2015年07月02日

ザ・ウェイブ36章: 不道徳な迷信

ザ・ウェイブ36章: 不道徳な迷信
http://cassiopaea.org/2011/11/20/the-wave-chapter-36-a-vile-superstition/


カシオペアンとのやり取りが進むにつれて、私達には、ゆっくりだが確実に、リアリティのマトリックス的性質というものが分かってきた。もちろん初期のうちは、私達が学びつつあるものを何に喩えればいいのか分からなかったし、魂の動学というテリトリーの地図も殆ど描けなかった。ポジティブ志向とネガティブ志向、それぞれの神ないし高次レベルの存在の間での神学的ドラマというのが、一大テーマだったのだ。

確かにこれは全く新しい考えという訳ではなかったが、超次元物理学という科学的観点から示されたのだし、ごく単純な「気付き」を得るという理由から、探り、知覚するよう促されていた。カシオペアンによれば、私達をこのリアリティに結び付けているのが気付きなのであり、高次のリアリティと双方向的に気付き合うことによって、私たちは人間が通常持つ限界を超えることができるのだった。そして、私達が気付きを拡大し、同時に高次の気付きに働きかけるとき、私たちは自分達の一部を育んで行き、それが最終的には高次のレベルに「合致」して、卒業となるのだ。

誰かがこんなことを言っている。「人間というものは、ものごとに対し常に二つの理由をつけるものだ。ひとつは『まことしやかな理由』。もうひとつは『本当の理由』」
http://systemincome.com/tag/%EF%BD%8A%E3%83%BB%EF%BD%90%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3
私達の考えでは、「心理学的理由」を超えた所に深い理由があり、これは言ってみれば「神学的理由」で、それが方便として顕現させるのが「本当の理由」であって、私達は神学的リアリティを見通そうとしているのである。

私達メンバーはみな、神秘主義思想の様々なテーマに亘る文献を広く渉猟し、ある程度は科学をも学んだのだったが、みな一様に、理解のカギとなる重要なピースが欠けていると感じていた。私達はそのカギを探し求めた。人が自分の置かれた状況を、心理学の動学を考慮しないで、厳密に人間の観点から見るとき、「本当の理由」というワナに陥るのだと、私たちは知っていた。愛と光の教えは、長きに亘って広められてきたけれども、何らかの理由からこの考えは、一層悲惨な状況を招くのみであるらしいことを、私たちは知っていた。

私たちは原理的な観点から始めて、徐々に神学的ドラマを見分ける術を身に着けてきたのだったが、この時点では確かに、もっと多くのものを極めて深い所まで学んでいた。フランクに関しては、心理学的問題のあることが私達みなにとって常に明らかだった。私達はフランクに関する心理学的問題を、専ら同情心の観点から、そして、フランクおよび私達自身に対する同情心との付き合い方の学びという観点から考えた。フランクの問題が彼の本性を解く手掛かりだなどと、私達は考えたくなかったのだが、そういう観方をする結果、私達は妄想に取りつかれ、真実を見るのを拒んでしまった。人間関係の迷路を抜け出す術を学ぶ事、すなわち、私達と交流のある人々の行動の裏に隠された本当の理由を見抜く事が、私達の初期の関心事だった。既に述べたように、不幸にもこのための学びは、多くの人々に対するフランクの強力なネガティブ反応によって歪められがちだったし、鬱陶しい事になるので、フランクに対して、誰かを好きか嫌いかと単刀直入に訊こうというような気も概ね失せた。その典型例がリチャード・ホーグランドだった。

この頃までには、私たちの全員が『ラー文書』を読んでいた。それはごく早い時期にシーズに勧められたからなのだが、その頃はまだセッションをテープに録音したり、ノートに取ったりしていなかったので、言われた通りを再現することはできない。ただ、言われた内容としては、ラー文書を手引きに使えば、「自己への奉仕(STS、service-to-self)」と「他者への奉仕(STO、service-to-others)」という根本的な概念を把握する上で大いに時間を節約できるということだった。この一見簡単な概念の中に、「本当の理由」の裏にある理由、すなわち、神学的ドラマが顕現していたのである。

最初、徐々に分かってきたのは、心理的に問題を抱えている人であってもSTOを志向する場合があることだった。そのような人はもちろん、STS志向のこともある。反対に、心理的に障害が無さそうな人が、全くのSTS志向ということもある。私達を欺こうとしてかけられる言葉には耳を貸さず、人々の行動だけを観察するのがSTO/STSを見分けるカギだということが私たちには分かって来た。

このSTOとSTSという言葉は、愛の概念と、切り離せないほど絡み合っている。私達は一人ひとりの人について、誰それを愛しているので奉仕したいと言うものである。だが、ここで疑問が生じる:彼らのどの部分に対して私たちは奉仕しているのだろうか?霊的に成長しようとし、神と一体になっている高次の部分だろうか?それとも肉体で生き残ろうとしている低次の部分だろうか?同じ過ちを繰り返している人を助けるとき、私達は明らかに、その人が学ぶのを邪魔しているのだ。そのような場合、私たちは何に奉仕しているのだろうか?それは私達自身に対してであるとみてまず間違いない。というのも、「辛抱強く」「自己犠牲的」であることで、私たちは「いい気持ち」になれるからだ。私達の自己満足的な努力のせいで、相手の人が全く進歩できないのは、見れば明らかである。特に相手が、自分の愛する人である場合には、「苦しむ姿を見るのが苦しい」ために、援助を断ったり、傍にいるのを拒否したりする方が遥かにずっと難しいかも知れない。だが、相手が成長するためには、まさにそうすることが必要なのだろう。相手に自ら手出しせず、十分な苦しみを味わわせてこそ、その人たちも困難から抜け出す方法を見出すことができ、魂を強く鍛え、その人たち自身の強さと潜在能力にアクセスできるようになるのだ。

だが、ここで逢着するのが、裁きの問題である:私達は、相手が本当に魂のレベルで求めているのか、それとも肉体のレベルでなのかと判定していないだろうか?私達が間違うことはあり得ないのだろうか?

私達が他人に何かを与えるとき、それが相手の自由意思を侵害していないか、どうしたら分かるのだろうか?「求めること」に関する古代の教えの中に、多少の手掛かりがある。そうした物語では「求めなさい。そうすれば与えられるだろう」と述べられている。だが、もっとよく調べてみると、本当はこう言われているのが分かるだろう。「求めて、求め続けるならば、与えられるだろう;探して、探し続けるならば、見つかるだろう;門を叩いて、叩き続けるならば、門は開くだろう」

この点を明らかにするイエスの喩えは数多くあるが、特にはっきりと説かれているのは、ルカによる福音書11章5-13節の「真夜中の友」の話だろう。
(※5:また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。
6:旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
7:すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
8:しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
9:そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
10:だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。
11:あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。
12:また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。
13:このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」 ※※)
インドやチベットのヨギの教えでも、同じような流れが一般的である。嘆願者が十分な努力を尽くしてはじめて、答えがもたらされるのだ。場合によっては、何年もの間求め続けなくてはならないのである!だから、従うべき優れた一般的ルールは、真に求めたと言えるには、求める側の方で誠実な努力を行い、求めるもののために力の限りあらゆる事を行わねばならないということなのだ。

ということで分かってくるのは、人間界における他者への奉仕は、時として、単に相手のSTS的部分、すなわち、第3密度の肉体への奉仕に過ぎず、高次のバランスを達成するという意味での真のSTO的なものでないということである。いくら子どもを愛しているからといって、頼まれる度にあなたはキャンディーを与えるだろうか?どんな求めにも応じるのが、本当の「奉仕」なのだろうか?常にキャンディーを食べ続ける結果、彼らがついには糖尿病に罹って死んでしまうとしてもそうなのだろうか?あなたの子どもが生きて行く間、無作法を働くたびにとりなしを求めて、無作法の結果起こる事を彼が経験するのを妨げてしまったら、彼はどうやって成長すればいいのだろうか?

理解が必要なもう1つの側面は:第3密度では、私たちはどうやってもせいぜい自己への奉仕しかできないということである。生きて行くには摂食しなくてはならない、肉体の中の存在という本質上、私たちは純粋なSTOの存在ではあり得ないのだ。それが結論なのである。このことを理解し、受け入れ、私達が居るこの状態での学びにフォーカスしつつ、最低限の気付きを得、その気付きに従って行動してこそ、私達は「STO候補」になるチャンスを手に入れられるのだ。

これを達成するには、STSとSTO、それぞれを志向する高次レベルの存在間における戦いを表す、魂の動学に気付いて、どちらの動学と連携したいか選び、その選択に従って行動することである。カシオペアンは、「知識は守る」と言うが、彼らの観方からすると、実際に適用するまでは知識ではない。それまでは、単なるデータあるいは事実の集まりに過ぎないのだ。

こうして私たちは人がもし、ここで論じているような状況を、その内に含まれている魂の動学を考慮することなしに見るならば、きっとそれは「コップの中の嵐」、「些細な口喧嘩」あるいは「調和が欠けている」という程度にしか見ないだろう、ということが分かった。人間の観点では、人間同士の動学におけるやり取りで起こることの殆どは、そのように判定される。この人間の判定こそ、私達が本質を見極めるよう試されているものだ!見えざるものを見てこそ、私達は高次レベルの存在に気付けるようになる;ありきたりな人間同士のやり取りの中でこそ、STS勢とSTO勢との間の戦いを経験できるのだ!そしてこの要素こそが、マトリックスのコントロールシステムが何としても隠したいものに他ならない!

私達が生きているこの時代について、そして、私達が論じているテーマについてイエスは、こう言っている。
4:「人に惑わされないように気をつけなさい。。。
11:偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。。。
24:偽メシアや偽預言者が現れて、大きなしるしや不思議な業を行い、できれば、選ばれた人たちをも惑わそうとするからである。。。
25:あなたがたには前もって言っておく」(マタイによる福音書24章4、11、24-25節)
34:「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。
35:わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、/娘を母に、/嫁をしゅうとめに。
36:こうして、自分の家族の者が敵となる」(マタイによる福音書10章34-36節)

使徒パウロはエフェソの信徒への手紙6章11-12節にこう書いている:
「11:悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
12:わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」
ヘブライ人への手紙4章12節はこうだ:
「というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです」

フルカネリ他の錬金術の著作を読まれた方なら、「偉業」の要素が「イエス」と「パウロ」からの引用の中に現れていることにすぐ気付かれよう。

聖書の中のこれらの章節は、キリスト教の諸派によって概ね殺人や戦争を正当化するのに用いられてきた。だがこれこそまさに、私たちがここで扱っている問題なのだ。これらは物理的な剣と憎悪というSTSバージョンの解釈を施され、誰が救われ、誰が救われないかを裁く権威を教会が持つ根拠とされた。もちろんながら、「救われ」、教会の保護を受ける人々とは、「平和と調和」および「愛と光」の教えにのみ従わねばならなかった:「反対の頬をも向けよ」とか、「無視しているうちに、そんなものはどこかに行ってしまう」とか、「些細な口喧嘩だ」といった具合である。真実しか述べないことを選ぶというのは、自分の言動に責任を取ることを選ぶという意味である。このような事に対して普通の人々が概して行う解釈は、「どうして私達は愛想よく振る舞って、仲良くできないのか学派」の思想に従う機械的反応である。それこそまさに、マトリックスのコントロールシステムが推進するものだ。

教会は自分たちに都合のいい無抵抗の教えを広めてきたのだから、上に挙げた聖書の言葉(および、類似のもの)が既に広く知られていて、削除したら人々に気付かれてしまうというのでなければ、聖書の中に残しておいたりしなかったに違いない。確かなのは、教会の人々が自分たちの学びの中で、超次元のリアリティに気付き、高次の真実という手掛かりに従って行動することを理解するための努力を行わなかったということだ。

「剣」とは、イエスの用語法で「真実」(あるいは神の言葉)という意味だと分かれば、さらに納得がいくだろう。「父母に対する憎悪」を、STSに連なる勢力の代理人である以上、家族によるコントロールや操作も拒絶すべきだという意味で理解すれば、全く違った意味合いとなろう。

私達のリアリティが私達を牢獄に閉じ込めており、私達を食物やエネルギーとして利用しているのだというカシオペアンの説明は、当然ながら気の滅入る話である。もちろん私はこのテーマに関するグルジェフの教えにすっかり親しんでいたので、これは新しい考え方ではなかったが、人間同士の交流によって、どのようなメカニズムでそれが行われるか指摘する、かくも臨床的な説明には、殆ど耐え難いものがあった。私はまだカスタネダを全部読み終えていなかったので、彼の遺作で、それまで彼がすっかりは明らかにしていなかった、これと同じ事が述べられているとは知らなかった。フルカネリも未だ全部は読んでいなかったので、本テーマに関する彼の教えも見極めていなかった。それらはいずれも、この2人が暴露しようとしていた当のシステムによって、彼らが加えられるであろう危害を考慮した上で、この明らかな真実を可能な限りベストな時期と背景において明かしたものだった。だが、イエスの教えに関して、分かってみて一番驚いたのは、彼がカシオペアンと全く同じことを言っているらしいことだった。

新約聖書を調べて、エジプト的な蘇りの神話という明らかな見せかけをとり除けば、後に残るのは明らかに「この世界の神」は「邪悪な魔術師である!」というグノーシス派の教えである。読者がこれら2つのテーマに関する事実の全てを知れば、新約聖書は情けないくらい読みやすくなり、「イエス」の語った原型と私たちの知るキリスト教をでっち上げた連中が付け加えた部分とを見分けられるようになるだろう。初期キリスト教徒に関するもっと詳しい議論については拙著『世界秘史』第5章を参照されたい。

中世のカタリ派は、イエスとして知られるようになった男の元々の教えの一部を信じていたようである。奇妙な事に、彼らの結婚観によると、この世界は、人々の心に侵入し、その結果魂を更なるワナにかける、人間の姿をした存在たちによって支配されているのだから、子供を産む=人間を増やすことは闇を永続させることになる、というものだったようである。この考え方は、最近になって実に興味深い進展をみた。テンプル大学の歴史学教授であるデビッド・ジェイコブス教授(博士論文のテーマはUFO史)が、エイリアンアブダクション現象について徹底的な調査結果をまとめたのである。ジェイコブス博士によれば、長年に亘る綿密な調査の結果、今では、エイリアンがやって来る、恐るべき理由が分かったという。ジェイコブス博士は、子孫を作ることが、アブダクション現象の背景にある、一番の目的なのだと言う。栄養たっぷりの子孫を作るというのは、私たちが家畜の肉付きを良くし、単位面積当たりの植物の収穫量を増やすために交配を行うのと同じような事なのではないかと懸念される。私達が推測する以上に、「上の如く下もまた然り」なのだ。

こうして、エイリアンアブダクション現象とカタリ派の教えとの間には、奇妙かつ恐るべきつながりがある事が分かる。もしカタリ派が、本当にイエスが説いた内容に、より近い形のキリスト教だとしたら、謎全体の意味が分かって来る。「イエス」が説いた事とはどうやら、超次元の生物が実在することなのだろう。しかも連中はタイムトラベルが可能で、人間の心に侵入してそれをコントロールすることができ、連中の一番の栄養源は人間の肉体、心、感情なのだ。ドン・ファンは、「やつらが乗っ取ったのは、わしらがやつらにとって餌だったからだ。わしらが栄養物だからといって、やつらは無慈悲に搾り取る。われわれ人間が鶏舎で鶏を飼育するように、捕食者どもは人舎でわれわれを飼育する。そうしておけばいつでも食い物が手に入るってわけだ」と言っていた。そして、ドン・ファンは連中が見付からずにこれをやってのけられるのはどうするからだと言っていただろうか?それは連中が「自分の心をわれわれに与える」からだった。

この「捕食者の心」について、ドン・ファンは何と言っていただろうか?

パズルの様々なピースをつなぎ合わせると分かるのは、カスタネダの「捕食者の心」=グルジェフの邪悪な魔術師の使う「催眠術」=マトリックスのコントロールシステムと私達の生体-宇宙コンピュターである身体とのインターフェースとは、私達のDNAなのだということであり、これらが、私たちの感情に対するコントロールによって脳内に特定の物質を生み出す結果、私たちはコントロールされ制限されているということである。こうして私たちの脳と神経系の成り立ちは決定され、それには、子ども時代の「刷り込み」も含まれる(このテーマについては、『ザ・ウェイブ』の後の巻で論じる予定である)。この刷り込みとは、ある年齢になった、何もコントロールできない状態の私達の脳内に回路/プロセスを形成する作用のことである。このような回路が一旦出来上がると、大規模なメルトダウンでも起きない限り変更はほぼ不可能で、以後永久に、入って来る情報のカテゴリー分けの方法が決まってしまうのだ。実際、私たちはレプティリアンDNAを持っているし、鳥のDNAも持っている。実のところ、私たちは正真正銘、周りに居るあらゆる生命体のDNAの寄せ集めなのだ。にもかかわらず、レプティリアンDNAをコントロールするような何かが進行中であり、そういう背景を踏まえてドン・ファンは「やつらは自分の心をわれわれに与えるのだ」と言ったのである。

そしてまた、このようなコントロールプログラム=食餌という化学作用は、他の人間、特に近親者とのやり取りによって刺激され、永続させられるというのが、科学の示す冷酷かつ厳然たる事実なのだ。

意識ある人間の約50%は非創造的な、不存在(※インヤンの陰の方)の思考から成り立っている(※無魂)。不存在の思考も含める形で「全」を定義する結果必然的に生まれる、この考え方からすれば、STSの辿り着く末とは「深い眠りについている物質」(※インヤンの陰の方)であり、魂を持つ、創造的な半数の人間は、このような「人々」と共演しているのである。意識のサイクルにおいては、ある物質は「霊化」され、ある意識は「物質化」されるのだ。

意識ある人間が、STSの道に従い、霊化する道を選ばず、物質化の道を選ぶのは、自由意思による選択であって、私達はそれが悪いとか、治療が必要だとか考えて、許したり、裁いたりする必要はない。しかしながら、既に見たように、物質化する意識は「ブラックホール」の思考センターの方向に向かう傾向がある。ダマシ、操作、コントロール、他人に取り込まれるというSTSの原理に基づく「愛」を教えるのが、この「捕食者の心」なのであり、その目的は、始原物質の再生というブラックホール的機能を果たすことなのである。それが私たちにとっての問題である。STSやOPと一緒に踊っていると、私達も物質化される危険があるのだ。このような交流によって、私たちは美点を失ってしまう。。。文字通り、交流=相互作用の結果だ。

意識を物質化する道を選んだ人々は、益々ウィッシュフルシンキングにフォーカスし、周囲のリアリティからワープして行っていることに、益々気付かなくなる。そして、私達がイエス、グルジェフ、グノーシス的スーフィー、カスタネダ、カシオペアンから学んだように、私達が住むこの世界のルールはSTSのヒエラルキーによって定められ、コントロールされ、大昔から存在してきた。コントロールシステムの暴露が試みられるたび、マトリックスが暴走して、それを阻止する。明らかにこれが現在の状況である。

つまり、私達が行っているのは些細な論争などではなく、他のレベルにおける戦いが ― いつもながら − 人間の動学の中に顕われているのである。

かくして、物質の道に従うか、霊の道に従うかという選択が行われねばならない、存在の重要なレベルには、はっきりとした境界線が設けられねばならない。実は、上で引用したイエスの言葉はこの問題に関するものだ。

私達のリアリティから少しずつ集まる手掛かりから、連携する相手として誰を選ぶかということ、そしてその知識に従って行動することこそが、どうやら私達に課せられた最大の課題であるらしい。誰/何と一緒にダンスを踊るか決めるのは私たちの責任である。というのも、悪魔からのダンスの誘いはとても頻繁にあるからだ。

カスタネダが小暴君による「システマチックな嫌がらせ」と呼んだものの持つ意味合いもこれである。自分が悪魔とダンスを踊っているという、ちょっとした手掛かり(あるいはその組み合わせ)を、手にしたときには、そうなのかどうか、すなわち、またしてもマトリックスによる単なるダマシなのか確認する必要があるのだ。だからこそ、システマチックな嫌がらせとは発見のカギである。本物のSTS派が相手なら、人間同士の動学的関係を介して行われる、このような人物によるSTSヒエラルキーの食餌行動を見分け、それを逃れるための戦略的行動の要点は、『内からの炎(意識への回帰)』で詳述されている通りである。

不幸にも、教会が「剣」および「家族への憎悪」に関するイエスの言葉を故意に誤解したのと同じく、「システマチックな嫌がらせ」の原理が、コントロールから自由になる道具であることを完全に理解している人は殆ど居ない。人間の半分は物質化という説明を言葉では理解できるが、自身が霊を持って居ないために、霊を知覚できないのだ。だが、本シリーズでは間もなく、このことについて述べるつもりだ。

本シリーズで述べる事件の詳細から、読者は私たちの人生で上演されている神学的ドラマに気付く事の本質について学ばれよう。このドラマに気付き、霊的気付きに従い、言葉や行為の一般的な定義に従わないようにしてこそ、私達は高次領域との絆を築くことができ、その結果、卒業生候補になれるのだ。

(本章終わり)
posted by たカシー at 09:29| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月10日

ザ・ウェイブ37章: 批判的チャネリング

ザ・ウェイブ37章: 批判的チャネリング
http://cassiopaea.org/2011/11/20/the-wave-chapter-37-critical-channeling/


ボードタイプの道具を使ったチャネリングはとてもポジティブなものだが、問題含みでもある。既に述べたように、初期のセッションでは、テープへの録音を行って居なかったので、ノートへの走り書きと記憶を頼りに交信文を再現しなくてはならなかった。片手で自分の膝にノートを取って、もう一方の手をプランシェットの上に置いていたという事もたまにあった!十分な数の人たちが参加していて、そのうちの1人がノート取りに専念できるなら随分マシだった。だが、すぐ述べるように、これはこれで問題があるのだ。

ボードや、その上を動くプランシェットがまだ完全に同調していないと、プランシェットが停まったのが、交信の流れが停まったということなのか、それとも、ボード上でプランシェットが停まった場所の文字や記号を読むようにということなのかを決めるのが、しばしば難しいものだ。私は文字や数字、停止と思しきものは何でも全て忠実に読み上げようとしていたのだが、プランシェットの停止がただの中断であって、文字や数字を指しているのでないと明らかになって、撤回しなければならないこともしばしばあった。この問題に加えて、第3者がノートを取っている場合、この人はしばしば、読み上げられた文字や数字を聞き間違ったり、順番を間違えたり、小数点の位置を間違えたり等々、うっかりして交信文の忠実度低下の原因となることがあるのだ。テープと手書きノートの両方に記録することにより、正確度を上げる努力を私達が始めたのは、もう少し経ってから、すなわち数百ページ以上受信してからだった。何でもそうだが、成果を向上させるには練習しかない。

もう1つ奇妙な問題がある。セッションに直に参加した多くの人が経験するものだ。私は予め注意するのだが、みんな自分で経験するまでは、私の言っていることが十分理解できないのである。誰しも、単語やフレーズを予想したがる傾向があるのだ。最初の2文字を聞いたところで、続きはこうだろうと口にしてしまうのである。これがノートを取る助けになったり、スピードアップにつながることもあるのだが、大抵は予想した単語が結局間違いと分かり、ノート担当者は単語の途中で頭のギアを切り替えねばならなくなり、既に間違った単語を書き取ってあったのに、ダメと分かって後れを取り、今読み上げられている文字に何とか追いつこうとパニクってしまうのだ。だが、これは問題を悪化させるだけである。ノートは予想が外れて線で消した文字で一杯になり、脈絡がなくなってしまうのだ。というのも、ノート担当者がシーズの先回りをしてノートを取ろうとし、間違った予想を行って後れをとるか、追いつこうと躍起になる結果、単語や文字ごと抜かしてしまうからである。ノート担当が書いた単語が予想に過ぎず、テープを聴くと違った単語が読み上げられているのにもかかわらず、ノート担当は予想した単語が聞こえたものとばかり思って、間違った単語がそのままにされる場合すらあるのだ。

一方、単になるべく早く読みたいという単純な理由から、私たちは交信文を早くワープロしたがり、この結果、間違いの多くがオリジナルのワープロ原稿に含まれてしまい、それと共に、標準的なタイプミスもあるので、これらを全部取り除くには並々ならぬ努力が必要になるのだ。現時点のカシオペアン交信文は、10ポイントのアリアル書体3段組みで634ページになる。単語数にして699,056、行数で122,719、文字数で3,742,197だ。請け合うが、この殆ど全ては私がタイプしたのであり、ジャンとテリーが取り組んだ、テーマ毎に交信文を分類するプロジェクトが終わった後は、ジャンがタイプを手伝ってくれた。

私達は、よりクリアで、より正確であり、静電気その他の問題があったことが十分に分かり、対処済みとなった、後の時点で伝えられた情報に基づいて、昔の交信文に遡って間違いを見つけようとし、初期のセッションや明らかに歪められたセッションの真意を見極めようとさえ試みているのであるが、この作業を、シーズが言った事を不正確に伝えようとする策略の類と見做す人々が居る。そのくせ、このような評論家たちは、自分達なりのバージョンを作ろうという努力すらしない。そのような土台を築いてこそ、自分たちをエキスパートと見做す資格もあろうというものだが、その事実は措くとしても、このような観方は全くの見当違いである。

繰り返し述べてきたように、これは私たちのプロジェクトであり、私達には、どのようにデータを分析し、結果を評価し、説得力の無い部分を再検査するかを決める権利があるのだ。そして、長きに亘って積んできた解読(translating)の経験に基づいて、必要と判断すれば、私たちは訂正や補遺を行う。実際、これはチャネリングおよび、より深い理解のレベルに達する上で不可欠なワークの実施に関わる、重大な問題である。私がしようとしているようなことが、これまで滅多に成し遂げられることがなかったのは、最初から分かっていた。このアイディアが私のものであり、作業の拠るべき理論が私のものであり、作業に活力を注入するのが私であり、他の誰かを参加するよう刺激する原動力となるのが私であることは、最初からはっきりさせておく必要があった。この間ほとんど常に、私は地球上の殆どどんな人でも作業を止めてしまうぐらいの、物凄い抵抗、障害、苦境に見舞われてきたのである;これは決して誇張ではない。

最近私は、ミシシッピ大学のダグラス・ロビンソン教授の著書に出会った。ロビンソン氏は英語学教授で、翻訳(translation)の権威である。
http://www.sairyusha.co.jp/bd/isbn978-4-7791-1871-5.html
翻訳にも権威が居て、理論もある科学なのだと分かって、私は驚いた。だが私は自分がチャネリングに関して抱いていた考えの幾つかが、翻訳と直接関係していること、これらの問題を私以上に徹底的かつ完璧に考えている人がいると知って満足した。さらに驚くべき事には、翻訳者とチャネラーないし霊媒の働きの間には類似性があると教授はあからさまに述べているのだ。チャネラー/翻訳者の仕事とは、いずれも、言語が分からないために、聞いたことが無い初めての聴衆に対して、可能な限りあらゆる手段を使って、原著者の意図を完全に伝えることだというのだ。ロビンソン教授は、通常の意味での翻訳は単に言語や文化の障壁を越えるだけだが、チャネリングも含めた場合には、この世の障壁や意識の障壁、さらには超空間の障壁をも越えることが必要になると指摘する。

驚異的なテクノロジーによって、インスタントな満足が得られるこんにち、誰でも座っただけで、イエスやエイリアン、さらには天使にさえチャネリングできるという考え方は、人間が介在することなしに機械翻訳が可能であるという考え方にそっくりだと思う。これは非常に微妙な点だが、私にはこのような考え方は本末転倒であるように思われる。我慢してお付き合い願いたい。ある言語から別の言語へと翻訳を行うコンピュータープログラムとは、情報を収集し、作業計画を立て、一連のコマンドを与えて実行することから成るアルゴリズムを働かせようとするものである。結果はアルゴリズムの出来栄え次第ということだ。一方、様々な文献から分かるように、広く行われているチャネリング現象においては、アルゴリズムから理性が除かれている。そこにはフィードバックのメカニズムは存在せず、ゆえに正しく同調する可能性も無い。つまり、このようなアルゴリズムには、チャネラーの頭の中に対立する勢力が居るという事実を処理することが出来ないのである。グループの場合で言えば、様々な意図を持った人々から成る、対立する勢力が居るのだ。理性や対立する勢力の可能性を排除したのでは、プロの翻訳とは言えまい。せいぜいレストランで食事を注文したり、空港に行く道順を言ったり、どちらが女性用トイレでどちらが男性用かを教える程度の語学力の人が物理学の本を訳そうとするようなものなのだ。

グループでボードチャネリングを行う場合、このような要素が極めて重要になる。所与のテーマに関係する交信文をまとめて、分析し、「語学力」がごく限られている段階で、解読した内容を理解するという作業を、私達はシーズ文書に関して専ら行ってきた。その理由とはまさしく、私達が自分たちの作業する条件を知っており、やるべき作業を理解しており、私達がこの文書を受け取ったのであって、保存の責任を負っていると分かっているからに他ならない。もし他の誰かがこの仕事をもっとうまく行えるのならば、きっとその人がこの文書を受信していたに違いない。何の文書も受信せず、それを評価するような状況になく、全く何の経験もない、言語の習得に努めたこともないような人ほど声高に批判を行うのを、私達は繰り返し見てきた。彼らの文書に対する理解や目下実施中の作業に対する理解は、フランス語の詩を英語に機械翻訳するのを是認し、完全に正確な翻訳だと信じている人の知能並みである。

実際、機械翻訳の研究者は人間の補助無しで良質な翻訳を行えるような機械のプログラミングに大成功をおさめてきたとは言い難い。同様に、対立する勢力や、理性の適用を考慮しない場合、使用に耐える質のチャネリング文書を作るのはまず不可能である。知識や、直接かつ迅速なフィードバックを行わないで出来るチャネリング文書は、機械翻訳した技術文書のようなものだ。そうしたものをお読みになったことのある読者なら、どれほど奇妙なものかお分かりと思う。

ロビンソン教授も指摘しているように、結局満足の行く機械翻訳システムとは、実際上、サイボーグ翻訳システムとならざるを得ない:人間-機械インターフェースが必要となるのだ。

私が強調したいのは、サイボーグ科学(prosthetics)を利用するというのは、理性とフィードバックを含むアルゴリズムの採用が可能であるということだ!ロビンソン教授によれば、翻訳者には訓練が必要である;彼らは対象となる他国語を知っていなくてはならないが、それだけではなく、「原文に対する忠実度を調節する方法、特定の文脈においてどの程度の忠実度が適切か判断する方法、訳文を校閲し、配布する方法、述語についてアドバイスしてくれる人を見付ける方法等々」も知らなくてはならない。語学力が未熟な場合、長期に亘る準備、学習、分析、校閲を含む翻訳の訓練が必要になるということだ。

目下のテーマにロビンソン教授の考えを当てはめると、翻訳者/チャネラーとは、こうしたことを学び、身に着けていなくてはならず、さらに大事なのは、学んだ知識に従ってチャネリング/翻訳を統御できることなのだ。この知識は概念的なものである。それは宇宙の概念的規範によってコントロールされる。この宇宙的な規範の規定と効力を理性によって知ることこそが、原著者の意図に従うことなのだ。

もしあなたが、翻訳者/チャネラーになりたければ、翻訳専門家としての語学力を習得しなければならず;宇宙の概念的規範の命じる原著者の真意に従わねばならず、チャネリングした真意を対象言語で表現し、フィードバックループを迅速に回転させながら絶えず調査と理性を活用しなければならない。

宇宙言語を専門家レベルで習得する訓練には、ボードタイプの道具を使用しつつ、長く交信文を研究・分析することが欠かせない。それは、意識/無意識による機械翻訳のアルゴリズムと、人間の意識との間で絶えずフィードバックを行うことを可能にするサイボーグ脳のような道具であり、同調するには絶えず理性を用いねばならない。チャネラーは受信内容を意識的にバイパスすることも出来、同時に、意識を常に高潔に保つことも出来ねばならないのだから、ボードを使うのでなければ無理である。始終意識を保ち、いつでも、どんな交信内容や感覚でも観察し、コントロールし、直に受け入れ、あるいは拒絶することで、アルゴリズムの一部として理性を働かせることができるのだ。

もちろんながら、既に見たような高次レベルの対立する勢力の影響や、私達のリアリティにおいて連中が人間を道具に利用するやり口を考えると、問題は厄介さを増す。と言えば思い出すのが、闇と光、それぞれの勢力の間の戦いを表している人間の動学であり、それに話を戻すとしよう。

ここで、些細な逸話ではあるが、問題の一端を示すものなので、フランクと、前にも出たV**との不和について少々触れておく。既に述べたように、他人との交流の中でフランクがポジティブな経験をすれば、世間についての観方も変わり、意志も、STOへの志向も強くなり、自殺しようなどと大言壮語することもなくなって、殆ど毎日のように私がエネルギーを吸い取られることもなくなるだろうと、私は考えていた。追突事故の痛手を癒そうと週のうち5日はリハビリに奮闘しながら、活発な5人の子どもたちの世話をし、家計をやりくりし、テープ起こしとシーズが扱ったテーマの調査もやっていたため、私も根が尽き、そうは認めたくなかったものの、フランクの要求に耐えられなくなってきた。

私に与える悪影響について、彼は大方忘れてしまうらしかったが、それでも私は大目に見ることにした。というのも、彼は「善い事を行いたい」「人の役に立ちたい」といったことを口にして向上心を示したからだ。その上彼はしょっちゅう、「僕は高度に霊的な存在なんだ」と言い、大抵の人とどう違うのか、何度も示して見せたので、もしかしたら本当かも知れないと私も思うようになっていたのだ。ということはもちろん私にとっては、何事も困難ばかりのこのリアリティでの生活に馴染めるようフランクを助ける事がそれだけ重要に思えたのである。

私が自動車事故のリハビリ中だったにも拘わらず、1994年の大晦日から1995年の元旦にかけて、私達は恒例の年越しパーティーを行った。具合の悪い私を励まそうと参加を予定していた人々を、私としてはがっかりさせる訳にはいかなかったし、子どもたちも支度と裏方を手伝ってくれることになったのである。20名くらいの参加者があり、カシオペアンも「お祝い」に参加できるように、セッションを行うことに決めた。陽気な集まりで、フランクも注目の的となり、大いに楽しんでいた。それを見て、私はとても嬉しかった。というのも、この数か月は、彼の恐ろしいエピソード続きだったからだ。

みんなが交替でボードについたが、あるタイミングでフランクと他の2人の男性がボードを囲むと、誰も目で追えない程の速さで、プランシェットが動き回った。「カシオペアン」が取り立てて何かを言った訳ではなかったが、フランクのチャネラーとしての能力に対して、ゲストがわーわー騒ぐものだから、彼は益々気が大きくなった。ただ1人、V**は別だった。フランクのチャネリングを聞いていた彼女は、皮肉たっぷりに、「このシーズのコメントは、何日か前にフランクが私に言ったのと妙に似てるわね」と言ったのである。すぐさま私は彼を擁護した。折角フランクが他の人々からポジティブに見られる経験をしているのを台無しにしたくなかったからだ。


950101
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Q: (V) 今の言葉は、フランクが前に言った「キミがこれをハーフムーンベイで見たのはいつだったっけ、V**?」というのに似てるわね。

(L) フランクが誰と交信してると思うの?

(V) 私達、啓蒙されてるところじゃなかったっけ?

(T) これって。。。

A: フランクがチャネル、他の人々は急速にグルーヴしつつある。

Q: (T) 他の僕らがかい?

A: Yes. チャネルを形成しているところだ。
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テリーとジャンがグループのレギュラーメンバーに加わったので、テリーはここ何週間か、交信文を注意深く調べていた。私が既に引用した部分や、現場での観察から、テリーはフランクが、フランクの主張する意味でのチャネルではないことを確信していた。すぐ上の引用でも、テリーがこのことについて質問しようとしたところ、「フランクがチャネル、他の人々は急速にグルーヴしつつある」と明言されて妨げられたのに、皆さん気付かれたと思う。

この言葉が、よりコントロールされバランスの取れた環境での言明と矛盾するのはなぜかというと、年越しパーティーでは半分以上の人が大分出来上がっていたからなのだが、そんなことでは私は騙されなかった。だが、私はフランクに、何か ― 何でもよかった ― に関して自尊心を感じさせようと躍起になっていたので、あえてコメントしなかったのだ。おそらく、これは本当だった。確かに、フランクが居ると、交信のスピードが上がり、交信が楽になるのだった。

上の引用でまた気付くのは、フランクがチャネルであるとは信じていないV**が、バカにされたように思ったに違いないということだ。それでも彼女は何かに気付いたのであり、その疑念が晴れた訳ではなかった。

新年パーティーの翌日、いいところを見せて評判を取ったのだから、さぞやフランクはご機嫌の筈と思われるだろうが、そうではなかった。明らかにV**の言葉に当惑した彼は、またもや、彼の苦悩や、世界の不公平さ、そんな世界で生きて行くには、彼が善良すぎると痛罵を始めたのだった。私は、それをシーズに話すべきだと言って、彼を説得した。フランクが前の晩にはっきり宣言したように、彼がチャネルなのかどうか、今も主張しているように、彼は絶えずカシオペアンにチャネリングしているのかどうか、どうして彼が、こうも続けて苦し紛れに私に対して八つ当たりするばかりで、問題を解決する情報にアクセスできないのか、私には分からなかった。


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Q: (L) あなたたち、フランクが苦難や悲惨さを訴えるのを聞いてた?

A: Yes.

Q: (L) そんな苦難や悲惨さに対して、あなたたちコメントは?だって、彼が主要なチャネルなんだったら、この件について、何か言ってあげるべきじゃないかしら。。。

A: Open.

Q: (L) 「未定だ」とはどういう意味?彼は。。。

A: 前に言ったように、攻撃されている。

Q: (L) 彼は、ネガティブな言動をすべきではなく、自分の事に全力を尽くして、うまく行くと信じるべきじゃないかしら?だって、すっかり混乱してるせいで、ネガティブなエネルギーを放ってるんだもの。。。

A: 彼の方法で仕事は完了できる。

Q: (L) それじゃあつまり、彼があんな感情を抱いて、猛烈にまくし立てても問題ないってことなの。。。?

A: あれで攻撃してくる勢力を撃退できる。彼らは無関心・無抵抗で居られることを糧にしているからだ。

Q: (L) 無抵抗の話をしてるんじゃないわ。あんたたち、本当にカシオペアンなの?それじゃあまるで、彼がネガティブなエネルギーを発するべきだと言ってるように聞こえるわ。。。ネガティブなエネルギーはリジーを引き寄せるでしょうに。。。

A: 正しくない。あなたが言っているのはあなたの撃退の「やり方」だ。フランクには彼のやり方がある。

Q: (L) あれだけネガティブな事ばかり考えたり言ったりしておきながら、どうやって、ネガティブなエネルギーを糧にする生き物を撃退できるんだか分からないわ。つまり、彼をあんな風に騒ぎ立てさせ、みじめにさせて、その結果私もみじめになるんだから、連中は喜びに酔いしれているに違いないわ。

A: 撃退できるのだからみじめではない。

Q: (L) だから、問題なのは、彼がああすると、周りのみんながみじめになることなのよ。どうなってるの?

A: 主観的な観方。あなたのやり方でも動揺は起きる。

Q: (L) Yes, それは分かってるわ。だけど私は、攻撃に対して全く動じないようにしてるのよ。この場合、それが大事じゃないの?

A: へたにかき回さないことだ。

Q: (L) それじゃあ、私もうろたえて、つまり、攻撃されたときには、わめいて大言を吐き、叫んで駄々をこねるという風にし続けるべきなの?

A: あなたはそうしてはいけない。あなたは外に向かって攻撃し返すことだ。フランクは内心で攻撃し返す。外に出る言動は単に溢れ出ているだけで、正しく認識すれば害はない。

Q: (L) 私の理解では、他者への奉仕には、自己に対して全く無関心でいることも含まれると思うのよ。だから、目標は自己に全く無関心で居ることであり、ゆえに、攻撃され、いわば、ワナにかけられてジャブを食らっても、自己に無関心でいて、完全に攻撃を無視し、穏やかなままで居ることなのよ。さて、私、何か思い違いしてるかしら?

A: 思い違いではなく、解釈の間違い。

Q: (L) それじゃあ私は、フランクが私の気持ちに無関心なのを解釈し損なってるのね。だって、彼が滔々と愚痴るもんだから、私は動揺しちゃうんだもの。。。これが本当の他者への奉仕の行動で、それに動揺するのは、私が主観的なだけなのね。だから私としては、彼が苦悩の言葉を吐き続けても、動揺しないように、彼への奉仕として主観性をとり除くべきなんだわ。そういうことでいいのかしら?

A: 見当外れ。

Q: (L) そう言ってたじゃないの。

A: それはあなたが、私たちがそう言っていると信じたいだけで、私達はそうは言っていない。私達は、みなが客観的であるように努めるべきだと言っている。

Q: (L) 些細な愚痴をこぼしたり、不幸を嘆いて他人を意気消沈させるのが、客観的だとは思わないわ。こうしたことを何事も無く済ませる術を学ぶのが、プロセスの一部だと思うの。あなた達が言うのも、苦難など気にせず、被害妄想は捨てるようにという。。。。

A: フランクも含めて、あなた方はみな学んでいる途中だ。

Q: (L) この話はやめましょう。。。訊きたいんだけど:こないだの晩、フランクは私の手相を見て、いろいろ教えてくれたのよ。彼が手相を見てる時、彼はあのような情報に直接チャネリングしてるの?

A: 幾らかは。

Q: (L) 彼が手相を見てる時の、残りの情報はどこからもたらされるの?

A: 様々だ。
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どことははっきり言えないのだが、このセッションに関して私は強い不安を感じた。シーズの言葉が、フランクの極端で有毒なネガティブさの単なる弁護のようでありながら、彼らがフランクに関する深いメッセージを伝えていたことに読者は気付かれよう!いくらかでもSTSとSTOの原理が分かっている人ならば、おそらくこれらの回答が、フランクはSTOだと述べているのだと解釈したりしないだろう。STSの実態を述べているのだと見れば、これらの回答は全く正しいのだ!これは確かに、STSのやり方を述べているのであって、シーズはフランクの従っている道についてメッセージを寄越していたのだが、この時の私は鈍感にもそれが分からなかった。

それから私は話題を変えて、フランクの手相を見る才能について質問し始めた。というのも、彼は単にダウンロードしているだけで、彼の占いは、読んだ手相とは関係がなく、相手につながって、相手のラジオ受信機のスピーカーの役割を果たしているのであり、これこそが、彼の機能の正しい解釈だろうという風に考え始めていたからだ。つまり、彼がボードについている時にやっていることは、手相を見ている時にやっている事と全く同様だったのであり、実際これは彼の誠に驚くべき才能だった。

上のセッションの後、不安を感じた私は、フランクと一緒に座ったまま、彼のチャネリングに関するこれら多くの手掛かりを検討した。彼の観方とカシオペアンの言ってきた事との食い違いや、この現象が実際にはどうやって惹き起こされるのかを私は指摘した。私はまた、彼がこのアリアリティに適応できないのと同様に、私も人生の重荷を担いきれないくらい精根尽きてしまったと明かした。私は彼に「もっと前向きな努力をしなさいよ。随分とポジティブな経験をしたのを考えなさい。あなた自身で困難を切り抜けることによって、私を助けようとしてみて頂戴」と言って奮起を促した。「私がどれだけ沢山のワークをしてるか分かるでしょ。それに引き替え、あなたは殆ど何もしてないじゃないの。こんなことを続けてたら、私、すぐにガス欠になって、何も成果が出せなくなっちゃうわ」 テリーとジャンも状況について付け加えたのだが、彼らが居たために、フランクも幾らか落ち着いたようだった。

私達はフランクが、彼の心をコントロールしようとする「闇の勢力」との戦いで苦戦しているのを知っていたが、私は「これこそフランクが高度に霊的な存在である明らかな証拠でしょうね。でなければ、連中も彼の心を乗っ取ろうと、あんなに一生懸命に戦わないでしょうから」と指摘した。こうして激励した結果、フランクは、もっと生産的なやり方で連中と戦おうと思いを新たにしたようだった。

一時的に闇の勢力が退潮したのを反映して、この頃の交信文は明瞭さと正確さを増した。


950111
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Q: (S) どうしてこのような情報を伝えるのに、ローラとフランクを選んだんだい?

A: 場のバランスが正しいから。。。

[…]

Q: (B) 1回に1文字ずつという原始的なチャネリング方法はやめて、自動書記や、意識下/無意識下でのダイレクトチャネリングに進まないのかい?

A: 今のところ、このやり方の方が改変される危険が少ない。
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今にして思えば、「場のバランスが正しい」という言い方は、バランスという言葉が、半分STSで半分STOであるという意味なら、かなり奇妙である。テリーがグループメンバーとして参加することを言っているか、あるいは、フランクが操作を続けるのに対して私が手を打ったことを言っているという可能性もある。私は改変の可能性にさらに用心し、質問の言葉使いも慎重にして、フィードバックを行う際には理性と洞察力を広く働かせるようにした。

ここで事態は面白い展開を見せた。トム・フレンチの登場である。以前私がどこかに書いた経緯から引用する:


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今を遡る1995年、私はフロリダ州クリアウォーターのMUFONグループでちょっとした講演を行ったのであるが(招聘されたのであり、こちらから頼んだ訳ではない)、聴衆の中に居たのがセント・ピート・タイムズのジャーナリスト、トーマス・フレンチで、彼はどうやら、私と講演内容のどちらもかなり気に入ったようだった。彼はネタになる「新しくて普通でないこと」を探していたところだったので、私はそれに「ピッタリ」だったのだ。その時彼はこう言った。「あなたの前の人たちの話は、居眠りして聞いてたんだけど、あなたが話し始めた途端、確かに目が覚めたんだ!」 ミーティングの後、彼は私に近づいて来て、話したいことがあるのでアポイントが欲しいとしきりに嘆願した。

私は何とも気が進まなかった。理由はお分かりと思う。勇気を出して、どんな記事になるのかと質問した人々が概してマスメディアからどんな扱いを受けるものか、私は知っていたからである。彼は、「記事については、発行前に、内容をあなたに確認し、あなたの異議や懸念を訊いて、内容に相当程度反映させることを約束するよ」と熱心に言った。彼はさらに、「これまでに僕が書いたものを幾つか読んで、テーマに対する僕流のアプローチの感触をつかん欲しいんだ」と勧めた。そうしてみたところ、彼の筆致は手際よくもあり、繊細にも思われた。

長い交渉の末、7部物連載の1部として、ゆくゆくは単行本化もあり得るということだったので、私は彼に密着取材を許可した。7つのテーマとは:殺人事件専門の刑事、AIDSクリニックの医師兼院長、カンボジアとラオスでの革命と暴虐の恐怖から救い出された幼稚園児たち、ドラッグと犯罪にまみれたスラム街のシングルマザー、原理主義の説教者、私、そして、フロイト派精神分析学者の孫であるトム自身というラインナップだった。

様々な背景を持つ、良いテーマも悪いテーマもある7部作の1篇という扱いも、ユニークなアプローチだと私には思われた。
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さて、私が上の1節に書かなかったことがある。それは、この出来事がフランクに与えた影響であり、どうして「長い交渉」が必要だったのか、どうして私は気が進まなかったのかの理由であり、舞台裏で起きた興味深い事の数々だ。

テリーとジャンは地域MUFONジャーナルの編集兼発行者だったから、私のMUFON講演の準備に関わっていた。テリーはエイリアンアブダクション問題に関するシーズの見解が聞けると、かなり興奮していた。というのも、この地域は彼が相当長い間熱心に調査した場所であり、MUFONを通じて、普通の人には入手できないような文書も見てきていたからだ。シーズが皆の知っている以外のことを知っているようだったので、彼は何かが進行中であると分かっていた。だから、情報ソースがチャネリングであるにせよ、交信内容自体に独自の価値があると彼は思っていた。

しかし、MUFONは実際的な団体だったので、議論の末、私たちは、講演の内容を、「黒いブーメラン型UFO」の目撃や、アブダクティーへの施術のような殆ど実際的な内容に限定することにし、カシオペアンとのコンタクトは余談程度の扱いとすることで合意した。誰が講演を行うか内緒で議論した結果、私が選ばれた。というのは、フランクは講演向きのいい声をしていたのだが、話がくどく、不適切な問題に脱線しがちだったからだ。彼の場合、「傲慢な」態度だと思われ、人々にあきれられることも懸念された。彼には他のやり方は出来ないこと、そして多くの人々が、私達ほどには、ありのままのフランクを受け入れたがらないことも、私たちには分かっていた。

テリーとジャンの両人ともが少しずつ話した後で、私を紹介した。私はごく手短にだけ話した;内容的には、私自身が体験したUFO目撃報告と、催眠下で私のクライアントが明かしたアブダクション体験の列挙が殆ど全てを占めた。それは確かに大した講演ではなかった。これ以前に私が公衆の前で話した経験はただ1度、ハイスクールのスピーチコンテストがあるだけだった(私は優勝したのだが、未だに何を話したのか思い出せない)。私はジャンのアドバイスに従い、「話しかける対象」を1人、聴衆の前列から選ぶと、その人にだけ話しかけるようにした。いくらか呼吸困難に見舞われたが、なんとか話し終えることができた。

ミーティングが終わり、ジャンが私をトム・フレンチに紹介した時、彼は私にインタビューを行いたいとの意向を示したが、私は、彼が私達グループに対して興味を抱いたのだと思い、またシーズが有名になると思って興奮した。私は、「私達、毎週土曜の夜に集まるので、その時来てくれるがベストよ」と言ったのだが、彼は電話すると言い張り、それはその週の後半ということになった。

フランクはと言えば、予想した通り、トムが私達について書きたがっていると知ってすっかり有頂天になった。彼はこれがシーズにとって有名になるチャンスであり、彼もまた一緒にそうなるものと思ったのだ!彼は「きっとそうなるよ。インタビューのスケジュールが決まったら、すぐ電話してくれよ」と言った。「ここに来る必要があれば、仕事を休んででもそうするよ」

ついにトムが電話してきたのだが、その際彼は、私とだけ話したいと明言した。私は混乱すると同時に、少し騙された気がした。だって、フランクもテリーもジャンも居ない所で、私は何を話せばいいというのだ?その場に居ない彼らに関わるようなことは、約束出来ないのだ。私は単刀直入に、「彼らがいなきゃダメだわ」とまで言ったのだが、トムは断固として言い張った。「僕が話したいのは、グループじゃなくて、あなたなんだ」 渋々ながら、私は同意した。

私がフランクに「例のジャーナリストは。。。少なくとも今のところ。。。フランクにインタビューする気はないの」と言った時、彼は大いにひねくれて、酷評し始めた。シーズが(そして当然ながらフランクも)世界にとって如何に大事かをトムに理解してもらうために、私が何を言わねばならず、どう振る舞わねばならず、どういうイメージをトムに伝えるべきかということを、フランクは私に何時間にも亘って指示した。彼のコメントの殆どは、私のトムに対する信頼を傷つけるのが狙いだった。彼は、ジャーナリストにインタビューされる人々に何が起こるのか詳細に述べ、皆例外なく嘲笑され、バカみたいに扱われるのだと言った。彼はこの結果、このような立場の人々が一般に受け、また私や子供たちが特別に受けるであろう有害な影響の要点を余すところなく述べた。もちろんながら問題だったのは、私があまりに世間知らずなため、ジャーナリストに話す方法や謀略に騙されない方法を知らないことだった。ジャーナリストは誰もが人間の屑であり、スライムのような手合いにまとわりつかれることになるというのだ。

彼の話が終わるころには、私はすっかり、トムに電話して全部キャンセルする気になっていた。だがそうする前に、私はこの件をシーズと話し合いたかった。彼らの答えから、私の抱く信頼を傷つけようというフランクの試みが、流れを歪めているのは明らかだった。彼は極限まで感情を露わにしていた!


950307
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Q: (L) OK, 金曜に1人のジャーナリストが訪ねてきて、私と話したいというのよ。。。

A: 状況の展開に関して、オープンな心で臨みなさい。あなたは、誰もがあなたのように簡単に意識を広げる能力を持って居ないという事を忘れがちだ。

Q: (L) それじゃあ、彼は実は懐疑的で、私は確証を出すよう言われるって事?

A: そういうことではない。読者は物質的な拠り所について、あら捜しをするから、訳のわからない事を言わないよう気を付けねばならない。

Q: (L) それじゃあ、悪魔祓いとかそういうことは言わない方がいいのね。

A: バランスだ。

Q: (L) OK. バランスを保つようにするわ。この国から出て行く羽目にはなりたくないもの。
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実のところ、どんなに訳が分からなく思われようが、神秘主義や超常現象の話をするよう私に言ったのは、フランクだけだった。「記事の読者が限られていることなんか忘れるんだ」と言ったのもフランクだけだった。実際、今にして思えば、自分がインタビューを受けると思っている間、彼が異常に熱狂していたのは、ひときわ奇妙だった。インタビューを受けるのが私だと分かった途端、当然のことだが、私がフランクの言う事を訊き、何とかしてフランクの望む内容となるよう、トムを説得できなければ、彼が考えた筋書きはタイタニック号のように、障害物にぶつかって沈む運命となった。何時間もかけて、それを私に教え込んだ後、ついにフランクは、私が彼の望むようにやるだろうこと ― 私がトムにシーズグループについて書くのが重要だと説得すること − を確信し、その結果、再び安心して、自分の考えに熱狂したのだった。私は広報担当者なのであり、彼にとって、名声はすぐ手の届く未来にあるのだった!

最初のインタビューの際、トムははっきりこう言った。「僕はシーズ文書には取り立てて興味はないんだ。チャネリング全般や、殊にチャネラーのフランクにもね。僕が興味を持ったのは、あなたが普通の妻であり母親でありながら、興味を持って普通でないことを探究している点なんだ」 私は何とかしてトムに、シーズや、当然のことながら、フランクに対して興味を持ってもらおうとしたのだが、うまくいかなかった。彼には彼のプランがあり、私はその一部なのだった;何と言っても彼には記事を書く責任があり、自分のしている事、そのやり方、そして読者の好みと期待を知っているという自負があった。最後は結局、彼が正しかったと分かった。しかしそれでも、彼の注意をシーズや、グループすなわちフランクにシフトさせようと、私はインタビューを受ける度に繰り返し努力を続けた。

このレポートに対して驚くほど反響があったこと ― 誰もが、どうやって収支をやり繰りしようかと奮闘する、家庭の主婦の平々凡々たる物語に興味を抱いた − は措くとして、私が最初に考えたのは、「あら、まあ!フランクには何て言おうかしら?!」ということだった。トムは実はチャネリングには興味が無くて、チャネリングを取材するのは単に、家族を育てる傍ら私が興味を追求する道具だからだなんて、フランクにはどう話せばいいのだろう?フランクは、これで名声と栄光への扉が開くと確信しているのだ!今や人々がようやく、フランクが戦士 ― チャネル ― であることを理解したこと、それが本物のジャーナリストの注意を惹いたことに、彼は大層興奮していた!彼がこうも興奮し、フランクと彼の業績にふさわしい光を当てるため、インタビューへの対応法を何時間にも亘って私に指示した後になって、トム・フレンチは、フランクのような第6密度の光の存在とチャネリングを行う、霊的に高度に発達した存在よりも、太り過ぎの、ストレスがたまった、中年の主婦の方に余計興味があるなどと、どうやって彼に言えようか?フランクは私がトム・フレンチの注意を彼に向けられるものとすっかり信頼してくれていたのに、私がしくじったのである。これは彼にとってネガティブな経験になるだろう。私には、「自殺してやる」と大言を吐かせることなく、彼にこのことを話す方法が思いつかなかった。

幸いにも来週の土曜の夜は、この問題と向き合う必要が無かった。その日は、別のMUFONミーティングにカシオペアンの秘密を明かす、公道での試運転を行ったからだ。私は次回、3月18日のセッションまで、この問題は内緒にしておいた。

目敏い読者はお気づきのように、この時まで私達はごく頻繁にセッションを行ってきていた ― 週に2回以上やるのが普通で、最低週1回は実施していた。しかし、この時異変が私達に迫っていた:ここでセッションは暫くお休みとなり、次のセッションファイルは4月15日のものである。ほぼ一カ月後だ。この間、実に興味深い事が起きていたのだ。

3月18日のセッションだが、ゲストを連れてきていたテリーとジャンは終了後早々に帰った。フランクはいつも彼がセッション後にやっていた事をこの時もやりたがった。すなわち、思い浮かぶままに何時間も語り続ける御前会議を開くのだ。聞かされる方の私たちは、何度もこれに耐えたのだが、そのうち、質問禁止が暗黙の了解になった。というのも、フランクに質問すると、彼は少なくとも1時間は余計に話をするからだ。このセッションのせいでみんなエネルギーを吸い取られ、誰が何度「もう疲れたわ」と言おうが、「寝ておかなくちゃならないのよ」とか、「日が出る前には帰りたいんだ」と言おうが、フランクは全くお構いなしなのだ。これは全く理解不能だった。これは彼の感情面での発達が滞っているせいであり、子どもは他人のニーズなど考えないものだと思って、私はこの理不尽な振る舞いを帳消しにしていた。これも「フランクの成長のため」だと思って、可能な限り耐えようとしたのである。

フランクによる深夜のマラソン談義に耐えられたと思われるのはただ1人、テリーだけだった。ジャンと私は2人の対談中、ゾンビのように座りながら、一定の時間が経つたびに何度も、「もう寝ましょうよ」と静かに声に出して頼むのだが、フランクは無視し、テリーもフランクが立ち上がるまではそうしようとしないので、しばしば膠着状態となった。読者は私がフランクに対して、「家に帰ってよ」と言えばいいだけのことだと思われるだろう。信じて欲しいのだが、私は繰り返し何度もそう言うのである。これに対する彼の答えは「あと5分だけだ!」である。「そのくらいはいいだろ!何たって、以前僕もあなたの問題を聞いてあげたじゃないか!」 そして5分が1時間になるのだ。私が「5分経ったわよ」と言うと、彼はこう言うのである。「あなたもあまり寛大じゃないね。僕は話し相手が必要なのに、耳を貸してくれないんだ」 毎度この繰り返しなのに、お構いなしなのである。こうした事を繰り返すうち、テリー&ジャンと私との間で議論になり、フランクがいくら座って居ようと粘っても、彼をドアから送り出すまでは、2人も帰らないで居てくれることになった。

だが、事件が起ころうとしていた、この夜、テリーとジャンはゲストを送って行くために、早々にわが家を出なくてはならなかった。その結果、フランクと共にその場に残されたS**と私は、長い夜になりそうだと思った。私が、「トムはシーズに興味が無いのよ」(トムからそう言われたところだった)と説明すると、フランクは冷淡な感じになり、繕った明るさになった。彼はこれまで見たことのないような殆ど敵意むき出しととれる振る舞いをし始めた。私は疲れていて、とても午前4時まで議論できる気分ではなかったので、「疲れたから、もうお開きにして寝たいわ」と繰り返した。S**は彼と軽い冗談を言い合っていたが、「ローラが寝られないから、私達もう帰るべきだわ」とも言ってくれた。そして、今となっては誰も正確な言い回しは思い出せないのだが、彼女はフランクに対して、軽く冗談めかしてではなく、もうおやすみを言う時間だと言ってくれたのである。どんな状況でも言いにくいことなのだが。私はからかって彼をカボチャか、あるいは何か同様のくだらないものに変えてしまうぞと脅したかも知れない。1つだけ覚えているのは、彼が次に言った言葉が全く唐突で、私が言った事とは不釣り合いだったということだ。この言葉は決して忘れられないだろう。彼は「じゃあ、こういうのはどうだ。あなたの娘に、キミのお父さんは実の父親じゃないんだと言っちまうぞ!」と言ったのである。

随分な事を言うではないか?だが重要なのは、私がフランクに打ち明けていたプライベートな事の中でも、これが私を最も傷つけ動揺させると彼が知っていたことである。母親としての私は雌の虎であり、身体であれ、心であれ、気持ちであれ、自分の子どもを傷つけようと脅かす者は危険を覚悟すべきなのだ。

『グレイス』をお読みになった方はご存知のように、一番上の娘は、前夫が私と結婚した後で貰い受けた養子だった。彼女は他には父親を知らず、この2人の関係において、彼は彼女の父親だった。もちろん私も、いずれは彼女に真実を話さねばならないとは分かっていたが、この時はまだ、そうすべき時期ではなかった。そして私は、この懸念をフランクに打ち明けるという大きな過ちを犯していたのだった。

娘はこの時、「十代の危機」の真っ最中だった。それは決して変わった事でも、非常に深刻な事でもなかったが、彼女はとても神経質でとりわけ傷つきやすい子だった。

確かに、私は子どもに関するこのような問題をどう取り扱うべきかに関して賛否両論あるのはよく知っていたが、結局は子どものことを一番良く知っている親が判断すべきだと思っていた。本件の場合、私は既に、「まだ彼女に話すべき時じゃないわ。感情が発達途中のデリケートな段階にある彼女にとって痛ましい事になるもの」とはっきり意見を述べていたのであり、フランクはそれも全て知っていたのだ。彼は私から詳細を聞き出すため、同情と興味を装いつつ、「何を悩んでるんだい?」と私に尋ねさえした。さて、フランクがしばし時間を割いてまで誰かに関心を抱いているように装うのを見たのは、これが初めてだった。確かに、霊的に優れていると大言壮語する彼は、まるで好意を抱いているかのように、関心を示したけれど、今や本当の動機が明らかになった:彼が関心ある風を装ったのは、本当に他人に関心を抱いたからではなく、後で誰かをコントロールするのに利用できるような情報を引き出すアジェンダを持っていたからなのだ。彼はどこにでもいるような詐欺師に他ならず、文字通り何かを手に入れるために、他人の信頼を得ようとする輩だったのだ。

横領のエピソードは、フランクの人生におけるちょっとしたミスなどではなく、困難な状況でやけになった結果であることは火を見るより明らかだった。私は、彼が「デーン」(※フランクの雇い主で横領の被害者)やその他の誰かに利用されてなどいないと分かっていた。ウィッシュフルシンキングを抱くことも無くなり、悪い所に目をつぶることもやめた結果、私には彼の性根が曇りなく見えてきた。彼は救いが必要な哀れで傷ついた人間などではなかったのだ;彼は捕食者だった。それだけのことだったのである。

彼が私をコントロールし、傷つけようとしたのは他でもない、グループ(主に彼)について書こうとしていたトムを、私が自分に焦点を当てるよう翻意させたのだと彼が信じているからだった。それは全くの間違いだった。彼は嫉妬深い性質であり、自分では努力していないことについてまで権利を主張する資格があると感じていて、もしそれが得られないのなら、うちの子を傷つけることで、私を傷つけようというのだ。

私はあきれてものも言えなかった。私は彼に対して穏やかに、「あなたが、うちの娘を傷つけるような、こんな見下げ果てた事をする卑劣な人間だったなんて信じられないわ」と言った。彼はどもりながら抗議して、「た、ただの冗談だよ。つい口から出ただけで、本気じゃないさ」と言った。私は「本音が思わず口をついて出たのね」と答えた。予め考えていたのでなければ、彼がこんな事を言わないのは明らかだった。それで私は彼に(むしろ穏やかな調子なのには、自分でも驚いた)「帰った方がいいわ。今すぐにね」と言って、しばらく、彼のさっきの言葉について考えていた。

彼は帰った。

S**と私は言葉もなく座ったまま、お互いの顔を見ていた。こうして明らかになったフランクの卑劣な本性を、私達二人は信じられなかったのだ。ついにS**は「今日のフランクはどう見てもいつもの彼じゃなかったわ」と言ってその場を取り繕おうとした。「ストレスが溜まってたのよ。過労だわ」 もう遅かった。全部言い訳に聞こえた。

私に腹を立てていたと言いつくろおうが、何をしようが、私を傷つける最も直接的であくどいやり方と知った上で、フランクが嬉々として私の愛する罪のない人間を傷つけようとしたことの言い訳にはならなかった。これ以上軽蔑すべき行為は無かった。他の囚人仲間からも軽蔑されるような最低タイプの囚人どもは、こんなことが許されると思っていると聞いたことがあった。子どもをいたぶる重犯罪人は、他の囚人に殺されそうになるので、独房に入れられることもしばしばだという。親を傷つけるために子をいたぶるというのは、言いようもないほど卑劣で堕落した行為である。

こんな事があった後でも、私に対して打ち解けた様子で居るフランクを見て、私はかなり驚いた。あれだけ闇の勢力と戦っている ― しかも、その戦いは、彼が高度に霊的な存在であるがゆえに、強いられているのだった − 本物の高度に霊的な存在だと思っていたフランクが、今や、実に狭量で、利己的で、狡猾で、他人を操作する、根っからの卑劣漢に思えるのだった。私は彼の中に何のポジティブな面も見いだせず、そうだったのかと驚いた。

私は当時、脳の化学について今ほど分かっていなかったので、脳内物質のこの効果には非常に興味を覚えた。どうして人間の心は、こうもたちどころに観方を変えることができるのだろうか?信号が変わるように、なんと完全に彼に対する私の観方が変わったことか。以前自分に言い訳をし、見て見ぬふりをし、ポジティブに歪め、信じていた彼の言葉が、今や全く違う文脈で見えてきた。私はずっと、諺に言うバラ色の眼鏡をかけていたのだろうか?それとも今考えている事の方が歪んだ観方なのだろうか?

今にして思えば、あの時の私は、実は、私たちの思考が脳内の化学反応によっていかにコントロールされ、明瞭にされるかを真剣に学んでいたのが分かる。今では知っているのだが、ショックすなわち、危険の脅威を知覚すると、人の心は鋭く冴え、リアリティの全てのニュアンスが驚くほどクリアに暴露されるほどに明らかになるのだ。これは進化上有利なのだろう;自分が危険な目に遭っていることがはっきり分からない生物は生き残れないのだ。魂の志向がどちらであろうと、同じことがあてはまるのではないだろうか。ショックを受けたとき、人は突如として、誰が「自分達と同じであり」、誰がそうではなく、自分の身に危険を及ぼすのか分かるのだ。

私は激怒していたので、冷静に彼と話せる自信がなかった。だが、言いたいことが沢山あるのは確かだった。彼に話しかけるには未だあまりに取り乱していたので、私は彼に手紙を書くことにした。今でも当時の名言集ノートを持っているが、そこからの引用を含む、かなり長ったらしい手紙の中で、私は彼の細かな欠点までいちいち箇条書きにした上で、「あなたが通常の人間関係に対して抱く尊大な気持ちはあり得ないくらいの身勝手さのあらわれだと分かったわ」とまで指摘した。今にして思えば、私はフランクが「確かにあなたが書いた通りだと思う。これらはまさに僕のことだ。あの時は一時的に理性を失っていた。どうか許して欲しい」云々と言うのを望んでいたのだ。名言集の中から、私は以下のものを手紙に使った:


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孔子:先師がいわれた。益友に三種、損友に三種ある。直言する人、信実な人、多識な人、これが益友である。形式家、盲従者、口上手、これが損友である。
(『論語』季氏第十六 4、下村湖人訳)
http://kanbun.info/keibu/rongo1604.html

アリストテレス:教養のあって行動的な人々は、幸福とは名誉のことだと考える。。。
(『ニコマコス倫理学』第1巻第5章か?)
http://daruyanagi.jp/entry/2014/03/15/181431

アリストテレス:貧困や恋愛や何らか苦しいことがらを避けて死につくというようなことは、勇敢なひとのなすことではなく、むしろ怯懦なひとに属する。というのも、厄介ごとから逃避するのは軟弱さのあらわれだからである。自殺するひとがあえて死につくのは、そのことがうるわしくあるがゆえにではなく、面倒を怖れるからである。
(『ニコマコス倫理学』第3巻第7章)
http://www.miraisha.co.jp/np/diary/201412.html

トーマス・マロリー卿:臆病者は慈悲を見せない。
(『アーサー王の死』第2巻)
https://books.google.co.jp/books?id=J2QYlmhZ9ysC&pg=PA313&lpg=PA313&dq=Ever+will+a+coward+show+no+mercy&source=bl&ots=zmXibBgtv_&sig=Lhz_k-rgZEYrwA4jQY2MJW6QlLs&hl=ja&sa=X&ei=h6uYVevLJ8OD8gW3z6G4Bg&ved=0CB0Q6AEwAA#v=onepage&q=Ever%20will%20a%20coward%20show%20no%20mercy&f=false

孔子:義を見てせざるは勇無きなり。
(『論語』為政)

モンテーニュ:臆病は残酷さの母である。
http://meigensen.com/archives/10825

エマソン:品性ある人は、色の違いのように見分けやすい。自信と十分に徳があるという自負は、品性の本質を成す。誤りや間違いを否定する傾向は自然なものだ。品性ゆえに人は真実を語る。このような人は寛大で、もてなしの心を持ち、温和であって、狭量さを軽蔑し、蔑まれることを蔑む。行動を決意した時の気分が去っても、品性は残ったままだ。品性はひるまぬ大胆さと屈することのない勇気を示す。

人が魂でもって世界に反応していないとき、そのような魂は誰にも騙される。品性ある人は買収できない。彼には素敵なディナーも暖かな寝床も必要ない。彼は多くを必要とせず;負けるときも潔い。品性は持ちこたえる。品性ある人は、名誉を考慮して決定を行い、何があってもあきらめず、弱音を吐いて、世間に流されたりしない。

中でもずば抜けているのは、品性のある人が見せるユーモアと陽気さだ。大いなる意志は卑屈になって深刻に考えたりしない。英雄的な人間は平凡ではなく、また、凡人は英雄たり得ない。品性ある人は常に自分が恐ろしいと思うことを行う。偉人は他人の意見を顧みない。

品性ある人は自分が戦時に生まれたことを知っていて、彼の健康は平時に踊ったりすることを求めない。このことを知っている彼は、平静を保ち、雷にも、くってかかったり怖れたりしない。彼は評判も生命も危険にさらし、死刑執行人や暴徒にも完全な穏やかさと慇懃さで臨み、言葉の絶対的な正しさと行いの正しさで挑む。外なる全ての悪に向かって、品性ある人は敵軍が無数に居ようとも自分一人で十分だと断言する。人のこのような戦う姿勢こそ、勇敢と呼ぶにふさわしい。

勇敢さとは、分別による自制を無視する自信のことである。なぜなら、信念の本来的に持つエネルギーとパワーをもってすれば、どんな傷を負っても治せるからだ。英雄の心はなにものも揺るがすことのできない意志のバランスを保つ。どんな災厄や崩壊が周りで起ころうとも、彼は楽しく陽気に我が道を行く。彼は世界の中に居ながら、それに属していない。彼はその時点でするべき事、目の前にあって、出来る事を行う。彼は出費や健康や生命や危険や憎しみや非難に頓着せず、現在および将来出会うべき敵の意志よりも、彼の意志の方が高潔で優れていることを知っている。

彼は優秀さを示すことで勝利する。最も暴虐で説得力のある人も、このような英雄の中には図々しさや恐怖では通用しない抵抗力がある事を知るだろう。この抵抗は真実と正義を信じてのことである。英雄的性格に本来備わるパワーは光や熱のようなものであり、全自然がこれに協力する。プレゼンスを感じる人と、感じない人とが居る訳とは、重力の存在のように簡単だ。英雄的性格とは、社会が従うべき良心なのだ。

いかに環境が変わっても、性格の欠点はなおらない。英雄的性格は伝統的な考え方や慣行を受け入れない。彼は体制に従わない。体制の黙認は、計画よりも実行を重んずる品性が欠如していることを示す。

品性や勇敢さ、洞察力、徳に恵まれた人々が実際に居るものである。彼らは普通、大衆から反感を買う。一般的な認識では彼らの品性は理解できない。彼らを一目で見定めることは無理である。彼らを見るには大きな視点が必要である。一般的な倫理観や、行動の簡単な観察からは、彼らを理解できない。神々に立ち向かう者は天国を知っていると言われる通りだ。これこそが品性ある人の本性なのだ。

暴虐が横行した昔には、誰しも自分の価値を証明する機会が多くあった;ゆえに、大衆から出た有名人は誰もみな、勇気や品性、マナーを教えてくれる。個人の力は流行からは生まれない。勇敢な人は他から知られるようになり、本来の場所へと上る。どんな環境でも、英雄と海賊はおしゃべりや書記より価値がある。

英雄的性格は良い血統を保つ。良いマナーは英雄的性格が本来的に育むものである。英雄的性格の持ち主は真実の人であり、自分の行いを支配し、そのような支配力を行動で示し、他人や意見や持ち物に従属することはない。

品性ある人々は活力と勇気に満ちており、青白き同胞を恫喝するような企てを行う。彼らは本性に従って、公然と聖人に祈り、古参兵を追放し、あらゆる儀礼に打ち克つ。彼らは海賊になろうが、学者になろうが満足する。品性ある人は無頓着に自分の立場で考えつつも、価値の評価に秀でている。

おカネは気品ある人にとって欠かせぬものではなく、そのような人々こそ勇敢な性格を持つ。気品ある人の集まりは互いに好意を持ち刺激し合う。素早く同意することで、全ての余剰は減らされ、全ての優美さは新しくされる。良いマナーは一般大衆にとって恐るべき防御となる。

気品ある人のマナーを大衆はまねるが、理解することはない。

気品ある人は一般大衆のように流行に従わない。彼らは「流行」とは盛りを過ぎた(gone to seed)美だと理解する。気品ある人々は種の蒔き手であり、流行に従う人々は刈り手である。

各人の人生における立場は、内心の成り立ちにおける調和次第である。生来気品のある人は、自分と同種の人のやり方を見出す。血統に優れた優秀な人々は直ちに互いを認める。人は自分の領分を越えることはできない。マナーや品性の欠点は普通知覚上の欠点の結果である。個人的な力や知覚に加えて、気品ある人はまた、気がよく、寛大で、親切である。

英雄の時代は概して恐怖の時代であるが、この要素に価値が認められないうちは夜が明けることはない。内に秘めたパワーこそ品性と呼ばれ、武器ではなく、プレゼンスによって直接戦う予備部隊である。それは、ある証明不能の勢力、「天才の仲間」によって思い描かれる。この勢力の刺激は英雄を導くがこの勢力に忠告された内容について、英雄は人に教えることを許されない。品性は星の属性であり、おとしめることのできない偉大さである。
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※2つ目をローラは孔子からだと言ってますが、アリストテレスの誤りでしょう。
https://books.google.co.jp/books?id=dcK6-h1ngtcC&pg=PA54&lpg=PA54&dq=People+of+superior+refinement+and+of+active+disposition+identify+happiness+with+honour&source=bl&ots=w_gnTN-M5w&sig=qkvdcSO6VpD3albTxXdYTSY0IWE&hl=ja&sa=X&ei=daGYVdPYMof3mQXBjbDYBA&ved=0CD8Q6AEwBA#v=onepage&q=People%20of%20superior%20refinement%20and%20of%20active%20disposition%20identify%20happiness%20with%20honour&f=false
※最後の、エマソンの文章だとローラが言っているものは、ネット上他の2か所にありましたが、いずれも出所が明記されておらず、全著作コンコーダンス
http://rwe.org/resources/a-concordance-keyed-to-the-complete-works-of-rwe-compiled-by-eugene-f-irey.html
で見ても分かりませんでしたorz ので、拙訳で失礼しました。


私はフランクをあれこれこき下ろした。私は歯に衣着せずに、「もし3月18日の晩に見たのが本物のフランクなら、あなたはあれだけ何度も議論してきたような代物ではあり得ない」と言った。私は本当のフランクにどうか立ち上がって欲しかった。何とか言ってよ。でも、あなたの言葉と態度が別々だったら、どうしてあなたの言葉が信じられる?

このような「見極め」が起きた後には、「ショック」による化学反応が消え始め、通常の化学反応が再開し、あれだけ明瞭に見え、考えられた能力はひっこんだ。私は自分が見た事を疑い始めた。自分の知覚を疑い始めたのだ。疑わしきは罰せずというバラ色の眼鏡が戻って来て、私の心は、どうやって仲直りしようかと思案し始めた。というのも、結局のところ、私がフランクを助けて彼の居場所を作らなかったら、誰がそうすると言うのだ?

既に述べたように、この頃の私は、私たちの思考が、化学物質によって、いかに微妙にコントロールされているのか知らなかった。私はただ、自分が大きな過ちを犯そうとしていないかだけが知りたかった;私は感情のせいでフランクを見損なおうとしてはいないだろうか?私はフェアでないのでは?私は他の人たちと議論して、自分の考え方が歪んでいないか見極めるべきでないのか?高度に霊的な存在で現実世界に適応するのも困難な人が、次の瞬間には突如として全く違った扱いを受けたのだと1日中考えていると、何とも恐ろしい気分がした。

当然ながら、テリー、ジャン、S**はフランクと私をしきりに仲直りさせたがった。彼らは私達をめぐる事態の展開にとてもショックを受け、私に赦し、忘れるよう勧めた。正直なところ、私はそれが正しい行動方針だと信じ始めていた。結局、私達は信じるように育てられているのだ。「通常の」化学反応が起こり始め、友人たちの話を聞いて、かつてうまくいっていた頃を思い出すと、はっきりした意識で本質を見抜いた瞬間のことを忘れだすのは簡単だった。

だが一方で私たちは、ある程度のチューニングプロセスを経る必要はあるにせよ、万が一に備えて、フランク抜きでセッションを続けようと決めた。それらのセッションは(当然ながら)大部分がフランクに関する内容なので、交信文集には収録していない。当初は思うようにはスムーズにいかなかったとはいえ、速いペースでシーズとやり取りするのにも慣れて来て、従来通りの接続を行える能力を、私達が持っているのは全く明らかだった。そして私達は、シーズとフランクが同一実体ではないのだと改めて確信した。

実験的なワークの過程で、私達は恐るべきメッセージをシーズから受け取った。それによれば、フランクの周りには深刻な危険が存在しており、ある種のエージェントがこれに関与しているという。彼らの回答から、危険はフランクによってもたらされるのか、それともフランクに対して迫っているのかを見極めるのは難しかった。バラ色の眼鏡を取り戻したお蔭で、私はきっとフランクが危険な状態にあって、彼が未知のエージェントにストーカーされ、ないしは利用されており、彼の生命が危険なのだと判断した。

そういうことならと、私は奮い立った!たとえ、彼に腹を立てていようと、あれだけ時間をかけ、努力して生きながらえさせてきたフランクなのだ。今彼に何かが起こるのを許すわけにはいかない!私はS**に、電話が欲しいとフランクに伝えてくれるよう頼んだ。というのも、彼はもう電話を持っておらず、伝言も録音できなかったからだ。数日来、彼の消息を耳にしておらず、私の懸念は一刻ごとに募った。フランクの無事を確かめようと、私は殆ど半狂乱だった。ついに私はS**に、「ちゃんとフランクに伝言してくれた?」と尋ねた。そして、混乱したやり取りを何度か行った末に、フランクがうちにやって来た。私は彼を『帰って来た放蕩息子』のように歓迎した。

私達はリラックスして腰掛け、この問題について相当詳しく議論したのだが、結論としてフランクは、「僕が奇妙な事を言った時に、ただ1人その場に居たのはS**だった」と言った。「僕は確かに、S**に対して、ローラをなだめるようなメッセージを託したんだ」 でも私はそれを受け取っていないのだから、厄介だった。フランクの結論は、幾分コントロールするような影響力が存在していたということであり、それが意味するのはもちろん、S**に本件の責任があるというものだった!

私にはどうしてそういうことになるのかは分からなかったが、もはやフランクを疑う気は失せていた!S**は相当のお人よしで、常に人助けを行う、真に寛大で気の大きな性質だった。だが、実情はこうだった。私はメッセージを託したが、彼女はすぐにそれをフランクに届けなかった(少なくともフランクの言う限りでは)。彼も返事を託した(彼の主張によれば)が、私には届かなった。これは確かだった。私は本当に混乱し、訳が分からなくなった。一体どうなっているのだ?当然ながら、私たちはシーズに尋ねることにした。


950415
– Frank, Laura, Terry and Jan
---
Q: (T) こんばんは。今夜のお相手は?

A: こんばんは!

Q: (L) 今夜のお相手は?

A: ショウラ。

Q: (L) どこから?

A: そこからという訳ではないが、あなた方がカシオペアと呼ぶ場所経由。

Q: (L) Alright. お久しぶりね!

A: Oh yes!

Q: (L) この前コミュニケートした時、こちらはS**、テリー、ジャン、あと、私だけだったでしょ?
(※ちなみに、950318の参加者クレジットは:Frank, Laura, Terry and Jan, Brad, Sue)

A: 分裂していた。

Q: (L) 分裂してたのはあなた達でしょ?

A: 幾分は。

Q: (T) 全部がキミたちじゃなかったのか?

A: ラジオの電波信号がかち合うようなもの。

Q: (T) 僕らが全員でチャネリングでき、チャネルが僕ら全員に開くようにするには、ボードにつく人間を変えたままにしておくべきかな?

A: 曖昧な訊き方。

Q: (J) ボードにつく人をスイッチした方がいいかしら?

A: あなた達がベストだと思う方を勧める。

Q: (L) さて、差し迫った質問よ:私たちに何が起ころうとしてるの?

A: 攻撃について、繰り返し警告してきた筈だ!!

Q: (L) 攻撃を切り抜けるのが私達に課せられた試練なの?

A: もちろん。

Q: (L) どうして私達は攻撃を受けやすいの?

A: あなた方のワーク。

Q: (L) 私達の誰か1人が、この攻撃の受けやすさの一因となっているような事情はあるの?

A: Open.

Q: (J) 誰かを意識した何かが起ころうとしてるの?

A: それを訊くのかな?

Q: (J) Yes.

A: 答えはあなた方の内にある。

Q: (L) それじゃあ答えにならないわ。うちのA**が、子どもだって、難なく私たちの問題を解決できただろうって言ってたわ。

(J) 多分S**が仲介人に向いてなかったんでしょうね。

A: Okay.

Q: (J) この攻撃の意図は何?

A: S**は精神的に不安定だ。気付かなかったかな?

Q: (J) 気付いてたわ。

(T) でも、不安定さはさしあたり問題じゃないよ。

A: 問題は環境次第だ。

Q: (L) それじゃあまだ少々謎のままだわ。。。

A: ジェット旅客機の操縦をメイドにやらせるだろうか?

Q: (T) それじゃあ選ぶ人を間違えた結果、望まぬ結果となった訳だ。彼女のせいではない。

A: だが、メッセージの中継は慎重を要する問題だ。

Q: (J) それが手掛かりね。あなたとフランクの間のメッセージのやり取りを彼女が中継すべきだと指名したのは誰?

(L) 誰でもないと思う。

A: 瞬間的に「流れ」に弾みがついた。暗礁に乗り上げないよう、コースは慎重に選びなさい。

Q: (T) 今夜は中国のフォーチュン・クッキー占いをやってるんだ。

(L) 私、まだ少々傷ついてるのよ。私が言ったことは全部誤解されたんだもの。フランクが言ったことは言った通りに伝えられたのかしら?それで問題の解決がたちまち停滞しちゃったのよ。伝言されるべきことが伝わらないで、伝言すべきでないことが伝わったんだわ。

A: その通り。攻撃は実に意図的だ!全舷窓を警戒しなさい。

Q: (L) それじゃあつまり、ひょっとしてS**が無意識のうちに、攻撃の道具になってたのかしら?

A: Close.

[…]

Q: (L) こないだの晩、フランクが居なかった時、フランクが政府によって危険にさらされていると知らされたけど、それは今でも正しいの?

A: 部分的には。

Q: (L) 危険のソースは何?

A: ソース?

Q: (L) つまり、IRSなのか、FBIなのか、CIAなのか、あるいは何?

A: そういうイニシャルではない。

Q: (L) 身の危険?それともハラスメントの危険?

A: 自殺させるための心理攻撃。

Q: (L) この種の攻撃に対するシールドになるものはある?

A: Yes.

Q: (L) 何をすればシールドになるの?

A: 継続的な知識のインプット。

Q: (L) その知識はどのような形で取るべきなの?チャネリング情報?本?ビデオ?

A: それら全部と他のもの。

Q: (L) 他のものというのは特定できるの?

A: 情報のネットワーキング。そこで、警告だ!!!他のみんなもすぐに、同じタイプの攻撃が大いに増すのを経験するだろう。あなた方のうち2人は、過去に同じソースから、同様の理由で攻撃された。だが、今やあなた方グループの置かれる危険は、これまでの範疇には収まらない!!いいかな、あらゆるチャネラー、および、それと似た成り立ちの人々は、見分けられ、追跡され、「始末される」

Q: (T) 似たタイプの攻撃を経験したのはどの2人かな?

A: 学びのため、見分けるのはあなた方だ。

Q: (J) きっとそのうちの1人は私だわ。だって私、精神的・感情的にずっと落ち込んでるもの。

(T) ジャンが2人のうちの1人なのかな?

(J) 私がその1人よ。

A: 自殺を考えたかな?

Q: (L) あなた、自殺を考えた?

(J) No.

(T) 僕でもない。

(F) 僕はしょっちゅう考えてたよ。

(T) ローラ、あなたは?

(L) 私はかなりロウだったわ。自殺を思いつめてたわけじゃないけど、灯りを消して幻想を終わりにできたらどんなに素敵だろうとは考えてたわ。

(T) OK, それじゃあ、2人は誰か分かった。あなたとフランクだ。

(L) またはジャンね、悪化して行ってるみたいだから。

(F) 彼らは2人と言ってなかったっけ?

(L) 似た事が起こるだろうって言ったんでしょ。

(T) 僕らは一緒に取り組まないと全部失っちゃうよ。

(J) OK, テリーが今晩やったカードリーディングについて訊いて?

(T) あれは正確だったのかな?

A: Close.

Q: (T) あのリーディングが言ってた事は、キミたちが今言ってるのと同じことかい?

A: Close.

Q: (T) それじゃあ、僕らは知ってるんだ。嫌らしい攻撃を避けさえすればいいのかな?

A: あなた方は必要な気付きを全部持ってはいない!どうやっても無理だ!

Q: (J) フランクとローラの間にこうした事が起きた理由の1つは、とても弱々しくて、混乱していたとはいえ、フランクが居なくても、私達がチャネルによる接続を達成できると示すことだったのかしら?チャネルの完全性の1種の検証ね。それが副産物、あるいは、目的の1つだったの?

A: 副産物とはうまい言い方だ。いいかな、存在する全ては学びだ。

Q: (L) 攻撃は疑いという点では、より内心に向けられたもので、チャネルと情報に関してだけではなく、存在の基盤に関しても行われたわ。つまり、私たちが食物連鎖の頂点に居るのだろうという認識が打ち砕かれたのよ。

(T) 一旦対立が根付くや、雪だるま式に大きくなるんだ。

(J) 多分、これの観方としては:確かに私達はこうしたつまらないことの全てに耐え、あなたとフランクは苦難を味わったけど、多分1ついい事も生まれたのよ。多分、意図してではないんだけど、確かに分かったのは、私達みんなから切り離された別個のチャネルが存在しているということよ。それは、私たちの誰が居合わせるかには依存しないの。確かに、最適なコンタクトには、全員が揃わなくちゃならないけどね。。。

A: 誰でもチャネリングできるが、同程度のグルーヴィングを成し遂げるには練習が必要。だが、その派生的影響に気を付けなさい!

Q: (L) どんな派生的影響?

A: フランクをよく見なさい(※あるいは、「監視しなさい」)。

Q: (T) みんなキミを見守っているよ。

(J) Yeah. それで?

(F) 彼らが言いたいのは、キミたちが僕のようにチャネリングできるようになると、僕は殆ど始終チャネリングしてるから分かるんだけど、これには良い面と悪い面があるんだ。良い面は分かるだろうけど、悪い面をキミたちは知らない。悪い面とは、それをやりながら生きていくのがとても大変だということだ。心の状態を言葉で言い表せないくらいにだよ。

(L) 霊的な攻撃をかわし、避けるための実際的なアドバイスや手引きが欲しいわ。知識と気づきが大事なのは知ってるけど、知恵/進歩の言葉をもらえると有り難いわ。

A: 日々の祈りが役に立つ。

[…]

Q: (L) 今夜お開きにする前に、何か言いたいことはある?

A: 攻撃の警告として与えられた情報を読み直して、防御し、究極的には生き残れるよう、学びと知識ベースを強化する手立てについて、自分達で議論しなさい!!
---


S**に関しての回答が状況についてのフランクの意見と一致しなかったことから、セッションが彼の感情的なインプットによって改変されていないのが分かった。人間関係がテーマの場合、彼の感情的な先入観によって交信内容が歪められるのでないかと私達は議論していたのだが、彼は悔恨の情を示し、大人しくしていた。だが、その時、シーズの答えが頭をよぎった!彼らはこう言っていた:「攻撃は実に意図的だ!全舷窓を警戒しなさい。他のみんなもすぐに、同じタイプの攻撃が大いに増すのを経験するだろう。あなた方のうち2人は、過去に同じソースから、同様の理由で攻撃された。だが、今やあなた方グループの置かれる危険は、これまでの範疇には収まらない!! いいかな、あらゆるチャネラー、および、それと似た成り立ちの人々は、見分けられ、追跡され、「始末される」 誰でもチャネリングできるが、同程度のグルーヴィングを成し遂げるには練習が必要。だが、その派生的影響に気を付けなさい!フランクを監視しなさい」

自殺を考えていたのは自分だとすぐに認めたのは、もちろん、フランクだった。だが今にして思えば、私がそんな気になったというエピソードはこれより何年も前の話だった。実際、後で議論していて分かったのだが、これと同じタイプの攻撃はこれより前、テリーも受けていたのだ。実のところ、フランクが自殺したいと言うのは全面的にとは言わないまでも大部分、他人をコントロールする手段だったのだ。

「攻撃は実に意図的だ!全舷窓を警戒しなさい。同程度のグルーヴィングを成し遂げるには練習が必要。派生的影響に気を付けなさい!フランクを監視しなさい」

私達にはそれが分からなかった。

(本章終わり)
posted by たカシー at 16:15| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月21日

ザ・ウェイブ38章: 女ヴァンパイア

ザ・ウェイブ38章: 女ヴァンパイア
http://cassiopaea.org/2011/11/20/the-wave-chapter-38-the-feminine-vampire/


「放蕩息子」が帰って来た後の私の気分を言い表すのは難しい。フランクの身体と魂に危険が迫っていると知って、私の中の慈善家プログラムが見事に全部起動して強力に働き出したのである。私の持っている救助プログラム、母親プログラム、「迷い人を救い、怪我人を癒せ」プログラムが、全てフランク1人を対象に猛烈に動き始めたのだ。次の言葉は、彼が置かれている窮状を雄弁に物語っていた:「彼らが言いたいのは、キミたちが僕のようにチャネリングできるようになると。。。僕は殆ど始終チャネリングしてるから分かるんだけど。。。これには良い面と悪い面があるってことなんだ。今やキミたちも良い面は分かるだろう。だけど、悪い面をキミたちは知らない。悪い面とは、それをやりながら生きていくのがとても大変だということだ。自分の気持ちを言葉で言い表すことすらできないんだ」

この時私は、乳幼児の頃に行われた事のせいでフランクは、チャネラーになるようブログラミングされたのだが、それは「彼」の本質を殆どすっかり空にしてしまう意味を持っていたのだと分かった。殆ど井戸掘り機で掘られたかのように彼は芯をくり抜かれ、コンフィグし直されたのである。彼が「チャネル」であるというのは、地下のパイプが水や油を引くための導管であるのと同じ意味なのだと私には分かってきたのだ。このパイプラインを何が通るかは、完全に彼の接続先次第だということも分かった。

彼はある意味、生まれたばかりの赤ん坊のように、欲求と無力感の板挟みになっているために、自分ではどうすることもできないのだと私は感じていた。

この頃私が考えていたのはかなり単純なことだった:明らかにフランクはカシオペアンをチャネリング情報の泉にしようとして、遮二無二私につながろうとしていたが、それはこのつながりが保たれ、さらに発展することが、彼が育ち、生き残る上で重要だったからなのだ。パイプが、中を通る液体で濡れるように、彼がカシオペアンにチャネリングすればするほど、益々彼にはSTOのメッセージが染み込み、益々彼の魂の治癒が起こる見込みが高まるのだと私は思った。彼はあまりに自由意思を侵害され、台無しにされていたため、それをビルドし直し、回復させる=いわば彼の魂を復元する唯一の方法とは、できるだけ定期的かつ頻繁に私にチャネリングすることなのだ。子育てのために母親が赤ん坊に授乳するように、私はフランクがきっと大人物に育つものと思いつつ、彼に「糧を与える」ことにコミットしていた。彼が、生まれてくることに同意したためにどうすることもできなくなった高度な霊性を持つ存在であり、その後闇の勢力によって攻撃され操作されたために、このような状況に置かれているのだろうが、そうではなかろうがどうでもよかった。私は改めて彼を「助ける」ことにコミットした。それは全身全霊をかけたコミットメントだった。

一方でフランクは、あれだけ繰り返し主張していたにもかかわらず、高度な霊性を持つ存在でないことが明らかになっていた ― そんな主張を裏切る行動をし、実はダークなキャラであることを証明してしまった − のであり、彼自身もまたアイデンティティの見直しを迫られていた。

さて、私が悪意ある詐欺師の犠牲になったのだという風にみなしてしまうのはむしろ簡単だろうし、いつでもそれは可能である。だが、実際にはどうやら、人間の動学におけるドラマの各出演者は自分の観方・感じ方が正しいのだとある程度固く信じているらしい。それを試す方法とはもちろん、その人の観方が事実に関するデータや観察可能な証拠と一致するか見極めることだ。

既に見たように、脳内における化学反応が知覚において果たす役割は大きい。私達の人生に対する観方は、魂がショックを受けることにより、一瞬で変わり得るのである。そして殆どの場合、ショックが消えた後、プログラミングされあるいは受け入れている観方が、徐々に明瞭な意識に取って代わられ、私達はリアリティという幻想・自己愛的構造物の中の眠りに戻るのである。だからこそカシオペアンは私達に、事実と証拠を懸命に探し出すよう繰り返し活を入れるのである。意見に耳を貸してはいけない;事実をチェックするのだ。

私達は、人の心の成り立ちが、その人が何を行いどう振る舞うかを決める真の理由となり得ることについて、ある程度明らかにしてきた。だが、それ以上に私達がカシオペアンから学びつつあったのは、この、いわゆる心の動学が超次元のリアリティにおいて善悪両勢力が戦う上での道具に過ぎないということだった。この点の重要性はいくら強調しても、強調しすぎるということはない。というのも、自分の思考、感情、知覚は外からの力 ― それには、脳内化学物質の変質も含まれ得る ― でもって嵩上げされ得、この結果、いかにドラスチックに感覚が変わり得るかということを完全に理解するまでは、本当に自由意思で行動する能力を発達させられる可能性はないからだ。

前に言った通り:「PMS(月経前)」症候群に罹ったことがある女性なら分かるように、脳内における化学反応があまりにすっかり知覚も考え方も変えてしまうので、考えるのも恐ろしいことながら、これこそが私たちが生き続けている状態なのだろう:溢れ出るホルモンと脳内反応のせいで、私たちは食料としてマトリックスに繋がれ続けているのだ。

もちろん、私は自分が救助者、慈善家、あらゆる怪我人の癒し手、全ての迷子の母親であるという自己愛的なイメージに浸りきっていた;『グレイス』の読者はご存知のように、これは子供の頃から私が熱心に言い聞かされてきたイメージだった。それが、このような心理的基質が育まれた真の理由である。神学的理由はもちろん、このようなプログラムを道具として活用する結果、私はエネルギー的食料に仕立てられてきたのに他ならない。

どうして私は、このような一見ポジティブと思われる自己イメージを自己愛的だと言うのか疑問に思われるだろうか?他人を救助し、善をなし、母親のように癒すのは、STOの道の追求ではないのだろうか?

それは確かにそうなのだ。違うのは:そのように働くのが、真に求められたからなのか、それともウィッシュフルシンキングからなのか、ということだ。この学びの第1段階を経験するだけでも、さらにもう1年かかったけれども、これこそ最終的に私が学ぼうとしていた違いだった。これは進行中のプロジェクトなのだ!

このリアリティの中に居る私達はみな、程度の差こそあれ、捕食者か餌かのいずれかである。家庭の夫は職を失うことになるので、雇い主にエネルギーを吸い取られるのを拒むことができない。だから彼は家に帰ると、妻からエネルギーを吸い取る。妻は夫に出て行かれると自分では食べていけないし、子供の面倒も見なければいけないので、怖くて拒めない。だが彼女もエネルギーが足りなくなりどこかから得なくてはならない。それで、恣に子どもたちを操作して自分を称賛させ愛させることによって、彼らからエネルギーを吸い取る。彼女はまた、子供たちを虐待して、苦難に陥った彼らから心のエネルギーを吸い取るかも知れない。彼女は自分が子供たちのエネルギーを吸い取っているのが分からない;彼女はマトリックスのプログラムに従って機械的に行動しているのだ。このプログラムが機械複合体全体を動かして、コンスタントにエネルギーを吸い上げてフィーダー線に流し続けているのだ ― 誰に向けてだろうか?

多分、超次元=第4密度のSTS、われらがマトリックスのコントローラーではないだろうか?

神学的リアリティが極めて重要になるのは、この文脈においてである。心理的基質や戦いの道具について考えたり語ったりするのはさておき、私達は両勢力の明らかな区別を見ておく必要がある。上の如く、下もまた然りなのだ。

STSのヒエラルキーでは、今しがた述べたように、究極の飼い主、すなわち、エネルギーの受取人がいて、エネルギーは集められて、私たちのリアリティの隙間 ― 私達の家族、友人、知人を結ぶ意識の糸 − を通って伝えられる。STSのヒエラルキーの場合、これは不存在の思考センターであり、そこでは意識が最終的に物質化されてきた。というのも、不存在という概念からひき出された意識は、実際には何ものになることも、死ぬこともできず、久遠の眠りにつくことしかできないからだ。つまり、STSのヒエラルキーに取り込まれた意識は、最終的には始原物質になるのである。

幾つかの哲学においては ― 少なくともその中の数派においては ―、特定の道が物質化に至るという、この真理が公然と教えられている。このような「永遠の眠りと一体となること(ワンネス)」が究極の目標なのである。この永遠の至福を認められるために、超人的な苦行が積まれるのだ。しかし、問題なのは、この道の高僧たちも知悉している通り、彼らの願う、このワンネスを達成するためには、他の一切が停止しなければならない ― 外側への拡大と創造のサイクルが終わらねばならないということだ。神は殺され、あるいは少なくとも、正式に眠りに戻されねばならない。

これが意味するのは「有」が消滅しなくてはならないという思想である。自分という存在を終わらせるために、自分の尻尾を呑み込もうとするヘビのように、STSの道は創造の一切を呑み込んで、無の眠りに就かせようとするのだ。

私達が目覚めた時に気付くのは、私達が自分よりも下位の生き物を食べており、代わりに「上位」の生き物に食べられているということだ。当然、私達としては、他の選択肢はないのか?と訊きたくなる。これに対してカシオペアンが示した選択肢がSTOだった。私達のリアリティでは想像しにくいのだが、それは与え合い、支え合う共生的なサークルで、そこでは自由意思の侵害は全く起こらず、エネルギーの流れが全員のために整えられ増幅されるのである。STSの場合、狭くなって行く一方通行をピラミッドの頂点に向かううち、エネルギーが消滅するのとは反対なのだ。

STSピラミッドのヒエラルキーにエネルギーを供給させるよう操作するため、私たちの元型的イメージが歪められているという知識を得てこそ、私たちはそのような操作から自由になるチャンスも手にでき、エネルギーを整えシェアし合い、創造を楽しむSTOのサークルに参加できるのである。

つまり、私達が基本的にSTSの性質を持つ動学の中に閉じ込められている限りは、エネルギーを均等にシェアし合うことは出来ないのだ。捕食者である参加者とエネルギーの食料である参加者が居て、両者のエネルギーがまさしくこの目的のために状況を操作している高次の存在へと流れて行くのである。神学的リアリティに十分目覚め、ごく僅かなサインを読み取る術を学んでいないと、これを見分けるのは必ずしもた易くないだろう。マトリックスは巧妙に姿を隠すようにできているのだが、全ての機械仕掛けのシステム同様、完ぺきではない。十分注意し、目覚めて居れば、幕の陰に居る男が見える筈だ。

つまり、私のポジティブな自己イメージが、自己愛の働きで起動する結果、私は真に求めている他人のためにあらゆるいい事をしているつもりでいる。だが真相はと言えば、この他人は求めてなどいないのである;私は助けたり、母のように振る舞おうとしたり、癒したり、善行を行ったりすることで、自分のエネルギーをSTSの動学に与えるよう操作されているのである。そして、STSの方では、このような心のコンフィグを持っている人々のエネルギーを吸い取ることによって、究極的にはこの人々を殺そうとしているのだ。私は騙され、既に見出した真実に対して目を開き続けようとせず、STSの企みによる気の毒な出来事の展開に目を奪われ、幻想プログラムを起動させるのである。

フランクだって、きっとショックだったろうと私は思った。あくまで想像だが、私は彼が自らの行動によって闇が暴露されたと感じただろうと思っていた。ただし、この地球上で生きるには善良すぎるという、凝り固まった自己愛的イメージのせいで、あのような露呈事件にも拘わらず、彼の幻想の殻がまだ破れていない可能性もじゅうぶんあった。グループメンバーや、おそらくは社会全体(全体ではなくとも、真実や名誉、勇気、礼儀を重んじるメンバー)が、フランクがちょっとした理性喪失を起こしたのを手掛かりに、隠れた彼の闇人格を垣間見たことに、少なくとも彼が気付いていたのは確かだ。彼が打ち出す彼のイメージに深刻なひびが入り、目立って行っていた追求をほぼすっかりやめてしまったのだ。

彼の追求とは何だったのか?フランクは何がしたかったのだろうか?

交信文のあちこちに散らばっている数多くの手掛かりや、他の参加者・証人の観察結果からして明らかなように、彼は名声と富を求めるタイプだった。だが、それには奇妙なツイストがかかっていた:彼は自分にはその資格があり、それらを備えるべきだとも感じていたのだが、自ら励もうという気はなかったのである。彼は本質的に他人の威光を借りる性質だった。だが、シーズはもう1つの理由を明かした。「彼は、あなたが生まれる前、あなたの現在の物理体内に暗号化された秘密を『ダウンロードする』という特殊な目的のプログラミングを施されていた。彼はあなたを堕落させられなかったので失敗した。彼は現在、ヴィンセント・ブリッジスと協力して、あなたが持っているミッション遂行能力を破壊するというミッションを帯びている」(※020110)

だから、これが、真の理由の陰にある神学的理由ということになる。

だが、既に述べた通り、もう1つの動学が働いているのをシーズは見抜いていた:


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Q: あなたたちがテリーとジャンにセッションに出るよう勧めたのはそのせいだったの?フランクのネガティブなエネルギーと釣り合いを取るため?

A: Yes. そうしなかったら、フランクはたちまちのうちに、STSの流儀でエネルギーを吸い取って、あなたを殺していただろう。
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こうして私達は問題の核心にたどり着いた:私は神学的リアリティに対する気付きを欠いて居たために、ユング派心理学にいわゆる「女ヴァンパイア」の餌食になったのである。この術語は女が男を食い物にするという風に、性的役割の固定化を意図するものではない。この元型は、見たところ全く無力と思われる人が、パワー、力、エネルギーに溢れる人を犠牲にし、あるいは食い物にするというものである。ユング派心理学者バーバラ E ホルトの『いっしょにいると疲れる人 「くされ縁」の人間関係の研究』から引用させていただくが、彼女が述べているのは真の理由であって、その陰に神学的理由があることに留意されたい。彼女は騎士が苦境に陥った、苦難に遭う乙女を救うという観点で述べているが、私達の世界では、反対に女性が母性本能から男性を救う場合も少なくないのであり、これも全く同じ元型に属する。


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(邦訳書163ページ)
かよわい存在が、たくましく屈強な人物を犠牲にすることなど、ありそうにないと思われるかもしれない。しかし、それは実は案外しばしば起こっている。そもそも、何か困っている人物に救いの手を差し伸べること以上に魅惑的なことはない。とくに、救いを待つ相手が魅力的で、いつも感謝の念を忘れず、そしてあなたを崇める存在だったときには、どうしてそれにあらがうことができよう。

たくましい男性のあなたはそのとききらめく剣を振りかざす騎士、英雄の役回りを演じる。かよわい乙女はそのとき、潤んだ瞳であなたを見つめる。あなたは喜びの絶頂に立つがしかし、長くはつづかない。彼女はまたすぐに困った状況をあなたに訴え始める。あなたは、そこでまた力を振うことになる。

英雄と一見かよわい乙女のふたりの病んだダンスは、こうして永久に続くのだ。餌食となった男性は経済的に、肉体的に、そして精神的にしゃぶりつくされる。しかし、哀れな男性は自分がだまされているとも知らず、大喜びで生命エネルギーを差し出してしまうのである。なぜだまされてしまうのか?

男は屈強であればあるほど、敵も屈強だと思い込む傾向がある。まさか敵がかよわい(あるいはそう装った)女性だとは想像もしないのだ。また、男性の心のなかで「英雄」の元型が活性化すると、弱々しい女性を見過ごすことができなくなってしまう。かよわさの陰に牙が隠されていたとしてもだ。男性のプライドを利用して食い物にする − まったく狡猾な手口だ。これが男性を餌食とする女性のヴァンパイアの常套手段なのである。



(181ページ)
英雄的な男性と悲劇的な女性がいた。男性は女性を救うことに幸せを感じている。そして、女性は男性に救われたいと思っている。こうして、男性による女性の救出作業は延々とつづくのである。女性は救出されるたびに感謝の言葉を述べるが、それは男性に次なる救出を促しているのだ。。。

(188ページ)
大蜘蛛 − それは運命の紡ぎ手、あるいは死をもたらす存在としての「テリブル・マザー(恐るべき母)」の有力な象徴である。。。

(189ページ)
。。。J・E・サーロットは『シンボル辞典』(1971年)において、網(蜘蛛の巣)の中央にいる蜘蛛のイメージは「(この世界という)悪は変容の車輪の縁辺にあるのみならず、その中心にあって変容の根源をなしている」というグノーシス派の見解を象徴している、と述べている。。。サーロットによれば、象徴としての大蜘蛛は、古代の迷宮にひそむ女性の怪物と同列のものであるという。ここでいう女性の怪物とはメドゥサのことだ。メドゥサはゴルゴンという怪物三姉妹のひとり[である]。。。

(190ページ)
なぜ女性のヴァンパイアを退治するのは難しいのだろうか?その理由として考えられるのは、「強者である男性は弱者である女性を守らなければならない」という男性中心社会独特の道徳である。

(191ページ)
多くの場合、女性のヴァンパイアの犠牲者は人生を台無しにしてしまう。女性を救うために、自分にとっては完全に無意味な行動を嬉々として繰り返すことになるためだ。途中でだまされていることに気づいたとしても、もはや手遅れである。かわいそうな女性を見捨てるという罪悪感に、あなたは耐え切ることができるだろうか?このように女性のヴァンパイアの策略は実に狡猾であり、その被害はあまりにも大きい。心の健康を維持するためには、女性のヴァンパイアの退治方法を知ることがきわめて重要なのである。

(198ページ)
メドゥサが女性のヴァンパイアであることはいうまでもない。。。彼女は爬虫類のような冷血動物となり、女性の武器を駆使しては男性をだまし、男性を破滅させた。。。

(200ページ)
。。。メドゥサ型のヴァンパイアは、無防備な獲物に背後からシュルシュルと忍び寄り、冷たい視線で獲物を凍りつかせ、あたかもヘビに睨まれたカエルのように石と化した獲物にキバを突き立て、憤怒の毒液を送りこむのだ。冷たい骸と化した犠牲者の前で彼女はトグロを巻き、次なる獲物を求めて風のにおいを嗅ぐのである。。。メドゥサ型のヴァンパイアは狡猾な知力で獲物を陥れる。。。

(200ページ)
[真の英雄たるもの]女性のヴァンパイアを「感じとる」ことができなければどうしようもない。ここで「感じとる」という言葉を使ったのには意味がある。メドゥサの神話にも示されているように、女性のヴァンパイアを「見る」のは危険なのだ。ヘビに睨まれたカエルが動けなくなってしまうように、女性のヴァンパイアを見た人は石のように硬直してしまうのである。

女性のヴァンパイアを退治する場合、ペルセウスのとった手段が参考になる。つまり、女性の姿を「心の鏡」に映し、次のように自問自答するのである。彼女に同情を強要され、与えうる以上に与えてしまったことはないか? [大きな問題を抱えているように見える彼女を捨てようと考えて罪悪感に責め苛まれたことはないか?彼女が『私なんてつまらない女だわ』と言ったせいで罪悪感をあおられ、『つまらないだなんてとんでもない。単に恵まれない境遇に居て、救いが必要なだけだよ』と請け合ったことはないか?] 以上の質問について、ひとつでも「イエス」があれば、彼女はヴァンパイアである可能性が高いのである。[女ヴァンパイア・メドゥサはあなたをゆっくりと石に変えるだろう。]

[もし彼女があなたの同情心を掻き立てるなら、メドゥサの物語も哀れを誘うものだったことを思い出されたい。しかし気の毒だからといって、彼女が危険でなくなる訳ではないのだ。女ヴァンパイアに対する憐憫の情にほだされ、むず痒くなってきたら、賢明にも背中を向けながらゆっくりとゴルゴンに近づいて行ったペルセウスの姿を思い浮かべるといい。。。ペルセウスのイメージをしっかりと心に焼き付け、アテナ女神の忠告を忘れてはならない。もし女神から授かった盾『イージス』を落としたり、うっかり注意を怠ったり、あるいはふと罪悪感や同情心に駆られて、ちらりとでも後ろを振り返ったら、あなたはメドゥサの島に並ぶ石の動物や人間の1つに姿を変えられてしまうのだ。

女ヴァンパイアを退治する上で、彼女の本性に気付くことは重要だが、それだけでは十分ではない。ペルセウスとオイディプスの物語を比べれば分かる通り、有徳な偉業を成し遂げよという要請がないと、たとえ英雄であれ、女ヴァンパイアの奸計に屈しないでいるのは無理なのである。]
(Hort 1996, 113–114, 134, 136–137, 143–144, 146–147)
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※鏡訳。ただし、[ ]内はローラの補足または僕の補訳です。


フランクに関する限り、彼に我が家への出入りを認めたのは、好意と同情からだった。彼はひどく孤独で、しかも「他人と異なって」おり、助け、交友、支持、そして真の自尊心を必要としていた。彼は自分が他人に共感/共鳴しようと懸命に努力する人間だと私に信じ込ませるために、思いのままあれこれと言い立てた。彼は私および私の人生にとても関心を抱いてくれ、それは彼が共鳴できる相手を求めているからだと私は受け取った。

最初、私や私の経験に関して彼があれこれ質問して来るのは、心底私に興味を持っているからだと思い、私はそれらに答え、彼の情報的なニーズを満たしていた。確かに最初のうちは不安と疑念が募った。往々にして彼の質問はあまりにも個人的で、厳密にすぎ、プライベートな情報に飢えていた。しかし私は努めて丁寧に礼儀正しく対応し、疑念は捨てるようにした。

フランクは私の考えている事や、健康、人生、現状について根掘り葉掘り訊いてきた。まるで重要人物に対して、突っ込んだインタビューでもしているようだった。それまでの人生において、私の考えている事に本当に興味を持ってくれたり、私の人生が重要だと感じさせてくれる人は居なかったので、私は考えていることを答え、じき他の質問にも答えるようになっていた。

情報とはパワーであるゆえに、無邪気に問い詰めるスキルは女ヴァンパイアの重要なツールである;ある人に関する情報を握れば、その人から搾り取る手段を手に入れることになる。結局これこそがヴァンパイアの一番の目的なのだ。

フランクの問いに答えることが、彼に運転資金を与えることになると私は気付いていなかった − 後から操作に使おうとして彼は情報を貯め込んでいたのだ。

殆ど絶交状態になった時点でようやく、質問攻めに続いてフランクが、殆ど私自身の時間を持てないぐらい長々と、耳にタコができるくらいしつこく、彼が遭った災難や好みの話を私に聞かせたがっていたことに気付いた。フランクがあれほど私の健康を気遣い、注意深く細かい事まで尋ねていたのに、どうして彼の話を聞くのを拒むような失礼な事ができようか?時間とエネルギーを惜しまずに、彼のニーズを満たす他なかったのだ。

もちろん、その結果は泣きっ面に蜂だった。私はフランクにエネルギーを食い物にされたばかりか、さらには搾り取り、私をコントロールするための情報を彼に与えてしまったのだ。

一度噛まれて伝染されなければヴァンパイアにならないというのは、もちろん正しい。ユング派の心理学者に言わせれば、これは親から子へと感染して行くのであり、両親が幼児期に子供を虐待する結果なのだ。親が子供にプログラミングを施すのが吸血癖を伝染す手段の一つだというのは、確かに正しいのだろう。だが、そこにはもっと狡猾な力も働いているように思われる:超次元の存在、まさしく古代ヴァンパイアの元型の仕業である。

エイリアンの手によってアブダクトされ、拷問されたというフランクの記憶や、彼が抵抗しなかったという事実はいずれも手掛かりである。だが2年も経つうちには、もっとずっと多くの手掛かりがあった。

どんな人だって、もちろん、魂の名残りのようなものは持っている。成長して行って、未来のある時点 ― おそらくは別の生 ― で、物質的な環境の中での霊化プロセスが始まるのが魂だろう。他方、衰えて行く、物質化・圧縮化のプロセスにある、すなわち、STSのヒエラルキーに意識が包摂されるのも魂だろう。見分けるのは実に難しい。これは私の単なる推測だが、人類史の今の時点で転生して来ている魂は、タイプ的に極めて重要な選択 ― ウィッシュフルシンキングの、最後は物質化するSTSの道か、霊化して行く物質であるSTOの道かの選択 − を行うような未熟な段階にはないのだろう。

STSを選ぶのが、この密度では基本的にデフォルトなのであり、マトリックスのコントローラーどもによって自然なものとして示されている選択が、一般的に最も簡単なのだ。それは最も楽な道であり、とりわけ感情、ないし昨今宣伝されている「心の知性」に浸る道である。これはしばしば明白な選択、賢明な選択であり、当然の選択ですらある。「明白」「賢明」「当然」というのはもちろん、私達のリアリティを支配するマトリックスのルールからしてのことだ。

他方、STOという選択は、遥かに理解が難しく、ゆえに、行うのも従うのも、ずっと取り組み甲斐があるのだ。私達は、キリスト教とは元々どんな教えだったか少々検討し、また、カスタネダが詳説した「システマチックな嫌がらせ」の深い意味を理解する能力を欠いた人が多いという事実を確認した際に、既にこの事の例を見た。かくしてどうやら、一貫してSTSの選択を行う人々には語義失語の兆候が見られるようである。どうも彼らは、単語や概念の持つ、特定の、限定的な、文字通りの意味は理解できるものの、それ以上のことは思いつかないらしい。ある人々の場合、確かにこれを行う知的能力はあるようなのだが、そんな事をする気が無いように見受けられる。これはSTSの心が食い物にされるに連れて、このような人が物事の深い意味合い=錬金術師フルカネリがカバラ、すなわち「小鳥たちの言葉」に関する解説の中で例証した、隠れたリアリティを益々理解できなくなった結果である。一方、STOの選択を行っている人々は、このような純粋な思考という高次の領域に、益々達しうるようになって行く。

私にはどうも、これはただ1度だけ行えばいい選択ではなくて、日々、時々刻々と行う選択であって、人がSTSのリアリティの機械性とデフォルトの選択に対する小規模な戦いに勝って、ちょっとの間でもSTO領域に入ることで能力が強化されるものの、それは徐々にであって、次に行うべきSTOの選択が待っているように思われる。大体において、このような選択は、本質を見極めることだけでなく、それに対する反応の仕方 − 創造的かそれとも破壊的か、真実によってかそれともウィッシュフルシンキングと自己愛的な個人的意見によってか − を選ぶこととも関係がある。

かくしてカスタネダの言う「システマチックな嫌がらせ」という言葉を、その陰にある神学的リアリティに対するより深い知覚や、カスタネダが挙げた例とは反対の、物質主義的意味合いで理解することを選ぶような人は、STS的理性のデフォルトモードすなわち、マトリックス・リアリティの言語構造規則に則り、「明白」「賢明」「当然」なものを選択した人なのである。このような知覚を繰り返し選択する結果、カテゴリー的硬化、すなわち、物質化が起こるのだ。重要なのは、生きている限り、望みはあるということであり、出来事の表面を見ていると、フランクとの付き合いの中で、私が意識的にサイコパスの犠牲になっているようでも、出会う人には一定の限度で、疑わしきは罰せず、大目に見るべきだと考える傾向があるということなのだ。確かに彼には真剣に問いかける一面が見受けられたのであり、私は操作的でありつつも、そのような面を持つ彼に賭けていたのだ。

実は、サイキック・ヴァンパイア、すなわち、STSの食餌マシンは犯罪心理学の視点からきちんと説明できる。犯罪者の性格の主要な特質は弱さ、未成熟、自己欺瞞であり、これらと他人を騙したいという強い欲求とが混じり合っているのだ。弱さは重要な要因である。というのも、それがマトリックスのリアリティを超えて「高いレベルで考える」ことができない根本にあるようだからだ。このような思考には、ある種の努力が大いに必要であり、そんなことはしたくないという人は多い。そんなことは面倒でやりたくないのだ。身体を使う膨大な量の仕事が平気な人でも、どんなワークが真に貴重か理解できないようである。何日も、何週間も、何か月でも延々と辞書を引き続けられるのに、魂の強さがもたらす、深いリアリティに入り込む能力は持っていないのだ。

犯罪者は、自分のやった事についての自己弁護や理由づけが驚くほどうまい。彼らはまた、他人の同情心や感情のトリガーに訴えることの名人でもある。彼らはまた、見たくなかったり認めたくないことを締め出す能力に間違いなく長けている。彼らは概して臆病だが、そこには一ひねりある:彼らが最も恐れるのは、自分が弱虫と見做されることなのだ。それで彼らは、あり得ないような誇大な強さとパワーを持った人格をでっち上げるのだ。

犯罪者はまた、自分が何と言われたかに過敏で、けなされたと受け取るや、それとは不釣り合いなほど怒り出すのだが、自分が残酷な事を言った相手に対しては全く無神経である。もちろん、誰かを利用できる時には、苦痛に耐えながら同情するふりをする。

ある犯罪学者によると、犯罪者の心は、多重的なブロック・メカニズム障害に罹っているという。つまり、シーズがSTSのリアリティに関して用いる言葉で言えば:ウィッシュフルシンキングである。犯罪者が彼ら自身や世界に対して抱いている観方と矛盾するようなものは、彼らには見えず聞こえない。文字通り、物事が違って見えるのだ。

さて、私たちが皆、程度の差こそあれ、このような状態にあるのは明らかである。そして、他ならぬこのウィッシュフルシンキングのせいで、私達はマトリックスの中に留まっているのだ。奇妙に思われるかも知れないが、犯罪者の心理を学ぶことは、エベネーザ・スクルージにクリスマスの亡霊たちがもたらしたのと同様の効果を、私たちにもたらす ― 私達が無視しているリアリティについての気付きが増すのである。

発達途上のヴァンパイアは、善行を積むことで、自らの内に育ちつつあるヴァンパイアの種を必死で隠そうとする。でもいいだろうか、これは意識的に行うのではない。この点、自己愛的な観方は実に強力で、鏡を覗き込んでも、魂の空虚さを見ることはできないのだ。そんなことになっては、全人格構造がメルトダウンしてしまうので、潜在意識の防衛メカニズムがそんなことはさせないのである。

発達途上のヴァンパイアは、真の問題に向き合い対処する、すなわち、内なる闇を自認することはない。間違いや嘘や他人を操作していることも認めない。心から済まなく思い、そのような人々のために遮二無二助けを求めなどしない。それよりはむしろ、他人が潜在意識の中で抱いている、彼らに関する疑念を出来る限りの手を使って消そうとするのである。その際の主な手段は、ヴァンパイアの魂の中の闇を他の誰かに投影しつつ、善行をすることだ。(※ホルト第4章の『ドリアン・グレイ』の場合、主人公であるヴァンパイア=DGを描いた自画像の中のDGの姿が、DGの心の闇を映し出した − DGが善行をすると、自画像は偽善者の顔になった。)

もちろん、それは単なる心理的な真の理由であって、神学的理由ではない。元型の力は目的を達成するために、このような振る舞いを利用する ― このような考え方を刺激する ― のだ。ヴァンパイアは心の中で、善行を積むことで心を悩ませる恐ろしい陰(シャドウ)を少しずつではあるが消すことができると自分に言い聞かせる。もちろんのこと、闇は「外側」にある。しかし、やがてこれは、「食生ピラミッド」の頂点に居るヴァンパイアの頭目が食餌の可能性を高めるため、および、現状に対するいかなる脅威も打破するための両方に使う道具となる。

ヴァンパイア伝説によれば、ヴァンパイアに対して無造作に鏡を突きつけてはならない。(※ホルト邦訳書、243ページ) 心理学からしても、ヴァンパイアの元型が活性化している人に対して鏡を突きつけるのは、良くて問題含みである。このような時に、この人には次の3つの選択肢が与えられる:
・悪行を否定し、さらには良心の呵責を否定して、さらに極悪非道なヴァンパイアになる
・悪行について深く反省し、人間的な成長を遂げる
・絶望に逃避する
犯罪心理学の見地からすると、このような人々が行う選択は3つのうちのどれかである:
・犯罪行為を続け、最終的にはかなりの確率で破滅する
・急激に変化する
・自殺してけりをつける
変化や成長を選択せず、魂の空虚さを認めることも選択しない人は、完全なヴァンパイアになることを正式に選択するのである。このような人には、真に人間的な慈悲を感じる能力がないのだが、ヴァンパイアとして生き残る上での脅威を除去するという目的を追求して、際限なしに行動を変えて行く。

このような人が、自分の本当の姿を面と向かって暴露されたからといって、殆どの場合、実体のない完璧さやセレブなステータスを諦めきれるものではない。彼らは偽の経歴や資格証明の中にでっち上げた、ナルシスチックな自己というプログラミングされた幻想や妄想から自分を解き放つことができない。彼らは自分が偽の自己であると信じなければならない。というのも、潜在意識の最も深い部分で、彼らは自分が全くの虚無であると感じているからだ。神学的リアリティにおいて、彼らが実現するのはまさしくそれである。この心理的プログラムにコントロールされる結果、彼らは自分のエネルギーを使って、この元型を顕現させるのだ。

マトリックスはこのような行動を助ける。このような人が生きている、幻想に満ちた、ウィッシュフルシンキング的リアリティは、実は彼らが光の戦士 ― 高次の霊的存在 ― であって、鏡に写って見える、彼らが嘘つきで不完全であるという恐ろしい真実 ― 証拠や証人によって裏付けられた真実 ― を破壊しなくてはならないという確信からできている。彼らは全エネルギーをふるって攻撃と破壊を行う;「奉仕」を約束してくれる永遠の光の中に彼らが住めるよう、闇を消すためだ。

自分の姿と空虚さを垣間見てしまい、この空虚さを他人に投影した、悪徳ヴァンパイアは生き残り、最終的に彼の存在を脅かすものを滅ぼすためには、「別の姿」を利用する必要があることを本能的に知っている。このような別の姿をする結果、当初は彼らの行動が変化したかのように見えるかも知れない。これもまたこのような人が心中に抱いている、善行によって「外なる」ヴァンパイアに勝てるという信念の顕われなのだ。彼は償いとなる善行の結果、救いが得られると信じて、他人に良くするのである。だが内心において彼は、自分が傷つけた人に恩恵を施していることを意識している。実際彼は、自分が人を傷つけた悪行を悔いたり、罪を認めることすらしないままに、その相手に良い事をするのは、単なる善行よりも遥かに良いと信じているのだ。

悪徳ヴァンパイアは、本当は軽蔑している慈善団体/運動に時間とエネルギーを費やすようになる。生き残れるチャンスが確実になると考えるからこそ彼は、密かに軽蔑している人々のために尽くし、なおさら愛想よくそうするのだ。このような深く本性を隠したヴァンパイアは、実際は密かに食い物にしている人々の庇護者らしく振る舞う。そして彼は、密かに冒涜している信念に自分は従っていると決まって宣言するが、最終的には彼が内心でこの考えを唱導などしていないことを行動でもって証明する。

ある人の闇が、1人で耐えるには大きすぎるようなケースでは、彼/彼女はそれをある1つの集団に対して投影する。やがて彼らは、自分たちが荷を下ろしたいと思う、似たような闇を持つ隣人や友人のグループを探しに行き、無法や不正の数々を、どんな集団に投影したいかについて合意する。(※「闇を投影される集団とは、貧しい人、同性愛者、難民など、いわゆる社会的弱者だ」ホルト邦訳書245ページ) この結果、彼らは闇を隠す必要が無い。というのも彼らは、一団となって投影という騒ぎを公然と行うからだ。彼らは自分たちが集合的に闇を投影した人々を破滅させることができ、その結果自分たちが集合的に清められ、共に新しく完璧になると信じている。唯一問題なのは:このような動学においては、個人的/集合的な闇はヴァンパイア的騒ぎの毒気の中で大きくなるだけであり、それが大きくなるに従って、彼らは自らを清めるために、さらに沢山投影を行わねばならなくなるということだ。彼らが気付いていないのは、この結果、彼らは自分の魂を徐々に殺しているということだ。というのも、自らの内なるヴァンパイアに食料を与える結果、ヴァンパイアの元型は一層強力に成長していくのだが、これは、超次元のヴァンパイアが犠牲者の魂を食べる様子の顕われであり、もって、神学的リアリティを表しているのだ。

既に述べた通り、これは漸進的なプロセスである。

詐欺師が恣に誰かを騙すとき、彼は自分の人間感情を切り離しておく − 区分するのだ。彼は本質的には、2人の人間なのかも知れない:妻や家族、友人にとっての人間が1人、犠牲者にとっての犯罪人が1人だ。あらゆる心理学研究から、もし彼がこの道を長く辿り続けるならば、ついには誰に対しても人間的でなくなることが分かっている。ジキル博士とハイド氏のように、STSの行動やウィッシュフルシンキングに耽るたび=それに抵抗せず、克服しないたびに、それは益々強力になって行く。その究極の目的は、必死になって他人を破滅させ、それによって自らを救おうとしているこうした人間を犠牲にし破滅させることなのだ。

これは、最も世俗的な意味でマナーを弁えず、品が無く、魂の高貴さを持たず、それを認識することも、それを持ち合わせていないと理解することもできないような人々として、私たちの現実世界に姿を現す。やがて彼らは魂には何の価値も無いのだから、魂を持たなくても人としての価値が低くなる訳ではないというウィッシュフルシンキングを公言することによって、魂を持たない事実を埋め合わせようとする。その上、自分が魂を持たないものだから、魂実在論を攻撃し、魂を持つ人々を攻撃せずには気が済まないのだ。

目先の問題に戻れば、フランクは善行を積むことで、より正確には、自殺するぞと始終大言を吐くことを始めとする、かつて彼が行っていた、他人のエネルギーを吸い取るような行動を抑えることで、内なる闇をとり除こうとした。彼は、少なくとも私に対しては、役立つような事を言ったり、寛大な言葉を使うようになった。でも彼は、グループの誰かに対して、身体を使って何かするほど長い間無気力を克服してはいなかった − できなかったのだろう。

だが、この時期で重要なのは、フランクが間違いなく投影のプロセスを始めたことだった。そして闇を投影される対象は様々だったが、実際には、グループのために/グループと共に、沢山のワークを行っていたテリー&ジャンとS**が特に狙われた。

私はどうかって?私は聡明ながらも無力な我が子に対して子煩悩すぎる母親同様、操作されやすかった。だが幸いにも、すぐに見るように、シーズはた易く操作できる相手ではなかったのだ。

(本章終わり)
posted by たカシー at 18:06| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする