...]
(L) それじゃあ、エデンの園での誘惑の話というのは、人類が誘惑に乗った結果、このリアリティに導かれたことを表わしてるんだわ。それじゃあ、善悪の知識の木の実を食べることとは、すなわち...

A: 誘惑に負けることだ。。。強制されたのでない限り、自由意思が制限される(abridged)ことはありえない。

Q: (T) 「落下」前、僕らは、何だったのかな?

A: 第3密度STO。

Q: [...]
(T) このときの出来事のせいで、僕らは現在STSだと言うんだね?

A: Yes.

Q: (T) 僕らはその時点では、第3密度のSTOだった。。。これは戦いが起こった後なのかな?つまり、第3密度の種族としての僕らは、自ら選んでこの時点から、以前とは全く正反対の性格を帯びたと?

A: 戦いだった。

Q: (L) 私たちの中での戦い?

A: あなた方を通しての。

Q: [...]
(T) Okay, 僕らはその時点ではSTOだったんだ。以前君達は、この密度で僕らは、STSであるかSTOであるか、選択するんだと言ったね。

A: おお、テリー、戦いは常に、あなたがその選択を行う「都度」存在している!

Q: (T) これは、トカゲや他のエイリアンが人々に対し、アブダクションその他を行うには事前に同意を求めた、と言っている理由と関係があるに違いない。僕らはもともとSTOだったのが、STSになったというんだから。。。

A: Yes, 続けて。

Q: (T) アナロジーで考えてたんだったね。お宝は幻想だった。そう感じただけで、本当は金はなかったんだ。それは、第3密度のSTOの存在だった僕らに対する誘惑だったんだ。ドアを開いたのはトカゲだ。

A: 誘惑ではなく、それは常にそこにある。『オズの魔法使い』のドロシーとルビーのスリッパの話を覚えているかな?


Q: (T)[...] それは常にそこにある。。。

(J) 今もあるのね。。。

A: Yes, そのルビーのスリッパについて考えなさい。グレンダはドロシーに何と言ったかな???

Q: (J) あなたはいつだってお家に帰れるのよ。

(L) あなたはずっとお家に帰るパワーを持っていた...

A: Yes.

Q: (L) それじゃあ私達も、いつでもSTOの存在に戻れるパワーを持ってるの?第3密度に居ても?

A: Yes. [...] あなた方が金を取りに行こうとした「時」、あなた方はトカゲに向かって「ハロー」とかその類の事全てを言った。

Q: (T) ドアは常にそこにあり、いつだって開いている。このアナロジーで考えてみようとしてたんだ。で、どういう事かと言うと、STOの存在としての僕らは、金を取りに行くかどうかを選べた。金を取りに行ったために、僕らはSTSの存在となった。というのも、金を取りに行くのがSTSだからだ。

A: Yes.

Q: (T) そして、そうすることで、僕らは第4密度トカゲ生命体と手を結ぶ羽目になった。。。

A: Yes.

Q: (T) なぜなら、連中は第4密度の存在であり、第3密度に居る僕らよりもずっと多くの能力を持って居るからだ。。。

A: あなた方はかつて、第4密度STOと手を結んでいた。

Q: (T) 僕らは第3密度STOだったんだ。だが、金を取りに行ったために、第4密度STSと手を結んでしまった。

A: Yes.
---

990828
---
Q: (L) ここに持ってるのはマーシャ・シェーファーという女性の書いた『銀河宇宙人類学者の懺悔』よ。彼女の言ってる中に 「ヘビは知恵の印や高次の学びに関係があり、秘教サークルでもしばしば、重要視されている」というのがあるわ。彼女はガラガラヘビと話をして、共感を感じたことがあり、リジーとのやり取りでも共感してるの。この「知恵の印や高次の学び」に関連付けたヘビの観方にコメントが欲しいのよ。そういうものを本当にヘビは象徴してるの?

A: ヘビは、観察者の視点からも報告されているし/されていた。多分、そのような観察者は、体験に「魂消て」しまっただろう。。。もし、あなたが、あなた方の時間で7,000年ぐらい前に、砂漠かジャングルに住んでいたとして、レプトイドの「奴ら」が銀色の飛行物体で天から舞い降りて来て、数千年後の未来技術による驚異的なデモを見せられた上、計算法やら幾何学やら、宇宙物理学の手ほどきを受けたら、感動しないかな?

Q: (L) 実際にそんなことが起こったの?

A: Yup.

Q: (L) 私の理解では、と言うか文献で理解しようとしてるんだけど、「エデンでの落下」の前、人類は第4密度に住んでたのよね?

A: 半ば/ある種の。時空連続体等々のような領域としては別の第4密度に。

Q: オーケー。それでその領域がサイクルの一環で変わったのよね;様々な選択が行われた;人類は、言ってみれば「お宝」を追いかけてドアの中に入って行って、言ってみれば、「女性的なエネルギー」を悪の側に併合され、リジーの仲間になった。あなた方はそう言ったわ。この結果、数々の影響が起こった:DNAの破壊、DNAの最初の結合の10個が焼き切られ、大脳両半球が分断され...

A: それもただ1つの理由のためだった。すなわち、泥んこの中で遊ぶため。あなた方は泥まみれになって汚れていく。

[...]

Q: 物質性が増大した結果、セトにハメラれ棺桶に入れられた、オズことオシリスみたいなことになるんじゃないかと分からなかった、気づかなかったのかしら?連中にすぐさまフタを閉められ釘で封じ込まれるんじゃないかってね?

A: 明らかに、そのような理解が欠けていた。

Q: 随分とウブな衆って感じだこと!この理解力の欠如は、知識の欠如を反映してたのね?

A: もちろん。だけどそれより、欲に目が眩んでいた...これらの出来事は、あなた方の時間で309,000年前に起きた。これは、「現生人類」と呼ばれるものの最初のプロトタイプが創造されたときにあたる。コントローラー達は、肉体を既に用意済みだった。彼らは、単に「飛び込む」ことに同意してくれる、この肉体に相応しい魂の基質だけが必要だった。

Q: それじゃあ、このときよりも前、エデン前の状態では...

A: もっと第4密度的だった。

Q: それって、幾分かは物質的だったということね。こんにちの人間に似た身体を持っていたという意味で、物質性が存在していたの?

A: 完全にそうだという訳ではない。あなた方には複雑すぎて理解できないので、答えられない。

Q: それじゃあ...私達が第4密度の存在となったあかつきに入るであろう身体は、第4密度に行けたとしてだけど、それもまた難しすぎて私達には理解できないのかしら?この「第4密度的な」落下前状態の物理体は、難しくて理解できないと言うのね。第4密度に戻ることが、第4密度からやって来るのと同じようなものなら、私達が戻って行くのだって、難しすぎて理解できないということになるじゃないの?これがあなた達が言っていた、物質性の可変性なの?

A: Yes.
---

000408
---
Q: さて、手元にあるのは『北極の神秘主義』という本よ。著者のジョスリン・ゴドウィンはあなた方が前に言ってた言葉そのままみたいなことを書いてるのよ。曰く:「瞠目すべきことに、未開の啓蒙は北方からもたらされたようであり、これとは反対に、地球は南方から北方に向かって人口が広がるに連れて開化されてきたという観方が広く行われているが、偏見であろう。スキタイ人は最古の国家の1つであり、中国人は彼らの子孫である。アトランティス人も、その末裔であるエジプト人よりもっと古い」(※邦訳書未参照)あなた方も、文化の影響は北方から南方に向かったと言ってたもの。もちろん、標準的なテキストは皆、文化は南方から北方へと、メソポタミアを起点にしてもたらされたと主張してるわ。さあ、始め....

A: オーケー、ちょっと待ちなさい。メソポタミアから検討を始めるなんて、12章から始めるようなものだ。

Q: そんなこと分かってるわ!問題は人工物を見つけることなのよ。私だって、あちこち調べ返してみたけど、見つかったのはごくわずかなのよ。困ったわね!何にも残ってやしない..

A: 人工物の寿命は限られている!標本が残るのは全くの幸運だ。[...]

Q: ネアンデルタール人が地球上に居たとき、現生人類と共存してたのかしら?

A: Yes. ただ、その頃の現生人類は今と違っていた。

Q: どんな風に?

A: DNAおよび霊的/電気的振動数。

Q: つまり、私達の考えてるような現生人類とは、身体の外見が違ってたということ?

A: 輝き。

Q: 「輝き」ってどういう意味?

A: 自分で解明しなさい!

Q: あら、面白そうね。えーと、北方の人々は血管から「光」を放っていたという伝説があるわ。随分と古くに信じられてたものだけど。これって、あなた方の言ってるものかしら?

A: 多分。
---

000415
---
Q: (L) それじゃあ、事実上、私たちは、絶滅を目前にひかえた、新ネアンデルタール人なんだわ。あなた方、物理体のまま第4密度に移行する人々は、ある種の若返りプロセス、ないしは、身体の再生か何かを経るだろうって言ってたわね。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=30288965&comm_id=2590126
それって、現在の「ネアンデルタール」種、つまり、私たちが今入ってる身体が、もっと新しいモデルに沿うように変形するってことなのかしら?そのために、遺伝子的にそのように書き替わるの?

A: そのようなことだ。

Q: (L) だから連中は、ある血統を代々に亘って追いかけてるのね; 連中はDNAをいじって、爆発しようと待ち構えてる遺伝子の時限爆弾を仕掛けてるんだわ。

(A) 興味深いのは、連中がアブダクトのために、どうやってそのような人々を捕捉しているのか、どうやって見分けるのか?ってことだ。連中は、どうやって情報を得るんだろう?血統を辿るか、遠方からでも探知できるモニターの類でもあるのか − でもって、連中は気付くんだろうか、「こいつは興味深い」とか、「こいつは危険だ」とか、「こいつをアブダクトしよう」とかなんとかね。連中はどうやって選ぶんだろう?家系図でも調べるのか、あるいは一種のリモートセンシングだろうか?

A: 個々人の細胞組織上の原子的「シグニチャー」が関係しているから面白いんだ、アルカジス。それと協働するのが、エーテル体リーディングと周波数共鳴振動だ。これら全てを互いに関連させつつ、リモートビューイングの技術/方法を使って、遠くから読み取ることができる。

Q: (L) サイキックな手段を用いなくても、純粋にメカニカルな方法で可能なの?

A: 別レベルの理解では、その2つは1つに融合している。

Q: (T) コンピュータ化されたサイキック・リモートビューイングなんだろうね、多分。人工知能みたいな。多分、心がコンピュータにつながってるんじゃないのか?

A: それは近い。
yes.
---

000722
---
Q: (L) ヴィンセント・ブリッジズから電話があって、『ザ・ウェイブ・シリーズ』は大層物議を醸してると知らせて来たわ。曰く、彼はグリーンバウム講演で有名なハモンド博士にコネがあり、アンドリア・プハリッチとも相当やり取りしてたみたい。さらに、UFO現象やエイリアン・アブダクション現象、その他私達が語り、研究し、議論している多種多様な事は、プハリッチとテスラの技術を用いた、超先進的な、人間がコントロールしているマインドプログラミング・プロジェクトの産物である、というのが彼の主張よ。確かに、この技術は非常に先進的で、彼らは人の心を読むだけでなく、コントロールすることもできるようなんだけど、結局は人間が操作するプログラミングだわ。彼の主張は、部分的にでも正しいの?

A: 人間による、第3密度STSエンジニアリングに関係あるかも知れない現象の要素はあるが、全体的に見れば、それには当てはまらない。

Q: (L) 彼の説によると、マインドプログラミングによる陰謀という張りめぐらされたクモの巣の中心はテキサス州タイラーだと言うんだけど、正しいの?

A: 何だって?!?

Q: (L) 陰謀的プログラミングにおける人間サイドの活動の中心地だというのよ。どうなの?

A: ヴィンセントは少しバッテリーを充電し直す必要があるのではないかな。

Q: (L) 彼は、私達が住んでいる地域が、ナチス/黒魔術カルト主義者たちか何かによる、あるプログラミング実験が行われた中心地だとも言ってるわ。

A: あまり興奮し過ぎない方がいい。いいかな。第4密度から、第3密度STSの家来たちに向けてもたらされる、全ての「ネガティブな」エネルギーの出所は本質的に同じだ。。。この事をもっと良く理解できるよう、ナチスドイツでの状況に関する交信文をおさらいすることを勧める。。。ナチスが提唱した「マスター・レース」のコンセプトは、第4密度STSの魂が第3密度で場を占める上で適切な周波数共鳴振動(FRV)を持った物理体という乗り物を創造しようという第4密度STSの努力に過ぎない。それはまた、あなた方の知覚だと未来に計画されている出来事にとっての「トライアルラン」だった。

Q: (L) 強力なSTSの周波数を持つ人々は、言ってみれば、トカゲの第3密度での「乗り物」になるってこと?

A: その通り。周波数共鳴振動!とても大事だ。

Q: (L) そういう訳で、連中はプログラミングと実験に精を出してるの?「プログラミングされている」と思われる人々を連れまわしてる連中は、本当にネガティブな第4密度STSどもの棲家になるに十分なくらいにまで意地悪さのレベルを上昇させてるみたいだけど、善玉じゃない方のウォークインみたいなものなの?

A: 今はまだ、あなたの周りにうようよ居合わせているというほどではないが、それはかつて第4密度STS種族の計画だったし、今でもそうだ。
---

000805
---
Q: Okay, 前回のセッションであなたたち、周波数共鳴振動というテーマを持ちだしたわね。あなたたちが言うには、あるSTS勢力が振動数を上昇させた物理体を開発あるいは創造あるいは管理してようとしてるんだけど、それは連中が回線でつながった身体を手に入れて、第3密度にダイレクトに出現するためなのよ。というのも、私達が第3密度に居て連中が第4密度に居るのが連中にとっては本当に障害で、そのせいで第4密度から全面的に侵略して来れないからみたいね。で、思うんだけど、同じことはSTOの人々にも当てはまるんじゃないかしら。未来からこの時期へと転生のサイクルを通じて戻ってきている多くの人々は、自由意思を侵害しないように特定のDNAを持っている物理体を慎重に選んでいて、そんな人々がこれらを少しずつ活性化させているようなんだけど、これも第4密度かそれ以上の自己がこのリアリティに出現するためなんじゃないのかしら。そのようなエネルギーが、そのような物理体内に出現する結果、この人に気付きを与え、あるいは第3密度で感覚を持つということが可能なの?

A: STOはこのプロセスを自然な物事の流れの中で行う傾向がある。STSは創造のプロセスを彼らの目的に合うように変えようとする。
---

961221
---
Q: (A) 人間のどの部分が第4密度に延びているんだろう?

A: 脳下垂体によって影響される部分。

Q: (L) それは何?

A: サイキック。

Q: (A) 密度間の送信を容易にする何らかの決まったDNA配列があるんだろうか?

A: DNAストランドの追加。

Q: (L) どうやって追加のストランドを手に入れるの?

A: 手に入れるのではない;受け取る。

Q: (L) それはどこから受け取るの?

A: 近付きつつあるウェイブとのやり取り。振動が同調していればだが。

Q: (L) それが起こっているとどうやって分かるの?

A: 精神的・心理的変化が現れる。
---

970503
---
Q: セッション960523(※現在の公式交信録では960504)を読み返してみたのよ。それはトムも居た回なんだけど、彼がオブライエンに住んでいるという問題が扱われていて、あなたたちは、「誰があなたにそこに住むよう懇願したのだろうか?」と彼に尋ね、それから、EMベクターに関する発言があったのよ。私の理解だと、人間もEMベクターになり得るということなんだけど、それはあり得るの?

A: ベクターとは方向を合わせる者という意味だ。

Q: 単に居合わせるだけでEM波を誘導できるような人間が居るってこと?あと気付いたんだけど、私たちの何人かは、人を混乱させたり、無力化させたり、その他の方法で私たちの学びを歪めるばかりか、私たちのエネルギーを抜き取ろうとしてるらしい人々や人間関係に巻き込まれてるわ。基本的には、常に私達にストレスを感じさせて、私達に潜在能力を発揮できないようにさせてるのよ。このような観方は重要なの?

A: 基本だよ、ナイト君!

Q: 1つ分かったのは、このような人たちは、どうやらある種の霊的フックによって取り付いて、私達が憐れみの反応をするのに付けこんで来るらしいということよ。この憐れみの本質についてコメントを頂戴?

A: 憐れむ者こそ憐れだ。

Q: でも、憐れと思われてる人達=憐れみの情を催させる人たちは、自分達以外、誰のことも憐れまないのよ。

A: Yes...?

Q: それじゃあ、息子の言う通りなのかしら。闇に魅せられた人々/不平を言い、自分では努力しないで「救われたい」と願う人々を憐れみ/愛と光を送るのは、虐待され操作されているようなもので、本質的には更なる崩壊/身勝手な収縮に力を与えることになるの?STSへの転落に力を与えてるの?

A: その通りだ!

Q: Yes. 私はそういうのを繰り返し見てきたわ。私達が人生で出会う、この人達は、憐れみを催させる極めて巧妙な能力のせいで選ばれたの?それとも、憐れさに反応するよう私達がプログラミングされていて、そのせいで、他の人々には明らかな何かに対して盲目になってるの?

A: どちらでもない。あなた方が、催眠的反応を惹き起こす人々と交流するよう選ばれたために、ついにはエネルギーを吸い取られる結果となった。

Q: (L) こうしてエネルギーを抜き取ることの目的は何なの?

A: あなたはどう思うかな?

Q: (T) 集中したり、何かを行うことができないようにだろう。何の目的も達成できないんだ。

A: あるいは、(全部でなくとも、)少なくとも重要な事は(達成できない)。

Q: (T) [...] これは場所の問題だろうか?それとも相手だろうか?

A: 両方だ。どちらも、もう一方の真相を包み隠している。

Q: (L) どうして、このような状況に逆らって行動して、相手を傷つけるのを避けるのが大事だと思うのかしら?この結婚生活をこうも長く続けてきたのは、主にそのせいなのよ。これ以上あそこに留まるのは子供たちを傷つけることになると分かって初めて、私は抜け出すことができたの。。。傷つけられていながら、どうして私達はそんな相手の感情を傷つけるのが怖いのかしら?

A: 正しい概念化でない。あなたは「相手や状況に逆らって行動する」必要はない。あなたは自分の運命を選ぶように行動する必要がある。

Q: でもそれを行うと、そうした相手が私達をとても惨めな気持ちにさせるので、別れる以外に選択はなくなるみたいね。

A: Yes, だが、これは「逆らって行動する」ことではない。全く逆だ。実際のところ、いいかな。タンゴを踊るには2人必要だ。2人でタンゴを踊っていて、ダンスホールが炎上したら、どちらもやけどすることになる!!!

Q: 私達がそんな「タンゴ」から抜け出そうとするとき、彼らが私達を人間だと思っていないのは明らかなのに、どうして私達は自由になることに激しい抵抗を感じるのかしら?

A: それは「彼ら」ではない。攻撃の導管だと言ってるんだ。
---

980718
---
Q: (T) それじゃあ、地球上には、完全なUFT(統一場理論)を知っている誰かが居るんだ?

A: Yes.

Q: (T) だが連中は、それを使わせてはくれない。。。

A: 使わせてはくれない。だって、そんなことしたら、あなた方は皆自由になってしまう。。。
(※ヨハネによる福音書 / 8章 32節 「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」 )
UFTがあれば、あなた方は超空間の真実にアクセスできるかも知れない。

Q: (A) それについて私がもっとよく知り、取り組むべき、今は好機だろうか?私が自分で発見できるように、アドバイスをもらえないか?

A: キミが1969年に居た場所へ遡ってみなさい。

Q: (A) 私はリヒネロヴィッツがUFTについて書いた本を読んでいた。。。

A: Yes. ノートをチェックしなさい。

Q: (L) ノートや論文の類に関しては本当にひどい目にあったのよ。それらを詰めて送ったバッグが消えちゃったんだもの!

A: おや、どうしてだろう?!?。。。ノートなんて無くても、不揃いな街灯柱の灯るコンクリート歩道を、孤独なアーク青年は歩いていた筈。真実を、本当の真実を見つめながらね。キミは最初の段階=交差路に居て、「ここからどっちに向かえばいいんだ?」「なぜ、こんな難問が自分に課せられるんだ?」と途方に暮れて居た。あの頃に帰るんだ、アルカディ。キミは自分が本当は本質的に「ロシア人」なんだと知っている。

Q: (A) 質問だが、そのような活動、ないし、そのような事を知ることで、他の密度に至るのだろうか?それは単なる満足のためか、それとも、この方向についてもっと知ることには、本当の価値があるのか?

A: 統一場理論は、上位密度への扉を完全に開くものだ。

Q: (T) UFTにはHAARP以上のものがあるさ。UFTは大きな一歩だ。。。

A: グリッドだ。。。地球は、EMグリッドを覆い隠されてきた。

Q: (T) レイライン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3
のことかい?

A: No.

Q: (L) 人工的に造られたの?

A: 起伏がある。

Q: (L) 人工的な起伏ね。覆われた結果どうなってるの?

A: 第3/第4共同体が利用できるように操作されている。

Q: (A) どんな種類のEMグリッドだろう?

(L) 自然のEMグリッドは起伏があって。。。

A: 優しく波打つ地形的「毛布」みたいだ。

Q: (T) それは地表面にあるのかな、それとも、地球の中を通ってるか、あるいはどこだろう?

A: 上方。

Q: (J) 携帯基地局の電磁波塔はこれに関係あり?

A: 同じ第一[人者?]によって、間接的に発見された。

Q: (T) 重力波が存在するかどうかは論争があるが、それでも、それはUFTの一部だし、誰かは既にそれがどう働くかを知っている。だから、論争はその答えを知らない人々の間だけで行われていて、知っている人たちにとっては論争は存在しないんだ。彼らはそれが何で、どうすれば測定できて、どうしたら利用できるか知ってるんだ。

A: もちろん。

Q: (A) このグリッドを維持するために何らかの力が用いられている。それは何だろう?

A: 地上と空中に置かれた発生器。

Q: (T) 何のために使うんだい?

A: 複数の目的がある。。。あなた方は第3密度のダンスホールで踊ってるんだ。クリスタル宮の「不思議の国のアリス」よろしくね。アトランティスからの転生組の急増のせいで、過去に行ったことを繰り返そうという衝動が高まっている。

Q: (T) 転生して来たアトランティス人は、前にクリスタルを使ってやったのと同じ事をやる気満々なんだね。それじゃあ、アトランティス・タイプの事が今行われてるんだろうか?道具は違っても、同じ様な事が?

A: 偉大な良きことへの移行を成し遂げるためには、あらゆることを学ばねばならない。。。

Q: (A) さて、どうやってUFTから、このグリッドを導き出せばいいんだろう?

A: グリッドの構築は。。。が利用されていることを表わす。

Q: (L) 何とか、太陽の重力増加→UFT→グリッドと来れたわね。。。

A: UFTで、太陽の重力「増加」は説明できる。だが、UFTの中には、増/減するようなものは無いのでは???

Q: (A) UFTで増減は説明できない。。。だが、それはアインシュタインの理論が正しくないからだということだった。。。 彼らによれば、重力とEM波との間には何らかの相互作用があって、それを論じたのがUFTということだった。。。UFTで存在するとされる他次元に、カルツァ=クライン理論を加味すれば、質量の概念そのものが、不確かな可変的なものになって行く。。。

A: Yes, 物質性の可変性だ。

Q: (T) 第4密度だ。

(A) UFTは、他密度への扉を開くとさっき言われていた。

A: Yes.

Q: (A) 他密度の概念を含まないような、EMと重力を統合するUFTはあり得ないのだろうか?つまり、重力とEMについてありったけ教科書に詰め込んでも、これで学んだ学生は密度についてまるで分からないのか?

A: 分からない。他の密度について明らかになるのは。。。

Q: (A) つまり、アインシュタインとフォン=ノイマンは、このような他の密度について知ってたんだろう?

A: Yes, oh yes!!!

Q: (T) ほんの思い付きなんだけど:UFTが分かって、その中に出てくる様々な場を操作できると、色々な効果を生み出すことができるんだろうね。僕らの理解だと現状の科学では、空間に重力を発生させるには何かを回転させなくてはならないと考えて疑わない。だがUFTがあれば、ほんの派生的なことだろうけど、何かを回転させなくても本当の重力を発生させられるんだ。じゃあ、無重力状態の問題は本当は解決済みなんだな。。。

A: 基本だよ、テリー君。

Q: (T) じゃあ、宇宙ステーションで遊泳していた飛行士が地上に帰ってきたとき、重力に再適応するのが難しいなんて話は、全部誰かの企みによるものなんだ。。。

A: 「うっかり秘密を漏らそう」ものなら、「国」じゅう猫だらけになって(=秘密がばれて)しまう。

引用終わり------


これらの引用の中には、特に衝撃的な内容が2つあった。1つ目は、ダンスに関する2つの言葉だ。比較してみよう:
「実際のところ、いいかな。タンゴを踊るには2人必要だ。2人でタンゴを踊っていて、ダンスホールが炎上したら、どちらもやけどすることになる!!!」
と、
「あなた方は第3密度のダンスホールで踊ってるんだ。クリスタル宮の『不思議の国のアリス』よろしくね。アトランティスからの転生組の急増のせいで、過去に行ったことを繰り返そうという衝動が高まっている」
である。

最初の方の発言がなされたのは、サイコパスすなわち、第4密度STSからの「攻撃の導管」との個人的なやり取り/関係について述べられた中でだった。2つ目の発言は、地球規模のコントロール・グリッドへの言及の中でであり、この時の話は、私たちの現在の状態は、アトランティス滅亡時に存在していた状況の鏡像だというものだった。どちらのケースでも、このダイナミクスの正体を見損ない、撤退し損なうのが、STSのダイナミクスにとってのデファクトの選択であるという事が言われた。カシオペアンがこう言った通りである:泥んこの中で遊ぶとき、あなた方は泥まみれになって汚れていく。

他の幾つかのセッションでカシオペンは、「秘密の活動」 ― すなわち、現在「第3の選択」の考え方が宣伝されている事 − は、アトランティス時代のクリスタル原理の導入 ― すなわち、第57章『それが経済というものだ』および第58章『エイリアン・リアクション・マシン』で述べた人類に対する完全な支配 − に関係があると述べている。「ゲームをプレイする」ためには、特定の「自動機械」すなわち「サイコパス」を、人類の中にちりばめておく事が欠かせない、というのが論理的帰結だというのだ。


960504
---
Q: (L)以前あなた達、HAARPは「境界移動」に使うためのものだって言ったわね。つまり、時間や空間や密度を操作するということなのかしら?

A: Yes.

Q: (L)もしかして連中は、アトランティス時代のクリスタル
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27166959&comm_id=2590126
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=27174663&comm_id=2590126
を地中や海底から引き揚げて利用するのに、これを使おうと計画してるの?

A:「引き揚げて」利用する程のものではない。
---

960609
---
Q: (L) あなた達以前、HAARPを組み立てているのはモントーク・プロジェクトの続きで、それは「境界移動」のために用いられるんだって言ってたわ。これって、スペース/タイムトラベルのことでしょ?

A: Yes. それと、アトランティス時代のクリスタル原理の復活。

Q: (L) 彼らは本当に、アトランティス時代のクリスタルを持ち出そうという計画なの?

A: No.

Q: (L) それをマインドコントロールに使う計画?

A: および他の用途に。
---


カシオペアンと行った一番初めのセッション940716において、私たちの置かれている状況の深刻さが述べられ、私たちはゾッとしてしまった。他のソースであれだけ沢山「愛と光」のメッセージがもたらされた後で、私たちは実際には苦境に陥っていると言われたので、控えめに言っても当惑してしまったのだ。恐ろしくなった私は、こう尋ねた:


940716
---
Q: (L) どうしてそれが地球で起こるの?

A: カルマ。

Q: (L) どんなカルマを負うとこんな目に?

A: アトランティス。。。

Q: (L) 何が私たちを守ってくれるの?

A: 知識。

Q: (L) その知識はどうやって手に入れたらいいの?

A: あなたは今このソースから手に入れている。

Q: (L) どんな知識のことを言ってるの?

A: あなたが既に持っているもの。。。

Q: (L) その知識を、どうやって手に入れるの?

A: 潜在意識深くにある。

Q: (L) いつ私たちはそれを手に入れたの?

A: 生まれる前。

Q: (L) 他に守りを得る手だてはないの?

A: 学び、瞑想し、読書しなさい。

Q: (L) 現在のところは、私たち必要なことをやってる?

A: これまでのところは。目覚める必要がある。
---


アトランティスのカルマが私たちのタイムループがリプレイされる原動力であるという事については、既にある程度論じてきた。多くの人々が気づいて居ないのは、アメリカこそが、アトランティスの「再来」だという事だ。エドガー・ケイシーによれば、アトランティスは「3つの段階」を経て滅びた。カシオペアンは、ナチスのアジェンダを何らかの未来の出来事に結び付けていたし、私たちが考えても、第1次大戦と第2次大戦は、アトランティスの滅亡のはじめの2「段階」のダイナミックなリプレイだと言えよう。私たちは今や第3段階にさしかかりつつあるのであって、サイコパスこそが、このドラマの主役なのである。


980725
---
Q: (L) テンプル大学歴史学教授デービッド・ジェイコブズ博士
http://conspiracy.exblog.jp/2352484/
の新刊書『脅威』を読んだんだけど、これって彼の エイリアンによるアブダクション現象に対する徹底的な調査をまとめたものなのよ。[ジェイコブズ博士は、UFO史に関する論文で博士になった人物である] ジェイコブズ博士が言うには、年来調査研究を重ねて来た結果、エイリアンがやって来てる理由がわかった、アブダクション現象の主な目的は、子孫をつくることだ、と言うんだけど、ホントにそうなのかしら?

A: 部分的にはそうだが、「全てが」そうではない。

Q: (L) 主な理由が別にあるの?

A: 置き換える。

Q: (L) 何を置き換えるの?

A: あなた方。

Q: (L) どういう意味なの?新人種を造って、人類と置き換えるの?それとも、特定の人をアブダクトして、クローンかなんかと入れ替えるの?

A: 主として前者。新しい人種を作ろうとしたら、大量交雑なんかより、大量転生の方がベターだろう。現生種が、かくも永遠に無知で、コントロールされてて、人間中心的な場合には特にそうだ。完全に破壊して征服し置き換えたら、どれだけ素晴らしい環境が得られるだろうか...分かるかな?

Q: (L) それは、本件に関する私の別の質問に対する答えにもなったわ。著書の中でジェイコブズ博士は、特定の家系を通して進行中のアブダクションが存在する、と言ってるのよ。引用すると:「胎児を保護するということ以上に、アブダクションを秘密にしておくことには、他にも理由がある。全ての証拠が明らかに示す通り、もしアブダクションが世代を越えた現象であって、アブダクティーの子供たちもまたアブダクトされる習わしだとすれば、エイリアンの目的の一つは、より多くのアブダクティーを生み出すことである。アブダクティーの子供たちは全員が、本現象の対象に取り込まれるのであろうか?証拠の示すところでは、答えはイエスである。もし、アブダクティーが、非アブダクティーとの間に子供を設けたなら、恐らく彼らの子孫は全員アブダクトされることだろう。ということは、通常の人口増加、離婚、再婚等々によって、アブダクティーの人口は、世代を経るにつれて、たちまち殖えて行くだろう。そのような子供たちが成長して結婚し、自らも子=初代からすれば孫を設けるときには、その孫たちはアブダクティーと結婚しようと、非アブダクティーと結婚しようと、アブダクティーとなるだろう。この繁殖[育種]計画[プログラム]が超世代的に遂行できるようにするため、これはアブダクティーから秘密にしておかねばならない。彼等が子供を産み続けるようにである。仮にもアブダクティーが、このプログラムは世代を超えたものだと知ったら、彼らは、子を持たないことに決めてしまうかも知れず、そうなれば、プログラムは停止の危機に瀕することともなろうが、それはエイリアンも避けたいのだ。繁殖[育種]計画[プログラム]を秘密にしておく、最後の理由は、(世代間を垂直とすれば)これを世代内=水平的にも広めるためであり、エイリアンとしては、アブダクティーに非アブダクティーと番ってもらって、彼らの=アブダクティーの子を残させねばならないのだ」

A: 前にあなた方に言ったように:ナチスの経験は、「試運転」だったのであり、もうそろそろ類似性が分かったのではないかな? 。。。あと、こうも言った筈だ。「ネイティブのアメリカ人」がヨーロッパ人と対峙した経験も、小規模な前触れだったかもしれないと。それに、第3密度の地球人が、第2密度のテラの生物たち(=動植物)に対してしていることも、「考える材料」を提供するだろう。つまり、「汝らの観方に拘わらず、汝らはそう特別ではない」のだ。また、こうも警告した筈だ。地球人類が第4密度への転換を果たした後も、第4密度オリオン人とその同盟軍は、「そこでも」あなた方をコントロールすることを望んでいるのだ。さて、こうした事全てと、あなた方が既に気付いている事を考え併せてみなさい?少なくとも、もうそろそろ、物理体ではなく、魂こそが大事なんだと知るべきだ。他の存在たちは、遺伝子的、霊的、精神的な操作/工作でもって、あなた方が肉体中心的な観方をするように仕向けてきた。興味深いことに、第4から第6密度STOのあらゆる努力にも拘わらず、この「ヴェイルは剥ぎ取られぬままに」なっている。
---


だが、上掲の引用の中で私の注意を惹いた部分の話に戻ろう:個人的および世界規模でのつながりという観点からなされたダンスに関するコメントは、STSの導管として活動している人々との「契約(婚約)」が私たちのエネルギーを枯渇させることを企図していることを示唆している。カシオペアンは私の兄に対して、このような人々とのやり取りはエネルギーを枯渇させ、重要な事の達成を妨げるものだと明言している。

私の注意を惹いた、もう1つの部分とはもちろん、周波数共鳴振動(FRV)に関する部分である。カシオペアンはこう言っている:「周波数共鳴振動!とても大事だ」 これと、私がSTOの「アセンション」に関して訊いた質問とを結び付けつつ、カシオペアンはこう言ったのである。「STOはこのプロセスを自然な物事の流れの中で行う傾向がある。STSは創造のプロセスを彼らの目的に合うように変えようとする」 これらを、例の極めて重要な手掛かりと考え合わせれば。。。


---
Q: (A) 密度間の送信を容易にする何らかの決まったDNA配列があるんだろうか?

A: DNAストランドの追加。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2590126&id=79453740

Q: (L) どうやって追加のストランドを手に入れるの?

A: 手に入れるのではない;受け取る。

Q: (L) それはどこから受け取るの?

A: 近付きつつあるウェイブとのやり取り。振動が同調していればだが。
---


。。。分かるのが、サイコパスや、他の攻撃の導管を見分けて、それらとの関係を断つことが、私たちの周波数共鳴振動にとって重要であるということだ。ドン・ファンが指摘したように、私たちは気付きを「増大させ」なくてはならないのだが、これはた易いことではない。自分自身および他人の中にある捕食者の心を見分けて、それの食料になるのを拒絶することが、自己に対する極めて重要な修練なのである。実はこれが悟りに至る道なのである。これが達成できなければ、私たちは旅の次の一歩を見通し得るのに十分な気付きを達成できないのだ。ここで思い出されるのが、以下の奇妙な一連の言明である:


970816
---
Q: 私、パズルのピースの海で迷ってしまって、組み立てようとし始めてすらいないわ!

A: 一歩ずつ進みなさい。

Q: 不死鳥、鶴、鷺、鳩、大鴉はいずれも、何らかのかたちで話すことや書くことに関係してるわ。どうしてこれらの鳥が全部こんな風に関係してるの?

A: 試練を乗り越えなさい(※あるいは、「テストに合格しなさい」)。

Q: 「試練を乗り越えなさい」とはどういう意味?

A: 見つけなさい。

Q: 書くことは、切ることや刻み込むこと、刈ることを表す言葉や鮫とも関係してるわ。あなたたち、エトルリア人を「悔悟する鳥の神」だとか、「テンプル騎士団員の担い手」とも呼んだわね。これは鳥のイメージに関係あるの?それと、話すことや書くこと、刈ることと関係ある?

A: 試練を乗り越えなさい。

Q: それじゃあ、書くことの結果、試練を乗り越えれば(=テストに合格すれば)、不死鳥だとか、鳩とかになれるの?

A: 見つけなさい。
---


錬金術の文献に慣れ親しんだ方なら、上で言われているのが、ファリードゥッディーン・アッタール 『鳥の言葉 - ペルシア神秘主義比喩物語詩』(黒柳恒男訳、平凡社〈東洋文庫 821〉)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E3%81%AE%E8%A8%80%E8%91%89
のことだと即座に理解されたことだろう。(※ローラの読んだ英訳では『鳥たちの集会』) これを訊かれた時、私はこの作品については知らなかったが、以前にカシオペアンが判定を行った「テスト」はよく知っていた。だが、私はまだその意味するところについて十分には分かっていなかったのだ。実際にそれは、既に前の方の巻で述べたように、フランクが初めて自ら「本性を暴いた」SVのとった行動を通してだった。これに関する質問をしようとした時、フランク当人に関する大きな手掛かりが私の頭をよぎった:


960323
---
A: SVは極めて重要な情報の宝庫で、あなた方にとっての手掛かりは、その名前にあるのだが、あなた方は気付けないでいる!。。。そういう風だから、あなたは不満が募るのだ;価値あるものはタダでは得られない!!

Q: (L) 1つ。SVは私達に嘘をついてたわ。2つ。あなたたち、ロボット人間は、多くの時間を一人で過ごすと言ってたけど、私達が彼女には感情というものが深刻に欠けてると議論してたら、彼女、感情を見せ始めたのよ。。。

A: 代償は、続けることなんだ。。。

Q: (V) 関係を続けることなのかしら?

A: 「ノルディック人の契約」とは二重性だった。
---


「代償は、続けることなんだ」という言葉には何とも当惑させられた。というのも、私はSVとの付き合いは全て終わりにしようと殆ど決心しかけていたからだ。カシオペアンは次のように言って、私を急停止させた:


---
A: 多分。だが、あなたは重要な点を見落としている!ノルディックの伝統を継ぐ人々は皆、秘密のパワーセンターを持っており、それは闇のものであることも、光のものであることもあり得る。。。SVはこのようなスーパーパワーソースに直結している、トゥーレ協会その他のようなチュートン族の血統を引いており、彼女は自分のパワーとミッションに気付いている。それはポジティブ志向のものだ。しかし、あなたは第4から第6密度の勢力によって、続けるだけの強さと賢さを持っているかどうか判定すべく試されているところだ!。。。

Q: (L) SVがかつてアウトロー・モーターサイクルギャングと共に暮らしていたことや、この同盟のメンバーであることは重要なの?

A: Yes, そのことが第4密度STSと直接関連する「アウトロー」グループに破滅をもたらしてきたし、今もそうだ。

Q: (V) 彼女が参加したせいで、それらが崩壊することになるんですって?それはいいことね。そういうことが言いたいの?それとも、彼女が参加することで、彼らの気持ちが昂揚するの?

(L) 昂揚させるんじゃなくて、破滅させるのよ;彼らはみんな牢獄行きなのよ!

A: Yes それは「エージェントSV」が醸成した環境のせいだ。だから、全体的な状況と結びつけると、感覚が欠如しているように感じられるのだ。ビターレはあなたがこれまで知っている中で最も勇敢な人間だ!それと反対の証拠はいずれもヴェールだ;テストするプロセスの一部なのだ。

Q: (L) 私達がテストされてるんだったら、どうしてあなた達そのことを私達に教えるの?

(V) あなたが失敗しないようにかしら?

A: あなたが失敗しないのが肝心(Vital)だ。

Q: (V) 明確な理解に通じる扉をこじ開けるような重要な言葉があるのかしら?

A: 見付けなさい。
---


上のケースでの「テスト」とは、私がカシオペアンによる言葉を「見抜き」、それと分かることができるかを試すものだった。自由意志を確保するため、私自身でデータを検討し、それが持つ意味合いに関して出した結論に基づいて、完全に私1人で選択しなくてはならなかったのだ。彼らは私に直接話すことができなかったので、私の気付きを試すべく、真っ向から矛盾した言いかたを選んだのである。例えば、カシオペアンはSVをトゥーレ協会に結びつけたのだが、トゥーレ協会について、彼らは以前それがSTS共同体の一部をなすものだと位置付けていたのだ。それなのに、その末裔としての活動が「ポジティブな」ミッションだと断言したのであるから、これはとても矛盾していて、私はこれらの全体を非常に注意深く考えるという難題を課せられていたのである。カシオペアンが、何か奥深い重要な事を暗号で私に伝えようとしているのだと私は悟った:


---
Q: (L) Well, OK, 私、あんたたちを信用するわ。大勢に従って、あんたたちが正しいと思い、これが最善なのだと思って、条件反射的に動くのは止め、この事を心配するのは止めるわ。

A: よく考えて行動するよう勧める。結果を受け入れるか、拒絶するかの判断を急ぐ人は皆、間違えることになる。何事も見かけ通りではない。。。いいかな、あなたのグループや、あなたの影響圏に入って来る人たちは、あなたが考えているのとは違うかも知れない。。。

Q: (L) あなたたち、私達がテストされてるって言ったわね。何のテスト?

A: 継続性。

Q: (L) 何の継続性?

A: 全て。

Q: (L) 全ての継続性ですって。OK, で、私たちはSVを通してテストされてるの?

A: 目下のところは。

Q: (L) つまり、私達が攻撃だと考えてきたのはテストだってこと?

A: ビターレに関係した攻撃がだ。確かに、この名前の人が全てこのような志向の持ち主だという訳ではないが、この手掛かりは、あなた方のために導入された。
---


もちろん、「ビターレに関係した」大掛かりな攻撃とは、前の方の巻で述べたような、フランクの本性が明らかになった事件のことなのだが、私は「反対の頬をも向けなさい」というプログラミングに従うことを選んで、それについては「見て見ぬふりをした」のだった。私が「理解」すべき事に完全に気付いたのは、セッション終了後だった。私は一瞬のうちに、カシオペアンが言っていたことは「暗号」だったのだと理解し、SVの本性が「ポジティブ」では無いのだと受け入れることにし、「テストに合格する」にはフランクを観察して、彼が本性を詳しく知るべき人間だと考えるよう迫られてすら居るのだと悟った。このような覚悟を決めた私はカシオペアンに、戻って来て私が「内心抱いた」疑問と結論にコメントしてくれるよう頼んだのだが、声に出して言いたくなかったので、心の中で念じたのだった。


---
Q: Hello. もしもし、あなたたち、まだ居る?私、SVについてのこの情報には満足してないの。私が気付いたり感じてる事と、全部矛盾してるように思うのよ。

A: カシオペアのヒクルだ。これ以上心配しないことだ!不安を感じても必ずしも危険とは限らないし、それは成長と学びを示すものだ。だから、前向きに祝いなさい!!
---


ということで、どうやら私はテストに合格したらしかった。だが、カシオペアンは、「目下」私はSVを通じて「テストされている」と言っていた。つまり、当然ながら更なる「テスト」があるという意味だ。実際、その通りだったのであるが、これはまさしく、私たちを究極のゴールである『鳥たちの集会』へと導くタイプの「テスト」なのである。

『鳥たちの集会』は、12世紀の、あるペルシャ詩人にしてスーフィーの神秘主義者であった人物が書いた、哲学/宗教詩である。「世界中の鳥たちが、目に見える者も/見えない者もすべてが集合し」(黒柳訳15ページ)、王を探し求めようと話し合うところから物語は始まる。ヤツガシラが、集まった鳥たちに向かって演説を行い、創造主であるスィーモルグを探しに出発しようと皆を説得する。その旅は数多くの試練/テストの連続だった。旅が始まった当初は数千羽いた鳥たちのうち、最後まで辿り着いたのはたった30羽だけだった。

この素晴らしい小品を読んだ後、ようやく私は、カシオペアンの言っていたテストの本質を理解することが出来た。私が「共鳴する」人々に伝え、シェアし、読んで貰いたいのは、これである。

このようなテーマは「啓蒙」をもたらさないと不満のメールを寄越した人たちは、再考して欲しい。もし理由が無かったら、こうした学びの経験はだらだら続く苦痛に満ちたものだったのだ。私はカシオペアンが、そうした経験を通して、こうも微妙に導いてくれるとは殆ど考えて居なかった。私がそれから恩恵を被ったのなら ― 請け合うが、このような理解に至ることで得られた解放感は並外れたものだ ―、読者がこうした相手に出会い、まだ、解放されるに至ってない場合、カシオペアンの言うようにプロセスを「よりスムーズに」するような知識でもって予め武装できる程度に、おそらくこれをシェアすることもできるだろう。そして、私と同じように自由になることに成功した経験をメールしてくれた皆さんにも感謝する!あなた方の物語には励まされたし、このテーマが重要であるという私たちの考えが誇張ではないと安心させられたものだ!

さて、ゲーム理論に話を戻そう。ゲームの理論は、2つの定理に立脚している:1928年にフォン・ノイマンが発表した「ミニマックス定理」と、1950年にナッシュが発表した「均衡定理」である。フォン・ノイマンの理論は純粋な対立関係を扱った基礎的ゲームに関するもので、数学用語を使って「2人零和(ゼロサム)ゲーム」と呼ばれている。だがあいにく、2人ゲームは現実世界にはまず当てはまらない。ナッシュが登場して初めて、協力ゲームと非協力ゲームの区別が導入されたのだ。

協力ゲームとは、プレイヤーが他のプレイヤーと強制力のある合意を結ぶゲームである。つまり、プレイヤーのグループが特定の戦略にコミットするのだ。非協力ゲームにおいては、集合的なコミットは不可能と仮定されている。強制力ある合意は存在しない。ゲームの中に協力と競争が含まれるように理論を拡大することで、ナッシュはゲーム理論が経済学、政治科学、社会学、さらには進化論生物学にまで適用される可能性を開いた。既に述べたように、モース・ペッカムは、「社会史家」としての役割を果たす上で、ゲーム理論の考え方に大きく影響されていたに違いない。

一般的にゲームのプレイヤーが得る結果は、他の全プレイヤーがどんな手を選ぶか次第であり、その逆もまた然りである。つまり、このようなゲームは「相互依存的」なのである。三目並べやハングマン、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3_(%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0)
そしてチェスのようなゲームは、一種の相互依存性を持っている。というのも、各プレイヤーが交互に手を指し、他のプレイヤーの手を見て自分が指す前に分析する機会があるからだ。このようなケースで各プレイヤーは、相手の差しそうな手と、それによる影響を見越し、他のプレイヤーがどの手を指しそうか評価を試みて、そこから「遡って」自分の現在の状況を推定し、こうした分析に従って指し手を選ぶのである。このようなゲームでは、各プレイヤーは他のプレイヤーの戦略だけでなく、自分の指す手に対して他のプレイヤーがどう反応するか、その次はどうか、またその次は等々と予測しなくてはならないのである。プレイヤーにとってベストな戦略は、起こりうるあらゆる結果を見越すことで決まる。チェスの場合、このような予測があまりに複雑なので、プレイヤーが一度に見越すのはほんの数手で、他のプレイヤーとの対戦経験から常に戦略を見直すのである。

他方、ポーカーのようなゲームの場合には、各プレイヤーは、他のプレイヤーの現在の状態や出しそうな手を知らずに同時に手を出す。彼らは「相手がこう来ると僕が考えるだろうと相手は考えると僕は考え。。。」云々という具合に考えることを余儀なくされるのである。それぞれが、他のプレイヤーの立場になって考え、自分の手も含めた結果を予想してみなくてはならないのだ。

情報を欠いている、このようなゲームは、推論の堂々巡りとなってしまうのだが、これに対処するのがナッシュの均衡の概念である。そこでは各プレイヤーは、他のプレイヤーも「最適な手」を選ぶ、すなわち、プレイすべき「最適な局面」にあるという考えに基づいて、自分も最適な手を選ぶのである。

問題は:専門用語のせいで、この定理の記述が非常に分かりにくいことである。「均衡という状態について、ナッシュはどのプレイヤーも、他の可能な戦略を選択しても自分の立場を改善できない状況と定義している。これは、各個人にとっての最善の選択が、社会的に最適の結果をもたらすとはかぎらない、という意味である」。(シルヴィア・ナサー『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』塩川訳138ページ) だが、ナッシュの述べる均衡とは、要するにこういうことだ:各プレイヤーは、他のプレイヤーが自分をひどく不利な立場に置こうと躍起になっていて、おそらくそうすることができるので、自分も最適な戦略を用いるべきだと想定するのである。すなわち、自分には良い打ち手がなく、他のプレイヤーが自分をやっつけようとすると分かっているからと、完全に降参するくらいならば、自分はこの手でいけば大丈夫、他のプレイヤーを負かせられると考えるのである。

こんにち、戦略ゲームにおけるナッシュ均衡の概念は社会科学や生物学における基本的なパラダイムの1つとなっている。この概念の考案によって、彼はノーベル賞をとった。

「(プリンストンで)ナッシュ、シャプレー、シュービック、マッカーシーは、メル・ハウスナーというもうひとりの学生とともに、たがいに組んだり裏切ったりするゲームを考え出した。ナッシュはこのゲームを『仲間をファックしろ』と呼んだが、これはのちに『さよならカモさん』という名で公表された」。ナッシュたちが考えたこのボードゲームは、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC#.E3.83.88.E3.83.AA.E3.83.93.E3.82.A2
「異なった色のポーカーのチップを積み重ねていって、たがいに有利に進むためには、協力しなければならないように複雑なルールが定められているが、勝つためには結局は裏切り合うようになってしまうゲームだ。ポイントは相手を心理的に攪乱することで、そうした手口がたびたび用いられた」。シルヴィア・ナサーによれば、「マッカーシーは、最終回の1回前にナッシュにグウの音も出ないほど叩きのめされて、すっかり頭にきてしまったことがある。マッカーシーがそれほど感情的になったことに、ナッシュはひどく驚き、『もう、これでおしまいだよ。おしまいだ』と何度も言い続けたという」。(塩川訳146ページ)

このゲームを覚えておいて欲しい。というのも、これがナッシュのアイディアのエッセンスだからだ:すなわち、たがいに有利に進むためには、協力しなければならないのだが、その後協力相手をまんまと裏切った方が勝者となるのである。

まるで、目下熱狂的な人気のテレビ番組『サバイバー』みたいではないか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC_(%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E7%95%AA%E7%B5%84)
もちろん、これで不思議に思うのは、このようなものが人間の行動のモデルに設定しているのはどんな類の「プログラミング」ないしは「例」なのかということだ。さらに重要なのは:なぜか?ということである。

ナッシュのゲーム理論は、彼が契約してやって来る前から、RAND社ではすっかり評判になっていた。ナッシュの説が出る前からRAND社は、フォン・ノイマンが定義した、2人プレイヤーによる全面対決ゲームの研究に打ち込んでいたのだ。というのも、それが2大超大国間での核戦争の問題にピッタリ当てはまるからである。しかし、兵器の破壊力が増して行くに連れて、総力戦とはプレイヤーの双方が共通の利害を持つような状況だと見做されるようになった。双方とも完全に滅び去るような戦争に至り得るのなら、敵国を爆撃して石器時代に戻すというのはもはや意味をなさなくなったのである。

フォン・ノイマンは長い間、RANDが「協力ゲーム」にフォーカスすべきだと信じてきた。つまり、「逐次的に」プレイされるべきゲームである。このようなゲームの「指し手」は、チェスや三目並べのように、情報に基づいてなされるものだ。プレイヤーはコミュニケートして、状況を論じ合い、理性的な共同行動に合意すべきなのである。このようなゲームには、協力とコラボレーションが存在し、審判が臨席して合意を強制するのだ。

しかし、経済学者たちはフォン・ノイマンの考えが気に入らなかった。それでは、危険で無駄な軍拡競争を避ける唯一の望みは一斉軍縮を強制する力を持つ世界政府の樹立にあると言うようなものだ。折しも、国家をメンバーとする「ワンワールド・ガバメント」の考え方が、数学者や科学者の間では大いに支持されていた。

だが、社会科学者たち ― 経済学者たち ― は、諸国、ましてロシアがそんな組織体に主権を譲渡するという考えに懐疑的だった。つまり、協力ゲームの理論のように、一方が他方に協力するよう強制することなど誰に出来るのか?と考えたのだ。

しかし、そこにナッシュが登場して、問題を解決した。彼は非協力ゲームにも安定的な解がありうることを実証したのである。つまり、「たがいに有利に進むためには、協力しなければならないのだが、勝つためには結局は互いに裏切り合うような」戦略が「プレイヤー」にはあり得るのだ。

実際的に言えば:主役であるプレイヤーがワンワールド・ガバメントを唱導し、推進し、お膳立てして、他の全てのプレイヤーがそのルールに従うということがあるかも知れない。でも、その主役であるプレイヤーが自らワンワールド・ガバメントとなって、すんでのところで他のプレイヤーを武力で屈服させようとするのは明らかなのだ。

さて、こんにち世界のどの政府が、ナッシュの戦略をプレイしていると思われるだろうか?急ぐことはないので、ゆっくり考えてみて欲しい。

ナッシュの理論にインスパイアされて生まれたのが、あらゆる社会科学者の考案した戦略ゲームの中でも最も有名な「囚人のジレンマ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9A%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%9E
と呼ばれるもので、以下のような内容である:警察が2人の容疑者を逮捕して、それぞれを別の部屋で尋問しているところを想像して欲しい。2人のどちらにも、自白するか、裏切って相手に罪をなすりつけるか、黙秘するかの選択が与えられている。

他方の容疑者がどう出ようと、どちらの容疑者も ― 個々に見ると ―、自白した方が罪が軽くなる。一方の容疑者が自白した場合には他方もそうすべきであり、そうすることで黙秘すると受けることになる厳罰を避けられる。一方の容疑者が黙秘している場合、もう一方の容疑者は自白して、相棒に不利な証言をする司法取引ができるが、こちらも黙秘を選べば、罰を免れない。自白する − 「協調(協力)」はしない − のが、「支配戦略」である。どちらも相手が自白したがっていると気付いているのだから、両者共に自白するのが「合理的」なのである。

こうして今や私たちは、サイコパスの持つパワーと、ゲーム理論が私たちに対してどのように「使われて」いるかを理解した。ご承知の通り、サイコパスには良心がないので、非協力の結果を「感じる」ようには「想像」することができない。想像力を働かせて結果を感じることができないため、連中は怖いもの知らず同然であり、それ故連中はどんなものであれ、現実や体験の記憶、他人の体験についての想像等々を顧みずに、自分で思い描いた結果に従って、自分の行動を導くことができるのである。つまり、サイコパスにとっての合理性とは、最大限に利己的な考えによって決まるのだ。「合理性」とは他の誰もが自分本位であり、他人などどうなっても構わないという仮定なのである。

かくして、決して自白しないというのが、サイコパスの「支配戦略」となる。

おそらく読者は、サイコパス的人格と「通常の人間」との人間関係のダイナミクスがどうなるか、即座に理解されるだろう。良心を持たないサイコパスは常に支配戦略をプレイするのであるが、それは、想像力によって現出させた感情に影響されない、全く「合理的」なものなのだ。連中は、感情や、他人の感情ないしモチベーションに対する配慮に従って行動や選択を変えることはない。連中は囚人のジレンマに陥っている通常人を裏切って相手に罪をなすりつけ、自分の罪を自白するのを拒む。というのも、連中には単に、他人を傷つけるのが道徳的に咎められるべきことだと知覚する能力がないからだ。これがサイコパスの「支配戦略」である。連中は、このような状況になっても、決して協調しようと考えたりしないのだ。

それにひきかえ、良心も感情もある通常人は、感情によって補強された想像力に基づいて選択を行う。囚人のジレンマの状況に置かれた彼らは、相手がサイコパスであるとはこれっぽっちも気付かぬまま、相棒に対する忠誠心から自白を拒むことがままある。サイコパスの方では、自分の罪だと自白するのを拒むだけでなく、相手を裏切って罪をなすりつけ、自分に有利な司法取引を行っているのにだ。中には、サイコパスに操作されているとも気付かずに、サイコパスである相棒が苦痛を感じないよう「救う」ために、自白する人さえ居る。その間、サイコパスの方はと言えば、「そうだ。あいつがやったんだ!俺は無実だ!」と言い続ける。真相は全く反対なのにだ。

サイコパスと幅広い感情を持った通常人との間でのいかなるやり取りでも、サイコパスが常に「勝つ」ことになるのは見やすい道理である。

RANDの2人の科学者は、「モルモット」役を引き受けた科学者ペアを使った実験を企画した。本物の人間がゲームをプレイしたら、不思議にも「均衡戦略」に取り込まれるという結果となるだろうかと調べたのだ。彼らは実験を100回行った。ナッシュの理論によれば、たとえ2人のプレイヤーが「協調的」戦略に従ってプレイした方が2人とも良い状態になると言われても、両プレイヤー共に「利己的な」戦略に従ってプレイする筈だった。ところが蓋を開けてみると実験結果は、ナッシュ理論の通りではなかったのである。なぜか?それは、プレイヤーである2人の科学者が、裏切りよりも協調する方をより多く選ぶ傾向があったからだ。賞品を最大化するには、プレイヤー同士が協調しなくてはならないことに一旦気付くと、彼らはその戦略を選んだのである。

実験結果を聞いたナッシュはこう書いている:「均衡的理論の検証として考えた場合、今回の実験は、プレイヤーにさまざまな手を打たせる、ひとつの大規模ゲームに仕立ててしまった点に欠陥がある。これでは。。。人間は、相手をもっと合理的な存在と考えるはずである」(塩川訳173ページ) つまり、プレイヤーたちは良心を持っていたので、それが作戦の選択要因となったのだ。

RANDでナッシュは、利害が一致もしていなければ、対立してもいない2当事者間における交渉のモデルを考案した。これは、こんにち私たちの世界で起こっているのを見かけるものの典型的な例である:(※交渉の4段階。塩川訳173ページ)

第1.各プレイヤーは、ひとつの脅し戦略を選択する。これは、相互の要求が折り合わず、取引が成立しないときに用いる。

第2.各プレイヤーは、たがいの脅しの内容を相手に伝える。

第3.各プレイヤーは、自分にとって一定の価値を持つ、ひとつの要求を選択する。交渉しても、それだけの価値が保証されないなら取引には応じない。

第4.各プレイヤーは、たがいの要求を満たす取引があることがわかると、自分の要求するものを得る。それができない場合は、脅し戦略を実行に移す。つまり、実行できない事で脅してはならず、脅した事は常に実行に移すのだ。

各プレイヤーは、相手プレイヤーがいかなる戦略を選択しようとも、取引を確実にする「最適な」脅し戦略を持っていることを、ナッシュは明らかにしたのだ。くりかえすが、このスタイルのプレイが、こんにち実行されているのを、私たちは目の当たりにしていないだろうか?政治的にか、あるいは、政府と国民との関係において。

さて、サイコパスの話に戻るが:連中が、進歩を手伝うためと称して、他の人々に協力するよう働きかけ操作しておきながら、最終的に「彼らが必要でなくなる」と、勝つために裏切るというのは、かなり見やすい道理である。結果的に連中は、計画的な心理的攪乱を起こすのである。

つまり、究極的に人類を全面的な強制支配に服させるのに不可欠なコンディションを作り出すためには、壮大かつ複雑な事業計画を持つ政府がマインドコントロール・プログラムを運営することさえ必要ないのである。単に、人類の中に戦略的にサイコパスを配置し、選び抜いた面々を表面的には「普通の手段」と見えるようなやり方でもって、訓練し影響を与え、連中が常に利己的な支配戦略を遂行すると予測するだけでいいのだ。

世界を服従させるために、どのようにゲーム理論が利用されるかに関して、読者はこの種の全ての事を結び付けて考えてみていただきたいものだ。

1994年12月、アル・ゴア副大統領は「史上最大のオークション」の開催を公表した。オークションが行われたのは、「何も含まれていない空気」だった。無線コミュニケーションのために使われる送信用電波の免許が数10億ドルで競りにかけられたのだ。(ベル電話会社および同社とモース・ペッカム、アイラ・アインホーン、ユリ・ゲラー他とのつながりを想起されたい。)「翌年3月、オークションがようやく閉会したとき、売上総額は70億ドル以上に達したのだが、これは公共資産の販売ではアメリカ史上最大」(塩川訳562ページ)だった。「95年の春が終わるころまでに、米国政府は、周波数のオークションで100億ドル以上の資金を調達した。新聞も政治家も有頂天となり」、巨大企業は「略奪行為じみた競りから身を守」ることができた。「まさしくそれは。。。『ゲーム理論の勝利』であった」(塩川訳568ページ) オーストラリアからアルゼンチンに至る各国政府がゲーム理論を適用して、希少な公共財の販売をやり直し、ベストなオークションを開発することができたのである。

エンロン。

さて、アイラ・アインホーンの話に戻るとしよう。前章で述べたように、アインホーンには特有の事情があった:日記をつけるサイコパスだったのである。そして、前にも引用した通り、以下の事情がある(これは本当に理解するまで繰り返し読むに値する):「1世紀以上にわたる臨床研究や考察、それに数十年にわたる科学的調査にもかかわらず、サイコパスの謎はいまだに解明されていない。最近の研究の進歩によってこの人格障害には新たな光があたってきたし、その境界はさらにはっきりはしてきた。しかし、ほかのおもな障害とくらべて、サイコパスに関しては体系的な研究がいままではほとんどなされてこなかった。たとえそれがほかのどんな精神医学的障害よりも社会不安や崩壊を引き起こしているとしてもだ」(Hare, 1999)(※ロバート・D・ヘア/著 小林 宏明/訳 『診断名サイコパス 身近にひそむ異常人格者たち』)

このテーマに関してメールをくれた皆さんが繰り返し認めるのは、サイコパスの毒牙にかかったと気付いたときには、ほぼ手遅れであるということだ!1万ドル「ふんだくられた」ことがあるという人が、サイコパスを研究しても「啓発」されないと不平を書いて寄越したのだが、彼は「いつまでもくよくよしないで前へ進んだ」のだという。当然ながら、彼はこれが正しいアプローチだと判断したのだ。経験から学ぼうとなどしなくてよい;他人が将来ワナにかかるのを避けられるようシェアしようとなどしなくていい;ただ「乗り越えるのだ!」

だが、サイコパスが単に大枚1万ドルをふんだくる1人の男ではなくて、世界を乗っ取ろうとしている超次元の存在の一味だとしたらどうだろうか?あなたが「乗り越え」ねばならない「結果(payoff)」(=ゲーム理論の用語。プレーヤー(意思決定の主体)・戦略(プレーヤーの取りうる行動)に対し,ゲームをプレーすることから得られる結果をいう)
が、魂を失うことだったり、このリアリティの制約やコントロールを越えて成長する機会だったとしたら?

分析を行い、追跡の助けになるような手掛かりを見つけることによってサイコパスを見分ける術を学ぶことが、開明のために必要不可欠なツールであるのは間違いない。『鳥たちの集会』でヤツガシラが次のように描かれている通りである:「その胸には神秘主義道を示す衣をまとい/頭には真理を示す冠をかぶっていた/彼は鋭い知覚を有し、神秘主義道に入り/善悪についてよく精通していた」(黒柳訳15ページ)

さらに重要なのは、魂の究極的な探究を成し遂げるための有名な一連の手掛かりを綴ったこの神秘主義者が、ヤツガシラに開口一番語らせた言葉である:「私は疑いなく/陛下の急使(※英訳では「聖なる戦いに参加」)でもあり、不可視界の使者でもある」(同上)

これは詰まるところ、本書の基本原則である。私たちは「聖なる戦い」を実際的な観点で語っている。私たちは不可視界について語っているのだ。つまり、私たちは善悪についてよく精通していなくてはならないのだ。世界の状態から言って、後者、すなわち悪についての知識不足が深刻になっている。「いつまでもくよくよしないで前へ進め」シンドロームが蔓延した結果、私たちのリアリティでは、サイコパスが気付かれぬまま活動を続けることが可能なのである。私たちには何としても決定的な識別子=警告の役割を果たすような、見えざる領域においても「見えるマーク」が必要なのである。わたしたちは次のことを思い出す必要がある。すなわち、「(サイコパス)というのはひとつの人格障害であり、いくつかの特定の行為や人格特性によって定義されるが、その大半は社会から悪いものと見なされている。したがって、ある個人を軽々しくサイコパスと診断することは許されることではない。ほかの精神障害と同じように、診断は、すくなくともその障害を決定づける最低限の基準を満たしているという証拠の積み重ねに基づかなければならない」(小林訳11ページ) さらに重要なのは、一たび何らかの手掛かり、ないし警告を手にしたら、私たちはサイコパスの戦略を理解しなくてはならず、私たちの運命のために行動する力を自分の中に見出さねばならないということだ。その際に十分理解しなくてはならないのは、サイコパスとは、妄想を他人に無理強いしようとする連中であり、「道徳的に気が咎められる」ようなこととは「無縁」、そんな差し手だろうとお構いなしに選択し、本に書いてあるような策略の全てを使って、コントロールを回復しようとするものだということである。

私たちは、サイコパスの心理に関して科学が教えてくれる唯一の事とは、連中の「いくつかの特定の行為」から推測されるものであると知っている。本当に出来の良いサイコパスの心の中 ― 連中が自分の周りの世界をどう見ているか ― をしっかり覗き込むことなどまずあり得ないと分かっているのだ。

ところが、アイラ・アインホーンの場合には、まさにそれが提供されている。賜物である。サイコパスの心の中を覗き込む窓なのだ。

「きみはぼくの方法を知っているだろう。どれも細かい観察に基いているんだよ(直訳:それは些細な事の観察に基礎を置いている)」と、コナン・ドイル作『ボスコム谷の惨劇』の中でシャーロック・ホームズは言っている。(角川文庫版、コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』石田訳、144ページ)

アイラ・アインホーンについて書いていると気分が悪くなり、私は体調を崩しそうになってしまった。政治/経済の舞台におけるダイナミクスを観察し、どんな作戦が始動していて、その究極の目的が何か完全に理解するというところにはまだ至っていないのだが、これはもっと具合が悪くなりそうだ。ゲームの理論は、全世界に対する支配をうまく推進できるようなドミノ倒しの列を仕掛けるための計画を数式で明かすものなのである。

ジョン・ナッシュ、アイラ・アインホーン他のようなサイコパスがこの計画内部の仕組みに関して与えてくれる洞察無しには、私たちは身を守ることも、異なる結果となるよう碇を降ろして踏ん張ることすら − おそらくは − できないだろう。つまり、サイコパスの行動とは、STS(自己への奉仕)のリアリティと計画という大宇宙を縮約した小宇宙なのである。

既に述べたように、「第3の選択」というディスインフォメーション・キャンペーンの中には、次のような考え方が含まれていた。「一般人には到底知りえないような、秘密の米ソ合同宇宙プログラムが存在する。1962年に宇宙飛行士が火星に着陸している。宇宙には我々人間以外の知的生命体が存在することが分かっている。地球は死にかけている。我々人類による汚染は修復可能な域を超えてしまっている。進行する「地球温暖化」の影響で、南/北極の氷冠や氷河が溶け出し、洪水となって陸地に押し寄せるだろう」云々。

こうした考えの全てが ― それらの殆どは、1960年代の諸々のムーブメントやスピリチュアリストであるアンドリア・プハリッチおよびスタンフォード研究所(SRI)の関心から生まれたものである −  アイラ・アインホーンの「業績」の中で、1つにまとめあげられていた。こうした考えが、アインホーンのサイコパス的な作戦で使用するため「採用」されてきたのであり、当然ながら、「僕はホリーを殺していない」という大言壮語の要石となったのだ。これらこそがまさに、怖れを知らない自己防衛というサイコパス的「支配戦略」で活用されるように、彼のリアリティの中に意図的に「仕掛けられた」考え方でないかと疑わねばならない。これに比べると明らかだとは言えないのだが、彼がついには殺人を犯すことになると、誰か − あるいは何か − が気付いていたのだろうか?

テキサス州タイラーでの問題が、先に進む上で実に興味深いものとなる。既に述べた通り、ヴィンセント・ブリッジスは自らをアイラ・アインホーンに重ね合わせていたのであり、アイラがテキサス州タイラーに世間の注目を向けさせようとした主張を、さらに推し進めようとするヴィンセントの試みが示唆していたのは、当然ながら、ホリーを殺してないというアイラの大言壮語をヴィンセントは信じることにしたということだった(付録C参照となっていますが、初版では以下の部分が、注として組み込まれていました)。
http://www.cassiopaea.com/cassiopaea/adventures305.htm#tyler

それでもやはり、アインホーンは殺人を犯したのであり、この行動はある意味、「挫折」と見做し得るものなのだが、彼がこうしてカモフラージュし損なったのは、彼の人格構造の当然の結果なのである。繰り返すが、このことは何れかのレベルで分かっていたのだろうか?これは意図的操作の一部だったのか?

アイラ・アインホーンは、カオスを糧にする「センセーション中毒」だった。彼は古いあり方/やり方を破壊することによって「すっかり指導者の地位に就いた」。支配者層(エスタブリッシュメント)の伝統(確かにそれらは恣意的かつ抑圧的なものだ)が崩壊するに連れて、彼は優勢になり、時流に乗ったのである。1964年の夏、彼はバークリーとパロアルトを行ったり来たりしていた。これらの場所でカウンターカルチャーが始まろうとする動きを見せていると、彼は即座に気付いたのだ。ケン・キージー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BC
が開いたパーティーで、アイラはLSDをやったのだが、このように書いている:「とてもハイで、あまりに奇妙な体験だ。もっと距離を置かなくては」

何か理由があって、このトリップのせいで彼が少々ナーバスになったのは明らかである。彼は後に主張しているのだが、最初にLSDをやったのが1959年のことで、その後の2年間は、月に2回くらい「トリップ」していたという。彼はLSDこそ自己分析のカギだと考えていたのだ。なお付言しておくと、彼がLSDをやっていたのは、リタ・シエガルを襲う2年前だった。つながりがあるのだろうか?

1964年の秋アイラは、おそらくはモース・ペッカムのツテで、テンプル大学で文学コースを教える職に就いた。彼は皺だらけの服に、半分に切ったネクタイという出で立ちでクラスに現れた。彼は授業時間の全てをかけて、エロチシズムとセクシャリティーの違いについて論じようとした。モース・ペッカムの手法を用いて、詩を論じたのである ― 1行目を完全に理解するまで、2行目について議論してはならなかった。彼は、自分のライフスタイルが破天荒で、人と異なり、自由であると、クラスの学生たちに明言した。彼のアパートには、ベッドと本以外何も無いのだという噂が流れた。1964年当時の若者たちにとって、これは憧れる生き方だった。

ある時アイラはインタビューでジャーナリストにこう語っている。「僕は学生たちのような服装をしている。彼らから、マリファナやLSDについて尋ねられれば、率直にその喜びと危険について答える。学界に対する軽蔑も隠したりしない。僕は若者たちにとても人気があるんだ。体制寄りのことは言わないからね」

彼は始終作家になるのだと言っては、小説を書き上げた;だが実際は、物を書くのがあまりうまくなかった。彼がその方面で努力をしても、失敗の繰り返しだった。フィラデルフィア・マガジンのバーニー・マコーミックは、アイラについて、「ひどい作家だった。アイラはそれでフラストレーションを感じていた」と述べている。

しかし、読み手に関する無知という、真にサイコパス的流儀でもって、文明の生んだ最も優秀な人々の著作から盗作することで、彼は自分が文学的に熟達しているという幻想を産み出すことができた。(※またもやAppendix C参照となってます。Amazonの「なか見!検索」で見れるようです。)
彼の持つカリスマ的な力に人びとは魅了され、彼はカウンターカルチャーにおける名声と栄光の座に登りつめた。「愛」という言葉が、アイラの論戦の道具となった。

彼は「革命を予見する人々」から成る小さなネットワークを築き始め、「切迫した黙示」および霊的変容のビジョンを研ぎ澄ました。彼は自分の「人格的パワー」に接触し、個人的なカリスマに基づいた公的人格を作り上げた。

ヒトラーと同様にアイラは、殆ど全ての活動分野において、自分こそ何が良くて何が悪いかに関する至高の判定者だと信じていた。そしてヒトラー同様、彼は若者たちが人知れず抱く望みの代弁者としての役割を果たした。すなわち、およそ許容されない本能、苦悩に対する恨み、責任ある行動をとるようにというプレッシャーに対する個人的反感、働いても悲惨な状態であるという厳しい現実に対する怒り、両親に反抗し要求しようと思いつつも抑え込まれている若者たちの影の部分の「増幅器」となって、それを声に出し、それらの存在を許すだけでなく正当化した。

ドイツにおいてヒトラー登場の「機が熟した」のと同じように、アメリカの若者たちにはアイラ・アインホーンによって士気を鼓舞される準備ができていた。ベトナム戦争によって生み出された社会的、経済的、政治的状況は、起爆を待つ爆弾のように一触即発で、アイラは爆発を起こそうとしたのだ。全てのサイコパスと同様にアイラは、人びとが彼から与えて欲しいもの ― 自分達の存在理由 ― を感じとる能力を持っていたのであり、彼に対する畏敬の念をかきたてるように操作することができた。彼は若者たちのご機嫌を取り、丸めこみ、問題の本質と関係ない論点について批判を行い、聴衆の大部分が内心考えながらも言葉にできなかった事を常に語ることができた ― というのもそれらは、暗くて暴力的な受け入れられない考え=彼らの両親が第2次大戦で負った心のトラウマという混乱状態の中で生まれ育まれた思考であり感情だったからである。

もちろんアイラは、自分の考えを提示する際には常に、「あえて真実を語り、権力や人類進化の迫害者、人間の魂の迫害者たちに刃向う!」風を装った。アイラによるカオスへの誘導は、人々が持つ、最も原始的で基底的な本能や性向にアピールし、それらを高貴さや崇高な理想のイメージで包み隠した。かくして彼は ― それがいかに反抗的で反社会的なものであれ − 全ての行動を、「崇高な理想という目標」を達成する手段として正当化することができたのである。彼を知る人々は彼が、「その目標の故に手段が正当化される」類の人物だと語った。

注意しなければならないのは、そもそも圧迫や不平等という状況が存在しない社会においては、サイコパスは成功しないだろうということである。この意味で私たちは、自分たちが取り組んでいるのはおそらく、ソーシャル・プログラミングに応用されたゲーム理論なのだろうということを銘記すべきである:すなわち、嘆かわしい状況を作り上げ、その責任を負うべき「敵」を仕立てておいて、「救世主」が登場するというマキャベリ的策略だ。

私たち自身のサイコパスとのやり取りよりもずっと重要なのは(とはいえそれも痛みを伴う学びなのだが)、サイコパスがもっと大きな舞台で行っている事である ― すなわち、私たちの注意を惹き付け掴み、印象を植え付け、概して私たちの気付きを、実際に起こっている事とは殆ど関係がない何かの型にはめるような、社会的、精神的、政治的活動という余興だ。もちろんこれらがとても深刻な霊的影響を及ぼすものであることについては、いずれ述べようと思う。だが今のところは、このダイナミクスを十分理解するのが重要である。というのも実際:まず、私たちを眠ったままにしているものが何であり、それがどんなやり口なのかに気付かないことには、目覚める可能性は無いからだ。そしてもちろんながら、私たちはサイコパスに関して得られた断片的な情報から、連中について言える最重要事項の1つが、連中の猿真似し、模倣し、本性をカモフラージュする能力だと知っているので、連中を見分けるのに役立つような手掛かりを発見するのが大事なのだ。

アイラ・アインホーンは、実際、宝の山である。私たちの目の前に居るのは、数多くの賢い人々を操作してきた、正真正銘のニューエイジのグルなのだ。アイラ・アインホーンは、10年以上もの間、非暴力の象徴だった。彼がホリーを乱暴に扱うのに少々困惑した人々でさえ、彼の些細な「異常」を大目に見た。アイラが注意深く育て上げた公的人格のせいで、他の人々が些細な手掛かりを理性的に評価するのはまず無理だった。彼の支持者たちは、彼が「類まれな人間であり、犯していない罪で告発されスキャンダルになっている」と感じていた。というのも、彼らの印象が、注意深く育まれた公のイメージによって、完全に「作り上げられた」ものだったからである。さらに重要なのは、彼が注意深く作り上げたイメージが、彼の親友たちの間にさえ広まっていたということだ。彼のダークサイドを垣間見たことのある彼らにさえ、サイコパスだとばれないのだから、サイコパスの正体を見破るのが如何に難しいか分ろうというものだ。そのためには、ドン・ファンが「システマチックな嫌がらせ」と呼んだものを行うように仕向けつつ、その人が見せる「些細な」反応を綿密且つ注意深く観察することが必要となる。連中の正体をた易く暴けるなどとは一瞬たりとも考えてはならない!ということで、私たちは実際、ハンディを負っているのであり、「出来の悪い、失敗した」サイコパスから学ぶしかないのである。だが、それでも何も無いよりましなのだ。

サイコパスの動作の仕方が通常の人々と比べてどの程度違うのかを正しく評価するのは実に難しい。レストランから出て行くよう言われて、ウェイターを殺したジャック・アボット
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/abbott.html
は、良心の呵責など感じていないと否定した。というのも、彼は「何も悪い事はしていない」からであり;「それは何の痛みも感じない、スパッと切れた傷口だった」し、犠牲者には「何の価値も無い」からだった (Hare, 1999, 42-3). ジョン・ウェイン・ゲイシー
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text/gacy.html
は33人の少年を殺したが、自分は犠牲者だと述べた。「少年時代を奪われた」からだという。ケネス・テイラーは妻をメッタ打ちにして殺しておきながら、妻を失うという悲運に見舞われた彼に対して誰も同情しないのがなぜか理解できなかった!ある女のサイコパスは、自分が疲れてセックスできないときには、ボーイフレンドが彼女の5歳の娘をレイプするのを許しておきながら、社会福祉関係者が娘を連れ去ろうとすると激怒した!ダイアナ・ダウンズ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text3/downs_diane.html
は、(※1983年に)自分の3人の子供たちを撃ち、その後、見知らぬ男に攻撃された「証拠」をでっち上げるために、自分自身をも撃った;オプラ・ウィンフリー・ショー(1988年9月26日)で、子供たちを失ったことについてどう感じるかと訊かれたダウンズは、こう答えている。「私、2か月間は自分の身の周りの事もちゃんとできなかった。。。傷跡は永久に残るでしょうね。。。子供たちは幸せだったと思うわ」 (Hare, 1999). ヘアは述べている:


---
我々がリサーチした別のサイコパスはこう語った。「自分以外の他の連中が言う『恐怖』というのがどういう意味かはわからねえよ。だけど、俺が銀行に押し入った時、窓口係が震えていて、口が利けなくなってるのに気付いたんだ。1人なんかカネの上に吐きやがった。彼女は内心かなり混乱していたに違いないが、俺にはどうしてなのかわからない。誰かに銃をつきつけられたら、俺だって怖いだろうけど、吐いたりはしないね」 そんな状況になったら、どんな感じがするだろうかと我々が尋ねると、彼は身体の感覚については答えなかった。彼はこんな事を言った。「カネを渡すだろうな」;「どうしたら先に撃てるか考えるだろう」;「さっさと抜け出そうとするね」。どんな事を考えたり、したりするかではなく、どう感じるかだと尋ねると、彼は当惑したようだった。そこで、心臓がドキドキしたり、胃がムカムカしたことがないか尋ねると、彼は答えた。「もちろん、あるとも!俺はロボットじゃないんだ。セックスしたり、喧嘩するときは、興奮するよ」
---
(Hare, 1999, 53-4)


サイコパスに関して、本当に恐ろしい事の1つは、連中にサイコセラピーを施しても、実際にはどうやら殆どの場合、連中はもっと大掛かりに他人の権利を侵害するようになるらしいという事だ。なぜかといえば、サイコパスはサイコセラピーを利用して、連中の心理的操作の腕を磨くかららしい。サイコパスがセラピーを受けて、人々を騙すのに利用することはあっても、このようなセラピーがサイコパスを救ったと確認されたケースはない。というのも、サイコパスは連中の「立派な」人格を変える必要など感じることはないからだ。

研究者のリンダ・ミーリー(ら)は、「詐欺師」という観点からサイコパスを論じている。これが私たちに示唆するのは、「トランプの名人」という視点で考える結果、サイコパス研究に進展がもたらされるかも知れないということだ。


---
詐欺師は、彼/彼女の仲間たちが日常的に道具として利用している人々の方面から探知されないように。。。終生移動していなければならない。1人の詐欺師が同じ被害者たちと長く付き合うほど、被害者たちに詐欺の戦略を悟られてしまうことになるので、彼/彼女との付き合いを断られてしまう可能性が高くなる。移動にはコストがつきものだ。というのも、移動を行う詐欺師は、移動後の新しい社会環境について学ばねばならないし、それに熟達する必要があるからだ。予測できる3点目は、詐欺師が言葉や言語、対人的共感を操る能力に長けているだろうということだ。。。男女の詐欺師は、哺乳類の生殖における絶対的な戦略的/潜在能力的二形性を反映して、男女で非常に異なった詐欺のパターンを働かねばならない。男の詐欺師は女性を性交するよう口説くことに特に堪能でなくてはならない。カネや時間のコントロールや将来的に子孫を残す見込みに関してもうまく女性を騙せる必要がある。これに対して女の詐欺師は、相手の男性を騙して自分が父親だと信じ込ませるために、性交にはあまり興味がない風を装わねばならない。彼女たちはまた、相手の男性がなるべく多くのカネ・時間・支援を提供するよう仕向けるため、自分が無力であって、それらを必要とすることを誇張しなくてはならない。最後に、女の詐欺師は、子孫が生き残る可能性が、ある臨界値を超えたと感じたら、できるだけ速やかにその子たちを捨てなくてはならない。
---
(Harpending and Sobus, 1987) ※Sociopathy as an adaptation. Ethol. Sociobiol.8Supp. 1, 63–72
ハーペンディング&ソブス『適応としてのソシオパス』


ミーリーは、「生まれつきの詐欺師」である先天性ないし一次的ソシオパスと、「性交相手を獲得する」可能性を高めるため詐欺師になる、二次的サイコパスを区別した。彼女のモデルによれば、一次的サイコパスは幼いうちに ― よちよち歩きのうちに ― 識別可能であり、二次的サイコパスが本性を表すのは、幾らか後 ― おそらくは思春期ごろ ― である。一次的サイコパスは、裕福で栄養状態が良く、育児に手を掛ける階級に、より多く蔓延しており、二次的サイコパスは生い立ち的に恵まれない階級から現れる傾向がある。

私は、この意味で、サイコパスとソシオパスという言葉は、上の2つを区別するのに役立つと思う。ミーリーの言う「二次的サイコパス」をソシオパスと呼ぶことにしたいのだが、この人達は概して社会経済的地位が低く;知能が低く、社交べたであり;両親による育児放棄、虐待、首尾一貫しない躾け、罰を経験しており;彼らの反社会的行動は社会的圧力に対する反応である。

ミーリーによれば、一次的サイコパスとは、「社会的策略のオペレーションを成功させるためにデザインされた。。。操作的で捕食的な社会的交流という人生戦略を追求させようとする進化圧の産物である」 (Mealey, 1995). ※The sociobiology of sociopathy: an integrated evolutionary model. Behav. Brain Sci. 18, 523–599 ミーリー『ソシオパスの社会生物学:1つの統合的進化モデル』
つまり、この連中は、私たちのリアリティにおける、ゲーム理論のベクター(方向を合わせる者)としてデザインされているのである。

甘やかされた子供の全てがサイコパスとなる訳ではない。しかしながら、疑わざるを得ないのは、「特別なインディゴ・チルドレン」とするための「処方箋」である、寛大で温室的な育児アプローチは、まさしくそうなることを企図したものでないだろうか、ということだ。

スティーブン・レヴィーのインタビューを受けた数多くの人々は、アイラには、彼が言った事なら何でも信じたくなるというところまで、批判力が麻痺するように感情を操作する能力があるということについて、大方同意した。彼は自分が、「エスタブリッシュメント」というゴリアテに立ち向かう、カウンターカルチャー界の高貴なダビデであると信じるよう、彼らを操作することができたのである。彼の話を聞く者は、彼が言う事なら何でも信じる心の準備が出来ていた。というのも彼らは、たとえ事実が正反対であることを示していても、そうしたかったからだ。彼が聴衆の中に築いた感情的な絆は、簡単にほどけるものではなく、人びとから批判的思考の機能を奪うのが、その重要な効果だった。彼らは事実によって混乱させられるのを望まず、考えねばならなくなるのを望まず、ただ自分たちの怒りや抵抗の感情をアイラに、言葉に出してもらうことだけを望んだのだ。

アイラは極めて高い知能を持っていたので、人びとがどんな話題を持ち出そうと、絶対誤りが無いという印象を受けるような事実や数字を引っ張り出してくることができた。彼は耳にしたアイディアや洞察が彼自身のものであるかのように繰り返し述べてみせる能力を持っていたので、聞き手は彼が非常に聡明で ― 天才だとすら ― 信じ込まされた。彼は途方もない「目立ちたがり屋」だった。彼が著作においては、真に創造的なものを「生みだせなかった」のは、彼の「パワー」が、感情的な反応を引き出すことにターゲットを絞った微妙な操作を聴衆とのやり取りの中で行うことに厳密に限られていた証拠だった。


---
アイラ・アインホーンは、どの部屋に居ても、注目を集めたという。決まって彼は、彼と付き合いがある有力者/有名人のことや、彼がアクセスした内部情報、あるいは、物事に関して彼が到達していた高尚な意味合いの理解といった内容を、目がくらむような一斉射撃よろしく述べ立てるのだ。彼の終末論的ビジョンは、奇妙な具合にツイストがかかっており、世界の住人について1人称複数で語るのだが、彼個人はどういう訳か、その中には含まれていないのだった。あまりに早い展開に、人々はアイラが弁じたてる状況にどう対処していいか分からなかったが、アイラ・アインホーン自身は、彼の周りの混乱した複雑な世界を難なく理解しているというのが、皆の暗黙の了解だった。

このような優位性の称賛が暗黙的だった事自体が、腹立たししさを増してもいた。というのも、どこがおかしいとはっきり指摘できなかったからだ。彼は、意見や態度において優位な立場を独り占めすることができたが、それは単にそれらがアイラのものだったからであり、それはその基準において正かった。彼に頼まれて、あなたが掃除機を貸したとしよう。貸した期限が過ぎて何か月か経ち、あなたは彼に尋ねる。「そろそろ掃除機を返してもらえないだろうか」 彼は無頓着に答える。「ああ、あの掃除機は壊れたんだ」。そして話題を変えるのだ。あなたが粘って、無くなった掃除機について、少なくとも何かはっきりしたコメントを聞き出そうとすると、彼は失望の色を浮かべて、あなたを見詰めるのだ。「本当に掃除機が気になるのか?」 物質の所有などということに縛られていると指摘されたあなたは、少しひるんでしまい、存在の大いなる曼荼羅の中では、掃除機などもちろんただの塵に過ぎないと考えるのである。掃除機を失ったことに腹が立っても、あなたはそれを自分の胸にしまっておくのだ。

アイラ・アインホーンは、公式に拒絶されることがあっても、ほぼ似たような姿勢で巧みに振る舞った。それが彼の落ち度となることは滅多になく、拒絶者の不適切な人柄が、そのような問題の原因なのだった。一度、著作家ウィリアム・アーウィン・トンプソンが、リンディスファーン島で開いたニューエイジ座談会にアインホーンが参加するのを拒んだことがある。事実、「私は、この大ぼら吹きめ、と彼に言ったんだ」とトンプソンは回想している。アインホーンはどうしただろうか?「横柄になったりへりくだったりというのが彼のやり方だった」トンプソンは振り返る。「私が神経に問題のある、善悪の区別がつかない人間で、優れた才能の持ち主であるとはいえ、障害を抱えているので大したことはないと言うんだ。というのも、彼も人類進化の勢いを削ぐ、そうした奇妙な閉塞状況にあるから分かるんだそうで、私は救いようがないと言うんだ」

「アイラは常に、自分にはルールが適用されないかのようにして暮らしていて、うまく難を逃れた回数は半端でない」と、アイラの友人のマイク・ホフマンは言う。「彼は、自分が非常に特別な資質を持っていると人々に信じ込ませたので、ルールが適用されなかった。彼が、読書や思索、あちらの世界に行こうという意欲に注ぎ込む情熱は、他の思索家の誰よりも強烈だった」。。。「アイラは本当に自分が宇宙の中心だと思っていたんだ」と語るのは、彼の友人であり、ペンシルバニアのキリスト協会を運営していたラルフ・ムーアである。「彼は『目的が手段を正当化する』的な態度をとって、『僕のアジェンダはここでは理に適っている』と言うんだ」

「アイラには、心理学で言う超自我(=精神分析の用語。パーソナリティを構成する3つの精神機能の一つ。快楽追求的なイド (エス) と対立して道徳的禁止的役割をになうもの)
が無いんだ」と語るのは、スチュアート・サミュエルズだ。「人々が彼の身体が臭いと有り体に言おうが、彼がそのままにしている理由だが、1つには、そんなことはどうでもいいからだ。だって、彼に言わせれば、彼はこの世界よりも大きいんだから。だから、彼が臭かろうが、どうでもいいんだ。アイラは完全に自己中心的なので、何を言っても、彼の知識、彼の視点には勝てない。彼は常に独自の視点から物を言うんだ」

「私がアイラを見ていていつも目についたのは、どこにいようと彼が場を支配してしまうことだった」と言うのは、アイラの友人の1人、ジェフ・バーナーだ。「どんな社会的場面も支配し、使っているどの部屋も、どの環境も支配し、どの空間もすっかり彼のものになってしまうんだ。彼は、私が自分の家でそんなことをするのを許した、数少ない人間の1人だった。でも、私は気にならなかったんだ。だって、彼が出て行くときには、私はさらに豊かになっていたからね」 このように友人や仲間たちは、アイラのエゴを素晴らしく愉快で、知的刺激があり、正しいモチベーションからのものであると考えて、結局受け入れていたのである。何と言っても、アイラの振る舞いについて冗談を言うと、真っ先に笑うのがアイラだった。。。アイラが30分もマクロビオティックを罵っていると、友人の1人は、ついに彼を遮ってこう言う。「素晴らしいね、アイラ。さあ、ハンバーガーを食べに行こう」 するとアイラは少しもひるまず、「いいとも」と言うのである。
---
(Levy, 1988)


アインホーンは若者たちに対して、熱心にドラッグの使用を、またしばしば乱交をも奨励した。彼は「公開討論会」の開催を呼びかけ、「自分の話を聞くよう求めたが、その代わりドラッグは見て見ぬふりをした」 アイラは、DMT(ジメチルトリプタミン)と大麻を学生や友人に配り、「LSDの疑似体験」というタイトルのクラスを教えた。これは彼自身について物議を醸そうとする策略だった。こっそりとなら皆、LSDについて議論していたが、LSDの「長所」を公の場で賛美までしたのは、フィラデルフィアでもアイラが最初だった。彼は「出会いがしらのセックス」(別名:乱交)を奨励し、自分も参加したので、「精力絶倫」だと評判になり、伝説ともなったが、既に述べたように、これは些か語弊がある。アイラは数はこなしたが、中身は今一つだったようだ。

彼が公然と「トリップ(ascent)」をし始めたのが、1964年から66年頃だったことを覚えておいて欲しい。

アイラがカウンターカルチャーのヒーローとしての社会的な役割を演じて、ドラッグとセックスによる霊的トリップに無制限に酔いしれることを許したくないエスタブリッシュメントによる抑圧から人類を解放していた、その一方で、彼はペンシルバニアのジュディー・ルイスという名の学生と出会い、夢中になった。ジュディーはアイラより7歳年下で、彼女自身の言うところでは、彼女は感情的なストレスを味わっているところだった。アイラの友人であるマイケル・ホフマンはこう言っている:「アイラはとても鋭い人間なので、彼と関わり合いになると、彼は頭の中を覗き込んでくる。そんな関係になるのだ。女性が相手だと特にそうだった。支配する必要があったからだ。ジュディーとは平穏な関係ではなく、明らかに情熱的なものだったので、私はある時点で、彼女が縁を切りたがるだろうと思った。というのも、他の多くの人々同様、彼女もついにはこの男に自由自在に操られていると感じるだろうと思ったからだ」

ジュディーの友人で、この関係のもう1人の観察者はこう語った:「彼女、彼にとても興味を持ったのよ。基本的には彼の考え方のせいでね。それで、彼は益々独占欲が強くなっていったの。。。彼女は彼と一緒でなくては何をすることも許されなくなったんだけど、彼女はそんな風に依存するタイプの女性じゃなかった筈なので、これは元々彼がそうだったか、彼の方で彼女を必要としたんだと思ったわ。彼女がよく言ってたのを覚えてるんだけど、彼は一晩中語り明かそうと言い張ったそうよ。眠りたいと思うのは不実だってね。彼女は彼が気性的に激しくて、暴力的な感情を持っていると気付き始めたの。彼が貪欲でしつこい基地外だってね」

またしてもアイラは空想を拵え上げて、1人の女性に投影したのだった。彼は、関係が長引くほど、相手の興味が続かなくなるという事実を完全に無視した。アイラはジュディーの美貌、奥深さ、彼に全てを与えるのを拒む身勝手さについて延々と記した:「ジュディーが、僕たちの間に流れる魔法を受け入れることさえ学んでくれたら、喜びは爆発するだろう」

こうして問題の核心に迫ってきた。アイラは日記に、「僕の言葉に従って、彼女の方から進んで僕に対して、僕の母親との強力な関係が僕の魂に焼き付けた、絶対的な信頼を与えてくれたら」と綴っている。「僕は、母親がしてくれたように、彼女が面倒をみてくれるぐらいのところまですっかり1人の女性を征服したいのだろうか?」

こう書いていてアイラは、耐え難いほどの頭痛(おそらくは、ドーパミン欠乏症の症状)を感じていたという。間違いなく何かが起こっていた。アイラは書いている:「妙に頭が軽くなった気がして、怖くなってきた。ついに僕は永久に精神がおかしくなった可能性が高いように思う」

リタ・シエガルがそうだったように、ジュディーもアイラが怖くなってきた。リタと同様、彼女もまた、アイラの元を去るのは簡単でないと分かった。アイラからただ立ち去るということは出来ないのだ。ジュディーが彼との関係を終わらせたがっているとアイラがようやく「理解する」まで、数か月かかった。彼は彼女の言葉を無視して、空想をふくらませた。空想の中では、彼女が彼に会いたくないと願うのは単に彼女が「動揺している」からに過ぎなかった。彼の描いたシナリオでは、彼女が願望を抱いているのは、関係を続けて深めたいと彼女が思っている証拠だった。彼はまた、もし、これが本当でないと分かったら何が起こるかについてもシナリオを描いていた。1965年11月、アイラは日記に次のように記した:


---
今夜、僕の存在を貫き流れた暴力は。。。さらに暗い存在になって、僕が深く愛していると思っている人を殺す結果になるのを待ち受けている。抑圧された感情は、ある形に戻りつつある。殆どコントロールできないものにだ。。。明日は、ジュディーを殺そうとしてみる良いチャンスだ ― この事実に理性的に気付いてみると、全くの恐怖を感じるのだが、先に向かいたいなら、正視しなくてはならない − 僕は自己認識から目を逸らしてはならない。それは今正体を明かしつつあるのだ!
---
(Levy, 1988)


翌日アイラは暴力を振るわなかったが、その1週間後、ジュディーは再びアイラから自由の身になろうとした。アイラは自分が「性的倒錯者」であると知ったようだ。彼は日記の中で、自分の行動が子供じみているかと母親に問いかけつつ、こう記した:「僕の性的倒錯を、やり場のない、完成しない怒りによって説明しようだなんて、もう沢山だ」

その一方で、もちろんアイラは公然と、ドラッグと、セックスで拡張した意識、そして霊的優越性の恩恵によってもたらされた、名声と栄光の座に向かって進んでいた。彼は1966年3月の日記にこう記した:


---
まるで、もっと僕そのものになれるようなワークを行うことが可能な環境がついに整おうとしているかのように感じられる。さもなければ、この部分的な狂気のせいで僕は、僕の世界を崩壊させてしまうだろう。
---


彼が明らかに理解していたものに対して理性的に対処しようとする戦いは、彼の有利にはならない「ゲームの戦略」に従うもので、何らかの真の感情が含まれていることを意味しなかった。アイラにとって、それは単なるゲームの「指し手」に過ぎなかった。彼は本質的に、自らの基本的な捕食者的性質を、頭脳による戦略的合理性に帰そうとしていた。3月14日に彼はこう記した:


---
ジュディーを殺そうとは、何と馬鹿げた考えだろう。だが、ほんの4時間前まで、僕はそう思っていたのだ ― このような人間の能力は恐ろしくもあり喜びでもある。僕がジュディーを破滅させようと手を伸ばすと、暴力が僕の身体を這いあがって来た。この地獄のワナにかかった助かる望みのない生贄は、僕ら両方の命の血を流すのだろう。。。僕らの欲望における馬鹿げた愛憎併存はなおも、即座の、すなわち無謀な行動によって、破滅させ、あるいは破滅させられると脅かすような危険なバランスを保ちつつ、理性の回復できる範囲を越えて、疑いの域にまで僕らを放り投げる ― 僕たちは一緒になるか、あるいは死ぬべきなのだ。
---


言わせてもらえば:「僕たち」とはどういう意味だろうか?

いずれにしても、その3日後、アイラの捕食者的本性が彼の「理性的」思考を圧倒し、ある「事件」が起こった。これについては、13年後にジュディーが、探偵のマイケル・チットウッドに対して詳細を述べている。彼女の述べたところでは、アイラが会おうと主張した際のことだったようである。彼女は、ただ一緒にコーヒーを飲むだけで、他に何もしないならと同意した。アイラはもちろん、どうして関係を続けるべきなのか、考えと言葉でジュディーを魅惑する自信満々でやって来たのだった。ジュディーがコーヒーに入れるミルクとドーナツを取りにちょっとの間席を立った時、議論が中断した。アイラは自らこの事件について、『暴力的な行い』という題の詩に記録している。この詩によると、ジュディーはミルクなどを持って戻り、コーヒーを注いだ;彼女がそうした時、アイラは意を決して、何か言いようのない事をしようとした。彼はその考えを捨てたのだが、立ち去ろうとして上着を着た時、「それは突然起こった」と書いている。

ジュディーが背を向けた時、アイラはコークの瓶を持って彼女の方に向かって行った。「手に持った瓶で僕は/頭を小突いた。。。」

しかし瓶は割れ、ジュディーは血を流した。アイラは彼女を床に組み伏せ、彼女の首を掴んだ。倒れた時に彼女はテーブルに頭をぶつけていた。アイラは彼女の首を絞めていた。以前のリタ・シエガルの時同様、彼女はだらんとなって意識を失った。アイラは記している:「このような暴力の中に、自由があるかも知れない」

ジュディーの話では、隣人たちが騒ぎを聞いて、部屋に入って来た。彼女は彼らに大学警察を呼んでくれるよう頼んだ。この時までにはもちろん、アイラは姿を消していた。彼は家に戻って日記にこう記した:


---
僕はついにどこまで来たのか。ジュディーの頭をコークの瓶で殴り、上着やズボンに血を浴び。。。それから、彼女を窒息させようとしたが果たさなかった。彼女は生きたいと思い、それは確かなものとなった。。。もし彼女が僕を逮捕させなければ、僕は通常の生活に戻れるだろう。暴力は常に関係の終わりを意味する。それは最後の障壁であり、それを越えてのコミュニケーションは不可能となる。
---


リタ・シエガル、そして、このような暴力をふるわれたことをただ忘れようとする、他の多くの女性の場合と同じく、ジュディーはアイラを告訴しなかった。だが、アイラは、もし暴行を繰り返せば厳罰に処されるだろうと通告を受けた。

アイラは自分の行動が「馬鹿げている」と認めていた。しかし、一瞬でも自責の念を感じるどころか、彼はどうやら自分の行動を、彼の性的倒錯の願いをかなえることに同意しない「とても身勝手な」女に向けた「解放的な反応」だと考えたようである。彼は自分の暴力を、自分に成長をもたらす何か=彼の元を去りたいというジュディーの願望に対する憂鬱や落ち込みから自分を解放してくれる何かだとみなしていた。現実に、単に彼と関わり合いたくないと願っただけの女性をまたしても殺しかけたのだから、アイラにはその意味が事実上全く分かっていなかったのだ。

アイラの友人であるマイケル・ホフマンはまたしても秘密を明かされた。しかし、今回はホフマンもゾッとして、事件について長々と問いただし、友人の行動に関して何らかの理解を得ようとした。


---
これらの事を話した時、彼は自らを解放したようだった。彼は責任を取らなかった。彼は誰でも感じるような罪の意識を感じることがなく、「まったく、どうして僕はあんなひどい事ができたんだろう?」と言うこともなかった。彼は、その行動が、2人の関係の性質からどのようにして生じたか語ろうとした。男と女が持つ必要のある、満ち足りた、豊かな、わかち合うような関係を持つことが、どうしてできないのか。それは何らかの形で説明に出て来るものだろう。彼はおそらく、これまで私が見たことのないような、最も複雑な自己防衛構造をしているのだ。彼はあのような事をした後で、本当に詳細に立ち入って、それが行われた理由について、精神分析の見地や、社会学的見地から、歴史的位置づけについて議論しようとするのだ。。。彼が、言ってみればとても複雑な精神構造をしているのはすぐに分かった。
---
(Levy, 1988)


ご覧のように、アイラは助けが必要だとは考えなかったのだ。彼は暴力を振るった事を、彼がロマンチックなヒーローの類であることの証拠だと考えた。彼は自分が「性的倒錯者」だと知っていたのだが、それがありのままの自分であって、自分は正しいと思っていたのである。彼は数か月後にカリフォルニアからホフマン宛にこう書き送っている:「リタとジュディーは事実上、ペッカムにはそれ以上行けない境界を破壊した!僕は、自分の中に居る怪物を外部の存在の中に詰め込んで、それと対決しなくてはならない ― 会って、僕に憑依しているものが何か見るんだ ― それが消えないよう、毎日それと対峙して戦わなくてはならない。。。僕は、いつでも、噴火して新星となるような火山のふちに、静かに穏やかに生きていて、本当に楽しいんだが。。。そんなことが起きたら、気を付けることだ!」

アイラは望むままに暴力と傷みを受け入れつつ、自分の欲望を満たしてくれる女性を探すのをあきらめた。彼は書いている:


---
徐々にではあるが、僕は問題の大きさが分かってきた。僕の発達は女性との関係でなされるのだ。リタとの関係は、それがいかに難しいかの例だ。あの歳で、あれほど素晴らしいパートナーだったのに、最終的な結び付きが達成できたら、どれほど素晴らしかっただろうか。ジュディーは目を見張るような美貌の中に、常にさまよい歩く投影のリポジトリを提供していて、僕らの死の戦いの強さは、僕の探究がいかに不可能かを分かりやすく示していた。僕は不可避な事を受け入れるのを拒絶する ― 僕は女性(母親)なしでは生きられない。これを受け入れるまでは、夢中になるものが数えきれないほどありながら、散発的であるように、僕の生産性は強烈だろう。僕が直面している地獄は、悲しみよりも深い喜びを不断に生みだすことのできる、僕の信じられないエネルギーによって幾分かしのぎやすくなっている。
---
(Levy, 1988)


上の日記で、アイラは一体何を言いたかったのだろうか?どんな「地獄」に彼は住んで居るというのか?彼の衝動を否定する「地獄」。こうした衝動に耽ることで「生みだす」のを彼が望んでいるのは、どんな類の喜びだろうか?「悲しみよりも深い」喜びだって?リタに、そして彼女が「最終的な結び付き」を完成できなかった事に言及されているのは注意すべきだ。以前アイラは、リタおよび、彼の願望である、この「結び付き」について、こう書いていた:


---
サディズム ― いい響きだ ― 口に出して言ってみるんだ ― 他人の苦痛を喜んで眺めるんだ。極度の満足感に息を吐き出しながら。内心の闇のビジョンを外に表すんだ。内心抱いている意味の巣窟を隠してはならない。自分の堕落をさらけ出すんだ。動物は何時でもそこに居ると知れ。。。美と純潔は汚されねばならない。というのも、それらは自分のものにならないのだから。他人の聖なる謎は保たれねばならない ― 死だけがそれを為し得るのだ。僕の夢は実現可能であり、誰かの恐怖によって断たれることはない ― 僕にも、自分の人生を生き、それに専念する権利はあるんだ。彼女には信頼や、他人をリスペクトする能力が欠けている:こうした特質を持たない以上、他の点がどれだけ素晴らしくても、彼女は居ないも同然だ。9月になれば、全ては終わりだ。欠片は拾い集められ、全てが新たに始まる。僕の魂の進歩は、身勝手な若い女の短所によって芽を摘まれてはならない。

僕らは魂の闇を、とても注意深く周りに居る全ての人々から(自分からも)隠しているので、僕らの行動の多くを無意識のうちにコントロールしている力への衝動をた易く忘れてしまう!『毛皮を着たヴィーナス』のような本は、僕らに自分たちの正体 ― 闇と光 ― を思い出させてくれる。女を殴る ― 何たる喜び ―、胸や尻を噛む ― 何と楽しい ― 誰しも敏感な部分に向かって、彼女に仕返しをしてやるんだ。人生をいかに送るべきだろうか?これこそ、この本が無意識のうちに問うていることだ。僕らは征服すべきか、それとも、されるべきか。僕らの心の闇を理解するか、少なくともそれに気付くのだ。僕はリタを愛することができるだろうか、それとも、抵抗する意志をくじくべきだろうか。彼女は僕が欲しいものを僕に与えているか。大抵、そうではないだろう。探るんだ ― 深く突っ込んで ― あらゆる可能性を調査することだ。お前は、稀な自由人なのだから、そうではない者に鞍を付けられ、乗りこなされてはならない。全力で生きるには、自由に生きねばならない。手に入れられるものを得ようとする行く手を、何者にも邪魔させまい ― たとえそれが愛の幻影であろうとも。お前はそれがとてもはかないものだと知っている。
---
(Levy, 1988)


アイラのコメントの中で彼が、自分の母親に言及していることに、注目されたい。既に述べたように、これが問題の核心なのであり、サイコパスという企みによって、私たちのリアリティを乗っ取り、支配しようとしているネガティブな大宇宙の存在をより詳しく検討するうち、最終的に注目することになるだろう。そして興味深いことに、どうやらジョン・ナッシュが「神経衰弱」に見舞われたことにも、これは関係あるようなのだが、それについては次章で述べるとしよう。

(本章終わり)
posted by たカシー at 11:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする